チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[22833] 【蛇足編】血溜まりのクドー(アークザラッド2二次創作・転生オリ主)
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:0f1f5dee
Date: 2011/08/13 14:27
習作。
転生オリ主。
強キャラ。
厨ニ文章。
ゲーム準拠。
既プレイ推奨。
どう足掻いても厨ニ文章。

以上、注意書き。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:0f1f5dee
Date: 2010/11/02 04:34
眼下に広がる灯の一つ一つをなぞっていく。
緑、赤、黄、そして白。
どれもこれも街明かりのそれと言うには目にきつ過ぎる。
空を見上げた。
黒が一面に広がるその空には、所々に煌めく星の光。月の光。
そしてその黒の中に蠢く雲。蠢く白。
目を細める。見えたのは巨大な飛行船だった。

心がざわついた。

再び眼下に眼をやれば、その光景がやたらと輪郭を帯びてくる。
航空灯、誘導路、滑走路、少し遠くに聳え立つのは管制塔か。
ふと空に響く轟音に釣られて空を見上げる。
先ほど見えた白い飛行艇がエンジンとプロペラを回しながら高度を下げつつあった。
唸る風。身に纏う外套と衣服と包帯を靡かせる。

心がざわついた。

耳が遠くなるほどの音が次第に小さくなり、飛行艇の中からは大勢の乗客が。
いや、どちらかというと兵隊か?
全身を黒で塗りつぶした兵隊服。肩に背負われた銃。どれもこれも見慣れた物だった。
見慣れ過ぎた者共。

≪あれか?≫
≪運命の時≫
≪キヒヒ……始まるみてぇだな≫

幾つもの心がざわめいた。

内に溢れる様々な声共に一喝する。
それぞれ無言と謝罪と愚痴を飛ばして黙りこくった。
どれもこれも曲者ばかり。
しかしこれがなくては何も出来ない。

この身をすっぽりと覆う灰色の外套が一度大きく揺らいだ。
その下の胸元に取り付けられた5本のナイフを手でなぞる。
幾人もの血を啜ってきたナイフ。
おそらくは最も忌避されなければならない手段そのもの。
だが何の因果か、俺はそれに慣れてしまった。

≪お? 乗っ取っていいか?≫
≪止めておけ、軟弱者≫
≪あァ? 犬っころは黙ってろよ≫

心情が筒抜けと言うのは決して心地良いものではない。
外套。衣服。包帯。皮膚。その下にいる輩が小うるさく吠える。
一匹はそれなりに協力的だ。
一匹は攻撃的だが阿呆だ。
一匹はあまり喋らない。むしろ先ほど聞こえた声が久々の声だったかもしれない。

心がざわつく。

だが揺れることは許されなかった。揺れればこいつらが喰いにかかる。
人を名乗るのならば、迷いも、躊躇も、葛藤も必要なものだろう。
だが、それ許されるほどの境遇に立つことは出来なかった。
自己を明確に認識した時点で、既に逃げ場はなかった。
故に、襲いかかる全てをねじ伏せようと決めた。

≪けっ、分かってるっつの≫
≪ふっ≫
≪…………≫

恨もうとは思わなかった。
こういう理不尽がまかり通るのが、この世界だったから。
いや、むしろ俺が生きていた世界でもこのような闇はあったのかもしれない。
平和を嗜むことに溺れていただけで。
だとしても、この世界は俺にとってあまりにも――――。

絶望しかけた。
しかけた、だけだ。
すればよかったのかもと稀に考えることがあるが、そのような邪念など一秒も続かない。
それほどに俺は救われた。

だが、彼女らは、彼らは救われない。

≪へへへっ、血溜まりクドー、今此処に反逆せんってかァ?≫
≪それを見届けるために我らはいる≫
≪運命の、時≫

故にそれだけは……友だけは救うと決めた。
例え彼らが救いを求めないとしても、例えそれが崩壊の兆しを含んでいても。
ただ、俺のために。
ただ一つ執着出来た心のために。

爆音。

それに続いて瓦礫が崩れ落ちるような金属音も聞こえた。
さらには誰かの悲鳴も。
合間に銃声。
先ほど飛行場に着陸したばかりの飛行艇を見やれば、人影が二つ。
逃げる誰かと、追う誰か。

片方は知識と記憶にしかない。
つまりは逃げる方。
片方は、記憶と知識と、そして縁があった。
俺を繋ぎとめる縁の一つ。

飛行艇の中に入る二つの影の内、追う方ばかりを見つめていた。
彼の後ろに靡いていく赤のターバン。浅い黄緑の外套。
管制塔のてっぺんより眺める彼の顔は、まだ見えない。
やがて二つの影に一つの影がいつのまにか加わり、飛行艇の甲板にてそれぞれは相対した。
そういえば背丈の小さい獣の姿もある。

始まる。
始まるぞ、血溜まりクドー。
既に歯車は狂っている。
何を恐れるものか。
この日を俺は待ちわびていたのだ。

空にこの身を躍らせる。
足を付けるのは遥か眼下の飛行艇甲板。
ただの人間には耐えられない衝撃がこの身を襲うのだろう。
あそこにいる三人は凄腕ハンターと魔女と正当な血筋を持っていただろう混ざり物。
ただの人間には介入することも許されない闘争が始まるのだろう。

この腐った身体を叩きつける風が俺を襲う。
果たして風に靡く外套の音に気付いたのはハンターか、魔女か、獣か、混ざり物か。
ハンターはこちらに気付くと同時に、背後から襲いかかる魔物を槍で捌いた。
ジャイアントバット、だったか?
混ざり物が召喚した魔物故にか、その力は羽虫の如く。

破砕音を立てながら甲板に着地。
同時に魔女の傍にいた獣が俺に向かって吠えた。
魔女は俺に気付いて身体を震わせた。
俺は見る。
他の誰でもない、そのハンターの姿を。

「おい、こいつも追手の一人って奴か?」
「ち、違う、と思う。あんな人は見たこともないし」

ハンターと魔女が互いに此方を警戒した。
彼らを挟んだ向こう側。
混ざり物は、俺の姿を捉えるなり悲鳴を上げた。
絶望にも似た悲鳴だった。

「ヒッ……お、お前っ! く、来るなっ! 来るなよ!!」

恐慌に陥る混ざり物と俺だけが状況を理解出来る。
ハンターと魔女には分からないだろう。
混ざり物が地べたを這いずるようにして飛行艇よりその身を投げ出そうとした。
しかし――――。

すまんな。
確か、アルフレッドとやら。
知識と記憶だけでは、お前を助ける選択肢は取れないんだ。

瞬間、風を切る音。
ハンターと魔女の間を縫うようにして線を残す銀色は、混ざり物の額に赤をぶちまけた。

「あがっ……あ、あァ……ねえ、さ……」

悲しげな断末魔と共に、アルフレッドは大の字のままに倒れて事切れた。
外すわけもない。
幾度もこのナイフは肉を突き、切り裂いてきたのだから。

「なっ……」

声にならぬ戸惑いを上げる魔女を尻目に、ハンターはその鋭利な槍の先を俺に向けた。
やがて薄暗がりにはっきりと見えてくるハンターの貌。
童顔なそれは俺の待ち望んだヒーローの顔。
その身が構える牙は、全てを燃やしつくす紅蓮の炎。

その瞳は、俺の思い出の中にある紅のままだった。

やがて俺の背後よりぞろぞろと現れる、黒のスーツに身を纏った男達。
槍を向けられながら感傷に浸っていた俺の隣に並び、空気の読めないことを言う。
魔女の獣なぞは、そんな俺と黒服に唸り声を上げている。
魔の住人がそのような気高い心を持つ。
俺も魔女の下僕になれればそのような心を持てるのかと考えた。

黒服が言ったのは諦めろだの、娘を渡せだの、ハンター風情が、だの。
よく聞いていなかったから記憶にも残らなかった。
ただ銃を突きつけ、甲板の端まで追いつめて行く黒服。

「私……そっちに行きます」

ふと、魔女が――――儚げに笑いながら肩を落とした。
彼女とハンターの『今現在』の関係は記憶している。
飛行船ジャックの犯人を追ってきたハンターが、たまたまその道中で拾った火中の栗。
それを巻き込むなどと……おそらくは心優しいだろう魔女にはできなかった。

にやりと汚らしく笑う黒服に眼を顰めるが、俺は動かない。
記憶でもなく、知識でもなく、俺は彼がどうするのかを分かっているから

多勢に無勢の状況の中。
おぼつかない足取りで黒服へとその身を預けようとする魔女に呆けていたハンター。
こちらに近づいてくる魔女の表情はよく見える。
諦めの表情。
チラリと俺の方を見ると、彼女はもう一度身体を震わせた。

「俺を……」

風が吹く中、ハンターが、彼が、炎が声を漏らした。
俺の待ち望んでいた声だった。
そして炎は、ただがむしゃらに吼えた。

「俺を見損なうんじゃねえ!!」

エルクよ。
あの白い家で友になった炎のエルクよ。
俺のことは覚えているだろうか。
俺の事を思い出してくれるだろうか。

まるでヒーローのようにその魔女を掻っ攫ったエルクは、鉄線を伝って一気に遥か遠くまで逃げて行ってしまった。
そしてそれを無様に止めようと銃を乱射する黒服。

「クドー! 何故止めなかったっ!」

やがて飛行場の奥へと姿を消していった彼らの後を眺めていれば、黒服が俺に叫んだ。
怒号。戸惑い。そして少しの恐怖を。
どうせすぐにばれることだろう。
俺は物語を加速させるためにさっさと真実に近い事を話してやる。

「炎使いのエルク。白い家。ガルアーノ様に言えば分かるだろう」
「白い家……? 何のことだ」
「さて……俺も少々度肝を抜かれただけだ」

もはや俺に向ける黒服達の声など届かなかった。
先ほど見たエルクの顔を、声を、もう一度思い出す。

≪あれが、エルク、ねぇ。ただの餓鬼じゃァねえのかい?≫

小うるさい心の一つが思い出を邪魔する。
だがその言葉は頑として否定してやろう。
彼は、ただの餓鬼じゃあない。

物語の主人公とでも言えばお前達には分かりやすいのだろう。
彼をただの絵本上の人物と見るには、少々深くかかわり過ぎた。
所詮幼少の頃の数か月ではあるが。

≪さて、物語通りに動くのだろうか≫

もう一つの心が言う。
動くはずがない。
断言出来るほどに、俺は既に色々と狂わせてしまっている。
だからこそ、俺が動かねばならない。

≪決意≫

そうだ、その通りだとも。
俺の望みはただ一つ。

友を救う。
それだけだ。








[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:d5cc582e
Date: 2010/11/23 05:09
東アルディアをさらに東部と南部に分かつアルディア橋より北。
一般にはプロディアス市長が住んでいる豪邸などと認識されているが、はたして真実は。
どちらにしても一般市民には縁の無い所だ。
何より入口に立ついかつい黒服の警備員は、好んで来客をもてなすような輩でもない。
そしてそこに住むプロディアス市長もまた。

「逃がした?」
「は」

豪邸の一室である市長室。
黒光りする椅子に座ったまま、俺の目の前で面白くなさそうな顔をする男がいる。
瞳を探らせない赤茶のサングラスと乱暴に加えられた葉巻。
ギャングかマフィアの親玉を感じさせるいかついスーツ。
悪役の三点セットを身につけるのは、話題の市長・ガルアーノ。

「お前ほどの者がたかがハンターに後れを取るとは思えんが」

こちらの失態をねめつけるように紫煙を吐いて先を促すガルアーノ。
どうやら今回のことはこいつにとってもそれなりに痛い出費だったらしい。
何せガルアーノの進めるプロジェクトには必要な人材だったから。

キメラ・プロジェクト。
馬鹿げた企みではあるが――――まぁ、複雑な所だ。

エルクによって奪われた魔女の名前はリーザ。
フォーレス国の伝説に名を残す『ホルンの魔女』の生き残り、だったか。
その血筋はガルアーノのプロジェクトにとってこの上ない材料になるのだろう。

「我らの邪魔をしたハンターのことですが……私の記憶が正しければ、炎使いかと」
「炎使い……? まさか、あの脱走した……」
「ほぼ確定かと。プロディアスのハンターズギルドで炎使いと名乗っていたようです」
「ク、クククッ……そうか。そうか!」

俺にとってはさも幸運を得たりと笑う目の前の男を嘲笑せざるを得ない。
顔を絞って腹の底から笑うガルアーノに眼を細める。
包帯の合間より見えた視界に映る奴の顔は醜悪だった。

どちらにしてもこれで舞台の幕が上がる。
この東アルディアで起きる演目はそう多くない。
どれもこれもプロローグに過ぎず、本舞台はあの忌まわしき白い家。
それまでに演者の立場を盤石にするのが俺の役目だ。

「で、足取りは?」
「ハイジャック事件の影響でプロディアスに戻るようなことはないでしょう」
「インディゴスか?」
「魔女を連れながらではそう遠くには行けないかと。部下の一人が手傷を負わせています」
「殺してはいないだろうな?」
「無論」

ククッと口角を吊り上げて笑うガルアーノに、俺は無言。
嫌悪感を隠すことなど既に慣れた。
しかし物語の始まりに俺の心を浮かれているのか。
少し身体が揺れれば、外套の下のナイフがカチャリと揺れた。

やがて命令を待つ俺を放って受話器を取り出したガルアーノ。
話した内容は……まぁ、分かりやすいものだ。
白い家への連絡。手駒の要請。凍結プロジェクトの再開。
そんなにエルクの消息を知ったのが嬉しいか、ガルアーノ。

「サンプルMは沈黙。Jはヴィルマーと共に消えた。お前は……まぁ、使えるが」
「…………」
「フハハハ……。奴の力は本物だ。知っているだろう?」
「レポート上での話であれば。あの時の私は、未だ力も知らぬ餓鬼でした」

鼻を鳴らして俺の顔に葉巻の煙を吐くのは、機嫌がいいのか、悪いのか。
気の利いた台詞が欲しいのであれば、同じ狂気に見舞われた研究者にでも告げればいい。
エルクの帰還を知れば、白い家の奴らは諸手を上げて狂喜乱舞するのだろう。
吐き気を催すほどに邪悪だ。

どちらにしてもエルクを見つけたガルアーノはどうするのか。
おそらくは炎使いと魔女のどちらも手中にするために、それなりに慎重に動くのだろうが。
いや、慎重ということではないな。
まるで狩りをするかのようにゆっくりと楽しむつもりか。
いかつい髭面を徐々に歪ませていくガルアーノを見ながら、俺はそんな予感がしていた。

「適当に捨て駒でもぶつけておけ。足止めにもなるまいが……」
「釘づけには出来る、と?」
「空港を抑えつけておけばそう遠くには行けまい。それよりも殉教者計画の方だ」

忌々しそうに舌打ちを鳴らすガルアーノではあるが、所詮エルクのことも偶然の話。
ハイジャック事件の真の目的とは別にある。
そもそもは殉教者計画の要である女神像の輸送こそが本来の目的だったのだ。

この世界の中心。この世に蔓延る悪の巣窟。
そんな腐った国であるロマリアからの贈り物。
女神像を起点に始まる殉教者計画。
その流れを円滑にするための空港占拠だったのだ。
しかし、物語の流れは本筋通りに『アルフレッド』の反乱に。

「計画の遅延は認められない。貴様が空港占拠の舵を取れ。失敗は許さん」
「式典の開催は?」
「二週間後だが三日以内に終わらせろ」
「御意」

占拠と言っても空港の係員を全て魔に取り入った部下達にすげ替えるだけだ。
まあ、元の係員はご愁傷様と言うしかないが。
やりようによっては暗示を掛けるだけで済むかもしれない。
所詮俺に残された良心の呵責に左右されることだ。

さも成り金が好みそうな椅子にふんぞり返るガルアーノに一礼。
これ以上交わす言葉などないと部屋のドアに手を掛ければ、背後に声が掛かった。

「貴様から見て、エルクはどうだった?」
「……手強いかと」
「クックック……手強い……手強いか!」
「…………」

それはエルクのことを考えた狂笑ではない。
その嘲笑は俺に向けられたもの。
言ってしまえば白い家で苦楽を共にした俺の立場を突いてのことか。
どうしようもないほどに嫌な奴ではあるが……。
さも自分の思い通りに動いていると考えている辺りが無様だ。
笑ってやりたいのはこちらだよ。ガルアーノ。





空港占拠の指揮を任されたとはいえ、俺が直接空港に出向くことは出来そうもない。
そもそも傍から見える俺の容姿は、その全てを包帯で巻かれたミイラ男。
アリバーシャやアララトス辺りであれば俺の姿も珍しくはないだろうが、ここは都会だ。
表だって動くのにはこの姿は目立ち過ぎる。

他の魔物やキメラモンスター然り、ある程度の擬態能力を持っていればいいのだが……。
あいにくこの身はプロトタイプだ。
人の生活の中に溶け込む様な目的には作られていない。

故に黒服の部下達を使うしかないのだが、面倒な話だ。
幻術を扱える部下には任せているが、面倒だと言って空港関係者を皆殺しにしかねない。
そもそもロマリアの威光を笠に着れば、そこらの一般人など簡単に引かせるだろうに。
いや、ハイジャック事件のおかげで厄介な警察の輩が出回っている影響もあるか。

全くもって魔法と魔物が蔓延る世界だと言うのに、こういうところはどこだって変わらない。
むしろ高層ビルを連ねるプロディアスの街が異様に思えてしまう。
何故にこうもアンバランスな世界に俺は生きているのだろうか。
――――無用な思考。愚痴のようなものだ。

兎にも角にも俺が考えなければならないところはそんなものではない。
物語の流れに乗ることになる人物達。
エルクとリーザは流れ通りにインディゴスに身を隠しているだろう。

空港の占拠など片手間でも三日以内で出来る。
そんな折に、部下より一つの報告が上がった。

「情報屋?」
「……女だ。どうやらガルアーノ様の周りを嗅ぎ回っているらしいが」
「殺したのか?」
「ふん……権力を持つ者に纏わり付く馬鹿など、一々構っていられるものか」

俺の言葉にさも不愉快と言わんばかりに答える黒服。
部下と銘打ってはいるものの、俺に対する風当たりは強い。
俺がもしもキメラプロジェクトの成功例だとなれば、こんなこともなくなるのだろう。
だが、実際にクドーという存在は……。

どちらにしても闇に手を染め、そのまま溺れる輩から受ける態度になど興味はない。
いずれ殺す三下など放っておけばいい。
むしろ無用な同情を抱かずに済んで楽なものだ。

「おい、聞いているのか?」
「…………その女の名は?」
「シャンテ。酒場で歌い手として働いているところも見られている」

少しばかり考え事に回した頭を目の前で苛立つ黒服に向ければ、女の名を答えた。
予想通り、か。
……物語どおりなのか。





プロディアスの街はロマリアの中心街に負けず劣らずの大都市だ。
多くの人間が住みつき、東アルディアの玄関口として観光客を受け入れる下地もある。
勿論、冒険者のそれらを受け入れるものも。
『金さえあれば何でもやる』と言われるハンターが生まれたのもこの街だ。

故に武器屋や鍛冶屋、さらにはこの世界でも一番大きなハンターズギルドもある。
つまりは、それなりに物騒な姿をした荒くれ者もいるということだ。
無論こんな大都市で、ガルアーノの眼が光るこの都市で調子に乗る馬鹿はいないが。

そんな大都市の中心部より滅法外れた路地裏。
大きければ大きいほどに影の濃くなる裏の街であれば、俺の姿もそう目立つものではない。
優雅な都市の裏側で蠢く悪の匂い。
その匂いのどれほどが、俺のよく知る腐臭を漂わせているのだろうか。

魔に属する以外で悪党を名乗る者は結構少ない方だと理解しているのだが。
盗みを働く。誰かを殺す。人を騙す。
分かりやすい犯罪とは、大抵にして人間が起こすものだった。
俺の世界ではそうだった。

しかしこの世界は俺のそれよりも厳しく、危険がすぐ隣に潜む世界だ。
モンスター、魔族といった分かりやすい悪がいる。
ひょっとしたら、俺の世界よりもこの世界の方が罪を犯す割合は低いのかもしれない。
必要悪のつもりなのか。どちらにしても無意味な思考だ。

≪まァた、わけわかんねーこと考えてやがる≫

心の奥底。
鬱陶しい一匹が嘲るように零した。
馬鹿をそのまま声にしたような音に、こちらも腹立たしくなる。
しかしこいつの言う通り、世界の仕組みを考えることなど無意味過ぎた思考だ。

≪ヒトが悪を為し、悪が魔を為すか≫

あまり喋ることのない一つの声を流しながら、路地裏の一角にある小さな建物に入る。
ドアノブに手を掛ければ軋んだ音を立てて開く。
中は物置のようになっており、ただ小さな蝋台があるだけだった。

≪けけっ、お前ん所じゃ雅って言うんだっけか? それとも粋ってやつか?≫

相変わらず小馬鹿にしたような声。
幾度こいつを逆に喰ってやろうかと思ったことか。
いや、既に喰っているのか。

周りを見回しながら他に光源となる物を探しても、目当ての物はない。
電気の通っている街でこの灯りはどうにかならないものか。
…………いや、これから会う人間に俺の姿をつま先から頭まで知られるよりはいいか。
暗がりであれば、俺の姿も妙におどろおどろしいだけだ。

≪シャンテ。主が出会う一人目であろうか。どちらにせよ、感慨深い≫

やけにバリトンの利く一つの声が心に落ちる。
一番協力的であり、なおかつ理性をきちんと保っている声ではあるが、こいつは傍観者だ。
馬鹿も鬱陶しいが、俺の行動一つ一つを観客のように見るのもまた、鬱陶しい。

――――この世界の住人から見れば、俺もまた一種の傍観者に過ぎないのか。
灰色の画面に映し出されるこの世界は、悲しみも苦しみも等しく俺の娯楽だった。
ナンセンス。
ああ、全くもってナンセンスだ。

しばし蝋台に火を付けたままシャンテの来訪を待つ。
結局彼女と交渉するのは部下を通すことなく俺が行う事にした。
彼女の行動を直接操れるのは利点であるし、他の横やりも気にせずに済む。

胸に付けているナイフの一つを取り出し、彼女が車でしばし弄くる。
包丁は握っていても、ヒトを切るナイフを持ったことはなかった。
しかし、今となってはこの通り。
曲芸師のようにそのナイフを掌で躍らせる。
躍らせている手は肌色のそれなぞ一部も見せず、その全てが白い包帯だった。





◆◆◆◆◆





今この世界の裏ではどす黒いほどの闇が蠢いている。
幾つもの国家や大陸の裏で蠢く闇に気が付いている勇者は少ない。
気付かずにそのまま闇に埋もれた国も少なくない。

闇の名はロマリア。

世界でも一番に発展している超大国であり、それが誇る軍事力は各国を遥かに凌駕する。
闇が緩やかに入り込んだのは、この国が最初であった。
果たしてその過程に一体何があったのか。
そもそも闇がロマリアを狙ったのは何故か。
今となってはそんなな始まりの話などどうでもいい。
結果として、そのロマリアが闇に染まり、そして世界が闇に埋もれようとしている。

無論光を担い、世界を救おうという勇者もいる。
エルクとリーザもまたその戦いに巻き込まれ、いずれ光を担う人物だった。
英雄譚では珍しくもない光と闇の戦い。
これからもその戦いは激化していくのだろう。

そしてクドーは、闇に佇む存在であった。
その住人になってしまった。
彼が生まれたのは白い家。
闇の中で猛威を振るう四将軍。その中の一人であるガルアーノの居城であった。

クドーは生まれるなり自分の運命を呪った。
彼がただ闇の中に生まれた凶児であるのならば、傲慢なままに生きたのだろう。
しかしクドーには、誰にも知られぬ秘密があった。

転生者。真実の一部を知る者。
この世界に生きる光と闇の物語を、彼は知っていた。

そして今、彼は血溜まりクドーという異形の身でガルアーノの下にいる。
獅子心中の身として一人世界の流れを征しようとしている。
彼が望んでいるのはただ一つ。
友を助けることのみである。

果たして彼は光に立つ者か。
それとも闇に立ってしまう者か。

彼はそれを気にしたことはない。
どちらに立とうとも、彼が願い、そして動く理由は変わらないのだ。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:925e2f22
Date: 2010/11/06 17:39



恐る恐るといったように開かれたドアの音に気付き、そちらを見やる。
足音もドアを開ける音も静かに、同時に漏れてくる外の世界の光。少しだけ眼が眩んだ。
そして光を背負いながら現れたのは、深い青のドレスに身を包んだ妙齢の美女。
蒼の瞳と大きな輪のイヤリングが特徴的だった。
俺の記憶と知識にある姿と変わらない、勇者のうちの一人。

「ブラッド、でいいのよね?」
「シャンテ、だな?」

偽名は必要だが、合い言葉など必要だとは思わなかった。
戸が閉められ、薄暗がりが戻る中で相対する美女と異形。観客など集まりそうもない演目だ。
小さな光源が支配する部屋の中でも、目の前の彼女が歪めた表情はよく見えた。
……既に弟が此方側にいるのは知っているか。それとも俺の姿は醜悪だったか。

「で、依頼の話なんだけ、どっ……!?」
「動くな」

シャンテがため息を吐くかどうかの合間。
一気に間合いを詰め、彼女の首元にナイフを突き付ける。
椅子から立ち上がる物音も、気配も、ただナイフが空を走る音だけしか残さない。
銀色の光るナイフと、金色に光る彼女のイヤリング。蝋燭の火を反射して、互いの顔を照らす。
シャンテの息を飲む音が鮮明に聞こえた。

「…………」
「嗅ぎ回る相手を間違えたな」
「……これでも分は弁えているつもりなんだけど」
「弟」

震える声で言葉を選ぶ彼女には申し訳ないが、もはや逃げ場はない。
物語ではそうなる予定だ、などと言い訳するつもりなどない。
ただ俺の目的のために巻き込み、そしてあなたの努力を無駄にする。
――――俺が、無駄にする。

心の中。
愚図共が騒ぐ。
視界が、ぼやける。

俺の言葉にシャンテはしばし呆然とするが、堰を切ったかのように俺へ手を伸ばした。
既に俺の突きつけたナイフになど意識がいっていないのか。
無論その手を抑え、彼女と真っ向から瞳を合わせる。
真実、その瞳は怒りに満ちていた。

「返して」
「条件を付ける」
「返して!」
「騒ぐな」

握るナイフに力を込め、甲を首に押し付ける。
口は閉じられ、腕の力が抜かれたというのに、その瞳だけは揺らがない。
まるでエルクの炎のように燃え上がっているようにも見えた。
心が締め付けられるような沈黙の中。逸らすことのない互いの瞳。
俺はナイフを彼女の首から外さぬままに言葉を連ねた。

「お前と同じように、此方を嗅ぎ回る奴がいる」
「…………」
「インディゴスに身を隠している少女と少年の二人組だ」
「……殺せと?」
「二週間後にプロディアスで開かれる式典の会場に二人を誘導しろ。それだけだ」
「そうすれば、弟は……アルはっ!」

怒りを燈しながらも、縋る様にして声を荒げる。
彼女にとって何よりも大事な家族。自らの半身とも言えるだろう愛する弟。
条件をいくら付けようとも、シャンテは歯を食いしばり頷くのだろう。
どれほどの罪を背負うとも、前に進むのだろう。

≪クッ……クククッ……≫

失せろ。
ざわめくな。
人間のように迷うな、クドー。


「ガルアーノ様の周りでその命を投げ出していたお前を拾ったのは此方だ」
「ぐっ……」
「だが、前向きに考えてはおく」
「外道っ」

吐き捨てるように投げ掛けられた言葉は、何一つ反論し得ない罵倒だった。
そして、何よりも的を射ていた。
そうだ。そうだとも、血溜まりのクドー。
今更、だ。

いやらしいほどに醜悪な笑みをシャンテに返す。手本なら上司に一人いる。
唇を噛み、白くほどに握りしめられた両腕を垂らし、彼女はただ睨むだけ。
待っていたと言わんばかりに、心の三つはそれぞれ笑う。嗤う。嘲笑う。

「仕込みが欲しいのなら言え。部下の2,3人なら貸してやる」

逃げ出す様にして、逃げ惑うようにして。
暗がりの部屋を後にすれば、彼女の泣き声が聞こえたような気がした。





余計な情報は渡さない。
余計な命令も与えない。
ただ式典会場という舞台に役者を与えれば、後は役者の問題だ。
俺が手を出す意味はなく、これ以上は歯車を軋ませることになりかねない。

徐々にエルクとリーザはシャンテの誘導によって此方側に気付き始めるのだろう。
キメラ研究所であった白い家での記憶。
背後で暗躍するガルアーノの影。
そして、記憶の底に沈んだ思い出がよみがえる。

先を考える。先を考える。
既に歯車は狂っているというのに、俺は歯車をひたすら回す。
俺の望みが叶う時。
その時まで回っていれば――――それでいい。

アーク。
この世の闇を光でもって照らしだし、人々に希望を与える勇者。
明確な意思を持って闇を打倒せんと世界を廻る勇者。

殉教者計画の一部を知り、式典当日に奇襲をかけてくるのだろうか。
それとも、ただ単にガルアーノの手を潰すために来るのか。
運命の日。
エルクはシャンテに誘われて舞台に上がるだろう。
アークも舞台に駆け上がるのだろう。

不安だ。
果たして物語通りにエルクはあの孤島へと辿り着くのだろうか?
シュウは? リーザは? …………ジーンは、元気にやっているのだろうか。

だろう。だろう。だろう。
確定出来たものなど一つもなく、俺の知識などどこまで通用するのか分かったものではない。
しかし勇者ではなく、闇でしかない俺には伸ばせる手が濁ったままだ。

ガルアーノより情報を貰う。
話によればロマリア近辺で動いていたアーク一味が飛行船で他大陸へと渡ったようだ。
淀みなく、物語は動いているようにも思える。

シャンテという手駒を得て、式典会場にエルクたちをおびき寄せる旨を話す。
無論ガルアーノは喉を鳴らして笑った。
何一つ失敗を可能性に求めていない、傲慢な奴。
既に弟が死んでいる事を話せば、さらに声を上げて奴は笑った。

もう少しだ、クドー。
もう少しだけ、運命に抗い、死ねることに歓喜しろ。
誓いの時は近い。

ミリル。もう少し待ってくれ。





◆◆◆





魔とヒトを掛け合わせ、そのどちらよりも強い力を持った存在を生み出す。
キメラプロジェクトの内容は大体にしてそんなところだった。
魔にしか持ち得ない強靭な身体。ヒトにしか持ち得ない知能。
このプロジェクトの始まりはそんな単純な試みでしかなかった。

だが闇の手腕を持って加速したその研究は、もっとおぞましいものへと変貌していく。
元々倫理観などあってないような研究だ。
どのような変化を遂げたとしても、根本は変わらないだろう。
キメラプロジェクトは、人間という種にとって忌むべくことだ。

しかしこの世界には、それを好む人間がいる。
貪欲に求められる『力』。
人間という弱者の立場から逃れることによって得られる充足感。
それに惑わされる愚者は、存外に多い。

「……裏切っただと?」
「第7世代のプロトキメラだが、元々は単なるチンピラに過ぎない奴だ」
「…………」
「よくある話だ。適当に処分せよとの命令だ。分かったらさっさと行け」

部下であるというのに、黒服の言葉はどこまでもその関係を考慮しない。
ガルアーノから得た信頼と信用は確かだと自負するが、下からの嫉妬には構っていられない。
兎にも角にも、そんな命令を受けて俺は『ウィルの岩場』へと足を踏み入れた。

被検体であるサンプルF……通称『フラッド』と呼ばれる男が組織を裏切った。
元々ガルアーノの手駒の一つに入っていたらしいのだが……馬鹿な話だ。
黒服の言う通り、珍しくもない話。
キメラプロジェクトによって与えられた力に酔い、溺れた。

岩場と称されるに相応しく、視界を塞ぐ俺の背丈以上の巨大な岩が散らばる広場。
いつもはへモジーやロックといったモンスターが戯れているが……。
それらの姿など何処にもなく、血の匂いだけがやけに漂っている。

樹木一つ生えていないただの広場だというのに、岩のせいで死角が多い。
右手にナイフを一つ握り、ただその岩場の中心まで足を進める。
構える様な真似などしない。
曰く、釣り餌。
眼先の力しか見えていない馬鹿ならばすぐに喰いつく。

「へっ……この馬鹿がッ!」

ほら、こんな風に。

背後に聳え立っていた岩の一つ。
その影から剣を振り上げ襲いかかってきたのは、写真で確認した被検体サンプルF。
奇襲だというのに雄たけびを上げるそれに呆れつつも迎撃する。

ただ力任せに俺の脳天に振り下ろされる剣を半身でかわす。
背後からの奇襲とは言うものの、避ける瞬間には既に俺は奴を正面に捉えていた。
半身のみ逸らして回避したためか、俺の目の前を風圧が流れる。
外套を掠らせず、衣服を掠らせず、包帯を掠らせず。
ただ無様にその無骨な剣は地面に罅を入れた。

サンプルF。フラッド。
素体となった人間に異能はなく、掛け合わされたものは『ナイトマスター』だったか。
ただの人間が得たのは強靭な体。眼にも止まらぬ剣技。
成程、ここら一帯で調子に乗るには十分な力だ。

「ケッ……一撃でやられてりゃ済んだものを」
「…………」

少しばかり間合いを開けるために後ろに跳んだフラッド。
血がべったりとついたそれを愛おしいかのように舐めるのはお約束か。
余程ヒトを、ナニカを殺すのがお気に召したようだ。

フラッドが俺に向ける視線は敵と判断した鋭いそれではない。
まるで狩りの獲物を見る様な残忍で、そして生温かいそれ。
ナイトマスターとしての剣技などどこに忘れてきたのか。
ただ単純にそれを振り下ろし、そして薙ぎ払うことしか考えていない。

「うおらァ!!」

突進。
そして袈裟斬り。
無論、当たらない。
バックステップ一度でかわせる。

そういえばナイトマスターの力を受けているのならば、幾らかの能力も使用できたはずだ。
例えば補助魔法のストライクパワー。
例えば力を一気に解放するチャージ。
剣士でありながら遠距離攻撃を可能とする振り下ろし、エクストラクト。
だがフラッドはただ我武者羅に剣を振るうばかり。

これならキメラにしない方が幾分マシというものだろう。
無論、その悪しき心によって通常よりも地力が上がっているのだろうが。
キメラプロジェクトの過程で分かった事実だ。
ヒトの悪意が深ければ深いほどに、負の感情が濃いほどに魔はその力を増す。

ふん。
どこにでもありそうな理論である。

≪ヒトが悪を為し、悪が魔を為す≫

フラッドの剣閃を苦も無く避けていけば、心の一つが口を開いた。
ボキャブラリーの少ない奴。
こいつは、面白くもないことしか言わない。

「く……避けるんじゃねぇ!」

横薙一閃。屈んで避ける。
苛立ったような怒声と共に放たれたフラッドの剣は、やはり当たらない。
眼を瞑っていても避けられるだろう。

肩で息を吐き、剣を地に突きたてたまま此方を睨むフラッドをしばし見つめる。
頭に湧いたのは、憐れみ。哀れみ。
もういい。終わらせよう。

たった一歩。
彼からは瞬速としか思えぬ疾さでフラッドの懐へ潜り込む。
呆けたような声。少しだけ引けた腰。動かない剣。
その全てを置き去りにして俺はただ、右手のナイフを彼の胸へと突き刺した。

「……あ?」

刺されたことにようやく気付き、間抜けな声を上げるフラッド。
俺の耳元に近かったからか、その声はしっかりと聞こえた。
もはやヒトの音色など残さない、しゃがれた声。血の匂い。

「ポイズンウィンド」

それらを鬱陶しく払うように、俺は呪を唱える。
刺しこまれたナイフを起点に吹きすさぶ風。毒を孕んだどす黒い風。闇の力。
そして――――フラッドの身体は内側から爆ぜた。

断末魔など残さない。
ただ足や、手や、頭や、剣や。
その全てがバラバラとなって空に飛びあがるのを、俺はその真下で眺めていた。

≪相変わらず綺麗に殺す≫

この殺し方を心の一つは綺麗と言う。
部品が舞い、命が舞い、血が舞うこの有様を。

黄土色の地面に残ったのは、凄惨な姿に変わった部品と血。
その血溜まりの中心に、俺はいた。





[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/16 20:24
あの時と変わらぬ夜。
運命の日と同じく、雲も疎らな夜。
ハイジャック事件などという物騒なことが起こっても、プロディアスの夜は変わらない。
街行く人々の群れはそれぞれ家路に向かい、荒くれた男たちは酒場に向かう。

ただ一つ違うところがあるとすれば、プロディアスの街からでも見える女神像の存在か。
建てられたのはアルディア空港の南にある孤島。
式典スタッフたちによる過剰なライトアップに晒され、街からでもよく見える。
風に流されるゴミクズの中に、適当に丸められた式典宣伝のチラシがあった。

そんな式典会場の裏方として、俺はいた。
雑用を任されたわけではない。
ただガルアーノの右腕として。
ただガルアーノが企みを成功させる所を見せられるため。

ガルアーノに失敗の予感は存在しない。
それほどに女神像に備え付けられた洗脳装置は完全であるらしい。
ロマリアが密かに企む『殉教者計画』の試験として選ばれたのが此処、プロディアスだった。

≪しかしガルアーノというのも哀れだな≫
≪クケケ……見る限りじゃあ、ただの小物だな≫
≪お前と同じくな≫

裏からでも聞こえてくる会場の人々のざわつきを影から見つつ、心の声に呆れた。
最初こそ恐怖しか抱かなかったガルアーノも、5年も共にいれば慣れる。
そして慣れていけば成程。
奴は真実小物染みた性格をしていた。

異常な自尊心の塊。
人間にも勝るとも劣らない貪欲なそれ。
不必要な加虐心に溺れやすく、そしてまた調子にも乗りやすい。
ただ唯一恐れるとなれば……何だろうな。

≪見た目じゃァねェか?≫

げらげらと汚く笑いつつ、それなりに正鵠を射る一つの心。
同じく裏側で式典の打ち合わせをしているガルアーノを見やる。
なんだかその姿は魔物と言うより、権力に溺れるただの人間のようにも見えた。
魔に属する者が打ち合わせと言うのも、なんだか笑える。

表情に出さずしてその光景を眺めていれば、ガルアーノが此方に気付き近づいてきた。
自然と、崩していた体勢が直立不動に変わる。
俺の身体は既に俺はガルアーノの狗らしい。

「エルクの話は確実だろうな?」
「はい。インディゴスから離れ、既にプロディアスの街に」
「クッ、クックック……馬鹿な奴らめ」
「…………」

腹の底から来るものに耐えるようにして笑うガルアーノ。
だがこの自信も分からぬわけではない。
それほどの信頼を寄せるほどに、女神像の洗脳効果は絶大で、事実エルクも囚われかけるのだろう。

鍵はアーク。
ロマリアから齎される情報の中に、ロマリアの研究所の一つが彼によって落されたというものがあった。
そこは女神像が製造された研究所。
作戦の概要を知る一般兵も多かったとなれば――――。

来る。
物語に変更はない。

舞台の流れを知り、歯車を操っているのは自分だと俺は思っている。
しかしその実、歯車を回すのは彼らに過ぎない。
俺はただ、その歯車が歪む度に手を伸ばしているに過ぎない。

アークが来なければ俺の企みなど水泡に帰し、シャンテが上手く動かなければ意味はない。
俺はただ、歯車が回るのを見ているだけ。

プロディアスの空にはまだ、あの飛行船の姿はない。





崩れ落ちる女神像。
式典会場にいた人々はパニックに陥り、そこら中で悲鳴が響き渡っている。
その人々の瞳には、既に虚ろな色など存在しない。

石塊が降り注ぐ会場の中で、此方側の魔の者たちもまた慌てふためいていた。
空に浮かぶはシルバーノア。
けたたましいエンジン音を鳴らしながら、その合間に聞こえる轟音。
眼を眩むばかりの雷光は絶え間なく女神像に降り注いていた。

「くそっ……あと少しのところで」
「どうされますか?」
「フンッ、今は退くしかあるまい。余計な邪魔が入ったな」
「御意」

苦虫を噛み潰したようにして顔を顰めるガルアーノの横の立つ。
すでにパニックとなった会場では俺の姿も目立つようなことはないだろう。
俺の声を聞いてか聞かずか、ガルアーノはそのまま会場から退いてしまった。

だが、今はそんなことなどどうでもいい。
ただシルバーノアの姿をじっと見つめたまま動かなくなっているエルク。
リーザとシュウの呼びかけにも答えず、ただ見上げる彼を見て確信する。

エルクは動く、と。

現にエルクは本来の目的であったガルアーノのことなど気にも留めず、どこかへ走り去っていってしまった。
無論、仲間であるリーザ達の声など聞きもせず。

未だ破壊された女神像の破片が降り落ちる中。
シュウだけが此方を、俺の方を見ていた。

「…………」

やがてどこかへ走っていくエルクに追随するかのように、シュウとリーザも走っていく。
順調に歯車が回っているようで結構だ。
だがしかし、この後のエルクの行動は本当に大丈夫なのだろうか?

