バスケ青春の詩

バスケ青春の詩
自分の想いの言葉を綴っています。

改めて〜呟きに振り回されている?…誰が?

2011-08-22 21:57:48 | 記事一覧
平成23年8月22日 月曜日
 
「改めて〜呟きに振り回されている?…誰?」


『本ブログを非公開にするのは、やはり撤回します…。』


その呟きに振り回されているのは誰?


掲示板の書き込みからですが…


『やっぱアホやんw

非公開にするって、
やっぱや〜めたってw
朝令暮改ってのはこういうのを言うのね。って言う典型例だね。
職場でもこうなんですか?幹部自衛官さん。

>相手にする方が無駄だと言われます。

>確かに、相手をするのはバカだと思います。

これ、7月に暴れた時に気付いたんちゃうん?
また同じことの繰り返しかい。アホ以外のなにものでもないなw

>>18
どうも、次女が遠征するタイミング帰ってくるタイミングで、ネットの誰かに相手にして貰えないと

発狂するってののがこれで確定的になったね。

>彼等が言うように、バカ親父ですから…

いえいえ、クソ親父ですからw』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

なるほどと思いつつ、
確かに彼等の言い放題を無視出来ないのは、
私の性格でしょうね。

私も思いますよ…

こういう輩は言わせておけばいいと…

しかし、そういう者達を野放しにしておくしかないのでしょうか?

何もなかったかのようにしておけばいいのでしょうか?

確かに害あって実利のない言い合いにしか過ぎません。

無視することが、一番賢明なのでしょうが、

結局、それが出来ない性分なんですね。

とにかく、私もよく考えてみます。

これも独り言ですが…
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呟きに振り回されている?…誰が?

2011-08-22 18:11:18 | 記事一覧
平成23年8月22日 月曜日
 
「呟きに振り回されている?…誰?」


『本ブログを非公開にするのは、やはり撤回します…。』


その呟きに振り回されているのは誰?
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本ブログの非公開について…撤回?

2011-08-22 17:28:30 | 記事一覧
平成23年8月22日 月曜日
 
「本ブログの非公開について…撤回?」


本ブログを非公開にするのは、やはり撤回します。

最低の者達を前に、以下の想いをされている方達がいるのです。

相手にする方が無駄だと言われます。

確かに、相手をするのはバカだと思います。

彼等が言うように、バカ親父ですから…

だから、自分の想いを綴っていこうかな?
とも思っています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『非難しやすい人を,非難しているのが、
なんとも嫌な気分です。

