スクールカースト
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
スクールカーストとは、日本であまり知られていない、学校の負のシステムのことである。アメリカ合衆国では、学校絡みのドラマ・漫画等に頻繁に登場している。
目次 |
[編集] 概要
分かりやすく言うなら、「学校の中における派閥争い」である。
外面の悪い人=外見的魅力に欠ける人は体育の授業や体育祭で活躍できないどころか、周囲からの罵声を浴びて孤立し(あるいは絶交されたりして)、学校が嫌になり不登校となってしまい、最悪の場合、将来はNEETや引きこもりになってしまう可能性がある。
また、「勉強が出来る生徒は教師に好かれる」と言われているが、勉強が出来る生徒はどういうわけか「運動神経が悪い」「コミュニケーションが不得意」「勉強云々ではなく、頭が悪い」などのマイナス要素をもっていることが多い。そのため、勉強ができても教師に嫌われてしまう者もいるだろう。
不運なことにスクールカーストの認知度は低く、「運動が出来ないくらいでいじめられるわけがない」「そんなに運動音痴が嫌なら上手くなれよ」「スクールカーストは僻みからの妄想」とリアルでもネットでも言う者がいるが、「そんなに言うならお前さん、サッカーの試合でオウンゴールしまくってみなさい」と言って、本人に身をもって体験させてあげると良い。
なお、必ずしも運動の出来不出来のみで決まるのではなく、「一緒にいて楽しい」「かっこいい(バンドメンバー、特にボーカルやギタリストで」「タイムリーに笑いを取れる」などの「表面的な魅力」で決まる場合が多いようだ。
「自己主張能力」「同調能力」などが重視されるとする指摘もある。
特徴として、以下の4段階がある。
- 1軍(Aランク)
- 体育(主に球技)が得意で、主導的な立場を取れる
- ただし種目は野球・サッカー・バレーボール・バスケットボール・テニスなどに限られ、間違っても卓球などは含まれない。またラグビーが含まれるのは大学以降である
- 遠足のバス内で最後尾を仲間同士で占領出来る
- 休み時間はクラスで友達と騒げる
- 学級委員等、面倒な仕事を最下位の生徒たちに押し付ける事が出来て、咎められない
- クラスの笑いを誘うネタの研究をしている
- 外見に気を使っている
- 生まれながらにしてイケメン・美少女
- 童貞・処女でない
- 時々失敗しても笑って済ませられる(むしろ人間的で憎めないと好意的に取られることもある)
- 取り巻きが常にいて、且つ人数も多い
- 体育(主に球技)が得意で、主導的な立場を取れる
- 2軍(Bランク)
- 1軍ほどではないが、他人が真似の出来ない技能を持つ
- Aランクの友人(取り巻き)に多い
- 体育の授業に対し、少なくとも憂鬱さは感じない
- 1軍と2軍でクラスの半分以上を占める
- 3軍(Cランク)
- グループ分けで余り易い
- 休み時間中クラス内に居場所が無い
- ルックスにあまり気を使わない
- 寄せ書きは余白が多い
- いわゆるオタクやコンピュータを趣味とするものが多い
- 異性とのコミュニケーションが取れない
- 体育の授業がある日は特に元気がない(わざと体操着を忘れることもある)
- よくない意味で、クラスメイトの笑いを誘うことがある(イジリの対象になる)
- 時々失敗したら泣き出すまで辛辣なことを言われる(暴力を振るわれることもある)
- 2軍との格差は大きく、昇格は難しい
- 3軍同士でグループになっている時もある(その場合、クラスの上位からは「地味ーズ」などと呼ばれる)
- 4軍(Dランク):端的に言えば嫌われ者、いじめられっ子である。平和なクラスの場合、このランクは存在しない事も。
- グループ分けでは常に余る
- いじめに遭うか、いないかのように扱われるかのどちらか
- 異性のみでなく同性ともコミュニケーションがとれない
- 一度もクラスメイトと口を利かないで終わる日が週に1日以上ある
- 名ばかり学級委員(厄介事を押し付けられる)
- ニート・引き篭もり
