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    2007年1月に、4名をこのページの下部に新規掲載(北川、岡崎、小寺、鈴木(孝典)の三氏)。 掲載は順不動  .


茶木寿夫  (ちゃき としお)

明治生まれの父が、昭和5年に富山で5人目の免許所持者となり、戦時中は木炭車の運転をしていた影響から、車に自然と関心を持つ素地があった。

20歳前半、アルペンスキーの世界から、ラリーの世界に転向し熱中。日本アルペンラリーに参加し、その後そのラリーを主催する新聞社に入り、全国のラリーのオーガナイズを専門職とする。

77年にALCを創立してからは、モータースポーツ全般に目を向け、筑波300km耐久レースや、全日本選手権ラリーも主催。
選手としては79年世界選手権イギリスのRAC ラリーでクラス6位。レースではミニの耐久で2位。
国際競技ライセンス、公認審判員ライセンス1級所持。


平出 英敏 (ひらいで ひでとし)

高校生のころ「FJ」というレースを題材にした漫画を読んだのがキッカケとなり、「自分はこの世界で成功できる!」と信じ込む。そして、およそ10年前、長野県からALCのフォーミュラスクールに参加。以後努力を重ね95年にFJのミドルクラスでレースデビュー。
99年筑波フォーミュラチャンピン獲得。01年アメリカンスタイルのダートレースの もてぎミジェットカーレースチャンピオンにも輝く。

02年、03年はフォーミュラドリームレース(FD)に参戦。2位になるなど実力は折り紙つき。03年の鈴鹿F1レース日のFDで、果敢に攻めるその走りに15万人の人が沸いた。日本一のドライバーを目指して現在邁進中。礼儀正しさと、秘めたるファイトを併せ持つ努力の好男子。

日本のマリオ・アンドレッティの異名を持つ。堀雄登吉門下生。国際競技ライセンス所持。





堀 雄登吉 (ほり おときち) (本名は雄登=ゆたか)

一口で言えば、「グランプリ優勝ドライバー」。

2輪のモトクロスで活躍後、2輪のロードレースに転向。破竹の勢いで勝ちまくる氏に数社のバイクメーカーから「ファクトリーチームに来ないか」とお誘いがかかる。一旦はファクトリー入したが、それは氏を勝たせないために抱え込んだものだった。その後ファクトリーチームを飛び出しプライベートの意地をみせ、50cc、90cc、125ccの3階級全てのチャンピオン制覇の偉業を成し遂げる。

四輪転向後、東京・三鷹の土蔵でフォーミュラカーを手作りし、完成したら出せなくなった話は有名。
70年富士で行われたJAFグランプリに手作りフォーミュラで参加。ファクトリーマシンを相手に、富士名物の30度バンクで決死の「須走り落とし」走行を敢行。翌日の新聞はこぞって次のように報じた「手作りマシンのプライベーター堀雄登吉、ファクトリーを制す。日本グランプリ優勝!」

その後、筑波と茂木の両サーキットに拠点を構える「オートルック・ツクバ・ガレージチャン(ATG)」を主宰し、チャンピオンレーサーを30余人育てる名指導者として活躍。F1ドライバーとなった片山右京選手もその中の一人である。氏の発する何気ない一言はそれだけで1秒速くなるほど値千金。人生の指導者としても慕う人は多い。

日本では数少ないエキスパートランセンス所持




泉 緑 (いずみ みどり)

筑波のコントロールタワーが以前のものだった頃から、計時室でオフシャルとして活躍。
ジムカーナインでは計時委員長の大役もこなす。

夫の泉直樹さんとともに、87年、89年のALCツーリングラリーに全戦参加。1回優勝したのが病みつきになり、参加を重ねる。
JAF公認の東京ラリーシリーズには(JACSラリー)90年、91年全戦参加。91年5月の大会では、59.5km/hのハイアベレージ区間ももなんのその、旧式非力なスターレットで、大排気量車をカモって3位入賞。シリーズドライバー部門8位、ナビゲーター部門7位。そのときのレーシングスーツ姿が凛々しい。
ラリーに組み込まれたジムカーナでは6位入賞。

