苦しいことも嬉しいことも分かち合いたい。それが極地を目指す理由
ヒマラヤの山頂にたどり着くと“眼下”に山々が見えるという。空は蒼いインクを流したかのような濃いブルーに染まっているという。ヒマラヤンブルーと呼ばれるそれが視界の左右360度続いている極地で、この感動をみんなと分かち合いたい。それが自分の使命だと思えるようになった。最後の目標は地球最高高度の極地、エベレストだ。
栗城史多27歳。職業・登山家。人にニートと呼ばれたこともある。
単独無酸素登頂で7つの極地を制覇したい
栗城は酸素ボンベを背負わずに、一人で山を登る「単独・無酸素登頂」で世界7大陸の最高峰を目指している。アジア大陸のエベレスト(8848m)、ヨーロッパのエルブルース(5642m)、北アメリカのマッキンリー(6194m)、南アメリカのアコンカグア(6962m)、アフリカのキリマンジャロ(5895m)、オセアニアのカルステンツ・ピラミッド(4884m)。この中ですでに6つを制覇した。もちろん、最後は地球上で一番高いところ、極地エベレストだ。
驚くのはここまでに栗城が必要とした時間だ。6つの大陸最高峰の頂上に立つのに、要した時間はほんの3年半。登山を始めてからも7年しかたっていない。
栗城は北海道で生まれた。登山に目覚める前は、上京し、フリーター生活をしていた。その後、北海道で付き合っていた彼女が「公務員がいい」というので、試験勉強もした。
「ところが、フラれてしまいました。その彼女は山登りが好きで、付き合っている時から『どうして山に登るのだろう』と漠然と思ってはいたのです」
かくして栗城は、大学の山岳部のドアを叩く。イギリスの登山家ジョージ・ハーバート・リー・マロリーは「そこに山があるから」と語ったと伝えられているが、栗城の場合「そこに山があるから、というのはどういうことなのだろう」と思って山登りを始めた。もっとも、それまでは引っ込み思案で、アウトドアなどとは無縁という自分を変えたいという気持ちもあったかもしれない、と今では思う。
「まぁ、未練でしょうね(笑)」
山に、自分の生き方を教えてもらった
栗城が大学に入ったころ、すでに山岳部というのは「絶滅危惧種」になっていた。装備や移動に金はかかり、せっかくの休みの日には、わざわざ60kgもの荷物を背負って訓練に行く。このご時世に山岳部に入るという人間自体が珍しい。 「そのときの先輩がものすごく厳しい人で。『登頂癖をつけろ』が口癖で一週間冬山に荷物を背負わされて縦走するんです。高熱が出てフラフラになっているのに『直るから』とかいわれて付き合わされました。こんな辛いことは経験したことがない…と死に物狂いで登ったら、本当に直っちゃった」
やっと終わったという安堵感と疲れと達成感がないまぜになった状態で、自然と涙が出た。それは栗城が山の魅力にとりつかれた瞬間でもあった。
「不可能とか出来ないというのは自分が勝手に判断しているだけなんじゃないか」
こうして登山家・栗城史多の人生はリスタートを切った。東京であてどなくバイトをして暮らす「ニートみたいなもの」からの脱出でもあった。
誰もやったことのないことに
意味がある。
登山家としてのキャリアは前代未聞のハイペースだ。なんとこの2年後にはマッキンリーに挑戦をしている。
「単純に大学を卒業までに海外の山に登りたいと思ったんです。それまで自分は、先輩の後ろに付いていくだけでした。高校を卒業して一年ニートみたいな生活をして、とりあえず大学に入って…ここで何か成し遂げたと言えるものが欲しかったんです。調べてみると、マッキンリーの入山料は当時で1万8000円くらいと一番安かった」
こうして栗城は「こりゃいいや」とばかりマッキンリーを目標に据えた。
入山料は安いが、難易度は高い。その難易度から登山家の憧れの山と言われている。というのもマッキンリーの標高は6194mだが、ベースキャンプから頂上までは4000m登らなければならない。エベレストは8848mあるものの、ベースキャンプは約6400mに設定できる。また、同じくエベレストにはシェルパと呼ばれる荷物などを運ぶことをなりわいとしている人々がいるが、マッキンリーには存在しない。さらに、マッキンリーにはヒドゥン・クレバスといって積もった雪に岩の裂け目が隠れている個所が散在している。凍った雪面を知らずに踏もうものなら下は100mの空洞だ。
たった2年の登山経験。初めての単独登頂。初めての海外。目標はマッキンリー。
「マッキンリーに登りたい」と、漏らし始めると周囲の反応が変わった。応援してくれるのではない。反対の嵐だ。夜な夜な居酒屋に呼び出されチューハイ片手に説教を受ける。曰く「初めてで無謀だ」「経験が浅い」「あの植村直己が消息を絶った山なのだ」。そして彼らは決まって最後にこう言った。「そんなこと誰もやっていない」。