- 学校を卒業しても、この階級であったことがトラウマになる場合もある
- 5軍(Eランク):こんな奴いたっけ?な者に多い。Dランクと共通点が多いが、唯一の違いは、本当の意味で空気であること。
[編集] 二つのスパイラル
以下に二つのスパイラルを記す。
- Aスパイラル(Aランクスパイラルの略、通称正のスパイラル)
- 運動できる→みんなに頼られる→友達できる→明るくなる→もっと挑戦しようと思う→努力する→成功する→モテたりみんなに頼られる→以下繰り返し(いずれは有名大学合格、その先にも一流企業で出世したりベンチャー企業を立ち上げたり幸せな結婚をしたりの明るい未来。遊びと勉強が両立できる人間がこのタイプ。)
- Cスパイラル(Cランクスパイラルの略、通称負のスパイラル)
- 運動できない→ハブられる→友達できない→暗くなる→挑戦したくなくなる→でも運動が上手くなりたいと思う→でも学校の授業じゃ無理→以下繰り返し(いずれは不登校、ひきこもり、ニートに。おたく的趣味に突き走るか、全くの無趣味無気力な人間がこのタイプ。)
このスパイラルによってAランクには青春と明るい未来(ある程度の学歴+社会的地位)が約束され、Cランクには友達ゼロとお先真っ暗な未来(良くてもおたく東大生、最悪の場合はニート)が約束されているのだ。
[編集] なかなか認識されない「スクールカースト」問題
実はこのスクールカースト、ウィキペディア(日本語版)には2007年10月7日まで項目がなかったのだ。しかも2009年1月には、“「独自の研究」である”、“学術的に信憑性が低い”として一度削除された。2011年2月に再構成。
このことからも、教育者や政治家たちが声高に叫ぶ「いじめ問題を解決しよう」というスローガンがいかに無意味で、そして本人達もいかにやる気がないかがお分かりであろう。生徒の将来に大きく関係(カースト下層に落ちぶれたらお先真っ暗)し、「若気の至り」「子供は未熟ですから」では済まない「学校社会の病理」なのにも関わらず、なぜ教師や教育関係者はスクールカーストを無くそうとしないのであろうか。また、このカーストが低い人が気がついて担任に相談すると「そんなのはない!」と言い返す。でも、中間層以上の生徒には気づかなくとも、下の層の人間には、おぼろ気だが見えている。あるものはあるのだ!また上層部には、断層としてではなくグループとして、並列に見える人もいる。
教師がスクールカーストに加担することも多い。その理由は『クラスを簡単にまとめる』ことが出来るからである。カーストを作れば、カースト頂点の人を中心に動かすと、同時に下のものがつられて動き、その結果、弱い力でクラスをまとめることが出来る。また「いじめられっ子」を作ると、ますますいじめることでクラスが団結し、何かトラブルがあれば「いじめられっ子」のせいに出来る。よって「いじめられっ子」以外、クラスは「明るく楽しいクラス」になる。またいじめられっ子への家庭訪問では、両親の前で「開き直れ」「強くなりなさい」と言う。また、教師たちはただでさえ(事務処理など)忙しいのに、いじめや不登校など問題など、厄介ごとの生徒のケアが増えるのがいやだから、クラスとは上層だけいじればいいと考え、あとは下層の人間は「自己責任で」ということで、あえて触れない。でも仕事が手抜きだと言われるのがいやだから、形式上、下層の人間にも触れている。
またこのカーストは、「いじめられっ子」が何も行動しなかったら、クラス→学年→教師→他学年の生徒→地域と、ピラミッドが広まり、いじめられっ子を他人から色眼鏡で見てしまうので、早期解決しなければならない事であるが、なぜか、無かったようにする。スクールカーストというシステムが「いじめられっ子」から行動するエネルギーを奪い去ってしまっていることが、事態をより深刻にしている。
そして仮にカーストの下級の人間が上に登ろうとしたら、上級のグループから蹴落とされ、元にいた階級より下に落とされる。よって下級の人間はずっとそのままいなければいけないと言うことも、問題のひとつである。
[編集] スクールカーストが知られない理由とは何か?
