先週末行われたフィギュアスケートGPファイナル。
出場した日本選手全員に、共通するポイントがあった。
そしてそれは、日本フィギュアスケート界の先輩たちからずっと
受け継がれてきた伝統だった。
それは、“リスクを犯しても果敢に挑戦すること”。

浅田選手は、もはや彼女の代名詞になりつつある、2度の3アクセルを、
中野選手は、彼女の永遠のテーマである”逃げずに挑む”3アクセルを、
安藤選手は、封印という”呪縛”を振り払うような4回転サルコウを、
そして、小塚選手はもう1つ上へのステップを予感させる4回転トウループを
それぞれ、果敢に挑んでいった。
4人が、リスクがあるとわかっていながら、あえて
難しい領域に挑んだのが、今回のGPファイナルだった。
彼らが挑戦し続ける、ジャンプの魔力は跳んだものじゃないとわからない
それは一種の“麻薬”のようなものかもしれない。


思えば、彼らよりもっと上の世代の先輩たちも同じだった。

佐野稔さんは77年、東京での世界選手権で、
3ルッツ、3フリップを始め、
当時としては誰もやろうとしなかった計4種類の3回転ジャンプを
出場選手中ただ1人成功させ、フリーで世界一になった。
それから2年後の79年ウィーンでの世界選手権。
当時日本のエース渡部絵美さんは、リスクが大きいとされていた
3トウループに挑んで成功させ、日本女子初の銅メダルを獲得した。
アルベールビル冬季五輪直後に引退を決めた伊藤みどりに
同世代の自分がディレクターとして番組を作ったことがある。
彼女はこう言った。
“オリンピックのメダルは届くところにあった、それも一番いい色のメダル。
でも、私はそれよりも、
「3アクセルをオリンピックで成功させた伊藤みどりと言われたかった」
と。。”
こうして僕らの先輩たち、日本のフィギュアの選手たちは、常に挑戦の上で成り立ち、尚且つ結果を残してきた歴史がある。

卓越した芸術性、表現者としての高いレベルが、
先輩たちの時代の数倍要求されるようになった。
ただ、忘れてはならないのは、そんなレベルを要求される
今の彼らも、表現者である前に“アスリート”だと言うことを。
アスリートから挑戦する心を奪い取ることはできない。
時には世論が何と言おうと、リスク覚悟で挑戦したい時がある。
それはわかってやりたい。
安藤選手が、久々に4回転サルコウに挑戦し、回転不足判定ながらも
片足で着氷した。
今からかれこれ6年ほど前、夏の強化合宿で彼女と
”今日4回転降りたらジュースおごるよ”という約束をした。
彼女は降りるまでいつまでもやり続けて、結局ジュースをゲットした。
そんなマインドを持った彼女が、本来ならば簡単に4回転を封印するはずがない。
ライターの青島ひろのさんが書いたコラムには、
彼女のそのマインドを実に上手に代弁している。

日本選手が脈々と受け継いでいる、挑戦する気持ち。
これからも、その心意気を応援したい。

「4回転を持つ者」