ソウルで第10回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議
現地報告 北側代表拒絶した李政権へ抗議の声相次ぐ
ドイツ、フィリピン、インドネシア、台湾、東ティモール
、日本から会議にかけつけた人たち(筆者提供) |
ソウル中心部の韓国教会100周年記念館を会場に、第10回日本軍「慰安婦」問題解決を目指すアジア連帯会議が開かれた(12~14日)ので、取材のためソウルへ向かった。
東京で暮らす筆者にとって朝鮮半島の真夏の空気は、ソウルでも平壌でもほとんど同じに感じられる。3都市とも気温は35度近くまで上がっている。しかし同じ暑さでも、ソウルと平壌ではこの暑さが苦にならないのだ。多湿で息苦しく不快な東京と違い、この南北の2都では湿度が低く、さわやかな風が吹きわたって汗をかかない。
昨年の同月同日、私は平壌に滞在していた。日本軍国主義による被害者証言集会が平壌市の中心に位置する人民文化宮殿で開催されており、それを終日取材していた。大戦中に日本軍人として前線に送られた人、強制連行されて九州の炭鉱で強制労働させられた人、挺身隊として工場動員された女性、挺身隊と呼び名は同じでも実際には強制従軍「慰安婦」として地獄の苦しみにあえいだ人らが次々に証言した。
その後、別の間で朝鮮日本軍「慰安婦」および強制連行被害者補償対策委員会(朝対委)の洪善玉会長にお目にかかって驚いた。07年8月、ソウルで開かれた「第8回連帯会議」でお会いしたご本人だったので、思いがけぬ再会となったのだ。彼女は国会副議長も兼務と聞いた。今年のソウルでまた会えるだろうかと楽しみにしていた。しかし今回は出席していなかった。
過去の歴史忘れるな
ソウルにある日本大使館の向か
い側に建立予定の「平和の碑」 (ポスター)(筆者提供) |
今回のソウル大会の開会スピーチで主催者の韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の尹美香常任代表は、最初に洪善玉会長の欠席に触れ、次のように報告した。
「残念なことに、今回の会議に北側が参加することはできませんでした。これまで20年間の日本軍『慰安婦』問題解決のための連帯活動において、南側の挺対協と北側の朝対委はいつも一つになってこの会議に参加し、連帯してきました。ところが今回の連帯会議には南側当局の不許可で北側に招請状さえ送ることができず、今日この場に北側が参加できませんでした。他のアジア各国と違い、南北は日本による植民地統治以後、分断というもう一つの苦しみを経験していることに共感してくださるようにお願いします」
このことは政界からのスピーチでも触れられており、たとえば鄭春生・民主党女性局長も、「07年に実現した北側代表の参加が今回、韓国政府の不許可で実現しなかったことは誠に残念」と述べて李明博政権の対応を非難した。
尹代表はこの開会スピーチで1992年8月の第1回連帯集会以来の歴史を振り返り、「日本政府は歴史の真実に近づくのでなく遠ざかっており、国民は過去の歴史の真実に対して忘却を強いられています」と総括したが、続けて「しかしこれはただ日本のみの危険な状況ではなく、韓国をはじめとしたアジア各国も同じです」と述べて、真実を手にすることの難しさを語った。
「平和の碑」建立へ
「慰安婦」問題は1991年8月、南の金学順ハルモニが初めて公然と名乗り出て大反響を呼び、今日までに10カ国の2万2400人(オール連帯ネットワーク調べ)が確認されるに至った(このうち北では219人、生存者約40人、南では234人うち生存70人)。今回の集会には元「慰安婦」被害者7人を含む150人が参加し、初日は現状報告と意見交換、翌日は日本政府に公式謝罪と法的賠償を実現するための特別立法を一日も早く制定せよと求めるなど決議文の議論に充てた。
会場ロビーには、「平和の碑」というかわいい人形をあしらったポスターが張られた。少女がほほ笑む。しかしその陰はすでに老人。ハルモニたちが92年から日本大使館前で始めた抗議の「水曜デモ」は年末に、ついに1千回目を迎える。この「平和の碑」は1千回記念に大使館の向かい側に建立される計画という。参加者は閉会後、「慰安婦博物館」建設予定地で行われる地鎮祭に向かった。(長沼節夫、ジャーナリスト)