「おめでと~ございまーす! お兄ちゃんは今日から念願の魔法使いです!!」
「え? は? 魔法使いって……僕、まだ十五だよ? 魔法使いまであと十五年はあるんだけど? っていうか急に何?」
突然、部屋に入ってきて魔法使いの称号を贈り付けてきた妹に、少年――大橋渡は自身の『経験』の無さを暴露しながら、妹――大橋歩美の奇妙な発言に首を傾げた。
「うっふっふー、その魔法使いじゃないよ~。心配しなくても、お兄ちゃんの初めては私が貰ってあげるから!」
「いやいやいや、ダメだから。血の繋がり有る無しに兄と妹で家族で、そーいう発言ダメだから」
「いいじゃん別に~」
拳を握って人差し指と中指の間から親指を覗かせるという、危険なハンドサインを見せる自分の妹の頭をはたく。
口を尖らせる妹の顔に、本気と書いてマジと読む以外の文字が見当たらない辺りに寒気を覚えながら、渡は改めて先の魔法使い発言について問いかけた。
「で、魔法使いって何? 念願って言ってたけど、僕が好きなのは手から怪光線出して地形を変えたりする職業じゃなくて、変身して怪人と戦う系統の人達なんだけど」
「悪い奴吹っ飛ばすのは変わりないじゃん?」
「大違いだよ」
頭の後ろで手を組んで歩美が言うが、こればっかりは断言しておく。
正義の味方に憧れた少年にとって、細かく見えるところでも大きな違いがあるのだ。
「まあまあ、細かいことは脇に置いといて~。ちょっとさあ、なんか私、魔法少女にスカウトされちゃってさ。なんか話聞いてみたら、魔法少女になって魔女と戦う代わりに願い事をなんでも一つ叶えてくれる、つってたのよ」
「…………へえ」
熱く自分が憧れた正義の味方の詳細について語ろうとする兄を黙らせ、ケタケタと笑いながら歩美が語った内容を聞いた渡が、微妙に距離を取って白い眼差しを向けてしまったのは仕方がない事だろう。
今も心の片隅で正義の味方に憧れている部分があるとはいえ、悪の組織や秘密結社と戦う変身ヒーローがいない事を理解する程度の分別は持ち合わせているのだ。
とりあえず今は妹と話を合わせて、もし話から重傷だと判断できるなら然るべき場所で診察してもらうべきだと考える渡を余所に、歩美は荒唐無稽な話を続けている。
「キュゥべえって言うんだけどね? この町の魔法少女がいなくなっちゃったせいで、少しマズイ状況になってるってわけ。で、どうしようかって困ってた時に、この歩美ちゃんが現れちゃったのよ。いや~、こういうの何て言うんだろ、劇的? もう漫画やアニメのお約束って奴だよね~」
退屈な日常から一転、刺激あふれる非日常の世界に。
確かに漫画やアニメで使い古された展開で、同時に廃れることのない心を躍らせる言葉だ。
昔からアニメや漫画が好きで、よくそうした世界で活躍できる力が欲しいと口にしていた子だ。そのキュゥべえとやらの言葉に、一も二もなく飛びついたのは想像に難くない。
「一応聞いとくけど…………どこかで頭を打ったとか、街角で変な薬を勧められて購入した、みたいな事してないよね?」
頭が痛くなってきた。眉間に指を当てて言外にアピールしながら問い質す渡に、歩美はやはりそういう方向で心配されるか、と苦笑いしながら懐を探る。
取り出したのは、金色の装飾が施された台座に楕円形のエメラルド色の石が填められたアンティーク風の品。パッと見た渡の印象はホテルの朝食などで出される、やたらと派手な緑色のゆで卵を乗せたアレであったが。
中に液体でも溜まっているのか、蛍光灯の明かりを受けて色を変える宝石を手のひらで転がしながら、歩美が自慢するように笑う。
「じゃじゃ~ん! これが証拠のソウルジェムで~す。ちょっと見ててね~、凄いんだよコレ、さすが魔法のアイテムって感じなんだから! むむむ~……」
「歩美? なにして――――?」
『えー、テステス。ただいまテレパシーのテスト中~。ヤッホー、お兄ちゃん聞こえる~?』
額に当てて押し黙る妹に、何をしようとしているのか聞こうとしたところで頭の中に声が響き、出しかけていた言葉を引っ込めて渡はあんぐりと口を開けた。
目の前で口を閉じて、悪戯っぽい笑みを浮かべている妹の声が確かに届いている。腹話術だろうか、それならそれで、彼女の声が耳ではなく直接頭の中に送られていると感じるのはどうした事か。
「え、あ? へ? ちょっとタンマ、待って、今種を考えるから」
『もー、手品じゃないんだから、種も仕掛けもないってば。言ったじゃん? 私、魔法少女にスカウトされたって』
「――――――――りありぃ?」
『いえ~す、ざっらぁい♪』
