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(cache) [ ロシア沿海地方の調査 ]
     
 
 

金・東夏代の城郭について

▲ 調査風景・レーザー使用
▲ 調査風景基準点設置
▲ 定点観測シバイゴウにて

10世紀末頃から極東各地で興起する女真(じょしん)諸族は、阿什河(あじゅうが)周辺(現在の中国黒龍江省ハルビン周辺)を拠点とした、按出虎水 (あんしゅつ こすいわんやん)部を中心として統一の過程に向かい、同部出身の阿骨打(あぐだ)によって大金国(1115~1234年、以下「金(jin)」と略します)が建国されます。また金末、蒲鮮萬奴(ほせんばんど)の離反・独立によって建てられた東夏(Dong-xia)国(1215~1233年)は、現在の中華人民共和国東北二省(黒龍江省、吉林省)、ロシア連邦沿海地方、北朝鮮民主主義人民共和国北部をその領域の中心に組み込んでいます。その為、現在のロシア極東部(アムール川中流域、沿海地方)、中国東北三省(上記2省+遼寧省)、北朝鮮の北部地域には、金・東夏代の遺物や遺跡が非常にたくさん残されています。

中でも城郭遺跡は、当時の行政と流通の両面で中心的な役割を担っており、当該期の状況を把握する上で重要な位置を占めています。その為に、中国、ロシア双方の研究者によって、遺跡の確認から始まり、測量調査や発掘調査が実施されてきました。しかし、中国やロシアでは、主に地形図の利用が困難であった事や、城郭は非常に大型の遺跡であり、このような遺跡に対して研究者の数が少ないといった問題があり、地形の詳細が明らかでない遺跡が多い為、総合的な研究は今後の課題として残されています。

そこで,文献や各研究機関に保管されている調査成果を整理し,沿海地方における主要な女真時代城郭のデータベースを作成します。必要なものは,現地調査により位置や地形等の確認と現状把握を行います。特に,重要なものは,測量調査を行います。小人数・短期間でも可能な調査法として,GPS(Gloval Positioning System)・レーザー距離計・電子コンパス等を用いて効率的に作業を行っています。そして以上の成果を,地形・高度・水系などと組み合わせた地理情報システムの構築を進めています。位置記録にはUTM(Universal Transverse Mercator Projection)という,全世界を経度6度ごとのゾーンに分けて規格化した座標を用いています。また,すでに作成されている図面もGPS計測点を用いてGIS上に展開することができます。さらに地形の把握のために,地形図,位置測定・測量にはGPS(Gloval Positioning System)・レーザー距離計・電子コンパス等を用います。さらに地形の把握には,地形図に加え,衛星画像,スペースシャトルが計測した全世界の高度情報(SRTM-3)やDEM(Digital Elavation Model)と呼ばれる高度情報を用います。これらを利用することで,位置関係や地形を共通の座標の中に記録することができます。

N.B.C.調査プロジェクトでは、このような状況に対して、金・東夏代における城郭から見たモノの生産・流通や歴史を解明する為に、各地に残された城址の形状・立地などの情報を収集し管理・分析する地理情報システム(G.I.S. ;Global Information System)の構築を進めています。特にロシア沿海地方については、2004年から継続的に現地踏査、測量を実施し、城址の詳細を把握することに努めています。現在までに数十基の城郭を調査しました(2005年、2006年調査報告レポート参照)。

 ▲ アナニエフカ・ロシア作成の原図
▲ アナニエフカ・データ重ね
▲ アナニエフカ最終図


ロシア沿海地方は、金代では耶懶路(やらんろ;現在のスウチャン川流域に行政の中心地=「路治」があったとされます。耶懶路は後に恤品(そっぴん)路と改名し、その路治もウスリースク市に移転しました。)という行政区に属し、耶懶部の根拠地でした。耶懶部は金建国時から多大な功績を残した忠臣の一族です。ウスリースク市にかつて存在した神道碑(ちゅうしんとうひ)は五代世宗(せそう)の治世に建国の勲臣(くんしん)の功績を称えるものとして建立されました。また金の歴史を記載した『金史』の巻一・世紀に、耶懶部の部長が按出虎水部の始祖、函普(かんふ)の弟、保活里(ほかり)の子孫とする説話がありますが、この背景には耶懶部の貢献に対したものとする井黒忍氏の見解は説得力があります(2006年調査報告レポート掲載の井黒忍「耶懶と耶懶水」参照)。金末、東夏代では、ウスリースク市郊外にあるクラスノヤロフスク城が当代の首府のひとつ、開元(かいげん)城とも推定されています。

このようにロシア沿海地方は、金・東夏代における重要地域のひとつと位置づけられるのです。また中国や北朝鮮領内にある城郭遺跡のデータも随時、収集しています。ロシア沿海地方における調査結果とあわせて、G.I.S上で分析を行い、金・東夏代の行政統治の実態やモノの流通や交通網の復元といった課題に取り組んでいます。

 ▲ ノヴォパクロフカ衛星写真(USGS提供)
▲ 測量データ、衛星写真、SRTMデータ重ね(USGS提供)
▲ ノヴォパクロフカ城址測量データを3D映像にし、俯瞰
▲ すべてのデータを合わせて清書

【語句解説】