2011.8.22
住めない国になる前に
今朝の新聞報道によると、福島原発からの放射能漏れが収束したあとも、人の住めない土地が、かなり広く残るようだ。居住禁止になる区域の土地を、政府は借り上げる方向で検討に入ったという。土地を買い上げる案もあるが、先祖からの土地を失いたくない住民感情にも配慮して、地代を払うことで損害賠償や生活支援とする発想らしい。いずれにしても、関係住民とのキメの細かい話し合いが必要になるのだろう。
放射能汚染の広がりは同心円とは一致しないから、精密な線量の測定が必要になるのは言うまでもない。その測定も、政府主導のものは散々に批判されている現状だから、よほど精密に、信頼される方法でないと納得は得られまい。そしてデータが得られたあとも、居住不適の線引きをどうするのか、これまた難問の山積になることが目に見えている。さらに居住可能に分類されても、住みたくない人をどうするかといった問題も出てくるに違いない。多少は危険でも住みたいという人はどうするのか。
住居ばかりでなく、常磐線の鉄道や、幹線道路はどうなるのだろう。とにかくこの日本国内に、住めない使えない土地が出来てしまうことは決定的になった。そして、いつになったら住めるようになるのか、除染の方法と効果はどうかといった、未知の分野に踏み込む長い取り組みが始まることになる。
かくて日本国は領土の一部を失うことになった。失った面積が、政府による借り上げ可能な範囲に収まったことを天に感謝すべきだろう。これからも原発を推進したい人たちには、ぜひ福島の政府借り上げ地に居住することをお薦めしたい。そして身をもって放射線は怖れるに足りないことを実証していただきたいものである。その医学データは、今後の放射線対策の貴重な資料になるだろう。
それにしても、東京を含む東日本一帯が居住不可能にならなくて良かった。54基もの原発を抱えていた日本列島は、東海地震と連動でもしたら、全面的に人の住めない国になっても、おかしくはなかったのだ。今は福島の犠牲のおかげで、運転中の原発は15基だけになっている。停止した原発が安全なわけではないが、少しは危険性を減じることができた。
福島の原発被害者の方々の蒙った迷惑は察するに余りあるが、おかげで日本は亡国の災厄を免れたと考えることもできる。住めない国になる前に、間に合ってよかったのだ。
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Tracked: 2011.8.22 20:42:51
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Tracked: 2011.8.23 00:34:42
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Tracked: 2011.8.23 07:07:24
私は関係ありませんと言えない場に立たされているような気がします。
汚染されない土と水、空気がどれ程大切か、政治家といえど知らない訳はないと思うのですが、身に迫らない限り、儲けの為には犠牲にしてもいいと考えるのでしょうか。
原発内部で働いている方々の様子など、まるで使い捨ての雑巾だと告発されていますが、全部ではないにしても、かなりの場所が命がけの仕事ですね。
人は貧しくも健康であれば、なんとかなりますが、健康を損なうと、生きる方向が閉ざされてしまいます。
汚染水も汚染泥土も、立ち入り禁止区域へ集積するのでしょうか。
チェルノブイリの無人化は、他国の事と喧伝されてきましたが、今や日本の魚も野菜も米も肉も、検査無しには口に入れられない状況です。
とても暗い切ない気持ちになりますが、なんとか明るく暮らしたいものです。
原発を受け入れていた現地の人々の中には
エネルギーが枯渇したゆえに戦争になった過去があるから、自前でのエネルギー確保が重要と言っていた人もいるのですが、
原発の歴史を、推進する人々の現実を見れば、その言葉はいかに悲しく、空しく消えることでしょう。
原発が作られた跡地では食料を作れません。
廃棄物は天文学的な長さで猛毒を放ち続けます。
事故が起きればもっと広い国土が失われてしまいます。
「エネルギー尊び山河滅ぶ」など本末転倒の最たるものではないですか。
原発事故を戦争にたとえた言葉がありましたが、
推進したい人間たちは“敗戦”ととらえ、“戦後”を自分たちの望むようにコントロールすることに腐心しているようです。
(戦争を知らない身が言うのもなんですが)今回の事故は“折り返し”ともいえるミッドウェイ海戦のような感じがします。
終戦へと舵を切るべきだったのを誤って、そのまま体制(国民の命ではありません)を維持することにこだわり続け、無残な原爆投下をはじめとする、あのような敗戦となりました。
第二、第三の原発事故による“敗戦”には、かつての敗戦の時のように現憲法をはじめとした一定の自由をもたらしてくれた存在など来はしません。
画家ブリューゲルの描いた絵画『死の勝利』のような滅亡のみがあるだけでしょう。
今の日本は分水嶺にあるのではないでしょうか?