■「明日からは遠慮せんと、嘘を書かれたら告訴できるなと」
――あと、紳助さんにお尋ねしたいのですが、ご自身から引退ということを言われたというのですが、それに至る課程でご自身の中で迷いというか、そういうものはなかったのでしょうか。
島田: 一昨日、そう(=引退を)言いまして、うちの仲間や芸能関係者の仲間には伝えました。全員が一生懸命引き止めてくれましたし、家まで来て引き止めてくれる人もいましたし、目の前で涙を流して引き止めてくれる人もいましたけども、僕のなかでは揺れることなく、自分が決めた道をちゃんと進もうと思いました。
それは、はっきり言いますけど、さっき言ったようにいけないことです。いけないことも充分承知で、だから引退をするんですけど、やっぱお世話になった方、自分が「助かった」と思った方に対して、僕は「会ったらいかん」と言われていますし、向こうの方も「会ったらいけないんだ」と、「君は会うな」と言われました。だから僕は、会いませんでした。でも心のなかで感謝する気持ちまで消したらいかんと思いました。だからその方が一番最初に、そのときに「会う必要は無いんだ」と「会ってはいけないんだ」と(言って)、「人というのは、その思いが心でつながっていたら会う必要は無いんだ」と、「心でつながっていたら、心がひとつなんだ」と言われたんです。
僕の人生の中でもその言葉は重く残りました。ですから何かあったとき、やっぱ自分が弱ったときに、その頃に、そのトラブルを起こしたころに、その方にAさんを介して「心がひとつですよね」と送りました。ただそれは「仲間です」という意味ではなく、「組織と付き合っている」という意味ではなくて、そのときにおっしゃったことが、「会うことはないけども、交流もない、遊ぶこともないけども、心はひとつですよね」って。だから、そういう意味で送ったメールです。
だから、本当に頻繁にお会いすることもありませんでしたし、本当に十数年間に、本当に偶然合わせで、偶然と言っても道で会ったんじゃないですけど、僕がご飯食べてたら、隣の店におられると聞いて一回行ったり、うちのバーのオープンのときに20分だけ顔を出されたという、それは偶然です。僕は近くにいたもんで。それを合わせて5回程度です。
だから、長い時間交流を持ったりとか、そういうことは自分ではなかったので。十数年間で5回、偶然含めですから、僕は、これは僕自身のなかでは、交際やとか交流やとかいう認識はなかったです。自分ではさっき言った通り、セーフだと思っていました。その間、週刊誌にいろんなこと書かれて、あることないこといっぱい書かれて、本当に悔しかったので、明日からは遠慮せんと、嘘書かれたら告訴できるなと、ちょっとホッとした気もあります。
――価値観の違いとか、認識の甘さと言ってしまえば、それまでなのかもしれませんけど、こんな形で引退をするということに関して、紳助さんの中では後悔はないのですか。
島田: いや、芸能界の一員として、芸能界のルールはこれなんだと言われれば、明らかに芸能界のルールを間違っているし、間違っていることを気がつかなかったし。自分で生意気ですけど、ぺーぺーのタレントじゃない。吉本にとっては、だいぶ先輩格になってきた僕が、そんな曖昧な判断をしたら、本当に僕より・・・1000人の吉本のタレントの中に800人の後輩がいます。800人の後輩たちに、本当に示しがつかんと思います。だから僕は自分が最後にできることは、こうして示しをつけることやなと思いました。
だからもちろん、今後後輩たちとの約束です。その方とメールもしないし、お会いすることもありません。でももし、道で会ったら、僕は遠くから頭を下げます。それは人として、感謝の気持ちは、あの時の感謝の気持ちは今でも持っているというのは、僕のなかでは誇りとして優先したいです。