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田中和彦の小説

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解放者〜El Libertador〜

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西暦1819年8月7日、南アメリカ大陸の解放者シモン・ボリバル率いる革命軍は、ヌエバ・グラナダ副王領(現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマを含む)の首都ボゴタ郊外のボヤカ高原において、宗主国スペインの軍隊と最後の戦いを行なった。
敗色濃いスペイン王党派軍はホセ・マリア・バレイロ将軍を総司令官とし、総勢2670名の兵を率いて出陣した。
この年の5月23日、ボリバルは故郷ベネズエラのセテンタ村にて革命軍の幹部と秘密会議を開き、パブロ・モリーリョ将軍のスペイン軍との膠着状態に陥った戦局を打開すべく、ベネズエラよりコロンビアの解放を先決とし、革命軍を率いてアンデス山脈を越え、スペイン軍の裏をかく奇襲作戦に出ることを決定した。
ボリバルの革命軍は、標高3千メートルを超す険しいアンデスの厳しい寒さと酸欠に悩まされ、多くの犠牲者を出しながらもアンデス越えに成功し、コロンビア中部パンタノ・デ・バルガスの沼でスペイン軍と戦い、これを見事に撃ち破った。
そしてこの日の昼過ぎ、革命軍はボゴタの北150キロに位置するボヤカ高原でスペイン軍と遭遇し、激烈な戦闘の火蓋が切って落とされた。
革命軍はシモン・ボリバルを総司令官、フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデル将軍を副官とし、総勢2850名の兵を率い、バレイロ将軍率いるスペイン軍はカサ・デ・テハ村のテアティノス川に架かったエル・プエンテ・デ・ボヤカ橋という石橋の北側に陣を構えた。
サンタンデル将軍は部下のホセ・アントニオ・アンソアテギ将軍に突撃を命じ、スペイン軍前衛部隊と本隊を分断する作戦に出た。
この直後にボリバルの率いる部隊がスペイン軍後衛部隊への突撃を開始した。
白い愛馬にまたがったボリバルは、右手にサーベルを、左手に手綱を握り締め、果敢に敵陣に斬り込み、敵兵を蹴散らした。
ボリバルが敵軍に突撃したのを見て、副官のサンタンデルが慌てて馬を走らせ、忠告した。
「前に出すぎですぞ!お控えくだされ!」
「構わぬ!この程度の修羅場を切り抜けずして、南米解放などあり得ぬわ!」
ボリバルは黒い制服のスペイン兵が駆け寄ってくるのを一刀の下に斬り伏せながら、
「突き進め!突き進め!」
と配下の将兵たちを叱咤激励した。
「バルセロナ大隊とパエス大隊はスペイン軍の右翼を攻撃しろ!イギリス大隊およびライフル大隊はスペイン軍左翼を攻撃せよ!」
馬上からてきぱきと指示を下すボリバルは、この世で最も強く美しいものに見えた、と後に革命軍の兵士は語っている。
革命軍の兵士たちは皆、白い農民服に裸足という身軽な格好で、マスケット銃を携え、立派な軍服に身を固めたスペイン兵たちに襲いかかっていく。
彼らは仇敵スペインへの怒りと憎悪に燃え上がり、死の恐怖をすっかり忘れていた。
劣勢のスペイン軍は総崩れとなり、恐怖に駆られたスペイン兵は、ボヤカ橋の上に司令官のフアン・タイラ大佐を残して逃げ出した。
「追え!ひとりも逃すな!ただし、出来る限り生け捕りにせよ!捕虜は情報の宝ということを忘れるな!」
ボリバルは血と汗と泥にまみれた兵士たちを眺めながら、この戦いの意義を感じていた。
これは抑圧者への復讐や、祖国の解放よりも、もっと大きな意味がある。
権力も財産も何もない人民が、3世紀にわたるスペインの想像を絶する暴虐と圧政、抑圧と搾取から自らの手で自由を勝ち取ったのだ。
この事実は、世界中で抑圧されている者たちに永遠に希望の光を与え続けることになるだろう。
部下からの報告に指示を与えながら、ボリバルは若くして死んだ妻・マリアの面影を脳裏に思い浮かべていた。
マリアはスペインで知り合い、結婚したボリバル唯一人の妻で、彼女の死はボリバルに生涯独身を貫かせた。
妻の母国スペインと戦う宿命を背負った我が身の皮肉を噛みしめながら、ボリバルはマリアのさびしげな笑顔をボヤカの青い空に描いていた。
「敵将バレイロを捕縛!」
伝令が大声で叫ぶと、海鳴りのような勝鬨が上がり、ボリバルは手綱をしっかりと握りしめた。


※関連記事
8月7日はボヤカ戦勝記念日!
http://blogs.yahoo.co.jp/tanakazu5232/33324335.html

※参考文献
ボヤカの戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E7.8B.AC.E7.AB.8B.E6.B4.BE.E3.81.AE.E5.8F.8D.E6.92.83

※ 使用した画像は著作権の保護期間が満了しているため、パブリックドメインが成立しています。

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