アークたちの乗るシルバーノアに遠い記憶の残滓を感じ、暴走するエルク。
その無茶な行動は彼らをとある孤島へと導き……エルクは、記憶を取り戻す。
あまりにも運に任せた流れではあるが、確信はある。

エルクがヤゴス島に辿りつけないわけがないと。
この世界が勇者を中心に回っていると言うのなら、あの島での出会いは絶対だ。
――――ヴィルマー博士には申し訳ないと言う他ないが。

ジーンよ。
お前は、どうするのだろうか?





◆◆◆◆◆





まどろみの中。
エルクはただ観客と化していた。
眼下に映る光景は、自分の失われた記憶の中にある一つの場面。
まだ剣を握る力もない子供。背丈も今よりだいぶ低い。声も――――まだまだ若い。

今でこそ一級ハンターを務めているエルクではあるが、未だその年齢は15歳と4カ月。
自分の素性を知らない大人から見ればまだまだ子供であり、そしてそれは正しい認識だった。
それ故か、エルクは子供扱いされることを嫌う。
そも、子供としてはあまりに危険な環境と過去にいる子供だ。
子供じゃないというよりは、子供であっては生きていけなかった。

そんなエルクの眼前には今よりも子供だったころの自分がいる。
クレヨンで絵を描いていた。
砂場で城を作っていた。
――――とある女の子を好いていた。

ノイズが入る。

エルクがそのノイズに瞳を絞れば、目の前の景色は変わっていた。
そこでエルクは気付く。
成程。これは夢かもしれない。

正解。
だが眼の前の光景にエルクの胸は締め付けられた。

銀色の髪をした小生意気な少年。
真っ黒の髪をした陰鬱そうな少年。
金糸の髪を振りまいて笑う少女。

その誰もが自分に大事な人だと理解しているのに、エルクは彼らの名前を知らない。
昔の夢を見たことは数えきれないほどもあった。
一緒に過ごしていた部族の皆を殺された夢。
白い壁に囲まれながら、見知らぬはずの子供と戯れる夢。
助けを願う、少女の、声。

ノイズ。
ノイズ。
ノイズ。

割れる様な頭の痛みと、どこまでも締め付けられる胸の痛み。
頭を抱えるようにして蹲ったエルクの前には、先ほど見た黒髪の少年が立っていた。
救いを求める様にして手を伸ばすエルク。
ただ少年は、子供ども思えぬ力でその手を握った。

「守る。守ってみせる。だから――――」

俺達を救ってくれ。
黒髪の少年の声を聞けば、エルクの意識は深く深く沈んでいくのだった。





◆◆◆◆◆





「待ってくれ!」

叫び声と共にエルクは上半身を飛び起こした。
滝のように流れる汗。
握りしめられたシーツは酷い皺が出来ている。
そして、蒼白の顔。

エルクが夢を見ると、大抵にしてその目覚めは悲惨なことになる。
兎にも角にもいつもの夢だと気付いたエルクは、少しずつ息を整え始めた。
そして周りに眼を向ければ、徐々に妙な現状にエルクは首を捻った。

ベッドに寝かせられているという状況。
目に入る部屋の内装は今まで見たこともない様な木製で、なんだか原始的で。
ふと柱に眼を向ければ、動物の骨のようなものも飾られていた。

「…………どこだ?」

つい漏れてしまった疑問に答えるものは誰もいなく。
そこでようやくエルクは自分の周りにシュウとリーザがいないことに気付き――――思い出した。

数少ない記憶の中に刻み込まれた白い飛行船。
燃え上がる様に熱くなっていった自分の頭。
二人の制止の声すら聞かずに乗り込んだヒエン。
そして。

そこまで思い出せば、ふと何処からか足音のようなものが聞こえてきた。
その音はエルクの寝ていた部屋よりも下。
ぱたぱたと階段を上がってくるような音に、エルクは少しばかり身構えた。
そしてやってきたのは。

「エルク? 目が覚めたのね!?」

エルクを見るなり慌てたようにして嬉々とした声を上げるリーザだった。





「そうか……悪かったな」
「ううん、いいの。それに、シュウさんもすぐに見つかるわ」

此処に自分が眠っていた経緯をリーザから聞けば、エルクはその顔を顰めざるを得なかった。
無理をさせたヒエンはオーバーヒートによって墜落。
運よく此処、『ヤゴス島』と呼ばれる孤島に墜落したものの、シュウの消息は不明。
ヒエンそのものも何処に墜落したのかは不明で、リーザとエルクの二人は海岸に流れ着いていたのだとか。

そしてそんな自分達を助けてくれた人の住む家がこの家らしい。
九死に一生を得る。
そんな偶然に胸を撫で下ろすエルクだったが、同時に自分の暴走に酷く落ち込んだ。

シュウがあの墜落で死んだとは言い切れない。
そもそもシュウはエルクにとって育ての親であり、戦闘の師匠でもあった。
自分達が生きているのに、彼が死ぬはずがない。
そんな勝手な自信があるエルクだったが、やはり自分の仕出かしたことのツケは大きい。
大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせつつも、リーザに向ける顔色は良くない。

「魘されてたみたいだけど……大丈夫?」
「ん? ああ……ちょっと、夢をな」
「えっと、記憶喪失っていう?」
「多分な……嫌なことしか思い出さないけど、何だろうな」

ひょっとしたら楽しかったことも、と言いだそうとした手前、再び下の階から聞こえる足音が。
話を遮られたことにちょっとだけ顔を膨らませたリーザにバツが悪そうに頭を掻くエルク。
どちらにとっても重要な話だったのかもしれない。

そして下から現れたのは、肩よりも長い銀色の髪にきざったらしい笑みを浮かべた少年。
ひょっとすればエルクたちと同い年とも思える若さに、しばしエルクは意表を突かれた。
しかも、その少年。ニヒルな笑みが似合うほどの美少年だった。

エルクは本能で察する。
こいつ、苦手かもしれない。

「よっ! 寝ぼすけさん。身体の具合はどうだい」
「……ああ。なんとかな」

一見軽薄そうなその態度に、エルクはあるはずのない感情を抱いた。

懐かしい。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/09 17:04




ヤゴス島唯一の村であるユドの村。
その中のちょっと外れた場所にある大きな一軒家の庭にエルクはいた。
家の前にあるベンチに座りながら絶え間なく貧乏ゆすりを繰り返す様はどう見ても不機嫌のそれ。
彼の目の前で遊んでいるリーザともう一人の少女を眺めつつ、エルクはため息を吐いた。

庭の中でリーザとままごとのようなものを遊んでいる少女の名前はリア。
何でもエルクを救ってくれた少年の妹分らしく、エルクが目を覚ました時は諸手を上げて喜んでいた。
南国育ちの健康そうな日焼けした肌と、活発そうにそこらを走り回る様はどこにでもいる子供。
リーザもその元気に何かと振りまわされていた。
さらに一緒にいたパンディットはモフモフされていた。

が、そんな騒がしいリアのお陰でエルクの機嫌が悪くなったわけではない。
彼の不機嫌の原因は、そんなリアの兄貴分である『ジーン』のせいである。
何を隠そうあの銀髪の美少年の事なのだが……。

「…………ちっ」

リーザとリアが遊ぶ和やかな雰囲気の中、エルクの舌打ちが場を乱した。
首を傾げて彼を見るリアと、エルクの行動を人差し指を立てて注意するリーザ。
エルクは頭をがしがしと掻いて誤魔化すしかなかった。

別段ジーンが何かをしたわけではない。
確かに軟派な男のようでエルクの嫌いなタイプなのは事実だが、所詮印象の話だ。
現にエルクをからかった様な物言いは『まだ』ない。

だがエルクには何か引っかかるものがあるのだ。
ジーンという名前。
その銀色の髪。
その性格。
ひょっとすれば他にも幾つもの違和感が上がってしまうほどに。

喉の奥に小骨が引っかかったような気持ちの悪い心地。
どこかで会ってないかとジーンに聞けば、こんな孤島に来たことがあるのかと笑われた。
それもそうかと納得しかけたが、結局エルクの居心地の悪さも治らなかった。

「まだうだうだやってんのか?」
「……当の本人に言われてもな」

どうにもならない違和感に頭を悩ませているエルクの傍。
家の中から現れたジーンが呆れながら彼の隣に立った。
日光を背後から受けて暗がりに映るジーンの顔を見上げれば、エルクはどことなく不快になった。
なんだかこいつに見下されるのはムカつく。
愚痴る様にしてそのまま立ち上がれば、無理矢理に無表情を作って答えた。

「で、あんたの言うじーさんってのはもういいのか?」
「あー……シュウ、だっけか? 俺が見た時はあんたら以外に誰もいなかったけどなぁ」
「そんなはずない! 絶対に此処に来てるはずなんだ」

ジーンのそっけない言葉に喰い下がるエルクに、庭にいたリーザとリアも耳を傾けていた。
目を覚ましたエルクが最初に気に掛けたのは、未だ姿を見せないシュウのこと。
一緒にヒエンに乗っていたのだからこの島にも一緒に流れ着いているはず。
そう考えたエルクであったが、ジーンの話を聞く限りそんな事実はなく。

行方不明。

顔を強張らせたエルクを察してか、ジーンは自分の爺さんに何か聞けば分かると申し出た。
何でもジーンとリアの保護者であり、しかも村の中では博士と呼ばれる立場の人物なのだとか。
一体それがシュウの消息と何の関係があるのかと思ったエルクだったが、人手は多い方がいい。

というわけでジーンに頼んでその博士と話すべく、待機中というわけだった。
そして話をつけたとジーンもエルクを呼びに来たのだが……。
ジーンの苦い顔にエルクはただ首を傾げた。

「いやぁ、うちの爺さん、ちょっと人見知りが激しくてなー」
「歓迎されてないのか?」
「速攻で帰れって言われたらごめんな」

手を合わせて謝るジーンに、エルクは面倒なことになりそうだと息を吐いた。





エルクとリーザが連れられてきたのはジーンの家の地下。
一軒家の地下室と言っても、博士と呼ばれている者の有する場所故か随分と大きい。
音を立てつつ階段を下っていけば、エルクの目に入ったのは島の雰囲気に似合わぬ機械類の部品だった。

「メカニックか何かの博士なのか?」
「いや、特に専攻してるもんはないかな。むしろ生き物の生態とかに詳しい」

エルクの答えにジーンは被りを振って答えた。
そも、ヤゴス島の文化に比べれば、アルディアにある何か一つでも持っていけば珍しがられるだろう。
生物学だろうが機工学だろうが、少しでもかじっていれば博士と呼ばれるに値する立場には立てる。

「おーい! じーさーん?」

響き渡るジーンの声に答えはない。
ジーンが探し人を見つける間にもエルクとリーザは部屋を見物していた。
大きな机に広げられた設計図のようなもの。本棚に並んでいる様々な書物。
リーザが書物に興味を惹かれたらしく、エルクからすれば文字が並ぶそれに抱く興味は微塵もない。

「あっれー? 下に降りててくれって言ったんだけどなー……」
「いないのか?」
「いや、奥の部屋にいるかもしれないけど」
「じゃあ、そっちを探せばいいだろ」
「お、ちょ、ちょっと待ってくれ!」

やがて顔を苦くしながらぼやくジーンにエルクは面倒くさそうに答えた。
そしてジーンの制止の声も聞かずに、部屋の奥に見える大きな広間へと足を踏み入れた。
その大広間にあったのは墜落したはずのヒエンの姿。
所々装甲が剥げている部分もあったが、拙いながらも修理された跡もある。

「ヒエン? 何で……」
「ジーンが修理してくれたの?」
「いや、あーっと、まぁ、なんつーか」

茫然としながら愛機を見上げるエルクと、恐る恐るジーンに聞くリーザ。
当のジーンはバツが悪そうに言葉尻を誤魔化しては眼を泳がせていた。
そして、ぬらりとヒエンの内部よる現れた壮年の男。
白い髭をたくわえたその男は、エルクたちの姿を見るなり顔を顰めた。

「……ジーン。何故彼らを此処へ入れた」
「爺さんが約束通りあっちの部屋に居てくれなかったからじゃんか……」
「ふん……で、何の用だ」

たったそれだけの会話を交わしただけで、エルクもリーザも歓迎されていない空気を感じた。
低く低く響き男の声は、不機嫌なそれ。
リーザは内心で明るいリアとジーンの保護者が本当に彼なのか疑ってしまった。
それほどに博士と呼ばれる男のエルクたちを見る視線にはきついものがあったのだ。

「本当は連れの一人についていろいろ聞きたかったんだが……俺のヒエンを修理してくれたのか?」
「別にお前達のことを思ってやったんじゃないわい。面倒事に巻き込まれん内に出て行って欲しいだけじゃ」

怒っていいのか悪いのか微妙な答えをする男に、エルクとて少しばかり困ってしまう。
その脇ではジーンがやれやれといった風に頭を振っていた。
どっちにしても修理してくれるというのなら拒否する理由はない。
しかし、エルクにとって重要なのはシュウの行方である。

「なぁ、アンタ」
「小僧にアンタ呼ばわりされる謂れはない」
「……じゃあ、なんて呼べばいいんだよ」
「……ヴィルマー。村じゃ博士で通っとる」

どこまでも自分達は嫌われているらしい、とエルクはその態度に反発する気さえ失せた。
この調子ではおそらくシュウについても協力してくれることはないだろう。
隣で苦笑いを浮かべるジーンとちょっとだけ悲しそうな顔をするリーザをちらりと見る。
どうやらここでこれ以上やれることはないと、エルクは黙って踵を返した。
その時。

「はかせ! たいへん! たいへん!」

村の住民が悲鳴を上げながら部屋に飛び込み、重くなりつつあった空気を吹き飛ばした。





◆◆◆◆◆





ヤゴス島東・封印の遺跡と呼ばれるモンスター達の住処。
そこに足を踏み入れたエルクとリーザとジーンの三人は、魔物特有の湿っぽい空気に気を引き締めた。
リーザの傍にいたパンディットがグルルと喉を鳴らし、威嚇するように一度吼えた。
彼らの目の前には既に巨大な蝙蝠が此方に襲いかかろうと飛びまわっている。



村の住民によって齎された事件とは、庭先で遊んでいたリアがこの遺跡に遊びにいってしまったということだった。
ヴィルマーからも入ってはいけないと言いつけられていた封印の遺跡は、子供の生き残れる場所ではない。
その事実に顔を真っ青にさせながらヴィルマーは膝から崩れ落ちた。

「リアは、儂にとって……」
「爺さん、諦めるには早すぎるぜ?」

目が虚ろなままに零すヴィルマーの姿に、ジーンは一歩彼に近づくと笑って声を掛けた。
そして後で話の流れを見守っていたエルクとリーザに視線を向ける。

「俺達三人がいれば遺跡のモンスターなんて軽いもんさ」

その言葉に少しだけ目を見開くエルクと、一つ頷くリーザ。
どうにも意表を突かれたエルクに、ジーンは囁きかけた。

「うちの妹分を助けてくれるってんなら、爺さんも協力してくれるかもね」
「見損なうんじゃねえよ。誰かの危機を黙って見ていられるほど腐ってない」
「……すまない」



そして今、エルクたちはこの遺跡の中でリアを見つけるべくモンスターたちを蹴散らしていた。

「炎の嵐よ! 全てを飲み込め!」

遺跡の奥より這い出てきたミイラの姿をしたモンスター『マミィ』。
強力な腕力を持って殴りかかるそれに、エルクの唱えた魔法が火焔を以って襲いかかった。
ファイアーストーム。
地面ごと巻き上げるようにして炎の渦がマミィを取り込み、やがてその身体を消し炭にした。

「へぇ……すげーな、その魔法って」
「こちとらハンターの中では炎使いって名で通ってるんでな!」
「エルク! あんまり調子に乗らない!」

ジーンの言葉に胸を張るエルクだったが、その背後で狙いを定めていたバットにリーザの短剣が刺さる。
見事命中して地に落ちるそれを視界に入れれば、エルクは一度鼻を鳴らして槍を構えた。
ジーンは憎たらしい笑顔を浮かべていた。

「んじゃ、こっちも負けられねーな」
「え?」
「まぁ、見てなって」

エルクの油断にプンスカ怒っていたリーザだったが、そんな彼女を安心させるようにジーンが前に躍り出た。
彼が定めた相手は、未だ虫けらのように空を舞う複数のバット。
ジーンはその中心に向けて両手を翳し、そして唱えた。

「風の刃よ! 全てを斬り裂け!」

遺跡内部に届かぬはずの風がバットを中心に渦を巻き、やがて対象を遺跡の壁や地面ごと切り裂いた。
その力にリーザは眼を丸くして驚き、エルクは口笛を一つ吹いてにやりと笑った。
ウィンドスラッシャー。
やがてその風の余韻を受けて長い髪を靡かせるジーンの姿は、まるで絵画のように似合っていた。

「ま、こんなもんよ」
「この島には風使いの部族でもいたのか?」
「……いや」
「それよりもリアちゃんを助けないと!」

両手をギュッと握り二人を急かすリーザの姿に、エルクとジーンは力強く頷く。
何にしてもこの遺跡に住むモンスターは彼らに敵うような強い種族は存在しない。
不安なく階段まで走り抜けていく彼らを阻むものなどありはしない。

ただ一つ、リアが今でも無事にいることだけが唯一の不安要素ではある。
そんなリアが進行形で魔物に追い詰められている遺跡の中層。
壁に埋め込まれた一体の機械が、少女の危機にその相貌を光らせていた。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/16 20:22



見慣れた部屋。見慣れた玩具。見慣れた景色。
俺の始まりであった場所はいつだって白のままだ。
連れられてくる子供達を『保管』する大広間。

小さな砂場。色鮮やかな滑り台。散らばったクレヨン、絵本。
どれもこれも俺のいた世界では珍しくもない子供の遊び道具。
例え世界が変わっても子供の欲する物は変わらないのかと、どこか懐かしさの様なものも感じる。

だがこの大広間には、その主役たる子供達の姿はない。
あれから4年。いや、5年だっただろうか。
ただ一つの救いを求め、大勢を変えることを捨てた事実は、重い。

この広間に居ない子供たちは、揃って『調整』を受けているのだろう。
既に手遅れ。ただ戦力として安定する為の道具となり果てている。
見た目はそこらの子供と変わらないかもしれないが、一つその皮を剥げば……。

夢想した。

未来の知識を得て、大きな流れに近い場所を漂う凡人が抱きやすい夢があった。
悲しむ人を救い、起こるはずだった悲劇を変え、全てが上手く収まる終焉を。
別段、珍しくもない。
愚者は叶うはずの無い夢を見るものだから。

だが現実の俺は、どこまでも臆病で。
現状に悲観し、未来に悲観し、終わりに怯えた。
もしも、もしも、もしも。
現状から逃れる度に、またしても夢想に逃げ込む。

白い部屋。
俺は、一人だった。

他の子供達とは違い、俺はサンプルの名で呼ばれることはなかった。
プロト。
それが俺の名前だった。

無論、前の世界で元々持っていた名前以外で呼ばれることに、俺は眉を顰めた。
そんなこんなで俺がささやかながら起こした反抗は、周りの子供にこの名前で呼んでもらう事。
クドー。
久藤だったから、クドー。

今思えば下の名前の方が良かったかもしれないが、少しばかり日本人の名前はこの世界で異質だ。
タロウとか、ツトムとか。
俺を管理する研究員に前世関連の事を気取られるのは怖かったから、そんなことを気にしていた。

どこかで前世の残滓を残そうとする。
周りに疑問を抱かせないように調整しつつ、自分を保とうとする。
しかしそんなもの、長くはない。

この世界での自分の立場を考えれば、結局は同じ結論に辿り着く。
死ぬ。ただそれだけ。
いや、ひょっとしたらキメラの実験台にされ、自我すら失うのではないだろうか。

怖い。
怖い。
怖い。

そんな中、彼らが来た。

勇者と。救われなかった者と。救われなかった者と。
精神年齢を考えれば、俺の半分も生きていないかもしれない子供たちに、縋りついた。
助けてくれ。あの悲惨な物語の中でも希望を失わない心で、俺を救ってくれ。

彼らといた時間は、そんなに長くない。
二カ月も無かったのかもしれない。
だが、必死に俺は彼らと共に過ごした。

つまらないお遊戯。
つまらない話。
つまらない価値観。

前世であれば笑ってしまいそうな子供達との触れあいも、俺にとっては癒しだった。
ちょっとだけ先輩風を吹かせて、大人気ない話を教えてやったりするのも楽しかった。
時折感じる彼らの強さと、暖かさに嫉妬してみたりもした。

冷静に把握していく現状。
そんなことが出来るようになったのは、彼ら知り合って一カ月。
そして、違和感を抱き始めたのもその位の時だった。

プロトと呼ばれる自分。
この世界に何故俺がいるのか。
特殊な子供がこの施設に入れられる事実を鑑みれば、俺の身体ももしや。

徐々に、徐々に、俺は情報を集め始める。
そして知る。

プロトの由来を。
プロトの正体を。





◆◆◆◆◆





「ヴィルマーが?」
「はい」

再び俺はプロディアス西にあるガルアーノの屋敷へとこの身を置いていた。
アークによって女神像が破壊され、そのおかげで東アルディア一帯に広がる殉教者計画が一時頓挫したせいで、ロマリアも足踏みしたのだろう。
一時俺は白い家へと戻され、休息も兼ねて身体の調整を行っていた。

そして白い家の研究員から聞く、ヴィルマー博士の話。
何でもガルアーノ直轄のキメラ部隊の情報部が、彼らの居場所を掴んだらしい。
無論、俺の流した情報に乗って、だ。

そもそも博士の隠れ住んでいる場所は孤島であるヤゴス島。
発着場の一つもなく、どこかの国と交流しているわけでもないあの島に、ロマリアの手が届くことはない。
と言っても、物語の流れでは何の因果かエルクがいる時期にばれていたが。

「今すぐヤゴス島へ部隊を送ることも出来ますが」
「……ふん。秘匿のために消すか。それとも再び研究に戻すか」

葉巻を荒々しく噛みちぎったガルアーノは、椅子にふんぞり返りながら火を付けた。
いつもより吐く煙が多く、そして彼の顔もしかめっ面のまま。
どうにもアークの邪魔が入ったせいで、ガルアーノの機嫌は底辺を突っ切っているらしい。
そういえば先ほどは受話器越しに、誰かに向かって唾を吐いていた。
おそらくはアンデル。

「お前が知っている通り、今のキメラ研究は新たな段階に向かおうとしている」
「機械、ですか」
「もはや世界に散らばる希少な能力者を集める必要はない。機械とはそれ以上に頑強で、優秀だ」
「…………」
「お前のように、ただ命令を遵守するという意味でな」

溜めこんでいる剣呑を吐きだす様にして紫煙を吐く。
ただ棒立ちで突っ立っている俺に向かって向ける笑みは醜い。

「そもそもエルクの事もただの偶然。得ることが出来れば儲けもの程度の話だ」
「…………」
「クドー。どうにも貴様はあいつにご執心が過ぎるな」

サングラス奥に鈍く光るガルアーノの瞳が、俺を射抜く。
さすがにエルクがガルアーノとの接点を見出してからは積極的に動き過ぎただろうか。
いや、それでもロマリア側に不利益になるような動きはないはずだ。

「ガルアーノ様。私が今の力を得るために願った事を覚えておいででしょうか?」
「……クッ、ククク、クハハハハハ!! そうか! そうだったな!!」

俺の言葉を聞くや否や、脇にあった机を大きく叩きながら笑うガルアーノ。
面白くてたまらないと言う風に乱れて笑う彼に、俺は出来るだけ無表情を向ける。
出来るだけ、出来るだけ。

「ククッ……友を置いてまんまと逃げ仰せ、表の世界で幸福を貪る者を許しはしない」
「は」
「ジーンはヴィルマーに連れ去られ、エルクはハンター家業、ミリルはただの眠り姫か」
「…………」
「そしてお前は……ククッ……そんなにも醜い姿で生きている!」

椅子から立ち上がり、本当に嬉しそうな顔を浮かべて俺に近づくガルアーノ。
外套の中にぶら下げられたナイフが鳴る。
顔に撒かれた包帯越しにもガルアーノの紫煙は通ってくる。

俺の中に居座る心の幾つかは言っていた。
人が悪を為し、悪が魔を為すのだと。
ならば。

「裏切り。嫉妬。素晴らしいな。我が右腕よ」
「滅相もありません」

おそらくはそれこそが魔の最も好む在り方。
負の感情に溺れ、闇に片足を突っ込んだような人間こそが餌。
ならばロマリアで王の位にいるあの人間は、何よりも魔の餌となり得る人材だろう。
……まあ、今は関係のない話だ。

「ガルアーノ様。そのジーンが、恐らくはヴィルマー博士と共に居ると」
「成程な。ならばヴィルマーもジーンも取り戻さねばなるまい」
「そしてジーンもキメラへと」
「……そこでジーンを消すと言わないお前の忠実さを買っているのだよ、儂は」

既にガルアーノの興味は異能者から機械へと向いている。
故にまだ。どうにかしてガルアーノの興味を再び戻さねばならない。
エルクに。ジーンに。ミリルに。

甘ったるい言葉を選び、機嫌を直してもらうことを前提に紡ぐ。
既にガルアーノは歓喜の中にいた。
それほどまでの俺の闇は面白いものなのか。
――――所詮、それは表側だけだと理解できないのが彼の小物らしさ故か。
確かに俺の中には負の感情が渦巻いているが、そんな単純なものではない。

「しかし当のエルクはあの式典以来姿を見せていません。彼の所有する飛行船も何処かへと」
「構わん。既に奴は儂に狙いを付けているのだろう? ならば来るだろうよ」
「では今は、ヴィルマーとジーンを?」
「そうだ。ヤゴス島へ部隊を送れ。くれぐれもその二人へは丁重に、な?」
「御意」

さて、準備は出来た。
流れを信じるのならば、エルクは既にあの島に居るのだろう。
そして、ジーンもまた。

いや、ジーンは此方が動かした歯車の一つだ。
ヤゴス島で元気に生きているという情報は独自に得ているが、彼が戦いに加わるかどうかは別だ。

まぁ、それでも。
彼もまた勇者の一人になり得る者。
羨ましい限りだ。





◆◆◆◆◆





場所は変わってヤゴス島。
既に陽は落ちかけ、夕焼けを浴びた海の浜辺にエルクはいた。
夕焼けを浴びても尚、彼の瞳は赤く燃え、地平線の向こう側をじいっと見つめていた。

彼が此処に居る。
既にリアの救出は完了していた。

ジーンとリーザ、そしてパンディットと共に遺跡内部を駆け抜けた彼らは、その中層にてリアを見つけていた。
しかし彼らが駆け付けたのは、今にも遺跡内に蔓延るマミィ達が手を伸ばしている瞬間。
リーザが短刀を構え、遠距離からエルクとジーンが魔法を放とうと言う時にそれは起こった。
後ずさる様にして壁に背を付けたリアが頭を掛けた時、その背後の壁に埋もれていた何かが光を放ったのだ。

その光はリアを囲んでいたマミィを吹き飛ばし、エルクたちはその光景に唖然とするしかなかったのだ。
泣き喚くリアを抱きしめながらほっと胸を撫で下ろしたジーンが呟いたのは『機神』という言葉。
何でも壁に埋もれたまま光放ったこのガラクタがそう言われるオーパーツらしいのだ。

(どうみてもオンボロにしか見えなかったけどなぁ……)

夕焼け空を眺めながら、エルクは一つ息を吐く。
無事にリアを助けることが出来、なんとかヴィルマーの信用を得ることは出来たものの、やはり釈然としない。
何にせよ、リアの無事に破顔したヴィルマーとエルクは、とある交換条件を結んでしまったのだから。

ヒエンを完全に修理してやるから、あの『機神』をここまで運んで来てくれ。

何が悲しくてモンスターの蔓延る遺跡からあのオンボロを運ばなければいけないのか。
しかしシュウの情報が手に入らず、この島にいる理由も無くなりつつあったエルクには渡りに船。
リアの懇願もあってか渋々エルクはそれを受けることにしたのだ。

「お、こんなとこにいたのか」
「お前か」
「んだよ。そう邪険にしなくてもいーんじゃねーの?」
「じゃけ……何?」
「あー……お前ってあんまり頭の中よろしくない系?」

へらへらと笑いながらやってきたジーンに向けるエルクの表情は厳しい。
しかしジーンにとっても悪口ばかりは通じるエルクに苦笑を浮かべるしかない。
ちょっとばかりの沈黙が続き、どうにも嫌な空気が流れてしまっていた。
そんな空気が流れる中、慌てたようにしてジーンが口を開いた。

「そうそう! 飯の時間だってんで探してたんだ」
「あ? あぁ、そうか。わりぃな」
「いや、リアも大勢で飯食えるって喜んでるしいいってもんよ」

キラキラと夕陽を受けて靡く銀色の髪。
エルクの視線はやはりその珍しい髪の色に向いてしまっていた。
どこか、記憶の片隅に残してきてしまった様な虚無感に苛まれる心。
エルクの表情は、やはり厳しい。

「なぁ、俺って嫌われるようなことしたか?」
「……いや、多分してないと、思う」

故にジーンの問いかけは道理であった。
まるで子供のように道理の通らない感情にエルク自身が苛つき、ジーンが首を傾げる。
いや、ジーンの方もそれはそれで違和感を感じていた。
何しろ彼は――――。

「あのさ……本当に俺たちってどこかで会ったことはないのか?」
「…………」

今度はエルクの問いかけに、ジーンは沈黙を返した。
さざ波の音がただ耳に残り、遠くでカモメの鳴く声がする。
ジーンは、決心したかのように一つ息を吐き、重苦しく言葉を連ねた。

「確かエルクは、記憶喪失ってやつだったよな?」
「ああ」
「実は、俺もなんだよな」

照れくさそうに、苦そうに笑いながら頭を掻くジーンにエルクはしばし呆然とした。

「俺が気付いた時はこの島に爺さんと一緒に辿りついててさ、そん時にはまだリアもいなかったかな」
「そ、そうなのか」
「爺さんに記憶の話を聞いても全然答えてくれないし、俺はなんかすっげー魔法が使えるし」

そこでジーンはやれやれと両手を上にあげ、首を振った。
諦めの表情とも言うべきか。そこか疲れているようにも見えた。

「今じゃ幸せにやってるけどよ……なんか、気味が悪いとは思うね」
「何が?」
「俺の過去だよ。隠そうってことは……碌でもないことなんだろうなって」

地平線の向こう側を見つめるジーンの横顔をエルクはじっと見る。
――――見覚えがある、その横顔。

揺れる。
揺れる。
揺れる。

視界が揺れる。

「まぁ、たまに夢で見るんだけどな。昔っぽいこと」

繋がる。
ばらばらに点在していた記憶が、繋がっていく。
既にエルクの視線はジーンに、そしてその向こう側に。
約束を交わした、あの男の子に。
――――あの、女の子に。

「白い部屋と、男の子二人と、女の子一人が見えて……俺はそこで目が覚めて、泣いてるんだ」

ジーンがエルクにゆっくりと、ゆっくりと視線を戻す。
エルクは、口を、手を、目を震わせ、声を零した。
ただ万感の思いを込めて一言。

「ジーン」

その瞬間、ジーンの頭にノイズが走った。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/18 16:04




「えーっと……」

石壁に囲まれた遺跡の中を進む人影が三つ。そしてそれに追随する動物の影も一つ。
その集団の戦闘を行く男二人の後ろで、リーザは困惑していた。
気まずそうに眉をハの字に曲げたまま、先を歩く二人を見やればパンディットも心配そうに喉を鳴らす。

