【八重山】「軍強制」は八重山にもあったんだ―。八重山地区の教科書選定問題で、戦争マラリア遺族が、沖縄戦「集団自決(強制集団死)」で軍関与を記述しない「新しい歴史教科書をつくる会」系教科書に対し、反発を強めている。遺族らは戦時教育の異常さを指摘し、「戦争の真実を子どもたちに伝える教科書を使ってほしい」と叫ぶように訴えている。
沖縄戦時の八重山では、日本軍が住民をマラリア有病地帯の山間部や西表島へ強制疎開させた。住民は疎開先で次々にマラリアにかかり、地区全体で約3700人の死亡者を出した。
波照間島出身で石垣市在住の銘苅進さん(81)、好子さん(75)夫妻は、日本軍の軍曹に自決を促されたり、疎開先の西表島で家族を亡くした体験を語り、同会系教科書が「軍国主義へ導く可能性がある」と危機感を募らせる。
マラリアで家族を亡くした石垣市の田底重雄さん(89)も自身の経験を踏まえ、「軍強制や戦争マラリアの恐ろしさを記述した教科書が望ましい」とした。
「自決せよ」軍曹は命じた
強制疎開がなければ・銘苅さん 戦争の怖さ教科書で・田底さん
八重山地区の教科書選定問題で、戦争マラリアの遺族ら3人は「新しい歴史教科書をつくる会」系教科書に対し、批判の声を上げた。
鮮やかな夕暮れだった。1945年7月末、西表島南風見。波照間島民を同地へ強制疎開させた山下虎雄(本名・酒井清)軍曹が、青年学校生徒らでつくる挺身(ていしん)隊を浜辺に集めた。山下軍曹は「米軍が上陸してきたら、若者は捕まってスパイをする可能性が高いので、自決しなさい」と促した。「ナイフでのどを切ってもいいし、手りゅう弾もあげる」
自決方法の説明を受けても、14歳だった銘苅進さん(81)=同市=は怖くなかった。「教育は軍国主義一色。子どもでも天皇や国のために死ぬのが『名誉の戦死』、誇りだと考えていた」と顔をしかめる。
同年3月、波照間島から全住民約1600人が軍命によりマラリア有病地帯の西表島へ強制疎開させられた。帰島が許される8月までの5カ月間に、マラリアで85人が死亡。帰島後も477人が亡くなった。両親に先立たれたことで、餓死した子どもも複数いた。
進さんの家族に犠牲はなかったが、同郷の妻好子さん(75)は南風見で父母と妹2人をマラリアで失った。当時9歳。母親の死亡後、乳児だった妹の節子さんをおぶって母乳が出る人を探した。その節子さんもやがて亡くなった。好子さんは「戦争だけは絶対してほしくない」と涙ぐむ。
進さんは「軍命で疎開さえしなければ、みんな元気だった。集団自決を含め、戦争の事実を教科書に書かないことで、子どもたちを軍国主義に後戻りさせてしまうような気がする」と危ぶんだ。
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左手の小指の先に、削られたような痕。「米軍の機銃掃射でやられた。醜い戦争の傷痕だ」。石垣市の田底重雄さん(89)は淡々と語る。13人きょうだいの長男。39年、17歳で台湾へ渡った。台湾総督府の鉄道で働き、実家に送金して家計を支えた。
42年末、台湾で徴兵検査に合格。一時帰郷すると公民館主催で祝宴が開かれ、送り出された。終戦まで台湾で従軍し、石垣島に戻ると、母親ときょうだい4人が病死していた。マラリアだった。
父親と2人で、きょうだいが埋められた疎開先を訪れて掘り起こし、まとめて焼いた。その時、父親が、熱病に苦しむわが子を見ながら「この子は明日死ぬ、あの子はあと何日だ」と寿命を数えていたと話した。
田底さんは「地元の人は当時からマラリアの怖さを知っていた。軍の命令じゃなければ進んで行くものか」と憤る。徴兵され、誇らしかった自分。「教育は恐ろしい。子どもは本気になって信じてしまう。体験者は年を取っていく。戦争の恐ろしさを『後輩』に知らしめないといけない」と力を込めた。