2007年度前半はマスコミが視聴率稼ぎに乗り出したいじめ問題がブームになったが、もしいじめ問題の解決においてスクールカーストについて論じることとなると、スポーツの技術を教えずに運動音痴の心に一生深い傷を負わせるという実質的ないじめをしまくった挙げ句、更に高い給料を貰うという税金泥棒を一生懸命頑張っている体育教師や、勤務歴数十年を誇りながらスクールカーストさえ知らずにいい気になってるベテラン教師や、国民の税金で議論したにもかかわらず、何ら有効な成果を上げてないばかりかスクールカーストについて全く無知な教育再生会議のメンバーといった人達が困ってしまうからである。
なので、テレビに出る人(知識人・有識者・教育関係者・政治家など)は自分たちが叩かれることを避ける、あるいは「昔は良かった」式の懐古主義に陥るために「今の子供達はテレビやゲームの影響で凶暴になった」「昔はこのようないじめは考えられなかった」「今時の親は育児がなっていないからいじめが多発するのだ」と、現実逃避及び責任転嫁をするのである。
教師も加担していることもある。教師自身いじめで楽しく仕事が出来、いじめられっ子をクラスの奴隷として、生徒がいやで出来ない仕事を無理やりさせたり出来るからだ。それを知られては、人の道を教えるはずの人間、教師に非難を浴びせられ、教師生命が危なくなるので隠蔽している。
基本的に、教師は聖職者でなければならないというルール(いわゆる「恐るべき学校信仰」)があるため、国民は「教師の指導は予備校講師を遙かに凌駕しているし(そのような事はあり得ない)、間違っていることなどあるはずがない」と思わなければならず、スクールカーストを教師の責任にすることは許されないのだ。
なので、この問題を真剣に考えてくれている人はせいぜい社会学者の内藤朝雄・明治大学准教授ぐらいのものとなっている。諦めろ。
[編集] 内藤朝雄氏の「スクールカースト」に対する考察
- ①「団体生活の強要」による子供同士の同調圧力
- 日本の学校は、世界でも類を見ないキメ細かさで、生徒に集団生活を押しつける。このため、生徒にとって学校は、追いつめられても逃げ場がなく、他人との距離感を自由に調節できない閉鎖的な空間になりがちだ。
- ②塾と学校の相違
- 学校は、いじめがあったり、勉強をやる気がないようなふりをしなければならなかったり、教員から嫌われると何をされるかわからない不安があったりして、嫌だけどしかたなくいくところだけど、塾はいっしょうけんめい勉強ができるし、学校と関係ない塾の友だちとは気楽に思ったことを語り合える、といったムード。
- ③「牢獄」と化した学校
- 「空気を読」んで偽りのノリを生きるよりも、真実の心をわかちあいたい、いっしょうけんめい勉強をしたい、そして専門的な職業につきたい、いじめはゆるせない、暴力はゆるせない、といった「まじめ」なタイプの子にとって、学校よりも塾の方が、圧倒的に「ただしい」場所になっている。学校は、内申書で将来を閉ざされかねないから、力関係上黙って屈服しなければならないだけの、「悪」の場所となる。また、「ことば」で納得させてくれる塾の教員の方が、「ちから」で言うことをきかそうとしがちな学校の教員よりも、「ほんとうの先生」と思われがちだ。
- ④「反抗期盛り」の中学・高校の問題点
- 学校にくらべて、塾は楽しい。「友だち」から「不真面目であること」を強制されないですむ。みんなまじめに勉強しているし、講師はフレンドリーな「ことば」で知的関心を刺激してくれる。ここには嫌なチンピラはいない。嫌な押しつけがましい、気にくわないと思われるとひどい成績をつけられて、私立中学への脱出を妨害されかねない(そのくせ教え方の下手な)先生もいない。
- 参考:教育チケット制で塾と学校を同等に扱う - 内藤朝雄
- ⑤学校の「神格化」の否定
- もう一つは、学校を神聖化することをやめるべきだ。これまで日本では、学校を神社仏閣のようにあがめ、教員を聖職者のように扱ってきた。その結果、学校を中心にして、子どもたちを、魂の深いところから、「学校の色」に染め上げてしまうことが、残酷ないじめや市民的自由の剥奪など、様々な問題を引き起こしているのだ。彼らは学校で閉鎖的な集団生活さえしなければ、こんな「学校色のけだもの」にならなかったはずだ。
- 参考:内藤朝雄のブログ
[編集] 関連項目
[編集] 参考リンク
※注:スクールカーストの理解者ばかりとは限らない、と言っておく。
- 「体育」ができないと人生終了(にっ完スレッドガイド )
- 学生の時、体育・運動が好きだったか嫌いだったかで(アフォBlog)
- 小学校における「体育科」の必要性(カナ速)
- 「りはめより100倍恐ろしい」を読んだら、スクールカーストに関する思考の断片が音を立てて組みあがったから一気に書くよ!