無論モンスターの蔓延る遺跡内で油断する様なパーティーではない。
戦いとは無縁だったリーザもここ最近ではすっかり慣れ、エルクやパンディットの援護なしでも対一で対応できる。
そもそもこのヤゴス島の封印の遺跡内で、彼らを脅かす強力なモンスターはいないのだ。

そんな中、リーザの浮かべる困惑の理由とは。
それはエルクの態度にあり、そしてジーンの態度にもあり。

ずんずんと先を進む男二人は確かにリーザにとって頼もしいのだが、様子が余りにもおかしいのだ。
事あるごとに双方共に互いの動きやら表情やらを見定め、じいっと見つめた後に無言で歩きだす。
互いの様子を観察していると言うか、なんと言うか。

どちらにしてもその異様な状況にリーザは困惑を覚え、そして気味の悪さも覚えていた。
男二人が互いを気にし、しかし言葉には出さない。
煮え切らぬ空気。

(も~……何なんだろ)

腰に手を当て、困ったようにパンディットに視線を向ければ、彼女の愛犬もまた困惑したように声を上げていた。



彼らが遺跡内に再び入っている理由は勿論、ヴィルマーとの約束を果たすための機神発掘。
リーザ自身としては初めて見るロボットに好奇心が少しばかり疼いていたのだが、そこはやはりモンスターの巣窟。
ひょっとしたら封印されている魔物が、などという不安も抱いていた。

しかし昨日の夕食時からエルクとジーンの様子が目に見えておかしいのだ。
エルクは前にも増して無口になり、ジーンは軽口を言う気配すら見せない。
ぼーっとしていた所をリアに話しかけられて意識を戻すジーンなど、余りに不自然過ぎた。

無論、リーザはその変化を双方に直接聞いてみた。
しかし返ってきたのは納得のいかない曖昧な返答。
エルク曰く。何でもない。
ジーン曰く。何でもない。

さすがのリーザもこれには眉を顰めた。
しかし此処でずけずけと喰い下がるわけもいかず。
もやもやとしながら一晩過ごし遺跡内に再び入る準備をしていれば、昨晩と変わらぬ二人の姿があった。

だからといって遺跡探索に影響が出たかと言えばそうでもない。
相変わらずエルクの槍技は冴えに冴え、放つ炎は遺跡内のアンデッドを容赦なく屠っていく。
ジーンはジーンで自らの役目を知っているがごとく、飛びまわるバットを風の刃で切り裂いていった。

パーティーとしては何一つ文句のないメンバーではある。
前衛をパンディットに任せ、中衛前衛を入れ替わりながらジーンとエルクが動く。
後衛には勿論リーザが。
最初こそ女の子に前衛は任せられないという過保護な理由からの決定だったが、今となっては重要な援護役。
これほどにバランスのいいパーティーはないだろう。

なのに何故こんなに妙な違和感を抱きながら戦わねばならないのだろうか。
度重なる戦闘に少しだけ疲弊の影を見せたパンディットにキュアをかけながら、リーザはため息をついた。

といっても変わり映えのしない遺跡を歩けばうんざりしつつあるのはエルクたちも同じ。
機神の階へ降りる頃には既に二人の様子もいつもと変わらぬものになっていた。



「なんだか面倒なことになってきたな」
「同感。爺さんもさすがにあのポンコツに手を出すのは止めた方がいいと思うけどなぁ」
「で、でもあのロボットさんを助けないとヒエンが……」

三者三様。
といってもエルクとジーンの内容は同じようなものではあるが、目的である機神が埋もれた壁の前に三人はいた。
目的の機神は相変わらず壁の中で不気味な眼を光らせ、完全に機能を停止しているのかどうか微妙なままの姿でそこにある。

所々壁の土が削れているのは、面倒だと言い放つなり力づくで掘り起こすと提案したエルクのもの。
手持ちのソードで全力の剣撃を叩きこめば、壁がほんの少しだけ欠けただけで、エルクの手を痺れさせるばかりだった。
脳筋。ぼそりとジーンは呟いた。

しかしそれが功を為したのか、動かぬはず機神が目と思われる部分を金に光らせ、言葉を発した。
グロルガルデがどうだの。七英雄がどうだの。封印された力がどうだの。
はっきり言えばエルクたちにとって意味不明な単語の羅列であり、そもそも機神はヒエンに対するただの交換条件に過ぎない。

その言葉の大半を聞き流した後、結局彼らに重要だったのは『そこから出られるか』ということである。
知能の高そうな物言いと見識の深さを感じさせる言葉を話す機神であったが、残念なことにそれを聞く人間には興味のないことだった。
そしてそんな興味の抱けない話の中に、今は朽ちつつある機神の力を取り戻す部品の話があった。

パワーユニット。

何でも同遺跡内の最下層に封印されるユニットを使えば、機神自ら壁より抜け出ることが出来るのだとか。
そもそも、この壁そのものが機神を封印する術式が掛けられているらしい。
うさんくせー。ぼそりとジーンは呟いた。

しかし自ら解決策を提示し、さらにその鈍重そうな身体をわざわざ誰かの手で運ぶ必要がなくなるのであれば是非はない。
面倒だ。止めた方がいい。などと愚痴を零すエルクとジーンの尻を叩くようにしてリーザは二人を急かした。
年齢こそ三人揃って同じように見えるが、その実、何だかリーザが姉気質のようなものを時折見せる面子であった。





◆◆◆◆◆





手強い。
狭い遺跡内にも関わらず、その翼を広げ飛び周るガーゴイルと死神を捉えつつエルクは思った。
今まで出会ったモンスターはどれも貧弱なバットか、動きの遅いアンデッド。
アンデッドの不死能力によるしぶとさは面倒だったが。

エルクが手に持つ槍は基本相手の間合いにより攻撃することを前提にした装備だ。
マミィの格闘戦。バットの急襲。
どれも一般人からすれば驚異のものだが、凄腕のハンターのエルクからすればただ猪突猛進してくる獲物の群れでしかない。

しかし、今エルクたちが相手をしているのは、空を飛び、さらに槍まで装備したモンスター。
さらに遠距離から魔法を仕掛けてくる死神。
成程、確かにパワーユニットを守るにしては十分な戦力だ。
ふとエルクは納得したように視線を隣に戻せば、ジーンもまた面倒そうにため息をついていた。

「全く……あのオンボロくんは何なんだかね? こんな訳の分からん魔物まで襲ってくるし」
「どっちにしたって倒すことには変わんねーだろ」
「ま、そうだけどよ」

眼の前にいきり立ち、逃さぬとばかりにじりじりと間合いを測る魔物の群れを前に二人は軽口を叩く。
エルクは槍先を若干上に上げたまま構え、ジーンは既に魔法の準備に入っている。
パンディットはその牙の生えた口に冷気を溜め、リーザは短刀を投げる体勢に入っている。

遠距離からの一斉掃射。
狭い遺跡内であるからこそ、ジーンの魔法やパンディットのブレスは効果を発揮する。
逃げ場の多い屋外では矢鱈めったら魔法を放っても当たらないだろう。

「グロルガルデ様ノ敵に死ヲ!」

魔物の内の一匹。
エルクたちが降りてきた最下層にあったパワーユニットの前で番人の如く立ちふさがった死神が吼えた。
グロルガルデ。エルクたちにはまるで関係の無い話である。

「なぁ、リーザ」
「なぁに?」
「ぐろるなんとかって知ってるか?」
「ううん。知らない」

エルクとしては学が足りず、ジーンとしては孤島の住人。
唯一見識が高そうなリーザでも知らないとすれば……そもそもオンボロのことなんて誰も知らないか。
エルクは自身で納得すると開戦の声を上げた。

「さぁ、かかってこい! お前ら如きに時間なんざ取ってらんねーんだよっ!」

それを聞くや否や、ガーゴイルの二匹が低空飛行をしながら飛びかかってくる。
狭い狭いとは言ったものの、さすがに天井近くを鬱陶しく飛びつつけられれば厄介だが、どうにもそこまでの狡猾さはないらしい。
所詮モンスター。
ガーゴイルの特攻に合わせてコールドブレスを吐いたパンディットを横目に、エルクはにやりと笑みを浮かべた。

「オオオオオォン!!」

聞く人間の心すら奮い立つ咆哮と共にパンディットが吐いたブレスは、湿っぽい遺跡内に冷気の渦を作っていく。
地を、空気を、そしてガーゴイルを凍らせていく吹雪。
一撃でガーゴイルを氷の彫像にするほどの威力ではないが、確かに突貫してきたガーゴイルの動きが鈍った。

「逃がさねぇ!」

追撃。
両手を前に向けたエルクは即座に魔法を唱え、炎の嵐を創り出した。
ファイアーストームによる氷と炎の連携。
視界と動きをコールドブレスによって鈍らせ、動きの止まったガーゴイル達を燃やしつくす、なんともえげつない攻撃。

耳に障る断末魔を上げながら灰へと変わっていく二匹のガーゴイル。
弱い。
エルクが呟けば、薄くなった炎の壁の向こう側から天上付近を飛んでくるガーゴイルが視界に入った。
二度も真正面から突っ込んでくるほど馬鹿ではないらしい。

「リーザ! ナイフ!」
「え? あ、うん!」

叫んだのはジーン。
背後にいるリーザに振り向くことなく手を伸ばし、短刀の何本かを貰い受けた。
既に事細かに説明がいるほどちぐはぐな連携をしてしまうチームではない。
ただそれだけでリーザはジーンの言う事が理解出来た。

投擲。
ジーンとリーザが投げたナイフは未だ手の届かぬ高度にいるガーゴイルの翼へと吸い込まれるように投げられた。
その光景に、そういえばジーンは刃物の扱いに優れているということを思い出したエルク。
それよりも何だか同時にナイフを投げる二人の姿が何だかお似合いのように見えたのが、心にささくれを作る。

「ギャッ」

短い悲鳴。
見事に深々とガーゴイルの翼に刺さったが、それでもすぐさま地に落ちるほどの手傷を負わせたわけではない。
しかし既にジーンは行動を始めていた。
ナイフによる投擲と同時に――――魔法の詠唱。

「斬り裂け!」

腕を横に薙ぎ払えば、少しばかり高度を下げたガーゴイル二体を巻き込むようにして刃の嵐が巻き起こる。
ウインドスラッシャー。
既にガーゴイルの悲鳴など聞こえない。そんな隙さえ許さない。

火に焼かれた羽虫のように無様に地に落ちたガーゴイル。
絶命させたというわけではないが、それでも既に虫の息であった。
そこへ。

「私に任せて!」

未だ息の根の止まらない二匹に自然と舌打ちが漏れ出たエルクが振り向けば、何やらリーザが見覚えのない魔力を手に宿していた。
すぐにジーンにも疑問を視線で投げ掛けるが、どうやらジーンにもリーザのやろうとしていることは分からないらしい。
そんな一瞬のやり取り。
気付けばリーザが地面に両手を押し当てて叫んだ。

「アースクエイク!」

リーザの声に応えるように地響きが鳴り、地にひれ伏していたガーゴイルを突如現れた土の突起が勢いよく弾き飛ばした。
いつのまに新しい魔法を。
驚愕に眼を見開くエルクと、口笛を吹きつつ笑うジーン。

「いつまでもお姫様じゃないみたいだな、エルク?」
「……にしてもえげつねー追撃だとは思うけどな」
「ははは……はは」

えへんと胸を張るリーザを見ながら、ジーンとエルクは乾いた笑いを漏らしていた。
いつ使えるようになったのか。
元々地面に埋もれたマミィや、この状況でなければ使えないガーゴイルやバット相手では機会がなかったのだけか。
どちらにせよ、すっかり彼女もハンター顔負けの力を有していた

もはや敵は少しばかり焦ったように鎌を振り下ろしてくる二匹の死神のみ。
魔力の強い厄介な敵ではあるが、前衛を失くした死神にもはや耐えられる術はない。
エルクたちの勝利は決まった様なものだった。

そんな圧倒的な戦闘の流れの中、ジーンはどこか胸に刺さる想いを感じていた。
元々風使いとしての素質を持っていたものの、この平和な島国では戦いを経験する機会は少ない。
彼の剣術もユドの村にいる商人に師事を乞い、ヴィルマーの手伝いになれれば程度に考えていたものだった。

モンスターと戦うのが好きなわけでもないし、そもそもそこに愉悦を見出すほど戦闘狂でもない。
それなのに、エルクと共に闘うと何故か心が躍る。
後ろに女の子であるリーザを守る様に剣を構えると、あるはずもない闘志に火が付く。

彼の頭にノイズが走った。

果たして自分が戦う事を決めたのは、これが最初だっただろうか。
まるで白昼夢のように頭の中をフラッシュバックしていく場面の中、彼は確かに見た。
誰か一人の女の子を救うべく、守るべく、三人で誓いを交わす瞬間を。

今はまだ戦闘中。
そんな訳の分からない現象に、ジーンは頭を振って切り替える。
自分の隣にはエルクと、そしてパンディットがいて、後ろにはリーザがいる。

足りない。
ジーンはなんとなく思った。





◆◆◆◆◆





既にエルクたちの戦闘は圧倒的な蹂躙で勝利を迎え、跡はユニットでロボットを引き上げるだけとなった頃。
ヤゴス島に近づく小型の飛行船の姿が空にあった。
ヒエンのそれと同じか、少し小さいくらいの飛行船。

ユドの村でもその姿に気付く者はそれなりに少なくなかったはずだった。
しかし村人は既に一度そのような事態に遭遇していた。
無論エルクの乗ってきたヒエンのそれである。

だからか。
村人たちはその飛行船にちょっとだけ驚いたものの、すぐに冷静さを取り戻していた。
故に、ヴィルマーへの報告も遅れる。
そもそもヴィルマーは今現在ヒエンの修理中で地下に籠っており、他の誰かの声が聞ける状態ではない。

ただ一人、家の傍で独り遊んでいたリアが胸騒ぎを覚えた。




[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/21 16:55




五年前。
キメラプロジェクトの糧となる能力者を集める白い家には、一人の少女がいた。
施設の目的に違わず、強力な異能を持って暮らしていた彼女がガルアーノの眼に止まるのはそう遅くはなかった。
どこに住んでいたのか。家族は。その幸せな記憶は。
白いに家に攫われた次の日、彼女はその一切を奪われた。

なんと残酷な話だろうか。
なんと惨いことだろうか。

しかしその少女は記憶を失う前と変わらず、いつだって笑顔を振りまいていた。
自分を世話してくれる担当者の心を和ませたこともあった。
同じ境遇に苛まれる子供を拙い言葉で慰めたりもした。
悲劇の中に居ながら、その笑顔に影はなかった。

そんな少女と特に仲が良かった者がいた。
炎の子と、風の子と、闇の子。

最初に仲良くなったのは闇の子だった。
そもそも闇の子は白い家で暮らす子供たちの中で、最初から此処にいる子供らしく、様々なことを知っていた。
そして、誰よりも絶望に濡れた瞳をしていた。

次に仲良くなったのは風の子だった。
白い家に来た当初は、自分の記憶がないという現状に少しばかり困惑したのは当然だった。
しかし、記憶が消されても風の子の楽観的な性格は変わらなかった。
笑顔が二つ。風の子と少女が仲良くなるのは早かった。

最後に炎の子が来た。
少女や風の子と同様に記憶を消され、炎の子はそのことに悩み、そして悲しんだ。
そして荒れもした。
そんな暴れん坊を少女が放っておくわけがない。
怒りに任せ荒れる炎の子を、少女はゆっくりゆっくりと優しさで包んでいった。

記憶を消され、攫われた。
そんな惨たらしい事実の中、4人は『友達』になった。

そしてある日。
炎の子と少女が、真実を覗いた。





◆◆◆◆◆





ガルアーノと二人で並び、目の前に聳え立つ鉄の巨人を見上げる。
鉄臭い倉庫のような大部屋に配置されたその巨人は、所々にパイプやらコードやらが飛び出ており、どことなく鈍重そうな印象を思わせる。
所詮『彼女』を繋ぎとめる棺のようなもの。
空想のように空を自由に飛び周る機能など付いていない。

「……未だサンプルМは眼を覚まさない、か」
「…………」

腕組みをしたまま渋面を浮かべるガルアーノの視線は、その巨人の頭部に向けられていた。
その頭部にはひと際多くのコードやら何やらが繋がっており、その装甲も肩部や胸部と比べると遥かに厚い。
白銀色をした頭部の奥はコックピットのようになっており、そこには一人の生体動力が組み込まれている。

生体動力の名はミリル。
巨人の名はガルムヘッド。
白い家に配置された最新の迎撃兵器のようなものである。

「宝の持ち腐れとは言わぬが……ただコアにするならば他に代用が利く」

濃い顎鬚をなぞりながらガルアーノは独り言のように呟いた。
ガルアーノの言う通り、ガルムヘッドを起動させるには強い魔力を宿した人間が必要である。
となれば白い家でも最強の能力者として知られるミリルはそれに合致する人材だろう。
しかし、ガルムヘッドはミリルを使うほど重要な兵器でもない。

宝の持ち腐れ。確かにその通りだろう。
わざわざ物言わぬコアになるよりも、俺と同じように人型のままの兵器となる方がミリルの価値は上がる。
だがそれは出来ない。

「五年前、だったか……エルクが逃げ、ミリルが意識を閉じたのは」
「は」

倉庫の外から聞こえる研究者たちの声や足音を聞きながら、ガルアーノの話に相槌を打つ。
相変わらずこの施設にいる研究者たちは寝る間も惜しんで研究に勤しんでいるらしい。
害悪にしかならない、狂気に囚われた研究者たち。
果たして元は人間だったのか。それとも元々魔物だったのか。
どちらでもいいか。

「エルクとジーン。これは別にいい。所詮小僧である奴らなど儂の手からは逃れられん」
「問題はミリル、ですか」
「コアとして使用するならこのままでも構わん。限界までガルムヘッドの性能を引き上げればいいのだからな」

カツリ。
一歩ガルヘッドに近づけば、鉄製の床が音を鳴らした。

「だがミリルの力はそれ以上のものがある。こんな鉄くずでは収まらない力がある」
「……意識の覚醒方法に心当たりが」
「ほう……言ってみろ」

初めてガルアーノの視線が此方を射抜き、その瞳に宿る期待に内心でほくそ笑んだ。
俺がやらなければならない、最も重要なこと。
それを遂げるには、どうにかしてガルアーノに俺の方法に賛同させなければならかった。

ジーンが抜けた穴。
狂った歯車をそのまま回せねばならない。
止まることだけは許されない。

「やはりミリルの意識化にあるのはエルクの存在かと」
「友情か? どちらにしてもくだらん要素に過ぎん」
「いえ、愛情でしょう」
「……くだらん」

ガルアーノが俺に寄せた期待は一気に霧散した。
だが引き下がるわけにはいかない。
さもつまらなさそうに懐に手を入れたガルアーノに構わず、言葉を連ねる。
彼が懐から出したのはやはりというか葉巻であった。
――――兵器庫である此処で火を使うのか、こいつは。

「まだ材料として管理されていた頃、二人の関係は私やジーンとのものとは明らかに違いました」
「いよいよもってくだらんな。正義の味方が来るのを待っているとでも思っているのか?」
「白馬の王子様、といったところでしょう。事件当時のレポートにも記載されていました」
「何だと?」
「『エルクが必ず助けに来てくれる』。錯乱する彼女を保護した警備兵が聞いています」

俺の発言に少々考え込むようにして黙りこくるガルアーノ。
静寂が広がる倉庫内において、この男と二人でいるのは心が擦り減る。
視線をガルムヘッドに向けた。
見上げた先に居た巨人は、当たり前ではあるが動く気配さえ見せない。

「…………それで?」
「現在、エルクの記憶もほとんど覚醒しかけているといっていいでしょう。故に彼がガルアーノ様に近づく目的というのも」
「ミリルを救うためか? ……ふん。所詮お前の推論でしかないな、クドー」
「ならば確かめますか?」
「ほぉ……」

紫煙一吹き。黒一色で染まる倉庫内に灰色が漂う。
ガルアーノの興味がミリルから俺の案へ動く。

「どちらにせよ、エルクとリーザを捕獲し、エルクをミリルの前にでも突きだせば結果は分かるでしょう」
「…………」
「それでなくとも、逆にエルクたちをこの白い家に誘い込むのも一つの手かと。リスクの高い手ではありますが」

ガルムヘッドに向けていた視線をガルアーノに戻せば、彼は既に悪巧みを巡らせる瞳をしていた。
どこまでも濁った黒い瞳。
サングラス越しでも理解できるその邪悪に、しばし震えた。

「……ミリルの改造は既に終わっているな?」
「はい。意識さえ覚醒すれば洗脳して自由に使役出来る上、個体の特性を失わない程度の強化を受けています」
「ククッ……ククク、ハハハハハ!」

嗤うガルアーノを、俺は嗤う。
心で。
心の奥で。

「クドー」
「は」
「エルクとリーザを白い家におびき寄せることは可能か?」
「彼らは既に小型の飛行艇を所有しています。ある程度の情報を流せば此処に来ることは可能でしょう」
「そうか、そうか!」

喜ばしいことだ、ガルアーノ。
俺も、お前と共に嗤ってやりたい気分だ。

「クドー、貴様が案内人になってやれ。手段は問わない。白い家に辿り着く道を用意しろ」
「……その過程でエルクを捕獲することは?」
「駄目だ。奴には足掻いて足掻いて、此処にその足で来てもらわなければならん。それこそくだらん愛情やら正義感やらに誘われて、な」
「…………」

変わらない。この男は本当に変わらない。
他者の苦しみや悲しみに愉悦を見出し、その上で踏みつぶすことを至上の喜びとする。
どこまでも小悪党の、それでも俺達の命を握っている怨敵。

まぁ……何にせよ歯車を回すことはどうにか出来そうだ。
本来の流れであったのかもしれない『斬り裂きジーン』。
その代わりに動く必要があったのはかなり前から懸念していた問題だったが、この流れならば不安はない。

ガルアーノから下された命令は容易い。
ただエルクたちを白い家に案内すればそれでいい。
おそらくは今頃ヤゴス島に辿り着いた俺の部下を蹴散らし、ヴィルマーの話から大よその記憶を取り戻すだろう。
その後にアルディアに戻ってきた彼らを俺が誘導すればいい。

果たしてジーンは。
それだけが唯一の不安要素であるが、それに反して一つの期待もある。
ひょっとすればジーンも、エルクの傍で戦ってくれるのではないのだろうか。
再びジーンとエルクとミリルが共に笑い、隣り合って戦う日が来るのではないのだろうかと。

どちらにせよ、もう少し時が経てば次第に分かることだ。
それ以上に俺にはやるべきことがある。

シャンテ。
再び彼女を利用し、大きな流れに巻き込むことになる。
いや、彼女もまた勇者の一人だったか。

再びガルムヘッドの頭部を見つめる。
直接見るには久しいミリルの姿がそこにはあるのだろう。

もう少し。
もう少しだ。





◆◆◆◆◆





東アルディア首都、プロディアス。
女神式典で起こったアークによる女神像破壊事件による騒動も鳴りを顰め、人々がそれぞれの日常を取り戻しつつあった。
それでも空港ジャックやアーク襲撃などの事件が続発したせいで、ハンターズギルドは警戒態勢を保ち続けている。

プロディアス市警という犯罪に対する公式の組織が存在するものの、腕っ節の強さや対応の速さはハンターの方が優秀だ。
先の空港ジャックの事件とて、寝起きのエルクがそのまま解決に迎えるフットワークはたいしたものだろう。
金さえ払えば即座に対応すると言う評判は確かなものである。

そんなハンターズギルドプロディアス支部の建物内に、一人の中年男性が足を踏み入れた。
何やら胡散臭そうな人相と片眼鏡が特徴的なその男の名は、ビビガ。
エルクのアパートの大家にして、あのヒエンを改造したりして過ごしている変人であった。

ハンターでもない彼がギルドに踏み入れたことに、ギルド内で屯していたハンターはしばしその眉を顰めた。
何せハンター内におけるエルクの評価は真っ二つに二分されるのだ。
力任せではあるが事件の解決率に価値を見出す者。
所構わず炎を撒き散らすその戦闘やら、単純な思考に嫌悪感を抱く者。
そんな後者の評価を下す者からすれば、エルクの関係者であるビビガに向けられる険しい視線は当然のものかもしれない。

しかし当のビビガはそれを知ってか知らずか鼻歌を歌いながら飄々と歩を進めるのみ。
周りの視線など柳に風と言った感じにギルドの受付に声を掛けた。

「ちょっと聞きたいんだが」
「人探しの依頼か?」
「……わざわざハンターの消息くらい依頼でなくてもいいだろうに」

勝手知ったるが如く。
ビビガの質問を聞いてか聞かずか、受付の男は唐突にそう切り出した。
世間話さえ始めた本題に少しばかりうんざりとした表情を浮かべるビビガに、眼鏡をかけた青髪の受け付けは一つ息を吐いた。
そもそもハンターギルド側とて、ビビガの依頼内容におけるハンターの消息に頭を痛めているのだから。

無論そのハンターとはエルクのこと。
何せ彼は空港ジャックで行方不明になってみたり、ヒエンに乗ったまま行方不明になったりで此処最近は本当に酷い。
基本的に一人のハンターが消息を絶った所で気にはしないギルドであるが、問題の人物がエルクというならば話は別だ。

「うちのヒエンを持ってったままどっかに行きやがってな。ひょっとすればあいつだけでも帰ってきてるとは思ったんだが」
「いや、インディゴスの方にもそう言った話は来てないな……そういえばシュウもいなくなったって話も出てるんだが」
「あぁ? シュウの奴もいないのか……ったく、おじょうちゃん連れたまま何処行ってんだあいつ」

ぼやくようにして受け付けのテーブルに肘を突いてぼやけば、受付の男は白い眼でビビガを見ていた。
ただ管を巻くだけならさっさと帰れということなのだろう。
といってもやはりビビガはそんなことなど気付かずにあーだこーだと、エルクについて愚痴を零しているのだが。

「俺がせっかく調整してやったヒエンを勝手に持って行きやがって……しかもそん時に俺を高圧電流の金網に突き飛ばしやがるしよ」
「高圧……? 何やったんだアンタ」
「うちのヒエンに手を出す奴は許さねぇ、って話さ。ま、エルクのことがわかったら教えてくれ。暇でしょうがねぇ」

手をわきわきと動かすビビガに受付の男は気味の悪いような物を見る目で見送った。
何でもビビガの趣味は機会弄りらしく、大家として暇を持て余している時間は大抵それらを手にしているのだとか。
ヒエンの改造もその一環なのだろう。

兎にも角にもエルクの消息を知りたいのはギルド側も一緒。
彼のような手練がいないせいで討伐されていない指名手配者も多くアルディアに潜んでいる。
ふとギルドの壁に貼り付けられ手配書に眼を向けた受付の男は、ギルド出入り口の扉に手を掛けたビビガに声を掛けた。

「最近じゃあ何だか奇妙な殺し方をして世間を騒がす奴もいる、用心しとけよ」
「はん、このビビガ様に勝てる奴なんていねぇが……どこのどいつだ?」
「『血溜まり』って呼ばれてる奴だ。まだ姿も見られてなくてな。殺された人間は揃って床一面に血をぶちまけている」

ピクリ。
ビビガの肩が少しだけ上がった。

「……ご、護身銃くらい持ってくか」
「そうしとけ。趣味の改造でも以って強力な奴をな」

少し小走りで去っていくビビガの背を見ながら、受付の男はもう一度手配書を見る。
血溜まりと記載された手配者の写真は、未だunknownを表す黒一色のままだった。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/26 23:11



「っっっ…………っくあぁー!!」
「ファイトだ……ファイトだ、俺」

封印の遺跡入口。
太古に作られた遺跡に相応しい石塊のモニュメントが立ち並ぶ草っぱらに、エルクの奇声とジーンの絞り出すような声が響く。
湿っぽい遺跡内から出た彼らを眩いばかりの日光が照らすが、彼らの気を晴れ晴れとさせることは一切ない。
むしろ蒸すような熱帯特有の茹だる様な暑さに、慣れているはずのジーンでさえも鬱陶しさを感じるほどに辟易していた。

彼らを疲弊させる原因は、疲れて座り込んだ両人が背に預けている赤錆びた鉄塊。
どことなく人型を思わせる形をしたソレは、エルクたちが目的としていた機神『ジークベック』であった。
といっても今はエルク達によって引き摺られるだけの動かないガラクタ。
そもそもパワーユニットさえあればあの壁より出ることが出来ると言ったのはどこの誰だったのか。

無論エルク達が何かを仕損じたわけではない。
遺跡最下層にて襲いかかってきた魔物を蹴散らし、その奥に安置されていたユニットを見事回収。
その足でジークベックの埋もれる中層に戻れば、当初の話通りにジークベックは壁より自力で這い出たのだ。

しかしその後がどうにもかっこの悪いことになってしまっていた。
七英雄がどうだの、古代の機神がこうだのと意気揚々に這い出たはいいものの、所詮は機械。
長い期間埋もれていたせいか、すぐにジークベックは機能を停止させてしまった。

「だ、大丈夫?」
「あぁ……いや、まぁ、女の子には無理させらんないさ。ははは……」
「…………」

一人乾いた笑いを浮かべながら空を仰ぐジーンの言葉に、どことなく罪悪感を滲ませつつ心配するリーザ。
どちらにしてもこの『ガラクタ』と化した物を運ぶには、リーザの腕力は心許ない。
此処まで辿り着く道中でもリーザは何度も彼らに声を掛けていた。

そんな二人のやり取りの隣では、エルクがパンディットを恨みがましそうな目つきで睨んでいた。
当のパンディットは呑気に後ろ足で頭を掻いており、エルクの視線など意に介していない。
いくら魔獣とはいえ、四足歩行のパンディットに物を運べと言うのは少々意地汚い。
ロープでもあれば別だったが……どちらにしてもエルクの奴当たりめいた視線に意味はなかった。

「村から応援でも呼んでそいつらに持ってってもらった方がいいんじゃねぇのか?」
「駄目だよ。これは私達が受けた依頼なんだし。ほら、えと、エルク、ハンターだし」
「ちぇっ。このポンコツ……転がしていってやろうか」

疲れたままに拳を振り上げたエルクは、一瞬何かを考えてそのままジークベックを蹴り上げた。
鈍い音立てたものの、ぐらりとも揺れずに相変わらず動かない機神。
これでは胡散臭い骨董品どころか、情けない鉄くずの過ぎないのではないだろうか。
ジーンもまたうんとも寸とも言わない機神の姿をジト目で見つめていた。

そんな機神運搬の休憩中。
コレを村まで運ばなくてはならないことに一向にやる気も出ない彼らの下に、村の方から走ってくる人影が見えた。
まだエルクとリーザは村でお世話になって数日程度。その人物が何者かまでは分からない。

ジーンから見れば、その人物は時々助手と称してヴィルマーの研究に首を突っ込んでくる変わった村人だと分かった。
名はポポ。
ちょっとだけ寒そうな頭といかつい顔つきに似合わず中々にファンシーな名前の男。
わざとらしいくらいに肩を上下させて現れた彼は、息を整えるなりジーンの肩を掴んで緊迫した表情を見せた。

「ジーン! たいへん! たいへん!」
「ちょっ、まっ、落ち着けって!」

そのままジーンの肩を激しく揺らしながら涙目まで見せるポポの姿に、ジーンは冷や汗を浮かべつつも何とか彼を抑えようと努めた。
中年の男が涙目でたどたどしい口調を話すのは中々に厳しい。
エルクは二人のやり取りを見ながらそんなことを考えていた。

しかしポポの口から語られたその『たいへん』なことを聞いた時、エルクの表情は一変した。

「はかせのところにへんなやつらきた! なんか、くろいふくきてるやつら」

何故。
エルクとリーザは困惑の表情を浮かべ、それを見たジーンは即座に察した。
こんなポンコツを運んでいる余裕などないと。





◆◆◆◆◆





ヴィルマー。
彼はロマリアのとある研究所で生物学と機工学を嗜む一介の博士に過ぎない男だった。
元々偏屈な性格ではあったものの、良心や常識を忘れず研究に没頭する良き科学者であった。
科学者としての博識な頭脳こそ一線を画するものを持っていたとしても、ただの科学者にしか過ぎない男。

そんな彼が、闇に飲まれかけたのはいつの話だっただろうか。
ロマリアが闇に飲まれた時か。
彼がその科学を手放すことが出来なかった時か。
それとも、ガルアーノという男がやって来た時か。
何にせよ、ヤゴス島で平和に過ごすこのヴィルマーという男には、決して孫娘には話せない秘密があった。

「止めて! おじいちゃんをいじめないで!」

ヴィルマー博士の家の地下。
あのヒエンの修理工房と化した大広間に、リアの金切り声が響いた。
苦しそうに膝を突くヴィルマーを庇うように、その小さな身体で侵入者達を真正面から睨みつける。
しかし侵入者である黒服の男たちはそれを鼻で笑い、憤怒と苦悶の入り混じった様な表情を浮かべるヴィルマーを見下ろした。

「博士、探しましたよ。随分とね」
「ぐっ……帰れ! 貴様らに用などない!」
「そういうわけにもいかないのですよ、博士」

震える声を荒げるものの、黒服の男たちはどこまでもその醜悪な笑みを崩さない。
ヴィルマーの意思など元々聞く意味がないというのに、ねめつける様にして言葉を連ねるだけだった。
そんな中、恐怖に折れず大きく手を広げて黒服の男達の前に立ちふさがるリアの行動は、少なからず黒服達を苛つかせた。

その笑みをさらに歪ませ、黒服の一人が懐より銃を取り出しリアにそれを向けた。
何をするのか、何を言いたいのか。
さっと顔を青ざめたヴィルマーがそれを察するのは早かった。

「止めろ! 止めてくれ! リ、リアには、手を出すなっ!」
「さて、止めるにはどうすればいいか、分かりますね?」
「ぐっ……この、外道共が!」
「ふん……ああ、それともう一つ。サンプルJ、ジーンはどこにいるのですかねぇ?」

せめてもの反抗と吐きだした言葉に黒服はさも楽しそうに嗤った後、目的のもう一つを切りだした。
強張りながらも、その可能性を思いついていたヴィルマーは内心で舌打ちをしながらも眉を顰めるだけで留めた。

予期していた事態だった。

あの『施設』から逃げ出し、その過程で託された一人の子供。
あの子供を、ジーンを見る度に自分の罪を見せつけられるようでヴィルマーは苦しんだ。
この孤島に逃げ込み、全ての闇を忘れて生きるのに、あの風の子供は自分を苦しめる罪の具現でしかなかった。
それでも、ジーンという男は笑顔を忘れぬ男だった。

やがてリアという孤児を引き取り、孫として共に過ごし、新たな生活に生きて行く中でそんな自分の弱さと向き合う事も出来た。
何一つ罪もない子供に憎しみをぶつけようとする自分の弱さを認め、彼もまた大人が守るべき子供なのだと。
守るべき息子なのだと。

震える身体に鞭を打ち、黒服達を睨みつける。
戦う力など持っていない。
罪から逃げ出した男。
それでも、愛しい子供たちを守ることだけは、その誓いだけは違えない。

「…………そんな男、知らん」
「それはおかしい。おかしいですねぇ……あなたが組織から逃げ出した時、サンプルJを連れて行ったことなど分かっているのですよ?」
「知らん。サンプルJなどという者など知らんし、そもそもこの島にそんな男などいない」
「……強情な老いぼれめ」
「もう一度言う。儂はそんな者など知らん。ただ、大切な者を守りたいだけだ」

眼の前で足を震わせながら立つ小さな身体を抱きしめ、もう一人の子供の顔を思い出す。
どこまで能天気で、どこまでも笑顔を絶やさないおかしな子供。
戦う手段を覚え、爺さんを守ってやるんだと頼もしい笑みを浮かべたあの息子。
罪と向き合う機会をくれた、あの、大切な――――。

ヴィルマーはゆっくりと立ち上がり、一歩、黒服たちの前に進み出た。

「儂の大切な者に手を出してくれるな……そちらに、行こう」
「おじいちゃん!?」
「くく……最初からそうしておけばいいのですよ、博士」

苦笑を浮かべ、リアの頭をその無骨な手で何度も撫でた。
惜しむように、愛しむように、優しく撫でた。
すまない。
ヴィルマーは、今はこの場にいない一人の息子に声を届け――――。

「風の刃よ! 全てを切り裂け!」
「なっ……ぐあああ!」

ヴィルマーと対峙していた黒服達の一番後ろ。
大部屋入口に最も近い所に立っていた男が、突如現れた竜巻に切り刻まれながら地面に叩きつけられた。
竜巻を唱えた声はどこまでも届くほどに澄み渡り、なおもその声色に烈火のごとき怒りが込められていた。

「おにいちゃん!」
「……どこの誰かは知らないが、家族に手を出すっていうのなら容赦はしない」

リアの言葉に、低くその意思を露わにしたのは銀色の髪を靡かせる男。
未だ竜巻の余波を受けて靡くその長髪の奥に、深緑の瞳を湛えた一人の息子が立っていた。





◆◆◆◆◆





サンプルJ。
その言葉を聞いた瞬間に、ジーンの頭に雷鳴のような衝撃が走った。
ヴィルマーの危機にこの大広間へと掛け込み、遠くに見えるヴィルマーとリアを視界に収めたその瞬間のことだった。

しばし様子を見ながら絶妙のタイミングで横合いから殴りつけるか、それともまず二人の安全を確保する為に特攻するか。
5人の黒服が背を見せる光景を前にして、ジーンは少しばかりその駆け足の歩を緩めたはずだった。

広間に続く廊下の一角に重ねられた木箱を影にして黒服達の様子を見やる。
ヴィルマーの危機に頭が瞬く間に沸騰したせいか、既にエルク達のことなど気にせず村の真っただ中を突っ走っている。
故に未だジーンの傍にエルクはおらず。
自身の愚かさに唇を噛んだジーンであったが、それと同時上階よりエルク達と思われる足音がかすかに聞こえてきた。

(5人……エルクたちと一緒なら、やれる)

腰にぶら下げた短めの剣の柄に手を掛け、おそらくは碌な話をしていないだろうと予期される黒服達の声に意識を傾けたその時だった。

サンプルJ。

ズキリ。
あからさまなほどに視界がぶれ、こめかみに痛みがはしる。
眼を絞り、苦痛に歪めたジーンの表情には確かな困惑があった。

フラッシュバック。
あるはずの光景が、失ったはずの光景がぶつ切りにその深緑の瞳に映る。
海辺でエルクと話した時と同じ、エルクとの関係がギクシャクし始めたあの時と同じ違和感。喪失感。

(くそっ……何だよ、何なんだってんだよ、これはっ!)

