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[29370] とある超能力の一方通行【原作:とある魔術の禁書目録 再構成】
Name: 黒夢◆013b61e7 ID:39f2ca70
Date: 2011/08/23 00:31
*注意書き*

 本作品は「もしも八月三十一日の事件の後、打ち止めの記憶が戻らなかったら」を主軸にした一方通行が主人公の原作再構成です。その為、原作の五巻から八巻までの舞台設定を主に活用しています。

 元々、本作品は此方の投稿掲示板に掲載させて頂いていましたが、数年前に自分のHPを作った際に削除しました。しかし、そのHPを諸事情により閉鎖しましたので、再投稿という形で投稿させて頂きました。

 此方以外に『にじファン』にも投稿していましたが、コチラとアチラで投稿する場合、改行作業が非常に困難である事が発覚しましたので、コチラ一本に絞らせて頂く事にしました。

 出戻りに近い形となりますが、何卒よろしくお願い致します。


 *追記*

 なお、HPは閉鎖しましたが、代わりにブログ形式のHPを作りました。
 しかし……どうにも新規小説を書く意欲が湧いて来ないので、開店休業状態になっています。
 今回の投稿で奮起し、少しでもモチベーションが上がれば。勝手な都合ながら、そんな打算もあります。

 あとがきを削除しました。見返すと重いですしね……。



[29370] とある超能力の一方通行 第一話 ~追憶の日々は遠くに~
Name: 黒夢◆013b61e7 ID:39f2ca70
Date: 2011/08/19 23:18


 ――――その部屋は、あまりにもボロボロだった。

 屋内と屋外を隔てるはずの鉄製のドアは、無残にも半ばから『く』の字に折れ曲がっていた。
 ドアの表面は鈍器で力任せに殴り付けられたかのように凹んでいる。固定する為の金具も壊れていた。
 応急処置なのだろうか。拉げたドアは乱雑に貼られたガムテープによって、辛うじて支えられている。
 尤も、実際は出入り口に鉄板を立て掛けているようなもので、ドアとしての役割は欠片も果たしていなかったが。

 屋内に一歩を踏み込んでも、目に付くのは破壊の爪痕ばかりだ。

 玄関口に犇めく複数の土足の足跡は、犯行の残り香を色濃く漂わせていた。
 強引に引き剥がされたらしい壁紙や床板からは冷たいコンクリートの素肌が覗いている。
 それでも犯人は飽き足らなかったのか、壁や天井には色取り取りのスプレー缶で下手な化粧が施されていた。
 その反面、処々に置かれている家具や家電などの生活用品は極端に真新しく、最近纏めて買い揃えた事を窺わせる。
 家主を支える前任者達が辿った結末は、この屋内の有り様を見る限り、想像するに容易かった。

 けれど、リビング中央にポツンと置かれたテーブル。
 これだけは他の真新しい家具達と比べて、大きく趣が異なっていた。

 このテーブルの表面には無数の傷が生々しく刻まれていた。
 その上に申し訳程度に敷かれているテーブルクロスに至っては、所々が破けてしまっている。
 テーブルは使えない事も無いが、クロスの方は既に実用性を失っていた。
 それでも頑なに使い続けている意図は、この住居の主にしかわからない。

 こんな奇天烈な一室が存在するのは、雑踏で賑わう大通りから脇道に逸れ、さらに細い路地を奥へ奥へと何本か通り抜けた先に建つ五階建ての学生寮の三階だ。学生寮を歌いながら、教育上宜しくない部屋の有り様を放置するのは如何なものかと思わずにはいられないが、そもそも此処を管轄下に置く学園は普通ではない。

 たかだか学生寮の一室程度、一個の都市に匹敵する広大な敷地と規模を誇る学園にしてみれば、書物の中の一文字ぐらいの価値しかないのだ。

 学園であり都市でもある。
 故に此処は『学園都市』と呼ばれている。

 その実態は総人口約二百三十万人の内、八割を学生が占める完全独立教育機関だ。
 東京都西部の未開拓地を大胆に切り開いて設立された学園都市の総面積は、東京都の約三分の一にも達する。
 だが、それは日本に帰属することを意味している訳ではない。学園都市とは日本であって日本ではない陸の孤島なのだ。

 都市の外周は高い塀に隙間無く覆われ、人や物資の出入りは厳重なセキュリティで管理されている。
 外界と内界。塀によって明確に隔離された二つの世界には、当然ながら多様な差異が生まれていた。
 それを助長しているのが学園都市の掲げる教育理念であり、存在理由であるのだが、それはかなり突飛な言い分となっている。

 曰く『人間に神様の計算はできない。ならばまずは人間を超えた身体を手にしなければ神様の答えには辿り着けない』というものだ。

 何も知らない一般人には、怪しげな宗教勧誘の謳い文句程度にしか聞こえないだろう。
 だが、この学園都市の中に限っては、少々意味合いが異なる。そもそも宗教勧誘なんて高尚な代物ですら無いのだ。


 ――超能力。


 科学の進歩の果てに生み出され、世界を取り巻く『現実《リアル》』の一つに近年加えられた科学の結晶。
 即ち学園都市とは、学校の授業に平然と『頭の開発』を取り入れた超能力開発の最先端、本当の意味で『神様の頭脳』を得ようと画策する者達が集う場所なのだ。

 もちろん超能力なんて異能が簡単に手に入るわけがない。

 名目上は記録術や暗記術なんて尤もらしい名称で誤魔化してはいるが、その実態は人体実験と何ら変わらない。
 学生の血管に直接クスリを注入して、耳の穴から脳直で電極をぶっ刺して、頭の中を好き勝手に弄繰り回されて、ようやく超能力は手に入る――かもしれない。

 それだけやっても才能の無い者は死ぬ気で能力を行使して、精々がスプーンを曲げられる程度。
 むしろ、そういった者達が学園都市に在学する生徒の六割弱を占めているのが、超能力開発の現実である。

 この才能の無い者達は『無能力者《レベル0》』という枠で括られ、文字通り無能者の烙印を押される。
 中には『無能力者』でありながら学園唯一の異能を持つ例外も存在するが、それは本当にあらゆる意味で例外中の例外なのだ。

 これら無能力者に対して、ある程度の能力を有していると学園都市に認められた場合には下から順に『低能力者《レベル1》』『異能力者《レベル2》』『強能力者《レベル3》』『大能力者《レベル4》』と徐々にレベルが上がっていく。通常はココ止まり。『大能力者』の域にまで達せれば十分誇れる事だし、万々歳だ。

 その上にあるのは――化け物の領域。

 人間の範疇を逸脱した禁断の世界。

 学園都市が目指す『人間を超えた身体』に最も近い者達。


 即ち――『超能力者《レベル5》』


 二百三十万人もの総生徒に於いて、僅か七人だけに許された究極の称号。

 この奇天烈な住居の主こそが、正にソレなのだ。

 学園都市が誇る七人の天才。

 その中でも飛び抜けて最強と謳われる最恐。

 学園都市の頂点に君臨する能力者。

 本当の名を呼ぶ者は誰もいない。

 本人すらも、自分の名を忘れてしまっている。

 故に彼を知る者や、彼自身もまた自らの事をこう呼ぶのだ。

 唯一絶対難攻不落である存在への畏怖と、恐怖と、敬意と、羨望を込めて。

 ――『一方通行《アクセラレータ》』と。















 九月九日。

 暖かな陽光が窓から差し込み、時が経つに連れて薄暗かった室内を徐々に明るく照らし出していく。
 この学生寮は背の高い建造物に取り囲まれて建っている為か、日照の当たる時間は極端に限られていた。

 その時間帯は正午。健全な学生ならとっくの昔に起床して、学友達とダラダラ勉学に勤しんでいるはずなのだが、この部屋の主は未だにベッドから起き上がる気配すら見せない。それどころか、規則正しい寝息を立てながら華奢な胸板を上下させ、気持ち良さそうにフカフカの敷き布団に身を埋めていた。とんだ寝ぼすけちゃんである。

 一方通行の髪や肌は穢れを知らない新雪のように白く、その顔立ちも中性的で、一見すれば少女と見間違う。

 額や米神、首筋に貼り付けられた電極と繋がる黒のチョーカーも、柔らかい眼で見れば御洒落に見えなくもなかった。
 この場景だけを見ていると、彼が本当に学園都市最強と謳われ、万人から恐れられる能力者だとは到底思えない。
 むしろ危うさを感じるほどに無防備で、邪気の無い寝顔だった。

 一方通行はスゥスゥと穏やかな寝息を立てるばかりで、一向に目覚める気配はなかった。
 結局、何の進展も無いまま一時間が経過する。
 気がつけば、壁に掛けられた四角い時計の短針と長針が揃って十二を指し示していた。
 それからさらに十五分が過ぎて、長針が四辺りに指し掛かった頃。

 室内の明るさに当てられたのか。ようやく一方通行の体躯がモゾモゾと小刻みに動き出した。
 ゆっくりと、目蓋が開かれていく。半開きの目蓋の奥。艶やかな真紅の瞳は、茫然と傷ついた天井を眺めていたが、暫らくすると横目で時計を確認する。

「十二時かヨ……」

 まだ完全に眠が覚め切っていないのだろう。
 一方通行はとても眠たそうに呟いて、そのまま二度寝にトライしようとした。
 しかし、そこに響くグゥという腹の悲鳴。もちろん一方通行の腹の虫だ。

「……とりあえず、なンか食うか」

 起きるのを躊躇していた割には即決すると、一方通行は気怠げにベッドから上体を起こした。
 無用の長物となった掛け布団を隅の方へゲシゲシと乱暴に蹴り遣る。
 続いて一方通行は近くの壁に立て掛けて置いた現代的な杖を手に取った。
 とある事情で脳に致命的なダメージを受けた一方通行は、これが無いと歩く事さえままならない。

 一方通行は若干覚束無い足取りで、朝食ならぬ昼食を求めてボロボロのキッチンに向かった。
 とりあえず、真新しい冷蔵庫の中身を物色しようと両開きの扉を開ける。
 けれど冷蔵庫の中を確認した途端、一方通行は端正な顔を盛大に顰める事になった。

 普段なら買い置きしているレトルト食品が盛大に出迎えてくれるのだが、今回の出迎えは以前に買った大量の缶コーヒーだけ。
 無類の缶コーヒー愛好家である一方通行と言えど、無駄に圧迫感を与えてくる缶コーヒーの群れが今は無性に腹立たしい。

「チッ……」

 冷蔵庫のあまりの惨状に一方通行は思わず舌打ちした。
 絶えず食料を催促する腹の虫はグゥーグゥーと抗議の悲鳴を上げるばかりで、一向に治まる気配がない。
 仕方が無いので一方通行は当分の誤魔化し+眠気覚ましの為に缶コーヒーを一本一気に飲み干すと、空になった缶を許容量がオーバーしているゴミ箱に投げ遣った。当然、空き缶はゴミ箱に拒絶されて床に転がるのだが、一方通行は気にも留めない。テーブルの上に放置されていた財布と携帯を引っ掴んで無造作にズボンのポケットに押し込むと、邪魔なドア《ガラクタ》を蹴り飛ばす。

 鉄板が倒れる音が、廊下に大きく反響した。










 何の面白味のない学生寮を後にした一方通行は、もっと面白味のない路地裏を気の抜けた表情でボォーと歩いていた。
 二、三日ほど外出していなかったせいか、ヤケに躰が重い。
 まるで全身に鉛を担いでいるかのような倦怠感が、ジュクジュクと一方通行を苛んでいた。

「あァ……クソだりィー」

 胸中に溢れる虚脱感をエクトプラズマの如く口から吐き出して、一方通行はガリガリと頭を掻き毟った。
 空腹も一役買っているのだろうが、どうにも気持ちが落ち着かない。
 今では必需品となった杖さえも煩わしく感じて、不意に抛り出したい衝動に駆られた。
 そんな事をすれば歩行が困難になると分かっていながら、使い慣れない杖への苛立ちは募っていく。
 いや、より正確には思い通りに動かない躰に対してか。

 つい最近まで健康体だった一方通行にとって、不自由な躰は密かなストレスの原因になっていた。

「――――」

 けれど。一方通行は決して愚痴を零さない。
 確かに様々な面で不利は否めず、面倒だと思う事は多々ある。だが、これは彼が自分自身で選択した行動の結果なのだ。
 この不自由な躰を一方通行は誇る事はあれど、悔やむ事は無い。それは生涯を通しても変わらない想いだった。

 こうしたストレスも所詮は一過性のものだと割り切って、一方通行は何とも為しに空を見上げた。
 少しでも気晴らしになれば良い。そんな打算に溢れる行動だったが、そこに広がる光景は思いの他に一方通行を楽しませてくれた。

「ハッ」

 視界に映るのは、ふわふわと気侭に流れる白い雲と真っ青に澄み渡る大空。

 そこに広がる果ての見えない大空は本当に――本当に、なんて狭いのだろうか。

 建造物に挟まれ、束縛された空はひどく矮小だ。
 ほんの少しだけ一方通行が能力を行使すれば、簡単に壊れてしまいそうなほどに儚く見える。

 これでは籠の中の鳥ですら、飛び立つ意欲を失うのではないだろうか。

 だって。危険を冒してまで出てきた空がこんなにも狭かったら、やってられない。
 生きる目的すら遠く離れた所にあって、日常をだらしなく生きている■■■■と同じ末路を辿るだけだ。

「……くっだらねェ」

 不意に湧いた無駄な思考を一言で以って切り捨てると、脳内のゴミ箱に放り込む。
 気付けば誰一人として擦れ違う事無く、学生寮から一番近い大通りに出ていた。

 此処まで来ると侘しい路地裏とは一転して、騒々しいまでの賑わいで満たされている。
 見渡す限りの人込みは街に爽やかな活気をもたらし、道の端々に建ち並ぶ飲食店や雑貨店は客が入るのを今か今かと心待ちにしていた。

 まるで『外』の都市そのものだが、人の間を縫うようにして動き回る寸胴型の清掃ロボットや空を飛ぶ飛行船に備えられたエキシビジョンなどがそれを明確に否定している。

 学園都市の代名詞は超能力だが、ある意味でそれ以上に特筆すべきなのが高度な科学技術である。
 学園都市には、超能力を開発する教育機関以外にも最先端の研究施設が集積されていた。
 超能力開発の副産物である様々な現象の研究成果を取り入れる事で、ありとあらゆる分野の科学技術が飛躍を遂げているのだ。

 曰く。学園都市の科学技術力は、外界よりも20~30年ほど先進している。

 そう嘯かれる学園都市が、科学の最高峰の地位を掲げるのは当然の帰結であった。

 尤も。科学技術云々を抜きにしても、行き交う人波の大半が多種多様な学生服を着込む十代の少年少女な時点で、『外』の都市とは根本から趣が異なっている。生徒が全人口の約八割を占めている以上、学園都市では有り触れた場景だ。けれど今日が平日となると話は少し変わってくる。基本的に学校のライフスタイルは『外』と変わらないので、昼時という時間帯に多くの学生が街中に屯しているのはおかしいのだ。

(まあ、どォでもいいがな)

 世間一般で言うところの不登校に陥っている一方通行には、一般学生の事情なんて微塵も興味がなかった。
 それこそ『何らかの理由で学校は昼に終わっているらしい』でスッキリ纏めてしまえるほどに。

 不登校とは言っても一方通行のそれは少し事情が異なる。

 一方通行の場合、単に『授業を受ける学校が未定』な為、通学していないだけなのだ。
 能力に目覚めてからというもの、一方通行は彼だけの為に用意された特別クラスに移った。
 そこは一方通行の為のクラスだから、彼以外には誰もいない。教室の中心に彼の机とイスがポツンと置かれているだけだ。

 とは言っても一方通行はその待遇に反発した事はないし、不満を抱いた事もない。
 今までは普通にそのクラスに通って、普通に『時間割り《カリキュラム》』を受けてきた。
 色々あって現在、彼を取り巻く環境は複雑化しているが、その内に何処かの学校か研究所から打診があるだろう。
 それまでは、こうして暇を持て余す日常を惰性に過ごすだけだ。

「…………」

 ふと。一方通行は視線を左右に走らせた。
 意識しての動作ではない。あえて後付の理由を挙げるなら、何となく。
 その程度の言葉で済ませられる程度の気紛れだった。

 友人と楽しげに歩く者。
 他愛の無い愚痴を交わす数人の男女。
 花飾りを頭に乗せた少女のスカートを豪快に捲り上げる黒髪ロングの少女。

 視界に飛び込む人々は澄み渡る陽光の下で自由気侭に動いている。
 傍らの友人と笑い合い、ふざけ合いながら、掛け替えのない日常を謳歌していた。

「――――」

 その光景を眺めて一方通行が何を想ったのかは定かでない。
 けれど一瞬。ほんの一瞬だけ。
 一方通行は他者を寄せ付けない冷徹な感情とは別の何かを、真紅の瞳に浮かべた。

「……ホント、くだらねェ」

 忌々しげに短く吐き捨て、一方通行は疎らな意識を振り払う。
 雑踏に紛れた彼の瞳。そこに冷たさ以外の感情は、読み取れなかった。

 さて。何はともあれ一方通行の目的は昼食の摂取だ。

 元々、無計画で外出した為、特に目的地は定めていない。
 目に付いた店に入れば良いだろうと一方通行は気楽に考え、ブラブラと街を歩いていた。
 暫らくすると、右側に見覚えのあるファミリーレストランが見えてきた。
 何処にでもある外食企業のチェーン店。けれど、一方通行にとっては決して忘れられない思い出深い場所。


『でも、誰かとご飯を食べるのも初めてだったり、ってミサカはミサカは答えてみたり。いただきまーす、っていうの聞いた事ある、ってミサカはミサカは思い出してみる。あれやってみたい、ってミサカはミサカはにこにこ希望を言ってみたり』


 不意に。妙な喋り方をする少女の声が、幻聴となって一方通行の脳裏を掠めた。

「…………チッ」

 一方通行はそれを苦い貌で打ち払う。
 それでも。足は自然と、記憶に残るファミレスに向かっていた。










「いらっしゃいませー。お一人様でよろしいですか?」

 ファミレスに入ると、一方通行は何となく見覚えのあるような気のする中学生ぐらいの小柄なウエイトレスに笑顔で迎えられた。
 その定番で何の面白みも無い質問を一方通行は憮然とした面持ちで首肯する。
 すると、ウエイトレスは何故か困ったように表情を曇らせた。

「大変申し訳ありません。当店は現在満席の状態ですので暫らく待って頂くか、相席して頂くことになりますが……よろしいでしょうか?」

「あァ?」

 ウエイトレスに言われて一方通行は改めて店内を見渡す。
 確かにザッと見ても空いているテーブルは一つとして見当たらなかった。
 前に二人で来た時は寒々しい限りだった気もするが、アレは夏休みの最終日の事だ。
 今日のように学校が早く終わった日の昼時は、大通りに面しているのも手伝って繁盛するのだろう。

「…………」

 ほんの一瞬。こういう日に限って学校を早く終わらせた学園都市の上層部に沸々と殺意が煮え滾る。
 そんな馬鹿な事を考えている間にも腹の虫の抗議は一方通行に伝わる程度には再開し出した。
 胃袋を叩きながら『何でもいいから腹にぶち込めや三下がァ!!』と威勢良く暴れまわっている。

 いくら最強の超能力者と言えども空腹には勝てず、結局さっさと飯を食いたいという欲求が勝利した。
 現在はウエイトレスに連れられて店の奥に進んでいる。
 彼女の手際が手馴れている辺り、相席になる事は頻繁にあるのかもしれない。
 歩きながら何を注文するか思案していると、とある席の前でウエイトレスは立ち止まった。


 そこは――

『そっか……ごちそうさまっていうのも言ってみたかった、ってミサカはミサカはため息をついてみる』

 ――皮肉にも、あの窓際の席だった。


 らしくもない感傷に耽る一方通行には気付かず、ウエイトレスは職務を全うする。

「お客様。大変申し訳ないのですが……相席の方、よろしいでしょうか?」

 その声で一方通行は感傷を打ち払った。
 どうやら先客は二人いるらしい。入り口側の席に隣り合って座っている為か、一方通行の立ち位置からでは顔が見えない。
 尤も、相席の相手の事なんて一方通行は微塵も興味が無かった。そんな事より何を注文するかの方が今は遥かに重要である。
 気分的には肉。血の滴るステーキを一方通行は思い描いていた。

「……ええ。いいですよ」

 僅かな逡巡の後、二人のうちの一人がOKの意を示した。

(あン?)

 ここで初めて一方通行は意識を相席相手に向けた。
 その声は何処かで聞き覚えがある、というかありまくる声だったからだ。

 一方通行は相席者の顔が見える位置にまでソロソロと移動する。
 其処に座っているのは見目麗しい少女達だった。世間一般のチェリーな少年なら可愛いという印象を強制的に植え付けられる処だが、生憎と一方通行にはそんな甘酸っぱくもほろ苦い思考回路は端から備わっていない。外面の美醜なんて、一方通行にとってはスイカとメロンぐらいの違いしかないのだ。

 二人の少女は学園都市で『五本指』と称される名門中の名門、常盤台中学の制服を着ている。
 これだけで少女達のレベルは強能力者以上の高位能力者として確約されたわけだが、学園都市最強である一方通行は何の感慨も抱かなかった。

 通路側の少女は中学生にしては小柄だ。
 制服越しからでも分かるキュッ! キュッ! キュッ! の空振り三振のスタイルは哀愁を誘うが、気品の漂う凛とした雰囲気が躰のボリューム不足を健気にカバーしている。可愛いではなく綺麗の形容動詞が似合うお嬢様気質の女の子であった。

 尤も。現在の少女は『相席』というワードに反応してか、オドロオドロしいオーラを周囲に拡散させまくっていた。
 ツインテールに結われた艶のある茶髪はウネウネと波打ち、『この至福の一時を邪魔する不届き者は許さないですわよ』と百合色空間の侵入者を威嚇している。常人なら即座に回れ右して足早に店を後にするレベルの壮絶な邪念だが、生憎と憎悪や悪意に耐性のある一方通行には効いていない。というより気付いてすらいないようで、その視線は先程から一心にウエイトレスに応対していた窓際の少女に向いていた。

 見た限りでは通路側の少女よりも年上のようだ。
 隣の少女に負けず劣らず端正な容姿をしていて、サラッサラの茶髪を肩の辺りで自然に揃えている。
 顔立ちには幼さを残すが、体付きは同年代の少女よりも女性らしい柔らかさを帯びていた。
 所作に滲む大人びた雰囲気と合わせて、何処となく『頼れる先輩』のイメージを薫らせる少女である。

(……偶然てェのはァ恐ろしいねェ)

 思わず、一方通行は胸中で呟いた。
 声を聞いた時はまさかと思ったが、文字通り腐るほど拝んで来た新鮮味の無い見飽きた顔を確かめたら認めるしかない。

 御坂美琴《みさか みこと》。

 一方通行と同じく、この学園都市に七人しかいない超能力者の一人。
 序列第三位にして『超電磁砲《レールガン》』の異名を持つ、学園都市最強クラスの『電撃使い《エレクトロマスター》』が、其処にいた。




[29370] とある超能力の一方通行 第二話 ~過去の残照を通して~
Name: 黒夢◆013b61e7 ID:39f2ca70
Date: 2011/08/20 15:44


 一方通行と御坂美琴。

 この二人の間に友好という平和的な二文字は存在しない。

 夏休みの中盤。八月十五日の最悪な出会いから一週間の出来事は、二人の脳裏に深く刻み付けられている。
 当時でさえ命の遣り取りをしていた間柄だ。お互いに過去と割り切るには余りにも短い時間しか過ぎていない。

 再び顔を合わせれば、ハリウッド映画も真っ青な物騒でハイな超能力バトルに縺れ込む可能性は十二分にあった。
 その場合、開幕のブザーを鳴らすのは十中八九、美琴だろうが。

 幸運にも美琴は相席の人物よりもメニューの方が気になるようで、『現在、お子様ランチを注文されたお客様にはゲコ太のオモチャをプレゼントしております』というキャンペーン告知を前に苦悩している。今なら気付かれず、こっそり店を出て行く事も可能だろう。

 そんな波風立たない選択を、一方通行は当然の如く棄却した。
 美琴と顔を付き合わせる危険性を十分に承知しておきながら、それでも一方通行は立ち去る選択肢を放棄する。

 一方通行は暇を持て余していた。餓えていると言い換えてもいい。
 怠惰な生活。色褪せた日常。ほんの少しだけとはいえ『アイツ』と過ごした時間が、今を物足りなくしていた。
 枝木を探して飛び回る、かつての籠の中の鳥。それが現在の一方通行だ。何処に向かって飛べば良いのかも分からず、退屈な飛翔を延々と続けていた。

 そこに現れた久々の娯楽。
 本来、接触を避けなければならない御坂美琴という名の劇物。

 餓えに餓えた一方通行は歪んだ興奮を覚えていた。
 殺したいほど憎いはずの怨敵が目の前に現れたら、美琴は一体どういう行動を取るのか知りたい。
 狂おしいまでの好奇心が一方通行の精神をジュクジュクと苛んでいく。

 有無を言わさず殺そうとするのだろうか。

 馬事罵倒を延々と言い続けるのだろうか。

 それとも姿を見た瞬間に立ち去るのだろうか。

 禁忌の果実は甘い匂いで一方通行を誘惑する。僅かに残る理性は立ち去るべきだと警告していた。
 けれど、ウエイトレスが「どうぞ」という短いGOサインを出すと、それも容易く霧散する。
 もう止められない。一方通行は無意識のうちに禁忌の果実を口にしてしまった。

「アハッ」

 一方通行は口先を吊り上げた笑みを浮かべ、美琴の向かい側に座り込む。
 それも殊更に存在を誇示するかのようにわざとらしくドカッ! と音を立てながら、だ。

「ん?」

 その物音に興味を持ったのか。はたまた、至福の一時を邪魔されて気分を害したのか。
 美琴はメニューから僅かに顔を上げて――そこにいるニヤけた一方通行とばっちりきっかり目が合った。
 瞳の中の一方通行はテーブルに肩肘を乗せながら上体を前のめりにして、美琴を覗き込むかのように見つめている。

「よォ、奇遇だなァ『超電磁砲』。あの最弱は元気かァ?」

「―――――――――……………………………………え?」

 たっぷり十数秒もの沈黙の後、美琴は半ば放心気味に声を漏らした。
 突然の事態に思考は錆付く。状況が理解できず、聡明な頭脳は年月を経たブリキ細工の玩具のように動作が鈍った。
 それでも美琴は断裂した精神を必至に掻き集めて、震え過ぎて呂律の回らなくなった口で何とか確認しようとする。

「あ、あく…せ、られーた……?」

 信じられない。信じたくない。

 まだ夏休みの悪夢の傷跡が癒え切っていない美琴の心は必死に現状を否定する。
 それに対して一方通行は言葉ではなく、飛び切りの笑顔で返した。

 見間違うはずもない。
 それは何時かの鉄橋の下で、一方通行が美琴に見せた凶笑だった。

「――――――――」

 その瞬間、美琴は石のように硬直した。
 何で。どうして。目的は。相席ってなに。ゲコ太のオモチャ。
 取り留めの無い思考がグルグルと美琴の脳内を高速で駆け巡る。
 困惑と混乱と混雑の渦中に身を捕らわれた美琴は、傍目から見て一切の行動を停止させていた。

「オイオイ。どォしたンですかァ? パントマイムのつもりなンですかァ?」

 メニューを握り締めたまま硬直した美琴をニヤニヤしながら一方通行は揶揄するが、反応は無かった。
 意識が無いわけではない。美琴の瞳には年齢に見合わない叡智の光が色褪せる事無く爛々と輝いている。
 現在、美琴は脳内で一方通行への対応を次々に検討していた。グルグルグルグルと。外部の刺激を最小限に留めて、美琴は解答の無い設問に挑んでいた。

 一方通行の望む方向とは違ったが、美琴の反応は及第点を与えられる程度には楽しいものだった。
 そうして美琴の滑稽な姿を存分に堪能していると――不意に。一方通行は厳しい視線を横合いから感じた。

「あン?」

 スゥと。一方通行の愉悦が潮のように引いていく。
 冷水をぶっ掛けられたかのように火照った思考は冷めた。
 即座に一方通行は視線の主を探索するが、改めて探す必要のない所にソイツはいた。

 美琴の隣に座るツインテールの少女だ。
 少女は畏怖と恐怖と緊張を混ぜ合わせ、僅かに勇気を塗したかのような眼差しで一方通行を油断無く見据えている。
 普通なら初対面の相手に向ける類のものではない。尤も一方通行の場合、初対面で襲い掛かってくる連中が後を絶たないので、その程度の事は欠片も気にしていなかったが。

(何のつもりだァ? このガキ……)

 この反応を見るに少女は一方通行の事を知っているようだが、彼はもちろん少女を知らない。一瞬、過去の経緯を美琴から聞いたのかとも思ったが、あの悲惨な実験を超能力者にしては良識のある美琴が他言するとは思えなかった。何とも言えない微妙な空気が流れる中で、一方通行は徐々に眉間に皺を寄せ始める。

 別に少女の視線が気に入らなくなったわけではない。単純に、少女がメニューを一向に手放さないからだ。
 ちなみに一方通行が見たいのはテーブルに備えられている『お勧めメニュー』というやつで、先程ウエイトレスに渡されたメニューとは種類が異なる。そのメニューは各テーブルに二つずつ備えられ、もう片方は美琴の手の中にあった。もちろん美琴の方は却下だ。アレは面白いので、もう暫らくそのままにしておきたい。

(ったく、仕方ねェなァ)

 結局のところ、一方通行には少女の持つお勧めメニューが必要だった。

「オイ。見てねェならさっさとソレ寄越せ」

 左手を伸ばして一方通行はお勧めメニューを渡すように催促する。
 ビクッと。少女は一瞬だけ身を強張らせたが、特に逆らう事無く素直にメニューを差し出した。

「……ン?」

 一方通行はメニューを受け取る際、ふと少女の右腕に付けられた腕章に今更ながら気が付いた。
 それによって少女の態度にも納得する。

「あァ。オマエ、『風紀委員《ジャッジメント》』か」

 風紀委員とは学園の能力者――つまり生徒で構成される対能力者用の治安部隊の事だ。これとは別に次世代兵器で身を固めた有志の教職員によって構成される『警備員《アンチスキル》』と併せて学園都市の治安を護っている。そして、それこそが少女の警戒の理由でもあった。治安を護る以上、危険がある生徒は少なからず名前が挙がる。その中でも『一方通行』の名は上位中の上位。最上ランクに位置していた。

 能力の詳細こそ一端の風紀委員には知られていないが、一説には世界を滅ぼす事さえ可能と謳われる強大な能力者。
 表向きには問題を起こした記録が無いとはいえ、危険視するなというのが無理な話だ。
 風紀委員や警備員にとって、一方通行との接触は今にも爆発せんとする核爆弾を抱えるに等しいのだ。

