第一話
浅野信也は混乱していた。
学校に行き、担任ののろけ話を聞き、友達と好きなテレビやゲームについて話し、授業を
受け、帰宅する。いつもと変わらない一日のはずだった。
しかし、日常は崩壊したのだ。
通学路の途中、見滝原大橋を渡るときに世界は歪み塗り替えられ、塗り替わった世界はま
るで気持ちの悪い芸術の世界に迷い込んだようだった。
シンヤとて美術の教科書に出てくるようなゴッホやピカソの絵や彫像ぐらいは題名はとも
かくも見たことはある。
それらを無茶苦茶に混ぜ合わせたらこのような世界になるだろう。
「なんなんだよ、いったい……」
あまりの状況の変化に呆然としているとやや離れたところに絵にかいたような門が現れた。
いや、それだけではなく同じようなタッチの人形も一緒に現れ、こっちに向かってくる。
「あ、ああ…」
逃げろ、頭はそう命令してくる。しかし、体はなかなか動かなかった。
体が震え、呼吸が乱れる。
それでも、足を一歩二歩と踏み出すことで少しずつ体の自由を取り戻していく。そのまま走り出すと、門からできるだけ遠ざかろうとする。
幸いにも人形はそれほど速くない、これなら逃げられるかも、とまだ上手く働かない頭で考えるが希望はすぐに裏切られることとなる。
そこら中から同じような人形が湧いて出てくるではないか。
シンヤは走るスピードを上げた。今なら陸上部の人間にも勝つことができるだろう。
ただし、それはあまりの状況に頭がついていけなくなり、パニックに陥っているだけの事だった。
当然、そんなもので化け物たちから逃げ切れるはずがなく、一体に腕をつかまれ足が止ま
ると、そのまま囲まれて押さえつけられる。
持っていたカバンを振り回し、必死にもがくがどうにもならなかった。
「はなせ、はなせよぉ!」
シンヤは半泣きになりながら、もがくが化け物の力はあまりにも強く振りほどくことはおろか、骨が折れるかと思われるほどだった。
「……!」
もはや叫ぶこともできなくなり、眼をつむり、歯を食いしばって恐怖に抵抗するだけとなる。
思い出されるのは家族と友人、そしてクラスメートの女の子だった。
しかし、今度は絶望が裏切られる番だった。
爆竹を連続で爆発させるような音が響き渡るとシンヤを抑えていた力が失われていった。
シンヤは疑問に思いながらも少しづづ目を開けると、そこにいるはずの化け物たちは倒れ伏せていた。
そして、一人の少女が降り立つのが見えた。
その少女は黒い艶やかな長髪をなびかせて、紫を基調とした不思議な服を身に着け、感情をあまり映していない瞳でシンヤを見下ろしている。
今いるのが混沌とした世界の中ということもあり、幻想的な光景だった。しかし、少女が手の持っているのはそんな光景とは程遠いものだった。
それは黒光りする無骨な鉄塊、拳銃である。
「あ、あなたはいった「動かないで」」
紫の少女が言葉を遮ると銃を構え発砲した。
一瞬のことでシンヤは何の反応もできなかったが、後ろで何かが倒れる音を聞き、振り向くとそこにいたのは頭らしい場所を撃ち抜かれて倒れている人形の化け物だった。
少女は周りを一瞥して再び化け物たちが湧きだしてくるのを確認すると軽く舌打ちして、シンヤに向き直った。
「着いてきて」
「へ?あの?」
「早くして、……死にたいの?」
死、という言葉にさっき感じたばかりの恐怖を思い出しシンヤは大急ぎで立ち上がった。
それを確認すると少女は駆け出し、シンヤもそれを追いかけていった。
そこからはまるでアクション映画のワンシーンを切り取ったかのようだった。
そこら中から湧き出てくるが少女は拳銃で自分たちの邪魔になりそうなものだけを選んで撃ち倒していく。
右の一体、左にもう一体、前方の三体が瞬く間に撃ち倒されいていく。
今もまた、左のオブジェらしき物の影から現れた化け物を一発で倒す。
(すごい)