今すぐ叫び声を上げたくなるほどの痛みが、切なさが心を苛ませる。
すぐ目の前では大切な家族が虐げられているのではないのか。
家族を救うために此処へ来たのではないのか。
なのに、何故、こんな、見知らぬ少年と少女の姿が――――。

「ジーン」
「っ! あ、ああ……来てくれたのか」

気がつけば物影で蹲る自分の肩に、心配そうな表情を浮かべたエルクが手を掛けていた。
その後ろには同じく心配そうに顔を歪めたリーザと、黒服達のいる大広間の方に静かに静かに唸り声を上げるパンディット。
既にジーンの頭の痛みは消え去っていた。

「ヴィルマーさんは?」
「あそこだ。黒い服着た奴らもいる」
「あいつら……やっぱり」

どちらにせよ、この人数ならば、エルクと共に剣を振るえるのなら突撃しても構わない。
腰から抜き去った剣と、仄かに魔力を帯び始めたジーこそがその相図だったのだろうか。
凛々しい瞳で敵を射抜き、一つ頷けばリーザとエルクもまた頷いた。

詠唱。

ジーンの放った魔法は、確かに一人の黒服を吹き飛ばしたのだ。





◆◆◆◆◆





「なぁ、じいさん……あいつらは」
「…………」

既に黒服達はエルク達によって速やかに撃退され、その残骸すら灰になって消えていた。
怒りに燃えるジーンの力故か、それとも現れた黒服との関係に力が入るエルクの力故か。
どちらにしてもその人型の身体をモンスターへと変えて襲いかかってきた黒服など、ほとんど彼らの相手にならなかった。
瞬く間に葬ってくれたお陰かヴィルマーにも大した怪我はなく、今は泣きじゃくるリアを抱きしめながら一人俯いていた。

ジーンの問いかけにヴィルマーは沈黙を続けるだけだった。
そして、エルクとリーザの視線にも。
何故ガルアーノの手先である黒服達が此処に居るのか。
誰も彼もがヴィルマーの言葉を待っていた。

「博士。あいつらは……ガルアーノの手下だよな?」
「…………」
「答えてくれ。何故あいつらがアンタを狙っているんだ」

思いがけない所で現れたガルアーノの影。
幸か不幸か。
偶然に不時着したはずの孤島にて見つけたガルアーノへの手掛かり。
エルクの問いかける口調にも力が籠っていた。

「奴らは……キメラ研究所の者たちじゃ」

苦しそうに歯を食いしばりながらも答えたヴィルマーの言葉に、エルクとリーザ――――そしてジーンが目を剥いた。
再び意味不明な光景が過るジーンは、頭を片手で押えながらも後に続くヴィルマーの言葉をひたすらに待つしかない。

この心の痛みは何だ?
この光景は何だ?
この、記憶は何だ?

すでにジーンの表情には常の軽薄そうな笑顔などどこにもなかった。
しかしヴィルマーがポツポツと話していく数多の真実は、エルクにとってもジーンにとっても看過出来ぬ事ばかりだった。

キメラ研究所。
モンスターの力を軍事運用することを前提に発足した、ロマリアの研究機関。
その研究は人としての倫理観など既に崩壊しており、その過程で主となったのは『人とモンスターの合体』という狂気染みたものだった。

人には魔物にない特別な力がある。
精霊に干渉する古い部族の血筋が為せる業。
古来より伝わる鍛錬にて鋼のような肉体と闘争に優れる人種。
伝承に伝わる神とも魔とも言われる御業の数々を行使する人物。

そんな人間特有の異能に眼を付けたキメラ研究所が人間とモンスターの合体に手を出すのは道理であった。
たとえそれが多くの屍を生み、数えきれないほどの悲劇を生みだすとしても。
既にそのようなものを悔いる価値観などこの機関には存在しない。

「ワシは……研究員の一人としてそこにいたんじゃ」
「爺さんが、か?」
「ああ」

まるで懺悔するかのように途切れ途切れに零される真実の中、ジーンの悲しげな声が落ちた。
そんな非道な機関に、自分のかけがえのない育ての親が。
気難しいながらも優しかった自分の親が。
――――キメラ研究所と言う言葉を聞くたびに過る嫌な予感が。
その全てがジーンに影を落としていた。

「だが儂は……そんな研究の非道さに気付き、そして逃げ出したんじゃ」

言いながらヴィルマーはジーンの顔を見つめる。
言うべきか、紡ぐべきか。
既にそのような選択肢など取れなかった。
一度首を横に振ると、決心したかのように未だ戸惑いを見せるジーンに告げた。

「ジーン……お前も、そのキメラ研究所の、白い家に拉致されていた子供の一人だった」
「…………」
「白い家……白い家だと!?」

真実に口を真一文字にしたまま押し黙るジーンに代わって、声を荒げたのはエルクだった。
ヴィルマーの傍に足早に駆け寄り、力強くその老人の肩を掴みながら先を促す。
一つ一つ。点と点が繋がっていく。

「そうだ……白い家……博士! 俺は其処に居たんだ!」
「お主が?」
「ああ。俺だけじゃない……もっとたくさんの子供たちが掴まっていて……ジーン!」

勢いよくエルクが振り返った先。
未だ黙ったままのジーンに今度はエルクが声を荒げた。

「お前だって居たはずなんだ。俺たちは……クドーとミリルもいた!」
「クドー……ミリル……」
「俺は、俺は思い出したぜ……あいつらが、ミリルが待ってる!」

叫ぶエルクの声が徐々に遠くなっていくのをジーンは感じていた。
その闘志を燃やす様に深紅の瞳を輝かせるエルクを前にして、多くの真実を認めようとする自分がいた。
キメラ? 白い家? 記憶喪失の理由? クドー、ミリル?

単語と共にぐるぐると廻る失ったはずの光景。
その光景すらも徐々に黒で埋め尽くされ、意識が遠ざかっていく中、ジーンは懐かしい少年の声を聞いた。





――また皆で笑えるといいな、ジーン――





そのままジーンは意識を手放した。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/29 19:10




インディゴス西にある明りの一つも灯らぬ寂れた街。
立ち並ぶビルの割れた窓ガラス、中途半端にぶら下げられた看板、道路上に何故か散乱しているボロボロの家具。
どれを見ても、この『廃墟の街』と言われる場所に人が住んでいる気配など感じさせないものだった。

街の名前もなく、ただ廃墟などと称される以前は一体どのような街だったのだろうか。
肌寒い風に吹かれながらタイヤの無い車が不法投棄された道路を進めば、肌の泡立つような嫌な気配に晒された。
魔物、と言うわけではないが、碌でもない者共が住みつくには絶好の空気。環境。
指名手配された魔物を追っては、ハンターたちがこの廃墟に来ることも少なくない。

となればガルアーノの部下の部下という輩達もそうなのだろう。
所謂下っ端たちが作戦会議やら連絡の受け取りやらを企むには丁度いい場所ということでもある。
無論ガルアーノ本人やその位に近い幹部がこんな埃と油臭い廃墟に立ち寄るわけもなく。使い捨てにしか過ぎない部下が集まるだけなのだが……。

≪キヒッ、予想はついてんだろォ?≫

頭の悪そうな声が心の中で響いた。
胸にストンと落としてくれるような優しさなど欠片もない、棘だらけのしゃがれた声。
耳に聞くのではなく心で聞くためか、その鬱陶しい声はよく響く。

≪シャンテの歌声にはまるで届かぬな≫
≪ケッ……テメェの涎だらけの口から出る遠吠えよりはマシなんだよ≫
≪…………何だと?≫
≪ほれ、言って見やがれ。ワンワンってなァ≫

貴様、と心のもう一人が叫ぶのは早かった。
心を三つ飼っているとはいえ、所詮それは思念だけの話。
俺の腐った身体の内側で心の持ち主だった輩が牙を剥き、腕を振るう事など出来はしない。
つまりこの小うるさい者共はただキャンキャン騒ぐだけしかできないということ。

同情など欠片も抱いてはいないが、肉体を喰われ、ただ思念だけが残るのは暇で仕方がないのだと思う。
故にこいつらは言葉を連ねるのを止めない。
…………残り一つの心のようにただ黙ることもできはしないのだろうか。

事あるごとに戯言を吐く心。
俺の行動に様々な感情を浮かべ思案する心。
ただ佇む心。

どれもこれも唾棄すべき者共だというのに、その個性ははっきりと確立している。
俺の力。
俺の餌。

≪で、だ。大将。部下が次々消えてるってのは此処でいいのかい?≫

おそらくはこめかみ辺りを震わせながら牙を剥いているだろう心の一つを無視し、汚い声がつまらなさそうに話しかけてくる。
事の次第はこうだ。
女神像の式典を終えた数日後から、この廃墟の一角をアジトにしていた部下の数人が消息を絶ち始めたのだ。

まるで影に引き摺られるようにして一人、また一人と部下達が人数を減らし、つい先日にその全てが何処かへと忽然と消えたのだ。
おそらくは何者かによって殺されたのだというのは想像に難くない。
だがその遺体や戦闘の跡すら残さないというのが不気味だ。

≪魔に属するものが、影より伸ばされた手に怯えるとは情けない≫
≪同感だァな。うちの大将みたく根性の一つでも見せねェもんかね≫
≪…………≫

それこそ同感ではある。
この異変そのものに恐慌する部下も少なくなく、仕方なくこの俺が担当することになったのだが、ほとほと呆れざるを得ない。
常では力の弱い人間を痛ぶり嘲笑っている輩が、このような状況になるとすぐに顔を青ざめるなどと。

≪強く、強く、そして弱く≫

わけのわからないもう一つの心の言葉は無視することにした。
こんなものに頭を捻っても意味はない。
都合のいいように受け取るだけだ。

相も変わらず寒々とした風の止まない路地裏通りを、外套をはためかせながら先へ進む。
部下達がアジトとしていた小さ雑居ビルはこの道の先。
どこからともなく奇襲をかけられそうな、死角だらけのごちゃごちゃとした道に自然と視線が彷徨うが、特に問題はない。
もし奇襲され、凶刃が俺の首元を通っていったとしても――――。

詮無い懸念だ。





◆◆◆◆◆





直に辿り着いたアジトに変化はないかと調べてみたが、特に変わったところは見られなかった。
連絡を取り合うための無線機。
キメラ強化されている部下達の体調を整えるための医薬品。
机の上に乱雑に置かれた偽物の指令書と、多くの暗号が立ち並ぶパソコン、機械類。
アジト、というには異存ない設備と備品がごちゃごちゃと散乱する部屋の一角で俺は首を捻った。

部下達が消息を絶ったのはこのアジト近辺に違いない。
キメラ処理をされた兵には例外なく自らの居場所を組織に知らせる発信機が埋め込まれており、その消失が今回の問題を提起する証拠にもなったはずだ。
故にこのアジトに何者かが押し入り、部下達を殲滅されたというのが予想されていた顛末なのだが……。

強盗ではない。そも、そんな輩にやられるほどにキメラというのは弱くない。
確かこの廃墟周辺に現れた手強い魔物……指名手配されたのは、『リーランド』だったか?
いや、確か奴は少し前にキメラプロジェクトの被験者となり……。
ああ、そうか。エルクに倒されたのだったな。

どちらにせよ偶発的な侵入者にやられたという線は薄い。
だとしてもアジト内に荒らされた形跡がないと言う事実が、計画された襲撃であるという線を薄れさせる。
そもそも偽物とはいえ、指令書に手を出した形跡が全くないというのも……。

刹那。

ミシリと何処からともなく床を踏みしめる音が聞こえた瞬間に身体を仰け反らせた。
手にしていた薄汚れた指令書が宙に舞い、黒色の影は俺の上半身があった場所を唸り声と共に通り過ぎて行く。

どこに隠れていたのか。
奇襲そのものとも言える攻撃を紙一重でかわした俺は、そのままバク転を二度ほど繰り返して襲撃者との間合いを取った。

≪ヒュウッ! サーカスでも食っていけるぜ、大将ォ≫

襲撃者にではなく、相も変わらず軽口を止めない此処の一つに舌打ちを一つ。
光源の少ない薄暗がりの中で相対した襲撃者は、俺の予測と違わぬ人物であった。

身体を影に紛れる黒装束で多い、銀色の短髪を怪しく揺らめかせながら鋭い瞳を此方に向ける男。
背中に見える重装備を背負いながらも放ってくる体術に、無意識ながらに舌を巻いた。
そのどれもがただの人間が出せる動作ではない。

「…………」
「…………」

既に俺はバク転と同時に一本のナイフを胸元から抜き去っており、その襲撃者は未だ無手のまま。
といっても彼のことだ。
そのうち何処からともなくマシンガンを取り出したり、いつのまにやら時限爆弾をセットされていてもおかしくはないだろう。

「……血溜まり」

一体どこからその情報を得たのか。
『血溜まり』という名を轟かせるために色々と動き回ったが、そのどれもに俺の容姿を直結させる情報など漏らした覚えはない。
その証拠に未だハンターズギルドの手配書も真っ黒なままだったはずだ。

なのにこの男は、ハンターとして一流であると知られるこの男は即座に俺の正体を見破った。
これでは俺がガルアーノの右腕として動いているということもばれているのではないかと――――自然と、顔に笑みが零れた。

「何がおかしい」
「……クッ、いや、な」

シュウよ。
ここであなたが俺に追いついたというのは、僥倖以外の何物でもない。
そろそろあなたと個人的に接触を図りたいと思っていた頃だったのだから。

「ハンター、シュウ」
「…………」
「どこまで知っている?」
「言うとでも思うのか」

思ってはいない。
物語で語られる勇者の中でも、ひと際シビアな考えで知られるこの男に、柔な交渉など通るはずもない。
そして殺戮ばかりに慣れていたこの俺が、そんな交渉事に長けているわけでもない。

本当ならば味方の一人でも作りたい。
だがしない。
今更意味不明な真実を羅列して、物語に軋みを作る意味などない。

シュウよ。
あなたは正義の味方で、勇者で。
そして俺は悪で、敵でいい。

にやついていた笑みを止め、真正面にナイフを構える。
それが合図であるかのように、俺たちは互いの腕を振り下ろした。





◆◆◆◆◆





所詮知識だけの話ではあるが、シュウが刃物や鈍器の類を得意とする様な人間ではないというのは分かっていた。
いや、ロマリアの特殊部隊にいたなどという過去が本当であれば、そういった武器類に関する扱いも慣れているという可能性はあるのだろう。
しかし彼が好むのは手甲や具足のような、超接近戦に流用できる格闘武器のようなもの。
現に俺のナイフを受け止めたのは黒装束と同じく、真っ黒に塗り固められた鉄製の小手であった。

特に力を入れたわけではないが、そのような武具に何度も小ぶりなナイフで切りつけるという選択肢は取れない。
相手の防御をすり抜ける様にして切り付けねば、いくら5本の余裕があったとしても手持ちのナイフが全て駄目になってしまう。
……そんな攻撃が彼に通用するとはまるで思えないが。

小手に受けたナイフを受け流す様に身体を半回転させたシュウが放ってきたのは回し蹴り。
拮抗していた力をそのまま利用する形でこちらの体勢を崩し、尚も強力な一撃を放ってくる。
先ほど俺を奇襲してきたときに放った攻撃の正体はこれか。
瞬時に屈むことで頭のすぐ上を通ったその蹴りは、頭そのものをふっ飛ばさんまでの速さと重さを持っていた。

≪うへぇ……こいつが人間だって言うんだからおっかねェ≫

次の攻撃行動に移り始めていたシュウの身軽さと、戦闘中だというのに黙らない心の声の両方に眉を顰める。
当たり前の話ではあるのだが、シュウは俺に対して手加減というものが見られない。
もし俺をただ殺すという目的で襲いかかってきたというのなら……なんだかシュウの目的がよく見えない。

ガルアーノの手下を殺し、やがて来る幹部レベルから情報を取り出すべく動いているのかと最初は思っていた。
しかし彼の苛烈な攻撃は情報を手に入れるために半殺しにするというよりは、即座に抹殺することを目的にしたようなもの。
……ひょっとすれば『血溜まり』である俺も、所詮下っ端と思われているのだろうか。

≪主よ。たかが人間の生を脅かす殺人鬼程度の者が、闇に潜む大物にはなり得まい≫
≪ま、確かに大将の賞金もまだ大したことねェしなァ。2000ちょっとだったか≫

相手は俺を本気で殺しに来る一流のハンター。
しかし俺に彼を殺すと言う選択肢など取れず、双方共に致命傷を負わないままに調整しなければならない。
シュウ相手にそんな難易度の高いことなど、骨の折れるというレベルではない。

それこそ、命を掛けねばならないくらいに。

シュウが此方の首筋を狙い、放ってきた手刀をギリギリの速さで腕を差し出し、受ける。
ただ包帯で包まれているだけの素肌に近い俺の腕は、嫌な音を立てながらギシリと歪んだ。
この身もある程度の強化を受けているというのに、防御力という点では何一つ安心出来る要素が存在しない。
そもそも俺は真っ向から切り合う肉弾戦の魔物よりも、影に紛れて奇襲離脱を繰り返す暗殺型の個体だ。

故に身に纏う装備も最低限。
大立ち回りをするための大剣やシュウのような重火器など有していない。
――――故に、魔法というモノが俺にはあるのだが。

≪主の魔法は、手加減や軽傷を望めるようなものではない≫

既に分かり切ったことをしたり顔で言う心の一つに頭が沸騰しかけた。
いや、確かに手加減という意味で使用出来る『ポイズンウィンド』もあるのだが、それを使用した後に毒に犯されたシュウをどうするのだ。
わざわざ解毒剤を用意する理由が思いつかない。

「シッ!」

低くしなる様な声と共にナイフを一つシュウ目がけて投擲するも、忍者のように分身を伴いながら避けられる。
魔物の中に存在する『ニンジャ』と彼の間に一体どんな関係性があるのやら。
手加減などというハンデを背負いながらシュウを圧倒せねばならないという現状に、徐々に俺はため息すら吐くまでにうんざりとしていた。

そんな俺の態度を疑問に思ったのか、やがてシュウは此方への警戒を解かぬままに口を開いた。
隠密行動故か、彼の口元は装束によって隠されていたが。

「解せん」
「……何がだ」
「何故貴様は手を抜いている。何故俺を生かそうとする」

さすがにばれるか、などと内心で頭を振る。
ただ生かそうとするだけなら、生け捕りにして何やらよからぬことをするという確信を取れるだろう。
しかし俺のそれはもはや手加減という話ではない。

シュウの攻撃を余裕なく交わし、元々掠りもしない攻撃にさらに手心を加え……そもそも殺気すらない。
滑稽なまでにその実力と目的が合致しない様に、シュウが疑問を抱かないはずがなかった。
そして何より。

「毒を以って対象をバラバラに殺害するという貴様の手口に合う戦い方ではない」
「殺した後にバラバラにする。そういうこともあるかもしれない」
「ほざけ。そも、ただの殺人鬼が何故このアジトに関わる。貴様も……」
「…………」

ああ、成程。
別に奇襲でも何でもなく、シュウもまたこのアジトの様子を見に来ただけだったのか。
つまり、偶然に俺と彼が鉢合わせしてしまい、そのまま戦闘に移っただけ。
となれば何故俺を『血溜まり』と知っているのかが疑問だが…………。

どうでもいいか。
シュウが此方に対する情報を多くは持っていないというのが好都合。
これならば多少なりとも俺の思う通りに物語を動かすことが出来る。

既に骨が砕け、ただぶらぶらと揺れるだけだった右腕など眼中になく、浮かんできてしまいそうな笑みを抑えることで俺は必死だった。
おそらくシュウはエルクの所在についても未だ情報を得てはいないだろう。
今はエルクの帰還を信じ、自分に出来ることをただしているだけといった所か。

「シャンテ。白い家。キメラ」
「……?」
「ハンター、シュウ。お前が調べねばならないことはそんなところだ」
「どういう意味だ」

こちらの言葉に眼を細めたシュウ。
じり、と間合いを測る様に構え、すぐに飛びかかってきそうなままに此方を睨む。
論点をずらせ、隙を作れ。

「直にエルクが戻ってくる」
「何だと!?」
「この地で踊るのもあと僅か。かの地で救済が為されることになるだろう」

少しばかり、『台詞』を言うことに高揚した。
この世の流れを裏から全て操っていると勘違いするかのような、全てを掌に握っている様な優越感。
隙なく殺気を纏わせていただけだったシュウの顔に困惑が浮かんだ瞬間、何もかもが成功している様な錯覚を覚えた。

――――もう、俺は、どうしようもないほどに狂っている。

そんな感覚を覚えれば、俺の中にいる心たちが一斉に笑いだした。
言葉の少ないこいつも、いつもは冷静を気取るこいつも、常と変らぬこいつも嗤い出す。
揃って俺も嗤ってしまいたい衝動に駆られた。

駄目だ、嗤うな。
まだ嗤ってはいけない。

「……B-2棟。042号室。パスコード『アークザラッド』」
「……何?」
「覚えておけ。ただ覚えておくだけでいい。何よりも、エルクのためにな」

託さねばならない言葉を、伝える。
詳しいことなど話す必要はない。
これだけを言えば、頭のよいシュウならば適当に理解して答えに辿りついてくれるだろう。

ただ戸惑いのままに隙だらけの身を晒すシュウを一度見やり、俺の背後にあった窓より即座に身を投げ出す。
こちらを呼びとめる様な怒鳴り声と共に、幾つもの弾丸が風切り音を鳴らしながら俺の身体を通って行った。
被弾したのは胸か、腕か、足か。

≪人間だったら死んでるな、これ≫

いかにも自分が痛そうに顔を顰める心を放り、少ない血を流しながらひたすら走る。
点々と廃墟の街に垂れ流す血はそのうち止まり、俺の身にあった幾つもの傷も、折れたはずの腕もすでに元通りになっていた。

便利な身体。

全てをねじ伏せ、全てを屠る力すら持てなかった。
だが選択肢は多かった。

真っ向から叩き潰すか。
魔の御業に身体を浸すか。
獣の如く四肢を得るか。

そのどれもが使いこなせるとは思えなかった。
そもそも元の俺は戦いのない世界で生きた軟弱者。
戦いという世界に放り込まれれば即座に腰が引ける。
すぐに捻り潰される。

故に、選んだ。

再生能力。
不死性。
アンデッド。

それに特化した存在が『血溜まりのクドー』。
多くの魔を、人を喰らい、命を蓄え、何度でも這い上がる。
出生の特殊性から、何体もの魔物と合体する術を得た固体。

数え切れぬほどの魔を取り込み、おぼつかない汎用性と絶対的な不死性を誇る個体。
故に――――。

間に合えばいい。
ただ救済の時まで、間に合えばいいのだ。






[22833] 十一
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/12/07 23:43


ジーンが意識を失ってその場に倒れ伏した時より数刻後。
瞳を閉じたまま魘されるジーンをベッドに眠らせ、それを囲むようにしてエルク達は沈黙を保っていた。
隣のベッドでは黒服達の襲撃で心身を疲弊させていたリアも寝息を立てている。
二人の子供を眺めていたヴィルマーも、一つ安心したようにして息を吐いた。

とりあえず一人の怪我人も出さずに事を収めたものの、未だ多くの疑問が残っている。
いや、疑問と言うよりは問題だろうか。
ジーンの出生、過去。
ヴィルマーが隠していたキメラ研究所との関係。
完全に思い出したエルクの記憶。

そして、これから。

考えなければならないことなど無数にあった。
そんな多くの問題に思案していたのかしていないのか。
ただ黙ったまま虚空を眺めていたエルクが独り言を呟くように口を開いた。

「白い家では……いつも4人で一緒にいた」
「?」
「俺と、ミリルと、ジーンと、クドーと……みんなガキだった」

首を傾げたリーザとただ視線を向けただけのヴィルマー。
エルクは照れくさいのか頬を指で掻きながらも、まだまだ子供だった頃の記憶を語り始めた。
懐かしさに少しだけ声も柔らかに。

「ミリルはお節介だし、ジーンは生意気だし、クドーはなんか根暗だし……」
「でも、仲がよかったんでしょ?」
「わけのわかんねぇ場所だったけど、あいつらと居る時は本当に楽しかった」

エルクが思い出したのはどの場面だったのか。
一度首を横に振ると、エルクは眠っているジーンの顔を見つめ、しばし言葉を失った。
いや、その表情は怒りに満ちていた。

「そんな中、俺とミリルは……仲間の子供たちがモンスターに変えられる所を、覗いちまったんだ」
「子供を……モンスターに」
「…………」

そのおぞましい事実に身体を震わせたリーザに、足元にいたパンディットが安心させるようにその身体を押し付ける。
ヴィルマーは苦虫を噛み潰したように顔を歪めたまま、無言で掛けていた老眼鏡を上げた。

「まだまだガキだった俺達は動転して、すぐに逃げようって話になったんだ。ジーンとクドーも連れて」
「…………」
「でも隠れてた俺達はすぐにばれて、ジーン達を連れる余裕もなく……俺を逃がすためにミリルも囮になって」

気付けばエルクは無意識のままに固く拳を握りしめていた。
肩を震わせたまま俯き、自分だけ助かってしまったことに自分自身に怒りを抱いていた。
助かっておきながら、今の今まで記憶を失いのうのうと生き続け。
しばし後悔に身を震わせ、強く強く歯を食いしばる。
次に顔を上げた時、エルクの顔にはただ一つの決意が浮かんでいた。

「博士。俺は白い家に行かなくちゃならねぇ。まだあそこには助けを待っている奴らがいる」
「…………」
「ジーンを助けてくれたことには感謝する。過去を忘れていたいのも分かる」
「…………ワシは」
「だけどっ! 俺は、もう……逃げてらんねぇんだ」

既にその瞳に後悔はなく。
既にその瞳には深紅の炎が燃え上がり。
これを勇気と呼ぶのだろうか。
彼を勇者と呼ぶのだろうか。

「教えてくれ。白い家ってのは何処にあるんだ?」
「…………」
「博士っ!」

一度ジーンの方をちらりと見たヴィルマーは肩を落としたまま、エルクの声に応え始めた。

「西アルディアの何処か。移転してなければ今もその場所は変わらないじゃろう」
「西アルディア……」
「ただ詳しくはワシも知らん。もっと詳細を得るためには」
「ガルアーノの野郎に直接聞けってわけだな!?」

両手の拳をガシリと叩き合わせたエルクは、ようやく道が開けたと獰猛な笑みを浮かべた。
その様に思案した面持ちで黙り込むヴィルマー。
リーザもエルク同様目的の輪郭がはっきりしてきたことに喜ぶが、どことなくヴィルマーの態度に違和感のようなものを感じていた。
まだ何か、隠しているような、そんなものを。

「ヴィルマーさん……その、まだ何か?」
「ジーンのことだがな……こいつが記憶を戻したら、おそらくは」
「ジーンがどうかしたのか?」
「お主らについていくだろう。友を助けようとするだろう。そういう奴じゃ」

魘され、少しばかり息苦しそうにしていたジーンもようやく落ち着いたのか。
リアと同じように胸を上下させながら安らかな寝息を立てている。
ヴィルマーはそのゴツゴツとした手で、ジーンの頭をクシャリと撫でた。

「正直な話……ジーンはとある人物から託された子供なんじゃ」
「とある、人物?」
「クドーじゃよ」
「クドー……って、どういうことだよ!?」

唐突に明かされた事実にエルクは声を荒げてしまった。
当然の如く眠りついていたリアはぐずり、今にも起きてきてしまいそうに身体を捩らせた。
しかしエルクの驚きも当然であり、リーザもまた話の要領がつかずに首を傾げていた。

「えと、クドーくんって、エルクと同じ白い家に入れられてた子供じゃないんですか?」
「リーザの言う通りだ。あいつは俺達と同じ子供で……どうやってあいつが博士に」
「どこから嗅ぎつけたのか知らんが機関から逃げ出そうとするワシに、眠ったままのジーンを押し付けてきたのが、あやつだった」
「……どういうことだ?」

未だ子供で、研究員であるヴィルマーに近づく術もないはずで、そもそもジーンを連れてくる過程も不明。
エルクには何が何だか、一体クドーが何をしているのか分からなくなっていた。

「ワシが白い家に派遣されてきたのは、おそらくお主が脱走した後なのじゃろう。必要以上に施設の警備が厳重にされておった」
「それは……そうかもしれないけどよ」
「ミリルという存在も直接関わることはなかったが知っておる。無論クドーという男も」
「じゃ、じゃあ、クドーは何してたんだ?」

既にエルクに冷静さなど欠片もなかった。
縋る様にしてヴィルマーに詰め寄り、早く先を話せと急かす。
ただその態度と裏腹に、ヴィルマーはただひたすらに悲しそうな眼を浮かべていた。

「ガルアーノ直属キメラ部隊所属。個体名『プロト』」
「…………あ?」
「いや、そもそも彼はキメラじゃない。彼はもっと別の……」
「……ふざけんなよっ!!」

ただ悲鳴にも似たエルクの怒号が響き渡るだけだった。





◆◆◆◆◆





遠い記憶。





暗がりの中に居た俺は、ただひたすらに現状を理解することに躍起になっていた。
前世か。憑依か。転生か。転移か。
ありとあらゆる可能性に思いを馳せ、そして諦めた。

身に覚えのない部屋。
身に覚えのない身体。
身に覚えのない他人。

ここが俺の知る物語の世界と知ったのはいつだったか。
研究員が俺に向ける視線の歪さに気付いたからか。
申し訳程度に渡される絵本の内容を曲解した時か。
そこらに散らばる単語が俺の知識に引っ掛かった時か。

どちらにせよ、死にたいと思ったのは早かった。

元々俺が入れられていた部屋は、多くの子供たちを遊ばせるような大きなものではなかった。
むしろ何処となく牢屋を思わせる様な簡素すぎて味気ない部屋。
ベッドと、机と、あとは――――あまり覚えていない。

ただこの世界における『俺』という存在は、研究員のそれらから見ても歓迎されないものだと理解した。
食事を運んでくる係員と言葉を交わすこともなく、定刻に合わせて検査に来る白衣の男の態度もそっけない。
孤独。
この施設で行われるであろう惨たらしい実験よりも、そんなことに心を削っていた気がする。

やがてある程度の時を無駄に過ごし、係員に連れられていったのはあの知識にあった大きな部屋であった。
そこでようやくにして俺は、本来の物語の流れよりも早くに存在しているのだと察した。
次々に部屋に入ってくる虚ろな目をした子供達。
誰も彼もが記憶を失い、そして研究員に名前で呼ばれることはない者達だった。

俺は知っていた。子供達の大まかな立場を。
君たちは強い力を持っていて、悪者に攫われて、記憶を消されて、直にモンスターに変えられてしまう実験体なんだよ。
未だ俺という存在がキメラプロジェクトにとってどういう立ち位置にいるのか理解出来なかったが、子供たちの中で最古の者だということは理解できていた。

自然と、頼られることになった。
絵本の朗読。描かれた絵を褒める。転んで泣いた者を宥める。
それが続いたのは一週間か、それとも一カ月か。

それだけで『孤独』というものを克服したのだろう。
既に俺は新たな贅沢に味をしめ、何故こんなことになったのだと今更に現状を恨み始めた。

子供の世話なぞしていられない。
このままじゃキメラにされる。
誰か俺を助けろ。
……何故転生?

転生云々の不満が最後に来てしまう自分に、失笑する時もあった。
無論その全てを解決することの出来る手段というものも存在する。
すなわち、自殺。
食事の時に渡されるフォーク辺りを首に突き刺せば、おそらくは死ねるだろう。

だがやらない。
だって、あんな尖ったものを首に刺すなんて、怖いじゃないか。
血は出るだろうし、即死出来ないから痛いだろうし、そもそも死ねるかどうかも微妙だし。

――――俺は未だ、平和な世界に生きていた人間のままだった。

鬱鬱とした中でしばらく無意味なままに生きてきた俺は、ある日、唐突にして思いついた。
物語にあった勇者たちの話。
おそらくはもう少し時が経てばこの施設に連れられてくるだろう子供達のことだった。

エルク。ジーン。ミリル。
どのような過程で白い家に運ばれてくるのかなど知らないが彼らは来る。
前世で得ていた知識通りになるかなど分かったものではないのに、俺はとにかく彼らの来訪を盲信した。

そして彼らは来た。
俺は一体どれだけ喜んだことだろう。
どれだけ狂喜したことだろう。

彼らと共に居れば、エルクと仲良くなれれば、エルクと共にいれば――――。
やがてこの忌まわしき施設から逃れられるチャンスが来る。
人間のままで、辛いかもしれないけど、この世界で生きることが出来る。

まずは身の安全を。
おそらくは不可能かもしれないけど元の世界に戻る方法を気ままに探すのもいいかも。
どこが一番平和だろうか。
やはりエルクというキャラクターに半ば寄生する形で生きるのも。
いや、そうなれば物語に巻き込まれる可能性が……。





――――未だ俺は、プロトと呼ばれることに疑問はなかった。





◆◆◆◆◆





エルク。
ジーン。
ミリル。
そして俺。

俺達が白い家で過した時間はそう多くない。
互いに同じような悲劇を有したまま、笑顔を失くさないように日々を過ごしただけ。

時に喧嘩をするジーンとエルクを俺が窘め、それを聞きつけたミリルが頬を膨らませて怒る。
眠れないと駄々を捏ねるミリルに俺が絵本を読み、それを悔しく思うエルクが文字を習い、それをジーンがニヤニヤ笑う。
ミリルのことをエルクが好いているという事実をジーンが察し、それに俺が苦笑し、エルクが顔を赤くし、ミリルが首を傾げる。

仲の良い、4人だった。
しかしその友情は、俺にとってただの手段に過ぎなかった。

自分が救われるため。
自分の安全を確保するため。
生き延びるため。

前世からの経験で嘘をつくことには慣れていたこともあってか、彼ら3人の中に紛れ込むのは容易いことだった。
子供という生き物の鬱陶しさに我慢しながらも表で暗い笑顔を振りまき、ただひたすらに運命の日を待ち続ける。
子供たちの純粋な優しさに時折胸が締め付けられるようなことがあっても、俺の目的は変わらなかった。

未だクドーと名乗らず、プロトと名乗っていた頃の話。
与えられた不可解な名前を名乗ることに疑問がなかった頃の話。

俺は、とある研究員から真実を告げられた。

その真実は、俺が目を背けていた様々なことが叩きつけられる、全ての『答え』だった。
何故俺はプロトと呼ばれる。
何故俺は初期の頃から此処に居る。
俺も何かしらの異能を持った一人なのか。

アイデンティティの消滅。
根本の崩壊。
そして、開き直るきっかけでもあったのだろう。

既にエルク達を踏み台に生きることなど眼中から消え失せた。
その結果、ただ何もかも失った俺をヒトとして繋ぐものが、エルク達と紡いだ偽りの友情しかないのだと気付いた。
あまりに皮肉な、そして笑える事実。

それと同時に怒りを覚えた。
ただ一つ執着出来る彼らとの友情が、そう遠くない未来、エルクを残して完全に破壊されるのだということに。
キメラとして改造されるジーン、ミリル。
しかも二人揃ってエルクの前で非業の死を遂げると来た。

それで?
傷つきながらもエルクは立ち直って?
結局生き残ったのはエルクだけで?

