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魔女殿! 魔女殿! 魔女殿!
浮かれる気分のままに走る。
侯爵から話を持ちかけられた次の日の早朝。
太陽も半分、寝ており薄暗い森の中を疾風のように駆けるゲオルグの姿を見る者がいれば、物の怪の類だと思った事だろう。
すでに通い慣れた道は、きっと目をつぶってでも走り抜けられるはず。
と、いう事でやってみた。

「ぐおっ!?」

案の定、無理だった。
全力疾走で太い木の幹に顔面から突っ込み、凄まじい音を立てたゲオルグであったが、その顔には笑顔が浮かんでいる。

「クックックック………はっはっはっは……ふははははははははは!」

それどころか木にぶつかり、仰向けに倒れながらも、三段階に笑う古式ゆかしき悪役笑いまで出る始末だ。
ゲオルグは壊れていた。
あまりの幸福に。
夢が現実になろうとしている。
何も持たなかった平民のガキが、一国の近衛隊長になれるかもしれない。
歴史に名前を残せるかもしれない。
かも、ではない。
この手に掴める所まで来ている。
そして、愛しい人の想いを感じられる。
初めて出会った時のように、ゲオルグの存在へ何の興味もない冷たさすら感じない視線ではない。
熱を感じる。
燃え盛る炎のような熱ではなく、柔らかな木漏れ日のような熱が、いつしか魔女の瞳に宿っていた。
魔女の寂しさと諦観しか無かった瞳に、違う物が宿っていたのだ。
勘違いや気のせいではなく、絶対の確信がある。

「俺はやった!」

幼き日の夢を叶え、愛する女の凍える心を溶かした。
まさに男子の本懐、ここにあり、だ。

「俺はここまで来たんだ!」

ゲオルグは生きていた。
つま先から髪の毛の一本まで、生の実感がある。
そして、これからはもっと。 そう、もっとだ!
ゲオルグ・シューゲルクライバーは、もっと先に行ける男のはずだ。
近衛隊長ではまだ足りない。
将軍? まだまだだ。
元帥。 そう、元帥だ!
平民が元帥閣下になった話など、この三千世界のどこを見渡しても聞いた事はない。

ひたすら忠誠と武勲を重ね、民を慈しむ。
誰かに諂う事なく、王に間違いがあれば直言を躊躇わない。
いつ如何なる時も颯爽と戦い、守るべき国と勇敢な敵への尊敬を忘れない。
そして、家に帰れば魔女殿が出迎えてくれる。

何という理想か。
いや、理想ではない。
いつもやって来たように、これが現実になる日を手繰り寄せるのだ。
だから、まだ泣くのは早い。
汗が、目から零れた。




















「いいよ」

「まぁ話は最後まで聞いてくだされ! 無論、これは魔女殿にメリットがある話ですぞ!」

熱に浮かされたまま魔女の家に飛び込んだゲオルグは、今回の計画を説明していく。
魔女の力がゲオルグの目的ではないし、魔女も自分自身の力を嫌っている節がある。
本当であれば、使わせたくはない。
しかし、頭の固い老人達にも理解させるには、わかりやすい利を積んでやるのが一番だ。

「と、いう事でですな!」

「いいよ」

「へ?」

「やってあげる」

魔女が嫌がるだろうと思い、ゲオルグは色々と説得する言葉を考えていたのだが、すんなりと受け入れられてしまった。
喜ばしいはずなのだが、何故か腑に落ちない物を感じる。

「まっすぐ道を引けばいいの?」

「は、はい。 王都と南の侯爵の城を結ぶように、森を開いていただければ……?」

「どうしたんだい、そんな妙な顔をして?」

初めて見た。
こんなにも柔らかく微笑む魔女を。
その笑みはとても美しかった。
百万の言葉を重ねても、美しいという以上に相応しい言葉は到底、ゲオルグには見付けられそうにない。
なのに、

「おかしなゲオルグだね」

どうしてこんなにも、彼女の心に近付けた気がしないのだろう。
壁を、感じた。
高い、高い壁を感じた。





ゲオルグが初めて見た魔術は、とても幻想的なものだった。
家を出ると、魔女は何事かを口ずさんだ。
歌を歌うように、何かを問うように口ずさんだ。
どこからともなく、はらはらと舞い落ちて来る赤い雪が木に触れると、最初からそこに何も無かったかのように消え失せる。
それで終わりだ。
これまで人の手を拒み続けていた森も、魔女の前では何の障害にもならなかった。

「お見事ですな」

しかし、そんな奇跡も二人の前では関係がない。
素晴らしいと手を叩くゲオルグは笑う。

「ありがとう」

久しぶりだったから、緊張したよと魔女は笑い、肩をすくめる。
魔女の中にゲオルグへの信頼がある。
それは確かな信頼だ。
魔術を見せても、脅えるような事はないと信じていた。
そして、その信頼は正しいものだった。

とくん、と魔女の耳に心臓の鼓動が聞こえる。
とくん、とくん、とくんと高鳴る鼓動。

「ねえ、ゲオルグ」

「何でしょうか」

「ご褒美を頂戴?」

「何なりと。 お、それなら隣国を攻め落とし、貴方様に捧げましょうぞ」

おどける彼が愛しい。
何かを感じ取って、泣くのを必死に我慢する彼を、どうしようもないくらいに愛している。

「そんなものはいらない」

ただ、

「目をつぶって?」

自分の言葉に何一つ疑いを持たず、素直に目をつむるゲオルグが可愛くて仕方がない。
頭を撫でて、抱き締めてあげたい。

「好きだよ、ゲオルグ」

触れるだけの口付けと共に、魔女の初恋は終わった。


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