口をパクパクと開け閉めした後、ゴクリと喉を鳴らして再度の確認を行った渡だが、妹が返した笑顔と頭に直送の言葉を聞くまでもなく、自分の身内が摩訶不思議な力を手に入れてしまった事実を理解していた。
「えー………何だコレ、どーいう状況? 妹が魔法少女とか、まったく訳がわからないよ」
「お兄ちゃん、だいじょうぶ?」
「うん、まあ大丈夫じゃないけど、大丈夫だ問題ない」
足の力が抜けて床に座り込んだ兄の顔を覗き込み、楽しそうな表情から一転、不安そうにする歩美に力無く混乱している事を伝えて嘆息。
深呼吸を繰り返してある程度の落ち着きを取り戻してから、渡は妹の言っている事が空想や妄想の産物でないと踏まえて話を進めようと考えた。
危機感のない妹に頭の痛みを増加させながら、ここに至ってようやく、自分の妹が不穏な発言と共に部屋にやって来た事を理解したからだ。
「と、とりあえず、お前が魔法少女になったのはいいとして……いや、お兄ちゃんとしては、そんな職業として続けられなさそうなものになる前に相談してほしかったんだけど、それは脇に置いておくとして」
「あ~、まあ二十歳近くになって魔法少女ー、なんて言ってたら痛いしね~。そういえばコレ、いつまで続ければいいんだろ、キュゥべえと契約して願い事叶えてもらうのに頭一杯で聞き忘れてたや」
「お願いだから、次から契約する時はちゃんと話を聞いてからしてね……」
「うっわ、お兄ちゃんそんな顔でお願いしないで、ちょっとゾクゾクしちゃう」
弱々しく懇願する兄のどこに興奮する要素があるのか、足をモジモジさせて顔を赤らめる妹にため息を一つ溢して、渡は恐る恐る、まるでF判定だらけの模試の結果表を開くような心持ちで質問する。
「…………あのさ、歩美。お前が魔法少女になったっていうのがマジ話だとすると、部屋に入ってきた時の言葉が、僕には凄く不吉な発言に感じられるんだけど、『お兄ちゃんは今日から念願の魔法使いです』――って、どゆこと?」
「あ、説明するの忘れてた。うん、えっとね~、私的にお兄ちゃんが私にメロメロになってあんな事やこんな事をできるように~、でもよかったんだけどー」
「止めてよね、冗談でも妹にそんな不気味な願望口に出てほしくないよ、僕ぁ」
ケアレスミスを指摘されたようにぺちり、と自分の額を叩いて、歩美は洋菓子屋の舌を出したマスコット人形の顔真似をしつつ、兄にとって衝撃的な願いの内容を明かした。
「キュゥべえも、こんな願い事は初めてで上手くいく保証はできないって言ってたんだけどね。私がお願いしたのは――――『魔法少女と一緒に戦える力を、お兄ちゃんにも持たせてあげて』、だよ」
「な、なんで?」
寝耳に水や青天の霹靂なんていう言葉が可愛く聞こえる願いの内容。一体誰が頼んだのかと、驚きすぎて真顔になった渡が首を傾げる。
「え? 小学生ぐらいの時、言ってなかったっけ? 僕も正義の味方みたいに、悪い怪人をぶっ飛ばせる力が欲しいって。空手習い始めたのも、それが原因でしょ?」
「いや、まあ……うん、空手始めたのは、極めたら本気で気弾を出したりできるって思ったからだけど――って、僕の黒歴史発掘はいいから!」
あの頃は純真だったのだ。男の子なら誰だって一度は、そうした不可思議な力に憧れて、「○○○スラッシュ!」と叫んだり、「○○流奥義!!」と言いながら剣代わりに傘を振り回した経験があるに違いない。
胸中で言い訳を述べながら、小学生の頃から続けている空手を始めた理由に顔を真っ赤にしながら怒鳴る。
「いいわー、お兄ちゃんが恥ずかしがってるとこゾックゾク来るわー。あ、今夜のオカズはこれでイこっかな」
「絶対にダメ、止めて。っていうか、思春期まっさかりの女の子が、そういう発言恥ずかしげもなくしちゃいけないから。……それで何? 魔法少女と一緒に戦える力って、具体的にどーいうものなの」
「んー、その辺はちょっとよく分かんないから、後でキュゥべえに説明しに来てもらう約束してるんだ。安心して、ちゃんと成功したよって言ってたから」
これっぽっちも安心できない適当な保証に頭を抱え、渡はフローリングの床に視線を落とす。
木目を数えてみよう。とにかく今は、落ち着くために気を逸らせるものが欲しかった。
もう少ししたら現れるというキュゥべえ――妹の言葉から判断するに、魔法少女に付き物のマスコット的存在だろう――なら、不安に溺れそうな自分に安心できる説明をしてくれるだろうと考えながら。
それは、魔法少女になった妹に運命を変えられた兄の物語――
それは、繰り返しの世界に加わった新しい魔法少女物語の一ページ――