日本は、「クール・ジャパン」という造語で、アニメ、マンガの分野で優れたソフトパワーを自慢しているが、実はそれは国家の政策や戦略とは全く関わりのないところで生まれて発展していった。私自身は、それこそが日本のソフトパワーの自由活達さ、創造力の背景だとも思うが、もうちょっとその力を外交的に利用する狡猾さは、政治に欲しかったところだ。
北京五輪前の2007年、私は清華大学の某教授に、中国のパブリック・ディプロマシーについて取材した時、こんな会話を交わした。
私が「中国はパブリック・ディプロマシーを相当研究している。日本は全然ダメだから、中国に学ばなければ」と言うと、教授は非公式の個人的意見としてこう答えた。「日本は中国よりもよっぽど優れたパブリック・ディプロマシーを展開している。中国のみならず国際社会における日本アニメ、化粧品や家電製品のブランド、J-POPの流行、すべて結果として大きな国家利益になっている。中国の方が日本に学ばなければ」。
そう言った後で、本音が出た。「もし、日本のパブリック・ディプロマシーに致命的な失敗があるとすれば、それは敗戦の歴史のイメージをうまく好転できなかったことですね。あれほどのソフトパワーがありながら、なぜそれができなかったか、不思議ですよ」
こうやって日、中、韓を比較すれば、いまのところ、もっとも戦略的にも戦術的にも優れたパブリック・ディプロマシーを展開しているのは韓国と言ってもいいかもしれない。
ソフトパワーと市場の力の戦い
私は正直、今の日本の韓流ブームには、懸念を感じている。例えば、若者に大人気の「少女時代」や「KARA」が「独島(竹島)は韓国の領土です。ファンならそう主張してね」と訴えれば、そう主張する日本人ファンも出てくるんじゃないか、と。
そんなこと、あり得ない、と思うかもしれないが、以前、テレビの討論番組で、若者の強い支持を集めている堀江貴文さんが「尖閣諸島なんて明け渡してしまえばいい」と言っていたのを思い出すと、今の日本の若者が、国家利益より、女神と崇めるアイドルの意見の方を重視することもあるやもしれないと思う。そうなれば究極のパブリック・ディプロマシーの成功例として歴史に残ることだろう。
しかし、だからと言ってフジテレビ前で抗議デモをする気にもなれない。それはフジテレビという一商業メディアの問題ではないからだ。これをパブリック・デイプロマシーという視野でとらえるなら、あくまで外交交渉であり、世に言う「銃声のない戦争」である。ソフトパワーと市場(市民)の直接外交、戦いである。市場の方が強ければ、外交の主導権を握れる。大切なのは市場(市民)に、少しでも国益意識があるか、ということである。
当たり前だが、もし日本の市場が韓国産コンテンツを本当に歓迎しなければ、企業も無理には売り込めない。韓国スター、アイドルたちにとって、それでもなお日本の市場が魅力的であれば、その市場で売れるために、韓国側が日本人の好まない言動は控えるようになる。ソフトパワーも力だが、市場も力なのである。
例えば、台湾女優の林志玲さんが中国市場に進出する際、彼女の母親は台湾独立運動からすっぱり足を洗った。それは中国市場がそれだけの力を備えていたから、と言える。
今さら、鎖国するわけにはいかないのだから、日本人は堂々と韓流ブームを迎え撃て、と思う。