 組織の末端に過ぎない少女――白井黒子《しらい くろこ》にさえ、その出鱈目さは伝わっていた。

 相席となった人物を一目見るや否や美琴の口から『アクセラレータ』という単語が飛び出した時は正直、半信半疑であったが、現在の美琴の状態こそが真実を如実に物語っている。

 眼の前に座るこの白い少年が――あの噂に名高い一方通行。

 白井は一方通行の能力を把握しているわけではない。けれど仮にも学園都市最強の異名の持ち主。
 すなわち白井が敬愛して止まない美琴をも上回る真正の怪物なのだ。
 そう思うと途端に冷や汗が止め処無く流れ、緊張に口の中が渇いていく。脳内を走る思考は何時も以上に活発だった。

(ど・う・し・て、そんな方が昼時のレストランに現れるんですの!? 予想の斜め上を亜高速でぶっ飛んでいく緊急事態ですわ!! ……それにしても、あの杖やチョーカー型の電極はいったいなんですの? あの一方通行が大怪我を負ったとは考え難いのですけど……いえ、今はそんな事よりもお姉様ですわ。たとえ怪我をしていようと、目の前にいるのは最強の能力者。どういうわけかお二人は顔見知りのようですけれど、お姉様の反応を見る限り決して友好的ではないようですわね。万一の場合は、このわたくしが……)

 胸中へ広がっていく恐怖に押し潰されながらも、白井はテーブルの下で美琴の制服のスカートをしっかりと掴む。
 白井の能力は『空間転移《テレポート》』。それも大能力者にランク付けされる高レベルの希少能力者だ。
 一方通行が怪しい素振りを見せたら直ぐにでもこの場を離脱できるように、今から転移軸の計算式を組み始める。

 ――白井にとっての喜劇と悲劇が同時に起こったのは、この美しい決意を固めた直後だった。


「……………………って! なんであんたがここにいんのよーーーーっ!!!?」「アフンっ!?」


 長い長い、というか長過ぎる硬直から唐突に立ち直った美琴は、手に持ったビニール製のメニューを片手で容易く握り潰すと、テーブルに拳を叩き付けて咆哮した。その咆哮の凄まじさたるや、とある理由で新調したばかりの窓ガラスをビリビリと激しく振動させ、隣に座る白井の意識を一瞬で刈り取る程であった。

 どうやら『あれ? そういえば何でコイツは此処にいるの? 相席してるの?』という当然の疑問に立ち返ったらしい。
 そんな殆どヤケクソ気味な絶叫を向けられた一方通行はというと、まるで堪えていなかった。
 ギリギリで美琴が息を吸い込む仕草に気づいた一方通行は、能力を駆使してちゃっかりその音波兵器を防いでいたのだ。

 現状、一方通行はかつての能力を最高で十五分程度しか使用できない。

 これは能力行使を補助するチョーカー型電極のバッテリーが能力使用モードで十五分間しか持たない為だ。
 必要最低限の項目のみに割り当てた通常モードでさえ、充電無しでは四十八時間が限界である。
 もしもバッテリーが切れれば立つ事はおろか、会話すら儘ならなくなる。

 しかも能力使用モードにシフトする為にはチョーカー型電極のスイッチをイチイチ切り替えなければならない。
 事前に警戒していなければ咄嗟の事態に対処し難いという欠点もあった。

 店内の客はもちろん、店の外を歩いていた通行人までもが突如響き渡った絶叫に何事かと目を丸くしている。
 そんな周囲の視線よりも一方通行はテーブルに突っ伏したままピクリとも動かない白井の容態の方が気になるのか、その視線は彼女に釘付けであった。それと言うのも一方通行が見ていた限り、白井は美琴式音波兵器のせいで倒れたのではなく、それと共に美琴から無意識の内に迸った紫電がクリティカルヒットしていたように見えたからだ。

 正直、超能力者の電撃をマトモに受けたのだから早く処置をしないと危ない。
 否。下手したら既に死んでいるのではなかろうか。だから、一方通行にしては本当に珍しく、善意で忠告する。

「オイ。脈あるか確認しとけ」

「え? ……っちょ、黒子!? アンタ、どうしたのよ!? まさかアンタが!?」

 どうやら本気で傍らの白井の様子に気づいていなかったらしい美琴は目に見えて動揺した。
 美琴は倒れたままの白井の肩を乱暴に揺さ振ると、敵意に燃える瞳で一方通行を射抜いた。
 これには冤罪に慣れている一方通行も気怠げに手をパタパタと振って否定する。

「いや、いくらなンでもそりゃ横暴すぎンじゃねェか? ンなことより、いいのか? マジで死んでンじゃねェだろォな、ソイツ」

「っ!?」

 美琴は慌てて白井の手首を持って脈を計り――蒼くなった。

 それでいて泣きそうな顔で一方通行を見てくるのだから、道端に捨てられたダンボール箱の子猫を連想させる。
 これで「ニャー」とでも泣けば、そっち系の残念な人達は大喜びだろう。
 約一名、筋肉質な金髪グラサンだけは「アイデンティティの侵害だにゃー!」と気勢を上げるかもしれないが。

 なお、動揺しまくっている美琴は気づいていないが、抑える脈の位置が違う。
 一方通行は改めて白井を観察するが、どうやら呼吸はしているらしく、薄過ぎるマナ板が僅かに上下していた。
 その間隔も規則的で、幸か不幸か危険な状態ではないようだ。
 数時間は目を覚まさないだろうが、命に別状はない。それが一方通行の下した結論であった。

 涙ぐましい友情が成せる業か。美琴は無意識に放った紫電を、さらに深い無意識下で制御していたらしい。
 仮にも一方通行と同じレベルに位置づけられているだけの事はある。いや、能力を暴発させる時点で既に色々とありえないが。
 尤も、実際には度重なるセクハラの折檻で電撃に耐性が出来ていただけなのだが。

 けれど。それに気づかない美琴は瞳に涙を溜め、白井の身体を強く抱き締めながら震えていた。
 心成しか白井の表情が和らいでいる様な気もする。やっぱり美琴は気付いていないが。

 なに、このコント。

 一方通行は思わずキャラに合わないツッコミを入れ掛けた。
 シリアスパート担当の一方通行にとって、コメディパートの遣り取りは見ていて白けるだけである。
 放って置いても良かったが、このままでは巻き込まれるかもしれない。
 無意識の内に自らのアイデンティティの危機を察した一方通行は、仕方なく行動を起こす事にした。

 心底面倒臭そうに左手で再びチョーカー型電極のスイッチを切り替えて、能力使用モードに移行させる。
 そして美琴が何かを言う前に、右手の人差し指をトンッと。白井の額に軽く押し当てた。

 一方通行の能力はベクトル操作。

 より精確に述べると『皮膚上に触れた運動量・熱量・電気量・その他あらゆる力の「向き《ベクトル》」を自在に変更できる』能力だ。応用すれば身体に流れる生体電流を掴んで正常に作用させたり、逆に破壊する事もできる。普段は能力を『反射』に設定している為このような使い方はしないが、今回のように外傷の無い、ただ気絶しているだけの状態ならば、この能力も多少は役に立つ。

 造作も無く、一方通行は乱れていた白井の生体電流の流れを正常に戻す。作業は半秒も掛からなかった。それを確認した一方通行はチョーカーのスイッチを通常モードに切り替え、人差し指を離すと、何食わぬ顔でお勧めメニューに視線を落とした。

「アンタ、何を……!」

 尤も、美琴にしてみれば友人の亡き骸《勘違い》に危険人物が触れただけに過ぎない。
 デレの無い激情の炎が美琴の胸中で轟々と燃え盛る。が。

「ん……」

 その時、胸に抱く白井が微かに身動ぎした。それに気付くと美琴は慌てて視線を下ろす。

「あ……お姉様……?」

 ゆっくりと白井の目蓋が開く。
 寝起き時のようなボォーとした瞳で、白井は美琴を見上げていた。

「黒子! 大丈夫!? ちゃんと生きてる!?」

「え……あ…………うふふ」

 白井は美琴に抱き締められ、尚且つ泣きつかれている現状をまるで理解できなかったが――とりあえずオイシイ状況であるのは分かったので、この機に乗じて「ぐへへへ」と瀟洒に微笑みながら、目一杯美琴の胸元を堪能する事にした。

 ちなみに。その百合百合しい空気に完全無視を決め込んだ一方通行は、二人に先んじてさっさと注文を済ませていた。










 そんなこんなの騒動を経て、ようやく食事にありつけた三人は現在、それぞれに注文した料理を食べている。
 いるのだが――何故か美琴は不自然な程にニコやかな笑顔を浮かべて、腕に抱きつく白井の口元にせっせと料理を運んでいた。
 まるで親鳥が雛鳥に餌を与えているような状況だが、実際はそんな温かみに溢れたものではない。
 その証拠に美琴の頬はヒクヒクと引き攣っている。

 何故こんな状況になっているのかというと、先程の経緯を白井に説明した際に美琴が「何でもするから!」と軽々しく口にしてしまったのが原因だ。なお、白井の望みを傍から聞いた一方通行はガチレズという単語が浮かんだという。

「ね、ねぇ黒子……自分で食べた方が速いと思うんだけど」

 周りから見られる気恥ずかしさは当然ある。
 けれど、それ以上に。怨敵である一方通行の眼前でこんな醜態を晒すなんて、美琴には拷問に等しい苦行だった。
 美琴の懇願に白井は優雅な微笑を浮かべると、ばっさりはっきり切り捨てる。

「駄目ですわ。お姉様が何でもいいと仰ったんですもの。ちゃんと約束は守っていただかないと……本当は一緒に入浴して、その後ベッド・インして欲しかったのですけれどね」

 最後の部分はボソッと呟かれたので美琴には届かなかった。
 それが美琴にとって幸いなのかはわからない。いや、同性の後輩に貞操を狙われている時点で不幸なのは間違いないが。
 観念したのか美琴は大きく溜め息を吐いた。それからキッと。
 溜まった鬱憤をぶつけるかのように独りステーキを貪る一方通行を睨め付けた。

「っで! 何でアンタはこうして私達と一緒に食事してるわけ? というかその杖と電極はなによ? まさか、よりにもよってアンタが大怪我していますとか抜かすんじゃないでしょうね。笑えないにもほどがあるわ」

 美琴は嫌悪を隠そうともせずに一方通行の『大怪我していますよ』スタイルについて言及した。

 そもそも一方通行を最強足らしめているのは絶対の防御である『反射』だ。
 触れるもの全てを弾き返す最高の盾は破る事が敵わず、美琴の代名詞である『超電磁砲』でさえ容易く跳ね返された。
 実際に、その守りを粉砕した者は美琴の知る限り一人しかいない。
 その最強が杖を持ち歩き、あまつさえ補助用の電極を常備しているなんて、美琴には到底信じられなかった。

「……あァー」

 一方通行は二つの質問――特に後者の方にどう答えるべきか悩んだ。ありのままの事実を語るのは当然却下。
 まず信じないだろうし、下手したら好機と見られてバトルに突入する可能性すらある。
 もちろん一方通行には負けるつもりなど更々ないが、こんな所で貴重なバッテリーを無駄に消耗させたくはなかった。

「…………」

 とりあえず数秒で言い訳染みた言葉を纏めた一方通行は気楽に告げる。

「相席はオマエが了承したンだろォが。いいですよって愛想よくなァ。それからこの格好は……まあ、餌だな」

「餌……ですの?」

 食い付いてきたのは意外にも美琴の胸元に顔を埋める白井だった。
 風紀委員という役職柄、やはり一方通行の動向には興味があるらしい。
 それでも美琴への頬擦りをやめない辺り、彼女が彼女たる所以だが。

「こォいう形をしてりゃァ俺を狙うバカが食い付いてくンだよ。入れ食い状態ってなァ。本気で俺が大怪我してると思い込ンでやがンだから、最っ高に笑えるぜ」

 一方通行は普段通りの軽口を叩いて、トドメに飛びっきりの凶笑を口端に浮かべてみせた。
 勿論これは真っ赤な嘘だ。誰が好き好んでこんな不利な状態で餌なんて撒き散らすものか。
 本当なら普段通りに振舞いたいが、それができないからこんな姿を晒している。
 現在は一方通行を欲している研究機関が互いに牽制し合って貴重な研究素材を護っているに過ぎない。
 未だに明確なアプローチが無いところを鑑みるに、上の方でも彼の処遇を決め兼ねているのは間違いないだろう。

 しかし、その強がりも一方通行の為人を知る美琴と、巷に流れる噂を聞き齧る白井は信じた。
 確かにコイツならやりかねない、と。日頃の涙ぐましい成果の一端が垣間見える瞬間だった。

 白井は若干名残惜しそうに美琴から離れてきちんと座り直すと、職務の為か真剣な面持ちで一方通行を見直した。

「流石に、そんな不穏な事を面と向かって言われては学園を護る風紀委員として見過ごすわけにはいきません。即刻、その偽装を解いていただきたいのですけど――」

「ここのコーヒー……なっちゃいねェ、なっちゃいねェなァ。これならそこらで売ってる缶コーヒーの方が数倍増しなンじゃねェかァ?」

「――全力で無視しやがりますのね」

「無駄よ、黒子。言って聞くような奴じゃないわ」

 わなわなと震える白井の肩をポンッと叩き、美琴はやんわりと告げた。
 そんな二人の会話などお構い無しに一方通行はコーヒーをテーブルに置いて、再び料理に手をつけようとする。
 その時、不意に一方通行は手を止めて、美琴と、美琴の前に置かれた料理を交互に見やった。ちなみにお子様ランチではない。

「ってェかよォ、超電磁砲。オマエ、イイのか? さっきからまったく手ェつけてねェが、飯が冷めちまうぞ」

「え……?」

 そう言われて、思わず美琴は呆けた声を漏らした。
 確かに白井の要望に准じたり、一方通行を詰問したりで目の前の料理にはまったく手をつけていない。
 まだ温かいようだが湯気は消えている。しかし、それをよりにもよって一方通行に指摘されるとは思わなかった。

 別に一方通行としては、そこまで深い意図があったわけではない。ただ、冷めた料理など意味が無いと思っただけだ。かつて冷めた料理を食って「おいしい」とのたまっていた奴もいたが、やはり料理は湯気が出ているうちに食べた方が美味いに決まっている。そんな当たり前の事を指摘しただけだというのに、

「…………」

「…………」

 美琴と白井は懐疑の視線で一方通行を見つめていた。

「……なンだよ?」

 少々針を含んだ声で一方通行は言うが、二人は何とも微妙な表情を浮かべるだけで一向に答えようとしない。

「……?」

 若干視線が気になるものの、一方通行は構わず食事を続ける事にした。










 朝を抜いていた事も手伝ってか、胃は軽快に食物を受け入れてくれた。
 これなら腹の虫も上機嫌だ。けれど一方通行は不機嫌だ。

「……オイ、クソガキども。言いてェ事があンならさっさと言いやがれ。俺はガキに見つめられて喜ぶ趣味なンざこれぽっちも持ち合わせちゃいねェンだよ」

 美琴と白井。
 二人は料理には一切手をつけず、ジィと擬音が付きかねないほど熱心に一方通行を凝視していた。
 今の一方通行の心情を一言で表すとしたら、これに尽きる。

 ウザイ。

 その辺の不良連中ならば問答無用で病院送りにしてやる程にウザかった。
 二人は一方通行に苦言を呈され、お互いに顔を見合わせると、やはり一方通行を見やった。

(……何がしてェンだよ、コイツ等)

 先程のコント染みた遣り取りといい、からかわれているのだろうかと一方通行は疑い始めた。
 だとすれば驚きである。一方通行は能力に目覚めてこの方、誰かにからかわれた経験なんて――あまりない。
 そんな勇気のあるヤツは、たった一人を除いていなかった。

 ならば、その勇気を讃えて目の前から消してやろうか。

 一方通行は危険極まりない解決策を模索し始めたが、直ぐに馬鹿げていると思い直す。
 こんなクダラナイ事で戦り合っていたら、文字通り身が持たない。
 結局、さっさと店を出ようという消極的な結論に落ち着いて、一方通行は食べるペースを若干引き上げた。
 それに比例して二人の懐疑の視線は強まるが、一方通行は気にしない。コイツ等はいないものと思え。

(……どういうこと?)

 一方通行を観察していた美琴の胸中には、一つの馬鹿げた疑念が生まれていた。
 それを聞こうと何度か口を開き掛けたが、戸惑いからか上手く言葉が出てこない。
 けれど食事のペースを上げた一方通行を見て、美琴は意を決した。

「――ねぇ、アンタって本っ当にあの一方通行?」

 唐突な問い掛けに一方通行の手がピタリと止まった。
 美琴に続いて、白井も言い難そうに言葉を重ねる。

「わたくしも、正直信じられませんわ。わたくしが聞き及んでいた学園都市最強の能力者とは、人の皮を被った絶対無敵の怪物で性格破綻者。あなたにお会いしたのは初めてですし、こう言うのは憚れるのですが……そこら辺のお馬鹿な方、特にあの忌々しい殿方と比べたらよっぽど常識を知っていそうですわ」

「…………」

 遠回しな賞賛の言葉を掛けられても一方通行は何も言わない。否。言う事ができない。
 何故ならそれは、他ならぬ一方通行自身がずっと感じていたものだから。

 残虐非道だった『一方通行』という超能力者は、以前と比べて格段に丸くなった、と。
 あの『最弱《サイキョウ》』に敗れたのが切っ掛けを作り、あの少女との出会いが転機となった。

 それは、紛れもない事実。決して否定してはいけない尊い思い出だ。

 けれど。それを頭の中で意識する度に一方通行は転機となった少女の姿を回想してしまう。
 普段なら未練がましいと自嘲して終わる他愛の無い郷愁。しかし、この場には他でもない――あの御坂美琴がいる。


『それでも、なんだかんだで今まで騙し騙しやっていけたんだから大丈夫かなってミサカはミサカは考えていたんだけど。何でかなぁ』


 不意に。美琴とアイツが重なった。

「ッ!?」

 様々な記憶を勝手に掘り起こしていく思考を強制的に切断する。
 一方通行は言いようのない苛立ちに奥歯を軋むほど強く噛み締めた。
 激情を叩きつけるかのようにテーブルを強く殴り付け、料理をひっくり返しながら勢いよく立ち上がる。

 突然の奇行に美琴と白井は目を丸くして、立ち上がった一方通行を呆然と見上げていた。
 二人だけではない。周りの客も今度は何事かと一様に注目していた。
 一方通行はそれらの視線など意に介さず、荒々しげに通路を歩いて一目散に出口へと向かう。
 これ以上、此処に留まると駄目になりそうだった。

 けれど。途中にあるレジの前まで来ると思わず足が止まってしまった。
 そこには今まで一方通行を応対していた小柄なウエイトレスがいて、瞳に溢れんばかりの涙を溜めている。

 一秒……五秒……十秒……。

 気まずい沈黙が、辺りを包む。
 普段の一方通行なら気にも留めない。
 留めないのだが――何となく、いや、物凄く通り辛かった。

 そして十五秒目。

 一方通行は頭痛を堪えるかのように額を抑えると、ポケットから財布を取り出す。
 そうして乱雑に抜き取った一万円をレジに叩き付けると、今度こそ店を出て行った。
 背中に掛けられる「あ、ありがとうございました」という声を、確かに聞きながら。





[29370] とある超能力の一方通行 第三話 ~再開は突然に~
Name: 黒夢◆013b61e7 ID:39f2ca70
Date: 2011/08/21 14:49

 一方通行は人が増えてきた大通りを不機嫌そうに歩いていた。

 溜まりに溜まった負の感情は険悪オーラにクラスチェンジして、揺ら揺らと体躯から放たれ続けている。
 元々、危険や厄介事に敏感な学園都市の住人だ。道行く人々は触らぬ神に祟りなしと、露骨に一方通行から距離を置く。
 その為か、ファミレスを出てからというもの一方通行は周囲一メートルに絶対不可侵領域を形成していた。

 一方通行にしても好き好んで苛立っているわけではないのだ。
 出来る事なら冷静でいたい。いたいのだが――彼自身ここまで苛立ちが募る原因が分からなくて、抑えが効かなかった。

 とにかくイラつく。

 ひたすらにイラつく。

 物凄くイラつく。

 このどうしようもなく不愉快な苛立ちを思い切り発散させたくて堪らない。
 凶暴な衝動がムクムクと彼の中で肥大化するが、かといって周囲一帯に瓦礫の山を築くほど直情的にはなれなかった。
 せめて気持ちだけでも落ち着けようと、何時しか一方通行は安らぎ空間を求め始める。

 少しでも人波を避けようと歩き続けた結果、一方通行は大きな公園に足を踏み入れていた。
 大通りの喧騒とは無縁で、風に揺れる木の葉の音以外は何も聞こえない。その為だろうか。
 まるで――この広い世界の中に、一人だけ取り残されたかのような感慨が胸に去来したのは。

「ハッ……」

 一方通行は笑う。
 愉快そうに、あまりにも皮肉が効いたイメージを想像しながら。
 一頻り自虐的に笑うと一方通行は近くのベンチに寝転がった。

 意識して此処に来たわけではないのだ。
 やりたいことなんて、何もない。

 ボォーと。一方通行は空を見つめる。
 怪我を負う前なら今日一日の雲の動きをシミュレートして暇を潰すところだが、生憎と今はそれもできない。
 それは過去の話であって、二十四時間年中無休で最強だった一方通行は、もう何処にもいないのだ。

 それに。こうやってバカみたいに何もせず、頭を空っぽにして時を過ごす行為が、一方通行は嫌いじゃなかった。










 時間の流れとは存外に早いもので、気がつけば時刻は夕方となっていた。
 辺りは赤いカーテンが掛かったかのような、鮮やかな色彩に変化している。

「…………」

 不意に。一方通行の脳裏に鮮血を撒き散らしながら斃れる無数の少女達と。
 血溜りの中で楽しそうに狂笑する白髪の化物が浮かんでは消えた。

「チッ」

 不愉快なイメージを頭から追い出して、一方通行はベンチから立ち上がる。

(どォいうわけか、今日はくだらねェことばっかし考えちまう。こういう日は、さっさと帰ってさっさと寝るかァ)

 そうすれば今日という日は昨日になる。馬鹿な考えが止め処無く浮かぶ『今日』から離れられる。
 一方通行は相変わらず気怠げに公園の出入り口の方に歩き出して、



「とうま、とうま! 次はこのお店に行くんだよ!」



 その途中。中々にハイテンションな少女の声が、公園に大きく響いた。
 それに続くようにして、今度は高校生ぐらいの少年の声が聞こえてくる。

「だまらっしゃい世の中の道理を知らない小娘が。朝からいったい何件まわったと思っていやがる。生憎と戦死者を多数出した財布の中には生存者は皆無だこんちきしょー!! グッバイ野口さん!! カムバック諭吉さーん!!」

 どうやら少年と少女が言い争っているらしい。
 ギャアギャアと喧しい声が一方通行の耳朶を無遠慮に打ち付けていた。

「――――」

 普段の一方通行なら、それがどうしたと一蹴する。
 あんなバカ丸出しの痴話喧嘩なんて、意識に留めるだけで毒というものだ。
 しかし、今回ばかりは、そういうわけにはいかなかった。
 何故なら一方通行はこの声に。この少年の声に、とてもとても聞き覚えがある。

 ああ――忘れられるものか。

 自然。口元は大きく裂けて広がった。
 ゆっくりと。まるで自身を焦らすかのように一方通行は声の聞こえる方向に歩き出す。
 三十メートルほど先の角を曲がる。それなりに広い円形状の広場が視界に入り――歓喜に躰が震えた。

 広場の先。そこには予想に違わず、何時かの『最弱《サイキョウ》』がいた。

 一方通行は柄にもなく、胸をドクンドクンとトキめかせる。
 まるで永年捜し求めていた恋人を見つけたかのように、その視線が『最弱』から離れない。

 一方通行は喜んでいる。これ以上ない程に喜んでいた。

 それも当然。当然だ。目の前のアレは例外。

 最強にして最高である一方通行にとって唯一の例外。

 そう――『最強《自分》』と『闘える』矛盾にして天災の域にある例外だ。

 どうして此処にいるのか、とか。一緒にいるあの少女は誰なのか、とか。そんな些末な事情など一方通行は気にしない。
 ようやく、この不愉快な苛立ちを遠慮なくぶつけられる相手が見つかったのだ。多少の疑念など、脇に置いておけば良い。

 距離は約二十メートル。あちらは一方通行に気づいていないが、それはそれで好都合だった。
 後ろから近づいて、軽く肩でも叩いて挨拶をしてやれる。
 幾秒か止まっていた一方通行の足は、『最弱』を目指して一心不乱に動き出した。

 一方通行はポケットに突っ込んでいた左手を外気に晒して、首下のスイッチまで持っていく。
 これだけで一方通行の戦闘準備は万端だ。後は寸前でスイッチを切り替えればいい。
 相手の能力は不明。学園都市最高の頭脳でさえ、未だに解析できていないが、二度も同じ手にやられるほど馬鹿ではない。

 ――さぁ、始めよう。いつかの続き。愉快で素敵な戦いを。

 目標との距離は既に十五メートルを切っていた。
 一方通行の能力を駆使すれば瞬く間に零にする事が出来る必殺の距離だ。
 ベクトル操作の真骨頂は、文字通り皮膚に触れている万物の『向き《ベクトル》』を自在に操る事にある。

 例えば、踏み込む足から地面に掛かる運動量や重圧の『向き』を変更して。
 少しばかり身に掛かる大気中の抵抗と重力を無くせば、自らがロケットやミサイルにも成れるのだ。

 尤も。一方通行は『最弱』を殺したいわけではないので、派手な攻撃を繰り出すつもりはない。
 こんな所で殺すのは勿体無いし、何より今の一方通行は誰かを殺すという行為に気乗りできなかった。
 なのに仕掛けるのは、一度ズタボロにされたプライドを少しでも取り戻す為なのか。はたまた別の理由からか。
 それは誰にも分からない。きっと一方通行も分かっていない。少なくとも、今はまだ。

 いよいよ互いの距離は十メートルを切った。一方通行はスイッチに触れる指に力を込める。

 後一歩。この足を地面から離して次の一歩を踏み込んだ瞬間にスイッチを切り替える。
 一方通行は高揚する胸中を心地良く感じながら、始まりの一歩を踏み込もうとして、


 ――プルル――プルル、と。


 一方通行の携帯が、目の前で展開されるじゃれ合いを塗り潰した。
 それなりに近い距離で鳴った携帯の音に反応して、目の前の二人は一時争うのを止める。
 グリンと。二人は音の出所の方、つまり一方通行の方へ同時に視線を向けた。

 安全ピンで大まかに補修された白の修道服を着込んだ少女は、好奇心旺盛な子猫のような瞳でジィと一方通行を見つめる。
 けれど直ぐに興味を失ったのか、相方の少年に視線を戻そうとした。何気にかなり失礼だ。
 けれど少女が向き直った先に少年の姿は無く。なんだか腰の辺りに腕が回されて、少女の身体が宙に浮いた。

「ほえ?」

 そんな可愛らしい呟きをその場に残して、少女は一陣の風となった。

「なっ!?」

 予想外の事態に一方通行は動揺する。
 件の少年は一方通行を見るなり少女を腰に抱えると、「不幸だぁぁぁ!!」と叫びながら一目散に逃げ出してしまった。
 少女一人を抱えているというのに駆け抜けるスピードはかなり速い。陸上アスリート顔負けのダッシュ力だ。
 きっと常日頃から色々なもの――スキルアウトやビリビリ中学生や非日常に追っ駆けられ、鍛えられているのだろう。

 もちろん一方通行は直ぐにでも少年を追いかけたかった。

 その上でボコ殴りにして、裸にひん剥いて、そこらの電灯に吊るし上げて、笑いながら石でも投げつけてやりたかった。
 しかし、未だに携帯は喧しく鳴り続けている。別に無視してもいいのだが、この携帯の番号を知っている者は少ない。
 もしかしたら緊急の用事かもしれないのだ。

「……チッ!」

 一方通行はポケットから携帯を取り出すと、開口一番に吐き捨てる。

「くだらねェ用件だったらブチ殺す」

 気弱な者なら受話器を落としそうな迫力。
 けれど着信相手は、この殺し文句にもまるで動じなかった。

『いきなり物騒ね。あなたはいつもそうやって応対しているのかしら?』

 通話口の声は一方通行の予想していた厳つい研究員のものではなかった。
 それどころか口調だけで知的と分かる落ち着き払った若い大人の女性のものだ。
 聞き覚えのある声に一方通行の苛立ちはほんの少しだけ減少する。

「あン? オマエか……で? なンのようだ? くだらねェ用件だったらオマエだろうとマジでブチ殺すぞ」

『なんで不機嫌なのかは知らないし、原因を聞こうとも思わないけど、私にあたるのはやめてちょうだい。ただ、ちょっと大切な話があったから連絡しただけよ』

 通話先の女性は一方通行の脅しを意にも介さず、冷静に捌いて見せた。
 彼の扱いに手馴れているとかではなく、恐らく素なのだろう。一方通行は女性の意味深な言葉に眉を潜めて聞き返す。

「大切な話しだァ? いったい何を……」

『詳細は直接会ってから話すわ。今すぐ、いつもの病院に来てほしいの。それじゃあ待ってるわね』

「オイ! どォいうこと……チッ」

 通話口から流れるツゥーツゥーという電子音に一方通行は今日何度目になるかもわからない舌打ちをした。
 なにせ一方的に用件を伝えられ、挙句に止める間も無く通話を切られたのだ。彼でなくても憤るだろう。
 これが研究所関連なら問答無用で無視するところだが、あの女性が直ぐに来てくれと言った以上、重要な用事には違いない。

 何より――今の通話の間に、あの二人を完璧に見失ってしまった。

「……クソがッ!」

 一方通行は荒れ狂う激情を抑え切れず、地面を強く蹴りつけた。
 憤懣遣る方無い面持ちで着信の際、反射的に切り替えてしまったスイッチを通常モードに戻す。
 こうなった以上は仕方ない。忌々しくはあるが結局、一方通行は病院に向かう事にした。

 ちなみに。蹴りつけた地面は後に大きく陥没して、直径十メートル、深さ五メートルもの大穴ができたとか。










「……いねェじゃねェか」

 一方通行は総合病院の入り口付近に佇みながら、不満を隠そうともせずに言い捨てた。

 話は少しだけ遡る。夕日も地平線の彼方に沈み出して、少々暗がりが目立ってきた頃。
 病院に到着した一方通行は、真っ先に女性が放り込まれている病室に向かった。
 声だけを聞けば平常通りだったが、実際には心臓付近に重症を負って入院しているのだ。

 これまで一方通行は見舞いになど来なかったが、病室の番号ぐらいは聞いている。けれど、いざ蹴り開けた病室は無人。
 近くを通り掛かった看護士に聞いても朝から見ていないと返ってきた。
 重傷患者が消えても一向に慌てない病院の運営方針に一方通行は些かの疑問を持つが、それだけ治療に自信があるのだろうと割り切る。