誰もやったことのないことに挑戦する意義。誰もやったことのないことを成し遂げることで得られるもの。誰もやったことのないことで、自らの存在を証明すること。止めようとする人間には本人の見据えているヴィジョンが見えていない。それは、さしずめ起業家のスタートアップにも似ているように思える。栗城はいわば、ベンチャー登山家だった。
「みんながダメだ無理だと言うと、なおのこと燃えてくる。そうですよね、と言っていたら、壁を越えられないですから」
何より栗城に説教する人間の中に、マッキンリーに登ったことのある人間はいないのだった。
人間、本当に死ぬ思いをすると吐くことを知る。
マッキンリーは素晴らしかった。そこは一歩一歩が新しい世界だった。植村をまねして落下防止の物干し竿を腰にくくり付けた。これがあればヒドゥン・クレバスを踏み抜いても引っかかって落ちることはない。
「ところが、用を足そうと思って物干し竿を外した途端にズボっと。下半身で止まったからよかったですけど、油断大敵ですねぇ」
落ちた時は何となく分かるという。足下が空洞なので感触が違う。でもそれに気がついた時はもう遅い。登山では前の足跡をトレースすることは良しとはされない。なぜなら一人目がギリギリで二人目で雪が崩れるかもしれないからだ。
リスクを負って山を登る以上、栗城もまた死と隣り合わせの経験をしている。ダウラギリ下山途中に滑落を経験したのだ。
40度の斜度の凍った雪面でちょっと足を滑らせれば、即、滑落だ。この角度になると、雪面は感覚的に垂直に限りなく近い。栗城が滑落した瞬間、もう手を出しても引っかかるものはなく、自由落下のように、どんどん速度が増していく。落ちる方向を必死でみると、断崖絶壁がちらりと見えた。崖から飛び出す!と思った瞬間、強い衝撃に襲われて我に返った。
「タルチョというチベットの祈祷の旗が、たまたま身体に引っかかったんですよ。狙ってもできないですよね」
助かったという実感より、訳が分からないというのが本心だったという。
「10分くらいしてから二度吐きました。映画『プライベートライアン』で兵士が吐く描写があったと思うのですが、その時わかりました。究極的に怖いと人間有無を言わさず吐くんだな、と」
冒険の夢をインターネットで伝えたい
「地球を感じてみたい」という衝動に突き動かされて、栗城は世界七大陸最高峰を単独無酸素登頂するという目標を立てた。冒険を続けるうちに栗城は一つ、気になることがあった。それは登頂に成功するたびに大きくなっていた疑問であり、無力感のようなものだった。
単独登頂では、当たり前だが周りに誰もいない。一人で山に行き、一人で故郷、北海道の千歳空港に帰ってくる。死ぬような思いも、例えようの無い感動も全て一人で味わってきた。そんな登頂の感動を栗城は周りと共有したいと思うようになっていた。素晴らしく美味しい料理に出会った時、人はその感動を誰かに伝えたくてたまらなくなるのと同じように。
そんなことを考えていたある日、日本テレビを訪れた栗城が社員食堂でたまたま隣になったのが、誰あろう電波少年を仕掛けた土屋敏男プロデューサーだった。
「翌日、電話があって現地から動画中継をしたいと。僕の方も是非と二つ返事で言ったは良かったのですが、資金集めから全部自分という、まるで電波少年を地で行くような…。そしてスタートした企画が『ニートのアルピニスト、初めてのヒマラヤ』というタイトル。“登山家”とすら付かなくて(笑)」
山頂の映像だけでは意味がないと思った。苦しいことも、みっともないことも、楽しいこともありのままにビデオを撮った。一度目のアタックは失敗した。ベースに戻りパソコンを開き、インターネットを介して届けられる“モニタの向こう側”で見ている人たちのコメントに愕然となった。それはまるで某巨大掲示板の様相を呈していたのだ。
「栗城なんて死ねばいいのに」「無理でしょう」「結局不可能なんだ」。ぼろぼろになる姿も含めてチャレンジする様子をありのままにさらけ出したのに、理解されていないと感じた。
「自分もモニタの向こう側にいた人間だったから、もっと分かってくれると思っていたんです」
栗城は3日後に再アタックを敢行する。そして翌日、ついにチョ・オユー登頂に成功。モニタには「ありがとう」「不可能はないんだね」「感動した」という文字が並んでいた。
「彼らの中の『これは限界だろう』という部分を超えられた瞬間だったんだろうと今になって思います」と栗城は振り返る。そして、それは栗城にとっても一つのターニングポイントになる。
「これが登山家としての自分の使命だと分かったのです。自分の限界は自分で乗り越えられるという、登山で学んだことをたくさんの人に伝えていきたい」
大学で泣きながら先輩に付いていき、登りきった時に感じた思いをより多くの人に伝えたい。インターネットと通信テクノロジーの進歩がそれを可能にする。