ああ、ふざけている。
全くもってこの世界は、物語はふざけている。

世界の危機。
死んでいく人々。
破壊されていく環境、精霊。

そんなものどうだっていい。
ただ唯一、俺が執着出来る存在が死に行く運命など、認められるわけがない。

ジーンをヴィルマーに託したのも、別にジーンのためではない。
ミリルが救われるように動くのも、別にミリルのためではない。
エルクに救う機会を与えることも、別にエルクのためではない。

その全ては、俺がクドーとして、何かを成し遂げられたという結果を得るためのもの。

ただひたすら自分の願いのために、欲望のためだけに動く。
成程。
確かに俺は、光ある世界に生きる人間ではなく、闇に生きる魔物なのだろう。



魔物。



何のことはない。
俺とは、プロトとは。
キメラプロジェクトの前身として行われた研究で生み出された――――。

人間の女性に産ませた魔物の子だった。

単純でより力のある『合体』という手段が主流になるより前。
魔と人の混血を生み出すという実験で生まれた半人半魔。
多くの犠牲者と廃棄される胎児の中で唯一生き残った存在。

それがプロト。
故にプロト。

――――認めない。
あんな醜悪な存在と俺が同義などと。
ただ誰かを傷つけることしか脳のない、闇に蠢く者などと。

故に俺は求む。

人間である証として、ただ一つこの世界で作り上げた偽りのモノを。
迷う必要などない、甘ったるく、分かりやすい友情を。
他の何を犠牲にしてでも、あの子供達と紡いだ縁を守り抜いてやる。

ただ俺が人間だと思いこむためだけに。

人間であるが故に、何一つ生死の境を彷徨う世界に生きていなかった故に狂っていく俺の心。
人間である証を望む。人間『らしい』心を、縁を。
しかしそれを望めば望むほどに俺は生き残る術として魔を取り込み、人を殺し、世界を操ろうと画策する。
ヒトを、離れていく。

矛盾。

ただコントローラーを握り、この世界の行く末に一喜一憂していた俺はどのくらい残っているのだろうか。
いつ俺は、俺でなくなるのだろうか。
もはや親の名など覚えていない。前の世界にあったであろう友人たちの声など覚えていない。

エルク。
ジーン。
ミリル。

絶対に死なせはしない。
死んでも、守ってやる。
軽々しく死ぬなどと、この俺が許さない。






[22833] 十二
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/12/04 17:31




「どういうことよ!」

相も変わらず謀を企むにはうってつけの廃屋内で、その寂れた場所に似合わぬ青いドレスに身を包んだ美女が声を荒げた。
俺への怒りを隠すことなく、目の前に申し訳程度に存在しているテーブルを力強く叩きつける。
眼に宿るのは憤怒。常は妖艶であるだろう整った顔を歪ませる様は、否が応でもその感情を思い知らせた。

罪悪感があるかどうかすら、俺にはもう分からない。
そこに疑問を抱くことが出来るから、ひょっとすれば俺はまだ人間で居られているのかもしれない。
詮無い思考だ。

「私はっ、私は言われた通りにエルク達をっ……」
「そこに疑問を挟む余地はない。が、いつ私がすぐさま弟を解放すると約束した?」
「なっ……」
「勘違いするな。お前の要望を受ける義理などこちらにない。お前は、命知らずにもガルアーノ様の周りを嗅ぎ回った排除される者でしかない」

善などそこにはない。
俺の言葉は一字一句違わず悪が語るもので、それでも折れずに言葉を連ねようとするシャンテとの差に無意識に失笑が漏れた。
詫びも、贖罪も、裁きも、俺は求めていない。

「だが次の命令をこなせるならばあるいは」
「くっ……約束しなさい。それをこなせばアルを返してくれると」
「何度言わせるつもりだ。お前にそんな権利など……いや、権利はあるのか?」
「何ですって?」
「正当性も、権利もお前にはある。だが私達はそれを理解せぬ集団なだけだ」
「…………外道」

――――さて、もはやそんな言葉に心を迷わせるのにも飽いた。
その殺意を俺に向けるシャンテに今回の命令を事細かに説明する。
無論、その流れは本来の物語の流れを踏襲する形ではあるのだが。

ガルアーノの企みに合わせる形で彼らを誘導するには、少々のアレンジが必要だろう。
本来であればキメラ化したジーンが現れ、シャンテによってエルク達はガルアーノの館に誘われる。
無論ガルアーノなど居るわけもなく、その場でジーンが死に、贖罪と復讐にためにシャンテが勇者の一人となる。

随分と阿呆な話だ。
そもそもあの流れにおけるガルアーノの行動は、全てエルク達に対する執拗な嫌がらせによる様なものに過ぎない。
友と友を戦わせ、一人の女を道化にし、その舞台を眺める醜悪な客。
不安や絶望を煽り、闇に落そうとするその所業は闇に蠢くものに違いないとはいえ、そんなものに愉悦を求めるのは下の下、三流のすることだろう。

どちらにせよ、そんなくだらぬ趣向があるために俺が付け入る隙があるというもの。
ガルアーノの目的は、エルク達を白い家に誘き寄せること。
先日における献策にて、決戦の地へと役者を集める道を繋げることには成功している。
すなわち、こんな場所で余計な劇などおっぱじめる意味などない。
さっさとエルク達に手紙の一つでも寄こして白い家の場所でも教えてやればいいのだ。

≪つまんねェ。つまんねェぞ大将≫

心の言葉は無視。そもそも面白い面白くないで俺が動いているわけではない。
しかしある程度の舞台を整えねばならないという懸念はある。
シャンテがエルク達と共に進まねばならないという本来の流れがあるから。

白い家へと続く西アルディアのサルバ砂漠か、それともかえらずの森か。
そこを突破して白い家に来るとしても、研究所内で待ち受けるモンスターやキメラを撃退するには彼女の力がエルク達には不可欠だろう。

ガルアーノを筆頭とする下らない魔物たちの眼には止まらないであろう彼女の力。
傷を治し、魂を浄化させ、犠牲の名の下に行われる癒しの力。
その異能の方向性故にガルアーノの眼に止まらなかったシャンテ。
闇ではなく光に生きる彼女であるからこそ、エルク達にとってその存在は大きな力になるだろう。

「故に……」
「……?」
「いや、何でもない」

俺から発せられる命令を待ち、表に出ていた怒りを腹の底に収めつつあったシャンテは、俺の言葉に怪訝そうに首を傾げた。
暗がりの中でもその妙齢の美女たる美しさは損なわれない。
蝋台の光によってぼんやりと照らされるその顔に、動きに、どこかしら抱擁感を思わせる母たる影を見せるのは幻覚か。
――――これほど憎しみの瞳を向けられているというのに。

≪彼女もまた≫

ああ、分かっている。





◆◆◆◆◆





鉄を叩くような小気味よい金属音が響き渡る様に続いていく。
時に何かを削る様な音と共に鳴る、火花が散るような弾ける音。
ヒエンの修理という行程において響くこれらの音は、上階で眠るジーンやリアにとっては少々鬱陶しすぎるものであった。

といってもそんな喧しい音を度々研究のために立ててしまうヴィルマーの下で暮らす彼らには、ある程度慣れている節があった。
現にリアは未だベッドの中でクマのぬいぐるみを抱きしめながらも口元から涎を垂らしている。
黒服達の来襲という恐怖を味わっているにも拘らず、その寝顔は中々に図太いものを感じさせるのかもしれない。

無論ジーンも、とは言いたいところであったが、今現在彼は修理に汗水を流すヴィルマーを眺めながら、ぼんやりと作業机の上に腰かけていた。
ヒエンの置かれる大部屋に響く音など気にも留めず、その視線は、意識は全く違う世界に飛んでいるようにも見える。
心此処に在らず。
その隣では、ヴィルマーがヒエンの修理のために拵えた設計図とにらめっこをしながらエルクがうんうんと唸っていた。

「これでも持ち主のつもりだったんだが……さっぱりわかんねーな」

ヒエンを駆り、その操縦方法を習ってからそれなりに乗りこなしてきたはずの愛機が描かれた設計図。
所々のパーツやら何やらはなんとか理解出来ても、ヴィルマーが描いたその設計図をエルクが理解することは出来なかった。
ヴィルマーが天才なのか。それともエルクがあれなのか。

眉を顰めながら設計図と睨みあうことを諦めたエルク。
彼がヴィルマーの方に視線を向ければ、リーザが差し入れと称してサンドイッチやらコーヒーやらを手渡していた。
苦笑しつつもそれに被りつくヴィルマー。
随分とこの島に来た時に抱いた第一印象とはまるで違っている。
エルクはその姿にどことなくヒエンの世話を任せているビビガのことを重ねた。

「博士も機械オタクとかいうんじゃねーだろーなぁ?」
「…………」
「なぁ、ジーン」
「……ああ、そうだな」

別に応えなくてもいい、何でもない話のはずだった。
そのまま無視されてもそれでいいし、いつものように軽口を叩かれてもエルクに怒る気などなかった。
既に互いに消失していた記憶は戻り、空白だった5年の月日を埋める様にして言葉を交わすことだって望めたはずだった。

自分の話を聞いているのか、聞いていないのか。
生返事を返すジーンに、エルクは開きかけた口を真一文字に閉じ、再び修理作業へと戻ったヴィルマーに視線を戻した。
互いに向ける視線の先は同じだと言うのに、二人が見ているモノはまるで違う。
ただエルクに出来ることは待つことだけだった。

「…………」
「…………」

沈黙。相も変わらず沈黙。
心此処に在らずとは言うものの、ジーンの深緑の瞳には虚ろなものも失意のものも浮かんではいなかった。
ただそこにあったのは、戸惑い。
そして決意を逸らせるような焦り。

既に記憶を取り戻したジーンではあるが、彼にはこのまま島でのんびりとエルクの動向に祈りを捧げるという選択肢など存在しなかった。
幸か不幸か自分にはエルクと共に闘う力があり、救うべき縁があり、それらに負けない強固な意志すらも存在した。
ぼんやりとしている暇などない。
今すぐにヒエンの修理を手伝い、そのままアルディアに乗りこんでガルアーノの顔面に剣を叩きこんでやってもいいほどだった。

しかし、空白の5年は長過ぎた。

エルクのように戦いという血生臭いものに近い生活を常とするハンターとして生きたのではない。
平和な島の、優しい家族の下、充実した生活を堪能してきた。
しかし自分の失った過去は、この長閑な島に似合わぬ壮絶なものであり――――。

(俺は……戦えるのか?)

実力に疑問を抱くものなどいないはずだった。
エルクも、リーザも、そしてパンディットも既に仲間だと認めてくれている。
しかし、信用できない。
今まで呑気に過ごしてきた自分が、大きな組織を相手に戦い切ることが出来るのだろうか。

「……何だろうな」
「何がだ?」
「何でクドーは……俺だけを逃がしたんだろうなって」

ポツリ。
ジーンが誰に言うでもなく呟いた言葉に、エルクが聞き返した。
エルクとて悩まざるを得ない、クドーの動向。

「半人半魔って言うけどよ」
「ああ……」
「はっきり言って、知ったこっちゃないって感じだよな」
「まぁ、結局のところ、友達だからな。あいつ」

過去を否定する意味などないと、二人は理解していた。
クドーの出自がどうであれ、自分達は短い期間の中で友としての契りを結び、絶望の中で笑いながら生きてきたはずだったのだから。
今更クドーの正体を聞かされても、彼が友であるという事実には何一つ変わりはなかったのだ。

「とっくにガルアーノの下で動いてる奴がさ、俺を逃がしたってことはさ」
「ああ」
「まだ、間に合う、よな?」
「…………ああ」

否が応でもなく、縋る様な声が出てしまうジーンに、エルクは苦々しい顔をしながらも頷いた。
あいつは俺達を覚えているのだろうか。
あいつを助けることは出来るのだろうか。
あいつは、俺達に――――。

嫌な考えを遮る様にして再び鳴り始める金属音。
鉄製の工具面で顔を隠しながら火花を散らせるヴィルマーの後ろで、リーザが周りに散らばったガラクタをせっせと片づけ始めていた。
少女の力では少々おぼつかないその作業を、男二人はただぼうっとしばし眺めていた。

どれほどその光景を眺めていただろうか。
突然長い銀髪をぐしゃぐしゃと掻きまわしたジーンが、疲れたような表情を浮かべながら吐き捨てた。

「……止めた」
「は?」
「悩むのはもう止めにするってことさ」

片眉を吊り上げながら間抜けな声を出してしまったエルクを笑うように、腰かけていた作業机から飛び下りるジーン。
その顔には既に陰鬱なものなどなく、常の胡散臭いようなニヒルな笑みがあった。

「ミリルも、クドーも、何もかもが5年前で止まったままだ」
「ああ……」
「どいつもこいつも俺を蚊帳の外においたまま動いてばっかじゃんか……助けられてばっかりじゃんか」

両手を上げたままやれやれと首を振れば、茫然とするエルクに、ジーンはにやりと口元を吊り上げた。
腰に下げていた剣を鞘から抜き放ち、まるで曲芸のように一回転させ、勢いよく足元へと突き刺す。

「エルク。お前は言ったな。ミリルとの約束を果たせていないって」
「……ああ。あいつは、俺を待ってるんだ」
「なら俺は願いを叶えていない……俺たちはな、また皆で笑いあえなきゃいけないんだ」

昔を懐かしむようにして遠い視線を虚空に向け、その記憶の中にある言葉の真意を思い出し、ジーンは少しばかりその表情に影を浮かべた。
悲しそうな顔でその言葉を告げたクドーは、このことを予期していたのか。
散り散りになって記憶を失うことを恐れていたのか。
――――それすらも、ジーンは知らない。だから。

「確かめなきゃいけない。何もかもを、だ」
「……そうだな」
「ミリルがピンチだって言うんなら助ける。クドーが苦しんでいるってんなら救う」
「ああ!」

既に悩むことすら愚かなことであった。
悩んでも、悩んでも、悩んでも。
常に救われ、何も分からぬままにあの白い家を後にしたジーンが知るものは少ない。
自分もまた、因果を持つ者だというのに。

「仲間外れっていうのは気に食わないな、俺」
「……助けたい、って言えばいいのに」
「ハッ! どっちにしろ約束したじゃないか、俺たちは」

ジト目を向けられたジーンが思い出した一つの誓い。
ミリルが好きだと知られて顔を赤くするエルクを前に男三人で交わした幼き誓い。
女の子を助けるのは男の子で、男の子が交わした友情は変わらないのだと。

「友達は、助けなくっちゃな?」
「勿論だ」

もはや迷いなどない。
未だ戦いに向ける迷いも、不安も、友と一緒ならば、エルクと一緒ならば乗り越えられる。
その風を阻むものなど何一つありはしない。

「よろしく頼む、エルク」
「こっちこそ、ジーン」

ようやくにして、二人が揃う。
照れくさいものをどこかで感じながらもがっちりと交わした握手に、エルクとジーンは力強く頷いた。
記憶を失い、まどろみの中に生きてきた者が、未来への輪郭を取り戻し始めた瞬間だった。






「ヤゴス島出るっつーのも……リアにどう言い訳すりゃいいと思う?」
「別に普通に言えばいいだろ」
「あいつお兄ちゃんっ子だからなぁ……もし泣かれたら一緒に行くって話は無しな?」
「うへぇ……シスコンかよ」








[22833] 十三
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/12/07 23:48




けたたましく響き渡る風切り音とエンジンの唸り声。
ヴィルマーの突貫修理の甲斐もあってか、エルク達の頭上でプロペラを回すヒエンには傷一つない新品そのものの姿を披露していた。
南国然りの快晴と暖かい風を受けてエンジンを回すその姿は、本体に描かれたペイントのせいもあってか、随分と勇ましい。

そんなヒエンの前にエルク達は集まっていた。
見送る形でそれを見上げるヴィルマーと、少しだけ瞳に涙を浮かべたリア。
やはりというべきかその泣き顔を見せられると、既に運転席の隣に座っているジーンの心は痛んでしまう。
せめて自分だけは清々しい笑顔を向けてやろうと思うジーンであったが、常日頃浮かべているニヒルな笑みも今日ばかりは出来そうもなかった。

「ジーン!」
「心配すんな、爺さん! 絶対帰ってくる!」

既に回っているエンジン音のせいでか、ヴィルマーとジーンの交わす声も自然と大きくなった。
耳にズシンと残る重低音のエンジンの向こう側で、互いの耳に残る決意の言葉。
どことなくヴィルマーは一度だけ心配そうな表情を浮かべ、やがてフッと笑ってジーンを見上げた。

「リア! お兄ちゃんな! ちょっと友達助けてくる!」
「うぅ~……」
「後でそいつらにも紹介してやるんだぜ! 俺の妹は世界一かわいい女の子だってな!」
「ホント!?」
「約束だ! そいつらも全部助けて! 俺もここに戻ってきて! また一緒に遊ぼう!」

ジーンの浮かべたそれは軽薄そうなそれではない。
何一つ混じり気のない純粋な笑顔。
優しく、勇ましく、清々しいほどに。
その女性とも見えるほどに整った顔に映えるそれに、リアもまた太陽のような笑顔で頷いた。

笑顔ばかり。
これよりジーンが向かうのは、失った過去を取り戻すための戦い。
一筋縄ではいかず、既に悲劇の陰りを見せている厳しい戦い。
それでも彼らの顔に悲観めいたものは何一つない。

「爺さん! リアを頼むっ!」
「勿論じゃ! 一段落したら必ず戻ってこい! ただ待ってるだけはワシの柄じゃないんでな!」

一体何を企んでいるのか。
エルクの操作によってゆっくりと浮かびあがったヒエンの下で、ヴィルマーは何やらかけていた眼鏡を光らせるような『マッド』めいたものを見せた。
ジーンが連想したのは昨日のヴィルマーが行っていた作業の一場面。
『ポンコツ』なはずのアレをにやにやしながら弄くっているヴィルマーの姿だった。

「おい、ジーン。博士のアレ、何だ。なんかこえーぞ」
「何だか最初話した時と比べると、ヴィルマーさん、何だか楽しそうだよね」
「ははは。今は気にしなくていいさ」

若干冷や汗のようなものを額に浮かべたエルクとリーザに、苦笑いで返すジーン。
既に眼下で見送ってくれるヴィルマーとリアの姿は豆粒のように小さくなり、徐々にヤゴス島の全体も見られるほどに離れていた。
記憶を失ってから一度も出ることがなかった小さな世界。
ただ平和を享受し、悲しい過去から逃げ続けた閉じた楽園。

「…………」
「名残惜しい?」
「まさか。すぐに帰ってこれるさ。絶対に、な」

リーザの問いかけにジーンはやはり満面の笑みを返し、胸を張るのだった。





◆◆◆◆◆





東アルディアという大陸において主要な街として挙げられるのは、大体にしてプロディアスとインディゴスの二都市だろうか。
魔物という存在が人間の営みに近しい所に存在するこの世界では、小さな集合体を作ったところですぐにそういった『人間の敵』に滅ぼされるのが常だろう。
故に街自体はプロディアスを見て分かるように巨大ではあるが、数自体はそう多いわけではないのである。

アルディア飛行場、ガルアーノ市長によるロマリアとの貿易、ハンターズギルド発足の都市。
様々な要因が重なり合って大きくなったプロディアスと比べれば、インディゴスはどうしてもその華やかさに差が出てしまう。
少ない街灯。道行く人々の少なさ。道路上を飛ばされる新聞紙。寂れたアパート群。
プロディアスとインディゴス。
その差は往々にして貧富の差というものがあるのだろう。

といっても別段日々の暮らしをひもじく過ごしているわけでもなく、都市間における貧富の差など気にすることでもない。
他大陸のそれらと比べれば、アルディアという国自体がそれなりに恵まれている国なのであり、世界的にも発展している国なのである。
無論、軍事国家として暴走めいたものを続けるロマリアとは比べ物にならないのだが。

「おおー……おおー……」

そんなアルディアという国から見れば寂れているはずのインディゴスの街に、頻りに視線を彷徨わせる『お上りさん』の姿があった。
銀色の髪を都会の汚れた空気に靡かせ、どこかで見たような枯れ草色の外套を羽織った美系の男子。
その銀髪の少年の後ろでは、ややうんざりしたような表情を浮かべたもう一人の少年がぶつぶつと文句を垂らしながらついてきていた。

「おおっ? ……おおー」
「…………ちっ」

我慢できずに舌打ちを鳴らしてしまったのはエルク。
眼に入るもの全てに好奇心を抱き、しきりに感嘆の言葉を漏らしているのはジーンだった。

仕方がない話なのかもしれない。
何せジーンの記憶の始まりはあの殺風景な白い家なのであり、それから先は文明の利器が少なすぎる孤島で培われたもの。
研究者であるヴィルマーという父の下で暮らしているせいもあってか、他の島民よりはそういった文明に触れる機会はあっても、所詮は知識。
実際にその目で見、その手で触れ、その世界に身を置いた経験はない。

故にこうやって田舎者丸出しでインディゴスの街を歩き回ってしまうのも仕方がないことなのだろう。
それに付き合わされているエルクにとってはたまったものではないが。
人の視線が多いプロディアスではなく、外に出ている住民も少ないインディゴスだったことが唯一の救いだった。

「ん? 何やってんだ、あれ」
「……また宝石泥棒でも入ったんじゃねーのか? あの店、よく狙われてんだよ」

そんなジーンがショーウィンドウの並ぶ店を指させば、そこには何やら仰々しい警官やらテープやらが張られた『いかにも』な光景があった。
インディゴスに唯一存在する宝石店故か、エルクの言う通りにその店はとにかく金目の物を狙う泥棒に付け狙われている。
ハンターであるエルクも何度かその防衛の依頼を受けたことがあるのだが……。

ごたごたとしているその有様を見るなり、エルクは深く深くため息をついた。
確かにハンターとしては金を稼げる絶好のチャンスというかカモではあるのだが、こうも何度も何度も被害にあっては呆れてしまう。
ネックレスや指輪やらで着飾った眼に痛い店長が、甲高い声を上げながらギルドの受付で喚き散らしている光景すらエルクは連想出来た。

「泥棒ねぇ」
「あれか、やっぱあんな小さな島で悪さを企む奴なんていないか?」
「いやいや、たまーに食い物を盗もうとする奴はいたけど、ちょっとのお叱りと罰を受けてはいおしまいって感じだった」
「……ハンターも必要なさそうだな」

平和ボケと言っていいのか悪いのか。
ジーンの言葉に何とも言えない様を感じ取ったエルクは、ただぼんやりと未だに警官たちでごった返している宝石店の入り口を眺めていた。
と、しばしジーンと揃って見ていれば、その宝石店より草臥れた土色のコートを着た中年の男が焦燥した面持ちで出てきた。

「げっ、あれは……」
「知り合いか?」

その姿に眉を顰めたのはエルク。
当然のようにジーンは首を傾げるだけだったが、その中年の男も此方に気付いたのか、しかめっ面を浮かべていた。
互いに苦虫を噛み潰したような、不倶戴天の敵を見つけた様な。
やがてのしのしと此方へ近づいてくる中年の男に、エルクは分かりやすいまでの嫌悪感と共にやれやれと頭を振った。

「戻っていたのか、炎使い」
「戻ってきちゃ悪いか」
「フン……貴様のようなゴロツキなどいない方がマシだ」

開口一番に吐いた言葉は互いに痛烈。
宝石店から出てきたという事は警察関係のものであるということはジーンにも理解出来たが、その物言いは少々その職業に似つかわしくない。
エルクのことだ、どうせ生意気の一つでも言ったんだろうななどとジーンは一人で結論付けた。

「リゼッティ警部。こう何度も宝石泥棒に出し抜かれるってのもどうなんだろうな?」
「きちんとした捜査や捕獲を念頭に置かず、好き勝手力づくで解決しようとするお前らが蔓延るからこうなるというのがわからんのか」
「おいおい、自分達の『怠慢』を俺たちのせいにしてもらっちゃ困る」
「……くだらん言葉ばかり覚えおって」

エルクの言葉に、リゼッティと呼ばれた男はそのいかつい顔をさらに顰め、しばしの間二人は睨みあっていた。
事情を知らないジーンは蚊帳の外。
知らないとは言うものの、なんだか二人は似たもの同士なような気がしてならないジーンだった。

「あー、リゼッティ警部でしたっけ?」
「……エルク。こいつは?」
「知り合いのジーンだ。言っとくがハンターじゃねーからな?」
「フン。貴様の知り合いなど碌な奴じゃないんだろうな?」
「何だと?」
「あーもー! 煽らない煽らない。あとエルク。知り合いなんて言わずに友達って言ってくれなきゃ泣いちまうぜ?」

なんとか場を和まそうと少しだけわざとらしく笑ってみれば、エルクはジーンの言葉に少しだけ恥ずかしそうにしたままそっぽを向いてしまった。
別に友達などと言って紹介することくらい何のことでもないはずなのだが、彼にとっては中々に困難なことらしい。
少年らしいその反応にリゼッティも毒気を抜かれたのか、自分を落ち着かせるように一度息を吐き、ジーンを真正面から捉えた。

「で、何かね?」
「いや、宝石泥棒っていうにはちょっと物々しすぎやしませんかね? 何だか汚れた空気の中に血の匂いも混じってるんですが」
「……おいエルク。こいつも一般人じゃないな?」
「ノーコメントだ。どっちにしろアンタらの世話になるようなことじゃねーよ」

文明の、純粋な自然に長く囲まれて生きてきたジーンにとっては、別段そこまで言われるようなことではない。
風の精霊に愛された異能を以って白い家へと連れ去られた彼には、街中を流れる風の中に鉄錆びた血生臭いものが紛れていることに気付いていた。
文明の進んだ都市へと来たせいで、やや嗅覚が過敏になっている具合もあるのだが。
もしもパンディットがここに居れば、すぐにこの異変に気が付くだろう。

「あ、でも宝石泥棒って言うからにはナイフとか持ってる強盗紛いだったり?」
「エルク。お前らがここに戻ってきて何日目だ」
「一々俺に話を振るなよ……今日戻ってきたばっかりだ」
「ふむ……」

軽めの調子で質問していくジーンだったが、それに対してリゼッティは次第にその顔色を険しいものへと変えていく。
エルクの投げ遣りな答えを聞いた時には、既に顔つきは警部のそれに戻っていた。
しばし顎をなぞりながら思案していたリゼッティは、その鋭い瞳を湛えた表情のまま話し始めた。

「ここ最近アルディアでは『血溜まり』という名の殺人鬼が暴れ回っている」
「血溜まり?」
「床一面に被害者の血をぶちまけることからそう名づけられただけでな。未だその姿も顔も見た奴がいない、のだが」
「……こわー。もしかして其処の宝石店でとうとう捕まったとかそういう話で?」
「いや」

どことなく怒りを腹に溜めた様な低い声を絞り出したリゼッティに、エルクは職業柄聞き耳を立てる他なかった。
そんなあざといエルクの様子など気にかけることなく、リゼッティは続々とその詳細を話し始めて行く。
彼ら警察側も捜査の手詰まりというものを感じているのかもしれない。

「今まで顔も見せなかった奴が、堂々白昼の店内に押し入り、強盗を企てることもなく、一人の客を殺害した」
「模倣犯、ってわけじゃねーな」
「ナイフでその客の心臓を一刺し。魔法か何かは知らんが、それと同時に身体の内側から爆発するようにその身体が破裂したらしい」
「うわぁ……」

その有様を連想してか、ジーンは声を漏らした。
戦闘事に慣れているとはいえ、さすがにそのような猟奇的な光景には慣れているはずもない。

「しかも血溜まりはその他の客に向けてこのインディゴスにしばらく滞在すると抜かしやがった」
「……それでアンタらが躍起になってんのか」
「今は目撃者たちにも口止めさせているが……街を見ただろう? もうすっかりゴーストタウンだ」
「前からこんなもんじゃなかったか? インディゴスって」

久々に戻ってきたエルクの感覚が鈍ったのか、ジーンの田舎者丸出しの様子が流されるこの街の雰囲気は、常のものではなかった。
多くの目撃者に見られた故か、人の口に戸を立てられるわけもなく、インディゴスの人々はその話を怖がって引き籠ってしまっている。
ともすればリゼッティの機嫌の悪さも当然の話なのだろう。
その機嫌の悪さとエルクとの仲の悪さが関係しているかどうかは別だが。

「外套や衣服の下に見えた素肌をくすんだ包帯に包んだ異常者だ。火傷なのかは知らんが、今頃ハンターの手配書にも似顔絵は描かれているだろう」
「アンタにしては珍しいな。俺にそんなことを教えるなんて」
「…………」

エルクの言葉にしばしリゼッティは押し黙ってしまう。
そんな彼の様子に、ジーンは余計なことを言わなければいいのに、などとエルクのわき腹を小突いていた。
そしてやがて怒りを噛み殺したようにしてリゼッティはゆっくりと口を開いた。

「俺はな、インディゴスだろうがプロディアスだろうが、あんな殺人鬼が存在するなど許せん。警部という立場を差し引いてもな」
「…………」
「だが既に何人も殺している殺人鬼に真正面から挑み、部下を捨てる様な愚行に走るほど青臭いつもりもない」
「だからハンターの力を借りるってか?」

エルクは腕組みをしたままに聞き返す。
相変わらず此方に滲み出ている様なリゼッティの嫌悪感を感じているエルクだったが、何故か搾り取るように言葉を連ねる彼を悪くないとも思えていた。

「……平和を守るためなら手段は問わん。そういうことだ」
「口止めとか言ってるわりに俺らにペラペラ喋ってたのはそういうことか」
「……好きに捉えるといい」

その言葉を最後に、リゼッティは二人に背を向けたまま再び宝石店の中へと帰っていってしまっていた。
相も変わらず汚れた風が流れるインディゴスの一角に取り残された二人は、何とも言えないような感覚に陥り、顔を見合した。

「……都会って物騒だな」
「ポンコツを掘りにモンスターの巣に向かう研究者よりはマシだと思うけどな」
「ははは……で、どうすんの?」

苦笑いを浮かべたままのジーンに聞かれたエルクは、しばし悩むようにした唸った。
そもそも彼らが此処に戻ってきた目的とはまるで関係のない話だ。
確かにハンターとして、ヒトとしてそういった問題を解決したいという心はエルクにも、ハンターでないジーンにもある。
しかしそれに時間を割く余裕が彼らにあるかと言われれば微妙な話なのであって。

そもそも実際の話、これからどのようにして動くのかエルク達は相談すらしていなかった。
今、ジーンとこの街をぶらついているのも、作戦会議という名の夕食の準備をすべく食料の買い出しに来ているだけなのだ。
今頃彼らのアジトであるシュウのアパートでは、エプロンをしたリーザが腕まくりをしたまま今か今かと食材の到着を待っているだろう。

「大体やることっていったらガルアーノの居場所と、シュウ、だっけか?」
「ああ。とにかく情報を集めなきゃな……こういうことはシュウに任せたんだけどな」
「お前、そういう細かいとこ下手そうだもんなぁ」
「うるせー」

宝石店を横目に本来の目的を果たすべき食料品店へと足を向けた二人。
ズンズンとジーンを放っておきながら歩いていくエルクと、それを慌てて追うジーン。
ゴーストタウン化してしまっているインディゴスの雰囲気に似使わぬ、何とも和やかな空気。

しかしその一部始終を路地裏の影から見詰める一つの人影があったことに、二人は気が付かない。
やがてその影は路地裏の奥へと消えて行く。
路地裏に似合わぬ、深く鮮やかな蒼の影だった。






[22833] 十四
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/01/14 19:15




インディゴスの街中でリゼッティ警部に遭遇し、そのまま買い出しを終えたジーンとエルク。
見るものすべてが真新しいジーンの好奇心に煽られたせいか、拠点であるシュウのアパートに着いたエルクの表情は何やら焦燥染みたものが浮かんでいた。
どさりと重たげに下ろした買い物袋から転がる果物やら野菜やら。
フローリングを転がるそれを半眼で辿れば、その先にはエプロンをしたリーザがぱたぱたとこちらに駆け寄ってきていた。

「おかえり」
「ああ、今戻った」
「お、その格好似合ってんぜー、リーザ」

自分の苦労も知らずにそんなことをのたまうジーンに、エルクがイラッとしてしまうのも仕方がないのかもしれない。
顔を赤くして照れるリーザと一人盛り上がるジーンのやり取りから視線を外せば、部屋の入口で番犬の如く丸くなっていたのはパンディット。
尻尾を左右に揺らしてのんびりとする有様を見やれば、エルクの頭には自分のアパートに預けた『茶太郎』のことが浮かんだ。

(そういえばビビガの奴にヒエンのこと何にも言ってねーな)

勿論ヤゴス島からアルディアにはヒエンに乗ってきたのだが、それをビビガには伝えていない。
あの高台にあるヒエン置き場に機体を置いてきたのだが、それを報告する為にプロディアスに近づくのは少々危険な選択だろう。
ガルアーノと本格的に争い始めた現状で人の眼に映るようなことは避けたいエルクの考えだった。

(ま、そのうち勝手に気付くだろ)

などと都合のいいことを並べてみても、実のところエルクはビビガのことなど忘れていただけに過ぎなかった。
ビビガよりも、ハンターの仕事において成り行きで預かったペットの犬が先に思い出すあたり、彼の扱いが分かる。
所詮エルクにとって機械貪りが大好きなおっさんの一人に過ぎないビビガだった。

「おい、エルク! 聞いてんのか?」
「ん、わりぃ。ちょっと考え事してた。で?」
「いや、リーザのことだよ。どーよ。あのエプロン姿」

ジーンが馴れ馴れしくエルクの肩に手を掛け、指を指した方を見れば、エプロン姿のリーザが買い物袋を抱えながらキッチンの方へと消えていった。
同世代の少女だというのに、その後姿だけでもやけに家庭染みた雰囲気を漂わせる彼女に、エルクはしばし見とれてしまった。

おそらくは元々住んでいた村特有の民族的な衣装。
肩から背中にかけてかなりの露出を含んだ衣服だと言うのに、リーザが着込むそれはどことなく清楚なものを感じさせる。
金糸のような長い髪を後ろで結び歩くごとに優雅に揺らし笑顔を浮かべれば、どことなく聖母のようにも見えるのだろう。

「…………」
「なんだろーなー。俺達と同世代とは思えねーよなぁ。包容力っつーかなんつーか。リアもああいう風になってくんねーかなー」

ただ見とれるエルクと、何やら妄想を膨らませながら虚空を見つめるジーン。
容姿で言えば女性にも引けを取らぬものを持っているというのに、ジーンの言動はどことなくアレだった。
そんなジーンの言動と違って、どことなく『本気の様子』が見て取れるエルク。
横で呆けるエルクの姿に、ジーンはにやりと笑った。

「エルクー! ジーンー! 嫌いなものとかあるー?」
「もうリーザの作る物だったら何でも食える! ……ってエルクが言ってる」
「なっ、てめぇ! 何でたらめ言ってんだ!」

キッチンの奥から聞こえてくるリーザの声に、ジーンは嬉々として出鱈目を答えてみせた。
茫然としていた割には、ジーンの言葉にすぐさま痛恨の一撃を腹に入れるエルク。
おぉぅと唸ってその場に蹲るジーンを見下ろして、エルクは慌てたようにリーザへ訂正を申し入れるのだった。

「あ、あれだっ! ニンジン食えねぇ!」

その訂正も情けなかった。





◆◆◆◆◆





結局のところ彼らの晩御飯は当たり障りのないカレーライスに決まっていた。
どうにもニンジンの抜けたカレーは味気ない。
といっても料理好きなリーザが作るそれに、エルクもジーンも満足に舌づつみを
打っていた。

