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【芸能・社会】

新人女性演歌歌手、乾英里香 板垣退助の子孫です

2011年8月21日 紙面から

“おじいちゃん”の板垣退助の肖像画を手に、演歌改革を誓う乾英里香=東京・中央区の所属事務所で

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 自由民権運動のリーダーで100円札の肖像にもなった明治の政治家、板垣退助の血を引く、新人演歌歌手が21日に「華よ咲け」でデビューする。高知県宿毛市出身の乾英里香(いぬい・えりか、28)。作詞家の里村龍一さんの弟子として修業を積んできた。

 英里香が目指すのは、これまでの演歌にロックやジャズの要素を取り入れたニュー演歌。伝説の偉人を祖先に持つ乾は「プレッシャーもありますが、新しいスタイルの演歌で、私も演歌界に改革を起こせるように精いっぱい頑張ります」と意気込んでいる。

 板垣退助は1837年に土佐藩士乾正成の長男として現在の高知市に生まれた。その後、戊辰(ぼしん)戦争の時に「乾」から「板垣」に改姓した。板垣は、英里香の父方の祖父の4代前の祖先にあたるといい、英里香の祖父は陰陽師(おんみょうじ)を務めていたという。

 英里香が歌手を目指したのは小学生の時。地元や全国区のカラオケ大会で何度も優勝を飾り、“カラオケ満点クイーン”としてテレビ番組でも話題を呼んでいた。

 地元の高校在学中からデビューの誘いがあったが「幅広く歌を勉強したかった」と、卒業後は都内の大学に進学。さまざまなジャンルの歌やダンスの勉強も続けていた。

 そしてこの春、師匠からデビューのゴーサイン。曲はビートがきいたノリのいい作品。「若い人にも聞いてもらえる演歌に」という英里香のこだわりがかたちになった。学生時代から何度もカラオケ番組出演していた英里香だが、板垣が祖先にあたることは一切公表していなかった。今回初めてその“秘密”を本紙に明かした。

 「先祖の名前に頼らず、歌だけで勝負したかったので」と英里香。庶民に大人気を呼んだ板垣退助。英里香も世代を越えて愛される歌手を目指している。

<板垣退助> 1837年に土佐藩士の子として生まれた。討幕運動に参加し、戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦いで藩の大隊司令として出征。

 明治政府では征韓論を主張するが敗れて、西郷隆盛とともに下野。参議に復帰したが、間もなく辞職して自由民権運動を推進した。

 自由党を結成し、その後、日本初の政党内閣である大隈重信内閣の内相などを歴任した。

 岐阜で遊説中に暴漢に襲われ負傷した際に「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだという話が知られている。板垣自身は実際にこのようなことは言っていない。この事件の直後、あるジャーナリストが岐阜で行った演説の題名「板垣死ストモ自由ハ亡ビズ」が、板垣の発言として世間に広まったという。

 

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