 今度は外に出て携帯に掛けてみたが、それも繋がらなかった。
 僅かに謀れたかと疑ったが、一方通行の知る限り、あの女性はそんな愉快な性分ではない。
 ならば、答えは簡単。単純に女性は病院内にいて、何処にいるのかは自分で探せという事なのだろう。

「…………」

 一方通行は背後に建つ病院を見上げた。総合病院と銘打つだけあってそれなりに大きい。
 一人で捜し歩けば数十分は掛かりそうだ。心底から面倒臭そうに一方通行は顔を歪め、思わず回れ右した――その時。
 ふと、一人の医師のニヤけた顔が頭に浮かんだ。あのカエルに似たカエル好きらしい名医の顔が。

「…………」

 あの医師は探し人である女性と浅からぬ仲らしい。
 本当に女性が病院内にいるのなら何処にいるのか知っているかもしれない。

「……これでいなかったら地獄見せてやらァ」

 何やら物騒な事を呟きつつ、一方通行は億劫そうに再び踵を返した。










 結論を言えば、一方通行の判断は正しかった。
 どうやら医師は女性から一方通行の案内役を頼まれていたらしく、律儀にもフロントの待合室で待機していたらしい。
 現在、二人は女性のいる部屋に向かっている。医師の雑談を交えながら、だが。

「まったく彼女には困ったものだよ。よりにもよって僕をメッセンジャーにするんだからね。こう見えて僕も暇ってわけじゃないのにね。もし急患が来たらどうするつもりだったのか。君もそう思うだろう?」

 知るか。一方通行は胸中で吐き捨てる。
 さっきから医師は延々と女性に対する愚痴を繰り返していた。
 当然の如く一方通行は完全に無視を決め込むが、医師は構わず語気は穏やかに言い募る。
 どれだけ鬱憤が溜まっていたのか。結局、医師の愚痴は目的の部屋の前に着くまで延々と続いた。

「ここだよ。ああ、この件は僕にもまったく無関係というわけじゃないから、ご一緒させてもらうね。会話に口を挟む気は無いから、僕はいないものと思ってくれていいよ」

 そう医師は笑顔で告げて、室内に入っていく。一方通行も医師に続いて中に入った。

 来客専用の部屋らしい其処は大して広くはなかった。
 目立った物品は真ん中に備えられた二つのソファとガラス製のテーブル、部屋同士を繋げる左手側のドアくらい。
 医師は一方通行が部屋に入ると後ろ手でドアを閉め、用心の為か鍵を掛けた。カチャッという施錠音を背後に聞きながら、一方通行は右手側のソファに腰掛け、左手をポケットに突っ込み、右手に持った教材を淡々と読みふける女性を見据える。

 彼女の名は芳川桔梗《よしかわ ききょう》。

 質感艶かしい黒髪を肩の辺りで切り揃え、端正な顔立ちと平均以上のスタイルを兼ね備える文句無しの美人だ。
 しかし、やはり一方通行の知り合いというべきか。控え目に見ても、かなり変わっている人物であった。

 二十代も後半だというのにその顔には化粧らしきものが一切無く、服装も色の抜け落ちたジーンズに擦り切れたTシャツだけ。
 外面的な箇所に手心を加える気が一切無いと一目で知れた。はっきり言ってまだ入院中に着る白服の方が味気もある。

「連れてきてあげたよ」

 自分達の存在に気づいていないらしい芳川に医師は律儀にも声をかけた。
 今更ながら紹介すると、意外にも彼は一方通行と芳川の命の恩人だったりする。
 学園都市最高の医師『冥土帰し《ヘヴンキャンセラー》』。それが知る人ぞ知るこの医師の異名である。

 一方通行は八月三十一日。とある出来事に介入した結果、頭蓋骨の損傷という命に関わる重傷を負った。
 その際に一方通行を手術したのが、この医師である。

 一説によれば、この医師に治せない怪我や病気は無いとされ、その腕は神の摂理すら捻じ曲げるとさえ言われている。
 尤も、いくら神掛かった腕とはいえ、たった十日程度で頭蓋骨の損傷を完治させられるわけがない。
 本来なら一方通行は病院のベッドに拘束されていてしかるべき患者である。

 外面的には傷も見られず髪も生え揃っているが、それは能力の促進効果によるものに過ぎない。
 内面はボロボロと言って差し支えなく、それこそ一般人なら歩く事はおろか立つ事もできない程だ。

 現状、一方通行は無けなしの能力を駆使して歩けているだけで、仮に補助に回している能力を切れば強い脱力感に襲われ、碌に躰を動かす事すら儘ならないだろう。どう考えても病院でお世話になっていた方が良い容態なのだ。

 しかし、一方通行は手術から五日後。誰に告げる事も無く、ボロボロの住居に戻った。

 医師も最初の二、三日は入院するよう電話で執拗に呼び掛けていた。
 患者を途中で放り出すなんて、医師の掲げる矜持が許さなかったのだ。けれど一方通行は、その要請を頑なに拒否し続けた。
 その理由を知るからこそ、医師は無駄だと悟り、せめて最低限の生活環境を整える事、能力の行使を控える事、定期的に病院で診断を受ける事を条件に自宅療養を容認している。もちろん、隙があれば簀巻きにしてでも病院に監禁する気満々なのだが。

 芳川は医師に声を掛けられて、ようやく二人の存在に気づいたらしい。
 読んでいた教本をパタンと閉じて、二人の方に顔を向けると、

「あら、遅かったわね」

 恐らく本心からの言葉を投げ掛けた。
 それは一方通行の短すぎる導火線に火を点けるには、充分以上の火種である。

「……OKOK。ずいぶン愉快な遺言じゃねェか。てめェの墓石に刻ンでやるよ」

「早速だけど、あなたに来てもらったのは他でもないわ」

 サラリと。事も無げに芳川は一方通行の苦言を聞き流した。
 半ば本気の殺意を乗せて告げたというのに、芳川はちっとも堪えていない。
 一方通行にしても、この程度で芳川が竦み上がるとは思っていなかった。

 芳川は何事にも泰然と構えて、良いも悪いも受け流す性質がある。
 学園都市の滅亡に繋がり兼ねない事態に於いてさえ、芳川は殆ど焦りを見せる事は無かった。

 はっきり言って一方通行は芳川が苦手だ。突き放そうと悪意を込めても柳のように流されてしまう。
 他者に頼りたくない。そう思いながらも気が付けば頼ってしまいそうな『優しさ』が、芳川桔梗にはあった。

 尤も。彼女に言わせれば、『優しいのではなく甘い』だけ。
 常にリスクとチャンスを秤に掛けて生きてきた芳川は、自らを寂しげにそう自嘲していた。

 芳川桔梗は研究員だった。それも学園都市の悲願であるプロジェクトに参加できる程に優秀な。
 けれど芳川が本当になりたかったのは学校の先生。優しい先生になりたかった。
 一度は断念した夢。けれど芳川は、八月三十一日に魅力的な道を見つけた。

 大勢の子供達を見守る先生にはなれないけれど――たった二人の子供達の優しい先生になろうと。

 今はまだ優しさよりも甘さが目立っているが、何時か大切な事を教えられる先生になりたい。
 それが現在の芳川の生き甲斐。その為ならば、多少の無茶は承知の上だった。
 ゆっくりと。芳川は始まりの言葉を、あるいは宣戦の言葉を告げる。

「――あの子のことよ」

 短い言葉。けれど見るからに一方通行の雰囲気が変わった。誰を指しているかは問うまでも無い。
 問題は、二度と干渉しないと誓っていた一方通行にその話題を出す意味だ。一方通行は視線で先を促した。
 それに応える様に芳川は朗々と語りだす。

「知っての通り、あの子は私の信用できる友人に預けているのだけど……そうね。良い報告と悪い報告。どちらから先に聞きたいかしら?」

「どっちでも構わねェ……って言いたいところだけどよォ、これ以上長引かせンのもメンドくせェ。悪い報告とやらから聞ィてやらァ」

 遠回しの『何が起こったのか非常に気になります』的な発言を受けて、芳川は小声でボソリと呟く。

「相変わらず素直じゃないわね。心配なら心配とはっきり言えばいいのに」

「あァ? なンか言ったか?」

 芳川曰く素直じゃない少年から鋭い視線が向けられた。
 下手な照れ隠しね。そんな事を胸中で思いながら芳川は惚ける。

「いいえ、何も。それより悪い報告だけれど、これは二つあるわ。一つ目は予期していた通り、裏で動きがあったらしいの。まだ大きな動きじゃないけれど、放って置けばどうなるかはわからないわね」

 ピクッと。一方通行は微かに反応した。
 けれど動揺はない。芳川が言う通り、あくまでも予想の範囲内。
 一方通行が気になるのは、むしろ二つ目の悪い報告とやらである。

「二つ目は、はっきり言って私の見通しの甘さが原因なの。あの子を預けている彼女……黄泉川愛穂が警備員だと言う事は話したわね?」

「そういやァンな事も言ってたっけなァ。っで? それがどォ悪い報告と関係してンだァ? むしろバカどもが動き難くなって、こっちにとっちゃ万々歳じゃねェか」

 実際、そのお陰で一方通行は自分の身を護る事に専念していられるのだ。
 治安部隊を敵に回してまで行動を起こせる組織、研究所は学園都市でも限られている。
 上層部直属の研究所や部隊でさえ、事を荒立てたせいで治安部隊に鎮圧された例は多い。
 恐らく、安全と言う意味合いでは最高クラスに属する預け場所だろう。
 芳川は「そうね」と相槌を打った後、一度だけ軽い溜め息をついてから胡乱気に告げる。

「私もそう思ったからこそ彼女に頼んだのだけど。彼女、あの子の出生について独自に調べているみたいなのよ」

「はァ? なンだそりゃ!? まさか、勘付かれたってェのかァ?」

 あの血生臭い実験に。あまつさえ御坂美琴のクローン――『妹達《シスターズ》』の存在に気づかれたのか。
 若干の焦りを覚える一方通行を尻目に芳川は落ち着き払ってそれを否定する。

「いいえ、それは無いわ。実験の詳細は表に出ないように細心の注意を払っていたもの。特に治安部隊への情報操作は念入りに行っていたから。単純に興味本位で調べているんじゃないかしら? 彼女、大雑把な性格のわりに責任感が強いのよ」

「……責任感が強いからって他人の出生なンざ探るかァ?」

「不自然の塊のような女の子をいきなり預けられて何も行動を起こそうとしないのなら、それはそれで警備員失格よ。もっとも、ここまで積極的に動くのはちょっと予想外だったわ。さすがに私の昔馴染みね」

「ヤケに説得力がある冗談かましてくれてンじゃねェよ。万が一そいつが真実に辿り着いちまったら、上層部が転覆しちまってもおかしくねェンだぞ」

 それだけではない。上層部も上層部で、何とか事実を隠蔽しようと躍起になるだろう。
 その場合、まず真っ先に行われるのは物的証拠の消去。つまり『妹達』の処分のはずだ。
 御坂美琴という抑止力が働いて、これまでは破格とも言える穏便な事後処理が進められてきたが、喉下に刃先を突き付けられてまで上層部が穏便に事を済ますとは思えない。一方通行の脳裏に次々と湧き上がる懸念を、芳川はこれもまたやんわりと否定する。

「大丈夫よ。確かに彼女は優秀な警備員だけれど、私達も調べて簡単に分かるような工作はしていないわ。けど、逆に言えば辿り着けない事に疑問は感じるでしょうね。そうなったら本格的に治安部隊が動き出しかねない。最悪、その動きに触発されて行動を起こす所も出てくるかもしれないわね」

「……泥沼ってェわけか」

「そうね。あなたを呼んだのは、この状況を打開するためでもあるの。でも、本題に入る前に一つだけ聞かせて頂戴。あなたは、あの子のためならどんな事でもやってくれるの?」

 淡々と述べられた言葉は、まるで一方通行を試しているかのようだった。
 何を試しているのか。決まっている。決意を、だ。ならば一方通行の答えは最初から決まっている。

「……別にイイぜェ。ここで見捨てちまったら後味わりィからな。ただし――人殺し以外だ」

 そこは譲れないと。一方通行は厳として宣言した。
 一方通行はアイツに腐った世界に関わらないで生きて欲しいと願っている。
 普通に平地を歩いて、脇道には逸れず、自分だけの道を歩いて欲しいと。
 だからこそ。ガラス細工のように脆い言葉であろうと。気持ちだけは誰も殺さないと宣言したかった。

 それが、アイツに教えられた多くの事の一つでもあるから。

 その揺らぎない真っ直ぐな返答を聞いて、芳川は思わず笑ってしまった。
 あの子の偉大さに。彼の成長に。心から喜んで、安堵して――この子達の絆を信じられた自らの青臭さに感謝して。

「……安心しなさい。今さら、あなたにそんな事を頼むつもりなんてないわ。あなたにやって欲しいのは、もっと簡単な事よ。そしてそれが、良い報告でもあるの」

 芳川はそう言うと、一方通行と医師の二人が入ってきたのとは別の左手側のドアを見やった。

「入ってきてもらえるかしら?」

「あン?」

 一方通行が訝しげに眉を顰めるのと同時に、ガチャッと。

 左手側のドアが開き、そこから小さな人影が一つ部屋に入って来た。
 当然、一方通行はその小さな人影に視線を送り――ぴょこんと揺れるアホ毛を認識したあたりで、思いきり頬を引き攣らせた。
 心底から見間違いだと思いたかったが、残念ながら一方通行に限って見間違えるなどありえない。

 記憶の中にいつまでも残るアイツ。

 特に親しかった事もなく、ただ何となくで一緒にいたアイツ。

 そして唯一、能力者としての一方通行ではなく、人間としての一方通行を見てくれたアイツ。

「えーと、色々言いたい事はあるけど、とりあえず人を三十分近く待たせておいて謝罪の一言も無いのはどうかなー、ってミサカはミサカは愚痴を言ってみたりするんだけど、ってあれ? もしかして、そこの男の人か女の人かよくわからない人は一方通行? ってミサカはミサカは首を傾げて疑問を口にしてみたり」

 ――そんな『打ち止め《ラストオーダー》』が、そこにいた。




[29370] とある超能力の一方通行 第四話 ~覚悟の違い~
Name: 黒夢◆013b61e7 ID:39f2ca70
Date: 2011/08/21 23:11

 彼は一人だった。正確には一人になった。

 突出し過ぎた才能は彼の意思とは無関係に何もかもを破壊する。
 最初は、ただ怖いだけだった。勝手に肥大化する状況に怯えて、両手を振り回して抵抗した。
 当時の彼は十歳。急変する現実を理解できず、襲い掛かる全てが恐ろしかった。
 しかし、彼は唐突に気づいてしまう。向けられる無数の銃口の奥。そこに宿る感情に。

 ――バケモノ。

 ビキリと。心に亀裂が奔った。

 彼は呆然と周囲を見渡す。目を背けていた現実を直視する。
 酷い有り様だった。無数のヘリと装甲車の残骸が積み重なり、其処彼処に戦車が引っ繰り返っている。
 ミサイルでも撃ち込まれたのか、彼の足元の地面は捲り上がり、クレーターのように陥没していた。

 けれど。こんなにも凄惨な状況の渦中にいるのは――彼なのだ。

 両手を見る。傷一つ無い見慣れた両手。これだけの惨状を造り上げた、忌避すべき両手。
 ふと。切迫した声が彼の元に届いた。ネジの切れ掛けた玩具のようなぎこちなさで視線を向ける。

 たくさんの人達が、慌ただしく動いていた。

 大人達は拉げた機械の鎧から仲間を救い出そうと必死に声を張り上げ、それを腕章を付けた子供達が懸命にサポートしている。
 道路には無数の救急車両が整列して、次々に怪我人を搬送していた。まるで戦火の只中のような光景だった。

 ――違う。

 彼は呟いた。震える躰を必死に抑え付けて、か細い声で現実を否定する。

 望んでいなかった。こんな事は少しも望んでいなかった。違う。違うのだ。
 一緒に遊びたくて、突き飛ばされ掛けて、そしたら骨が折れてしまって、わけのわからない内に大人が出てきて、怖くて。
 取り留めの無い思考がグルグルと彼の頭を駆け巡る。その間にも周囲の被害は拡大していった。
 彼はただ立っているだけなのに。世界は彼によって、確実に滅びを迎えようとしていた。

 助けて。誰か助けて。
 子供である彼は大人に縋り付きたくて、みんなのいる方に手を伸ばした。

 逃げろ。誰かが言った。
 大人達は恐怖に引き攣った顔で怪我人を背負うと、子供達を引き連れ逃げていく。

 すぐに彼の視界から人間は消えた。無数の無人ヘリだけが、彼を中心に旋回している。
 不意に彼は思い出す。この状況に当て嵌まるテレビの中の嫌われものを。
 怪獣映画の怪獣。それが今の自分なのだと、彼はようやく気がついた。

 過酷な現実を認識して、呆然と佇む彼に対する苛烈な攻撃は続く。その度に周辺の被害は鼠算式な広がりを見せていった。
 肉体的には強大な能力の防壁に阻まれ、掠り傷一つ受けていない。けれど、彼の心はジワリジワリと確実に削り取られていた。

 やがて、ガチリッと。ズレてはいけない歯車が、彼の中で噛み違えた。

 その途端、彼は全てを悟った老人のような、歳不相応な表情を浮かべた。
 おもむろに周囲を一瞥した彼は、その身を投げ出すかのように背中から地面に倒れ込む。

 それは、これ以上無いぐらいの無抵抗の意思表示であった。

 彼は恐る恐る近づいて来る大人達を無機質な瞳で眺めながら、震える声で掛けられる指示に抵抗する事無く淡々と従い続ける。
 それで、終わりだ。アレだけの破壊を齎した凶事は、彼の意思一つで終幕と相成った。

 そう――他者に向ける全ての感情を封印して。あらゆる他人の感情を跳ね除けて。
 世界を護る為に氷のような人間になる道を選択した、まだ十歳の子供によって、世界は破滅から救われたのだ。

 仕方がない。彼は誰よりも優しいが故に、そうやって諦めていた。

 唯一絶対回避不能の天災に付き纏われた彼は、望まずとも周囲を傷つけてしまう。
 なら、最初から他人に興味を持たなければいい。近づかなければいい。

 そうすれば、少なくとも『誰か《自分》』が傷つく事は無いのだから。

 けれど、それは彼自身を殺す選択だ。自分が救われる事を放棄した考えだ。
 かといって彼が他人を求めれば、世界を破壊してしまうかもしれない。
 自分の救済を優先すれば、世界は容赦なく、彼以外に牙を剥く可能性があった。

 どこまでいってもどこにいってもそれは一つの『一方通行《アクセラレータ》』。

 双方の一方しか選べない無慈悲な選択。そんな孤独の世界の中で、それでも彼は求め続けた。
 他人と衝突しない世界を探し続けていた。その結果、取り返しの付かない過ちを犯したが、彼は『最弱』という切っ掛けを知る。

 そして今までの自分を見つめ直している時に彼は出会ったのだ――『打ち止め』という、無邪気な少女に。















 一方通行は思う。確かに今日は珍しい連中との再開がヤケに多い日だったと。

 適当に選んだファミレスでは御坂美琴と相席して、不意に立ち寄った公園では『最弱』に遭遇した。
 終いには芳川桔梗に病院へ呼び出され、案内役を任された云々でカエル顔の医師まで此処にいる。

 連綿と続く『偶然』の連鎖。

 まるで誰かが見えない糸で一方通行の運命を操作しているかのようだ。
 尤も、学園都市に於いて『偶然』とは「はい。そうですね」と認める要因には成りえない。
 路傍に犇めく偶然は、徹頭徹尾ただの偶然に過ぎないのだ。誰某が意味を込めた瞬間に、偶然は『必然』という名の鎖に変わる。

 不確かな『非現実《オカルト》』は『科学《ゲンジツ》』から逃れたい人間の思い込みが生み出す副産物に過ぎないのだ。
 だからこそ、科学の最先端である学園都市の中で、最強最高に位置づけられる一方通行は偶然なんて端から信じていない。

 一方通行の歩んできた人生は、たった一日の偶然なんかに淘汰させられるほど、緩慢な道程ではなかった。
 何度と無く悩み、悔やんだ。他者への関心を忌避して、それでも一人じゃない世界を夢見続けた。
 常人よりも遥かに苦難に満ちた人生。それは誰にも真似する事のできない、一方通行だけの立派な『道』なのだ。

 あらゆる物事を決め付けてしまう『必然』という言葉も、昔はともかく今は気に入らなかった。
 何故なら、この世界には決め付けられているモノなんて何一つ存在しない。
 決め付けてしまえば簡単で、悩む必要が無いから、人は『必然』という言葉で全てを片付けようとする。

 一方通行もそうだった。

 周りを見ようともせずに眼を瞑って、壊して殺すだけが自分の出来る事だと決め付けていた。
 そんな勘違いを数年間、本気で信じ続けていた。けれど一方通行は、恐る恐る眼を開く事で知った。

 世界の最底辺にいる自分にすら、目の前には困難ながら進める『道』が無数にあるのだと。

 人間の生き方を決めるのは偶然や必然ではない。心の底から生じる狂おしいまでの意思が、何よりも重要なのだ。
 故に。一方通行は偶然、必然という言葉は甘ったるい最弱と同じくらい大嫌いだった。

 けれど。それにしたって。

「えーと、色々言いたい事はあるけど、とりあえず人を三十分近く待たせておいて謝罪の一言も無いのはどうかなー、ってミサカはミサカは愚痴を言ってみたりするんだけど、ってあれ? もしかして、そこの男の人か女の人かよくわからない人は一方通行? ってミサカはミサカは首を傾げて疑問を口にしてみたり」

 打ち止め《ラストオーダー》まで出て来るのは、いくらなんでも出来過ぎてはいないだろうか。

「…………ハァ」

 動揺を押し隠すかのように一方通行は浅い溜め息を吐いた。
 先刻の美琴のような機能停止に陥る失態は犯さなかったが、急転直下の事態に少なからず混乱している。
 いっそ現実逃避でも出来れば楽なのだろうが、徹底したリアリストである彼には些か難しい要求だ。
 そんなリアリストであるところの一方通行は、慌てず騒がず迅速に、出来る事から処理する事にした。

「――身体中の血液を逆流させられンのと生体電流乱されて廃人にされンの。どっちか好きなの選べ」

 サラリと。裁判官一方通行は被告人芳川に死刑判決をくれてやった。
 罪状(一方通行に打ち止めを引き合わせた)は明らかで、情状酌量の余地すらない。当然の如く告訴は棄却だ。
 一方通行裁判所は遅延無く刑を執行する即断即決さを売りにしているので、間も無く断罪は下るだろう。顔馴染みのよしみで埋葬の手続きぐらいは引き受けてやる。そんな心遣い溢れる一方通行の判決に過敏な反応を示したのは、この中で最も現状を把握できていないアホ毛が眩しい少女だった。

「えーと、もしかしなくても大ピンチ? ってミサカはミサカは冷や汗混じりに少しずつ後ろに下がってみたりするんだけど……」

 恐る恐る扉の影に隠れる打ち止めの肩は、故意か本気か微かに震えている。他ならぬ、一方通行を見上げながら。

「……?」

 なんでコイツが怯えてンだと一方通行は眉目を跳ね上げた。
 そこに。今まで沈黙を守っていた医師がやんわりと口を挟む。

「おやおや。小さな女の子を脅すなんてダメじゃないか。女性にはもうちょっとソフトに接するのがコツだよ?」

「はァ? オマエ、なに言って…………あァ」

 一方通行は的外れな諭しを入れる医師の言葉を訝しみ、傍とその真意に気付いた。
 先程の一方通行の言葉。事情を何も知らない第三者が正面きって告げられたら、どう思うだろうか。
 それも実際に一万人もの姉妹を虐殺している人物に『初対面』でいきなりそんな通告を出されたら。

 答えはこうだ。

 常日頃から憚る事無く『お気楽』と言う言葉を体現している打ち止めでさえ、露骨にビビって一方通行から距離を取っている。

「…………」

 どう考えても、これは一方通行の失態である。
 こう言えば万人に伝わると勝手に決め付けて、人名を省いたのが間違いだった。
 けれど。これで図らずも、一方通行の胸中にへばり付いていた一つの懸念《希望》は払拭された。

 ――打ち止めの記憶が、確かに消えている事を確認できた。

 ズキリッと。不意に胸が激しく痛んだ。
 それは失う痛みに匹敵するぐらい強烈な、自覚の痛み。

 一方通行は今、この時、この瞬間。本当に打ち止めを『殺して』しまった事を、自覚した。

 打ち止めは本当に何も覚えていない。

 あの路地裏での出会いも――――

 あの学生寮でのやり取りも――――

 あの朝の一時も――――

 あのレストランでの談話も――――

 そして、もちろん一方通行の事も。

 一方通行が生涯忘れない大切な思い出を、何一つとして覚えていない。
 他ならぬ一方通行がその手で、その能力で、打ち止めの記憶を一つ一つ丁寧に塗り潰したのだから。
 芳川の話では、塗り潰した記憶も『ミサカネットワーク』に情報として保存されている可能性があるらしい。
 放って置けば勝手にネットワークから情報を再構築して、以前の打ち止めに戻るかもしれないと芳川は言っていた。

 誘惑は、当然あった。

 これからも打ち止めとバカをやって過ごせる。
 色褪せた現実から解き放たれ、自分を認めたくれた存在と一緒にいられる。
 それは何よりも魅力的な未来に思えた。だからこそ、一方通行は分を弁える。

(そうだ……だから、俺はあの選択をしたンだ)

 記憶復元の説明をされて、一方通行は芳川に三つの頼み事をした。
 それは『ミサカネットワーク』に於ける八月三十日から三十一日に関する情報の凍結。
 代理演算の際に打ち止めが気付かないようにする調整。他の妹達への警告声明による口止め。
 一方通行と言う個人との関係を完全に断ち切る為の工作だ。そこまでしてでも、彼は打ち止めを二度と自分に関わらせたくなかった。

 一方通行は確かに進むべき道が無数にある事を知った。

 けれど。だからといって、今まで一方通行が進んできた道が帳消しになるわけではない。
 彼は『最強』から『無敵』になる為の道程で打ち止めの姉妹を一万人以上虐殺している。
 そんな殺人鬼が、陽の当たる場所で過ごす打ち止めの側にいて良いわけがないと結論付けて、一方通行は孤独に戻った。

 その選択を一方通行は後悔していない。
 ただ、ほんの少しだけ、ちょっとだけ――寂しいだけだ。

(あァ……クソ。ったく、どォなってンだァ? 俺なンかがコイツと一緒にいたのがすっげェ間違いだってェのに、なンでこンな……胸にぽっかり穴が空いてるよォなンだよ)

 今まで気づかないようにと必死に誤魔化してきたのに、どうやらそれもコイツを前にしては無意味らしい。

 一方通行はこの瞬間、はっきりと自覚してしまった。

 この空虚な穴を誰かに埋めて欲しいと。

 もう一度、打ち止めと他愛の無い馬鹿な会話をして過ごしてみたいと。

 昔からは想像もできない甘ったれた願望に自嘲して、悔いるかのように一方通行は顔を俯かせる。
 これ以上、打ち止めの姿を見ていたら、この高まった感情が暴走してしまうかもしれない。だから、顔を伏せた。
 だというのに――不意に打ち止めはタッタッタッと軽い足取りで一方通行の下まで駆け寄ると、ひょいっと下から彼を覗き込んだ。

「ッ!?」

 不意打ち気味な打ち止めの行動に一方通行は表情を崩しかけるが、寸でのところで何とか堪える。
 その甲斐あってかある程度(といっても普段と比べれば有って無きようなものだが)の余裕を取り戻す事ができた。

「……オマエ、なにしてやがンだ? 俺が誰だか知らねェわけないよなァ?」

 出した声が震えなかった事に安堵して、一方通行はジィと見つめてくる打ち止めを脅すような声音で突き放す。

「…………」

 だが、打ち止めは何も言わない。

 さっきはブルブル震えていたクセに、今は一片の恐れすら抱いていないようだ。
 本当に嫌なら一方通行の方から眼を逸らせばいいのに、何故か逸らす事ができなかった。
 わけのわからない感覚に戸惑いながら、一方通行が再度の脅しを掛けようとすると、


「――悲しいの? ってミサカはミサカは尋ねてみたり」


 打ち止めは絶妙のタイミングで、そう投げ掛けた。

「っ!? ……俺が、悲しいだァ? なン、の冗談だよ、そりゃ」

 一方通行は言葉に詰まるが、普段通りを演じて返した。
 だが、そんな強がりを見通すかのように打ち止めは言葉を重ねる。

「だってずっと泣いてるよ、あなたの心、ってミサカはミサカは真っ赤な瞳を覗き込みながらキザっぽくも真剣に言ってみるの」

「!?」

 心が、泣いてる――?

