このコラムは、以前ある雑誌の依頼で書いたもので、先シーズンが終了直後に掲載されました。シーズン中盤に差し掛かって、もう1度書留めときたいので、ちょっぴり追記を入れて蔵出しします。
〜日本フィギュアスケートに受け継がれる伝統〜
先日行われた世界国別対抗戦をもって、08−09シーズンが幕を閉じた。主だった大きな国際大会を現場で、あるいはTVで見てきて、出場した日本選手全員に共通する、重要なポイントがあることを再認識した。そしてそれは、日本フィギュアスケート界の先輩たちからずっと受け継がれてきた伝統だった。
“リスクを承知でも果敢に挑戦すること”。
浅田真央選手は、もはや彼女の代名詞になりつつある、3アクセルをシーズンオーラスとなる国別対抗戦でSPとフリーで3度チャレンジ。シーズンを通して、時に様々な波に翻弄されそうになりながらも、最後の最後で、見事な締めくくりを演じた。
大一番のグランプリファイナルでは、中野友加里選手は、彼女の永遠のテーマである”逃げずに挑む”3アクセルを、安藤美姫選手は、封印という”呪縛”を振り払うような4回転サルコウを、小塚崇彦選手はバンクーバーを見据え、更に上へのステップを予感させる4回転トウループをそれぞれ、果敢に挑んだ。
そして、本人にも責任の一旦があるとはいえ、しばらく辛い日々を送ってきた織田信成選手は、本格復帰となったNHK杯でいきなり4回転に挑み、世界選手権では、これまで見たことのないような絶品のクオリティで成功してみせた。
それぞれの日本選手が、リスクがあると知りつつあえて難しい領域に挑んだのが、まさしく今シーズンだったように感じた。
彼らが挑戦し続ける、ジャンプの魔力とは何だろうか?
それは跳んだものでないとわからない、一種の“麻薬”のようなものかもしれない。
思えば、彼らよりもっと上の世代の先輩たちも同じだった。
佐野稔さんは1977年、アジアで初めて行われた世界選手権(東京・代々木)で、
3ルッツ、3フリップを始め、当時としては誰も試みなかった4種類の3回転ジャンプを計5回、出場選手中ただ1人成功させ、フリーで世界一になった。
同じく2番手として出場した松村充さん(佐野さん引退後の翌年、78年全日本チャンピオン)は、当時世界一と定評のあった高さのあるジャンプと思い切りのいいスケーティングで、海外では“神風”と言われた。日本選手として公式の大会で最初に3アクセルを成功させたり、練習でなんと4回転のループジャンプを成功させたのも松村さんだ。
それから2年後の79年ウィーンでの世界選手権。日本のエース渡部絵美さんは、当時表彰台への絶対条件といわれ、本人にとってもリスクが大きいとされていた3トウループを見事成功させ、日本に女子初の銅メダルをもたらした。
最後に、自分とまったくの同時代の選手だった伊藤みどりさん。実は、アルベールビル冬季五輪後に引退を決めた直後の伊藤みどりさんを主役とした番組を、かねてからの自分の強い希望で、ディレクターとして制作したことがある。
その時の自分の問いかけに彼女はこう答えた。
“オリンピックのメダルは届くところにあった、それも一番いい色のメダル。
でも、私はそれよりも、「3アクセルをオリンピックで成功させた伊藤みどり」と言われたかった”と。
こうして先輩たちや自分の同僚、現在の日本のフィギュアの選手たちのマインドには、自らの限界の少し上のラインに眼を向け、常に挑戦の上で成り立ち、なおかつ結果を残してきた歴史がある。
卓越した芸術性、表現者としての高いレベルを、今の時代は先輩たちの時代の数倍要求されるようになった。ただ、忘れてならないのは、そんなレベルを要求される現在の彼らも、表現者である前に“アスリート”だということを。アスリートから挑戦する心を奪い取ることはできない。時には世論が何と言おうと、または、メディアが4回転とことさら騒ぎ立てようとも、それとは無関係のところで、本人自身が自身の欲求の中でリスク覚悟で挑戦したい時がある。そんな気持ちは、わかってやりたい。
昨年のGPファイナルで、安藤選手が久々に4回転サルコウに挑戦し、回転不足判定ながらも片足で着氷した。
今からかれこれ6年ほど前、夏の強化合宿で彼女と
”今日4回転降りたらジュースをおごる”
と軽い約束をした。彼女は降りるまでいつまでもやり続けて、結局ジュースをゲットしてしまった。そんなマインドを持った彼女が、本来ならば簡単に4回転を封印するはずがない。
日本選手が脈々と受け継いでいる、挑戦する気持ち。
バンクーバーを前にして、選手、コーチ、取り囲む関係者たちが、勝負がかりを度外視してまで挑戦をすることが許されない状況もある。
でも、選手の挑戦したい素直な心を無用に操作することはできない。
来シーズンも、その心意気に敬意を表しつつ、見守り応援していきたい。
以上
09-10シーズンが中盤まで消化し、変わらず日本選手たちに共通するもの。
どの選手も、元来は”生粋のジャンパー”だということ。
ジャンプを飛んで、本人がワクワクして、気持ち良くて、楽しくなければ。またそれを生かすプログラムじゃなければ、日本選手は死んでしまうと思う。
ジャンプの技術と、プログラム全体の芸術性は個別に考えるんじゃなく、常に共存させなきゃいけない。
ジャンプが生きるプログラムとは何か?