嫌がらせする事を楽しんでいるとしか思えない人,自分の正義を振りかざしている人…

救いようの無い文を書いている人が,世の中にたくさんいると思うと、とても怖いです。』

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無責任な発言

2011-08-22 09:45:59 | 記事一覧
平成23年8月22日 月曜日
 
「無責任な発言」


長女の件があってから、ネットの掲示板には無責任な匿名の書き込みが溢れています。


次女も息子もバスケ掲示板に、高校時代から現在の大学のバスケに至るまで誹謗中傷され続けています。


匿名で言い放題です。

一部の人達だと思いますが、どれだけ人の心を無責任に傷付けているのか…

その人達の発言は、
聞く耳さえ持たない
一方的な発言です。

その人達から見れば、
私も聞く耳を持たない
、自己中心の恥知らずのバカ親父でしかありません。


自分の発言に責任なぞ必要ないし、言論の自由だと、のたまうのでしょう。

自由には責任が伴うこと…

責任とは、
自分を明らかににして『応じる』こと…

自分を明らかににしないから言い放題です。

そんな日本人がいることは情けない限りです。

責任なき発言ができることを野放しにしている日本の状況がおかしいのでしょう。

ちなみに、Facebookは
実名で個人情報を明らかにして発言しています。

アメリカ人は今や名刺よりFacebookが個人間の確認の手段として信頼性あるものとして活用しています。

Facebookには、無責任な発言はありません。

なぜなら、自分を明らかにして発言しなければならないからです。

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本ブログの非公開について…

2011-08-22 08:14:23 | 記事一覧
平成23年8月22日 月曜日
 
「本ブログの非公開について…」


突然ですが、
本ブログは、できるだけ日々更新をしようと思いますが…


明日の記事を最後に、しばらくの間、非公開にすることにします。

しばらく…とは公判が結審されるまでと考えています。

ただし、非公開としますがパスワードを設定したいと思います。

もしも、本拙文を今後も読まれることを希望される方は、

お手数ですが、本記事のコメント欄に氏名とメールアドレスを書いていただきますようお願いいたします。

コメント欄は非公開にしてありますので…

そのメールアドレス宛にパスワードを送信させていただきます。


また、今までお読みいただいている方で、

今後も読んでいただける方も…

本記事のコメント欄に氏名とメルアドを記入していただきたくお願いいたします。

こちらからパスワードを送信させていただきます。


よろしくお願いいたします。
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情報化時代の不安…

2011-08-22 00:00:26 | 記事一覧
平成23年8月22日 月曜日
 
「情報化時代の不安…」


今日は普段から、私の仕事がらチョット考えていることを、徒然に書いてみました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世の中…
科学が発達して、
新たな文明開化の時代を迎えています。

1980年代の後半から、その世界が現実化していき、

その時から、ネットワーク社会に対する不安や懸念は多数の著書に書かれていました。


ネットワーク社会が現実になるにつれて…

世の中はフラット化しています。

社員の誰もが社長に物を申すことができるのです。


また、ブログ・Twitter・Facebookなどの情報はグローバルに国境を越えて一瞬のうちに世界の人々が共有しています。

軍事の世界では、
サイバー空間は、

陸・海・空・宇宙に次ぐ
第5世代の戦場と言われています。

怖いのは、サイバー戦がサイバー空間から実空間でサイバーシステムを叩く物理的な紛争に発展する可能性を無視することができないことです。


ネットワークに依存する社会構造は、各種サーバーを機能不全にすれることで…

人々の生活は簡単に麻痺するのです。

これは、もはや映画の世界の話しではなく、

実際に国際社会で行われている事実なのです。

このような世の中になっていることは他人事ではありません。


とにかく、個人情報や組織情報が安易にかつ簡単に手に入れることができ、

それを防止するため、
会社や国の機関の情報保全や情報管理が厳しくなり、

それは文明開化によって生活が便利になったとともに…

徐々に世の中は、徹底した管理社会へと変化していると思いませんか?

先進国に於いてもしかりですが、

先進途上国に於いてもジャスミン革命といった社会運動も市民のネットワークへの書き込みが発端だったのですから…

今や世の中、携帯電話から、スマートフォンなる携帯PCまで普及し、

ほとんどの人が保有している世の中です。

その人達が、片手でいじりながら歩いている姿は世の中の常態になっているように感じます。

世の中の時間が、溢れるように激流のような凄い速さで流れていて、

人生という寿命の時間を落ち着いて見つめる時が無くなっているようです。

大震災のような自然災害だけではなく、

第三者による故意のネットワークシステムの破壊行為も日常の安寧を一瞬にして崩す…

非日常の世の中を招く蓋然性は大きくなっているのも事実です。

その、せめぎあいが、いわゆる裏の世界で実際に行われていると考えた方がいいと思います。

その備えは、個人レベルで出来るようにすることも必要ですが…

限界があるのも確かです。

そのためには、
個人レベルだけではなく、

非日常の事態に対応できる社会システムも構築しておくべきだと思うのです。


さて、私も含めて皆さんは…

自宅や職場を出る時に携帯を忘れたことに気付いたら、取りに戻りますか?

通勤途中や帰宅途中に忘れたことに気付いたら、不安でたまらなくなりますか?