先日、筑波をランサーエボリューションで走り、100点満点でA級ライセンスも取得。夢は二人で目指すはモンテかパリダカか。
A級ライセンス、公認審判員ライセンスA2級所持。



泉 直樹 (いずみ なおき)

各種大会で、コース委員長を務めることが多い逸材人物。

学生時代、カーグラフック愛読し、車両データーから性能を推測する能力を磨く。もう一つの楽しみは登山。地図を眺めてはルートを確認し、北海道は利尻山、大雪山、東北は鳥海山、そして北アルプスなどを歩く。この地図を読む能力は、やがてラリーへと活かされる。

Bライセンスを取得後、2ヶ月目で参加した筑波サーキットタイムチャレンジでスピンしたのがモータースポーツの第一歩となる。その後、夫人となる緑さんと一緒にラリーに参加し、のめり込む。(詳細は緑さんの項参照)

現在もラリーで優勝するなど、オフシャルとしても、選手としても、モータースポーツをエンジョイしている。
趣味の写真は年賀状に活かされ、毎年もらうのを楽しみに待っている人が多い。

A級ライセンス、公認審判員1級所持。




鎌田 卓 (かまた すぐる)

およそ10前、ALCフォーミュラスクールに参加。以後スカイラインで各サーキットを疾走し、インプレッサでダートトライアルやラリーに参加。
「ツインリンクもてぎ」の04年プレイングミジェットカーシリーズチャンピオン。
「ツインリンクもてぎ」の05年モデファイミジェットカーシリーズBクラスチャンピオン。
エビスサーキットでのフォーミュラカーFJ1600レースで3位。

身体はガッシリ、心優しき好男子。物事を黙々とこなす。礼儀正しい。

A級ライセンス、公認審判員イセンス所持




菊地 均 (きくち ひとし)

本物のアスリートとはこと人のことを言うのだろう。モータースポーツではスバルレオーネで走りこみ、その他マラソン大会は年7回、デュアスロンは年に4回、他にトライアスロン、アルペンスキーなど、自ら行う種目も多彩なら参加実績も多数。だからサーキットでの行動も身が軽い。空手有段者でもある。

ディンキーヨット(エンジンの無い小型ヨット)では、何回も沈して体力がつき、海上を3km流され、最後は漁船に助けられ一命を取り留める。この教訓からオフシャルに転じてからも「自分の力量を知り、その上でのチャレンジ!」を説く。

ALCイベントでは競技長の経験豊富。A級ライセンス、公認審判員1級所持。





宮崎 篤 (みやざき あつし)

生家が天台宗のお寺ゆえ、自らを「走る修行僧」と称す。
耐久レースでの監督を始め、自らも選手として参加。先日筑波サーキットのコース走行中、愛車のMR2が火災にあうが、すかさず脱出。

オフシャル活動はレースはもとより、ラリー、ジムカーナなど多彩。
座右の銘は「世の人は我を何とぞ言わば言え、我が成す事は我のみぞ知る」(坂本竜馬)。言葉どおり人生を達観し、行動している。その経験豊富な体験に基づく知識、ノウハウは当クラブの無形財産でもある。
国際競技ライセンス、公認審判員ライセンス所持





守谷 昭 (もりや あきら)

TMSCのジムカーナチャンピオンにして、名アナウンサー。
整備士免許も所有し、日産自動車の安全運転インストラクターや、ヨコハマゴムのスタッドレスタイヤ研修会の講師も勤め、走りとその解説に磨きがかかる。

メカ、走り、ともに強いが、一番の味はその語り口。ポルシェの走りを「走る1LDKマンション、さぁタイムはどうでしょう」とアナウンスして会場を沸かせ、絶対に悪いところは言わない。ゆえに守谷ファンも多い。
氏のFR車でドリフト、スピンターンをする技術は芸術的。
A級ライセンス所持。
公認審判員ライセンス所持