選手本人がジャンプを飛んで楽しくなるプログラムとは?
今シーズンもそんなふうに考える。
先日行われた世界国別対抗戦をもって、08−09シーズンが幕を閉じた。主だった大きな国際大会を現場で、あるいはTVで見てきて、出場した日本選手全員に共通する、重要なポイントがあることを再認識した。そしてそれは、日本フィギュアスケート界の先輩たちからずっと受け継がれてきた伝統だった。
“リスクを承知でも果敢に挑戦すること”。
浅田真央選手は、もはや彼女の代名詞になりつつある、3アクセルをシーズンオーラスとなる国別対抗戦でSPとフリーで3度チャレンジ。シーズンを通して、時に様々な波に翻弄されそうになりながらも、最後の最後で、見事な締めくくりを演じた。
大一番のグランプリファイナルでは、中野友加里選手は、彼女の永遠のテーマである”逃げずに挑む”3アクセルを、安藤美姫選手は、封印という”呪縛”を振り払うような4回転サルコウを、小塚崇彦選手はバンクーバーを見据え、更に上へのステップを予感させる4回転トウループをそれぞれ、果敢に挑んだ。
そして、本人にも責任の一旦があるとはいえ、しばらく辛い日々を送ってきた織田信成選手は、本格復帰となったNHK杯でいきなり4回転に挑み、世界選手権では、これまで見たことのないような絶品のクオリティで成功してみせた。
それぞれの日本選手が、リスクがあると知りつつあえて難しい領域に挑んだのが、まさしく今シーズンだったように感じた。
彼らが挑戦し続ける、ジャンプの魔力とは何だろうか?
それは跳んだものでないとわからない、一種の“麻薬”のようなものかもしれない。
思えば、彼らよりもっと上の世代の先輩たちも同じだった。
佐野稔さんは1977年、アジアで初めて行われた世界選手権(東京・代々木)で、
3ルッツ、3フリップを始め、当時としては誰も試みなかった4種類の3回転ジャンプを計5回、出場選手中ただ1人成功させ、フリーで世界一になった。
同じく2番手として出場した松村充さん(佐野さん引退後の翌年、78年全日本チャンピオン)は、当時世界一と定評のあった高さのあるジャンプと思い切りのいいスケーティングで、海外では“神風”と言われた。日本選手として公式の大会で最初に3アクセルを成功させたり、練習でなんと4回転のループジャンプを成功させたのも松村さんだ。
それから2年後の79年ウィーンでの世界選手権。日本のエース渡部絵美さんは、当時表彰台への絶対条件といわれ、本人にとってもリスクが大きいとされていた3トウループを見事成功させ、日本に女子初の銅メダルをもたらした。
最後に、自分とまったくの同時代の選手だった伊藤みどりさん。実は、アルベールビル冬季五輪後に引退を決めた直後の伊藤みどりさんを主役とした番組を、かねてからの自分の強い希望で、ディレクターとして制作したことがある。
その時の自分の問いかけに彼女はこう答えた。
“オリンピックのメダルは届くところにあった、それも一番いい色のメダル。
でも、私はそれよりも、「3アクセルをオリンピックで成功させた伊藤みどり」と言われたかった”と。
こうして先輩たちや自分の同僚、現在の日本のフィギュアの選手たちのマインドには、自らの限界の少し上のラインに眼を向け、常に挑戦の上で成り立ち、なおかつ結果を残してきた歴史がある。
卓越した芸術性、表現者としての高いレベルを、今の時代は先輩たちの時代の数倍要求されるようになった。ただ、忘れてならないのは、そんなレベルを要求される現在の彼らも、表現者である前に“アスリート”だということを。アスリートから挑戦する心を奪い取ることはできない。時には世論が何と言おうと、または、メディアが4回転とことさら騒ぎ立てようとも、それとは無関係のところで、本人自身が自身の欲求の中でリスク覚悟で挑戦したい時がある。そんな気持ちは、わかってやりたい。
昨年のGPファイナルで、安藤選手が久々に4回転サルコウに挑戦し、回転不足判定ながらも片足で着氷した。
今からかれこれ6年ほど前、夏の強化合宿で彼女と
”今日4回転降りたらジュースをおごる”
と軽い約束をした。彼女は降りるまでいつまでもやり続けて、結局ジュースをゲットしてしまった。そんなマインドを持った彼女が、本来ならば簡単に4回転を封印するはずがない。
日本選手が脈々と受け継いでいる、挑戦する気持ち。
バンクーバーを前にして、選手、コーチ、取り囲む関係者たちが、勝負がかりを度外視してまで挑戦をすることが許されない状況もある。
でも、選手の挑戦したい素直な心を無用に操作することはできない。
来シーズンも、その心意気に敬意を表しつつ、見守り応援していきたい。
以上
09-10シーズンが中盤まで消化し、変わらず日本選手たちに共通するもの。
どの選手も、元来は”生粋のジャンパー”だということ。
ジャンプを飛んで、本人がワクワクして、気持ち良くて、楽しくなければ。またそれを生かすプログラムじゃなければ、日本選手は死んでしまうと思う。
ジャンプの技術と、プログラム全体の芸術性は個別に考えるんじゃなく、常に共存させなきゃいけない。
ジャンプが生きるプログラムとは何か?
選手本人がジャンプを飛んで楽しくなるプログラムとは?
今シーズンもそんなふうに考える。