 他愛も無いその言葉が、一方通行の心中を緩やかに掻き乱す。
 何故ならそれは、これ以上ないくらい今の一方通行の心情を表したものだったから。

 思えば、コイツはいつもそうだった。一方通行は述懐する。

 消耗品の実験体という不幸を通り越した最悪の境遇を素直に受け入れ、それでいて他人の心を見透かしてしまう。
 それだけでも性質が悪いのに、コイツは相手を決して傷つけることなく、淡々とありのままの真実だけを語っていくのだ。

 まるで厳しさと優しさを併せ持つ語り手のように。
 打ち止めの言葉の一つ一つは残酷なまでに無慈悲で、それでいて優しさに満ち溢れている。

 今回も、見透かされた。

 その事実が腹立たしくて、一方通行はよりいっそう眼光を強める。
 しかし、打ち止めは怯まない。それどころか視線を逸らす気すら無いようだ。
 そのまま暫らく二人は視線を交わし合う。まるで先に逸らした方が負けとでも言うかのような根競べを延々と続けていた。

 微笑ましそうに見守っていた芳川も五分を過ぎた辺りで眉を顰め、十分が過ぎると呆れ雑じりに溜め息をついた。
 このまま放って置くと何時までもやってそうなので、仕方なく割って入る。

「二人とも。仲が良いのはわかったから、話を進めていいかしら?」

「……勝手にしナ」

 一方通行はぶっきらぼうに吐き捨てて、打ち止めから視線を逸らした。
 その際に打ち止めが「勝ったぁ! ってミサカはミサカは勝利宣言してみたり!」とかほざいていたが気にしない。気にしないったらしないのだ。一気に不機嫌指数を上昇させた一方通行は、医師が立つ方とは反対側の壁に寄りかかり、打ち止めも勝利の余韻に浸りながら空いているソファにちょこんと座った。そこで、おもむろに芳川は言葉を投げ掛ける。

「ああ、あなたはもう一度あっちで待っていてちょうだい」

「ええー? ってミサカはミサカはあからさまに嫌がってみたり」

「すぐ終わるから、お願い。これでジュースでも買ってなさいな」

「わかった! ってミサカはミサカはあっさり物に釣られて自動販売機までダッシュしたり!」

 芳川から、はいっと五百円玉を受け取った打ち止めは、とても嬉しそうにドアの方に駆けて行く。
 見咎めた医師が「病院内は走っちゃダメだよ」とやんわり注意すると、一転して小走りになった。
 打ち止めが部屋を出て行ったのを確認してから、芳川は改まって口を開く。

「さてと。それじゃあ、キミを呼んだ理由について話すわね」

「……理由、ねェ」

 一方通行は心底から嫌そうに反芻した。
 実を言うと、一方通行は既に芳川の頼みの内容とやらに半ば気づいていた。
 といより、ここまで露骨だと隠す気すらないのだろう。あまりにも状況証拠が揃い過ぎている。

 悪態を撒き散らしたい衝動をグッと堪えて、一方通行は暫らく芳川との不毛な会話を続ける事を許容する。
 その過程で有耶無耶にできれば、それに越した事はないからだ。が。一方通行は失念していた。芳川桔梗の、性質の悪い性格を。

「キミにはあの子を預かって欲しいの」

「寝言は寝て言えクソヤロウ」

 殆ど反射的に言い捨てながら、一方通行は切に思う。
 そうだった。こいつに物事の順序を期待する方がバカだったと。
 芳川は打ち止めとは別の意味で、言いたい事をはっきりくっきり躊躇無く言うヤツなのだ。

「あら? キミ、さっき何でもするって言っていたじゃない。あれは嘘だったのかしら?」

「はあァ? ンなこと言ったっけかァ? 覚えてねェなァ。記憶違いするなンざ歳なンじゃねェの?」

 バッチリ覚えているが一方通行は白を切る。
 そもそも一方通行が頷いたのは間接的に協力するという意味であって、直接的なアプローチなど以ての外。
 絶対に容認なんて出来るわけがない。そんな事になったら本末転倒で、今までの苦労が水の泡だ。

 芳川は女性にとって最大のタブーに触れた一方通行にも怒りを見せる事無く(内心ではどうだかわからないが)むしろ、その子供っぽい態度が面白いのか、微笑みを深める。それは現状の絶対的優位を確信しているかのようで、唯でさえ短い一方通行の神経を逆撫でした。

「キミが覚えていなくても、これがしっかり覚えているわ」

 そう言って芳川は、会話の冒頭からポケットに突っ込んでいた左手を引き出して、一方通行の眼前に突き付けた。

「……オイ。それ、なンだ?」

 芳川の左手には小型の箱のようなものが握られていた。
 一方通行は物凄く嫌な予感に苛まれながらも引き攣った声音で詰問する。

「見てわからないかしら? これはボイスレコーダーよ。今までの会話はこれで全」

 無論、言い切らせなかった。芳川の言葉も半ばに、ドンッ! バキッ! という破砕音が連続して室内に浸透する。
 最初の音は一方通行がスタートダッシュを切った音、次の音がボイスレコーダーを『だった物』に変えた音だ。
 ちなみに医師はくっきりと床に残る一方通行の足跡を見ながら「ここ、今は僕の名義で借りているんだけど、やっぱり修理代は僕持ちなのかな?」と微、妙に頬を引き攣らせ、呟いていた。

「ヘッ」

 どこか優越感に浸りながら一方通行は首下のスイッチを戻した。
 芳川は床に散乱するボイスレコーダーの残骸をジィと見下ろしていたが、

「――あまいわね」

 すぐに不敵な笑みを口元に刻んだ。

「あのボイスレコーダーはわたしのノートパソコンと連動していたの。もちろん今までの会話はしっかり保存されているわ。もしもキミが断わるようなら、あらゆる機関や組織へ今の会話を送りつけようと思うのだけれど。ああ、言っておくけども、この携帯のボタン一つで送信は済むわよ」

 芳川は用心してか、今度はポケット越しに携帯を握って見せた。

「……そこまでするか、てめェは」

 これには一方通行も怒る前に呆れるしかない。
 今の発言は暗に『打ち止めの身が大切なら預かれ』という一種の脅迫だ。
 万が一にでも今までの会話が流されたら、一方通行が能力的どころか精神的にも弱くなった事が万人に知られてしまう。
 そうなったら最後。陰湿な研究員達の事だから、まずは打ち止めを攫って一方通行を脅しに来るのは目に見えていた。
 元研究員の芳川が、それを理解していないわけがない。けれど芳川は何ら躊躇う事無く、一方通行に揺さ振りを掛け続ける。

「わたしはね。とっても不器用な子からあの子を絶対に護るよう頼まれているの。そのためなら手段を選ぶつもりなんてないわ。それで、どうするの? あの子を預かってもらえるかしら? もちろん、現在あの子を預かってもらっている彼女には話を通してあるから、キミの返事一つで今日から預かれるわよ」

「……ッ」

 いけしゃあしゃあと述べる芳川の態度が堪らなく憎らしい。一方通行は奥歯を強く噛み締めた。
 確かに一緒に過ごすだけなら大して問題はない。マトモな倫理観が欠如している研究所の連中なら、貴重なサンプルが利害関係の一致で行動している程度にしか思わないだろう。一方通行にとっては忌々しい事に一緒の方が安全というのは、決して的外れではなかった。

 けれど、ここで「はい。わかりました」と頷くほど一方通行は素直じゃない。一方通行にだってプライドがある。
 そんな一方通行の憮然とした態度を白い目で見ながら、芳川はあからさまに溜め息をつく。

「ふぅ……キミも本当に強情ね」

「まったくだね。よくここに送られて来る彼を思い出すよ。今度はどんな意地を張ってここへ運び込まれて来るのやら」

 それに医師も同調して、やれやれというジェスチャーをしていた。

「こんな強引な手段を使ったことは謝罪させてもらうわ。でも、これはあなたのためでもあるのよ」

「俺のためだァ? どの口がほざきやがる」

「……キミも、この数日を一人で過ごして本当はわかっているのでしょう? そうやって抱えたままじゃ、前を見る事は出来ても決して進む事はできないってね」

「ッ!!」

 抱く悩みを的確に突かれて、思わず一方通行は苦々しく顔を歪めた。

 一方通行だって、本当は気づいていたのだ。

 変わらない日常。つまらない日常。なにも無い日常。いつも通りの日常。一人だけの日常。
 数多の日常はループし続けるだけで、何時しか価値の無いものに成り下がっていた。
 それは一日だけとはいえ、価値のある日常を謳歌した一方通行にとっては拷問にも等しい。

 だからこそ、芳川の言葉が胸中で反響される。

 もう一度、あの日常が戻ってくるかもしれない。自分は、前に進むことができるのかもしれない。
 甘美な誘惑は、麻薬のように一方通行の心を侵食して、過去の決意と今の我欲の狭間で揺れ動く。
 けれど。答えなんて、誘惑に揺れた時点で決まっていた。

「……ったくよォ。ドイツもコイツも、人の気も知らねェで好き勝手に言いやがって」

 本当に、勝手なヤツらだと一方通行は悪態をつく。
 今の一方通行は自らの力を誇れない。たったの十五分。それだけの時間しか、この身はもう最強でいられないのだ。
 どこかの正義をかざす巨人のように、時間制限つきの最強になってしまった。

 今後、様々な組織が干渉してくるだろう。それら全てから打ち止めを護り切れるという確信は持てない。
 だが、現実問題として何時までも警備員に預けているわけにはいかない。

 ならば――もう一度、綱渡りするぐらいの度胸を見せてやろうじゃないか。

 芳川に向ける眼差しからは、既に迷いは消えていた。一方通行は覚悟を決めて言い放つ。

「上等だぜ。こうなりゃァ地獄の底まで付き合ってやろうじゃねェかァ、悪質教育者」

「決まりね。それじゃあ、あの子の事はキミに任せるわ。見掛けによらない熱血超能力者くん」

 二人が交わした最後の軽口の応酬を、まるで出番の無かった医師は微笑ましそうに眺めていた。




[29370] とある超能力の一方通行 第五話 ~お泊りは突然に~
Name: 黒夢◆013b61e7 ID:39f2ca70
Date: 2011/08/22 19:48

 そんなこんなの遣り取りの果てに、急遽『ドキドキ同棲生活(冥土返し命名)』を実行に移す事になった一方通行と打ち止め。
 渦中の人物である二人は既に病院を後にして、現在は横並びで大通りを歩いていた。

 あの決意表明の後、一方通行がチョーカー型電極のバッテリーを充電している間に芳川が大まかな説明を打ち止めにしたらしく、本人も自分が狙われているのは自覚していたようで、「わかった! ってミサカはミサカは即答してみたり!」という具合に至極あっさり賛同したらしい。

 仮にも姉妹を虐殺した人物との同居生活。

 普通なら躊躇しそうなものだが、生憎と打ち止めはそんじょそこらのお子様ではない。
 何せ毛布一枚で一週間、治安の悪い学園都市で路上生活を敢行し、図々しくも出会ったばかりの一方通行の家に転がり込む程のバイタリティーの持ち主だ。むしろ新生活ドンと来いと言わんばかりの意気込みで、病院内では姦しく一方通行に纏わり付いていた。

 当然、芳川も一方通行の成長を促す為だけに打ち止めを託したわけではない。

 そこにはキチンと打算も存在していた。

 実のところ、現在の打ち止めの位置づけは一方通行以上に危うい。
 一方通行は何だかで上層部の手中にあるが、打ち止めは完全に上層部の管轄を外れていたからだ。
 それに加えて警備員が行っている打ち止めの経歴調査。この二つ不安要素が繋がった時、どうなるかわかったものではない。

 悩みに悩んだ末に芳川が思いついたのは、逆転の発想。

 いっそうの事、上層部の手の届く位置にまで打ち止めを戻す。
 そうすれば研究素材としての一方通行を護るように、上層部も打ち止めへの防護体勢を整えざるを得なくなる。
 既に天井亜雄という前例がある以上、その扱いは慎重にならざるを得ないはずだ。

 場当たり的な対応である上に、統括理事会の決定如何で色々と面倒な事になりそうだが、現状これ以上の安全策はなかった。
 後は、妹達に対するほとぼりが冷めるのを待つしかない。日進月歩の学園都市だ。
 たかが実験用クローン程度、そう遠くない内に見向きもされなくなるだろう。それが芳川の出した結論であった。

 他人に命運を任せるのに一方通行は最後まで懐疑的だったが、虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。
 最終的には一方通行も渋々納得して、今はあえて状況に流されるという消極的な結論に落ち着いている。
 関係各所への通達は芳川とカエル顔の医師に任せているので、一方通行は暫らく遣る事がなかった。

 ――いや、訂正しよう。

 一方通行は、ある意味で尤も過酷な仕事を任されたのだ。
 差し当たって、それは。

「それでねヨミカワはなんていうかシリアスとコミカルのバランスがおかしくて、物凄く細かく家事をやる時もあれば普通だったりするの。それにキキョウも難しい事ばかり言ってすぐに寝ちゃうから私に構ってくれないし、ってミサカはミサカは本人達がいないのを良い事にここぞとばかりに不満を愚痴りまくってみたり」

 この、病院を出てから延々と続けられている芳川&ヨミカワってヤツへの愚痴マシンガンの聞き役だ。

 たった一週間程度を一緒に過ごしただけで、これだけの愚痴が際限無く出てくるのは不思議でならないが、かといって嫌っているわけではないらしく、所々で褒めたりもしている。心境としては惚気話を聞かされているに等しい。早くも一方通行は、打ち止めを引き取った事を後悔し始めていた。

 余談であるが、現在の打ち止めの服装は、以前の裸に毛布という特殊な性癖のお兄さんお姉さん方が好みそうな格好ではない。
 水色の薄着のセーターに、膝丈ぐらいの白いスカート。少し背伸びして黒のストッキングという年相応の服装だ。

 これが良く似合っていて、いつもワンパターンな服、というよりシャツとジーンズしか着ていない芳川が用意した物とは到底思えない。実を言うと、これらは医師が手ずから用意したものなのだが、正直どうでもいいので一方通行も大して気に留めていなかった。

 ちなみに。再確認するが、芳川の負った怪我は一方通行に負けず劣らずの重傷である。
 普通の人間である分、芳川の方が遥かにマズイはずなのだが、信じ難い事に打ち止めの話し相手になっていたらしい。
 医師として患者に無理をさせるのはどうなのかと充電中カエル顔の医師に質問してみたところ、彼も疲れた様子でこう言っていた。

「君も人の事は言えないと思うけどね……まあ、腕を切断されたのにさっさと退院したっていう例もあるし、心臓に負担を掛けなければ問題ないよ。もっとも彼女は入院してから既に三回は倒れてるけどね。実を言うと今日も朝から豪快に倒れたんだ。しばらくは無理やりにでもベッドの上での生活をエンジョイしてもらうよ」

 そんなボロボロな身体で、芳川はこの喧しい少女の相手をしていたようだ。
 とりあえず、その教育者魂だけは称賛に値する。それが一方通行の率直な感想であった。

「あ、そういえば晩ご飯はどうするの? ってミサカはミサカはお腹を空かして尋ねてみたり」

 打ち止めは一通り愚痴を言い終えると今度は飯を催促してきた。
 この神経の図太さと適応力の高さはコイツも称賛に値する。

「あァ、そういやァ飯切らしてたっけなァ。後で買ってくか」

 そもそも外に出る事になった原因(冷蔵庫の中身)を思い出して、一方通行は道中のコンビニに寄って行く事にした。その言葉を都合の良いように解釈したのか、打ち止めはカクンと首を傾げ、何気なく質問する。

「もしかして一方通行が作るの、ってミサカはミサカは小首を傾げて素朴な疑問を言ってみたり」

「…………」

 来た、と。一方通行は僅かに身を硬くした。
 八月三十一日、一方通行は同じ事を打ち止めに訊かれた。
 これも一方通行が打ち止めに会いたがらなかった理由の一つだ。
 以前に終えた、答えの決まっている問答なんて、やっても空しいだけである。

「……てめェは、俺がそンな事する人間に見えンのか?」

 どうせ返答はわかっている。けれど、ここで答えないのも不自然なので、一応前と殆んど同じように一方通行は返した。
 当然、打ち止めは前と同じような事を――

「ううん全然、ってミサカはミサカは間髪入れずに即答してみたり。むしろ一方通行を見て料理が出来ると思う方がおかしいと思うよ、ってミサカはミサカは偽りのない本心を曝け出してみたり」

 ――どうやら、同じ問答を繰り返すという心配は無くなったようだ。むしろ、こっちの方がマジで本心っぽいし。
 コイツにはどっちの立場が上かわからせてやる必要があるのだろうか。一方通行は真剣に検討し始めた。

「…………」

 とりあえず、このグツグツと煮え立つ感情を静める為に一方通行はチョーカーのスイッチを切り替える。
 クリアになる思考に満足したところで、次いでとばかりに傍らの電灯を軽く殴ってみた。

 殴られた電灯はグニャリと飴細工のように折れ曲がったが、一方通行に公共物を破損させた罪悪感は微塵もない。
 イラッとした感情を怪我人も出さずに収められて、むしろ内心では自画自賛しているぐらいだった。

 偶然、その蛮行を目撃してしまった『念話能力《テレパス》』の風紀委員の少女は容貌から相手が一方通行である事に気づき、蒼褪めた顔で注意するか、警備員に連絡するか、見なかった振りをするかのライフカードを手に悩んでいたが、結局は思い出の一ページとして永遠に胸の内へ仕舞い込む事にしたらしい。職務放棄のような気もするが、まあ賢明な判断だろう。

 これを誰よりも間近で見ていた打ち止めはというと、

「ごめんなさい申し訳ありませんすみませんでした! ってミサカはミサカは反省の三段活用で物凄く下手に出てみたり」

 なんだか取引先に赴いたサラリーマンのような殊勝さで何度も頭を下げていた。
 一方通行としては狙ってやったわけではないのだが、予想外の効果があったようである。

「あァ、なンかもォ色々とめんどくせェし、どっかで食ってくかァ」

「あ、それならここがいい、ってミサカはミサカは目に留まったお店を指差してみたり」

 いい加減疲れてきた一方通行が投げやりに呟くと、打ち止めは喜々して一軒の店を指差す。
 気怠げに一方通行が首を向けると、そこには昼間のファミレスがあった。

「…………」

 思わず一方通行は口をへの字にして閉口する。
 気まずい。物凄く気まずい。いくら一方通行がそういった事を気にしない性格とはいえ流石に気まず過ぎる。
 昼間あれだけの事があったのだ。店員はもちろん一方通行の顔を覚えているだろう。
 それが小学生ぐらいの女子を連れて出戻りしたとなれば、もれなく動物園のパンダの気分を味わう事になるのは確実だ。

 以上の理由により、却下と言おうと一方通行は打ち止めの方に振り向くが、何故かそこにピョコンと立ったアホ毛の姿を確認する事はできなかった。

「あン?」

 まさかあの一瞬で連れ去られたのかと一方通行は若干焦りながら周囲を慌ただしく見渡す。しかし、その心配は杞憂に終わった。
 何故なら、あのファミレスの窓際の席に座って、陽気に手を振ってやがるクソガキ一名を発見したからだ。

 なるほど。どうやら打ち止めは研究機関に連れて行かれて実験動物として扱われるよりも、これからの同居人によってそのお気楽思考を調教される道を選んだようである。一方通行は心底嫌そうに脱力しながら、ノロノロとファミレスに向かった。










「う~痛い~、ってミサカはミサカは頭を抑えて思わず涙目になってみたり。あっ! タンコブになってる!? ってミサカはミサカは衝撃の事実に気づいて膨らんだ箇所を優しく撫でるの」

 目を丸くする昼間のウエイトレスの視線を振り払って一直線に打ち止めの下まで向かった一方通行は、とりあえず何かを言い出す前に拳による修正を加えてやった。もちろん目の前で悶える打ち止めは無視だ。ほんの少しだけ鬱憤の晴れた一方通行は打ち止めの対面に座り、テーブル上に広げられていたメニューに視線を落とす。

「オイ、何が食いたいンだ、クソガキ」

 一方通行は頬杖を付きながら乱暴な口調で問い掛ける。
 八月三十一日に訪れた際には一方通行の料理が遅れて運ばれて来たせいで打ち止めは冷めた料理を食べる事になった。
 その教訓を踏まえて、今回は打ち止めが頼む料理と同程度の手間で出来る料理を注文しようと一方通行は考えていた。

「あっ、もう一緒に注文しちゃったよ、ってミサカはミサカは頼んだ料理をビシッと指差してみたり」

 けれど、そこは打ち止め。一方通行の思惑を斜め上に狂わせる。
 クドイ様だが、その神経の図太さを一方通行は改めて称賛して遣りたくなった。
 改めて何もかもが嫌になった一方通行は両手を投げ出してぼんやりと天井を仰ぐ。

「でも意外だな、ってミサカはミサカは唐突にポツリと呟いてみたり」

「あン?」

「アナタが私を引き取ったこと、ってミサカはミサカは単刀直入に言ってみたり。理由は芳川の話で納得したけど、そもそもどうしてアナタはミサカを引き取ってくれたの、ってミサカはミサカは率直に疑問をぶつけてみる」

 本来、妹達は一方通行を『無敵』にする為だけに製造された使い捨ての実験体に過ぎない。確かに一方通行は実験の際に不自然な言動を取る事が多かったが、だからといって打ち止めを引き取り、あまつさえ護る理由にはならないはずだ。打ち止めは見た目にそぐわない冷静な思考でそう結論付けていた。

 尤も。一方通行にしてみれば、この問い掛けは愚問以下の笑い話である。

 一度命を懸けてまで護った相手を再び護るのに、ご大層な理由なんて必要ないだろう。
 問題なのは打ち止めが記憶を失っていて、その事実を知らないことだ。
 はてさてどう答えたものかと一方通行は数秒ほど悩んだ末に、

「暇つぶしだナ」

 結局パッと思い浮かんだのを言う事にした。
 あながち嘘でもない。三割ぐらいは本気だった。

「うわーい、なんだかミサカは手頃なペット扱い、ってミサカはミサカはちょっぴり切なくなってみたりするけどあっ、きたきたやっときた、ってミサカはミサカはウェイトレスさんを期待に満ちた目で見つめてみたり」

 どうやら最低限の常識ぐらいは叩き込まれていたらしく、打ち止めは以前のようにウェイトレスを指差す事はなかった。
 というか、何故かまたあのウエイトレスだ。どうやらこの店は少女を一方通行への親善大使に任命したらしい。
 次々に並べられていく料理は温かそうな湯気が出ていて、その度に打ち止めの瞳は喜色に輝いていく。
 全ての料理が並び終わると打ち止めはよりいっそう嬉しそうに頬を緩め、一方通行の顔をニッコリ見やった。

「いただきまーす! ってミサカはミサカはにこにこしながら言ってみたり!」

 二人同時に料理が運ばれて来たので、今回は打ち止めが冷めた料理を食べる事はなかった。
 食事中、打ち止めは「その怪我はどうしたの」とか「実験の時と比べて丸くなってるね」だの色々と話しかけてきたが、一方通行はその全てを言葉巧みに誤魔化していた。










 そうこうしている内にあっという間に時間は過ぎて、気がつけば二人は食事を終えていた。

「ごちそうさま! ってミサカはミサカはほくほく顔で満足してみたり」

「…………」

 ごちそうさま。
 なんら他愛のない食後に言う言葉。
 あの時は言うことができなかった、言葉。

 それを打ち止めはこうして言う事ができている。一方通行は改めて、この少女を護ることができたのだと実感した。
 すると妙に心地がいい感慨が胸の中を埋めていき、邪気の無い笑みが薄らと浮かぶ。

「…………ごちそうさン」

 だからか。普段は言わない言葉が自然と零れ落ちた。
 打ち止めは目を丸くしたが、直ぐに「うん! ごちそうさま!」と笑顔で繰り返した。

 食事が終わった以上ここに留まる理由はなく、一方通行が先行してレジに向かう。
 予想はしていたが、そこにいたのはまたもあの少女だった。だが、そんな事など気にもせずに一方通行は財布から五千円札を一枚取り出してレジ台に置く。わざわざ少女が両手を差し出しているにも関わらずこうした行動を取る辺り、やはり相当に性格が捻くれている。

 少女は差し出した両手を見て、僅かにドンヨリとした空気を背負うが、気を取り直すと直ぐに会計を行った。
 そしてお釣りを一方通行に差し出して、ここでようやく一方通行から声が上がる。

「ン? オイ、払ったより釣りが多いってェのはどう考えてもおかしィンじゃねェかァ?」

 返されたお釣りは今出した五千円札に加えて、どう見ても六千円ほど増えていた。
 この店は出した金額を倍以上にして返す奇特な習慣でも取り入れたのか。
 それとも○○人記念などにでも当たったのだろうか。首を捻る一方通行にウエイトレスは我が意を得たりと嬉しそうに微笑む。

「あ、お昼に渡せなかった分のお釣りですので気になさらないでください」

「……ありゃ迷惑料も入れてたンだがな」

「それなら大丈夫です。これは店長に言われたことですから」

 チラッと逸れたウエイトレスの視線を追うと、物陰に隠れた30前後の男性がビシッと親指を立てていた。
 一方通行と視線が合うと、何食わぬ顔で仕事に戻ったが。

「……ならいいけどよォ。その割りにはちょっとばかし少ねェンじゃねェか?」

 あの時、一方通行は一万円を出した。
 少なくとも、高々あれだけの食事で四千円も掛かるのはおかしくないだろうか。
 すると少女は心底驚いた顔をして告げる。

「それなら相席していた常盤台中学の人がお客様の奢りだと言っていたので、一緒に会計を済ましたのですが……え? もしかして違うんですか?」

 犯人を教えてくれた。
 とりあえず、今度会ったら軽く泣かす事を誓う。

「なら、あの後のデザートも……」

 ――訂正。号泣させた後、写真を撮ってばら撒く事にしよう。

 一方通行は硬く決意した。










 コンビニに寄って数日分の弁当とその他諸々を購入した二人は、今度こそ帰路についていた。
 相変わらず一方通行の傍らを歩く打ち止めは何かをぶつぶつと呟いているが、少し耳を傾けてみよう。

「えーと、こんなか弱い女の子に荷物を全部持たせるのは人としての道徳からしてどうかと思うなー、ってミサカはミサカは無駄だと知りつつそれでも文句を言わずにいられなかったり」

「黙って歩け」

「うわーい、むしろこれが当たり前のように切り捨てられちゃいました、てへ、ってミサカはミサカは半ば諦めながらも世の中の理不尽さを嘆いてみたり」

 近所の迷惑なんて埃の塵ほども考えていない二人の騒々しい会話は真夜中の路地裏に響き渡り、気がつけば学生寮に着いていた。
 一方通行にとっては忌々しい事に内容こそ同じだが明らかに違う会話イベントを消化しながら階段を上がって行く。
 そうして住居である三一一号室の前まで到着したところで、思わず一方通行は呻いた。

「オイ……なんだァこりゃ?」

 別に、八月三十日の時のようにドアが無かったわけでも、破壊されていたわけでもない。むしろその逆だ。
 何故かデコボコに歪んでいたドアは新しいのに取り替えられて、ちゃんと金具で固定されている。
 ついでに見慣れない表札もあった。これだけならさして何の問題も無い。むしろラッキーで済ませてやっても良い。

 何より問題なのはその表札がハートマークで、


 【一方通行・打ち止め】


 と書かれている事だった。字面が妙に達筆なのもイライラさせる。
 今の御時勢で手書きの表札を造るとは、見上げた根性の持ち主であった。

「おお、なんだか新婚さんみたい、ってミサカはミサカは乙女の夢に想いを馳せてみたり」

「…………」

 とりあえず後ろの方で何かを囀っているバカは置いといて、一方通行は首下のスイッチを無言で切り替える。
 ユルリと伸ばす手先の向かう場所は、もちろん渦中の表札だ。

 バキッと。

 一方通行は躊躇なく、それはもう跡形も残らないよう徹底的に粉砕した。

「……なんだかそこまで露骨に拒絶されるといくらミサカでもちょっぴり傷ついちゃう、ってミサカはミサカは座り込みながら床をぐりぐりしていじけてみたり」

 後ろのそれを再び無視する。一方通行にとって最重要なのは、こんなセンスの欠片も無い冗談を仕掛けた相手に死の鉄槌を下してやる事と、何故か直っているドアの謎を解明する事だけだ。

「…………」

 棒立ちになっているのもバカらしいので、とりあえず中へ入る事にした。

「あ、ミサカもミサカも!」

 慌てて打ち止めも立ち上がり、コンビニの袋を両手に抱えて一方通行に続いた。

「……どうなってンだ、こりゃァ?」

 一通り室内を見渡すと、一方通行は珍しくわけがわからないと言いたげな表情でポツリと呟く。
 驚くべき事に室内は目に付く殆んどの損傷が見事に修復されていた。
 誰がどう見てもプロの仕事だ。もちろん一方通行に心当たりはまったくない。

「ねぇねぇこれ一方通行宛てになってるよ、ってミサカはミサカはテーブルの上に置いてあった手紙を律義にも一方通行に届けてあげたり」

 打ち止めがパタパタと一通の手紙を持ってきた。
 受け取って見ると確かに『一方通行へ』と書かれている。
 開いてみると、そこにはこう書かれていた。


『もしかしたら、この手紙を読んでいる頃にはまだ工事が終わっていないかも知れないけれど、その時はくれぐれも業者の人達を追い出さないように注意してちょうだい。簡単に説明すると、キミは今日わたしに呼び出されてあの子を預かることになっていたから勝手だけど部屋の修理をさせてもらったわ。仮にも女の子が一緒に住むことになるのにいつまでもドアが壊れたままなのは無用心でしょうから。まあ、キミがいれば関係ないかも知れないけれど。ああ、それと表札は気に入ってもらえたかしら?
 これからのキミとあの子の関係を考えたらピッタリだと――――』


 グシャッ。

 そこまで読んだところで一方通行は読み掛けの手紙を握り潰す。
 はっきり言って、何の前触れも無く無表情で手紙を握り潰す様はかなり怖い。
 案の定傍らにいた打ち止めはビクゥッ! と身体を震わせて、恐る恐る顔を俯かせたままの一方通行に戸惑いがちに声をかける。

「えと、あの、もしもーし、ってミサカはミサカは呼び掛けてみるんだけどっていうかなんか怖い」

「…………」

 一方通行は何も言わない。
 漏れ出しかけているドス暗い瘴気だけが一方通行の心情を如実に物語っていた。
 最初から最後まで芳川の掌の上で遊ばれていたらしい。その事実に彼は表情筋を強張らせる。
 今日一日にあった全ての出来事が芳川のせいで起こったようにすら思えてきた。

 一方通行は笑った。
 愉快そうに。嬉しそうに。声を出さずに笑った。
 彼の中で、何かが音を立てて切れた。

「……面白ェよ、芳川。まさか、最強の俺様をピエロ扱いするたァな――上等だよ、オマエ」

 この瞬間、一方通行は本当の意味で吹っ切れた。
 こんな茶番劇の幕はさっさと下ろしてやろうと。その障害となるモノは須らく粉砕して踏み潰すと。
 そして何より、芳川には地獄と言わず奈落の底まで付き合ってもらおうと。一方通行は決心した。










 落ち着きを取り戻した一方通行は、ソファに腰を下ろしてテレビを見ていた。
 入れているチャンネルは学園都市で今日起こった出来事を伝えているが、一方通行は特に関心も無く聞き流していた。
 不意に立ち上がると台所の冷蔵庫から缶コーヒーを取り出す。買い物をしてきたおかげで冷蔵庫の中は朝のように缶だけという寂しいものではなく、レトルト食品と若干のジュースがこれでもかと詰め込まれている。

 今は打ち止めがシャワーを浴びており、ニュースキャスターのつまらない声と相まって水音が耳朶を打つ。
 若干聞き覚えのない機械音が雑じっている気もするが、隣の住人が何かをやっているのだろう。

 こういった状況の場合、某最弱の少年なら耳を押さえて必死に胸中の熱い滾りを抑え込もうとするのだろうが、前にも述べた通り一方通行にはそんな甘酸っぱくもほろ苦い思考回路は備わっていない。故にこんな事で動揺するほど貧弱なボーヤではなかった。それに、こう言っては何だが一方通行は既に打ち止めの裸をそりゃもうはっきりと舐める様に見たことがある。

 一方通行は缶コーヒーをグビグビと飲みながら再びソファにドカッと座り込み、碌に見もしないニュースを入れっぱなしにして珍しく寛いでいた。別に今までの散らかった部屋でも一向に構わないが、そこら辺は気持ちの問題だ。意外にも真っ当な感覚の持ち主である彼としては、やはり綺麗な部屋の方が落ち着き易いかった。

 のんびり時間を潰していると、不意にユニットバスの扉がガチャリと開いた。その音に反応して一方通行は時計を横目で確認する。ボケッとしていて気付かなかったが、打ち止めが入ってからそれなりの時間が経過していた。自然に一方通行の視線はユニットバスの方を向く。そこには当然のように打ち止めが立っていた。


 ――何故か、バスタオルを一枚だけ体に巻いた状態で。


「……何だァそりゃ?」

 思わず一方通行の頬が引き攣った。
 クセっ気の目立つ茶色風の髪は水気を帯びて、仄かに上気する頬にピッタリ張り付いている。バスタオルの隙間からは健康的な肌が覗いていた。モジモジといじらしく上目遣いに恥らう様は見た目にそぐわない危険な色気さえ醸し出している。まったく以って、理解不能の状況であった。