こうして中継する登山家という新しいスタイルが生まれたのだ。
冒険は、それをクリアすると見えてくる。
栗城の次の目標は世界最高峰エベレスト。単独無酸素登頂に成功した日本人はまだいない。山頂からインターネットで生中継した人間は世界にもいない。
2009年9月、栗城はそのエベレスト単独無酸素登頂に一度チャレンジしている。しかし、グレートクロワールルート8000m付近で断念。
「ハッ、ハッ、ハッ…」という酸素の薄い空気の中で必至に呼吸する音がネットを通じて日本に届く。
「なんなんでしょうか。この世界は。正直帰りたいです」
失われる体力と予想以上の体調不良からの自分の正直な気持ちを吐露した。そして、登山家として、一人の人間として、一つの生き物として栗城は生きるために下山を決断。8000mで嗚咽した。その一部始終全てを動画で配信した。
山を登るのも命がけだが、下るのも命がけだ。死が、栗城の気力がなくなるのを待ちかまえている。キャンプ地点の副隊長が“ネットの向こう側”にいる日本からのメールを読み上げた。「生きて帰るからこそ、次がある。頑張って帰ってきてください」
その声を勇気づけられて栗城は生きて帰ってこられた。そんな状況でも栗城はスタッフがアタックの失敗によって落ち込んでいないかを心配するような男でもあった。
「エベレストの登頂に成功して、七大陸最高峰の全てを制覇することをセブンサミッターといいます。エベレストはその瞬間を中継したい。でも、その前に、4月にアンナプルナに行きます。世界で一番死亡率が高い山と言われていまして、生存率は約6割です。雪崩が頻発するので、事故が多い山です。ということは逆に言えば雪があるので、ここをスキーで滑ってみたいんですよ」
このアンナプルナの登頂でエベレストに備える身体を作っていく。体力や登山テクニックがあるだけでは登山家として失格だという。
「寒さに耐える力や孤独に耐える力、少ない食料を分配できる精神力など、“下界”では鍛えられない特殊な能力が必要。極地仕様の肉体を作らないといけないんです。ある意味ニート的な(笑)」
今、栗城は再びエベレストに挑戦すべく、スポンサー集めに日本全国を飛び回っている。目標はリアルタイムでのエベレストからの中継だ。以前の中継では、ネット配信に億を超える費用がかかった。絶対的な金額としては大金だが、それで何人の人が勇気づけられるだろう。ネットならほぼ限りない人々に伝えることができる。デジタルと通信のテクノロジーは登山家、冒険家のありようさえも変えようとしている。
栗城の名刺を見ると、そこには七大陸最高峰が記され、チェックマークが6つついている。エルブルース、マッキンリー、アコンカグア、キリマンジャロ、カルステンツ・ピラミッド。チェックマークが入っていないのは、エベレストだ。そこに栗城はきっとチェックマークを付けるだろう。セブンサミッターとなった時、栗城にとって次の極地はどこなのか。
「南極と北極がまだ残っていますよ。そして『しんかい6500』で深海に行ってみたいですね。エベレストと深海の標高差でギネスブックに載れないかなぁ(笑)」
海は、深く潜れば潜るほど青から紺、そして黒い闇の世界へと進んでいく。8000m級の山頂もまた、空が青から紺へと徐々にグラデーションになっていく。最後は黒い宇宙に手が届くような感覚が、理屈でなく実感としてあるという。地球上にある、高いところも低いところも、北も南も行ってしまった時、栗城が挑戦するのは宇宙なのかもしれない。極地は、まだ、ある。
オフィシャルサイト
http://kurikiyama.jp/
YouTubeオフィシャルチャンネル
http://www.youtube.com/user/kurikiyama
栗城史多
登山家
くりき・のぶかず。1982年生まれ。登山家。大学時代から登山を始め、2年後にマッキンリー単独登頂に成功。2005年、南米最高峰アコンカグアに単独登頂。2007年に世界第6位の高峰チョ・オユー登頂時から動画配信を行う。2008年、マナスルで日本人初の単独無酸素登頂と山頂からのスキー滑降に成功。2009年ダウラギリからインターネットライブ中継を行う。10月、エベレスト単独無酸素登頂に挑むも、8000m付近で断念。2010年4月、アンナプルナ挑戦予定。その後、七大陸最高峰を制覇する「セブンサミッター」の単独無酸素での達成の総仕上げとしてエベレストのグレートクロワールルートからの挑戦に向けて準備中。エベレスト単独無酸素登頂は日本人では成功者なし。また、その模様もインターネット生中継を行う予定。
Text:Toru Mori
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