大阪府泉南地域のアスベスト(石綿)工場の元労働者や近隣住民らが、アスベストによる健康被害の損害賠償を国に求めた訴訟の控訴審判決が25日、大阪高裁であった。三浦潤裁判長(退官のため田中澄夫裁判長が代読)は、国の不作為責任を初めて認めた1審・大阪地裁判決(昨年5月)を取り消し、原告側逆転敗訴の判決を言い渡した。高裁は「国が1947年以降、健康被害の危険性を踏まえて行った法整備や行政指導は著しく合理性を欠いたとは認められない」と、国の責任を否定した。原告側は上告する方針。
原告らは06年以降に順次提訴し、32人が総額9億4600万円の賠償を求めていた。1審判決は、石綿肺などの石綿関連疾患と石綿粉じん吸引の関連性を認める医学的知見が固まった時期を考慮し、国が事業者に対し、1960年の旧じん肺法制定までに排気装置の設置を義務付けなかったことなどから、事業者と同等の共同不法行為責任があるとして約4億3500万円の賠償を命じた。
高裁は、労働者の安全確保に関する旧労働大臣の規制権限のあり方を検討した。「化学物質の危険性が懸念されるからといって、ただちに製造、加工を禁止すれば産業社会の発展を著しく阻害しかねない」と指摘。規制の判断要素になる医学的知見などは変化するため、権限行使の時期や内容は「当該大臣によるその時々の高度に専門的で裁量的な判断に委ねられている」と、行政の広範な裁量権を認めた。
さらに「健康被害が発生した場合も、規制権限の不行使がただちに違法にはならない。許容される限度を逸脱して、著しく合理性を欠くときに限り違法」とした。
こうした前提を踏まえ、高裁は、国の石綿対策について「排気装置の設置や防じんマスクの着用などを指導してきた。一定の効果を上げたのも事実」と認定。昭和30年代には社会的に石綿の危険性が認知され、国も石綿の問題を過小評価しておらず、石綿を扱う事業者が労働者に防じんマスクの使用などを指導することで健康被害を防ぐことは十分可能だった、と判断した。
原告側は「国は産業保護を優先して健康被害を軽視した」として、国のさまざまな権限不行使を指摘していたが、判決は排気装置の設置義務付けについて「設置に必要な工学的知見が確立していなかった」として認めないなど、訴えをすべて退けた。【苅田伸宏】
厚生労働省は「国のこれまでの主張が認められたものと認識している。今後とも、アスベストによる健康障害防止対策に取り組んでいきたい」。環境省も「今後とも建築物解体時などの石綿の飛散防止や石綿健康被害者の救済などを進めていく」とのコメントをそれぞれ出した。
原告団と弁護団は「泉南地域の被害と国の加害の事実から目をそむけ、国民の生命、健康よりも経済発展を優先させた国の責任を不問に付すもので、信じがたい暴挙。直ちに上告し、引き続き泉南アスベスト被害の全面解決を求めて最後まで闘い抜く」との声明を出した。
「とにかく いきがくるしいです こんな体になるとは思いもしませんでした 私がいきている間にかいけつして下さい 其(そ)の日をまっています」。大阪・泉南アスベスト訴訟の控訴審判決当日の25日早朝、裁判長に早期解決を願う手紙を出していた原告の原田モツさん(80)が入院先で亡くなった。長女の武村絹代さん(54)は亡母に代わって法廷に駆けつけたが、予想すらしなかった逆転敗訴。「母ちゃん、闘うよ」。娘は母の無念をかみしめた。
原田さんは70年から約13年間、大阪府岸和田市内の石綿紡織製品製造工場に勤務し、石綿が舞う職場で働いた。5人の子どもを育てるためだった。やがて、せきがひどくなるなどの症状が表れ、石綿肺などを患った。
原田さんは今年4月、心情をつづった手紙を裁判長に提出したが、その後は危篤状態に陥るなど深刻な状態が続いていた。武村さんは判決前日の24日、病床の原田さんを見舞い、「明日判決の報告に来るからね」と伝えたが、原田さんは娘を見つめるだけだった。25日早朝、息を引き取った。石綿肺が原因の心不全だった。
武村さんは亡母の病床に駆けつけた後、母に代わって判決に臨んだ。「ミイラのようにやせ細り、なぜあそこまで苦しまなければならなかったのか」。武村さんは亡母を思い、号泣した。
「健康被害が発生した場合でも規制権限の不行使は直ちに違法にはならない」。判決は国の責任を否定した。武村さんは「役人は現場にも来ないで、労働者の何が分かるというのか。母に判決を聞かせてやりたかったが、こんな判決、生きていても悔しくて伝えられなかった」と憤った。
裁判長に願いが届かなかった今回の判決に、原告たちは上告を考えている。武村さんも決意を新たに、こう語った。「結果は残念だったけど、『母ちゃん、闘うよ』と伝えたい」【村松洋】
毎日新聞 2011年8月25日 21時11分(最終更新 8月25日 23時20分)