大島 文彦 おおしま ふみひこ

「技術の大島、セーフティカーの大島」と呼ばれ、面倒見がとてもよい人。
元全日本ダートラにもスバルレオーネで参加し選手としても活躍。さらには選手を走らせるサポートや、ALCの300km耐久レースでのオフシャなど幾多の経験の持ち主。

スバル車を愛し、乗ったスバル車は25台を越える大のスバル党。富士重工から感謝状が届いていないが、間違いなく富士重工再建に貢献しているといえる。
A級ライセンス、公認審判員1級所持。





鈴木 誠 (すずき まこと)

ユダヤの格言に「口は一つ、耳は二つ。それは話す倍を聞け」というのがある。まさに彼はそれを地で行くような人。口数は少ないが、その分状況をよく観察し、ふっと口にする一言に物事の真実がある。

機械や電子に詳しく、面倒見のよい人。ラリーにも出場したり、ALCのイベントでは長らく計時委員長を務める。
走行会では、パドック委員長として活躍。いかなるときも慌てず、落ち着いて皆さんを誘導するその姿勢に、参加者からお褒めの言葉を頂くことも多い。
A級ライセンス、公認審判員A2級所持。





山縣 幸子 (やまがた さちこ)

モータースポーツに興味を持ち、最近A級ライセンスを取得。その後すぐにカート耐久レースにもチームALCの一員として夫とともに参加。

初めての実戦参加に大変おもしろかったと興奮気味。
A級ライセンス、公認審判員イセンス所持。






吉澤 恵三 (よしざわ けいぞう)

友人とチームを組み、関東地区のラリーはもちろん、関西のラリーにも参加。
また、元祖日本アルペンラリーのオフシャルも長く努めた経験を有す。

ALCの300km耐久レースでは競技長の大役も務め、絶えず建設的な意見を述べる氏は、ALCのお目付け役的存在。
公認審判員1級所持。





田中 一栄 (たなか かずえい)

ラリーのオフシャル、レースの管制委員長などを長年努めるベテラン。

息子さんと一緒になって、オーストラリアのソーラーカーレースにも出場。(息子さんがドライバー、一栄さんががサポート)。96年のワールドソーラーカーinオーストラリアでは、砂漠の真ん中で食料なし!それでも果たした総合10位、クラス3位は立派。チームワークの賜物だろう。

通信関係の仕事柄、走行会では発信機の総括なども行い、親切で面倒見も良い。
A級ライセンス、公認審判員1級所持。





高夘 一夫  (たかう かずお)

北海道大学の自動車部でリーダーとして活躍。
さらには二輪のレースでポールポジションをとり3位で入賞し、この世界の深みにはまる。

富士スピードウェイでのフレッシュマンレース、フォミュラ日本、GT,F3レースなどで、
技術、コースの役員を歴任。コース1級を取得するため、九州のサーキットまで出向いた経験も有す。
趣味は9つ、資格は12、もちろんF1のオフシャルも行えるA1級も所持。

大学院まで進み生物学を研究したわりには固いところがなく、人当たりもやわらかい。
ものを教えるには定評がある。将来政治家への道も視野に入れている。
A級ライセンス、公認審判員1級所持



井桁 利行  (いげた としゆき)

小田原出身の氏は、飛騨高山(岐阜県)の高山短期大学 自動車工学学科で学び、卒業後自動車ディラーに勤務。

その後、5年間レースを職業とし、レーシングガレージでプロダクションカー、FJ1600、F3、カートを走らせるメカニックとして活躍すると同時に、自らも参加。

プロダクションカーのファミリや、直線ではF3より速いRSマシンを駆って富士スピードウェイのレースに参加。
またFJ1600で筑波、仙台、菅生の各サーキットでもレース参加。

