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理論武装塾
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23/8/25


二本松アニマルポリス(動物の不妊去勢と尊厳死を考える会)は
健康体でも安楽死は必要だと提言します


安楽死の必要性については、動物が健康かどうかの問題ではなく、
《愛情を持って飼える世帯数》と《動物人口》の比率の問題だと思います。



健康体の安楽死の必要性

処分を減らす為に去勢避妊を徹底させる・里親探しをすべきなのは、誰でもわかるが、そう簡単にはいかない。まず、動物福祉に携わる有志はごく僅か。そして、有志が不妊手術や里親探しをするのと時を同じくして、保健所へ持ち込む飼い主が後を絶ちません。
現に私が、福島市で不妊手術に奔走している時に、郡山市の住民が保健所へ持ち込んでいる。だからこそ、保健所へ持ち込まずに、病院で安楽死をすべきだと啓発すべきではありませんか。

繁殖を正しいと思い込んでいる人の意識を覆すには、相当なエネルギーを要する。だかこそ、これだけ処分数が多い。行政処分数から見ても、処分ゼロを目指す人は多くても処分ゼロにできた人はいないと解る。

自分が健康体の安楽死に携わりたいかどうかではなく、動物人口過剰の為、健康体が毎日、苦痛死させられている現状からを直視して欲しい。年40万匹として、過去2年で80万匹、過去3年間では120万匹が苦痛死処分された。その命は苦痛死で良かったのですか? 




動物人口と正しく飼える世帯の比率

安楽死の必要性については、動物が健康か病気の問題ではなく、《正しく飼える世帯数》と《動物人口》の比率の問題ではありませんか。有志が助けた命は全体の一部に過ぎません。助けられなかった命は苦痛死で良かったのですか。自分がどうしたいかではなく、苦痛死処分されていく動物の立場から考えてみませんか。



健康体でも悪い人が飼うと動物は病気になります

動物は自分で通院はできません。
虐待されても動物は自力で脱出できません。だからこそ、里親探しは慎重でなくてはいけません。悪い人へ渡すくらいなら健康体でも安楽死したほうが動物の為ではありませんか。動物は喜怒哀楽の感情と、痛覚を持ち、自活能力がないからです。



木を見て森を見ていない

視野の狭い人は、僅かに助けただけで、全頭、助けた気でいますが、その人達は、全体の一部しか助けていません。有志が一匹助けている間に、時を同じくして他の場所では苦痛死されているのす。有志は苦痛死された動物をも同時に助けたのですか?助けきれていないからこそ、これまでの永い永い間、数え切れないほどの命が、苦しみながら処分されてきたのではありませんか。
時間と空間の広がりを持たせて考えてみませんか。



トンチンカンなNPO

「ウチの団体は一匹たりとも安楽死せずに全頭助けている」と言う人がいるが、それは思い違いです。狭小範囲に限定して助けているに過ぎません。「ウチの団体は去勢避妊を必ずしますから、安楽死はしません」とまでも。ここまでくると知性レベルを問いたくなる。当方は、産ませて安楽死しろと言っているのではないし、言うはずもない。



理念高き福祉団体

当方は(社)日本動物福祉協会・阪神支部の活動を、現状に即した最も正しい活動だと評価します。同協会阪神支部は、苦痛死を慣行する保健所へ渡されるのを防ぐために、捨て身で、飼い主から見捨てられた多くの命を引き取り、
●正しく飼える方への確実な譲渡 ●去勢避妊の啓発、実践 
●保 護 ●安楽死 ●メディアや行政等へのアクション 
心から動物を慈しみ、捨て身で正しい活動を行ってきた優しさ溢れる有志たちです。



大は小を兼ねる

たった1〜2匹で大変だと嘆いている人ばかりが多い中、何十匹も何百匹も抱えている有志が、簡単に全頭に里親探しができると思いますか。




命を尊重するには物理的要素を整える必要がある

多くの人は、命を尊重するべきだと安易に言うが、命を尊重するには以下の物理的要素を整えなくてはいけません。
● 安全な場所の確保 ● 安定したエサの供給
● 毎日の世話 ● 去勢避妊やワクチン、病気時の医療費、は必要最低条件。

多頭保護は、必ず経済的に行き詰まります。里親さんが簡単に見つかるわけでもありません。悪い人を無理矢理、良い人に見立てて渡すと動物を不幸にします。なので、健康体でも安楽死も考えてみませんか。安楽死が必要かどうかは、動物が健康か病気かの問題ではありません。《正しく飼える世帯数》と《動物人口》の比率の問題です。
口だけは出すが、お金も労力も出さない人や、論理性なき人は「生かすべきだ」と叫んだだけで生かせると思っていますが、物理的な思考が必要です。
一匹の犬の餌代が一日●円だから、50匹だと合計で一日●円になり、それを●年続けたら、エサ代だけでも●円になる。一匹の犬の散歩にかかる時間が●分だから、50匹では●分になる、それに必要な人員は●人だが、毎日●人の散歩スタッフを確保できるのか、というように物理的に考える必要があるのです。

思考力のない輩がマスコミを煽動し、一時は間違った世論ができましたが、最近はその間違いに気づく人も多くなりました。




因果関係
  
去勢避妊を受けさせない飼い主・繁殖業者・ペット店から買う人を容認したまま、里親探しに奔走したところで解決にはなりません。繁殖する人を犯人扱いしない限り社会は変わらないでしょう。ただ、心からの善意で誤って繁殖してしまう人もいます。なので繁殖する人が悪人とは限りませんが、それでも繁殖は犯罪です。人を憎まず罪だけを憎むことも必要でしょう。私は根っからの悪人については罪も人も憎みます。



去勢避妊を受けさせない飼い主を探しだして啓発を

「処分反対」と叫んだところで、不妊手術が進まなければ処分数は減りません。逆に処分反対と叫ばなくても手術が進めば処分数は必然的に減ります。




誓 約 書 

保健所からレスキューして、去勢避妊の確約さえも取らずに里親へ渡す人がいますが、悪循環では? 誓約書は必要ですし、誓約内容を履行しない場合、返還してもらうという事項を入れない限り、誓約書の意味がありません。
里親探しの頭数を多くすることに傾注し、かえって動物を不幸にする団体があります。現に、横浜の複数猫連続虐待犯人へ猫を安易に譲渡したのは、横浜市から里親探し事業として助成金をもらっている病院と、千葉の愛護団体だったのです。




「飼う」と「保護」は別
 
自分の気持ちを癒すために飼うのと、不幸な動物を見過ごすことができなくて保護するのは次元が違う。表面は同じに見えても中身が違う。




飼わせて頂いている 

自分の気持ちを癒すために飼っている人は《飼わせて頂いている》という意識が必要です。動物から頼まれてもいないのに、勝手に飼育しているので《少なくとも自分の家からは一匹たりとも不幸な動物を出してはいけない》というマナーを守るべきでは。