携帯自体が個人情報の媒体そのものですから、それを無くすことは社会に影響する大問題です。

しかし、その状態が携帯などの媒体ではなく…

情報社会に依存している常態だと思います。

私が存じている社会的キャリアを有し、情報社会の現場で活躍している方で、携帯電話を持っておられない方がいます。

必要な情報は、求めなくとも、その方に集まるのです。

なぜなら、その現場において欠くことのできない方だからです。

誰もが、その方のようになれるとは思っていませんが…

情報社会の脆弱性の上で生活していることを認識しておくことは、無意味ではありません。

私は、そう思います。
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『はやぶさ』の生きざま…

2011-08-21 00:10:08 | 記事一覧
平成23年8月21日 日曜日
 
「『はやぶさ』の生きざま…」


これは、先日TV番組で放送されていたものを調べてまとめ、綴ったものです。


ここで言う、
「はやぶさ」とは、

宇宙探査衛星の、はやぶさです。


なぜこの話しをするのかといえば、

この、はやぶさが単なる探査衛星という機械でありながら、

人々に生き抜く意味を身をもって教えてくれたからだと思うからです。


さて、はやぶさ(第20号科学衛星MUSES-C)は、

2003年5月9日13時29分25秒(日本標準時、以下同様)に宇宙科学研究所(ISAS)が打ち上げた小惑星探査機で、

ひてん、はるかに続く
MUSESシリーズ3番目の工学実験機です。


はやぶさの使命は、
イオンエンジンの実証試験を行いながら、

アポロ群の小惑星 イトカワに到達し、

その表面を詳しく観測してサンプル採集を試みた後、

それを地球上に持ち帰ることでした。


そして、打ち上げ後から2年ちょっとの年月を経て、

2005年夏にアポロ群の小惑星 イトカワに到達し、

その表面を詳しく観測してサンプル採集に成功し、

地球への帰還の途についたのです。

しかし、
はやぶさの前途は多難でした。

推進機が停止するトラブルで50日間、宇宙をさ迷い続け、

日本の技術陣の懸命の捜索、

砂漠から一本の針を見つけるような

あきらめたら、全ての希望が絶望に変わる中で…

はやぶさと技術陣の想いが繋がるように、

砂漠の一本の針であった、はやぶさと…

また再会を果たしたのです。

それだけの情熱を懸けた想いの理由は、

地球重力圏外にある天体の固体表面に着陸してのサンプルリターンは、世界初の試みだったのです。

これが成功すれば、宇宙を解明する大きな一歩となり、

宇宙科学技術の大きな前進となるのです。

技術陣は当然、その使命の重大さを認識していましたが、


探査機という機械であった、はやぶさ自身にも、

まるで生きている者のように、その使命感が溢れていたかのようだったのです。


そして、その後も人間と、まるで有機体となった、はやぶさは、

その使命のもとにひとつとなり、


やがて、
7年を越える歳月を経て…

2010年6月13日22時51分、60億kmの旅を終え、地球に大気圏再突入し、

はやぶさは燃え尽きながらも、サンプルカプセルを地球上に持ち帰るのです。


はやぶさは自らの命を懸けて、その使命を成し遂げたのです。


単なる宇宙探査衛星であった、はやぶさは寿命を持った生命のごとく…生き抜いて、

最後に、その命を燃やして自らの人生を歩みきったのです。


はやぶさの生きざまは
、あきらめることなく
失望しても希望を持ち続ければ…

それが実現することを
身をもって、私達に示してくれたのだと思います。
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追伸…運命ということ

2011-08-20 13:09:31 | 記事一覧
平成23年8月20日 土曜日
 
「追伸…運命ということ」


先日、
「運命ということ」
という日記を書きましたが…


私の拙文で想いがうまくお伝えできなかったところがあったようです。

要は娘のことは、
娘の運命だったと言いたかったのです。

私は以前に、
人の寿命というロウソクの長さは持って生まれたもので、

しっかりと燃え尽くすことが大切だと言いました。

その後、娘のことがあって、それは娘の寿命だったのだろうか?

実は、もっと長いロウソクの長さを持っていて、

人生の途中で出会った者にロウソクを折られたものと思い、

さらに、それは今回の
現実は、やはり娘の運命だったのだと考えるようになったのです。


それは、今回の娘のことは、そこに至った事実の流れを知ることで、

娘とその他の人達が、
それぞれに因果として行動していったものが影響しあって、

娘の運命が造られ、
それが娘の寿命という
ロウソクを造っていったと思うようになったのです。


ですから、
その運命は持って生まれた定められたものではなく…

生まれた後の本人の
1日、1時間、1秒単位
の行動の連鎖が、
因果として運命を造っていると考えたのです。

例えば、今回の震災で
はそこに住まう多くの方々が亡くなられました。

その中でも、
一瞬のタイミングの違い…
その日誰かに会うために現地に居なかった人や、

誰かに会うはずが、
相手の都合で会うタイミングがずれて震災に遭遇し、亡くなられてしまった方など…

それは、当事者間だけではなく…

それも連鎖して、
それぞれの人達の運命に影響し、

それぞれの運命を造っていると思えたのです。


震災で亡くなられた
方々が、他の人の影響を受けて必然的に亡くなられたとは思ってもいません。

震災に出会ったこと自体は、その方々の運命だったと思います。

しかし、
誰かが、その運命を
意図的に造ったとは思いませんし、

人の運命は偶然や必然
の事実の連鎖で造られていくと思ったのです。


そこのところが、
私の拙文で真意を伝えることが出来なかったのは、私の不徳のいたすところです。


今回の震災で亡くなられた方々の運命について軽々しく語るつもりではなかったとお伝えしたいと思います。


この記事は、
娘のことをとおして、
私の運命に関する死生観の想いを綴りました。


娘の運命であったことに間違いはありません。

ですから、他人によって娘の運命が造られたのではなく、

娘の運命は、自分の因果による行動で造られ、

その行動が、他の人と影響し合って現れたと思うのです。

その結果が、今回の娘の運命だったのです。

何度も言いますが、
娘の運命が変えることが出来たと言っているのではありません。

それは、やはり娘の運命だったのです。

その運命は、偶然や必然のことが重なったことで生まれたものだと思ったのです。
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少年と少女達の夏…感動と勇気