(オイオイ何だァこの展開は。いくら何でもいきなり過ぎやしねェか? ってーかコイツ俺の記憶なくなってンじゃねェのかよ。それとも何か? またあのヤロウが変な入れ知恵でもしやがったのか? ……マジでありえンな。そもそも俺にそっちの趣味はねェぞ)

 流石にこの状況で一方通行が冷静でいられるかと言えば、残念ながらNOと答えざるを得ない。
 それは三大欲求の一つに直結するものではなく、その裏に隠された他者の思惑を思案する為だ。
 一方通行ならば例え大人の女性の肢体を不意打ち気味に見せられようと、何の感慨も持たずに堂々としているだろう。

 そういうわけで、一方通行はコイツにとって自分は子供に欲情する変態と思われているのかと若干ブルーな思考を廻らせる程度の余裕はあった。しかし、そんな暴走した一方通行の思考も、次の打ち止めの言葉で解決する。

「あの~、服を貸してもらえるかな、ってミサカはミサカはお願いしてみるんだけど……」

「……あァー」

 そういえば、と一方通行は思い出した。
 急に決まった事なので仕方ないが、打ち止めは病院から何も持たずにここへ来た。
 普段、ヨミカワとかいうヤツとの生活で使っている服はもちろん、当然寝巻きなんて用意しているはずがない。
 どうやらここまでは芳川も気を回さなかったらしい。それは一方通行も同様だ。

「生憎と俺は必要最低限の服しか持ってねェからな。オマエに貸してやれる余裕はねェ。今日のヤツをもう一回着るンだな」

「……洗濯しちゃったの、ってミサカはミサカは日頃の習慣をちょっぴり恨んでみたり」

「…………」

 なるほど。さっきから聞こえている機械音はそれかと一方通行は納得した。
 洗濯なんて面倒な事はクリーニング業者に丸投げしていたので、まったく気づかなかった。

「ううー……このままじゃミサカはバスタオルだけで寝る事になっちゃうの? ってミサカはミサカは最近ドラマで見た男女二人一つ屋根の下な展開に加えられた新たな要素に身の危険を感じて仕方ないんだけど……」

「さっさと寝ろ、マセガキが」

「うわーい、何だかよくわからないうちに身の安全は保障されたけどミサカはミサカは何でかちょっぴりやり切れなかったりするの」

 喧しく喋っている打ち止めを無視して、一方通行はソファから立ち上がるとユニットバスに向かう。
 色々と精神的にくる日だったので、今日ぐらいはゆっくり入りたかった。
 後ろでニュースキャスターが『公園に謎の大穴が』なんたらかんたらと言っていたような気もするが、疲れ果てた一方通行にはまったく以って関係の無い事であった。










 珍しく長湯をした一方通行はタオルを片手にユニットバスを出た。
 流石に余分な水分を飛ばす為だけに貴重なバッテリーを消費するのは馬鹿らしいため、手作業で身体を拭く。
 思い返すと、今日は結構くだらない事に能力使用モードを使いまくった気がした。今後は注意が必要かと一方通行は留意する。

 ちなみに一方通行は寝巻きなんて無駄な物は持っていないので、まったく同じ普段着に着替えるだけだ。
 なお、今日から同居人となった打ち止めは一方通行のベッドの上で毛布に包まり、スヤスヤと気持ちよさそうな寝息を立てていた。

「…………」

 一瞬、一方通行は蹴り落としてやろうかと脚を振り上げるが、打ち止めの現在の状態を思い出して断念する。
 仕方なく、彼は何時かのようにソファへ寝転がった。

(ったく……こりゃ明日は買い出しだな。クソ面倒臭ェ)

 久しくしていなかった明日の予定を想像して一方通行は人知れず、だが確かに笑いながら眠りについた。




[29370] とある超能力の一方通行 第六話 ~積み重なる出会い~
Name: 黒夢◆013b61e7 ID:39f2ca70
Date: 2011/08/23 00:31
 人生には『出会い』と『転機』が溢れている。

 常人には想像し難い壮絶な半生を過ごしてきた一方通行が、最近になって切に思う事であった。
 どんなにつまらなく、どうでもよく、くだらない些細な出会いでさえ、それは今後の人生を変える転機に成り得る。
 出会いとは人に限らない。誰某によってはモノであるかもしれないし、あるいは形の無いモノかもしれない。

 良かれ悪しかれ、これまでの自分の殻を破る可能性を秘めたモノとの出会いは、意外に有り触れているものだ。

 その規模が少しばかり一方通行は他者よりも大きく、険しかったが、程度の差こそあれ、誰しもが経験する事に過ぎない。
 重要なのは、人生と言う名のレールの分岐点に立った時、どういった行動を、選択を取れるかだ。
 分かり易く、一方通行の半生を参考に幾つかの例え話でも挙げてみようか。

 もし。一方通行が最強の能力を自覚した瞬間に世界の全てを滅ぼそうと考えていたら。

 もし。一方通行が『妹達《シスターズ》』を用いる『絶対能力《レベル6》』進化実験を断っていたら。

 もし。実験の最中に最弱が乱入して来なかったら。仮に乱入してきたとしても一方通行が敗北しなければ。

 もし――目の前でハンバーガーを頬張っている打ち止めと、あの夜の路地裏で出会わなければ。

 たった一人の人生を省みても、これだけの『IF』で溢れている。

 それらは全て、在りえたかもしれない可能性。
 芽吹く事無く、埋没してしまった未来の種子。今よりも良い結果に繋がったかも知れない羨望の夢。
 過去を後悔しない人間なんていない。常に最高の結末を選択できる人間なんて、いるわけがないからだ。
 それでも間違ってしまった今を認めたくなくて、素晴らしい過去に手を伸ばす者は枚挙に遑がない。

 けれど。それに如何程の意味があるのか。子供が叶わぬ夢を見るのと何が違うと言うのか。

 どれが間違っていたとか。どれが正しかったとか。そんなものは本来存在しないはずなのだ。
 何故なら、今の『自分』はこれまでの『出会い』や『転機』によって成り立っているのだから。

『こんなはずじゃなかった』世界を渇望しようと。

『こうなってしまった』世界を否定しようと。

『ここにいる』自分自身を否定する事だけは絶対に出来やしない。

 転機に於ける、たった一つの選択の違い。けれど、その隔たりはあまりにも大きい。
 出会いを。選択を。後悔するのは『別の自分』になってしまった『別人』への憧れや嫉みに過ぎないのだ。

 一方通行は何度も思った。何度も何度も思い続けた。

 どうしてあの時アレをやった。

 どうしてあの時コレをやった。

 どうしてあの時ソレをやった。

 どうして。

 どうして。どうして。

 どうして。どうして。どうして。

 どうして。どうして。どうして。どうして。

 どうして。どうして。どうして。どうして。どうして――

 子供同士の些細なトラブルから始まった急転直下の地獄巡りは、確実に一方通行の心身を疲弊させていった。
 破壊しないように細心の注意を払っていた世界が、あまりにも醜悪過ぎて、より冷徹に心を閉ざした。
 目的らしい目的も無くなって、流されるままに生きて――遂には取り返しのつかない過ちまで犯してしまった。

 一方通行に残されたのは、稀代の虐殺者という拭い様のない罪過だけ。
 けれど。どんなに落ちぶれようと『出会い』や『転機』は万人に等しく訪れる。

 思えば。一方通行が最弱に敵意を燃やすのは、自身では逆立ちしたって出来ない事をあっさり行える強い意志に嫉妬しているだけなのかもしれない。

 思えば。一方通行が打ち止めを護ろうとしたのは、自身の境遇に決して嘆くことなく、どこまでも愚直に前だけを見続ける強い姿に憧れた為かもしれない。

 この二人との『出会い』と『転機』のおかげで、一方通行はようやく気付くことができた――怪物扱いされてきた自分が、まだ人間であったことに。















 九月十日。

 今年は冷え始めるのが早いのか、今日は例年に比べて異常に肌寒い。
 その為か、街中には厚手の上着を羽織る若者達の姿が目立っていた。
 天気予報によると異常気象はまだまだ続くらしく、明日も気温は二十度ほどらしい。

 その反面、一週間と数日後に迫った学園都市総出の大規模体育祭、『大覇星祭』当日には暑苦しいほどの快晴を地表に見舞ってくれるというのだから、何とも気が利いている。熱血体育会系、若しくは「根性ーー!!」が代名詞の根性バカなら兎も角、大半の学生は茹だるような日差しの中、汗だくになって青春を謳歌するよりも、涼しい木陰で惰性な昼寝を貪る方を選択する事だろう。

 特に高レベル能力者が主役に成り易い『大覇星祭』に於いて、低レベル能力者のヤル気は底辺を彷徨っている。
 何処かの高校のように、ロリ教師の涙で根性無しから一転、猛者に変貌するクラスなんて稀なのだ。
 尤も。そもそも『大覇星祭』に参加する気がゼロの一方通行には関係の無い話なのだが。

 現在、一方通行は長方形のテーブルに頬杖をついて窓の外を見ていた。時刻は夕方を二時間ほど過ぎて、既に夜。

 今まで弱々しくも健気に地表を照りつけていた太陽は地平線の彼方に貌を隠して、立ち並ぶ店頭の明かりや点々とした街灯が暗い夜空を燈している。この時間帯になると完全下校時刻に追い立てられ、急ぎ足で帰路に着く学生の姿が多く見受けられた。どうやら寒さも本格的になってきたようで、行き交う人々は冷たい外気に身を縮めている。ちなみに一方通行も夏場の服から冬服にシフトしている。二十四時間適温適度に保たれていた昔なら兎も角、今は寒さも人並みに感じるのだ。

 さて、そんな一方通行だが、どうも何時もと様子が違う。
 窓外に向ける真紅の瞳は焦点が定まっておらず、体躯からは活力というか生気というか、あらゆる気力が抜け落ちている。まるでガラス越しに飾られた人形のような有様であった。現在地は昨日二度も行く羽目になったファミレス――ではなく、世界にその名を轟かせる有名ファーストフード店である。某ハンバーガーショップを思い浮かべてもらえればいいだろう。

「……はァ」

 不意に一方通行は深い溜め息を吐いた。
 いい加減、現実からの逃避行にも飽きたのか、気怠げに見たくもない連れの方を見やる。

 まず目に映ったのは当然の如く打ち止めだ。ついさっき一方通行が買ってやったばかりの清楚な白のセーターはシンプルでありながら良く似合っていて、膝丈まである淡い水色のスカートと良くマッチしていた。これで御淑やかな振る舞いの一つでも見せれば、金持ちの令嬢さながらである。尤も、幸せそうに頬張る庶民の味方、ハンバーガーによってそんな幻想は粉々に粉砕されているわけだが。これでは令嬢よりも先に、愛くるしいリスを連想させるだろう。

 まだ僅かな時間しか過ごしていないと言うのに、一方通行の心労ランキング断トツ一位の傑物、打ち止め。

 けれど幸か不幸か、今回の気苦労の種は打ち止めではない。いや、この場合は素直に不幸なのだろうが。
 一方通行はそのままさらに視線をスライドさせて、大きな買い物袋の隣にちょこんと座っている人物を見やった。
 その人物を一言で表すならば、この言葉を措いて他にない。


 ――――巫女さんだ。


 一言も喋らず、黙々と無表情にハンバーガーを処理していく件の少女。
 腰元まである艶やかでサラっサラな黒髪をストレートにしていて、容姿だけなら日本の古き良き大和撫子そのものであった。
 それでいて紅白の巫女装束を隙無く着込んでいるのだから、これはもう誰がどう否定しようと完璧に巫女さんである。
 外国からの観光客が見たら記念撮影を強請られるのは間違いないレベルの完成度だった。

「…………」

 一方通行は不本意ながら特異な人物を多く見てきた。

 殺される為だけにクローンとして生み出された妹達。

 不可解な右手を以って彼に初めて敗北の苦汁を舐めさせた最弱。

 選ばれた超能力者でありながら、一方通行とは真逆の道を歩む御坂美琴。

 実験に関わった研究員のクセに甘く、けれども決して優しいとはいえない芳川桔梗。

 全ての元凶。知らず知らずのうちに世界の終わりの引き金を引こうとした天井亜雄。

 見た目に反して超絶的な腕を持つ名医中の名医、『冥土帰し』の異名を持つ医師。

 昨日、美琴と一緒にいた物好きで変態の風紀委員。名前は、確か白井黒子だったか。

 そして路地裏で衝撃的な出会いを果たし、あの時の記憶を全て失った打ち止め。

 そこまで顔見知りを脳内に列挙したところで、一方通行は内心で苦々しげに呻く。

(……マトモなヤツが一人もいねェ)

 類は友を呼ぶ。

 一瞬、一方通行の脳裏にそんな不愉快ワードが過ぎったが、すぐさま頭を振って追い払う。
 兎に角、そんな彼等を踏まえて見ても、この少女は変人度で劣っていない。

 短い間ではあるが、少女の道楽に付き合わされた彼の率直な感想である。

 そもそも科学の最先端を素で行く学園都市内で宗教関係の服を着ている人間にマトモなヤツなどいるわけがない。
 洗濯している制服の代わりに巫女服を選ぶ。そんな事を臆面も無く吐けるセンスも斜め上に突き抜けている。

(……そういやァ昨日のアイツは何だったンだァ?)

 不意に。一方通行は昨日、最弱と一緒にいた少女を思い出した。
 あの時は最弱を前にして些か冷静さを欠いていた一方通行たが、今にして思えばアレもおかしいと今更ながら気付く。

 白の修道服を着込んでいたのは――まあ、実際にこうして巫女装束を標準装備しているヤツが目の前にいるのだ。思うところはあるが、百歩譲って見逃してやろう。だが、所々を安全ピンで留めていたのはなんでだ。そもそも最弱とはどういう関係だったんだ。普段ならどうでもいいで済ましてしまうような事が、一方通行はどうにも気になって仕方がない。まるで近い将来、その関係で厄介ごとに巻き込まれるかのような、そんな嫌な予感に襲われていた。

 尤も。

「……もう一個」

 現在進行形で厄介ごとに巻き込まれているのだから、そんな予感も今更な気もするわけだが。

「あァ……やべェ。なンかもォほンっとどォでもよくなってきたわ」

 四個のダブルバーガーを平らげたにも関わらず、なおも催促する巫女さんに一方通行は財布を投げ付けながら、なんでこうなったのかと今日一日の出来事を遡り始めた。










 一方通行にとって不運な一日の目覚めは、いつも通り窓から差し込む日照に当てられてだった。
 どうやら、この目覚まし代わりの日差しは、ベッドで寝ようがソファで寝ようが大して変わらないらしい。
 怨敵の存在を無意識の内に感知した一方通行は、何とか光明から身を隠そうと身動ぎするが、所詮は狭いソファの上。
 まな板の上の鯉に過ぎない一方通行では到底、逃げ切れるものではなく、数分後には薄っすらと真紅の瞳が見え隠れしていた。

 まだまだ眠気が覚め切らない朦朧とした頭で見上げる天井は、純白の壁紙で一新されている。
 次いで、窓の方にゆっくり視線を向けると、普段は閉め切っているはずのカーテンが何故か全開にされていた。
 その先に見えるのは、背の高い建造物の外壁と、所々に白を織り交ぜた青空。そして日にちは学生達にとっては安楽の休日。
 外出するには絶好のコンディションである。尤も、この部屋の主たる一方通行にはどうでもいいことだ。

 ただ、いつものようにつまらない日常を繰り返すだけ――

(――あン? いつもの?)

 そこまで考えて、はたと一方通行は何か大切な事を忘れているような気がした。
 しかし、寝起き直ぐの彼の思考能力は通常時とは比べる事さえ憚れるほどに低性能と化す。
 案の定、一方通行は碌に検討もせずに無意味と結論付けて、身を襲う欲求に任せて再び寝入ろうとする。

 だが、その時。いきなり何者かの顔が、ニュっと一方通行の眼前に現れた。

「あ、ようやく起きた。おっはようー! ってミサカはミサカはニコニコしながら気持ちの良い朝の挨拶をしてみたり。って、あれ? もしもーし。もしかしなくても一方通行ってば寝ぼけてるよね? ってミサカはミサカは一方通行の意外にお茶目な一面に驚いてみたり」

 ソファに寝転がる一方通行の視線に合わせる為だろうか。
 昨日から居候となった打ち止めは身を屈めて彼の顔を覗き込み、焦点の定まっていない瞳に疑問の声を投げかけた。

「…………」

 対して朝に滅法弱い一方通行。
 はっきりしない意識の中で、今もっとも重要な要点だけを彼の頭脳は列挙していく。

 一つ。今日は窓の外に見える爽やかな天気とは裏腹に寒い――ような気がする。

 一つ。ソファで寝ていた為、身体を覆う布団や毛布は何一つとしてない。

 一つ。目の前にはちょうどいい具合に気持ち良さそうなセーターを着た打ち止め。

 結論。確保。

「…………」

「え? その手はなに? どうしてミサカの腕を掴むの? なんで引っ張るの? ってミサカはミサカは控え目に聞きながらも抵抗するんだけどま、待ってダメそんなに強く引っ張らないでミサカ達まだそんな関係じゃってぎゃあああああああ……!」

 何やら聞き苦しい悲鳴が聞こえたような気もしたが、今の彼にそんな瑣末事なんて正しくどうでもよかった。
 こうしてちょうどいいサイズの抱き枕(何故か動いているが、もちろん無視)を手に入れた一方通行は、先程よりも幾分か安らかな表情で再び夢の国へと旅立っていった。










 結局、一方通行が再び目を覚ましたのは、それから一時間後の事であった。
 腹の虫に蹴り起こされた一方通行は、寝ぼけ眼で壁に引っ掛けられた時計の針の位置を確認する。

(十時……俺にしちゃァずいぶン早起きだな)

 二度寝(実際は三度寝)の誘惑は当然あるが、まずは腹を満たすのが先だと思い立ち、とりあえず身体を起こそうとする。

「ン?」

 そこでようやく、一方通行は自分が何かを抱きしめている事に気が付いた。
 ちょうど良く腕に収まる位のサイズで、ポカポカと暖かく、何よりもプニプニとして柔らかい。
 なんだ? と疑問符を浮かべながら一方通行は視線を下ろす。

「……なにやってンだ?」

 色々と問い質したい事はあるが、とりあえず。一方通行は、何故か寄り添うようにして自分の胸板に顔を埋め、耳の先まで茹でタコのように真っ赤に染まった打ち止めに声をかけてみた。ちなみに腕のロックは解除されておらず、未だに二人は抱き締め合っている。

「……うう、ミサカ、もうお嫁にいけない」

 力無く呟く打ち止めの言葉がヤケに印象に残る、ささやかな朝の一幕であった。
 それから十分後。二人はテーブルを挟みながら向かい合う形で椅子に座り、手元に置かれたレトルト食品を食べていた。
 予断だが、これらを買う際、一方通行は無駄だと思いつつも打ち止めに料理は出来るのか尋ねたところ、

「無理だよ! ってミサカはミサカは自信を持って断言してみたり」

 という力強い返事が返ってきた。
 端から期待していなかった一方通行としては割かしどうでもいいのだが。

 しかし、よくよく話を聞く限り、料理自体は覚えようと思えば覚えられるらしい。

 ヨミカワの所では必要の無いスキルだったので、あえて覚えようとはしなかったとも言っていた。
 一方通行は記憶を探る。そういえば昨日の愚痴の中に、ヨミカワ家では掃除洗濯は手伝っていたが料理は滅茶苦茶過ぎて手伝えなかったと言っていたような気もした。聞き流していたので何が滅茶苦茶なのか殆んど記憶に残っていないが、炊飯器というキーワードが何故か耳にへばり付いて離れない。大量の白米でも炊いていたのだろうか。

「それにしてもよく寝てられるよね、ってミサカはミサカは感心してみたり」

「あン?」

 急に話を振られた一方通行はレトルト食品から顔を上げる。
 朝っぱらから冷凍ハンバーグを頬張っている打ち止めは幸せそうな笑顔のまま話し始めた。

「詳しい事は知らないけど、今の一方通行って能力の使用が制限されてるんだよね? ってミサカはミサカは未だに信じられない事実に驚きつつ改めて確認してみたり」

「まァな。この電極使ってよォやく人並みの生活ができて、能力もコイツのスイッチ切り替えねェと使えねェし」

「それならもうちょっと警戒した方がいいんじゃないかな? ってミサカはミサカは素朴な疑問に首を捻ってみたり。どう考えても一方通行って色々な人に恨まれてると思うんだけど、ってミサカはミサカはズバッ! と指摘してみたり」

 確かに打ち止めの疑問は尤もである。
 普通なら睡眠を取る事すら躊躇いそうな状況の中で、ここまで一方通行が余裕に振舞えるのは何故なのか。
 一方通行は食後の缶コーヒーをグビッと飲みながら、何でも無いかのように至極あっさり答えてみせる。

「今は休戦中みたいなもンだからな。無理して気ィ張り詰める必要もねェンだよ」

「え? どういうこと? ってミサカはミサカは質問してみる」

 いまいち理解できていない打ち止めは手を止めて聞き返した。
 一方通行は億劫そうに椅子の背もたれに寄り掛かると、心底から面倒臭げに話し出す。

「オマエが気づかねェのも無理ねェけどなァ……この学生寮の周りにはバカみてェな数の研究機関が張り付いてお互いに牽制し合ってンだよ。お蔭でちょっかい掛けてくる『武装無能力集団《スキルアウト》』は勝手に排除してくれるわで大助かりだゼ」

「…………へ?」

 呆けた声を漏らす打ち止めなど気に留めず、さらなる追撃を一方通行はかける。

「たぶン、オマエが俺のところに転がり込ンで来たっつゥのも知ってンだろォな。魅力的な研究素材が二つも揃っちまって、外の奴らも確実に増えてるゼ? 下手したらオマエが預けられてた警備員のトコよりも今はコッチの方が安全かもしれねェぞ。まあ、ちィと導火線付きってェのがいただけねェがな」

「…………ぽかーん、ってミサカはミサカは開いた口が塞がんなかったり」

 感心しているか呆れているのか。
 恐らくは呆れているのだろうが、珍しい事に打ち止めは言葉も無く放心した。
 そんな打ち止めを一瞥して、一方通行は視線を天井へ彷徨わせる。

(……統括理事会が決定を下すまでの間だけだろォけどなァ)

 あくまで現状は一時的なものに過ぎない。
 統括理事会が何らかの方針を打ち出せば、それに反発する所は出て来るはずだ。
 最終的には打ち止めの言うように寝る事すら困難な生活を強いられるかもしれない。

 そんな事を考えながら一方通行は天井に彷徨わせていた視線を下ろして、打ち止めの間抜け顔を何となく観察する。
 ふと、打ち止めの服装が昨日と同じである事に気づいた。どうやら朝一でアイロン(洗濯機を買ったらセットでついてきたヤツ)を掛けたらしい。服といえば昨日、寝る前に立てた今日の予定を一方通行は思い出す。

(あァ……買い出し行くンだったか)

 意外にもブランド物に造詣が深い一方通行であるが、基本的に人間観察の延長のようなものだ。
 彼自身にとって服の比重は低く、割とどうでもいいのだが、放っておけば昨日のような展開が頻発するのは目に見えている。
 何度も言うようだが、一方通行は一桁に等しい少女のドッキリ展開に喜ぶ特殊な性癖なんて微塵も持ち合わせていないのだ。
 むしろ、ああいう手合いに巻き込まれた人間に対して、腹を抱えながら存分に嘲笑う派である。

 面倒臭げに一方通行は小さく溜め息を吐いた。

 一方通行は現代的な杖を手にとって椅子から立ち上ると、空になった容器や缶をゴミ箱に放り捨てる。
 昨日までのゴミは部屋を修理した業者がついでに処理してくれたらしく、ゴミ箱は軽快に新しい住人達を受け入れた。
 横目で打ち止めを見やれば、ちょうどよく食べ終わり、昨日一緒に買ってきたオレンジジュースをコップに注いでゴクゴク飲んでいた。

「オイ。食い終わったンならさっさと行くぞ」

「え? 行くってどこに? ってミサカはミサカは話の唐突さに若干慣れ始めている自分を感じて嘆いてみたりってああ待って! 置いてかないで!」

 一方通行が無言で玄関を出て行くのを発見した打ち止めは、慌ててコップに残ったオレンジジュースを飲み干す。
 律儀にも容器を捨て、オレンジジュースを冷蔵庫に片付けてから、打ち止めは駆け足で一方通行の後を追いかけた。










 大通りは明らかに昨日よりも人混みで賑わっていた。
 これだけ人が多いと打ち止めが逸れてしまいそうだが、一方通行と一緒にいる限りその心配はない。
 それというのも一方通行の前方の道は、まるでモーゼが海を割るが如く、人の波が勝手に分かれていくからだ。

 たとえ一方通行の正体を知らずとも、その特異な容姿と溢れ出る異質な雰囲気が、近寄り難い印象を周囲に絶えず植え付ける。道端で屯する素行の悪そうな連中ですら、一方通行が通り過ぎるまでは声量を抑えていた。これでもマシな反応の方だ。仮に一方通行の正体を知る者ならば、道を開けるなんて悠長な真似はしない。全力でその場から離脱している。実際、打ち止めからは背丈が足りず見えていないが、スキルアウトらしき集団が一方通行を見るなり、血相を変えて逃げ出していた。

 一方通行にとって、この程度は日常の一部なので今さら気にもならない。
 それよりも今は傍らを歩く打ち止めの方が気掛かりだった。寮を出た後、喧しく何処に行くのかと喚き立ててきたので、一方通行は投げ遣りに外出の理由を説明したのだが、打ち止めは目を丸くして驚き、それからずっと笑顔のままなのだ。

(相っ変わらずおかしなガキだぜ)

 学園都市最強の能力者であろうと、女心を理解するにはまだまだ経験と知識が足りない一方通行であった。

 二人は行く当ても無く街を放浪している。
 とりあえず一方通行は服を買えそうな場所を探してはいるが、中々女物が置いていそうな店が見つからない。
 昨日もそうだが、普段、一方通行は街を歩く際に周辺の店の事なんて気に留めないので、こういういざ必要な時は困る羽目に陥ってしまう。既に寮を出てから二十分ほど過ぎたであろうか。いっそ芳川に服を持って来させるかと妥協案が鎌首を擡げ始めた頃、目の前にセブンスミストという大型服飾店が見えてきた。

 一方通行はあそこでいいだろうと即断して、セブンスミストに進路を定める。
 だが、某幻想殺しの少年の如く、最近不幸の星に好かれ始めた彼が何事も無く目的を達成できるはずもない。


 ガシャンッ! と。ガラスが砕ける音が騒がしい大通りの喧騒の中に大きく響き渡った。


「あン?」

 いったい何事かと周囲の人々と同様に一方通行は音の出所を探る。
 此処からでは離れていてよく見えないが、どうやら二十メートルほど先で何かがあったらしい。

 尤も。何があったかなんて、それこそ一方通行には微塵も関係なかった。

 早々に無視を決め込んた一方通行は周辺のざわめきなんて意にも介さず再びセブンスミストに直進しようとする。
 が。着いて来るはずのアホ毛が見えない。一方通行は此処でようやく打ち止めの姿が消えている事に気づいた。

「…………」

 大体どこに行ったのかは分かっているので、慌てず騒がず視線を動かす。
 予想通り、打ち止めは集まった野次馬の集団に飛び込もうと、果敢に挑戦している真っ最中であった。
 一方通行は早足で打ち止めの背後まで近づくと、握った拳を一直線に振り下ろす。
 バキッと。中々小気味良い音がしたが、もちろん一方通行に罪悪感はない。むしろ爽快感を覚えていた。
 だから、頭を押さえて涙目で見上げる打ち止めにも動じない。

「オマエは勝手になにしてやがンだ? イイ加減学習しやがれ」

「ううー、だからっていきなりグーで殴るのはどうかと思うの、ってミサカはミサカはジーンとする痛みを堪えながらけっこう真剣に抗議してみたり」

 打ち止めの抗議など一切合財無視して、一方通行は浅く息を吐く。
 それから頭痛を耐えるように米神を片手で抑えると、不意に打ち止めの小さな手を乱暴に握った。

「え?」

 打ち止めは驚いて一方通行を見上げるが、その間にもグイッと手は引っ張られる。
 向かう方向は――野次馬の人だかり。

「ど、どうしたの? ってミサカはミサカはあなたらしくない行動を不審に思って心配するんだけど……」

 戸惑いの声を上げる打ち止めに対して、一方通行の返答は簡潔にして明快だった。

「どォせオマエは何があったか確認するまで駄々捏ねて動かねェだろォが。なら、さっさと見に行った方が手間かかンねェンだよ」

 あまりといえばあまりに素っ気無い言い草に打ち止めはポカンと呆ける。
 けれど。その意味を自分なりに解釈した打ち止めは柔らかく、とても嬉しそうに微笑んで一方通行の手をしっかりと握り返した。

 雑踏自体は一方通行の容姿と凄味のおかげで強行突破は容易かった。
 だが、いざ何かが起こったらしい現場に着いてみると、状況はやや複雑化しているらしい。

 まず視界に入るのは、コンビニの前で立ち尽くす拳銃などの銃火器を所持した覆面の五人組。
 外側に散乱しているガラスの破片を見るに、あの音の正体はコイツらがガラスを割った時のもので間違いないだろう。
 次に目に映ったのはコンビニ強盗のちょうど正面、一方通行達から左に六、七メートルほど離れた場所に立つ三人の風紀委員と一人の警備員の姿。どうやら四人は偶然この現場に出くわしたらしく、警備員に至っては碌な武器を所持していない。緑色のジャージ姿で、辛うじて突き付ける証明書が警備員である事を衆目に知らしめていた。

 ざっと現場を見渡して一方通行の抱いた感想は、溢れんばかりの呆れだった。

「……どンな馬鹿どもだ?」

 白昼堂々犯罪を行うからには当然逃げ切れるだけの能力者を揃えるのが学園都市のセオリーだ。
 希少能力である『転移能力者』は流石に高望みだとしても、逃走に適する能力は他にもゴロゴロある。

 だと言うのに、この五人は野次馬に囲まれて逃走経路を失い袋のネズミ状態。

 そもそも銀行ならまだしもコンビニを襲うメリットなんて大して無い。
 実行するにしても高々コンビニ強盗で五人も集っては足を引っ張り合うだけで、やはりメリットは皆無に等しい。
 どう考えても、その場のノリに任せた思いつきの犯行だった。犯罪者の中でも極めて性質の悪い連中である。
 ふと、一方通行はこういう時にこそ喧しそうな打ち止めが静かなのを不審に思って下を見る。
 打ち止めはジィーッとある一点をひたすらに凝視していた。ポツリと、打ち止めは言う。

「巫女さん?」

「…………はァ?」

 いきなり何わけわかんねーこと言ってんだコイツは。
 まったく以って意味不明な言葉を発した打ち止めを一方通行はあからさまにバカを見るような表情で見やる。
 しかし、一向に打ち止めの視線が動かない事を流石に不可解に思った一方通行が、その視線の先を追い掛けると――

「…………一体いつから、この学園都市はコスプレ都市になったンだァ?」

 なんて、一方通行も意味不明な事を呟いた。




[29370] とある超能力の一方通行 第七話 ~気紛れの結果~
Name: 黒夢◆013b61e7 ID:39f2ca70
Date: 2011/08/23 21:49



 打ち止めの言葉は間違っていなかった。

 犯人の一人に襟元を掴まれ、拳銃を突きつけられている高校生ぐらいの少女。
 その少女は、そりゃぁもう見事なまでの巫女装束を装備していた。
 しかも、こういった事態に巻き込まれているにも関わらず、まったくの無表情という感情の起伏の無さ。

 どうやら、あの巫女装束の少女のせいで治安部隊も迂闊に動く事ができないらしい。
 一方通行と打ち止めは暫らく巫女装束の少女を呆気に取られて見ていたが、不意に何か頭の端に引っ掛かる。

(どっかで見た気がすンだよなァ)

(どこかで見たことあるような?)