そんなこんなで腹ごしらえも済み、これからどうしようかとテーブルを囲んで話しあう三人。
食事時の団欒にはない真剣な表情が揃っていた。

「で、どーすんのよ。正直な話ガルアーノって言われても俺にはピンとこなくてね」
「東アルディアを治める首都プロディアス市長ってのが表向きの肩書きだ」
「式典の時に遠巻きに見えたよね……なんかいかにも怖そうで、その、えーと」
「マフィア?」
「そんな、感じかな?」
「ま、悪者ってわけね」
 
頷いていいのかどうか分らないエルクの例えにリーザが苦笑い、ジーンが単純に眉を顰めた。
マフィアとは簡単に言ってみたものの、エルクの中ではそんな甘いものではないことを痛感している。
ハンターの仕事で稀に見掛けるギャングやマフィア程度では、比較することすら馬鹿馬鹿しい話だった。

「とりあえず俺達の目的は……」
「どした?」
「??」

兎に角自分達の目的を明確にすべきだと思い、それらを口に出そうとした手前、エルクは口を開けたまま固まってしまった。
当然のようにその様子に首を傾げる二人。
エルクの深紅の瞳に映っていたのは、まだ幼げな表情を残して此方を見つめるリーザだった。

――――果たして、彼女を巻き込んでいいのか。
唐突にエルクの脳裏に走った声は、自らのものだった。

本当に今更の話であった。
空港ハイジャック事件からほとんど成り行きのように共にいるリーザ。
半月ほどを共に過ごし、互いに背中を預けていたパートナー。

ハンターとして生活し始め、炎使いとして戦い始めたエルクの横には誰もいなかったはずだった。
遠くぼやけて見えていた過去の記憶。孤高を好む自らの性格。闘いの日々。
シュウという保護者はいたものの、彼を隣にしていたのは一年か、二年か。
兎にも角にもエルクは一人でいることが多かった。

冷めているとも、言えた。

今にしてエルクは思う。
他のハンターと連携することもなく、ただひたすらに炎使いとして名を轟かせたのは一種の逃避だった。
失った記憶の果てで抱えた、『誰かを守ること』への拒否感。
ミリルを守れなかったことに苛まれる罪の記憶。恐れ。

一人であれば何も失うものはないという逃避。
そんな無意識の恐れの中で見たあの飛行場での光景は、全ての始まりだった。


――――私……そっちに行きます――――


幾人の黒服とナイフを構えた包帯男を前にして儚げに笑ったリーザが、ミリルとダブった。
一気に湧き立つ身体中の血と、その時は理由の分からぬ激情と震えを覚え、エルクは吼えた。

あれこそが全ての始まり。
無意識に抱いていた誰かを守る恐れを打ち砕き、踏み込むことを覚えた日。

それを考えれば、エルクがリーザを疎んじる理由は何一つ存在しなかった。
何より目の前で助けを求める者を見捨てる選択肢など、元々エルクには存在しない。
感謝している。単純に言えばエルクこそがそれをリーザに感じていた。

「ねえ、エルク? どうしたの?」
「おーい、エルクさんやー……リーザ、デコピンやっちまえよ」
「ええっ? い、いいよ……」

目の前で呑気な会話を続ける二人を見ても、エルクの中に湧いて出た疑問は留まることを知らなかった。
ジーンならば分かる。そもそもにして互いにミリルとクドーを救うことを決心した仲だ。
ならばリーザはどうなのか。
パンディットという魔獣を操る異能を持っていたとしても、本来は戦いを好む人間でも、得意な人間でもない。

リーザを守るために黒服の男達を追い、その果てで自らの記憶を取り戻し、為すべき誓いを思い出した。
今、自分達がやっていることはリーザを守る戦いではない。
――――リーザを巻き込んでいい戦いじゃあない。

やがてうんざりとした顔を浮かべながら徐々にエルクの顔に手を伸ばすジーン。
その途中でエルクはゆっくりと口を開き、半ばジーンを無視する形でリーザの方を向いた。

「あの、よ。リーザ」
「なぁに?」
「えっとだな……」
「…………」

しかしエルクには話すべき言葉が見つからなかった。
相変わらずガルアーノに狙われているのは自分達だけではない。
リーザを守るためにも共にいなければならない。
しかし、今から自分達は危険な敵の縄張りにまで手を出さなければいけない。

瞳を絞り苦しそうに顔を歪めたエルクに、ジーンも空気を呼んで伸ばし掛けた手を下ろした。
しばし続く沈黙の中。
意を決したようにして口を開いたのはリーザだった。

「戦うから」
「リーザ」

琥珀色の瞳の奥にあるそれは、エルクのものともジーンのものとも変わらない決意のそれ。
揺らぐことのないその瞳で射抜かれたエルクは、ただ口をつぐむしか出来なかった。

「今度は、私が助けるから」

ただその一言にどれだけの思いが込められているのだろうか。
いつもの幼げで優しい表情を残しつつも、リーザはその瞳をエルクから逸らさなかった。

「私もね。ちゃんとあるんだよ? 戦い理由」
「……そうか」
「大丈夫。パンディットもいるし、ジーンも、エルクだっている」

ただにこりと笑ったリーザが、少しだけ震えていたエルクの手を包み、力強く言葉を連ねた。

「一人じゃ、ないから」

その隣でふふんと鼻を鳴らして胸を張るジーン。
どことなく馬鹿にしたような感じのするそれに、エルクはいつもの調子を戻しつつ一つ息を吐き、思い知らされるのだ。

(また、救われた)

しかし、それがどこまでも心地良かった。





◆◆◆◆◆





ようやくにして今後の動きについて話し始めた三人であったが、彼らが必要としたのはやはり情報であった。
エルク達がしなければいけないことと言えば、勿論白い家への侵入であるが、まずは場所を知る人物と接触しなければならない。
それに忘れてはいけないのがシュウの行方だ。

「生きてるとしてもさー、何で表に出てこねーの? そのシュウって人」
「多分行方不明を利用して情報を集めてると思うんだが……」
「ギルドに行って依頼してみる?」
「……ハンターが人探しでギルドに、か」
「別にいいんじゃねーの? むしろハンターの仕事に興味津々な感じです。はい」

どこか楽観的なジーンに半眼を向けつつも、ギルドに向かうのはある意味有効だともエルクは思えた。
情報を集めると言えばハンターズギルドは有用であるし、同じハンターであれば誰かがシュウの行方を知っているかもしれない。
そして何しろ。

「金も稼がないとな」
「世知辛いね」
「世知辛いなー」

はぁ、とため息の重なった三人の後ろ。
夕食に出された餌の入っていた皿を舐めていたパンディットが、ふと顔を上げた。
パンディットが顔を向けた先は部屋の入口。
それに気付いたエルクが早々に立ちあがり、玄関口の壁際に身体を寄せた。

「神経質すぎねぇ?」
「一応俺たちは追われてるんだ。用心に越したことねーだろ」
「…………」

その言葉を受けてごくりと喉を鳴らしたのはリーザ。
続いてジーンは部屋にあるソファーに眼を向け、そこに立て掛かっている自分のナイフを視界に入れた。

やがて聞こえてくる誰かの足音。
エルク側が用心しているというのに、その足音は忍び足を感じさせるようなものではない普通のもの。
パンディットも別段唸り声を上げる様な事はしなかった。

しかしその足音の人物が目的にしているのは、どうやらこの部屋に間違いないようだった。
エルクの構えるドアを挟んだ向こう側に止まり、軽くドアの鳴る音が響いた。

「誰だ?」
「ホントに戻ってきてたのね」

短いエルクの問いかけに返って来たのは、どことなく妖艶な響きを持ち合わせた女性のもの。
その声の正体に気付いたのはリーザだった。

「もしかして……シャンテさん?」
「その声はリーザね? というか開けてよ。一応あれからいなくなったあなたたちのことを探してたっていうのに」

どことなく疲れたような様子を感じさせるシャンテの声に、エルクはゆっくりとそのドアを開けた。
そこにいたのは前と変わらず豪華な青のドレスに身を包んだシャンテの姿。
エルク、リーザと姿をきちんと確認して微笑めば、その先にいた見知らぬ一人に首を傾げた。
つまりはジーン。
そしてジーンもまたシャンテの姿を見ながら大きく息を吐いた。

「あら、美少年」
「すっげー美人」

あからさまに鼻を伸ばしたまま呟くジーンとどことなく怪しく笑うシャンテ。
先ほどまで用心に神経を尖らせていたエルクとリーザは、一気に脱力せざるを得なかった。






[22833] 十五
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/01/18 20:00



ガルアーノの屋敷にて俺に宛がわれた一室で、ただ黙々と書類に目を通していく。
自分の身体に関するレポート。キメラ強化された部下達の統括。これから行われる作戦の概要。
ファイルに綴じられた多岐にわたる書類を捲っていけば、俺の眼に止まる草案が一つあった。
といってもそれは前々からガルアーノ本人に提案されている案件である。

それは俺の身体をさらに機械化させるという試み。
元々キメラとしては極限まで強化され、今現在も命をストックすべく様々な魔を取りこんでいるこの身体。
はっきりいってしまえば機械の入り込む余地はないようなものである。
こんな状態でさらに身体を改造すれば一体どうなるのか。

(……まぁ、いい結果にはならないだろうな)

パチパチと明りが点滅する蛍光灯に視線を上げ、少しだけ気だるくなった首筋を伸ばす。
スペック上では不死を誇る身体だというのに、ただの人間だった頃の記憶が疲れというものを感じさせる。
所詮気分的なものだった。

どちらにせよガルアーノが何故俺にこの案を出してきたのかは容易に想像できた。
確かに俺は奴の望みを須らく叶え、さらにその右腕として十分な結果と信頼を得てきている。
しかしガルアーノは満足しない。するわけもない。

さらなる結果を望むその姿は、欲望の尽きぬ人間のようだった。
ガルアーノが元々魔族に連なる者なのか。それともキメラに影響されて堕ちた人間だったのか。
なんとなく他の四天王からの評価を見るに、後者の様な気がしてならない。

興味のない話ではあるが。

兎にも角にもガルアーノの提案を突っぱねるか、それとも一連の望みを託して受け入れるか。
俺の身体が壊れるから、などと言ったところで奴は納得などしないだろう。
説得するのならば、はっきりとメリットとデメリットを提示した上で納得させなければいけない。
貴重な配下であるだろう俺にそんな綱渡りをさせるのは……まあ、エルクやミリルがようやく手に入るだろうという事実に興奮気味なのだろう。

――――それとも、彼らが手に入れば俺は用済みか?

その考えに至れば、無意識に俺の顔が凶悪に歪むのを感じた。
声を出さぬように肩を震わせて笑い、手に持ったファイルがしきりに揺れた。
どこまでも楽観的な奴だと笑い飛ばしたくなる感情に囚われる。

宝物を前にしてはしゃぐのはガルアーノも俺も同じだった。
執着していたものが成就される瞬間を待ち侘び、高笑いの準備をしているかのように唇を舐める。
俺は、俺たちは、この世の全てが自分の思い通りになると信じている。
数多の失敗を経験し、数えきれぬ挫折を思い知りながら自分自身を盲信している

阿呆と呼べばいいのか、小悪党と呼べばいいのか。
ファイルの中に綴じられているエルクに関連する情報を纏めながら、俺はやがて機械的にそれらを眺め始めた。





◆◆◆◆◆





エルクを取り巻く物語の流れは様々な変化を伴いながらも、ある程度は本来のそれと同じく流れているといっていいだろう。
ジーンが彼らと共にアルディアへとやってきた事実に、胸を弾ませたり微妙な気持ちになったりとはしたものの特に変更はない。
ジーンが戦う理由もエルクのそれと同じなのだろうか。

そこらに廃棄されたガラクタの間を縫うようにして崩れかけたビルの中を進む。
明かりとなるのは煌々と照る夜空に浮かぶ月だけ。
いくら廃墟とはいえ多少は切れかけた街灯でもないのかとも思ったが、そんなものはこの廃墟の街に存在しない。
ここはいつも通り血と鉄の匂いを漂わせたままだった。

≪我らの為すことは全て神によって認められているのである!≫
≪……何だそれは≫
≪ピエール・べロニカの真似。旦那の記憶じゃあこんなことを言ってなかったか?≫
≪くだらん≫

内で響く声に耳を傾けながら、その話題の本人に会うべく周りを探る。
部下から回された情報とシャンテからリークされた話を聞けば、この廃墟の街にエルク達が来るのは確定済みだろう。
エルクがとある依頼をハンターズギルドで受けたというのも既に確認出来ている。

廃墟の街で邪教を広める宣教師となったピエールと、それをいぶかしんだ依頼人の依頼を受けて此処にくるエルク一行。
他に誰の目も入らない場所で俺と彼らが接触するには、この廃墟の街はこれ以上ない場所だった。
ここならば他の邪魔は入らない。

やがて辿り着いたビルの一室。
盛大にひび割れたガラス窓から大通りを見下ろせば、確かにそこには7、8人の妙な集団と、それと相対する三人と一匹の姿があった。
エルク、リーザ、パンディット……そしてジーン。

穴が開かんがばかりに眼を広げ、その姿を瞳に映す。
エルクと似たような衣装を黒く染めた、どちらかというとシュウ寄りの格好をした少年の姿。
どこまでも目立つ銀色の髪が風に靡き、そこから垣間見られる顔は絶世の美少年とも言うべきそれ。
ただ記憶の中に残っているあの幼い少年の影を少しばかり残しつつ、あの銀の髪だけは変わっていない。

どんな声を上げるのだろうか。
どんな心を持っているのだろうか。
……あの頃のようにニヒルに笑ってくれるのだろうか。

出ないはずの涙が出そうになり、しばし自分の為すべきことなど忘れてその姿だけを茫然と眺めていた。
やがて始まる彼らの戦闘も、ただひたすらに俺は眺めていた。
エルクの槍裁き、舞うように切りつけるジーンの剣舞をただ……眺めていた。

≪……やりやがる≫
≪主よ。シュウの時もそうだったが、単独では手加減のしようもないぞ?≫
≪来たりて≫

それぞれの声に引き戻されるようにはっとすれば、既に眼下で行われている戦闘はエルク達の圧勝に終わっていた。
なにやらへこへこと頭を下げる宣教師たちと、その取り巻き。
どことなくうんざりしたような表情を浮かべるエルクと、その様子をげらげら笑っているジーン。

――――ジーン、そのような人間だっただろうか。

ふと浮かんだ疑問など即座にどこか遠くに投げ飛ばし、俺は胸元に装着された真っ黒な刀身のナイフに手を掛けた。
そして一声、心の内へ吐き捨てる様に命じた。

「シャドウ、アヌビス。出番だ」
≪ケケケッ、久々に身体を動かせるゼ≫
≪御意≫

俺の足元から真っ黒の霧が流れるようにして滲み、やがて影とも呼ばれるほどに色を濃くしたそれは、魔物の形を取り始めた。
霊魂のように影そのものを宙に浮かべ、両手に鋭い刀身を光らせる魔物、『ブラックレイス』。
黄金のフレイルを手に持ち、その顔を犬のような面で覆った人型の魔物、『ウルフアンデッド』。

双方共に自ら勝手に名乗り出した名を呼べば、どちらも嬉々として身体を震わせた。
シャドウはただ単に戦いを味わえるからか、アヌビスはエルク達に興味を持っているからか。
どちらにしても俺の命令通りに動くのならば問題はない。

「シャドウ。もしも余計なことを口走れば即座に喰い消してやる。いいな?」
「ケケ。こんな面白ェことなんてやめられねェからな。旦那の命令には従うぜ」

一応のため釘は指しておくが、シャドウはそれに憎たらしくのっぺらぼうの顔を歪めて応えてみせた。
どこまでも鬱陶しい奴。
隣でただ黙って佇むアヌビスを見習うつもりはないのかと半眼を向けた。

まぁ、どちらにしてもただ誘うための戦闘だ。
本腰を入れて戦うことなどなく、そもそも俺がエルク達を傷つけることなどあり得ない。
ガラスの破片が散らばる窓に足を掛け、俺は依頼を果たして家路に着こうと踵を返したエルク達の前に降り立った。





◆◆◆◆◆





着地点に散らばっていた車の部品を踏み抜き、羽織っていた外套を翻せば、既に俺の目の前には驚愕に眼を丸くしたエルク達がいた。
すぐさま戦闘の用意に槍を向けたのはエルク。
やがてパンディットとジーンがリーザを守る様にしてこちらを睨み、リーザが俺の姿を見るなり息を飲んだ。
あのハイジャックの時に相対していたことを覚えていたのか。
どちらにしても今は彼女に興味はなかった。

「てめぇ……」

槍の穂先を下ろすことなく月の光を受けた鈍色をこちらに向けたまま、エルクは低く呟いた。
アレ以来久しく聞いていなかった彼の声はまだ幼げなものを残しつつも、どこまでも通るような声の中に獣染みた鋭さを感じさせる。
正しく戦士の声だった。

ばさばさとけたたましく靡く外套を鬱陶しく感じながらも、その中に隠していた右手をだらりと下ろす。
その手に握っていた黒のナイフを晒せば、彼らは呼応するかのように武器を構える。
このパーティを組んでから一カ月か、半月か。
そう時間も経っていないというのに、彼らは長年付き合ってきたような雰囲気を感じさせた。
ジーンに関して言えば、彼らと合流してから一週間経ったかどうかだろうに。

「あの人……空港で」
「リーザ?」
「思い出したぜ。お前、あの時の黒服に紛れてた包帯野郎だな?」

徐々に此方の正体に当たりを付け始めたエルクとリーザの声を聞きながら、俺はいつこの右手を振り上げればいいのか迷っていた。
長く彼らと顔を突き合わせていたい。
例え敵と味方で分かれようとも、成長し、戦う術を覚え、今運命に立ち向かおうとする彼らの傍にありたい。
ただそれだけが俺の手を固く留めさせる思いだった。

情けない。
俺は一度深く息を吐き、わざとらしく首を振るとゆっくりと口を開いた。

「早々に此方に下ってくれると面倒がなくていい」
「へっ。あの時みたいにだんまりかと思ったが、ただの魔物じゃねぇみたいだな?」
「ガルアーノ様に仕えさせて頂いている者なれば、当然。ただのキメラではない」

キメラ、という単語に如実に顔を歪めさせたのはリーザだった。
暗がりの中でも見える、悲しみと怒りに歪んだような表情。
エルクとジーンも似たようなものだったが、彼女のそれは常人以上にその所業を近く感じている節がある。
同調するようにパンディットもまた唸り声を上げていた。

「何しに来たっていうのも馬鹿な質問だよな?」
「……ふ」
「何がおかしい」

なるべく気障に、なるべく醜く鼻で笑って見せる。
あまりに気の長い方ではないエルクがそれにこめかみをヒクつかせるのは早かった。

「貴様たちは此方に聞きたいことがあるのではないのか?」
「何だと?」
「白い家。サンプルМ…………いや、ミリルだとか言う実験体の救出だったか」
「……どこでそれを聞いた」

意外にも俺の言葉に反応したのは、今までただ沈黙を守ってきたジーンだった。
一歩こちらにじり寄り、手に持ったソードを向けながらその視線は揺れることがない。
エルクの燃える様なそれとはどこか違う、心の芯から凍えさせるような冷たい瞳。
こと目的のためならば非情になれることを知っているのはジーンの方だったのだろうか。

「さて……虫が、な」
「…………?」
「ここ最近ガルアーノ様の周りを飛び回っていた虫の話だ……いい声で歌いそうな女だったな」
「まさか」

暗にシャンテのことを匂わせてみれば、エルク達の顔に蒼いものが浮かぶのは早かった。
直に苦虫を噛み潰したように此方を睨みつけるエルクとジーン。
ここまで来ればもはや話すことなど双方あるわけもない。
激昂したかのようにこの場の温度が上がった感覚を覚え、エルクの方を見れば彼は既に呪文の詠唱に入っていた。

そして俺の足元巻き上がる嵐のような炎の奔流。
周りの廃棄物を巻き込みながら全てを灰にしてゆくその炎に戦々恐々しながらも、俺はすぐさま何歩か跳びながら回避に移った。
感情によってその威力を増減させると言われるエルクの炎だったが、ただの怒りでここまでの力を持つのだから恐ろしい。

やがてその炎の揺らめきを挟んではっきりとしていくエルクの姿を捉える。
相も変わらず槍を構えたまま此方を睨みつけるその姿に、俺はしばし魅入っていた。
紅の嵐を携えながら赤茶の髪を逆立たせ、深紅の瞳で此方射抜く一人の英雄。
まるで英雄譚の挿絵からそのまま持ってきたような勇ましい光景に、俺は内心逸る心を抑えられそうにもなかった。

確信。
彼ならば、必ず上手くいく。
やはり彼ならば、必ずミリルを助けることが出来る。

俺が避けた時に幾分かの包帯があの炎に巻き込まれたのか、虚空を彷徨う包帯の切れ端がエルクと俺を挟んだ間で赤に消えた。
否が応でもなく高まる戦闘の空気。
それに応える様にリーザとジーンの背後で真っ黒な影が蠢いた。

「っ……パンディット!!」

リーザの声に魔狼が応える。
身を竦ませるような遠吠えの後に吐かれた蒼く冷たい吐息に、その影達は即座に散開して見せた。
黒の影のままに佇む異形はジーンの前に。
威風堂々の様を見せる武装した人影はリーザとパンディットの前に。

「リーザ! ジーン!」
「心配するな。殺しはしない」
「ちっ……覚悟しやがれ!」

戦闘開始。
だが、もはや結果などどうでもよくなっている。
目的などどうでもよくなっている。

ただ、彼らと共に踊りたい。
再会を、祝したい。






[22833] 十六
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/01/22 17:45





揺らめく炎を間に気を高めていたのは数瞬。
嬉々とした感情に囚われ今にも破顔しそうになる俺と鬼気とした表情を浮かべるエルクは、合間の炎さえ置き去りに弾け飛んだ。

肌を焼くような熱気を携えて激突する二つの刃。
槍の切っ先は迷いを匂わせることなく俺の額に伸び、その苛烈な突きを俺は両手のナイフを交差することによって受け流した。
ナイフなどという脆いものに防御という選択を取らせるほどに……俺の反応速度などまるで間に合わないほどの速度を以って放たれた突き。
エルクの槍は俺のこめかみを抉るような形で背後に突きぬけて行った。
――――これでは受け流した、などとは言えないな。

「ハッ! 口ほどにも……ッ」
「あるさ」

必殺を確信したエルクは、少しばかりよろめく様にして顔を上げた俺を見てか、酷くイラついたように舌打ちを一つ。
ぐるりと槍を一回転させると、驚愕などという油断などほんの一瞬で捨て去ったようだ。
戦い慣れている。いや、目の前の異常に見覚えがあるのか。
一方の俺はこめかみを抉られたことで垂れてきた包帯の切れ端を引き千切ると、手に持ったナイフをゴミの様に放り投げた。

「たった一度でか」
「雑魚のくせに……面倒くせぇ」

放り投げたナイフは地面のアスファルトに落ちると同時に無残に砕けた。
まぁ、槍の一撃をナイフのような小物で受け流すという事自体、無理な話だ。
といっても身体能力など二の次。抉られたはずの俺のこめかみは灰色の煙を上げながら再生を始めていた。
不死身の有能性を誇ったところで既にこちらの技量などエルクに見切られていたが。
随分と悲しい話だ。

そもそもの話、こんな所でエルク達と戦う意味など何もない。
こちらの作戦の成功のみを目的にするならば、彼らが住み込むアパートに『シャンテは頂いた』などと手紙を送って誘えばそれでよい。
シャンテを情報屋として頼りにし、ガルアーノとの邂逅を求めていたエルクを誘うにはこれ以上ない誘い文句だろう。
なのに俺たちは今、ここで戦っている。

あぁ――――作戦を、いや――――俺の望みを叶えるならばこれほど無意味な戦闘はない。

だってそうじゃないか。
こんなところで戦ったところで何の意味がある?
エルク達の力を見極める? まさか。彼らの力を疑うはずもない。
彼らの戦力を削る? まさか。俺も、ガルアーノもそれを望んではいない。
偶然? ……笑えない冗談だ。

間合いを測る、といってもすぐに攻撃できる間合いにいながら、エルクは此方にそれをしようとはしなかった。
先ほどの怒りによる一撃で頭でも冷えたのか、此方の出方を窺うような、何かを見定めるような様子。
それともこんな戦闘の中でありながら、棒立ちのままに肩を震わせる俺をいぶかしんだのか。

駄目だ。
耐えられない。

まずい。
まずい。
まずい。

「なぁ……エルク」
「……馴れ馴れしく俺の名を呼ぶな」

腕が上がる。勝手に。
手を伸ばしてしまう。勝手に。
歩を進めてしまう。勝手に。
顔が、歪んでしまう。

視界に映る全てが鮮明になった。

もはや狂気としか思えない此方の動きに少しだけ狼狽し、困ったような表情を浮かべたエルク。
その後方ではリーザとパンディットがアヌビスと攻防を繰り広げ、ジーンはシャドウと刃をぶつけ合わせている。
何一つ見紛うことのない戦闘の光景。

敵と、味方。
エルク達と、俺と。
同じ場所に、いる。

「なぁ、エルク」
「何なんだよ、てめーはっ!」




耳の奥まで通るような声を引き金に、俺はつい、口に出してしまった。




「お前、元気か?」
「…………はぁ?」




時が止まったかのようにエルクは俺の言葉に固まってしまった。
俺の声を聞いたのはエルクだけだ。
動きを止めた俺達の後ろではジーンもリーザも頻りに声を上げながら戦っている。
時折風や大地が揺れ動くのは二人が魔法を使っているからだろうか。
そんな中、俺の、おそらくは意味不明であるだろう言葉にエルクは止まってしまった。

「な、何を……」
「頼む。答えてくれ。応えてくれ」
「…………」

僅かの逡巡。
呆ける様にして俺の言葉の意味を考えるエルクは、すぐさま獰猛な笑みを浮かべ、こちらに踏みこみ――――。
嘲るようにして言葉を口にした。

「お陰さまで、てめぇをぶっ倒すくらいには元気だぜっ!」

息むようにして放たれた言葉と、刃。
既にそこには逡巡などなく、一部の容赦もないほどにその槍は俺の右腕を通っていった。
改良された身体とはいえ一応は血の通う身体である俺は、あったはずの右腕の部分から吹き出る血を横目にしながら、ただ宙を仰いだ。

視線の先には月があった。

聞いた。
確かにガルアーノとこれから戦おうとしている人間が、元気でないわけではない。
シャンテから聞いた彼らの様子とて、年相応の少年少女のように生命に溢れていた。
それぞれが過酷な過去を持ちながらも、笑えていた。
そんなものを物語が始まってから、俺は遠巻きに幾度も確認してきたはずだった。

だけど、この耳で聞いた。

遅れてぼとりと地面に落ちた右腕はその場に血溜まりを作り、無論それを失っている俺の足元にも血溜まりは出来ている。
それでも、そんな状況でも、俺はまるで気にならなかった。

「エルクっ!?」
「旦那ァ!? 何やってやがる!」

此方側を気にする魔の者。
戦闘を終わらせる一撃に、勝利者の名を嬉々として呼ぶ者。
双方繰り返してきた剣撃の音も、風や大地が唸る音さえも止まり、ただ静寂が続く。
無論、その勝利者であったはずのエルクでさえも、此方を茫然と眺めたまま動かない。

もういい。
十分だ。

相変わらず血の出る右腕をそのままに、遠くにいたシャドウとアヌビスを影に戻して回収すると、ただ気が向くままに足を街の出口へと向けた。
その足取りは今まで感じたことがないほどに軽く、まるで翼の生えたようだ。
そういえば、この肉体にも羽を付けるプランもあったが、あれは確か拒否反応のせいでお釈迦になったのか。

どちらせよもはやここでエルク達と戦う意味などなく、さっさとガルアーノの屋敷に誘い、適当にシャンテを仲間にさせ、白い家に来てもらう。
そういえばあちこちで此方を嗅ぎ回るシュウも合流するのだったか。
まぁ、そちらはどうでもよろしい。

「お、おいっ! 待ちやがれ」

蕩けたような頭で考え事をしていれば、未だ戦闘態勢のまま此方を睨むエルクの声が背中より響いた。
ああ、そうだった。
まずはシャンテのことを話してやらねば。
何のためにここに来たのかわからなくなる。

「シャンテはプロディアス西にあるガルアーノ様の屋敷に捕えている。三日後の深夜十二時、そこに来い」
「お前はっ」
「ただのメッセンジャー、だ。そう息巻くな」
「違う! ……お前は……一体何なんだよ」

ドクン、と。
鳴っているのかどうかも分からない心臓が跳ねたような気がした。
名前を言えばいいのか、それとも正体を明かせばいいのか、どちらか。
だがそのどちらを答えてもいい方向には転がらないような気がしたので、俺はただ沈黙で返してみせた。

たったこれだけの会話が作戦を進めることが出来るというのに。
あんな無様な戦闘を俺達は繰り広げてしまった。
…………しかし、最高だ。

追撃は、来ない。
ただ無防備に、そう、とぼとぼと帰っていく俺の背後から襲いかかるようなことはせず、エルク達はその場に留まっているようだった。
ただ血の跡が俺の足を辿っていく。
やがてその血が止まり、蠢く様にして右腕のあったところが肉で盛り上がってきた頃に、心の内の一つであったシャドウが愚痴をこぼすように声を上げた。

≪そんなに嬉しいかァ?≫

勿論。
いくら分かり切っていたことだろうとも、エルクの口からあそこまで勇ましい声を聞けた。
ジーンが未だ健在で、エルクの隣で笑い、その背中を守る戦士のようになっていた。
救うべき内の二人が、あそこにいた。
――――元気で、いた。

≪まぁ、主がいいというのなら構わないが≫

もう片方の声、アヌビスは納得がいかぬような口調でその言葉を吐き捨てる。
お前達のことなど知るか。
そう言って喰い消してやるのもいいが、今の俺は実に機嫌がいい。

ついスキップしてしまいそうな足取りを抑えながら、俺は月下の街をただ軽い足取りで走り抜けていた。
そういえばここ最近は少し死にかけて逃げ伸びる様な戦闘ばかりしている様な気がする。
殺してはいけない、傷つけてはいけないという前提があったとしても、情けないものだ。





◆◆◆◆◆





違和感。
壮絶なまでの違和感。
拠点となっているシュウのアパートにあるソファーの中で寝がえりを打ったエルクは、ただぼんやりと汚れた天井を眺めていた。

廃墟の街であの包帯男と会ってから彼らはすぐにこの部屋に戻り、問題について話し合うべくテーブルを囲んだ。
攫われ、囚われの身になってしまったシャンテのこと。
自分達を誘うガルアーノの手。
3日という猶予。

無論彼らにシャンテを見捨てるという選択肢などなかった。
自分達の安否を確かめにやってきたシャンテを半ば強引に願い倒し、ガルアーノの居場所を探ってくれと言う依頼をしたのは他でもない自分達。
確かにそこには金という取引があり、失敗したのはシャンテという情報屋の不手際だろう。
だがエルク達はそんなことで納得するような人間ではない。

おそらくは罠であろうガルアーノの誘いに乗るのが彼らの選択である。
虎穴に入らずんばというやつである。
そのためにも三日と言う猶予は貴重であり、その準備をするためにリーザとジーンに武器や医療品の調達を頼み、エルクはシュウの捜索を受け持った。
敵地に向かうに当たり、シュウの存在はこれ以上ないくらい頼りになるはずだろう。

ゴロリ。
もう一度寝返りを打てば、窓の近くにあるベッドの上ではリーザが寝息を、テーブル下の床ではジーンが妙な寝相のままにいびきをかいているのが目に入った。
共に闘う仲間であり、守るべき大切な人であり、取り戻した人。

徹頭徹尾自分達の目的はミリルとクドーを救う事に注視している。
その果てにキメラプロジェクトの破壊だとかそういうお題目も見えているが、やはりエルクにとってはその二人の救出こそが最優先事項であった。
ガルアーノに喧嘩を売る。
それがどのような問題を生み出すのかを理解出来ないエルクではなかったが――――。

足を止める理由にはなり得ない。
拳を振り上げない理由にはなり得ない。
それを若さと取るか英断と取るかはそれぞれだろうが、エルクは止まるつもりなど何一つなかった。

ならば今感じるこの違和感は何だ。

すっかり暗くなった部屋の中で、夜目に慣れた瞳を絞り、頭を振る。
脳裏に浮かぶのはあの包帯男……いや、血溜まりのくぐもった声だった。
無論、あそこまで奇異な格好をしていれば、リゼッティ警部の証言と合致すると気付くのは当然の話だ。
といってもそれに気付いたのはジーンとリーザだったが。

兎にも角にもあの魔物は、キメラは異常であった。
恐るべき再生能力、自らの影のようなものを魔物として使役する力。
どちらを取っても厄介な能力ではあるし、終始自分が圧倒していたが血溜まりが本気を出していないことはエルクにも分かっていた。

しかしそれらは厄介なだけであって、異常と言うには程遠い。
エルクの頭に引っ掛かっているのは、あの血溜まりと交わした言葉。
こちらを気遣うような、返答を聞いて満足したかのような。

――――笑っていたような。

そう。確かに血溜まりはエルクを見ながら笑っていた。
包帯に巻かれ、ただ口と、眼しか見えていなかったというのに、あの満足そうな笑みは誰が見ても理解できる笑みだった。

(…………あいつは)

毛布を頭から被り、あり得ない予感を打ち消す。
キメラが、ガルアーノ側がこちらの無事に喜ぶ理由など一つしかない。
未だ実験に利用できる素体が五体満足で、刺客を退けるほどに強力。
故に笑う。

自らをガルアーノの手先だと名乗った血溜まりからすれば、そこに矛盾はない。
こちらを道具としか、ただの材料だとしか思っていない奴らにすれば当然の反応だろう。

しかしエルクは見た。

あの笑みはそんなものではない。
既に戻っている記憶の中。
あの白い家で子供であった自分の力に狂喜して笑っていた科学者達と同義なものではない。
むしろ打算がありつつもこちらを真に気遣うようなぎこちない笑みは。
年齢と表情があまりに不釣り合いな笑みを浮かべる人物は。

(…………ありえねぇ)

結局、エルクは満足に睡眠をとることが出来なかった。






















<どうしても聞きたい作者からの質問>
Q.主人公、変態っぽく見えね?



