ハンバーガーチェーンのマクドナルドがモスクワに1号店を開いたのは、ソ連崩壊約1年前の1990年1月のことだった。西側の外食文化のシンボルは爆発的なブームとなり、今ではロシア全土に278店舗、毎日95万人以上が訪れる。オープン当時の1号店店長で現在、ロシア・東欧地域の社長を務めるハムザト・ハスブラトフ氏(55)に、ロシアで見続けた「激動の20年」の成果と課題について聞いた。(モスクワ 佐藤貴生)
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マクドナルドが進出した90年はソ連の政治、経済が行き詰まり、国内に不安と不満が充満していた時期に当たる。ハスブラトフ氏は「大きなリスクがあったが、ソ連の当時の状況ではなく、将来性を考えて決断した」と振り返る。
外食産業の対ソ連投資第1号となったマクドナルドは、首都モスクワ中心部のプーシキン広場近くに最初の店を開いた。初日は開店前に5千人が列を作り、3万人が訪れた。「飲食店の開店初日の訪問客数」で世界一に認定され、ギネスブックにも載った。
市場開放にかじを切り、投資を呼び込まないことには経済低迷から抜け出せない。そう考えたソ連政府は進出を全面支援、マクドナルド側も莫大(ばくだい)な投資と困難なリスク管理を強いられた。同社は1号店オープン前の89年、5千万ドルを投じてモスクワ近郊に牛乳やパン、チーズから野菜まで加工できる工場を設立した。良質の食材を安定供給できる機関がなかったからだ。