 実を言うとこの二人、一方通行は八月三十一日にチラッと、打ち止めは『絶対能力進化実験』が行われている最中に下位固体の妹達を通して、この少女を見た事があったりする。だが、その後に起こった出来事のインパクトが大きすぎて二人とも記憶に残っていなかった。こんな処でも影の薄さを発揮する少女は流石と言うべきか。それとも憐れと言うべきか。少なくとも羨ましいとは思えないが。

 何はともあれ、現在進行形で事態は着々と進んでいく。

 治安部隊は人質を解放して自首する事を再三に亘って勧めているが、強盗達は聞く耳を持たない。
 逃走する為の手段の要求を繰り返すばかりで、徐々にヒートアップしていくのが傍目からでもはっきりと分かった。
 どうも強盗達は熱く成り易い、言い方を変えれば単純な奴が集まっているらしく、治安部隊も手を焼いているようだ。

 何せ二言目には「車を用意しろ」だの「外に出せ」だのしか言わない。これでは交渉になるわけがなかった。
 尤も。こうしている間にも強盗鎮圧のプロフェッショナルで構成された治安部隊が向かっているだろうから解決は時間の問題である。

 一方通行は事態の進展を最後まで見守る気は更々無かった。
 なので掴んだままになっていた打ち止めの手を軽く引いて、この場から離れようとする。
 けれど、打ち止めは動かない。見れば、打ち止めの視線は未だに巫女装束の少女に固定されたままだった。

 一方通行は胡乱な瞳を巫女装束の少女に向ける。
 此処からでは距離が離れているし、顔も少し俯いていて見え難い。

 それでも――その瞳に溜まった大粒の涙だけは、確認する事ができた。

 一方通行は眉間に皺を寄せて、打ち止めと巫女装束の少女を交互に見やる。
 何か逡巡するかのように思考を巡らせていた一方通行は、不意に呆れるような、諦めるような、そんな感じの溜め息を吐いた。

「あァ……と。そういやァ昨日けっこう使っちまって金が残り少なかったっけなァ。オイ、クソガキ。ちょっくらそこの『コンビニ』で金下ろしてくっから、大人しく待ってろ」

 殊更に一方通行は仕方なさを強調して、打ち止めの手を離す。
 一方通行は左手をポケットに突っ込みながら強盗の下へ――否、強盗が背にするコンビニに向かって歩き出した。
 後ろから打ち止めの唖然とした声や人のざわめきが引っ切り無しに聞こえてくるが、そんなものは当然無視だ。

 なにせ、止める理由が無い。止まる理由も見当たらない。

 近くのコンビニで金を下ろす。たったそれだけの事を、どうして躊躇する必要があるのか。

「なんだてめーは!? 止まれ!! 死にてーのかっ!!」

 強盗の一人が一方通行に気づいて怒声を上げた。
 けれど、聞こえているのかいないのか、一方通行の歩みは一向に止まらない。
 カツン。カツンと。現代的な杖が地面を叩いて進んでいく。

「おいっ! 聞こえてんだろ!? 止まれってんだよ!! 本当にブチ殺すぞっ!!」

 巫女装束の少女に銃を向けていた強盗が喧しく怒鳴り散らしながら一方通行に銃口を向けた。
 それを胡乱な瞳で確認した一方通行は、そこで始めて歩く以外の行動を取る。
 ゆっくりと。左手をポケットから出して首もとまで運び、そこにある突起に指を添えると、おもむろに表情を変えた。

 即ち――強盗達に送る、心底から見下しきった嘲笑へと。

「ッ!! てっめーーーーっ!!!」

 癇に障る一方通行の態度を侮蔑と受け取ったのだろう。
 少女を捕まえている強盗、その隣に立つ一人が激情に駆られて銃の引き金を引いた。
 二人の距離は既に十メートルを切っている。素人でも十分に当てられる距離だ。

 発砲音が、凶悪に響いた。

 ある者は悲鳴を上げ、またある者は地面に身を伏せる。
 流れ弾を処理する為か、治安部隊は迅速に一方通行の背後へと移動した。
 しかし、結果だけを述べるなら、各々の心配は杞憂に終わった。
 銃弾は、確かに命中していたのだ。そう――少女を掴んでいる強盗の、拳銃を持つ手に。

「は?」

「え?」

 撃った本人も、撃たれた当人も、呆けた声を漏らした。それだけではない。
 周りにいる野次馬も、治安部隊も、そして捕らわれている少女さえも。今起こった事態を把握しきれていない。
 しかし、次に響いた強盗の絶叫によって、凍っていた時はようやく動き出した。

「ぎ、ぎゃああああああああああああああ!!!!」

「な、何しやがった!?」

 目に見えて動揺する強盗達は、声を裏返しながら虚勢を張って詰問する。
 もはや周りには目がいかないようで、地面に投げ出された巫女服少女を気にする者は誰一人としていなかった。

 一方通行はただ突き進む。その先にあるATMに向かって。その途中に何があろうと彼にとっては関係ない。

 何故なら彼は、元々そういう存在なのだから。

 得体の知れないモノに怯えるのは人間なら誰しも同じだ。最強の一方通行でさえ、異常な右手を持つ最弱には怯えた。

 だから、その後に起こった出来事は必然。

 即ち、恐怖に駆られての発砲。目の前の人の形をしたナニカを一刻も早く消し去ろうという意志の発現。

 だが、それは先程とまったく同じ結末を辿る。

 銃声は三度響いたが、そのいずれもが一方通行の肉体を貫く事は無く、撃った本人の手を精確に射抜いた。
 悲鳴が合唱となって周囲の人々の耳朶を打つ。残った一人は理解不能な方法で瞬く間に倒された四人を見回すと、恐慌状態に陥った。

「う、うおおおおおおおおおおっ!!」

 雄叫びを上げながら掌に炎を収束させる。どうやら能力者だったらしい。
 掌に集まる炎の規模から推察するに異能力者、いや、ギリギリで強能力者程度はあるだろうか。

 まあ、尤も――

 火の玉が掌から離れ、業火の矢となって一方通行に襲い掛かる。

 ――それを受けるのは、放った本人になるわけだが。





 時間にすれば、一分足らずの出来事であった。
 能力使用モードの使用時間は三十秒も経っていない。
 その僅かな時間で、強盗の五人組は人質に掠り傷すら負わす事無く、一方的な展開で鎮圧された。

 それを涼しい顔で成し遂げた当人はというと、何食わぬ顔でATMから現金を引き出している。
 適当な金額を財布に放り込んだ一方通行は、痛々しい呻き声を上げてのたうち回る強盗や呆然とした巫女服少女の視線を振り切り、悠々と打ち止めの下まで帰ろうとする。だが、そこに一つの人影が立ちはだかった。あの場にいた警備員だ。

 一方通行としては別に無視しても良かったのだが、相手は仮にも学園都市の治安部隊の人間。
 よく見ると中々に美人な女性らしく、スタイルの良い体型が服越しからも見て取れた。
 ジャージを着ているので、本業は何処かの学校の体育教師か何かだろうと当たりをつける。

「……なンだよ」

 出てきた声は不機嫌に満ち溢れ、年上に対する敬意なんてものは欠片も無かった。
 そんなものを一方通行に期待するだけ無駄だろうが、そもそも彼の苛立ちの原因は別にある。

(なァンであンな、クソくだらねェことしちまったンだァ? 俺は)

 元々、一方通行はあんな面倒事に首を突っ込む気は毛頭なかった。
 一通り成り行きを見学して、それで終わりにするつもりでいたのに――打ち止めを、人質にされていた少女を見ていたら、とんだ気紛れを起こしてしまった。

 まったく以って性に合わない。残虐非道の最強がすべき行いではない。

 だからこそ、苛つくのだ。

 それに比べれば目の前の警備員なんて問題にならない。邪魔だと感じたら押し通ればいいだけだ。
 少なくとも、その時まで一方通行はそう思っていた。女性の警備員が徐々に近づいて来るまでは。

(あン? コイツ……まさか俺を知らねェのかァ?)

 もしも一方通行を知っているのなら、間違っても自分から距離を詰める事はしない。
 わざわざ猛獣の射程内に飛び込もうとは思わないからだ。
 若干の疑念を混ぜた眼で一方通行は女性を見続けるが、女性の歩みは一向に止まらない。
 遂には一方通行のすぐ傍、手を伸ばせば届く距離にまで無用心にも近づいてきた。

(どォやら本気で俺を知らねェみたいだな。警備員のクセにヨ)

 そう結論付けて、疑念は蔑みへと変わる。だが次の瞬間、蔑みは驚愕に変わった。
 眼前に立つ警備員は最後の一歩を大きく踏み込むと、いきなり鼻と鼻が触れ合う距離までグイッと顔を近づけてきたのだ。

「!?」

 一方通行は反射的にチョーカー型電極のスイッチに手をやりそうになるが、その寸前。

「あー、なるほどなるほど。チョッチっていうかかなり半信半疑だったけど、どうもアイツの話は本当のようじゃん。いやー、大した紳士っ振りだったよ、一方通行君」

 文字通り、眼前の警備員の女性は人懐っこい笑みを浮かべて一方通行に話し掛けてきた。
 一方通行は思わず唖然と見返すが、直ぐに気を取り直すと距離を取る為に一歩下がり、電極のスイッチに触れながら尋ねる。

「……アイツだァ? 誰のことだそりゃ?」

 一方通行は何やら自分の内情を知っているらしい警備員の言葉に唯でさえ鋭い眼差しをさらに鋭く吊り上げた。
 裏側に関わる人物ならば実力行使も厭わない。しかし、そんな一方通行のシリアスを女性はコミカルで塗り潰す。

「君がよーく知ってる人物じゃん。ヒントは根暗で意外に熱血……あー、わかったわかった。正直に答えっから無言でにじり寄って来るのは止めて。それとも今のでわかっちゃってやり場の無い怒りを私に向けるつもりじゃん?」

「……類は友を呼ぶってーのは一体誰が言い出しやがったンだろォなァ、オイ。ソイツを本気で称賛してやりたくなってきたぜ」

「あっ、やっぱり分かってるじゃん。それはそうと私とアイツが似てるてーのはありえないって。むしろ私から見たら君の方が似てると思うじゃん。意外に熱血そうなところとか。気取らずに強盗たちの下まで向かって人質を助けたら気取らずに戻る。お姉さん、君のマイナスイメージばっかり持ってたから感心しちゃったよ。まあ、でも……」

 女性は初めてマジメな顔付きに変わる。
 その表情は芳川が教師として語りかける時にとてもよく似ていた。

「認められるかと言えばそうじゃない。結果的に解決はしたけど、スマートとはいかないし、いくら最強とか何とか言われて持て囃されていよーが君はあくまで一生徒に過ぎないじゃん。私達の領分に踏み入っていい理由にはならないわけ。何より、ここに居合わせた私の責任問題になるじゃん」

「結局それが本音か、オマエ」

「二割ほどはねー。残りの八割は純粋な怒りって奴かな? 本当なら鉄拳制裁ものだけど、怪我してるみたいだしそれは治ってからって事で……ん?」

 何やら辺りが騒がしくなってきたのに気づいて、女性は肩越しに背後を見やる。
 どうやら今頃になって対策班が到着したらしく、あの場にいた風紀委員と一緒になって女性を呼んでいた。

「あちゃー、もう来たのか。まっ、これも警備員のお務めだし。じゃあ、私は行くじゃん。あっ、そうだ」

 女性はジャージのポケットを漁って携帯を取り出すと、何やらピポパポ弄って、一方通行の眼前にズイッと突き出してきた。
 表示画面には女性のプロフィールが映り、名前と番号、メールアドレスが表示されている。趣味の欄に整理整頓と書かれているのは、いったい何の冗談だろうか。

「……こりゃーなンだ?」

「見ての通り、私の番号とメールアドレスじゃん。仮にも最強最高って言われてる君なら見ただけで覚えられるでしょ? 何か困った事があったら私に連絡するじゃん。そんな大それた事はできないけど、力にはなってあげるから」

 一方的に女性はそう言って、携帯をポケットに仕舞い直すと、ヤケに活き活きと治安部隊の方に歩き出す。

「オイ、結局てめェは芳川に何を聞きやがったンだ?」

 その女性ながら大きな背中を一方通行は不意に呼び止めた。
 なんだかんだの遣り取りの中ではぐらかされたが、一番重要な部分が抜けている。
 一方通行は若干問い詰めるかのように強い言葉で詰問した。女性は歩みを止めずに首だけ振り返ると屈託のない笑顔で告げる。

「別に大した事は聞いてないじゃーん。ただ、噂より優しく穏やかになったって事と、私からあのお転婆娘を取り上げたって事をね」

 最後の部分だけは少し悔しげに。女性は後ろ手をヒラヒラと振る。

「んじゃ、本当にこれでさよならじゃん。あの子は薄情にも私に気づいて無いみたいだし、過去の保護者はさっさと退散しますよーだ」

 歩き去って行く女性の後ろ姿を見送りながら、一方通行は暫らく立ち尽くしていた。
 何を考えているのかは知れないが、表情を見る限り不貞腐れた子供のようにも見える。

「……フン」

 一方通行は不機嫌そうに女性の――黄泉川愛穂の背中を一瞥すると歩き出す。
 奇異や畏怖の視線の中に一つだけ紛れるヤケに嬉しそうなそれに向かって。

 ――彼の後ろ姿をジッと見つめる視線に気づかずに。










 ようやくセブンスミストに辿り着いた一方通行と打ち止め一向は、真っ直ぐ子供服売り場にやって来ていた。

 セブンスミストは今年の上半期に世間を賑わせた『虚空爆破《グラビトン》事件』の被害を受けて暫らく営業停止していたが、店内の修復が完了すると心機一転してリニューアルオープンを果たした。現在では以前よりも店舗や品数を増して、その経緯の話題性から幅広い層に人気を博している。当然、そんな裏事情なんて知る由もない一方通行は興味無さ気に身近な壁に寄り掛かり、御淑やかそうな女性店員と一緒に服選びへ勤しむ打ち止めを観察していた。

(服なンてただ着るだけのもンがそンなに嬉しいもンかねェ?)

 まったく以って理解できないというのが一方通行の本心だった。
 これまで一方通行は目に付いた服を適当に選んで購入していた。
 強いて言えばモノクロ風の服に手は伸び易いが、特にブランドや値段には頓着していない。

 ン十万の特殊繊維で作られた服を着た次の日には、安売りされた千円のセットを着ている事もザラにある。
 そもそも一方通行にとって生活必需品の類は必要に迫られるから購入するだけで、それ以上の意味は皆無だった。
 詰まるところ、打ち止めがあんなに嬉しそうに笑っているのは筋違いなわけで、一方通行は妙に歯痒くなってしまう。

(ホント、わけわかンねェよ)

 一緒に過ごしていれば、いつか打ち止めの笑顔の理由を知る日は来るのだろうか。
 そんな他愛無い事を胸に思い浮かべながら、一方通行は意味も無く真っ白い天井を見上げた。

 三十分ほど経っただろうか。

 どうやら一通り買いたい服を選び終えたらしく、打ち止めが数着の服を両手に抱えて戻ってきた。
 その表情は眩しい笑顔で彩られ、今まで打ち止めに付き合わされていた女性店員も微笑ましく見送っている。

「……ハァ」

 一方通行は小走りで近づいて来る打ち止めを見やると、あからさまに肩を落とした。
 別に待たされていたのに苛立っているとか、持ってきた服の量が膨大だったからとか、そんな理由ではない。
 時間が掛かるのは女の買い物に付き合うと決めた時点で覚悟していたし、抱えている服も四着と予想していたより少なかった。

 遠慮の無いコイツの事だから十着ぐらい持って来るのではないかと思っていたが、仮にも日本人のクローン。遠慮と言う美徳は持ち合わせていたらしい。尤も、粗暴なオリジナルを省みるに大和撫子の素質は無さそうだが。何はともあれ、普段着が今着ているのも合わせて五着では心許無いので、他にも適当に見繕う必要があるだろう。ついでに寝巻きも買わなければと、一方通行は娘の買い物に付き合わされる休日の父親のような心境で色々と考えながら、とりあえず目先の問題の処理に取り掛かる事にした。

「あァ、クソガキ。オマエに一つ聞きたいことがあンだけどよォ」

「ん? どうしたの? 一方通行があらたまるなんて珍しいね、ってミサカはミサカはクソガキの部分に非常にやりきれない思いを抱きつつも思わぬ心境の変化に少し驚いてみたり」

「……なンで、ソイツがそこにいンだ?」

 一方通行は物凄く嫌そうに顔を歪めて詰問する。
 打ち止めの傍。そこには何食わぬ顔で佇む一人の少女がいた。

「?」

 本人は何の事かよくわかっていないようで、可愛らしく小首を傾げている。
 気づいた時にはあまりにも自然に溶け込んでいたので一方通行も危うく見逃すところだったが、その人物は何処からどう見ても先ほど強盗に捕まっていた巫女さんスタイルの少女だった。此処に居るって事は治安部隊の事情聴取を抜け出してきたのだろう。一方通行は儚げな雰囲気とは裏腹に行動力溢れる巫女服少女に内心で辟易した。尤も、思い切り現場を掻き回した挙句、全てを治安部隊に丸投げした一方通行に人の事をアレコレ思う資格があるとは思えないが。

 兎にも角にも最近になって嗅ぎ慣れた面倒事の臭いがプンプンする。
 そんな気苦労全開の一方通行(親御さん)とは対照的に打ち止め(お子様)は能天気な笑顔を浮かべると、アホ毛を嬉しそうにブンブン振り回しながら手に持った服ごと巫女服少女に縋り付く。当然、まだ会計を済ましていないのに服はグチャグチャになった。『外』の店ならお叱りを受ける処だが、遠目から三人を観察している店員は困ったように微笑むだけで、特に行動を起こそうとしない。その辺は寛大らしかった。無駄に科学技術が発達している学園都市の事だから、きっと皺寄せぐらいは一瞬で行えるのだろう。

「あ、そうだ! 紹介するね、ってミサカはミサカは少しドキドキしてみたり。この子は姫神秋沙、さっき友達になったんだよ! ってミサカはミサカは初めて出来た友達を自信を持って紹介してみたり!」

「どうも」

「…………」

 思わず、お互いに友人は選べよと言いかけた口を、一方通行はギリギリで閉ざす。
 然る女性研究員と医師からコミュニケーション障害の疑惑を掛けられている彼とて、場の空気を少しばかり読めるぐらいには成長しているのだ。そんな事を言えばコイツらの涙腺は容易く崩壊する。一方通行は漠然とそう予感した。なので、そこには触れずに話を進める。

「オマエの言い分はわかった。けどよォ……そいつが服を持ってきてンのはどういうわけだ? 荷物持ちでも頼ンだのか?」

 一方通行が何より気になっているのは巫女服少女――姫神秋沙が持つ薄いピンク色のワンピースと純白のカーディガンだ。
 近場のマネキンが同種の服で着飾られている。そこに書かれている歌い文句を鵜呑みにすると、どうやら学園都市の新素材で製作されているらしい。夏冬兼用のカーディガンと併せて購入がオススメとの事だ。値段は割り高だが、季節毎に服を買い換える手間が省けるのなら購入するのも吝かではないだろう。

「……ここの部分を見て」

 一方通行の疑問に答えたのは姫神だった。
 どうやら姫神は一方通行の事をちっとも怖がっていないようで、とても端的に用件だけ告げる。

「あン?」

 言われるがままに一方通行は姫神の指差す場所、普通に立っていると隠れる袖の部分を見やった。
 そこには絶対能力進化実験の際に嫌と言うほど目にしたドス黒い汚れ――血が、ベットリ張り付いていた。
 位置関係を省みるに、どうやら強盗の手を反射で撃ち抜いた際に付着したらしい。姫神は一方通行をジィーッと見つめ、一言。

「弁償」

「……見かけによらず、中々ふてェ根性してンじゃねェか」

 ピクピクと痙攣する頬が一方通行の心情を如実に物語っていた。
 けれど姫神は何の悪びれも無く、感情の起伏が薄い無表情を貫いている。図々しいというか、肝っ玉が据わっているというか。一方通行は知る由も無いが、これで中々壮絶な人生を歩んでいる姫神に遠慮と言う二文字は存在しない。形だけの大和撫子。それこそが姫神秋沙という少女なのであった。

「女の子の服に返り血が付いたんだから。弁償は当然。むしろ義務」

「ふざけンじゃねェ。ンなもン洗えば落ちるだろうが」

 別に服の一着や二着ぐらい一方通行の全財産を考えれば痛くも痒くもない。
 それどころかセブンスミストの全衣類を買い占めてもまだ余裕がある。
 第一位という称号は伊達じゃない。一方通行は学園都市でも有数の金持ちなのだ。

 尤も。それとこれとは完全に話は別であった。

 仮に百歩譲って姫神の服に血が付着したのは一方通行の過失だとしよう。
 けれど彼の主観では強盗から助けてやった事で差し引きはゼロ。つまりチャラだ。
 アフターケアを求めるなら強盗か治安部隊にしろと一方通行は声を大にして言いたい。

「付き合ってられっか。行くぞ、クソガキ」

 吐き捨てた一方通行は姫神を無視して背を向ける。
 その時、不意にガシッと。上着の裾が弱々しく引っ張られた。

「あン?」

 一方通行は胡乱な瞳で振り向く。
 そこには今にも泣き出さんばかりに瞳をウルウルさせた打ち止めがいた。
 どうやら初めて出来た友達を見捨てられそうになって、不安に駆られたのだろう。

「…………」

 笑顔が標準装備の打ち止めが、哀しげな泣き顔を晒そうとしている。
 それだけで一方通行の心に深刻な皹が入った。最弱に殴られた時より何百倍も痛い。
 結果は明白だった。誰よりも打ち止めの笑顔を望んでいる彼が、泣きそうな打ち止めを放置できるわけもない。

「あァ、ったく。勝手にしやがれ」

 一方通行はそっぽを向いて投げ遣りに呟いた。
 すると一転して打ち止めはパァと泣き顔を一新させると、一方通行に思い切り抱きつく。

「やっぱり一方通行は優しいんだね、ってミサカはミサカは嬉しくなってみたり!」

「引っ付くなァ! 歩きづれェだろォが!!」

 ギャアギャアと姦しい騒音を撒き散らす二人を姫神は目を丸くして遠巻きに眺めていた。
 
不意に姫神は音も無く一方通行の傍らに近づくと、彼だけに聞こえるように耳元で囁く。

「本当に。いいの?」

 それは絶対に失敗すると思っていた悪戯が成功して困る子供のような声音だった。
 先程とは一転して、殊勝な態度を露にする姫神に対する一方通行の返答は素っ気無いものだ。

「構わねェよ。その代わり今日はクソガキに付き合え。俺はそこらのベンチで待ってるからよォ」

 一方通行はハイテンションな打ち止めを引き剥がして姫神に押し付けると、入用な物品を口頭で伝えた。
 少しだけ柔らかく微笑んで見せた姫神は、あっさり了承すると、仲良く打ち止めと手を繋いで店の奥に向かっていく。
 二人の後ろ姿が見えなくなると一方通行は宣言通り、通路沿いのベンチに深く腰を下ろした。疲れきった面持ちで述懐する。

(あーあァ……俺はいつからこンなに甘くなっちまったンだァ?)

 本当に、信じられないほど自分は甘くなっていると一方通行は痛感した。
 最弱に敗れてから殊更に意識するようになった心境の急激な変化に戸惑う気持ちは大きい。
 けれど。それ以上に甘ったれた現状を心地良く感じている自分がいる。だからか。

「こ、これはカミやんにライバル出現!? いや、ちょっと待てよ。あの中性的な顔立ち……ま、まさか、そういう属性の持ち主なんか!? マズイ!! このままではまた一人カミやんの餌食に……!!」

 意味はわからないが、物凄く癇に障る事をほざいていた青髪ピアスの男を、寛大な心で見逃してやった。










 冒頭に戻り、食事を終えた頃にはすっかり夜も深まって喧騒も遠いものとなっていた。
 夜空に浮かぶ月の淡い光は三人の歩く路地裏に差し込み、昼とはまた違った趣を見せている。

 あの後、さらに二個のハンバーガーを平らげた姫神だったが、流石に食い過ぎたようで気分が悪くなり、家まで送ってほしいと言ってきた。もちろん一方通行はそのふざけたお願いを一刀の下に切り捨てるつもりだったのだが、打ち止めが即効でOKしてしまった為、仕方なく付き合ってやっている。

「――――で。こいつは一体どういう冗談だァ?」

 一方通行は眼前の建物を見上げながら、頬を引き攣らせる。
 姫神に案内されて訪れた彼女の住むという住居。そこは一方通行の想像を絶する有り様であった。

 外観は最大限オブラートに包んで言うと歴史ある骨董物。
 無遠慮に言えば崩れかけた超ボロイ木造二階建てのアパート。
 はっきり言って廃墟に近い。間違っても学生が住むところではなかった。
 科学の最先端を行く学園都市で、これ程の戦前クラスの遺物を目にするのは、ある意味で貴重な機会である。

 尤も。一方通行が本当に驚いたのは遠巻きからでも確認できる天井部分の大穴だ。

 中からビニールシートで補強されているが、外側は野晒しの状態になっている。
 これだけなら別にさして気にもしないが、問題はその破壊された縁周りの破損状況だ。
 まるで高熱で一気に溶かされたかのように周辺が歪に歪んでいる。確証は持てなかったが、ほぼ間違いなかった。

(レーザーの照射痕だァ!? オイオイ、一体どういう曰く付きだ、このボロアパート)

 穴の口径から考えて、少なくとも既存の科学技術では不可能だ。
 これだけ大規模なレーザーを制御下に置く技術なんて一方通行の知る限りでは確立されていない。
 第四位の『原子崩し《メルトダウナー》』なら可能だろうが、何か関係しているのだろうか。
 実際は上条当麻が関わったとある一件に関係しているわけだが、神ならぬ一方通行には知る由もなかった。

 姫神と打ち止めは一方通行の懸念など露知らず、談笑しながらボロアパートに向かっていく。

「…………」

 この場でアレコレ考えていても仕方ない。とりあえず、警戒を密にして一方通行も二人の後に続いた。
 姫神の住居は二階にあるらしく、ボロボロに錆びた鉄の階段を姫神、打ち止め、一方通行の順に上っていく。
 歩く度にギシギシと軋んだ音を立てる階段は不安を誘うが、前を歩く姫神が問題ないようなので彼は気にするのをやめた。
 とっても失礼であるが、実際に一方通行と姫神の体重に大きな差はない。一方通行が虚弱体質と言われる所以である。
 これまた下手したら踏み抜きそうな程に薄い板の廊下を歩くと、姫神は一番奥のドアの手前で立ち止まった。
 表札には『つくよみこもえ』と、如何にも幼い女の子が書きそうな丸っこい文字で記されている。

(同居してンのか?)

 こんなボロアパートでさらに同居かよ、と一方通行は呆れ返った。
 尤も。かつてスキルアウトに襲撃された部屋の一室に打ち止め裸同然の格好で泊めた彼に他人を非難できる権利は無いが。

「ただいま」

 姫神はヤケに立派な拵えの施錠を解いてドアを開くと素っ気無く告げる。
 その数秒後、部屋の中からトテトテという擬音の可愛らしい足音が近づいてきた。

「もう、ダメですよー、姫神ちゃん。こんなに遅いから心配しちゃったじゃないですか」

 聞こえてくる声は甲高い子ども特有のものだ。
 一方通行が姫神の後ろから覗き込むと、ピョコンと緑色のウサギ耳が見えた。
 そこから少し視線を下ろすと、ぶかぶかのパジャマを着た十二歳ぐらいの女の子が腰に手を当て、怒っている事を強調している。

「あれ? そちらの方は……」

 姫神の後ろに立つ一方通行に気づいたらしく、少女は目を丸くしていた。

「オマエの妹か?」

 ちっとも似ていないのでまず無いだろうと思いながら、一方通行は一応尋ねた。
 けれど。返ってきた答えは予想の斜め上をいくものだった。

「ううん。私の学校の先生」

「は?」

「え?」

 一方通行も、勝手に中に入って散策していた打ち止めも揃って気の抜けた声を漏らす。
 改めて二人はロリっ子少女を凝視して、

「――まさか、こンなボロアパートが実験施設だったとはなァ。道理であンないかれた大穴があるわけだ。しっかし、ここまで完成してるとなると、妹達の代わりに検討されてたっつゥ『二五〇法』の最終実験サンプルってトコか?」

「もしかしたら生活パターンのデータ採集の最中なのかも、ってミサカはミサカは真面目に仮説を述べてみる。極端な不老が精神に及ぼす影響はやっぱり大きいのかな? 部屋の中はタバコとお酒でいっぱいだよ、ってミサカはミサカはあまりの惨状に不老の恐ろしさの一端を垣間見てみたり」

「……未発達先生」

「ひ、人の容姿を見ていきなり失礼ですー! 確かに小萌先生は普通の人よりちょっとだけ変わっていますけど、ちゃんとした大人なんですよーっ!! それから勝手に部屋をガサゴソ荒らさないでください! これは大人の嗜みなのですー!! それから姫神ちゃん。後で先生とゆっくり話し合うですよ」

 少女――月詠小萌先生はドサクサに紛れて姫神が呟いた暴言も聞き逃さずに反論する。
 一方通行としては大真面目の発言だったのだが、本気で教師であるらしい事は何となく雰囲気的に伝わってきた。
 それで信じられるかどうかはまったくの別問題であるが、信じてやらないと泣き出しそうな気配が色濃く漂っている。

「それはそうとどちら様なのですか? こんな遅くに出歩くなんて教師として見過ごせないですよー」

 曰く、出来の悪い生徒を見れば見るほどニコニコの笑顔になる小萌先生は精一杯の威厳を以って二人に注意を促す。
 傍目からしたら大人ぶって背伸びをしている小学生にしか見えなかった。

「あっ、ミサカは……んぶ」

「ただの通行人AとクソガキBだよ。じゃァな。もォ会わねェことをオマエの服の神様辺りにでも祈ってるぜ」

 一方通行は喋り出そうとする打ち止めの口を強引に塞いで早口に捲くし立てると、打ち止めの服の襟を引っ掴んで引き返していった。呆然と二人を見送った小萌先生だったが、不意に浮かんだ疑問を姫神に尋ねる。

「けっきょく、誰だったですかあの子たちは? 小萌先生のクラスの子たちに負けず劣らず個性が強そうな子たちでしたけど」

 小萌先生の言うとおり、個性で言うなら『クラスの三バカ《デルタフォース》』と評される上条当麻、土御門元春、青髪ピアスに退けを取らないかもしれない。それでも決して超えられないと思われる辺り、この三人の特異さが窺える。姫神は徐々にアパートから遠ざかる二人の背中を追い掛けながら、消え入りそうな声でポツリと呟く。

「……命の恩人」

「え? なんですか?」

 聞き取れなかった小萌先生はもう一度聞き返すが、姫神は答える事無く、さっさと部屋の中に入っていってしまった。
 釈然としないものを胸に感じながら、小萌先生も部屋の中に戻ろうとする。その際に、ふと思った。

「あの女の子……どっかで見たことあるような気がしますねー……」

 どこで見ましたかねー。
 そんな独り言を漏らしながら、小萌先生はバタンとドアを閉めた。










 一方通行と打ち止めは夜道の帰路を歩いていた。

(ったく……昨日もそうだったけどよォ、なンで服買いに来ただけでこンなに疲れなきゃならねェンだ?)