[22833] 十七
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/01/26 17:35




迂闊であった。
何やらそわそわと落ち着かない様を見せるシャンテを対面に挟んで、煌びやかな装飾に施された応接間で俺は項垂れていた。
VIPへの対応も考慮されているからか、多種多様な調度品と大きめのテーブルが鎮座する応接間。
俺とシャンテという二人だけがくつろぐには少々広すぎる部屋だろう。

「ねぇ」
「…………何だ」
「……いえ。何でもないわ」

そんな俺の様子をいぶかしんだのか、シャンテはチラチラとこちらを見ながら恐る恐るといった風に声を掛けてくる。
無論俺は分かりやすいように地面に両手を付けて肩を落としているようなことはない。
ただ自分でもわかる位に今の俺は傍から見れば酷く落ち込んでいるように見えるかもしれない。

エルクとの邂逅から既に3日。
ようやくにして舞台を白い家へと移すことが出来る今日という日なのだから、多少は気も引き締まるはずだった。
しかし俺の脳裏に浮かぶのはあの廃墟の街で心の赴くままに行動してしまったことばかり。
いくら何でも気持ち悪い様を見せすぎだろう、クドー。

「…………」
「…………」

部屋の中央にぶら下がった大きなシャンデリアを仰ぎ、一つ息を吐く。
シャンテと俺は元々敵同士。
そもそもシャンテからすれば俺は弟を縛り付ける悪党であるし、彼女が親しげに会話することなどあり得ない。
その上今にもエルク達がシャンテを救いにやってくるはずなのだ。
当人からすれば、彼らへの罪悪感やら何やらで落ち着いていられるはずはないだろう。

その証拠に大テーブルを囲む椅子の一つに座った彼女はしきりに足を組んだり解いてみせたり、静寂の中で鳴る時計に眼を向けてみたり。
彼女の立場を考えればそうもなるだろうとは思うが、今の俺にはまるで関係の無い話。
シュウの乱入でエルクとシャンテの関係は適当に丸く収まるのだろうし、もしそうでなくてもこちらから適当に誘導すればそれでいい。
所詮その程度の懸念だ。

そもそもこの場で行われることもガルアーノによる悪趣味な茶番のようなものである。
部屋の隅々に配置された監視カメラから送られるであろう、俺とエルク達の戦闘を眼にし、今一度彼らの力に心躍らせるつもりなのだろう。
実際に踊るのは俺とエルク達であるが。

消化試合でしかないことに一抹の憂鬱を感じてみれば、天井からはこちらをねめつける様な低い男の声が響いてきた。
すなわち今頃は白い家に移動するべくアルディア空港付近で待機しているガルアーノの声。
さっさとあちらへ移動すればいいだろうに、わざわざご苦労なことだ。

『さて、そろそろか』
「おそらくは。先ほど屋敷の入口方面より爆発音が聞こえました」
『ふん……部下共など足止めにも準備運動にもならんか?』
「はい」

スピーカーを通して聞こえるガルアーノの声は、ノイズ混じりのせいで余計に醜く聞こえる。
眼の前にいるシャンテもその声を聞けば聞くほどに不機嫌に、いや、憎しみを募らせるように表情を歪めていった。

ガルアーノからすればシャンテなどただのゲストに過ぎないのだろう。
弟の無事を信じ、そのためにエルクを裏切りながらも無駄な希望に縋る一人の女。
エルクと繋がりながらもこちらに情報を流していたことを対価に臨んだ弟の返却は、為されない。
何しろ既にそのアルフレッドという弟は誰でもない俺の手によって殺されているのだから。

『ご機嫌は如何かな? シャンテ嬢』
「…………最低ね。アンタの声を聞いたら余計にそう思うわ」
『クハハハッ! 貴様も似たようなものだろう? まぁ、弟との再会には祝福させてもらうよ』
「…………」

スピーカーによって多少エコーの掛かったガルアーノの笑い声に、シャンテは白くなるほどにその拳を握りしめた。
憎しみだけで人をも殺せそうな雰囲気に、俺はしばしその様を観察する。
…………ガルアーノにその様では、実際に殺した俺へはどれほどのものか。
無用な思考だ。

どちらにせよまずは主賓を待たねばならないのが億劫である。
エルクを此処に呼び、シャンテの裏切りを目の当たりにさせ、ガルアーノのご高説から俺との戦闘に移り、適当にエルク達の力をモニター越しにガルアーノに見せる。
どこまでも、どこまでも茶番に過ぎない舞台。
ガルアーノの眼があるせいで多少は力を入れて戦わねばならないとはいえ、こんな茶番に俺の憂鬱が吹き飛ぶわけもない。

『クドーよ。適当に間引いても構わんぞ? リーザ辺りの魔狼など邪魔なだけだろう』
「…………出来るかどうか。ただ踊るだけならば彼らは一筋縄ではいかないでしょう」
『ほう! 既に貴様の力をも凌駕するか?』
「踊るだけならば、です。殺すつもりで刃を向けるならば劣りはしません」
『ハハハハ……クハハハハハッ! そうむきになるな。お前の有用性は知っている』

そんなにも俺の返答は負けず嫌いなものを含んでいたのだろうか。
ガルアーノの弾けたような笑い声を耳にしながら、やれやれと首を振って見せる。
エルクとの邂逅で感情の抑え方が歪になっているのかもしれない。
気を付けねばな。





◆◆◆◆◆





いくらプロディアス市長という表向きの顔を持っているとはいえ、エルク達が入り込んだ館は念入りに探索せねばならないほどに広かった。

そもそもエルク達からすれば元々の誘いが罠有りきのような胡散臭いもの。
いつも以上に周りからの奇襲や罠に注意しなければならない事態に、彼らの足は思ったよりも遅かった。

「エルク。どうだ?」
「…………休む暇もねぇな。そこら中から嫌な気配がしやがる」
「パンディットも……うん。やっぱり魔物の気配はあるみたい」

ハンターの勘か。魔物としての感覚か。
二つの意見を聞いたジーンは手に持ったソードをそのままに、うんざりとため息をついてみせた。

「しかしおかしな話だな。いや、裏口とかそういう考えがなかった俺らが言うのもなんだけど」
「こっちはシャンテを盾にされているんだ。真正面から打ち破るしかねぇだろ」
「それがおかしいんだけどな。罠っつっても奥まで誘い込むわけでもねーし、普通に巡回兵っぽいのが襲いかかってくるし」
「……確かにちょっとおかしいかも。ホントにあの人、ガルアーノの部下だったのかな?」
「リーザ。その発想はなかったわ」

敵地のど真ん中と言う割にはそれなりにジーンとリーザは余裕があるように声を交わしてみせた。
既に彼らがいるのは部屋に隠れていた魔物を倒した後の小さな小部屋。
休憩の意味も兼ねて少しばかりその歩を止めてはみたが、彼らの抱く疑念はそう少ないものでもなかった。

エルクもまた、周りへの警戒を解くことなく顎に手を当てて思考に沈む。
確かにジーンの言う通り、名指しの誘いがあった割には此処の守りや歓迎の仕方は杜撰なものがある。
てっきりシャンテの無事と引き換えに無理難題を突き付ける交渉でもするのかと思いきや、門番並びに巡回兵は普通にこちらを襲ってくる。
……の割には敵の攻勢が苛烈というわけもない。

むしろこんな場所で休憩を取れるくらいに安全なことに気が抜けるといった所だった。
自分の想定していた多くの不利な状況に陥ることなく進むことのできることに、エルクは首を傾げざるを得ない。
室内の戦いということで今日は彼も槍ではなく剣を持ってはいるが、それすらもあまり血を吸うことなくここまで辿りついてしまっている。

――――敵の目的が読めねぇ。

どこか苛立ちを隠さずに頭をガリガリと掻けば、リーザが心配そうにエルクのことを見つめていた。
霧の中を彷徨うような手ごたえの無さと、純粋にシャンテを思うが故の不安。
余裕を見せてはいるものの、ジーンもまたどことなくいつも以上の緊張感というものを感じていた。

「大丈夫だ……これ以上誰かが犠牲になってたまるかよ」
「うん……うん! 頑張らなくちゃ」
「…………」

力拳を作り、お互いに気合いを入れるリーザとエルク。
しかしその光景をジーンはどことなく微妙な気持ちで眺めていた。
黙って見つめる先はエルク。
自分達を率いて先頭を進んでくれる頼もしきリーダーのはずなのに、ジーンが抱くのはどうしようもない違和感だった。

「ジーン?」
「……いや、そろそろ敵の親玉さんに登場してくれないとな。もうこの屋敷も見飽きたぜ」

条件反射のようにリーザの自分の名を呼ぶ声に出たのは軽口だった。
自らの内に燻る疑問を無理やり消すかのような出来の悪い言葉。
もうちょっとマシなことは言えないのかと苦笑するジーンであったが、その感覚こそがエルクに抱いている疑問。

どこか不安を、疑問を無理やり消すような迷い。

確実にその迷いをエルクは持っている。
あの包帯男との邂逅からエルクの様子がおかしくなっていることにジーンは気付いていた。
薄らと、こちらに気取らせない程度の違和感。
リーザもまたそれに気付いている節があるが、シャンテが攫われたという事実にそれを問い質す余裕を喰われた。
シャンテとそれなりに仲が良かったリーザからすれば当然の反応である。

(何があった? ……エルク)

しかし、言い方が悪くとも昨日今日の付き合いでしかないジーンにとっては、シャンテの誘拐という現状に少なかれ余裕のようなものを持つことが出来ている。
シャンテの救出。ガルアーノとの接触。ミリルとクドーの救出。
そのどれもに迷いなく邁進する中で不自然に浮かぶエルクの迷い。

(迷う理由は、何なんだ)

ジーンが胸中で問う言葉に無論エルクは答えない。
仲間を信じないことは何よりの裏切りであると理解しつつも、ジーンはどこかやせ我慢のように振る舞うエルクに危機感のを抱かずにはいられなかった。
ただの迷いならば問題はない。

ジーンは見た。

エルクのその渋るような表情の奥に、途方もない悲しみがあったことを。





◆◆◆◆◆





あまりにも広大な館に似合わず、奇襲から始まる戦闘が行われない限りガルアーノの屋敷は不気味なまでに静寂が支配していた。
大理石の床を歩いていくエルク達の足音と、時折響くパンディットの唸り声だけが続く中、彼らはただ黙々とシャンテの居場所を探す。

あっちから誘っておきながら何のために誘ったのかがまるで分からない状況に、エルク辺りは次第に苛立ちを覚え始めていた。
こちらを小突くように現れるキメラ兵。
物量で押しつぶす気配もなく、ポツポツと表れては使い捨てのゴミのように屠られていくそれらを尻目に、エルクはやがてリーザの言葉を真剣に考え始めていた。

血溜まりは、本当にガルアーノの手下なのか。

此処まで来ておきながら、そんな馬鹿げた可能性を頭に浮かべるのは一つの逃避。
三日前からエルクの心を蝕む『予想』を必死に否定しようとする弱さの表れだった。

しかし悩むばかりで一向に答えは出ず。
迷いを抱いたままに屋敷の中を突き進めば、とうとう探索すべき大部屋一つを残すだけとなってしまった。
大きな扉の前に並ぶ一行は同時に息を飲み、その先におそらくはいるだろう『何者か』に注意を向ける。

「開けるぞ」

エルクの声に黙って頷く二人は、既に戦闘の用意を完了させている。
無論エルクとて右手に持ったジーンと同じ型のソードを力強く握りしめたまま、警戒を緩めることはない。
ただゆっくりと押された扉の先に広がっていたのは、大人数が詰められても余裕のあるだろう大広間だった。

「…………誰もいねぇな」

少しばかり動きの固いジーンが誰に言うでもなく呟き、エルクとリーザもそれに応えぬままに同意してみせた。
彼らの入った大広間には様々な調度品やら部屋の真ん中に鎮座する大テーブルなど、豪華な様は見せても血生臭いキメラの姿は見て取れない。

どこか拍子ぬけたようなものをエルク達が感じたその瞬間。
ただ一人エルクだけが顔を驚愕に変えたまま勢いよく後ろを振り向いた。

「ッ……お前っ!」

その先、自分達が入ってきた大きな扉に寄り掛かったまま腕組みをする男の姿が一つ。
全身を薄汚れた包帯で包み、それ全体を大きめの灰色の外套で覆った奇妙な男。
その顔も表情も包帯で覆った男は、ただ黙ってこちらを注視したまま動かない。
血溜まりと噂されるガルアーノの手下の一人だった。

エルクにつられるようにして同じく血溜まりの方を振り向いたジーンとリーザ。
そこまでいけば互いに戦闘態勢を整えるのは早かった。
廃墟の街で出会った時のように、互いの素性を探るようなやり取りなど必要ない。
既に敵と味方だとはっきりしている限り、ジーンとリーザが油断なく武器を構えるのは当然の話だった。

「シャンテさんはどこ!?」
「あんな美人を攫うなんて随分下衆なことをやるもんだね、あんたら」

リーザとジーンの言葉に血溜まりは未だ腕を組んだままじっと動かない。
ただこちらの動きを見定める様にその灰色の瞳を向けてくるだけだった。
その瞳の先は、エルク。
ソードをだらりとぶら下げ、無防備な様を見せる彼を、血溜まりは眺めていた。

「エルク?」
「…………おい」

敵と味方。
そんなものは疑いなくはっきりとしているというのに、互いの纏う空気はそんなに剣呑なものではなかった。
やがて、リーザとジーンの呼びかけに呼応するかのようにゆっくりと口を開くエルク。
しかしエルクが何かを言いかけた時、広間の天井に備え付けられたスピーカーから男の声が響いた。

『感動の再会、というわけか? 炎使い』
「っ!?」

突然広間に響いた声に辺りを見回したのはエルク一行。
どこまでもこちらを小馬鹿にし、面白くて仕方がないと言わんばかりに笑いをこらえる声。
ノイズまみれで聞こえるその声を聞けば、それは半月前の式典会場にて聞いたあのガルアーノの声だった。

「ガルアーノっ! どこに居やがる!」
『そう慌ててくれるな、エルク。主賓は儂ではない。そこの男と……』

どこまでもこちらの感情を煽り、それを笑うガルアーノの声。
それを受けて大広間の一角の壁が動き、そこに隠されていた扉がゆっくりと開き始めた。
やはり罠か。
今更感も漂う判断であったが、その先から出てくるかもしれない敵の影にエルク達は警戒せざるを得ない。
しかし。

「シャンテ!?」
「シャンテさん! 無事で…」

その奥から出てきたのは誘拐されたはずのシャンテ本人であった。
彼女の周りには見張りのキメラ兵がいるわけでもなく、当然のようにあっさりとエルク達の方へ近づいてくるシャンテ。
いつも通りの衣服と怪我ひとつ負っていない無事な様子にほっと胸を撫で下ろすリーザとエルクだったが、ジーンはただ一人眉を顰めた。

「……どういうつもりだ?」
『ほう! 風使いよ、気付いたか?』
「別にあんたに褒められても嬉しくはないがね……」

冷め切った視線をシャンテに向けたまま、その痛烈な言葉を向けるジーンに、やがてガルアーノは噛み締めるような笑いを上げた。

『そうだとも! 元からシャンテは此方側の人間だったのだよ。貴様たちの情報をこちらに流し、今日もまた貴様らはここに誘われたに過ぎん』
「何だと……?」





◆◆◆◆◆





茶番。
つまらないやり取り。
意味もない遊び。

俺は目の前で繰り広げられる言葉の数々と話の流れを、ただ黙ったままに聞いていた。
シャンテの登場とその真実に揺れるエルク達と、唇を噛み締めたままその非難を受けるシャンテ。
そして三流役者に過ぎないガルアーノ歪んだ声。
どれもこれもが予定調和にすぎないつまらないやり取りだった。

「ガルアーノ! もういいでしょ!? 弟を、アルを返してよ!」
『ククク……弟、か。おい、教えてやれ』

そんなやり取りの果てに弾けたように叫ぶシャンテと、それこそ茶番だと言わんばかりに嗤うガルアーノ。
スピーカー越しに促されたのは俺であり、それはこの広間にいる人間の視線が俺に集まる瞬間でもあった。
縋るようなシャンテの視線と、弟という人質を取る所業に眼を顰めるリーザとジーン。
そして微妙な顔のエルク。

俺は広間の扉から背を放すと、ゆっくりとシャンテの目の前まで近づいていった。
今にも泣きそうなほどに顔を歪めているのは、今まで耐えに耐えてきた苦渋で限界に近いからか。
うっすらと瞳に涙を浮かべるシャンテに真実を言うのは、やはり億劫なものであった。

しかし、告げねばならない。
この俺が。
例え下したのはガルアーノであれ、この刃を振るったのはこの俺だ。

「既に死んでいる」
「…………え?」

ごくあっさりと。
まるで何でもないことのように告げた声は、存外、人の少ない大広間にはよく響いた。

「嘘でしょ? 何で……嘘よ……」
『クククッ……ハハハハ……ハハハハハハハ!!』

消え入るような声と共にこちらに弱弱しく掴みかかってきたシャンテをそのままに、頭上から振る雑音に顔を歪める。
こちらを必死に揺さぶり、幾度もそれが嘘だと問い続けるシャンテを振り払うつもりなど、俺にはなかった。
そして、慰めの言葉をかけてやるつもりもない。

ただ横目に見えたエルク達が茫然と立ち尽くす姿を見て、俺はほんの少しだけ心を痛め。
――――その一行のただ一人がこちらに突撃してくるのを捉えた。
銀色の髪を振りまき、何一つ迷いなく刃を振り下ろすその男。

「うおおォッ!!!」
「ジーン!?」

意外、というべきか。
未だ再会してから交わした言葉は少なく、彼の性格をはっきり理解しているわけでもないのだが、そう言う他ない。
未だ縋る様に掴みかかるシャンテをどかし、怒りのままにソードで切りかかってきたのはジーンだった。

無論真っ向から受けてやる道理もなく、新調したばかりのナイフで重心をずらすようにして受け止める。
怒りに任せた攻撃だからか、受けるのは容易い。
だがそれでも尚、その激昂した剣閃は俺の手を痺れさせた。

「甘かった……ッ」
「…………」
「あの島から出て、エルクの話を聞いてッ……聞いていただけだった!」

その美系の顔を怒りに歪め、顔と顔がぶつかってしまいそうなほどの距離で叫ぶ様に、俺はしばし呆然としてしまった。
あの子供の頃に見ていた彼とは違う、風などでは収まらない嵐のような心。

「ガァァルアァノッ!!」
『ふん。生かされている身で生意気な……遊んでやれ』

本当に、ただシャンテに絶望を見せる舞台のためだけにこのやり取りを仕組んだのか。
ジーンの言葉に興を殺がれたのか、ガルアーノはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、そのまま俺に対応を丸投げしてきた。
小悪党であることには相変わらず変わりないが、それでもいくらなんでもお粗末過ぎやしないだろうか。

「待て! ガルアーノ!」
『まだ此処は貴様らと儂が相見える舞台ではない。始まりの場所、白い家で待っているぞ、諸君』
「チッ……」

それきりスピーカーからはノイズすら流れなくなり、本当に通信を切ってしまったようだ。
それはそれでこちらには都合がよいが……まぁ、いい。
どちらにせよ、兎にも角にもまずはこの戦力差をどうにかせねば始まらない。

刃と刃を弾き、即座にジーンとの間合いを取った俺は、先と同じように足元からシャドウたちを生み出すべく影を溢れさせた。
今回ばかりはもう一体を温存するわけにもいかない。
エルクたちも一度見たこちらの力に驚くこともなく、むしろ新たな敵の増援にすぐさま陣形を整えて見せた。
放心としたまま動かないシャンテを守る様にして武器を構える彼らだが、無論こちらに手加減をしてくれるわけもないだろう。

「ファラオ、お前も出ろ」
≪…………≫

シャドウ、アヌビス、そして続く様に無言で現れたのは俺と似たような姿……全身を包帯で包んだミイラの姿。
キングマミィ――――すなわち俺の不死能力の元にもなっているアンデッドの魔物。
相も変わらず何を考えているのか分からない無言のままだが、戦力にはなる。

「まぁ、消化試合にすぎねェなァ」
「必要なことなのだろう……少々ガルアーノの手際には愕然としたがな」

好き勝手言ってくれるシャドウとアヌビスをまずは黙らせ、こちらも密集して彼らに相対する。
流れ通り――――いや、部下からの情報通りであるならば、ここら辺で奴が来るはずだ。
などと思っていれば、唐突に閉めたはずの広間の扉が吹き飛んだ。

「……いやァ、期待に応える男だねェ」

シャドウの軽口にその場の全員が白い煙の上がる方を向けば、その先から現れたのはシュウ。
こちらにとっては予定通りの流れに戸惑うことなどないのだが、エルク達にすれば目まぐるしく変わっていく状況についていけているかどうか。
ちらりとエルク達の方を向けば、嬉々とした表情でエルクは乱入者の名を呼んだ。

「シュウ!? 無事だったのか?」
「話は後だ! まずは奴らを蹴散らすぞっ!」

この状況をどこかで見ていたのか、シュウの表情に焦りのようなものは一つもない。
即座にエルク達と合流したシュウは、シャンテの守りを一手に引き受けるかのように彼女を庇うように俺の前に立ちはだかった。
前に接触した時と変わらない、いつも通りの黒装束。
見てくれは忍者そのものだというのに、登場の仕方はまるで忍んでいなかったな。

「キヒヒ……忍ばれたら困るのはこっちだろ?」
「主よ、これだけ相手が揃っているのだ。多少はやる気をみせてはどうだ」
「無情」

…………そんなことを言われても、茶番に過ぎない戦闘に力を入れる道理など無い。
そもそもガルアーノによる出来の悪い芝居など既に終わっている。
白い家の場所を事細かに教えてやらなくてもシュウが既に調べ上げているはずだろう。

「ウィンドスラッシャーッ!」

どうにもやる気のおきないままにその場で佇んでいれば、そんなこちらの隙を突くように放たれたのは烈風。
そこらのテーブルやら何やらを切り裂きながら襲いかかる風の刃に、俺たちは散開せざるを得なかった。
そして、一人シャドウたちより離れた俺を追撃してきたのは、風と炎。

咄嗟に繰り出したナイフとあちらの剣が火花を散らし、ギリギリと押し合いながら膠着した俺達の向こう側ではシャドウ達がリーザやシュウと戦っている。
どう考えても戦力の分散がおかしいこの状況ではあるが、この面子で戦い合うことになったのは幸か不幸か。

「逃がすと思っているのか?」
「…………」

歯をむき出しにしてその鉄の刃に力を込めるのはジーン。
反してエルクは無言のままで剣を押し付けるだけ。

――――ドクン。

心臓が高らかに鼓動したような気がした。





◆◆◆◆◆





いくら大立ち回りが可能な大広間とはいえ、この人数がそこらで風やら炎を巻き起こすのはあまりに窮屈だった。
確かにエルクとジーンの眼はこちらに向き、リーザやシュウの方をシャドウ達が抑えているとはいえ、いつ乱戦に陥るか分からない。
シュウ辺りならばシャンテをかばいながらもこちらを横合いから殴りつけてきそうな気がして恐ろしい。

「おおおっっ!!」
「はぁっ!」

ジーンとエルクによる歪な連携による攻勢を往なしながら、俺は徐々に戦闘の場をシャンテが出てきた隠し扉の向こう側へと移していく。
無論無傷ではない。
身体を翻す度に彼らの斬撃が俺を襲い、既に様々な部分の包帯が千切れ千切れになりつつある。

「ハッ……逃げてばかりだな!」

というかジーンの攻勢があまりにも苛烈すぎる。
シャンテに対するガルアーノの所業がそれほどまでに彼の心に触れたのか、斬撃そのものよりもそれに乗せた怒りの方が俺には染みる。
対してエルクはどこか迷いを残したような終始無言のまま。
廃墟の街で遠巻きに見ていたあの完成された連携が歪になっている理由は、おそらく彼の精神状態にあるのだろう。

剣閃の中に混じるあやふやな迷い。
ジーンの烈火の如き攻撃とはまるで正反対の揺れる剣。
そこにあの炎のような煌きは一つもない。

思い当たる所がないわけでもないが、その迷いは必要でない。
お前は、お前達には、その迷いは要らないモノなんだ。

逃げる様にして後退していったシャンテの隠し部屋――――つまりはガルアーノの私室。
今となっては重要な資料やらガルアーノ私物は持ち運ばれており、どこか殺風景な様と豪華な装飾が合わさって何とも気味の悪い部屋になっている。
が、ある程度の戦闘ならば十分に可能な広さだ。

ここからが本番。
彼らになら適度にやられても問題はないが、ガルアーノの要望をこなすにはそれなりの戦闘を経て此処から脱出せねばならない。
足止めの意味でシャドウたちを動かすことも出来る。
ようやくにして準備が整ったと体勢を立て直せば、俺の前に立ちはだかる二人の内一人が、だらりとその剣を下げた。

「…………」
「エルク……何やってやがる」

無論それに異を唱えたのは、徐々にその怒りを収め冷静さを取り戻してきたジーンだった。
隣り合わせに並ぶ二人の少年。
剣の切っ先をこちらに向ける風の少年と、その悲しげな眼をこちらに向ける炎の少年。
なんとなくではあるが――――ばれてはいるのか、などとお気楽な思考を俺は頭の片隅に浮かべていた。

「お前は、聞いたな……元気か、って」
「おい? 何の話を……」

ぽつりと零した言葉。
遠くに聞こえるシュウたちによる戦闘の騒音がありながら、その言葉はどこまでも俺の心に響いていく。
ああ……気付くのか。思い出したのか。認識してくれるのか。
様々な想いが胸の内に浮かび上がる。

ぞわりと体中に鳥肌が立つようなおぞましさと、どうにも止められない高揚感に手先が震える。
果たして俺の取るべき選択はどれだ?
一番俺の結末に近い返答はどれだ?
用意していたはずの反応は何だった?

予期していた。
この瞬間を。

シュウによる情報によって。
戦いの中で俺を呼ぶ名によって。
もしくはこの小さな英雄達と繋げた絆が為せる業か。

俺の珍しい名が齎す秘匿性など、あまりに脆い。
故にいつかはエルク達に俺の正体がばれるのだと。
俺は――――ただ一人ではいられないのだと。

じっと待つ。
唇が震え、手も震え、瞳に悲しみを浮かべたエルクの言葉を。
唇が震え、手も震え、瞳に感動を浮かべたままに。





「お前は、元気なのか……? ――――クドー」





聞いたか?
おい、今の言葉を、聞いたか?

心が粟立つ。
転げ回りたくなる激情に駆られる。
声を上げて笑いたくなる。

ああ、多分。
俺は、幸せだ。

だがしかし廃墟の街で犯したような失態を繰り返すわけにはいかない。
ガルアーノによって引き裂かれた4人の子供たちが織りなす物語は、ハッピーエンドではいられない。
大団円で居られる可能性など既に潰えている。
故に俺がソレを受け持つだけ。
簡単な話だ。

「…………冗談じゃ、ないんだな?」

思いもよらない事実のはずだというのに、ジーンのエルクに問い質す声はただ震えるだけだった。
どこかエルクの様子に考えるところがあったのか、それとも彼もまた俺の正体を予期していたのか。
おそらくは先ほどまで掛けていた迷いのない攻撃を考えれば、前者。
エルクとジーンが、友としてきちんと思いを通じ合わせていることに歓喜する。

「なぁ、答えてくれよ。俺は答えただろ?」

縋るような、それでも俺がクドーであることは確信しているエルクの声。
もはや互いの間に闘争の空気など存在せず、ただ互いの視線を合わせて俺の返答を待つだけだった。
どう答えてやればよいものか。
そんなことを考えていれば、俺の口は勝手にべらべらと喋り出した。

「…………ああ。死んでいない程度には元気だよ、エルク」

多分、これでいい。
言葉を選ぶ必要など無いのだろう。





◆◆◆◆◆





しわがれた声。
人ならざる身を得た代償か、既にクドーの声はエルク達と同年代の若々しいそれからは離れ、どこか血生臭いものすらも感じさせる。
エルクの問いかけに天を仰ぎ、噛み締めるようにその灰色の瞳を向ける様は、どう言い繕っても化け物のそれ。

エルクは悲しかった。

だがその声の調子だけは、敵と味方に分かれたものが出せるものではなかった。
そこらに蔓延るキメラが出せるものではなかった。
少なくともエルクとジーンの記憶を呼び起こすには相応しい、懐かしき声。
敵と味方ではない。
人間と化け物ではない。
――――友と友のそれ。

ジーンは悔しかった。

ジーンとエルクが互いに視線を落としたのは、怒りか、悲哀か、無念か。
クドーと彼らの心は交わらない。
クドーが歓喜を覚えれば覚えるほどに、エルクとジーンはその心を痛めた。
絶望的なまで、双方の立場は交わらない。

「俺たちは、俺は……遅かったのか?」
「互いに元気であれば十分だろう」
「そんなわけあるかよっ! お前は、お前はっ」

おどけたようなクドーの口調。
今まで沈黙や静観を続ける様を見せる彼からすれば、どこかあやふやなものを感じさせる声。
ただ彼はエルク達と話せて嬉しいだけ。
だがそうであればあるほどに、エルク達は唇を噛み締めた。

「クドー……俺を、お前は」
「気にするな。気にしなくていいんだ。ジーン」
「は、ははは…………無理に、決まってんだろ」

クドーは笑う。
ジーンも笑う。
ただ笑い合った。

そこで途切れてしまった互いの言葉。
もはや掛ける言葉を失くしてしまったエルク達を前に、先に狂気を取り戻したのはクドーだった。
犬歯をむき出しにして造り物の笑みを浮かべ、十分に受け止められる余地のある速さを以って双方に切りかかった。

「ぐッ、クドーっ!」
「ハハハ。過去がどうであれ、今は敵と味方だろう? 呆けられては困る」
「おっ、れたちが戦う意味なんてないだろうが!」
「敵と味方。それ以上のモノが必要か?」

エルクとジーンは既に戦意すら喪失していた。
だというのにクドーはその隙を突く様にしてナイフを振るう。
その武器による機動力を活かして、部屋の中を跳び回るようにしてエルク達を切りつけていく。

「俺たちの敵はガルアーノだろ!?」
「何を寝ぼけたことを」
「何だとっ?」
「俺が……この血溜まりが……貴様らを殺さない理由があるものかっ!」

一気に距離を詰めたクドーが放った回し蹴りに、エルクは為す術なく跳ね飛ばされた。
そのまま壁に叩きつけられ、苦悶の表情を浮かべたエルクの前に立っていたのは、どこまでも狂気に浸された親友であった者の姿だった。

「エルクッ! クドー、お前っ!」
「ハハハハッ! 既に人としての感情などあるものか! 私はガルアーノ様の右腕として、貴様らを屠るのみ」
「ク、ドー……」
「だがガルアーノ様が望むのは貴様らの力だ。どうだ? こちらに来てみないか?」
「お前……」

人としての心など持ち合わせてはいないのだと高笑うクドーを前にして、エルクとジーンは茫然とするしかなかった。
あれだけ仲が良かった親友が。
あれだけ救いを決意した仲間が。
既にクドーは彼らの手の届かない遠い何処かにいた。

絶望とも言える状況。
だが入口の方から弱弱しく漂う影が入り込み、それがクドーの足元に這いまわると、その扉の先からはシュウたちが続々と入り込んできた。

「エルクッ、無事か!?」
「ジーン、大丈夫!?」

既にシャドウ達は情けなくも退けられ、多少は戦闘の疲れを見せつつもシュウたちは健在な様を見せている。
だが、その声を聞いても尚、エルクは立ちあがることが出来なかった。
ただつまらなそうに、悪党のように鼻を鳴らすクドーを見上げるのみ。

「まぁ、舞台はここじゃあない。シュウよ。白い家の場所は分かっているな?」
「何?」
「其処で待っているということだ。では、な」
「クッ……逃がすか!」

徐々にクドーの足元に漂う影が濃さを増し、やがて部屋中を覆う黒い霧のように変わっていく。
だがそれを黙ってシュウが見過ごすわけもなく、背に背負ったマシンガンを取り出そうとしたその時、その手を遮ったのはエルクだった。

「エルク、何故……」
「…………」
「エルク? ジーンも……どうしたの?」

霧が晴れた時には既にクドーの姿などそこにはなく。
ただ今にも壊れそうな表情を浮かべて地面に手をついたエルクと、どこか茫然と虚空を見上げるジーンに掛ける言葉など、リーザ達は持ち合わせてはいなかった。







[22833] 十八
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/01/29 19:19




今となってはロマリアという大国を盾に世界中を侵し続けている魔物の軍勢ではあるが、だからといって彼ら全てが優秀なわけではない。
政治的な駆け引きなど魔物には出来ないし、自国の人間を養うことなどできるわけもない。
ただ絶望的なまでの暴力を以ってして世界を侵していくだけだった。

しかしガルアーノを含む四将軍の影響や人から魔に堕ちる者の働きによって、この世界における魔物はそれなりにずる賢くなっていた。
人の生活の隙間に潜み、争いや悪意を加速させる。
今となってはガルアーノによるアルディアのロマリアへの属国化、四将軍の一人であるヤグンによるミルマーナとグレイシーヌの戦争など随分とその陰謀も大きくなっている。

ただ悪意を暴にのみ変える魔物にとって、人間達の心を犯すことによる快楽はある種の麻薬のような物なのだろう。
人間の心を飲み込み、そのパーソナリティを奪い、さらなる力を取りこむキメラプロジェクト。
自分の力を底上げし、さらにその麻薬にどっぷり浸かることの出来るキメラは、魔物達にとっても望まれる手段だったと言えよう。

そう、キメラ化した人間は例外なくその魔物によって精神を喰われるはずだった。

基本的に合体直後は微妙に人間としての記憶や意思が残っているが、徐々にその人間は内なる魔を認識していく。
引き摺りこむ様な声と悪意で心を犯していき、身体が取りこまれていき、光の精霊でさえ届かぬ悪意に満たされた時、人間としての感情も意思も消え去る。
自ら力を求めキメラ化を望む人間もいるが、所詮あれは表側だけに意思の残骸が表れているだけ。
力に酔い、充足しているような様子でさえも、見せかけにすぎないものであった。

魔が差すとは言うが。
魔に入り込まれた心は、『例外なく』喰われる。
それが常識であった。

そんな悪魔にとっては旨味のみしか存在しないキメラ機関。
どうしようもないような人間と掛け合わされ、ただの特攻兵器として生み出された魔物にはご愁傷様とし言うしかないが、基本的に魔物側にはデメリットなどない。
例え役立たずの人間が素体だとしても、人の心を侵す過程はこれ以上ない快楽である。
故にキメラ施設として最も先を行く白い家は、魔物たちにとってもそれなりに有名で、焦がれられている節さえみせる楽園だった。

そんな白い家の奥の奥。
最低限の研究者のみが入ることの出来る部屋の中には、他の場所でも見られるような機械の類がごく普通に鎮座している。
パスワード付きの扉やIDカードが必要な通路など、いかにも重要そうな印象を持たせつつも、その部屋にあるのはなんら珍しくない実験機械。
人と魔物を掛け合わせるためのそれだった。

もはや見慣れてしまい特に忌避感を持つことも無くなった、病院などで見かける診察台。
その隣には大量の管に通された巨大なカプセルやタンク、そして幾列もの記号が絶えず流れて行くコンピューター。
いかにもこれから実験しますと言うような光景に、どことなくうんざりとしたものを感じさせる。

≪さて……今回の命知らずはどちらさんかねェ?≫

既にその診察台の上に自分の身体を乗せ、俺の視線は眩しすぎる光を落とす照明の方を向いている。
そして周りには幾人か白衣に身を包んだ研究員の姿。
ゴポゴポと気泡を浮かせるカプセルの中の液体が、不気味に胎動していた。

「開始するぞ?」
「やれ」

そんな研究員の内の一人から問われた言葉に、にべも無く返す。
無表情のままに頷いたその研究員は、いつもとなんら変わらぬ調子のままにキーボードをいくらか叩いた。

その瞬間、部屋内を漂わせていた魔の気配が一向に高まり、新たな誕生と快楽を祝福するかのようにその濃度を濃くしていく。
カプセルの中で揺れる紫色の液体が波打ち、どす黒い光を放ち、繋がれた管を通っていく。
その先は俺の身体。
包帯が全て解かれ、所々全身火傷の跡のような腐乱死体のような姿を見せている俺の身体。
透明な管を通っていく紫のソレが俺の身体に届いた時、俺は密かに笑みを浮かべた。





◆◆◆◆◆





その魔物にとって、それは歓喜であった。
ミノタウロスという小鬼のような姿を持ったその魔物にとって、白い家の施設に素材として使われることは歓喜以外の何者でもない。
少々知能が低く、ロマリアの世界征服やら何やらとはまるで無関係でいたこの一介の魔物にとっても、この施設に漂う気配は媚薬のようなものであった。

そこら中に漂う絶望の影。
幾度となく繰り返され、濃くなった血の匂い。
光の届かぬ闇の世界。

あまり細かいことを気にしないオーク属のミノタウロスであっても、この施設の意味を即座に理解出来た。
此処は、俺達の餌場だ、と。
そしてその哀れな餌が眼の前にいる。

全身爛れたまま、とても旨そうとは言えない一人の人間。
どうにも漂わせる匂いが魔物と混じっているような気がするが、それは周りの雰囲気に呑まれた結果だろう。
そんなことはいいから早く喰わせろ。侵させろ。
ミノタウロスの脳は蕩けていた。

既にカプセルの中で純粋な力と悪意に変わっているミノタウロスは、その逸る気を抑えきれずして暴れ回った。
ガタガタと機材を揺らし、液体を発光させ、自らの悪意を部屋全体に広がらせる。
そうして我慢できない様を見せていれば、その餌と繋がる管が一斉にその門を開けた。

口さえなくとも雄たけびを上げる様にして勢いよく流れ込む魔物の意思。
見た目こそただの気味の悪い液体ではあるが、あれは意志であり、悪意であり、そして邪悪な力であった。
これよりこのどす黒い意思がこの餌を侵し、喰らう。
その液体が餌の身体の中に辿り着いた時、ミノタウロスの悪意は頂点を突いた。

掻き回す様にこの餌の心の中を這いまわり、その精神の壁すら壊し、中へ中へと進んでいく。
しかしミノタウロスはその高揚の中でも徐々に妙な違和感に気付いていく。
何やら心を取り巻く全てがどうにも仄暗い。
人間ならばもっとその心は脆弱で、明るくて、もっと旨そうなはずだ。
悪意となって忌避されるはずの自分が、無数の触手に這いまわられるかのような嫌悪感を抱いている。

