■「芸能界を終わるときも『まずはあいつに』」
――明日からも収録があったと思いますし、6つのレギュラー番組がありますよね。それの共演者の皆さんですとか、番組関係者の皆さんには、もう紳助さんのほうからお話はしたんですか?
島田: いや、吉本興業からプロデューサー、ディレクターに話をしてもらいまして、その方々からは熱いメールをいただき、家に来ていただいて、なんとか引退だけは撤回してもらえないかと言われまして。それには・・・ちょっと本当に、今日泣いたら後悔していると思われそうですけど、後悔じゃないですよ。皆さんの熱い思いが嬉しかったです。でも、ルール違反はルール違反ですから。ここでなんか、軽い処分や謹慎というのはやっぱりよくないなと思いますので、悪いことをした僕ですから、自ら一番重い罪を自分に着せようと思いました。
――(励ましの)メールをくれたのはどなたでしょうか?
島田: もう、たくさんの方にいっぱいいただきました。そして、ギリギリまで言えなかったのもあったんで、今日6時半の段階で、吉本の全タレントに吉本側から通達したので、吉本の後輩から、さっきも電話やメールをたくさんいただきました。前もって教えていたのはダウンタウンの松本だけです。
――松本さんからは何と?
島田: やっぱり「やめないで下さい」と(言われた)。漫才を20・・・18(歳)で吉本に入りまして、21(歳)でデビューして、29(歳)で漫才を辞める時に、僕に辞めるきっかけをつくったのは松本ですから。ダウンタウンの漫才を見て、「紳竜の漫才はもう終わりだな」と思って、僕の漫才を終わらせたのはあいつですから。芸能界を終わるときも、「まずはあいつに伝えとかないかん」と思いまして、やつだけには伝えました。
――「やめないでください」というメールに紳助さんはなんて答えたのですか。
島田: 「やめないで下さい」と電話で言ってくれましたけども、「最後は自分のわがままを通させてほしい」と、僕は僕らしく。いかんことして辞めるから、めっちゃめちゃかっこ悪い話ですわ。めちゃめちゃ無様な芸能界の終わり方ですわ。最低の終わり方です。でもその中で、「ほんの少しだけ自分の美学を通させて下さい」とお願いしました。
――紳助さん、日曜日の会社と話し合いで、(今回の話を)頂いてから即答で引退という決断になったのでしょうか。少し考える時間があったのでしょうか。
島田: いや、日曜日にお話したのですけど、すぐには受けてはいただけなかったんですけど、「気持ちはわかりました」と、「預からせてもらいます」と言われたんですけども、私は今日まで全く気持ちは揺れることなく、逆に言ったら「引退したほうがいいよね」と誰も言ってくれず、いろんな人が聞いて、そうやって思いと留まらそうと思って、非常に真剣に怒ってくれた人もいましたし。「本当にそれだけはやめろ」と、この人、こんなに熱く言ってくれるんだと、そういうのに今ちょっと感動して、思い出して涙を流してしまったから。別にこれは引退に対して自分がブレたり、後悔して泣いているんじゃなくて、その優しさを思い出して涙を流しているだけで、僕の気持ちのなかで3日間まったくブレませんでした。
逆に言ったら「引退したほうがよいよね」とは誰も言ってくれず、皆が、いろんな人が聞いて、そうやってバランスを取ろうと思って。やっぱり真剣に怒ってくれる人もいましたし。「本当にそれだけはやめろ」と。この人はこんなに熱く言ってくれるなと感動して涙を流してしまったから、別にこれ(涙)は引退に対してブレたり後悔して泣いているのではなくて、その優しさを思い出して涙を流しているだけで。僕の気持ちのなかで3日間まったくブレませんでした。
――日曜の夜から月曜日、そして今にいたるまでですけども、奥様、ご家族、身近な方はなんておっしゃってましたか?
島田: 嫁は「自分のやりたいようにやったらいいよ」「自分の思うように生きてください」と。長女は「本当に後悔しないのか。でもあなたは強運の持ち主やから、またなにかを考えるよね」と、そういう風に言ってくれました。