 昨日に続いて振り回されっ放しだった今日一日を振り返り、一方通行は思いっきり疲労を顔に出す。
 普通の人付き合いという経験が皆無の一方通行にとって、この二日間は重労働に等しい。

 もし、このままの生活が続いたらストレスでぶっ倒れる自信が一方通行にはあった。

 暫らくして、寮が見えてきた。
 ようやく騒がしい外出も終わりかと一方通行は密かに安堵の吐息を零す。

 そこで突然。打ち止めは両手一杯に買い物袋を提げたまま軽い足取りで駆け出した。

 打ち止めは踊るかのようにクルリと振り返って、水色のスカートと柔らかい髪を風に揺らす。
 高層ビルの狭間から差し込む月光をバックにして打ち止めは告げる。

「アイサを助けてくれてありがとう! てミサカはミサカはちょっとだけ気恥ずかしそうにお礼を言ってみたり」

 そう紡がれた言葉は、今日一番の笑顔に彩られていた。

「あン?」

 思わず足を止めて一方通行は怪訝そうに首を傾げた。
 いきなりで困惑しているのもそうだが、何より打ち止めの真意が掴めなかったからだ。

「それじゃあミサカは先行ってるね! ってミサカはミサカは駆け出してみたり! それからちゃんとお帰りなさいって言ってあげるからね! ってミサカはミサカは楽しみにしてるの!」

 そう言い残すと打ち止めは寮に向かって無駄に元気良くダダダァー! っと走り出してしまった。

「…………」

 取り残された一方通行は呆れたように打ち止めの後ろ姿を眺め、はてと首を傾げる。
 結局、打ち止めの真意は分からなかった。残ったのは、今まで感じたことのない奇妙なむず痒さ。
 どこか温かみに溢れるそれは不思議と心地良く感じられ、悪い気はしなかった。




[29370] とある超能力の一方通行 第八話 ~脈動する者達~
Name: 黒夢◆013b61e7 ID:a1b4249f
Date: 2011/08/24 21:47



 学園都市は二三の学区に分割されている。
 無論、無秩序に分けられているのではない。様々な用途、研究、生活面に各々の学区は特化しているのだ。
 例えば第一学区は行政。第三学区は外交。第九学区は芸術。第一八学区は能力開発。第二三学区は航空・宇宙産業。
 このように一つ一つの学区には得意とする分野が存在しており、同じ方向性の技術や人的資源を一つの学区に集中させる事で全体の効率化を目指していた。そうした学区の一つ。中高生が中心に住む第七学区の一角に『窓のないビル』は存在する。

 奇妙な建造物だった。

 その建物には窓が無い。ドアも。階段も。エレベーターも。挙句の果てには通路すら無かった。
 ビル全体には学園都市で開発された新技術の一つ、核シェルターすら優に追い越す強度を誇る『演算型・衝撃拡散性複合素材《カリキュレイト=フォートレス》』が使用されている。力ずくで破壊するなんて、最早夢物語の域。学園都市最強の一方通行ですら、この『窓のないビル』を正攻法で攻略するのは至難の業だ。世界で最も堅牢な難攻不落の要塞。それが『窓のないビル』の正体であった。

 その窓も。ドアも。階段も。エレベーターも。通路すら無いビルには一つの部屋が存在する。
 希少能力『空間移動《テレポート》』を用いなければ、入る事はおろか出る事すら叶わない秘密の部屋だ。
 恐らくはビルのフロアを丸々使用しているのだろう。一室と言うにはあまりに広大な空間だった。

 四方の壁は夥しい数の機械類で覆い尽くされ、コードやチューブがジャングルの木の根の如く這い回っている。
 部屋の中心には、点滅するランプやモニターによって淡く浮かび上がる巨大なガラスの円筒が不気味に鎮座していた。直径は約四メートル、全長は十メートルにも達するだろうか。容器の中は半透明な赤い液体で満たされ、強化ガラスに覆われた其処には、緑色の手術衣を着た人間が銀色の長髪を揺らめかせながらプカプカと逆さに浮かんでいる。

 学園都市統括理事長『人間』アレイスター・クロウリー。

 男にも女にも見え、大人にも子供にも見え、聖人にも囚人にも見える。
 この世に存在する誰よりも『人間』らしく、この世に存在する誰よりも『人間』らしくない。

 そんな矛盾だらけの不透明な『人間』が、其処にいた。

 アレイスターが身を委ねている円筒は、一種の延命装置である。それも規格外に優秀な、だ。
 とある学園都市の医師が開発したとされるこの装置は、脳を含む身体の殆どの機能を喪失させる代わりに推定寿命1700年を約束する。死を恐れる者ならば、たとえ全財産を投げ打ってでも手に入れたいと思う代物であった。けれどアレイスターは違う。この『人間』が装置に身を任せているのは生への渇望から来る生存欲などではなく、単に己の生命活動が機械にも出来るという、ただ一点のシンプルな理由に他ならなかった。機械に出来る事を人間が行う必要は無い。科学の頂点に君臨するアレイスターは、それを身を以って実践しているに過ぎないのだ。

「――――来たか」

 機械の駆動音に紛れ、アレイスターは誰に言うわけでもなくポツリと呟く。
 その一瞬後。人間らしい人間が皆無である室内に、文字通り溶け込むようにして来客が訪れた。
 計器類の光によって淡く照らされる暗闇の先に、薄っすらと三つの人影が浮かび上がる。

 一人は2メートル近い長身を誇る奇妙な白人の少年。
 恐らく、本来は金髪なのだろう。肩に掛かる髪は燃えるような赤に染められていた。両耳には無数の毒々しいピアスが踊り、両手の指にはメリケンを思わせる複数の銀の指輪、右目の下にはバーコードのような刺青が施されている。極めつけは一体どういう冗談か、巨体を漆黒の修道服で着飾っていた。

 そんな奇天烈な少年の隣に立つのは、妙に腕の長い身長180cmほどの大男だ。
 根元まで余す事無く染め抜いた金髪をツンツンに尖らせ、少年の修道服並みにこの場の重厚な雰囲気にそぐわないアロハシャツとハーフパンツ、止めに青いサングラスを装備している。統括理事長の前に装いを整えず訪れられるあたり、凄まじい胆力の持ち主である事が窺えた。

 最後の一人は制服を大胆に着崩す大人びた少女だったが、直ぐに姿を消してしまった。
 どうやら、あの少女がビルの案内人――空間転移能力者だったらしい。

 残された二人は奇天烈な外見に合わない緊張を貌に貼り付けて、アレイスターが浮かぶ円筒の前に立った。

「用件はわかっている。だが、容認できるものではない」

 開口一番にアレイスターは白人の少年――ステイル=マグヌスに軽く視線を向けて、淡々と告げた。
 それを聞いたステイルは、胸中で苦虫を数千匹ほど纏めて噛み殺したかのような、実に苦々しい表情を浮かべる。
 対照的に隣に立つ大男――土御門元春は安堵の吐息を漏らした。事態を把握しているはずの土御門が見せる不謹慎な態度にステイルは殺意すら練り込んで睨め付けるが、対する土御門は意に介さずにヘラヘラと軽く受け流す。やがて無駄だと悟ったのだろう。ステイルは表情を強張らせながら、改めて逆さまに浮かぶアレイスターを見上げた。

「しかし、それではこちら側が納得するなど到底不可能です。今までにも様々な衝突はありましたが、今回の件はとても許容できるものではありません」

 こちら側――即ち魔術サイドの下っ端に過ぎないステイルが科学サイド代表のアレイスターに食い下がる。
 本来ならば自殺行為の愚行も、現状を考慮すれば仕方のない事であった。土御門もその部分には賛成なのか、ステイルを弁護するように追随する。

「確かにな。今まではお互い様だったから深く衝突せずに流せていたが、それにしても今回は規模が違いすぎる。あの短気で実行主義の教会が十日も大人しく返答を待つなんて、普通じゃない。このまま何の対策もせずに突き進めば、行き着く先は想像するに容易いぞ」

「だからアレを魔術サイドに引き渡せと? それこそまさかだ。アレには並の能力者以上にこちら側の技術が詰まっている。到底引き渡せるものではない」

「……それで本当にこちらが納得できるとでも?」

「同一存在の過剰共存は混乱を生む。それは既に報告したはずだが?」

 そこに起こる混乱を考えれば大した事ではない。
 ニュアンスにそう含ませ、あくまでもアレイスターはステイルの言葉に応じようとはしなかった。

「…………」

 諸事情により両サイドの中間に位置する土御門は、人知れず眉を顰めた。
 現在、問題になっている事態の表面だけを見れば魔術サイドの言い分は正しく、学園都市の言い分は悪い。
 けれど根本の部分に注目すれば魔術サイドの要求は到底無理な事で、学園都市が応じられるはずもなかった。

 こんな面倒な事態の要因になったのは、実のところ『幻想殺し』を右手に宿す上条当麻の行動の結果だ。
 尤も。裏の事情を知る土御門は上条の行動を否定する気は無い。立場を考えなければ正しいとさえ感じていた。

「……とりあえず、状況を纏めてみよう」

 このままでは何時まで経っても話が進展しそうにない。土御門は二人の間を取り持って気怠げに提案した。

 今回の騒動の発端。それは一ヶ月半前の『絶対能力進化実験《レベル6シフト》』にまで遡る。
 あの計画自体は上条当麻が一方通行に勝利した事で一応の解決を見たが、問題はその後の事後処理だ。

 アレイスターを除く学園都市上層部からすれば、残った一万にも及ぶ『妹達』の処遇は頭を痛める要因だった。
 無期限の実験凍結とは言っても実態は中止に等しい。学園都市は『妹達』という負債を丸々抱えたようなものだ。

 当初は別の人体実験で再利用、廃棄処分の案も出たが、その場合は高確率で御坂美琴や上条当麻が敵に回る。
 電子戦の申し子と最強を打破した存在を同時に相手取るのは流石の上層部も二の足を踏んだ。下手をすれば二人に呼応して反乱分子が結集する恐れすらある。そうなれば上層部は元より、学園都市とて唯では済まないのは目に見えていた。

 アレやコレやと議論が紛糾した結果、最終的に学園都市外部の協力機関に分散して『妹達』を委託する事が決定された。
 別名、丸投げとも言う。実際のところ、現実的に『妹達』を学園都市内で永続的に秘匿するのは不可能なのだ。

 隠匿に細心の注意を払っていた実験とて、軍用クローンの存在は学生の噂話の一つに挙げられていた。
 出来得る限り外界との接触を断たせていたにも関わらず、だ。
 今後、延命の為の調整処置の一環として『妹達』を外界に出す事は既に大枠で決定している。
 学園都市の威信を守る為にも、一万人の『妹達』の大行進なんて事態は絶対に避けなければならない。

 そうした理由で極秘裏に行われた『妹達』の放出計画は当初の目論見通り、外部組織に察知される事無く成功した。
 目先の問題が片付いた上層部はホッと胸を撫で下ろしたのだが――予想外の出来事により事態は急変する。

 魔術サイド。とりわけ学園都市との交流が深いイギリス清教から緊急の問い合わせがあったのだ。

 ――『妹達』なる者達を世界中に配置した真意を問う。

 それが十日前、イギリス清教からの最初の要求だった。
 限られた者しか知り得ない『妹達』の部外秘情報をイギリス清教が掴んでいた理由は直ぐに分かった。
 元研究員――天井亜雄が取引の一環として、外部組織に『妹達』の詳細な情報を流出させていた事が判明したのだ。
 その情報が紆余曲折のルートを辿り、最終的にイギリス清教にキャッチされたのが事のあらましだった。

 当然、イギリス清教は『妹達』の存在に戦慄した。

 一万人のクローンという時点で現実味が無いのに、流出したカタログスペックには全ての固体が平均的な能力者以上の戦闘能力を保持していると記されているのだ。さらには上位固体にコマンドを入力すれば、『ミサカネットワーク』なるものを介して一糸乱れぬ一斉蜂起も可能だという。そんな凶悪極まりない代物が魔術サイドの知らぬ間に全世界に配置されていた。脅威を抱くなというのが無理な話である。

 イギリス清教の頂点に君臨する最大主教《アークビショップ》は即日、アレイスターと会談した。
 その議場でアレイスターがあっさり『妹達』の存在を肯定した事で、イギリス清教も慎重に成らざるを得なくなる。
 下手に動いてローマ正教やロシア成教に勘付かれれば、科学サイドと魔術サイドの全面戦争に突入しかねないからだ。

 学園都市からすれば内部崩壊に繋がるかもしれない要因をわざわざ懐の中に仕舞い直したくはない。
 イギリス清教からすれば戦争勃発に繋がりかねない盛大な火種をいつまでも残して置きたくはない。
 両者は決定的な食い違いをしながら、平行線を辿って今に至っていた。

「……イギリス清教はこれ以上、単一での議論を望んでいません。今回こちらの要望を呑んでいただく事が出来なければ……残念ながら、イギリス清教は教会全体にこの問題を公表し、全面での議論へ発展させていただきます」

 それは、ある種の最後通告であった。
 これだけ言っても解決に向けて推し進めないのなら、こちら側は戦争も辞さないという姿勢を鮮明にする。

「……どうするんだ? 俺がここにいるのは、この間で決められる決定を正しく記録に残すためだ。先送りは許されない。どんな内容にしろ、この場で決断してもらうぞ」

 本来、この場にいるべきではない土御門が同席しているのはその為だ。
 アレイスター直々に指名され、イギリス清教からも記録係として会談に参加するように命令されていた。

 イギリス清教『必要悪の教会《ネセサリウス》』に所属する土御門は名目上、スパイとして学園都市に潜入している。

 尤も。実際はアレイスターに素性を把握され、ただ泳がされているだけに過ぎない。
 イギリス清教もその辺りの事情は理解しているので、土御門が名指しで指名された際にも大して動揺は無かった。
 精々、虚偽の報告をした際に処刑し易い身近な者を選んだのだろうと考えている程度である。
 
 故に――土御門が魔術サイドと科学サイドを股に掛け、複数の草鞋を履いている事を、『必要悪の教会《ネセサリウス》』はまだ知らない。

「ふむ。君たちはシステムの統轄点『最終信号《ラストオーダー》』が欲しい。だが、学園都市は承諾できない。ならば方法は一つだ」

 アレイスターは淡々と語る。

「君たち魔術サイドの人間が『最終信号』を殺したという事実があれば、この事態も少しは落ち着くだろう」

「「!?」」

 さらりと告げられたアレイスターの提案に、二人は息を呑んで身を硬直させた。
 それは現状を打開する最も簡単な方法にして、絶対に不可能だと思われていた方法だったからだ。

 最終信号は創られた者とはいえ、学園都市の能力者である事に変わりはない。

 それをよりにもよって魔術サイドの人間の手で殺させるなんて、下手をしたら即時開戦の危険性すら孕んでいる。
 だが、アレイスターはそんな事など問題無いと言わんばかりに、決定事項を語るようにして粛々と話を進めていく。

「では、その役目は君に任せるとしよう。なに、アレ自体には大した能力など持ち合わせていない。君ならば、確実に殺せるだろう。万一失敗したとしても、殺せるまで君の学園都市への出入りを認める。ここまで譲歩したのだ。これ以上、私は何もするつもりはない」

「……あなたが良いと仰るのなら、こちらに断る理由はありません。しかし、一つだけ質問をよろしいですか?」

「なんだね?」

「上位固体を再度創る事は可能ですか? もし可能なら、殺す意味がない」

「時間を掛ければ可能、とだけ言っておこう。もっとも、此方にも事情がある。以後の生産は無いと思って構わない」

「事情、とは?」

「君は一つだけと言った。これ以上、私に答える義務は無い。私の言葉が信用できないのなら、それで構わないがね」

「…………」

 タヌキが、と。ステイルは悪態を吐き捨てそうになるが、寸前で思い止まる。
 敵陣の真っ只中で敵の総大将を侮辱する程の無謀心をステイルは持ち合わせていない。
 それにアレイスターはトップ同士の会談で『妹達』の存在を隠さず、あっさり認めたと聞いている。
 今さら、嘘を言う理由も無いだろう。ステイルはそう判断した。

「……失礼しました。では、私は早速、最終信号の処理に向かわせて頂きます」

 ステイルは形だけの礼儀を繕って、さっさとアレイスターに背を向ける。
 こんな辛気臭い所には一秒とて長居したくは無かった。すると、そんなステイルの心情を汲むかのように、タイミングよく空間転移能力者の少女が現れた。どこまでも用意周到なアレイスターに胸中で中指を折っ立て、ステイルは憮然とした足取りで自身よりも二歳ほど年上に見える少女の下に向かう。ふと。ステイルは同伴者である土御門が追随していない事に気づいて、肩越しに怪訝な視線をやった。

「土御門?」

「ステイル。俺はまだ事後処理のことで話があるから、先に行ってくれ」

 土御門は振り返ろうともせず、ヒラヒラと気怠そうに片手を振る。
 その動作にはあからさまに「とっとと行け」と込められていた。普段ならステイルからの熱い反論+反撃があるところだが、生憎とアレイスターの手前それはできない。せめてもの反抗として土御門の背中を睨み付けるが、それも直ぐに空しくなって肩を落とした。さっさと出よう。ステイルはそう遣る瀬無く思いながら踵を返して、途端にビクゥッ! と竦み上がった。それと言うのも案内役の少女が壮絶な眼光で土御門の背中を射抜いていたからだ。まるで嫌な行為を悪戯に引き伸ばされて、癇癪を起こす狂人のような瞳だった。

 ギロッと。少女の視線がステイルの方にスライドする。さっさと来い。少女の瞳は言外にそう物語っていた。
 結果、ステイルは最悪な気持ちのまま、その場を後にする事になったのである。

「…………」

「…………」

 残された二人は無言で視線を交錯させる。
 けれど、そこに込められた感情は決して交わらないものだ。

 アレイスターは虚無。何の感情も映さず、何の感慨も抱かない。
 人形のように無機質な瞳には、そもそも意思というものが欠落していた。

 土御門は敵意。激しい業火に揺れ、それを必死に押し殺す。
 激情に燃える瞳はギリギリのラインで表に出る事無く抑え込まれていた。

「……これが、お前の考える虚数学区を掌握する方策の一つというわけか」

 怒りに喉を震わせながら、土御門は呻くようにして言葉を搾り出す。

「確かに妹達を外に配置することには成功した。しかし、目の届かない所にいる以上、不安要素は万に一つの確立でだが残る。お前は、より重要な計画を隠すために、あえて妹達の情報をイギリス清教に流したな? その眼を最終信号――たった一人に向けさせるために」

 そう。今回の騒動は全て、アレイスターの自作自演。

 わざわざイギリス清教に妹達の情報を流したのも、全てアレイスターの思惑の内であった。

 これを知ったイギリス清教はこう考えるだろう。他の教会に情報を流せば開戦に繋がるかもしれない。かといってイギリス清教だけで世界中に散らばった一万もの妹達を始末、監視するのは現実的に考えて不可能。ならば、たった一人。妹達の生命線とも言える学園都市在住の最終信号を始末した方が遥かに手っ取り早い、と。仮にステイルが最終信号を殺せば、その瞬間。イギリス清教は危険度が減少した妹達を厄介に思いながらも黙認する事になる。しかし、アレイスターの策略はそれだけではなかった。

「最終信号は一方通行が守っている……それを見越してのことか」

 現在、最終信号を守っているのは学園都市最強の異名を持つ一方通行だ。
 諸処の理由により一方通行の戦闘能力は全盛期に比べて大きく低下しているが、それでも並大抵の相手ではない。
 如何にステイルが戦闘に優れた魔術師であろうと、正面から――否、あらゆる奇策奇襲を用いて挑もうと破る事は叶わないだろう。それで文句を言ってこようが、アレイスターは記録係である土御門の前で「後は何もしない」と公言している。それに学園都市へ自由に出入りできる権限はイギリス清教にとっても魅力的だ。一度ステイルが失敗すれば、もしかしたら永続的に最終信号は生かされ続けるかもしれない。

 結局、ステイルが最終信号を殺そうが殺すまいが、どちらにしろ妹達の下位固体からある程度注意が逸れる。
 アレイスターの思惑は最初から成功するように仕組まれているのだ。しかし、疑問も残る。一見すると、この方法はアレイスターの計画をより完璧にする為の布石に思えるが、それにしたってわざわざこちらから情報を流してやる必要なんて無い。あちらが気づいてから始めて現状に持っていけば良いのだ。それなのに何故、アレイスターはあえて情報を流したのか。土御門の疑問に、アレイスターはやはり淡々と答える。

「プランを短縮できる。それだけだ」

「……まったく、プラン、プランと……いつかそのプランによって身を滅ぼすぞ」

「現状で私が死ぬ未来は一つもない。ありもしない未来に怯えるのは無意味だよ。私の事より君は我が身を心配する事だな。現時点で、君が好奇心によって身を滅ぼすパターンは千を優に超えている」

「……ご忠告、痛み入る。それじゃあ最後に、その我が身を滅ぼす好奇心から質問だ。システムの統轄点とは部下に命令する上司のようなもの。上司を殺したとして、本当に部下達は機能を失うのか?」

「まさか。上位固体が消えたところで下位固体にまで影響が及ぶ事はない。だが、こちら側からの干渉は事実上不可能になる。あちらにとってはそれで十分なのだよ。指揮官が存在する一糸乱れぬ軍隊と、指揮官が存在しない単一の兵士。どちらが御し易いかなど、君相手に説く必要も無いだろう?」

 まるで当然のようにスラスラと語るアレイスターには、殺害対象にされた最終信号への哀れみなんて存在しない。
 言うなれば、事務処理をしているレベルであった。

「今回は君にも存分に働いてもらうつもりだ。最悪の結果を招きたくなければ、甲斐甲斐しく動き回るといい」

 ギリッと。自分ではどうする事もできない問題に土御門は奥歯を軋むほど強く噛み締めた。
 けれど、何もできない己でも、これぐらいの呪詛は残してやれる。

「……俺からも一つだけ忠告しておこう。この世に絶対なんて言葉は存在しない。精々今のうちにお山の大将を気取っているがいいさ。お前のふざけた幻想は、必ず殺される事になる」

 いつの間に戻って来たのか。
 何も言わず、能面のような無表情で立ち尽くす案内役の少女に歩み寄りながら、土御門はそう吐き捨てた。
 少女と土御門が消えて、室内に残るのは一人だけ。元の静寂に包まれる薄暗い空間の中で、アレイスターは静かに呟く。

「君は何もわかっていないな。絶対が存在しないという事は、絶対が存在する事への裏返しなのだよ。それに――」

 うっすらと、アレイスターの口元に笑みが浮かんだ。
 それは喜んでいるようで、怒っているようで、哀しんでいるようで、楽しんでいるような。
 人間の持つ感情の全てが凝縮された、本当の意味での笑み。

「――プランを短縮しつつ暫くの娯楽も提供される。そのためなら、多少の幻想など殺されたほうが面白い。君たちは精々踊りたまえ。どうせ、この程度の喜劇など、今後訪れる大局の前には水面へ抛る礫に過ぎん。ああ、そういえば君はもう一つ、大きな勘違いをしていたな」

 子供のようにあどけない笑みの奥にある残酷な仕草。
 アレイスターはそれを醸し出しながら、

「大切なピースの一つである最終信号を、私がこんな喜劇で手放すと思うかね?」

 いとも簡単に、ゲームの開幕を宣言した。

 揺ら揺らと水中で乱れる髪。
 八方に気の向くまま乱れるそれは――見えざる彼の内心と、踊らされる者達の心情を表しているかのようであった。















 九月十二日。

 一方通行と打ち止め。この二人の奇妙で奇抜で奇天烈な共同生活は瞬く間――というには少々濃すぎる日々だった気もするが、兎にも角にも無事に四日目に突入しようとしていた。

「おーい、お寝坊さん朝ですよー! ってミサカはミサカは隣の住居の人に迷惑にならないぐらいの声で目の前の困った団子虫さんに声を掛けてみたり」

 耳元でガンガン響く喧しい声。安眠をターミネイトする使者、打ち止めの登場だった。
 一方通行はソファの上でもぞもぞと寝返りを打って、眼前の打ち止めを虚ろな瞳で直視する。

「あっ、起きた? ってミサカはミサカはささやかな期待と大部分の諦めを込めて確認してみたり」

「……死にたくなけりゃァ黙ってろ、クソガキ」

「わーいやっぱりダメでしたー、ってミサカはミサカは未だに一方通行の口からおはようを引き出せない事を無念に思ってみたり。って言ってる傍から二度寝しないでってミサカはミサカは必死に揺すってみたり!」

 再び寝入る体勢に移行した一方通行を妨害するべく打ち止めは果敢にも体を張って阻止に尽力した。
 普通の寝坊助ならこの辺りが起き時だが、睡眠に関しても一騎当千の覇者である一方通行は尚も抵抗を試みる。

「……それ以上喚きやがったら、あの世とやらを拝ませンぞ」

「とは毎日言いつつもミサカは今まで拝んだ事はないよ、というわけで朝だよー、あさあさあさーっ! ってミサカはミサカは昨日起きてくれた掛け声を耳元で叫んでみるの」

「……ちィ」

 こういう時に限っては、過去の遣り取りの殆どを記憶している良すぎる頭が恨めしい。
 打ち止めが覚えていないとは分かってはいても、らしくもなく、なんかこう――胸に来るものがあるのだ。
 お蔭で二日続けて午前八時起床という一方通行にしてみれば奇跡としか言い様の無い記録を絶賛更新中であった。

「ほらほらいつまでも寝惚けてないでこっちに来るの、ってミサカはミサカはお寝坊さんを誘導してみたり」

 未だ覚醒しきっていない一方通行は思考に靄が掛かっている状態だ。
 そんな一方通行に現代的な杖を掴ませると、打ち止めはグイグイ引っ張ってテーブルに着かせる。
 テーブルに並べられているのは今まで通りレンジでチンのお手軽レトルト食品――ではなく、焼き立てのトーストにスクランブルエッグ、ウインナーという洋風の朝食メニューだった。もちろん今まで惰眠を貪っていた一方通行にこんなものを作れるわけがなく、消去法で考えればもう一人の同居人が作った事になる。なんでも打ち止め曰く、

「レトルト食品ばかりじゃ味気ない、もとい栄養が偏っちゃうのでこれからはミサカがご飯を作る! ってミサカはミサカは固い決意を胸に秘めて主に自分のために生活改善を目指してみたり!」

 との事だった。ちなみにこれは二日目の夜の言葉で、昨日の二人の朝食は黒焦げのトースト、焦げ目が目立つスクランブルエッグ、生焼けのウインナーであった。どうやら、その際に賜った一方通行のネチネチとした嫌味をバネに死ぬ気で努力をしたらしい。お手軽の一品の域を出ないものばかりとはいえ、たった一日でここまで上達するあたり、意外とそっち方面の才能があるのかもしれない。

「あ、そういえばさっき病院から電話が合ったよ、ってミサカはミサカは唐突に思い出してみたり」

 適度に焦げ目がつき、イチゴジャムをたっぷりと塗りたくったトーストを美味しそうに頬張っていた打ち止めは、ふと一方通行を起こす三十分ほど前に掛かってきた一本の電話の事を思い出した。

「なンだ? まァた芳川の野郎がぶっ倒れでもしたのか?」

「それもあるけど「あンのかよ」アナタに関係してるって言ってたよ、ってミサカはミサカは中までしっかり火が通ったウインナーをモグモグ頬張りながら伝えてみたり」

「あァ? 俺に関係してるだァ? ……まあ、一つしかねェわな」

 一方通行が言うように、こんな朝っぱらから病院に呼び出されるほどの用件は一つしか思い当たらない。
 そしてこれは決して無視する事のできない問題でもあった。

「ったく……めンどくせェー」

 言葉通りの感情をありありと顔に滲ませながら、一方通行はマーガリンが薄く塗られたトーストにがぶり付いた。
 余談だが、傍目から見た二人の生活の様子は新婚生活とまったく相違無かった事をここに追記しておく。




[29370] とある超能力の一方通行 第九話 ~魔術師の決意~
Name: 黒夢◆013b61e7 ID:a1b4249f
Date: 2011/08/25 20:50



「結論から言うけど、どうやらちゃんと機能しているようだね。ネットワークも変換機も、君の脳とうまく繋がっているよ」

 時刻は午前十一時。一方通行の眼前には両生類っぽい顔の男性がいた。
 一方通行、芳川桔梗、打ち止めの命の恩人であり、その後の生活でも三人が多々世話になっているカエルによく似た医師である。
 本人はまったく気にしていないが、我の強い三人に強い影響力を持つ唯一の人物でもあった。

「怪我についてはもう少し時間が掛かりそうだね。まあ、無理もないかな。フライング過ぎる退院だったし、この際だからもう一度入院する気はないかい? 今ならもれなく、僕お勧めの可愛い看護士さんが三人ほど付き添ってくれるけど?」

「謹ンで遠慮しとくぜェ。磨り潰してノイローゼにしちまいそうだかンなァ」

「そんな柔な娘はうちにいないよ。でも、君がそういうなら仕方ないね。それにしても……よくアレだけの重症を負って動けるよね、君。今さらながら、君が学園都市最高の能力者だと痛感するよ」

「つっても表面だけで内面はボロボロだぜ?」

 二週間ほど前に頭蓋骨を銃弾で傷つけられた一方通行が動けているのは、偏に能力を駆使して再生を促したからだ。
 流石に頭蓋骨の亀裂を完全に治すのは無理だったが、目に見える傷口は一通り完治して、薄っすらと痕を残すのみである。

(まったく、常連の彼を思い出すね。まあ、無茶なのは彼女もだけど)

 現在、この病院で世話をしている芳川も大概に無茶が過ぎる。
 四日前の面会では、一方通行と打ち止めが連れ添って病院を後にするのを見送った直後、無理が祟っていきなり倒れた。
 もし、医師が待機していなければどうなっていた事か。この二人と常連の彼は医師にとって密かな心労の種である。

「でも、まあ、くれぐれも無茶はしないようにね。君の使っている変換機はあくまでも試作型だから、どんな不具合が生じるかまったく予想できない。まあ、普通に生活して、能力を使うぐらいだったら全然大丈夫だから安心して良いよ」

「……そいつは約束できねェな」

 何せ、そういう普通に生活できない場所にこそ一方通行は立っているのだから。

(っつか、そういやァあのガキはどこ行きやがったンだ?)

