5日、シベリア特措法を施行するための「基本方針」が閣議決定された。分かっていないことが多いシベリア抑留の実態解明を国に求めている。だが、国は手元にある重要資料さえ活用しきれていない。基本方針の決定を機に直ちに姿勢を改めてほしい。
第二次大戦後、旧ソ連によってシベリアなどに日本人約60万人が抑留された。ソ連は国際法違反の抑留について、実態を隠し続け、冷戦下では日本側の調査も進まなかった。現在、日本政府は抑留の死者を5万5000人と推計している。だがこれは下限でしかない。たとえばソ連は抑留した日本人のうち、病気などの4万7000人を旧満州(現中国東北部)や北朝鮮に送り返した。このうち赤痢などのため2万人以上が亡くなっているが、政府の推計にこうした人々は含まれていない。
シベリア抑留は現代史に刻印される悲劇でありながら、いかなる理由で終戦後に抑留され、何人が亡くなったかが分かっていない。死亡時の状況も分からないケースが多い。こうした点を解明すべく昨年6月、議員立法でシベリア特措法が成立した。
近年、ロシアからの資料提供は、遅々としてではあるが、進んでいる。たとえば00~05年に、マイクロフィルム化された抑留者の個人記録が厚生労働省に提供されている。
帰還者約47万人、死亡者約4万人の計約51万人分に及ぶこの資料は、武装解除された日時や収容所の場所などの情報を含む重要なもので、同省は、当事者や遺族の請求があれば開示している。
私は21日朝刊で、旧日本陸軍の井上忠也中将の次女、岡田よし子さん(91)ら遺族が資料のコピーを入手したことを伝えた(東京本社、中部本社、北海道支社発行版)。井上中将が1950年に抑留先で亡くなってから60年以上が経過したが、病状や抑留先での暮らしぶりなど初めて知ることが多かった。
岡田さんは当初、届いた資料をみて途方に暮れた。160枚にもおよぶ膨大なもので、ほとんどが手書きのロシア語で判読できない。専門家を探し、一部を訳してもらうのに、多額の費用がかかった。
白井成雄・名古屋大名誉教授も07年、シベリアで亡くなった兄の資料の開示を受けた。22枚の文書でカルテが多く、病状や診察の様子が詳細に書かれている。命日も明らかになった。白井さんは「日に日に悪化してゆく様子をたどるのはつらかった。でも、きちんと治療を受けていたと知り安心した」と話す。そのカルテも手書き中心だった。大学時代の人脈のおかげで訳してもらうことができた。
二つの例で分かる通り、厚労省が持つ個人記録は、遺族が故人をしのぶ貴重なよすがだ。また現代史の専門家にとって重要な研究対象でもある。だが、存在自体があまり知られていないため、利用も進んでいない。これまで開示されたのは6000件、全体の1・2%にとどまる。私の取材を受けるまで、岡田さんも記録の存在を知らなかった。
厚労省は、抑留者の氏名や収容所名などの基本的な部分以外は訳さない。翻訳ができるのは嘱託職員2人しかいないことを理由に「特定の人の記録だけを大量に訳すわけにはいかない」(同省)と釈明する。それならばせめて、翻訳者を紹介するシステムくらいは作るべきではないか。
特措法の基本方針は、これまで厚労、外務、総務省などが行ってきた事業の継続を示しているだけで新味に乏しい。今年、厚労省の基本方針策定の過程で、私は同省に意見を聞かれ、遺骨収集の数値目標設定や、歴史学の専門家らをロシアに派遣することなどを提案した。だが、採用されなかった。近い将来、予算の大幅な増額も難しいという。
担当の大塚耕平・副厚労相は「継続は力です」という。確かに特措法と基本方針によって、政権が代わっても事業が打ち切られることはないだろう。しかし、それだけでは不十分だ。たとえば収集された遺骨は、この20年間で2万柱に満たない。このままではあと20年以上かかる。
財政難のなか、亡くなった人より今生きている人のために予算、人的資源を優先したいという声はあるだろう。しかし国が抑留にかかわる積み残しを清算するのは、法が定めた責務であり、何より求められているのは速度だ。生存する生還者はおよそ7万人、平均年齢は88歳程度とみられ、残された時間は長くない。
政府は、手元の資料を「求められれば見せる」というのではなく、資料が存在することの周知を含め、自ら積極的に公開し、活用に本腰を入れるべきだ。(東京学芸部)
毎日新聞 2011年8月25日 0時09分