現在は、小田急系の車両会社で整備主任を務め、トラックのエンジンもオーバーホールする技術も有す。
ハコ車からフォーミュラまで、メカニカルにも、走らせるサポートにも、ドライビィングにも精通する逸材人物。

ALCの20年来の会員さんで、ALCジムカーナをはじめオフシャルも長年務める。
A級ライセンス、公認審判員A2級所持


和田 巧 (わだ たくみ)

ALCの古参の会員さん。数年前、あることから人生を見つめなおし、モータースポーツのオフシャルとして人生を楽しもうと新たなるスタートを切る。

富士スピードウェイでのスピード行事イベントオフシャルから始まり、筑波やモテギでのレースオフシャルを多数経験。オフシャルライセンスも最高ランクのA1級を2年で取得。
現在では、F1GPのオフシャルも務める。

お酒は、長くオフシャルを続けるため身体のことを考えて赤ワイン党。
平日は内装関係の会社の経営社の一人として活躍し、毎週末は愛車を駆り、どこかのサーキットでオフシャルに従事。

努力の人であり、05年からサーキットの管制委員長としても活躍。
A級ライセンス、公認審判員A1級、ファーストエイダー所持。


北川 敏樹 (きたがわ としき)

富山県出身。
元々乗り物が好き。
長らく二輪の運転に満足し、 四輪への思いは秘めていただけだったが、あるきっかけから、2005年にALCにてB級、そしてA級ライセンスを続けて取得。

ALC入会後、カート耐久レース、アメリカンダートに参加。
また、同時期にALCイベントにオフィシャルとして参加してし、運営の楽しみも発見。

ジムカーナでのチェッカーフラグの振り方は、参加者に「出てよかった!」と思わせる気持ちの入れようで振り、好感を持たれている。

A級ライセンス、公認審判員所持

岡崎 雅弘 (おかざき まさひろ)

お父さんが車関係の仕事をされていた影響もあり,小学生の頃から車に興味を持つ。
加えて、本人と同年生まれの HONDA N360に乗っていたことも大きく影響した。

大学入学時に取った免許は普通免許。時々2時間半かけて車で大学に行く以外は、これと言った経歴はなかったとは本人の弁だが、大学時代に大型免許を取ったのが切っ掛けになり,免許に惹かれて次々と取得。
動かすものはなんでもと思い、ついには取るものがなくなってしまった。将来の夢は雪上バス運転手か?

モータースポーツとは縁のないものと思っていたらしいが,友人らの誘いでBライを取得。
早速ジムカーナに参加して1度優勝の経験も有す。
趣味のアマ無線が高じて電子回路設計が仕事。よって電子関係に詳しい。
要点をパッと掴み、いろんなセクションをこなせるフットワークのよい好男子。
競技ライセンス、公認審判員所持

鈴木 孝典 (すずき たかのり)

1985年からジムカーナ、プロダクションレースを始める。
機械工学を専攻していた専門知識により、学生時代には競技に参加するクルマは殆ど自力で組上げた。スターレットのノーマルカップ、P-1300のKP61、EP71を何台も組んでは、富士、筑波、菅生で走っていた経験を有す。

エントラントしてはRJロータリーにプライベートで年間フル出場させるなど、マネジメント能力を発揮。
またドライバーとしは、耐久を目指していたため、ALCの真夏の300キロ耐久には常連であった。最高成績はP1300クラス入賞。ルマンを本気で目指した時期もあった。

大学院を修了後、エンジニアとしてのサラリーマン生活となるが、2000年からはALCのアメリカンダートセミナー、カート耐久レース、モテギのフォーミュラー・モテラ等のサーキットイベントに参加。
機械工学、それをベースにした仕事で得たノウハウから、大手企業での講演も行う。
趣味は、写真、スキーなど、多彩。愛称はスーさん。

A級ライセンス、公認審判員所持

上記は写真のある方のみの掲載です。
以後も、順次掲載予定

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