シンヤはその力に感動に近いものを覚えていた。
そして、少女の右から化け物がとびかかろうとしているのに気付いた。少女は左を向いていて気づいていない。
「危ない、右!」
振り向こうとしたが間に合わない、そう頭のどこかで思ったがそれは間違いだった。
突然、化け物たちの目の前にこぶし大のボールが現れ、爆発するのと少女がシンヤを突き飛ばすのは同時だった。
爆風と爆音に頭がくらくらとして耳鳴りが酷いが何とか再び立ち上がった。
少女が悠然と立ち、見つめるさきには先ほど現れた絵にかいたような門が建っていた。その門が軋みをあげ、歪んでいく。
「……」
少女はそれを感情の感じられない目で見つめ、こぶし大のボールを取り出した。
(あれって、手りゅう弾!?」
シンヤも当然ながら本物を見たことなどないが、映画やゲームでの知識として知っている。
少女はピンを引き抜くと門に投げつける、そして爆発。
衝撃が走り、シンヤは破片ともに吹き飛ばされる。
門は爆発に飲みこまれ、煙が晴れるころには跡形もなく消滅していた。
「すごい……」
門のあった場所、爆発の中心に進んだ紫の少女は何かを探しているようだった。
シンヤが声をかけようとすると世界は再び歪み出した。
「また!?今度はなに!!??」
次々と変わる状況に驚いてばかりだが、今度は危険はなかった。
世界の歪みがなくなると元の場所、見滝原大橋に戻っていた。
「助かった、のか」
シンヤが安堵の溜息をもらすと何かが足元に落ちているのに気付いた。
拾い上げるとそれは不思議な装飾が施された黒い宝石のようなものだった。
(綺麗だけど、何か、嫌だ)
それを見つめていると少女が傍にきていることに気づいた。
「あの、助けてくれて「それを渡して」……はい?」
「それはあなたが持っていていいものじゃない、こっちによこしなさい」
少女は手を差し出して、黒い宝石を渡すように言ってくる。
相変わらず、感情の読めない表情だが、有無を言わせない迫力があった。
おずおずと宝石を渡すともう興味を失ったかのように踵を返しどこかに行こうとする。
「ま、待って!」
「……」
「あなたは、一体なんなんだ!?あの気持ち悪い場所に化け物は、それにその宝石は何か教えてよ」
「……、もう済んだことよ。忘れなさい。」
紫の少女は振り向きもせずにそう告げたが、シンヤは納得できるはずもなく、さらに引き留めようとするが、それにも構わずどんどんと進んでいく。
慌てて後を追いかけて、少女に追いつき触れようとしたが手は空を切った。
「消えた!?」
今まで目の前にいたはずの少女が消えていたのだ。慌てて周りを見渡すがどこにもいない。
「何なんだよ、いったい……」
シンヤの呟きは夕暮れの中にきえていった。
浅野信也は目覚まし時計のアラームで目を覚ました。
飛び起きて周りを見渡すと見えるのは本棚にデスク、テレビとゲーム、見慣れた自分の部屋だった。
枕元の時計が示す時間は7時過ぎ、学校に行くにはそろそろ起きなければならない時間だ。
「なんだ、夢か」
息が上がっているが現実に戻ってこれたことで安堵の溜息をもらす。
起き上がろうとすると寝汗が酷かったので、朝食の前にシャワーを浴びることにした。
一回の洗面所でパジャマを脱ぎながら、まだ夢のことを考えていた。
異世界らしき所で化け物に襲われ、不思議な少女に救われる。考えれば考えるほど非現実的だ。
そうだよな、いくらなんでもあんな気味の悪いファンタジーが現実であるはずがない。
一人でそう納得して、鏡に映った自分の姿を見る。
黒目にやや茶色がかった黒髪に母親似の中性的な顔つき、体は贅肉はないが筋肉も並みでしかない平凡な容姿、見慣れた姿だったが一つだけ昨日までと違う点があった。
「ウソだろ……」
シンヤは自分の声が上ずり、また呼吸が荒くなっていくのを感じる。
自分の腕にはくっきりと手の形をしたあざが浮かんでいたのだ。