2011-08-20 00:05:12 | 記事一覧
平成23年8月20日 土曜日
 
「少年と少女達の夏…感動と勇気」


猛暑の続く夏…

甲子園では高校球児達が日本一を目指して全力で熱い試合を展開しています。

かたや、地方の夏の大会で破れた各種競技の少年・少女達は…

中学、高校生活で一途に駆けた部活を感動の涙で終えたのでしょうか?

そして後輩達が新しいチームを作るために、

また一から、汗を流しているのでしょう。


そして後輩達も、
中学、高校時代でしか味わうことができない
、部活の感動を作っていくのでしょう。

そして、彼らや彼女達
は挫折しながらも目標に向かって行こうとする勇気は…

感動という、かけがえのない何かを自分達が体験し、

私達に与えてくれるのです。


少年・少女達の何かに懸けた時、一途に燃えた日々は、

私達に感動と勇気を与えてくれるのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
 「感動と勇気」

 〜努力する姿
 実現した時の喜び。


 なぜ君は、
 そんなに一生懸命に
 やろうとするの?

 なぜ、
 あきらめよう
 としないの?

 その答えは君自身の
 「心」の中に
 あるのでしょう。

 ただ無心に、
 ただひたすらに、
 何かを成し遂げよう
 とする姿は、

 それを見ている
 人達の「心」にも、
 大きな何かが
 伝わってきます。


 そして、
 それが実現した時の
 喜びは、

 君自身の大きな喜び
 であると同時に、

 それを見ていた人達
 にも大きな喜び
 なのです。

 それは君自身の
 ためでもあり、

 周りの人達にも
 大きな感動と勇気
 を与えてくれる

 無言だけれど、
 とても熱い「心」
 なのです。

 「感動」と「勇気」
 をありがとう。
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運命ということ…

2011-08-19 00:09:30 | 記事一覧
平成23年8月19日 金曜日
 
「運命ということ…」


色々な事があって、
運命という不思議さを考えてみました。


その人と、
その人がまったく知らない人の…

それぞれの、
ひとつひとつの事実の連鎖が、

それぞれの人の運命であり、

それは互いに未知のところで共鳴して、影響を受け合いながら、

ちょっとのタイミングの因果のずれが事実となって現れて運命となっていくようです。


ですから、
それぞれに持って生まれた寿命というロウソクの長さは決まっているのではなくて、


その互いに共鳴し、
影響しあって現れた
事実によって、

その長さは造られているのです。


人生を歩む中で経験するひとつひとつの事実は、その人自身のものであり、

それが、その人自身の
次の事実という経験に繋がっていることは間違いありませんが…


その事実は、他の人が経験する事実からも影響を受けていることも確かなのです。

それは、見えざる誰かの手によっていざなわれたものではなく、

自分以外の、他の人の人生と、

自分が知らないところで共鳴しているのです。

おかしな事を言っていると思われるでしょう。

しかし、それは真実だとわかりました。

自分の運命は因果による事実の連鎖で造られますが、

一方で、まったく知らない誰かが造った、

その人の事実が、
自分の因果に影響しているのです。


それが見えざる誰かの手で、いざなわれているように感じますが…

それぞれの人達の人生における事実が、

それぞれの時間のずれの中で、

現実となって現れることで影響し合っているのです。


バタフライ・イフェクトと言いますよね。

自分がいる地球の裏側の、ある一匹の蝶々の運命が、

自分や、世界の人々の運命にも影響するというものですが…


全く自分の知らない人の経験が、

自分の運命に影響しているのです。

不思議としか言いようがありません。


それは、世の中の人々の、

それぞれの自分がお互いに影響しあって、

その因果が、自分の人生のロウソクの長さを造っているようです。

あの時に、誰かが別の事実を生んでいれば…

自分のロウソクの長さは長くなっていたかもしれないし、

逆に短くなったのかもしれないのです。


人生の不思議さを感じざる得ません。
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