 病院に入るまでは一緒だったはずなのに、ふと気がつくといなくなっていたアホ毛少女に思いを馳せる。
 尤も、この病院内で誘拐される事は無いだろうし、行き先も予想がつくので一方通行は暫らく放って置くことにした。










「ヤッホー! お見舞いに来たよー! ってミサカはミサカはとりあえず遊びに来た建前として社交辞令風に言ってみたり!」

 ちょうど一方通行が少しだけ共同生活者を気にかけていた頃。
 ここにノックもせず、いきなり個人病室に特攻する無礼な来客が約一名。
 誰であろう打ち止めその人である。打ち止めの視線の先には今朝医師から倒れたと連絡があった芳川――ではなく、

「――せめて最低限のマナーは守ってほしいものです、とミサカは無駄だと知りつつもため息混じりに要求します」

 一方通行の最後の標的となった妹達、御坂妹、より正確に言うならばミサカ一〇〇三二号がいた。
 何時もの常盤台の制服ではなく、入院患者に支給される病衣を着てベッドに横になっている。

「キキョウはお眠りモードに入ってるからミサカはとてつもなくお暇なのです、ってミサカはミサカは精一杯お暇である事を表現するためにベッドへダイブしてみたり!」

 一応、打ち止めはここに来る前に芳川のいる病室にも顔を出してきた。
 けれど肝心の芳川が熟睡していて、一向に目覚める気配が無かったのだ。
 元気一杯お気楽娘である打ち止めとしては誰かと遊びたいお年頃なわけで、御坂妹にとっては傍迷惑な事にこうして突撃を敢行したわけである。

「ミサカ二〇〇〇一号……アナタが時間を持て余している事はよくわかりましたが、それで私に何をしろと? とミサカは上半身を起こしながらそもそもの疑問点を挙げてみます」

「うーん、トランプとかは持ってきてないし、とりあえずミサカの質問にお答えしてくれたら嬉しいなー、ってミサカはミサカに上目遣いで懇願してみる」

「質問も何も私の知っている事柄は全てアナタも知っているはずです、とミサカはミサカ達における大前提を押し出します」

 御坂妹の言う通り、妹達が知り得る情報の全ては打ち止めも把握している。
 全妹達をリアルタイムで繋ぐ脳波リンク『ミサカネットワーク』とはそういうものだ。
 逆に、打ち止めが情報を秘匿する事は上位固体の権限で可能だが、下位固体に過ぎない『検体番号《シリアルナンバー》』二〇〇〇〇号以下の固体には守秘性なんて皆無に等しい。だが、それを承知で打ち止めは言葉を重ねる。

「えっと、ミサカにも良くわからないんだけど……なんでか情報の欠落があるみたいなの、ってミサカはミサカは頭の中にぽっかり空いた空洞に悩まされながら頭をペシペシと叩いてみたり」

「っ!」

 目の前で、らしくもなく悩み込む打ち止めを真っ直ぐに見つめながら、御坂妹は人知れず息を呑んだ。
 思い当たる節はある。いや、これ以外にはありえない。それは今から約二週間前。八月三十日から三十一日の記憶。
 打ち止めにとっては何よりも大切な、記憶。

「不思議なのはもう一つ。今まで何度かネットワークでその空白部分を検索してみたけど結果は全て同じ、ってミサカはミサカは毎回検索が途中で中断される事を不可解に思ってみたり。ネットワークを通じて直接みんなに聞いても知らないの一点張り、ってミサカはミサカは不可解さを増してみる」

 ゆっくりと。焦らすように。打ち止めは四つん這いで御坂妹へとにじり寄る。
 逃がさない為なのか、小さな両手は御坂妹の手首をしっかり掴み、圧し掛かる小さな体は御坂妹の自由を封じる。
 見掛けは変わらない。雰囲気も、無邪気さもいつものままだ。
 けれど、そこにいるのは確かに『打ち止め《ラストオーダー》』ではなかった。



「――ねえ、アナタたちは、ミサカの何を知ってるの?」



 妹達というシステムの統括点――『最終信号《ラストオーダー》』が、そこにいた。

「それは……」

 虚言は許さない。言外に告げる打ち止めの大きな瞳に御坂妹は思わず気圧された。
 何とも言えない迫力に押されて無意識の内に口を開き掛けるが、寸前で出かけた言葉を飲み込む。
 妹達には、真実を話せない理由がある。それは一方通行が流したと思っている警告のせい――ではなかった。
 御坂妹の、延いては妹達の胸中にあるのは、たった一つのお願いだ。

【来るべき時が来るまで黙っていてほしい】

 元実験体である妹達に元研究員である芳川が、真摯に頭を下げて紡いだお願い。それを思い出す。
 御坂妹は小さく深呼吸をして、口の中で言うべき言葉を選別する。僅かな沈黙の後、いつも通り落ち着いた口調で語り始めた。

「……確かに私達はアナタの知らない空白の記憶を知っています、とミサカは正直に白状します。この世界で誰よりもアナタが知っているべき記憶で、他の何よりもアナタが知っているべき記憶でしょう、とミサカは言いながらわずかな愁いを胸に秘めます」

 八月三十一日。あの日に起こった出来事は、結果的に妹達の新たな希望として繋がった。
 一方通行を変えてくれた打ち止めには感謝している。本当なら直ぐにでも記憶を戻してあげたい。
 だけど。それはやっぱりダメなのだ。

「アナタはその記憶を完全に失っています、とミサカは絶対の事実を口にします。ですが、それを教える事はできません、とミサカははっきりと断ります。アナタなら記憶なんてモノが無くとも大切なモノに気づく事が出来るはずです、とミサカは半ば確信を込めて言い放ちます」

 今の一方通行は本当の気持ちと偽りの気持ちの狭間で揺れ動く天秤のようなものだ。
 他の誰よりも打ち止めの記憶が戻ってほしいのに、偽りの気持ちが邪魔をしてそれをする事ができない。
 そんな純粋な『人』としての想いを。葛藤を。どうして部外者に過ぎない妹達が崩せるだろうか。

 御坂妹は語れない。打ち止めと一方通行の為にも語る事はできない。
 これは既に妹達の問題ではなく、二人の問題だ。何の関係も無い第三者が真実を口にするなんて、ルール違反にも程がある。
 頑なに口を割ろうとしない御坂妹を打ち止めはジト目で見据えるが、暫らくすると残念そうに溜め息を吐いた。

「はぁ……じゃあ、最後の質問、ってミサカはミサカは潔く諦めて区切りをつけてみたり。その欠落した記憶ってもしかして一方通行に関係してる? ってミサカはミサカは前から思ってた疑問をぶつけてみるの」

「……はい、とミサカは肯定します」

 少しだけ迷うが、結局、御坂妹は肯定した。
 芳川は八月三十日から三十一日に掛けての出来事を話さないでくれと言っていたが、逆に言えば一方通行と関連性があったかどうかを話すなとは言われていない。屁理屈のような気もするが、このぐらいの『道標』は在ってしかるべきだろう。

 それに――

「そっか、ってミサカはミサカは納得してみたり。ミサカはね、どうしても一方通行と初対面じゃない気がしてたんだ、ってミサカはミサカはニコニコになってみたり」

 妹の嬉しげな表情を見られるのなら、少々の屁理屈など望むところだ。
 ほんの少しだけ従来の無表情を緩めた御坂妹は、打ち止めを見つめながら優しげに微笑んでいた。















 学生で賑わう華やかな表通りとは対照的に、人気が無く薄暗い裏通り。
 より正確に言うのなら、学生寮に囲まれて蜘蛛の巣の如く入り組んだ路地のさらに奥だ。

 そこに。漆黒の修道服を身に纏う奇妙な風貌の少年がいた。

 魔術側の人間。イギリス清教『必要悪の教会《ネセサリウス》』所属の魔術師。
 過去にして現在の禁書目録の護り手。ステイル=マグヌスだ。

 ステイルは、その人目に付き過ぎる風貌のせいで人通りの激しい箇所を通る事はあまりできない。
 いくら学園都市統括理事長アレイスターの許可を得ていようと、所詮は余所者。
 迂闊に目撃され、記憶にいつまでも留められては、これからの行動に万が一にも支障をきたす可能性がある。

 そう――今回ばかりは万が一の要因すら、完全に取り除く必要があった。

 入念に準備を進め、確実に目標の命を刈り取らなければならない。失敗は、決して許されないのだ。
 ステイルは不味そうにタバコを吸いながら、どこからか一枚の写真を取り出した。今回の目標、最終信号が写されたものだ。

「ホント、理解に苦しむね。どうして大切なシステムの統轄点に人型を選んだのやら」

 よく見知った『彼女』と似通う眩しいばかりの笑顔。
 土御門から渡された資料によると、この少女は科学によって創られた命らしい。
 けれど、この笑顔の前では十字教の自身ですら、そんな事は些細な情報に思えてくる。

 この笑顔を、今から消し去るのだ。

 クッと。思わず喉が可笑しげに震えた。
 いやいや、本当になんともこの身に相応しい役回りだとステイルは自嘲する。

「せめて、苦しみすら与えず一瞬で葬る。それが僕に出来る最大の慈悲であり――情けだ」

 手に持つ写真を握り潰して、薄汚れた路地裏に抛り捨てる。
 その場に残されたのはクシャクシャの写真と、半ばまで灰になったタバコの吸殻。

 そして――独りの男の後悔と迷いだった。















 場所は変わり、学園都市の各所に点在する公園の一つ。
 第七学区の一角に広大な面積を費やして整備されたこの公園の中央広場は、大きさだけなら学園都市の公園の中で五本の指に入る規模だ。暖かな陽光が燦燦と天空から照り付け、絶好の日向ごっこ日和を演出している。円形状に広がる広場の端と端は、直線距離にして約百メートルはあるだろうか。もし此処が学園都市ではなく『外』の公園であれば、さぞかし様々な催し物が執り行われていた事だろう。

 既に昼時と言うには時間を逸しているからか、広場にいる人影は疎らだ。見渡す限りでは十人もいない。
 大半が学生の身分に縛られ、残る少数の大人も教職員や研究者ばかりの学園都市ならば、こんなものであろう。
 この場にいるのは煩わしい立場に准じない自由人か、元から束縛される対象を持たない暇人達ぐらいだ。

 広場の縁を沿うようにして設置されているベンチの一つを温めている二人の少女は、どちらかと言えば後者に当て嵌まった。

 一人は清楚で可憐で大人しげ――と言えば聞こえは良いが、実際には無愛想を顔に貼り付けているだけの十四、五歳の少女。
 もう一人は十歳ぐらいの少女で、無愛想な少女によく似た顔立ちをしている。こちらは表情がコロコロと変化するので、見ているだけでも飽きなかった。どっからどう見ても姉妹にしか見えないこの二人の正体は――あえて言うまでも無いだろう。

「……今更ですが、なぜミサカは外出しているのでしょうか? とミサカは自問します」

 常盤台中学の制服を着込む御坂妹は病室内での会話を思い出そうとして、やめた。
 思い出さずとも、どうしてこんな状況に陥っているのかなんて分かり切っていたからだ。
 今の自問にしても、この後の面倒事に頭を悩ましたからに他ならない。まったく以って厄介な司令官を持ったものである。

 ふと視線を下に向ければ、香ばしい匂いを燻らせるホットドッグが映った。隣に座る打ち止めが道すがら買ってきたものだ。

 どうやら打ち止めは何かあった時の為に一方通行から幾許かの金銭を渡されていたらしく、その範囲内でなら買い物を許されているらしい。ちなみに打ち止めは食べるのに夢中で、一心不乱にホットドッグにがぶり付いていた。この様子ではよほどお腹を空かせていたのだろう。現在の時刻は午後二時に差し掛かっているので、仕方ないと言えば仕方ないが。

(それにしても、妹に奢られる姉というものは情けないですね、とミサカはわずかに消沈します)

 少し冷めたホットドッグをアムッと口に運びながら、御坂妹は傍目には分からない程度に項垂れた。
 本来、妹達に姉、妹の概念は当て嵌まらないのだが、こうまで見た目と性格が異なると少しは意識してしまう。
 未だに情緒が未成熟とはいえ、それぐらいの感情は芽生え始めていた。

 ホットドッグを食べ終えた二人は近くの自動販売機で普通のコーラを購入すると、ゆったりと寛ぐ。
 間違っても、とある常盤台中学のお嬢様のように自動販売機を四十五度の角度から蹴り上げ、強引に飲み物を取り出して逃走という行為はしていない。

「そういえば大丈夫なのですか? とミサカは確認を取ります」

 頃合を見計らって御坂妹は、先程から疑問に思っていた事を聞く事にした。

「え、なにが? ってミサカはミサカは聞き返してみたり」

「アナタが彼の側を離れた事です、とミサカは答えます。彼がアナタの側にいるのはアナタを守る為でもあります。そのアナタが自分から離れてしまえば如何に彼でも守る事は困難になるのでは? とミサカはアナタと彼の大前提と現状を今更ながら考察します」

「それなら大丈夫だよ。ちゃんと此処に行くってキキョウの病室に手紙を残してきたから、ってミサカはミサカは抜かりが無いことを胸を張って発表してみたり」

「……それは本当に大丈夫なのですか? とミサカは疑念を抱かずにはいられません」

 御坂妹はあまりの危機感の無さに呆れる反面、それも仕方が無いと思い直した。
 打ち止めにしてみれば、一方通行と暮らし始めてからは楽しい日々の連続で、守り守られる関係である事なんてすっかり失念しているのだろう。ネットワークを通じて二人の日常を把握している御坂妹にとっても、今の二人の関係は良好そのものであった。

 しかし、だからこそ、一方通行としてはやりきれない。

 もし、打ち止めに離れるなと厳命していたなら。

 もし、打ち止めと病院内で一緒に行動していたなら。

 もし、打ち止めの事を思い出した時に探していたなら。

 ――この事態も、あるいは回避できたかもしれないのだから。


「うん? これはこれは……本当に良く似ている。これで年齢が同じなら、きっと瓜二つなんだろうね」


 少年のようで青年のような。そんな二極端の声が、ヤケに大きく広場へ響いた。
 二人は持ち前の能力――発電能力の応用で張り巡らしていた電磁センサーによって、その声の主の接近に気付いてはいた。
 別段、気に掛ける必要は無いだろうと、意識に留めてすらいなかったのだが、こうして声を掛けられては反応しない訳にはいかない。一見して一般人とかけ離れている風貌の少年は胡散臭い作り笑いを浮かべて、口先のタバコを上下に弄びながら二人に近づいていく。

「わあ、変なわっぷ」

「……何者ですか、とミサカは警戒心を抱きつつ質問します」

 喋りかけた打ち止めの口元を御坂妹は片手で押さえ、ネットワークを通じて打ち止めにジッとしているように告げる。
 ただならない御坂妹の雰囲気に不穏なものを感じた打ち止めは、理由も聞かずに頷いた。それを確認して、御坂妹は立ち上がる。
 既に思考は臨戦態勢へ移行され、予め設定された数値通りの動作を可能とする為に、筋肉繊維の一本一本までもが柔軟に張り詰められていく。それは実際に一方通行という名の怪物と戦った御坂妹だからこそ分かる、確信にも似た直感だった。

(この感覚……久しぶりですね、とミサカは二度と感じたくなかった戦いの予感を嫌々ながら受け入れます)


 ――この男は、ミサカ達に害を成す敵だ。


「僕? 僕は魔術師さ。それにしてもなかなか面白い口調だね。僕の上司もかなりおかしいけど、君のそれも劣っていない……こうして考えると、僕の周りっておかしな口調や台詞回しをする奴が多いな。うん。これは新発見だ」

 殺伐とした空気なんて意にも介さず御坂妹に話し掛けながら、男は尚も歩みを止めようとはしない。
 魔術師という単語に若干の引っ掛かりを覚えるものの、恐らく放言の一種であろうと御坂妹は結論付けた。

「それ以上近づけばミサカ達への敵対行為と見なします、とミサカは警告します」

 既に御坂妹の掌にはバチバチと帯電する十数万ボルトもの電撃が生み出されている。
 警告通り、これ以上男が接近すれば問答無用で御坂妹は攻撃を行うつもりだった。

 御坂妹は隣に座っている打ち止めを一瞥すると、ネットワークを通じて離れているように忠告する。
 打ち止めは何か言いたそうに眉を顰めたものの、戦闘能力が皆無な自分がいても邪魔になるだけだと分かっていた。
 素直に立ち上がり、ベンチの後ろに隠れる。男も御坂妹が本気であると感じ取ったのか、十メートル程の距離を離して立ち止まった。

「怖がる事はないよ。ただ、そっちの小さな女の子に素敵なプレゼントがあるんだ」

 毛を逆立てる子猫のように警戒する御坂妹に笑いかけながら、男は軽く指を振るう。
 すると一体いつの間に取り出したのか。右手の指先には一枚のカードが挟まっていた。
 それは本当に、何の変哲も無い唯のカードに過ぎない。少なくとも、


「ぜひ受け取って欲しい――覚める事の無い永遠の眠りを、ね」


 そのカードが獄炎に包まれ、一対の剣として形を成すまでは。

「!?」

 咄嗟に御坂妹は腕から雷撃の槍を射出するが、攻撃の予兆は読まれていたのだろう。
 一瞬疾く、横薙ぎに振るわれた男の炎剣は、造作も無く雷撃の槍を消し飛ばした。
 その結果に御坂妹は僅かに唖然とするが、炎の残滓の狭間から垣間見えた男の凄惨な笑み――それが向けられている先に気付くと、即座に驚きを振り払った。

「くっ!!」

「わっ!?」

 焦燥に駆られながら、御坂妹はベンチの後ろに隠れていた打ち止めを強引に引っ掴むと、胸に抱いて離脱する。
 その一瞬後、飛来した炎弾によってベンチは火炎と爆風に揉まれ、粉々に粉砕された。

「レベル3……いえ、レベル4に相当する『発火能力《パイロキネシス》』」

 改めて打ち止めを後方に押しやりながら、御坂妹はその破壊力に舌を巻いた。
 悔しいが、そこに込められた熱量は自分程度の雷撃では到底太刀打ちできるものではない。
 軍用クローンとして必要な情報を詰め込まれた御坂妹は冷静な戦力分析の結果、そんな結論を導き出した。

「ステイル=マグヌス」

 如何にしてこの危機的状況を乗り切るかを思案していた御坂妹の耳朶に、聞き慣れない名前が飛び込んできた。
 言った本人はタバコを吹かして相も変わらず笑っている。

「僕の名前さ。せめて、自分を殺す者の名前ぐらい知らなきゃ死んでも死にきれないだろう?」

「あなたの狙いはミサカなの? ってミサカはミサカは真剣に訊いてみたり」

「その通り。僕は君を殺さなくちゃならない。世界のためにも、ね」

 ステイルはあくまでも軽く、けれども決して冗談を挟まない声音で宣言した。
 明かされた襲撃の理由と目的に打ち止めは「はて」と首を傾げる。確かに打ち止め――ミサカ二〇〇〇一号は妹達の統轄者だが、それはあくまで統括点という意味でしかない。捕獲するならまだしも殺す事に意味があるとは思えなかった。一方の御坂妹は、紡ぐ声音に明確な苛立ちを込める。

「ずいぶん勝手で曖昧な理由ですね、とミサカは怒りを抱いて言い捨てます」

「ああ、まったくだよ。本当に、反吐が出るくらい勝手で曖昧な理由さ。だから、その勝手さに憎悪して、その曖昧さに激昂して、僕の事を存分に怨むといい。僕はそれを一身に受けながら、それでもなお――君たちを殺そう」

 ステイルには最終信号を絶対に殺さなければならない理由がある。

 魔術サイドと科学サイドの全面戦争? そんなもの知った事ではない。

 いつだってステイルの中での優先順位は『彼女』が一番だ。
 このまま放って置けば確実に、間違いなく、『彼女』にまで危害が及ぶ。
 それを防ぐ為ならば、この身は喜んで堕ちるところまで堕ちてやろう。それが、ステイルの決意だった。

「話は終わりだよ。ここからは殺すか殺されるか……出会って間もないけど、僕たちの関係はそれだけで十分過ぎるからね」

 まるで自分自身に言い聞かせるかのような宣告だった。
 言い終えた途端、ステイルの瞳は炎のような熱意を秘めて爛々と輝き出す。

 ジワリと。冷たい汗が背中を濡らすのを御坂妹は自覚した。はっきり言って状況は最悪である。

 相手はレベル4に相当する能力者。対してこちらはレベル2~3程度の能力者が二人。
 しかも一人は非戦闘員ときた。武器さえあれば話は変わってくるのだが、現状の武器はこの体と能力だけ。
 相手が殺す気で来る以上、とても切り抜けられるとは思えなかった。それに――気になる点もある。

(妙ですね、とミサカは広場を見渡します。先程までは数人ほどいたはずですが、いつの間にか消えています、とミサカは愕然とその事実に気がつきます)

 ステイルの凶行を恐れて逃げ出したにしては、その過程の物音が無さ過ぎる。

(彼の能力でしょうか? とミサカは浮かんだ考えを即座に否定します。『発火能力』を用いている以上、他の能力は使えないはずです、とミサカは多重能力の研究結果を思い出します。共犯者でもいるのでしょうか? とミサカは推測を重ねます)

 思考すれば思考するだけズブズブと深みに嵌っていく感覚。
 出てくるのは絶望的な憶測だけで、希望を徐々に蝕んでいく。けれど、御坂妹は決して瞳の輝きを消そうとはしなかった。

(それでもミサカは、ミサカ達はこんな所で死ぬ気は毛頭ありません、とミサカは絶対の確定事項を改めて確認します)

 こうなった以上、現状で頼れるのは一方通行だけだ。
 打ち止めがいなくなっている事に気づいて、彼が探しに来るのを期待するしかなかった。


 ――ステイルが、動く。


 漆黒の衣をはためかせ、
 夕焼けのような赤い髪を揺らし、
 死神の大鎌を思わせる断罪の炎剣を握り締めながら、異端を携えた神父が駆ける。

 ああは言ったが、ステイルの目標は一万人も存在する下位固体ではなく、たった一人の上位固体のみ。
 邪魔をするなら蹴散らす事に躊躇は無いが、進んで殺そうとは思っていない。

 だが、魔術師ステイル=マグヌスの甘ったれた想いとは裏腹に御坂妹は動いた。

 まだ完治しきっていない身体を奮い立たせ、
 また壊れてしまうかもしれない身体の事など二の次に、
 大切な姉妹を守るために勝ち目の無い無謀な戦いへと身を投じる。
 かつて自分を殺すはずだった一方通行が、この場に来る事に一縷の希望を託して。

 爆炎が。雷撃が。まだ明るい空の下で激突する。
 いや、それは激突などいう高尚なものでは断じてなかった。
 何故なら――爆炎はいとも容易く、雷撃を消し飛ばしたから。

「……っ!」

 御坂妹は声も無く、厳しい現実を前に歯噛みする。わかっていた事だが、力に差が在り過ぎた。
 あの炎剣に収縮されている熱量は、人間を容易く雨細工のように溶かして余りあるものだろう。
 一方の御坂妹の雷撃は、精々が人間を一人気絶させる程度でしかない。

 たかだかレベル2~3の能力しか持たない御坂妹では、レベル4クラスの力を操るステイルの足止めにすらならない。

 だが、遣り方次第で行動を阻害する事ぐらいはできる。元々能力が貧弱なのはわかりきっていたはずだ。
 ならば、この身はどうやってあの最強と戦った。僅かにあった勝機に全てを掛けたのではなかったのか。
 御坂妹は一瞬で組み立てた戦術プランを実行に移すべく、ステイルの次に踏み込むであろう地面に向けて雷撃の槍を放った。
 弾ける地面に空いたのは、小さな穴だ。けれど、それで十分。

「!?」

 踏み込みを予定していた足場を崩され、ステイルの重心が僅かにぐらいついた。
 その隙を見逃す事無く、御坂妹は小さな身体をステイルの懐に潜り込ませる。
 無理な肉体行使によって体にズキリと痺れるような痛みが走るが、無視した。この程度は想定内である。

「ちィ!」

 妹達は戦闘用に調整されている。渡された資料にそう書かれてはいたが、まさかここまで鋭く的確な動きをするとはステイルにとって予想の範囲外であった。数々の戦闘経験に基づき、咄嗟に身体を退こうとする。だが、遅い。まず肋骨の隙間に御坂妹の小さな拳が減り込んだ。その先にあるのは肺。人体の臓器の位置を正確に把握しているからこそ出来るピンポイント攻撃であった。

「ゴ、ハァ……ッ!?」

 ステイルの胸元ぐらいの身長しか持たない御坂妹だが、そこに体格は関係ない。
 肺に溜まっていた空気を強制的に押し出されたステイルは、苦しげに表情を歪めた。

 だが、これだけでは終わらない。終われない。

 恐らく、この状況は千載一遇のチャンス。ステイルが御坂妹を舐めていた為に完成した、最初にして最後の好機。
 それを、たったこれだけの攻撃で終わらせてしまうのは、勿体無過ぎる。

 バチッと。紫電がステイルに突き刺さった拳から漏れた。

 雷は御坂妹の能力許容限界まで収束され、一気に解き放たれる。
 零距離で放たれた雷撃の槍はステイルの身体に深々と突き刺さり、大きな体躯を宙に浮かした。
 受身すら取れずにステイルは地面と熱烈な抱擁を交わす。昼下がりの公園。辺りにはいつも通りの静寂が戻ってきていた。

 後ろに隠れていた打ち止めは恐る恐る御坂妹の下まで近づいていく。

「たおしたの? ってミサカはミサカは聞いてみるんだけどって、うわっ!?」

 言い終わる前に、御坂妹は乱暴に打ち止めを抱え上げていた。

「――失敗です、とミサカは歯軋りします」

 御坂妹は焦燥も顕に吐き捨てると、一目散にその場から離れようとする。
 けれど後方から飛翔してきた炎弾が、二人の行く手を遮るように目前で爆発した。

「あつッ!」

「クッ!」

 爆発によって巻き起こった熱風に晒され、打ち止めは顔を両手で覆い、御坂妹は苦々しげに立ち止まる。


「――――Fortis931」


 背後から聞こえてきた言葉は、いったい何を意味していたのだろうか。
 危険を感じた御坂妹は打ち止めを草むらに放り投げ、振り向き様に雷撃を放とうとする。
 しかし、それはあまりにも遅い行動であった。

「っ!? が、はっ……!」

 振り向いた直後に長い足が視界を過ぎり、腹部に重い衝撃が走る。
 瞬間、御坂妹の体はボールのように容易く蹴り飛ばされていた。

「…………」

 ステイルは受身すら取れずに地面を転がっていく御坂妹を感慨の無い瞳で一瞥すると、腰を抑えて涙目になっている打ち止めに揺らめく炎剣を突きつける。

「あ……」

「終わりだよ」

 短く、ステイルは抵抗の終焉を告げた。
 それでも打ち止めは何とか逃げ出そうと足腰に力を込めるが、

「……君が大人しく殺されてくれれば、あの子には手を出さない事を約束する」

「っ!?」

 続けて告げられた言葉に、打ち止めは息をするのも忘れて固まった。
 ステイルの背後。そこには倒れ伏した御坂妹の姿がはっきりと見える。

「だ、めです……」

 御坂妹は掠れ掠れに言いながら、先程の攻撃で肋骨に皹が入っているにも関わらず、尚も立ち上がろうとしている。
 苦しげに、表情を歪めながら。その姿を見て、打ち止めは決断した。

「…………」

 打ち止めの身体から、徐々に力が抜けていく。
 まるで生気の全てを消失したかのような打ち止めの様子に、路地裏に置いてきたはずの僅かな迷いがステイルの胸を突き刺した。

(だが、これは必要な事だ)

 彼女を『今』に置いておく為にも、果たさなければならない。
 ステイルは、そう自分に言い聞かせる。血に濡れるのは彼女ではなく、このステイル=マグヌスだけでいい。

「――せめて、君の魂が迷わず主の下へ召されるように祈らせてもらうよ」

 迷いを振り切るかのように天高く伸ばされた右手には、轟々と揺らめく炎剣がある。
 それをボォーと捉えながら、打ち止めは誰にもわからない程に小さく溜め息をついた。
 胸中を過ぎるのは悔しさでも、恐怖でも、怒りでもなかった。ただ、たった一つの無念。

(もっと、一緒にいたかったなぁ)

 浮かぶのは一人の真っ白な少年。不器用ながら、とても優しい大好きな人。
 打ち止めは静かに目を閉じて、終わりを待つ――その時だった。



「――私の妹に」



 響く声はどこからか。
 処刑場たる空間を満たして、尚も激しさを増しながら侵食する。

「何してくれやがってんのよ!!」

 轟いた轟音は天の怒りか。はたまた引き裂かれた大気の叫びか。
 一筋の光線とも言うべき閃きが、公園の広場を瞬く間に横断する。
 後に残されたのは静寂の世界。ほんの少しだけ、現実を歪められた事実。

 そう――断罪の大鎌であるはずの炎剣が、跡形も無く消し飛んだという事実だけがそこにはあった。

「な、に……っ!?」

 身体中を嘗め回すかのような悪寒に従って、咄嗟に後方へ弾け跳んだ直後の出来事に、ステイルは不覚にも思考を停止させた。
 だって、こんな馬鹿げた事があるか。炎剣は摂氏三○○○度にも達する超高熱で形作られていた。
 それを一瞬で、いとも容易く消し飛ばすなど、アリエナイ。だが、そのアリエナイ事こそが学園都市最高クラスの選定基準。

 足音が、近づいてくる。

 ゆっくりと、それでいて早足に距離を詰めてくる。
 ステイルは動揺を押し殺しながら、足音の主を視界に捉えた。
 そこにいたのは見覚えがあり、見覚えのない表情をした一人の少女。

『最強の電撃使い』

『超能力者』

『超電磁砲』

『学園都市第三位』

『量産型能力者計画のオリジナル』

 数々の異名と呼び名を持つ学園都市の天才にして天災の一人。

「どこの誰だか知らないけど、私の妹を傷つけた以上、半殺しにされる覚悟はできてるんでしょうね?」

 ――――怒れる御坂美琴が、そこにいた。



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