そんな闇の住人であるはずの魔物が分不相応な違和感を感じた時。
ミノタウロスは、その心の奥底で一つの真っ黒な何かを見た。
見惚れるほどに濁り切った黒。

≪よう≫
≪ようこそ≫
≪来たりて≫

いつのまにかミノタウロスを取り巻く環境は一変しており、小柄でありながらも筋肉質な身体が彼には戻っていた。
元々の身体は橙色の硬化した肌と、申し訳程度に下半身を覆う薄い腰巻。
そしてその腰にはボロボロの手斧。
完全にミノタウロスは自分の身体を取り戻していた。

そんな彼を漆黒の闇の中で出迎える三つの影。
背景と混ざってしまいそうな身体をしているというのに、その影達が漂わせる気配は、やけにはっきりとした輪郭を感じさせる。
人間が着ているようなワイシャツとスラックス。
名称こそミノタウロスには分からないが、その影三つはどれも同じ人間の青年のような輪郭を持ち、尚かつその顔には部品の持たないのっぺらぼうを浮かべている。

≪ココハドコダ?≫

ミノタウロスが問えば、三つの同じ影はクスクスと笑い始める。
声こそどれもが違うのと言うのに、手を口に当て馬鹿にしたような笑いはそのどれもが変わらない。
むしろ鏡映しのように全く同じの動きを見せる気味の悪いものだった。

≪エサハ……ニンゲンハドコダ!?≫

知能が低いとはいえ、眼の前の異常にミノタウロスは腰から手斧を抜き放つなり叫び声を上げた。
闇の広がる空間で反響する自らの勇ましい声。
それが震えていることにミノタウロスは気付かない。

やがてその反響して木霊する自らの声が鳴り止んだ時、ミノタウロスの前にはいつのまにか三つの影とは違うもう一人の青年が佇んでいた。
他の影と違うところは、その顔がどうしようもないほどの黒に塗りつぶされていること。
色ではない。
それは、ミノタウロスが今まで見たことも無い様な闇だった。

≪ア、 アァ、ォオ≫

言葉になっていない声がミノタウロスの牙だらけの口から漏れた。
後ずさるように眼の前のわけのわからぬ存在から距離を取ろうとして、尻持ちをつく。
ナンダコレハ。ナンダコイツハ。
やがてその存在が手をこちらに伸ばしてきた時、ミノタウロスの頭に妙なものが入り込んできた。

それは記憶。
心を同じ場所に置いた故に起こる記憶の流入。
本来であれば餌である人間を侵すために利用するであろう、その人間の心。

見たことも無い様な世界。
あり得るはずもない世界。
交わることなどない世界。

その記憶が、知識が、世界が。
ミノタウロスの悪意を侵す。
本来は狂喜乱舞するはずの魔物が、その全てに侵されつくしている。

≪お、お、お。これはいけるか?≫
≪ふん……ここまでは誰でも可能な域だろう≫

奥にいた影の内の二つが何かを言った。
だがミノタウロスには届かない。
今彼は必死なのだ。
この餌に呑まれないように必死なのだ。

しかしこのミノタウロスは存外タフで、強くて、中々に位の高い魔物らしい。
記憶の混同が終わり、その全てを理解した時、ミノタウロスは荒い吐息を吐きながら獰猛な笑みを浮かべた。
這いつくばったまま眼の前にいる青年を見上げれば、それがクドーと言う名の精神を持つ人間だと気付くことが出来た。

まだ上澄みまでしか同化出来ていないというのに、ミノタウロスは笑ってしまった。
アークザラッドという知識。
キメラとして極限にまで改造されたこの男の身体。
圧倒的な力。
それを眼の前にして、未だクドーの心の根源に触れぬまま、未だ彼は自分の餌であると思ってしまった。

≪あー……こりゃ駄目だ≫
≪眼の前の餌に釣られるなど愚かな≫
≪失望≫

もはや三つの影が語る言葉など聞こえない。
眼の前にはあまりにも美味しい餌がある。
いや餌ではない。これは料理だ。
一級の材料と料理人によって創り出された極上の料理だ。

もはや止まることなど出来ない。
我慢することなどあり得ない。
ぼたぼたと涎を垂らしながらよろけるようにして立ちあがったミノタウロスは、雄たけびを上げながら眼の前の青年に襲いかかった。





そして――――その青年によって、ミノタウロスは頭から喰われた。





◆◆◆◆◆





眼の前でさも当たり前のようにミノタウロスを喰らっているクドーの姿を見ながら、シャドウは一人ため息を吐いた。
眼の前の異常すらはっきりと理解出来ない馬鹿さ加減、眼の前にぶら下げられた餌に飛び付く馬鹿さ加減、クドーに敵うと思っている馬鹿さ加減。
どれをとっても眼の前でバラバラになっているミノタウロスは失笑モノだった。

無論ここはクドーの心象世界。
何一つモノが見当たらないただの真っ黒の空間ではあるが、原作におけるエルクの心象世界を考えれば何か面白い光景があるわけでもないのだろう。
ただ居座るだけでは面白くも無い空間ではあるが、クドーの心に直に触れることが出来る彼らにはこれ以上ないご褒美であった。

そう、シャドウ達はクドーに心酔している。

死ねと言われれば喜んで死ぬのだろう。
喰わせろと言われれば喜んで自分の身体を差し出すだろう。
何を言われても、自分達の心は宿主に囚われている。

シャドウから見ればアークザラッドと呼ばれるこの世界の知識も、違う世界があるいう事実もどうでもいい餌であった。
自らも同じようにクドーをただの餌として見、今眼の前で餌食になっているミノタウロスのようにひざまづいたあの日。
今まで魔物にとって人間はただの餌だと思っていたあの日。
ただクドーという男に自分の心を粉々に壊された。

魔物が英雄によって打ち滅ぼされる。
ただ単なる力の問題であれば人間が魔物を凌駕する事実はシャドウにも理解出来る。
だが彼の宿主はそんな事実とはまるで枠外の存在だった。
この世の善悪も、優劣も、何もかもをその狂気で以って飲み込む。
それを理解した時シャドウは、いや、アヌビスもファラオもクドーの下僕となった。
ただ一つの目的のために悪も正義も自分も世界も歪め、ただひたすら終点まで駆け抜けるその意思に、彼らは取りこまれた。

脆弱な世界の人間であったからこそ。
悪意ある存在など知らぬ世界の人間であったからこそ。
何一つ力の持たぬ人間であったからこそ。
『人間』であることに執着してひたすら足掻くその心。

人間であるためならば、何を捨てても構わない。
人間であるためならば、人間であることを捨てても構わない。
最後の最後に、人間であったならそれでいい。

エルク達の救いを以って自らを人間と定めるクドーにとって、この世界の悪意たる魔物などただの餌に過ぎなかった。
単純に魔物と人間とで悪と善が区分されているこの世界の者では気付きにくい、人間の悪意と狂気。
それを極限にまで濃くしたクドーに触れれば、シャドウたちにとってそれは一つの畏怖であり敬意を向ける存在に他ならない。

口の周りを血で濡らし、真っ黒な顔の中に赤黒い瞳を光らせるクドー。
眼の前の光景に、シャドウは素直にその身体を震わせた。
人間ほど恐ろしいものはいない。





◆◆◆◆◆





新たな魔物の補給。
いや、度重なるエルク達との戦いで幾らか浪費した命を蓄えるために行った合体は不具合なく完了し、俺はとある場所に赴いていた。
白い家の武器保管室手前。
今はエルク達と戦わせるために少しばかり大広間の方に移動したガルムヘッドの保管室だった。

ただミリルの棺桶として存在して時よりもいくらか整備された様子が見て取れ、これをそのままエルク達にぶつけるというガルアーノの作戦が見とれる。
原作ではミリルの身体は別室に宛がわれ、そこからコンピューターを介した遠隔操作でこの鉄くずを動かしていたはずだが……。
巨大な人型の上半身を見せるガルムヘッドの頭部を見上げれば、其処にはタンクの中に横たわるミリルの姿があった。

あの頃より意識を取り戻していないはずだというのに、身体強化とその類の補助でそこらの少女と変わらぬ身体にまで成長し、その容姿はリーザと少しだけ似た金髪の美少女。
衣服こそ入院患者の着る様な素っ気ないものだが、きちんとしたものを身に付ければそのあどけないものを残す容姿はさらに可憐さを増すのだろう。
どこか童顔を残すエルク。男子とは思えぬほどの美系なジーン。眼を覚ませば天真爛漫な姿を見せるだろうミリル。
さすがにここまで容姿の優れた者が揃うと、少しだけ嫉妬してしまいそうになる。

そう、その彼らが揃う瞬間を夢想する。

願うのは二つ。
眼を覚ましてくれ。
その身に宿る魔の悪意に負けないでくれ。

俺にはどうすることも出来なかった。
この五年間、幾度も声をミリルに掛けるも、彼女はその意識を目覚めさせてはくれなかった。
エルクがこの白い家から脱走し、ジーンをヴィルマーに預けることに成功した後もここに俺が残った理由はそれ。
わざわざ原作になぞらせなくとも、さっさと残ったミリルを連れて逃げればよかった。

だが出来ない。
ミリルが、俺の言葉に応えてくれない。
こんなにも彼女達のことを思い、身をこんな醜悪なものにまで落しても尚、俺は彼女を救う事は出来ない。

エルクはミリルの手引きによって救われ、ジーンの救出はヴィルマーにほぼ丸投げ。
重要なミリルは未だガルムヘッドの中で眠ったまま。
俺はいつだって自分の手で誰かを救う事は出来ず、誰かの手に委ねるだけだった。

――――英雄たちの手に。

そして最後の最後までそれは変わらない。
ようやく白い家に舞台を移し、やがてやってくるエルクとジーンが彼女の眼を覚ましてくれるだろう。
その戦いの中で改造されてガルアーノに操られるミリルも、エルク達と培った絆の中で自ら魔を打ち払うのだろう。
そういう、流れだ。

どいつも、こいつも、英雄ばかり。

鉄臭い倉庫の中でガルムヘッドを見上げ、思う。
俺は一体何をしてきた?
俺は一体誰を救えたのだ?
この手で出来たのは、いつだって誰かの命と希望を絶つことだけだった。

「クドー。ガルアーノ様がお呼びだ……どうやらサンプルたちがこちらに辿り着くらしい」

くだらない自己嫌悪に陥れば、やがて俺の背後から声をかけたのは先ほど魔物との合体を担当していた研究員だった。
サンプルと呼ぶ声。
エルク達をサンプルと呼ぶその言葉。
俺は内に燻る惨めな感情と共にその研究員の頭を力いっぱいに殴りつけた。

びしゃりと何かが破裂する音を耳にしながら、生温かいものを感じる俺の右手。
そのまま崩れる様にしてその研究員は床に転がり、動かなくなった。
所詮そこらにいる非戦闘員の一人。いや、中身は堕ちた人間か。
もうすぐ崩壊を迎える白い家の者など、一人や二人死んだところで気にしない。
ガルアーノには適当に気が昂ぶっていたなどと言えばいいだろう。

そうだ。
気が昂ぶっている。
ようやく、俺は人間になれる。

――――最後だ。行こう。








[22833] 十九
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/02/05 17:16




風が唸り、エンジンがけたたましく回るヒエンの内の中で、ただエルクは黙ってその舵を握りしめ続けていた。
リーザ、ジーン、シュウ、シャンテ、パンディット。
自身を含めればそれなりに数の多いパーティーでもあり、エルクの操縦するヒエンの中は少しばかり窮屈であった。
ふとエンジン音の響く船内で耳をそばだててみれば、操縦席の奥にある座席からはかすかに寝息のようなものも聞こえてくる。

飛行艇・ヒエン。
ビビガの個人的な趣味として製作された小型飛行船ではあるが、個人所有の飛行船としては高性能なものであり、大陸間の航行も楽々こなすことができる。
といってもそこは所詮個人製作の域を達することは出来ず、攻撃を加える様な機関銃や爆撃装置など付いておらず、無論最大乗船人数も少ない。
ガルアーノの式典において遭遇したアーク一味のシルバーノア追跡に酷使させ、ヤゴス島へ墜落させてしまったものの、ヴィルマーの手によって完全に修理されている。
雲を掻き分けて進むヒエンの速度もヴィルマーが何か細工をしたのか、前よりも大分速くなっていた。

彼らが向かうのは西アルディア。
プロディアスやインディゴスなど人の住む地としてそれなりに発展している東アルディアと比べれば、この地は魔物の住む地であると言う他ない。
砂地が延々と続き、ロックやマントラップといったモンスターの蔓延るアルバ砂漠。
一度迷い込んでしまえば二度と出ることの叶わないと噂される帰らずの森。
どちらをとってみてもこの西アルディアは人が根を下ろす地としてはあまりに過酷な大陸であった。

「エルク」
「……シュウか」

途切れぬ雲の合間を前に、遥か彼方まで続く大海原を眼下に。
ただひたすらにその西アルディアを目指し舵を握るエルクの背後から、シュウが静かに声を掛けた。
ただエルクは視線を後ろに回すことなく返す。

「そろそろ4時間は経つ。交代したらどうだ」
「いや、いい……寝ていられそうもないしな」

そう言いながら初めてちらりと後ろを振り向けば、操縦席の後方ではジーンが手荷物を広げながら装備品の確認やら何やらを延々と行っていた。
どこか落ち着かないようにソードを研いでみたり、回復薬の数を数えてみたり。
身体を動かしていなければ、立っていられない。
それはエルクも同じであった。

「…………」
「…………」

絶え間なく一定のリズムで音を鳴らすエンジンを耳に、エルクとシュウの会話は途切れてしまった。
唯一パーティーの中で因縁を持たず、何よりもベテランのハンターとして冷静な判断を下すことが出来るシュウからすれば、あまり褒められたものではない現状だった。
迫る決戦の地に近づくたびに面々の表情は重くなり、緊張に顔を強張らせ――――生き急いでいるようにも見える。

血溜まりのクドー。

シュウが自身の行方不明を利用して得たガルアーノに関する情報の中にその名前はあった。
ガルアーノの右腕としてキメラ部隊の総括を一手に引き受け、ガルアーノの起こす陰謀の中には必ずこの男が関係していた。
無論シャンテを巡る裏切りの舞台を整えたのも、そしてそれをガルアーノに提案したのもこの男であった。

そんな、外道とも取れる行動の数々を取ってきたキメラの男が、エルクとジーンの馴染みであり、救出するはずだった相手などと。
不幸とも言える運命にシュウは人知れず眉を顰めざるを得なかった。
落ち着きなく視線を彷徨わせるジーンの背後、リーザと寄り添うようにして眠るシャンテを眺めれば、彼女はリーザの手を握ったままであった。

自らの運命を狂わせ弟の命を奪った男が、エルクとジーンの救うべき者。
今でこそエルク達との間で行われていた裏切りは水に流され、自らもまたガルアーノを倒すと動向を求めてきた彼女ではあるが……。
シュウの彼女に向ける視線は鋭い。

「なぁ、シュウ」
「何だ」
「…………いや、なんでもねぇ」

ぼそりと呟いたまま頭を振る様にして口を閉じたエルクであったが、シュウから見ればそれは隠しようがない迷いと恐れの表れだった。
ただひたすらに親友の救出を願い、求め、ここまで来たというのに、そこに待ちうけていたのはキメラと化した親友。
間に合わなかったという現実。

クドーを討たねばならないのか?
俺たちは戦えるのか?
ミリルは間に合うのか?

果たしてシュウの手によって知ることが出来た白い家の場所に向かっていることも正しい選択なのかどうか。
ヒエンの行き先の西アルディア、帰らずの森の奥の奥。
その天然の砦に守られるようにして白い家はエルク達を待ちかまえている。
全てが始まった忌まわしき家。

「……やるしかないのだろう」
「ああ、そうだな」

気休めの言葉。
シュウの声にエルクは半ば自分で納得するかのように頷いた。





◆◆◆◆◆





西アルディア、アルバ砂漠。
砂塵を巻き上げながら着陸したヒエンより足を踏み出せば、エルク達の前に広がっていたのは砂漠とも荒野とも取れる魔物たちの巣窟だった。
ふと遠くを見上げれば魔鳥ロックの姿が見て取れ、そこらに生えるサボテンに紛れて食虫植物のマントラップが触手をうねらせている。

砂塵舞うこの砂漠を越え、まずは帰らずの森の入口へと。

エルク達の足取りは重い。
ただし遅くはなかった。
再会を願うように、希望に縋るかのように、誓いを果たすために。
ただひたすらと彼らは襲いかかる魔物を蹴散らしながら進んでいった。

「あっついな……シャンテのねーちゃんは大丈夫か?」
「魔物ならとにかく暑さくらいでへばっちゃいられないわよ」
「うへぇ……タフなこって」

照りつけるような日光と、風に煽られて舞う砂を防ぐ岩場の影。
ひとまずは休憩ということで立ち止まったエルク達。
一人偵察に向かったシュウと、食事の準備をしているリーザとエルクがそれぞれ動き、ジーンとシャンテは荷物番の役目を負っていた。

「半分くらいかね?」
「どうかしら。シュウが言うには帰らずの森だったらそんなに遠くないって話だけど」
「とりあえず暑くなきゃいーや……帰らずの森って熱帯雨林的なものじゃねーだろーな?」
「ヤゴス島だっけ? エルクからは結構暑い土地だって言ってたけど」
「海が近いからなー、むしろ涼しくて過ごしやすい。バカンスにでも来る?」

おどけて言うジーンにクスクスと口元を抑えて笑うシャンテ。
パーティーの中では大分余裕がありそうな雰囲気を見せる二人ではあったが、その実、腹に潜めたモノは大分歪んでいた。
言うなればメンバーのムードメーカーとして軽口を交わすジーンと、どこか大人特有の余裕を見せるシャンテであるために抱く双方の違和感。
ひとしきり笑った後に視線を合わせ、その軽かった口調を落し、ジーンは口を開いた。

「うちのダチが、すまんね」
「いいわ。悪いのは多分……ガルアーノだもの。そう今は思ってる」
「…………すまない」
「水に流してもらったのはこっちも同じ……裏切りは、重いわ」

岩を背にして陽炎の揺れる荒野を真っすぐに見つめた二人は、ただ許しを乞うかのようにポツポツと語り始めた。

「俺たちは多分、復讐者だ」
「……そうね」

ジーンの頭に浮かんだのは、あの包帯に巻かれた異形がクドーであると知った場面だった。
ガルアーノの所業に視界が真っ赤になるほどの怒りを抱き、様子のおかしいエルクをそのままに吼えた。
そしてクドーが優しき声を投げ掛けた時、やはりジーンの頭に浮かんだのは怒りだった。

何故クドーが。
親友をこうしたのは奴か。
不幸を振りまくのはあの男か。

純粋にクドーのことを思い刃を鈍らせたエルクと違い、ジーンはただ怒りのぶつける先を見失い掛けたことからの鈍りだった。
育ての親と愛すべき妹にまで手を出し、自分の過去を歪め、親友を苦しめる悪への義憤。
クドーに対する万感の想いよりも先に、ただどうしようもない怒りが先走っていたことを、ジーンは理解してしまっていた。

「……私も、どこか弟のことは諦めていたわ。アルのことは……別れて随分経っていたしね」
「仲、よかったみたいだな」
「そりゃそうよ。孤児院から出て、ずっと一緒だったもの」

懐かしむように空を見上げたシャンテの瞳には、ほんの少しだけ涙が浮かんでいた。

「本当にアルを見つけたかったのか。それともアルに手を出した者を殺したかったのか」
「…………」
「あやふやなままに生きて、希望をチラつかされ、罪を犯した……そして今も」
「今?」
「本当にあなた達への償いがしたくて力を貸そうと思ったのか。それとも復讐の機会を得るために利用しているのか」

深く深くため息をついたシャンテは、どこか不安げな表情を浮かべていた。
自分が本当に正しいことをしているのかどうかすらはっきりしない有様に、心が揺れる。
目的が何であれ、未だ不幸を生み出すガルアーノを倒すことにためらいなど必要なはずもないというのに、二人はエルク達とは違った迷いを抱いている。

果たして自分達は正しいのか。
エルクと共に刃を並べていいのだろうか。
自分達もまた、私欲に戦う『悪』ではないのか。

ただ風の音だけが響く中で沈黙が続けば、やがて二人が目を向けていた荒野の中に、一つの黒点がぼんやりと浮かび上がってきていた。
やがてその点が輪郭を帯び、次第にこちらへ近づいてくることに気付けば、その正体はシュウ。
どうやら偵察を終えてきたらしく、先へ進む道も発見してくれていた。

「……まぁ、まずは進まなきゃな」
「光明がなくとも進め、か」
「お、なんか知的な姉さんっぽくていーじゃん」
「あんまり茶化さないの」

腰に付いた砂を払いながら立ちあがる二人は、どこか問題から目を背けるようにして軽口を交わした。





◆◆◆◆◆





エルク達の進むアルバ砂漠は確かに広大で多くの魔物が巣食う場所ではあるのだが、幸か不幸か目的地である帰らずの森まで続く道としては幾分か短い。
砂漠の端を横断するような形で進んでいけば、その先に森林地帯がエルク達の前に見えるのは早かった。

徐々に砂だらけだった地面に草が生い茂り、どこか湿っぽい空気すら漂わせている風が森の奥から流れ込んでいる。
しかし厳しい大地を抜けて現れたこの森林はオアシスにはなり得ず。
迷い込んだ者を捕まえて逃さない帰らずの森。
その入口で辿り着いたエルク達は、全てを飲み込んでしまいそうなほどに奥まで続く濃緑の森を眺めていた。

「…………」

生ぬるい風に外套を靡かせながらエルクはその景色に想いを馳せた。
ミリルと共に脱出すべく駆け抜けたあの森。
周りに生えた草木全てが自分の小柄な背よりも高く生い茂っていた頃の出来事。
つい前までは霞がかっていたようにはっきりしなかったあの光景も、今ではその全てが鮮明に思い出すことが出来る。

ふぅ、と心の中に溜まった様々な不安を吐きだす様にして息を吐く。
ふと気付けば、エルクの隣には腕を組んだままのジーンが立っていた。

「帰ってきた、か」
「別に実家でも何でもないけどな」

どこか懐かしさすら漂わせて語ったジーンの言葉に、少しばかり口を尖らせるように答えたエルク。
しかし自らに関わる全てが始まったのはこの先にある白い家であることは、無意識ながらも感じているのだろう。
ジーンの言葉を否定しながらも、エルクの頭に浮かぶ記憶の中には決して不幸なものだけではなかった。

友として仲が良くなった子供たち。
傷をなめ合うようにして肩を寄り添わせた日々。
誰しもが不幸な眼に会いながらも、日々を笑って過ごすことが出来ていた。

ミリル、そしてクドー。
酷い目に会いながらも笑顔を絶やさず、ささくれだったエルクの心を穏やかにさせていったミリル。
常に後ろから見守るようにして子供たちを纏め、そしてジーンをこの白い家から救い出したクドー。

「借り云々の前に、まぁ、親友だからな」
「……そうだな」

昔を懐かしむのはここまで。
友を助けることに理由は要らず、ただ自ら出来ることを為さねばならない。
そして、自分達は一人ではない。
顔を引き締め、エルクとジーンが振り向けば、その後ろには頼もしい仲間達が自分達を見守るようにしてそこにいた。

奇運の果てに知り合い、なお且つ似たような因縁を持つ仲間達。
始まりは歪なものであれ、今は背中を預け信頼出来る者達。

「頑張ろうねっ」
「行きましょう、エルク、ジーン」
「行くぞ」

強大なロマリアの影をチラつかせるガルアーノに立ち向かうにはあまりに少ない。
それでも負ける気は、屈する気はまるでない。
頼もしげな仲間達の声に、二人は力強く頷くのだった。

そんなエルク達のやり取りをひっそりと森の影から眺める一つの影。
やがてそれに気付いたのはシュウかパンディットか。
即座に視線を向けられたその影は、やがて観念したように影を纏いながら森の中より這い出てきた。

「いやはや、無事に辿りつけて僥倖ってどころかァ?」
「お前は……」

日光さえ通さぬ深い森の闇に紛れていたのはクドーが手持ちにしていた魔物の一体、ブラックレイスを種族とするシャドウだった。
真っ黒な霊魂らしき身体に赤黒い瞳を光らせ、顔さえなくともどこか嘲笑うかのような表情を携えてケラケラと笑う。
当然の如くエルク達が戦闘の構えを見せれば、シャドウは慌てたようにして身体を震わせた。

「おっと勘弁してくれよ。別に戦いに来たわけでもねェし、勝てるとも思っちゃいねェ。シュウさんよ、そう周り警戒しなくてもいいゼ? 奇襲なんて考えてねェから」
「どうだかな」
「何しに来やがった」

おどけた様子でペラペラと言葉を連ねるシャドウに、シュウとエルクがいい顔をするはずもない。
シャドウの言葉など信じる理由も無く、そしてそれが敵と味方で別れている者の当たり前。
しかし、じりじりと攻撃の隙を窺っていたエルク達の中で、ただ一人リーザだけが違和感を覚えた。

「……あなた、本当に魔物?」
「リーザ?」

そう零した本人でさえ確信がなく、リーザは恐る恐るといった風にシャドウへと問いかけた。
それに一瞬唖然とし、やがて大きく笑い始めたのはシャドウ。
人間らしく腹を抱えて笑うその姿は、異形のモンスターであるという括りさえなければ人間のそれそのものだった。

「ギャハハハハッ! まァ、そうなるよな」
「どういうことだ?」
「さぁ? ……魔物に侵された人間はキメラだが、人間に侵された魔物は何て言うのかねェ?」

困惑するエルク達の前でひとしきり笑い、シャドウは満足そうにして帰らずの森の奥を指差した。

「北東の方角に行きゃあ白い家には着くが、バルザックっつー森の番人が森ん中をうろついてる。気を付けな……まァお前らにしたら雑魚だろうが」
「……何のつもりだ」
「いやね、こっちとしてもお前らには白い家に来て貰わなきゃ困るのよ。そこら辺はシュウさん辺り気付いてるんじゃねェのか?」
「…………」

沈黙で返したのはシュウ。
シャドウの言う事を鵜呑みにすることは出来ないが、自分達を誘っている感じはエルクも気付いていた。
というよりもどことなくここ最近起きている問題の全てが、そういった誘いの影を見せているとも。
――――全て仕組まれているなどと考えたのはいつだったのか。
それを思い出せばエルクはシャドウの言葉を戯言と切り捨てることは出来なかった。

「ふん。余裕だな、ガルアーノの野郎は」
「……ガルアーノねェ。旦那にとっちゃあれは舞台装置の一つくらいにしか考えてねェが」
「何?」
「おっとここまでだ。まぁお前らがさっき休憩してた小屋に置いておいた支給品も俺が用意したんだから感謝してくれよ?」
「あ、待って!」

リーザの追求を遮るかのように捲し立て、そのままシャドウは森の中の影へとその身を顰めていった。
一体なんの意味があってエルク達に接触したのか。
シャドウの言っていることを全て肯定するのなら、ただの誘いに変わりはないが……。
どちらにせよ兎に角進むことしか選択肢がない現状にエルクがため息を吐けば、そこでジーンが首を傾げながらリーザに声を掛けた。

「どったの?」
「えと、うーん……あの魔物なんだけど」
「まぁおかしなな魔物ではあったわね」

うんざりとしたように両手を振るシャンテ。
しかしリーザが言いたいのはそういうことではなくて。

「何だろう。何て言うか……あの魔物、人間と近い心を持ってたような」
「…………いやぁ、もしかして仲間にする気?」
「私は嫌よ、あんな頭の悪そうな……エルクじゃあるまいし」
「あんだと!?」

結局のところリーザの違和感が素直に受け入れられたわけではなく。
シャンテがぼそりと付け足した言葉に声を荒げたエルクによって、どこかその違和感は吹き飛んでしまった。
ただシュウだけが、シャドウの消えていった森の奥をただずっと見つめていた。





◆◆◆◆◆





帰らずの森と言っても人の歩く道がないほどの樹海というわけでもない。
どちらかと言うと人が横に5人ほど並べる程度の道があり、それは今まで迷い込んだ人間が踏みならしていったものなのか。
それとも森自体が迷い込む人を誘うために開いたものなのか。
なんにせよ、先の見えない暗がりの道はおどろおどろしいものだったが、木々の張る根に足を取られてしまったり草を掻き分けるといった苦労はなかった。

しかし周りが木々に囲まれているからか、エルク達は魔物からの奇襲に手を焼かせることになった。
唐突に草木を分け入って出てくる遭難者の慣れの果て、スケルトン。
太陽を遮る様にして高く聳え立つ大樹の枝から飛び下りてくる食虫植物。
気配や魔物匂いに敏感なパンディットのお陰で大分楽にはなっているとはいえ、少しでも気を抜けば危険な道中にエルク達は気を滅入っていた。

そんな疲れが見え始めたパーティの中で、どことなく上の空な様を見せるのはリーザだった。
魔物に侵された人間がキメラならば、人間に侵された魔物は。
帰らずの森の中を進むリーザの頭に浮かぶのは、シャドウの零した意味深な言葉。
鬱蒼とした森の中を魔物からの奇襲に備えながら一歩一歩慎重に進む中でも、その言葉が彼女の頭から離れない。

魔物を操り、心を交わすことの出来る異能。
ホルンの魔女としての能力を代々伝わる村の生まれとして受け継いだリーザにとって、シャドウの言葉は考えたこともないものだった。
何せ魔物とは人を襲う者であり、人間との関係は強者と弱者のそれに違わないものだったのだから。
例え魔物と近しい位置にいる魔女と言えども、それを否定するつもりはリーザにはなかった。

(あの魔物は……)

森の入口で接触してきた魔物を思い浮かべながら、ふと隣でキョロキョロと辺りを見回しながら歩くパンディットを見下ろす。
魔物で在りながら心を交わし、主である自分のために戦ってくれる頼もしい仲間。あるいは家族。
敵と判断した者への攻撃性と、すぐに喉を鳴らして威嚇する獰猛さは野生の魔物と変わらなくとも、彼はその力を仲間のために使ってくれる。
そんなパンディットに抱く心の有様と、あのシャドウの心が微妙に重なった。

そこまで考えてリーザは――――簡単に頭を振ってその考えを否定することが出来なかった。
あのシャドウという魔物に感じた違和感、そして何よりもクドーという『キメラ』に感じた想い。
そのどちらにも眼を背けたくなるような、野生の魔物や魔に堕ちた人間が発するような悪意をリーザは感じられなかったのだ。

「リーザ? 疲れたか?」
「えっ、あ、ううん。大丈夫だから」

考え事をしていればエルクがリーザの肩を叩いて心配そうな顔を向けていた。
その顔を見て、リーザは思う。
これからエルクは友達を救うべく白い家に入って、ガルアーノと戦って。
それでも、既にクドーはキメラと化した敵になっていて。

――――本当にあの人は、ガルアーノの手下なのか。

いつだったか考えなしに言ってみた自分の言葉が、リーザの中で浮かびあがる。
それは自分達の間で半ば絶望的になっているクドーの救出に繋がる希望であるようにも思えた。

「ねぇ、エルク」
「何だ?」
「多分、諦めちゃ駄目なんだ」

唐突にリーザの口から出た言葉にしばし目を大きく開けたエルクは、その意味を解するなり顔を俯けた。
クドーに関する想い。いくら固く誓ってみても、それはもはや叶えることの出来ないものなのではないのか。
エルクの後ろを歩くジーンも、いつのまにかリーザの言葉を聞こうとその隣まで歩み寄ってきていた。

「友達だったら、声は届くよ」
「リーザ……それは甘い考えでしか」
「あの人は魔物なんかじゃない。魔物に負けたキメラなんかじゃない。私には分かるの」
「…………」

ホルンの魔女としての力か。
そんな考えが過ったエルクだったが、すぐにその認識を改めた。
こちらをじっと見据え――――守られるだけではなく、戦う事も知っている少女が浮かべる真摯な瞳。

「だから、声を掛けてあげて。あの人に巣食う魔物には私が心を届ける。だから、まだ人間なままの彼には、あなたたちが心を届けて上げて」

いつからだったか。
エルク達の間で淀みかけていた誓いの心。
間に合わなかったという現実が齎した諦めの影。
目的さえあやふやになり、ただ牙を剥くことしか残っていないかのような荒れた心。

「まだ間に合うかどうは分からない。だが希望はある」
「シュウ?」

一度堕ちかけていた英雄達の心。
だが希望はまだ潰えない。
一つ一つ、クドーの起こした何かが繋がり始める。

「エルクと合流する前にも彼と接触したが……どうにも彼はガルアーノとは違うところで動いている節もある」
「……本当か?」
「彼の管轄する部下達から情報を得ていたのだが、どこか意図的にこちらへ流していたのかもしれん。そして妙な言葉も」
「言葉?」
「B-2棟。042号室。パスコード『アークザラッド』。かの地での救済。エルクのため。何を意味するのかは分からんが……」

間に合わなくとも、手遅れだとしても。
やり直せる。
また一から。

「そもそも俺を爺さんに任せたっていうのもな。それにあの真っ黒な魔物のことも……ちっと不自然だぜ」
「ガルアーノが白い家に誘ってるって言うけど、私やシュウを生かす必要はないものね。なのに彼は私を殺していないし」

次々に浮かびあがる違和感の中。
エルクは思い出した。





――――お前、元気か?





あの時の言葉は。
あの時の心は。
あの時の俺達は。

クドーが投げ掛けた心は、決して魔に侵された悪意の籠ったものではなかった。
確かにこちらのことを想い、どこか温かい声で投げ掛けたものだった。
あの時確かにクドーはこちらに、心を投げ掛けた。

「まだ、やれるのか?」

どこか無意識に零したエルクの声に、その場にいる全員が力強く頷いた。
既に決戦の地である白い家はすぐ目の前。
ただ目的とするのは親友の救出。

弱弱しく灯るだけだった炎が、徐々にその輝きを増していった。





◆◆◆◆◆





耳の奥に残るような電子音。
カタカタと絶え間なく叩かれるキーボードの音。
俺の立つ背後では白い家の職員たちが慌ただしく駆け回っていた。

エルク達にぶつけるために表に移動させられる巨大な鉄の塊。
拠点防衛型兵器『ガルムヘッド』。
その姿は人型の上半身を鉄の装甲で覆い、頭部に操縦者たるミリルのカプセルを置き、背中部にはランチャーやら機関銃『ツォルンブリッツ』やら。
とても内部での戦闘を考慮した兵器ではない気がするが。

(まぁ、元々は意識の戻らないミリルを保護するためだけの機械だったか)

その鈍重そうな身体をレールに乗せられて移動していくガルムヘッドを眺め、息を吐く。
いくらエルクといえどもこんな鉄塊に真正面から挑まされるなどというのは、あまりに無茶な話なのではないのだろうか。
まぁ、ミリルの覚醒を促すためにある程度の手加減はなされるのだろうが。

「搬出完了いたしました」
「分かった。下がれ」

作業着を身に纏った部下を下がらせ、しばしガルムヘッドがいなくなってガラリとした倉庫内に一人佇む。
思えばこの殺風景で鉄臭い部屋へは、白い家に戻る度にほぼ毎回通っていた気がする。
声の届かぬミリルに言葉を一人投げ掛け、一人結末への不安を隠す様にして彼女の瞳を閉じた姿を見つめる。
監視カメラがあるせいで滅多なことを口走るわけにはいかなかったが、少なくとも俺の平静を保つための一端にはなっていたはずだ。

ミリルが意識を失くしたあの日。
その原因は、エルクを逃がすために自ら囮となりその身に眠る異能を強引に開花させたせいだとも言う。
俺がその場に立ち会う事は叶わず、ただ後に送られてきた逃亡事件のレポートから読み取ることしかできなかったが……。
確かにあの時、ミリルも幼い子供ながら戦っていた。

例え意識がなくとも、例えその身が知らぬ内にキメラと近いものに弄くられていても、ただ静かに眠る彼女と俺は全く違う生物だった。
まだ年端もいかぬ少女の内に自分の不幸を受け入れ、それでも未来に足掻くことを知っていたミリル。
絶望に暮れる俺やエルクを前にして、必死に笑うことを教えてくれた子供。
ただ眠るだけの姿となっていても尚、彼女は俺を勇気づけてくれる。

(…………)

この数年、ただひたすらに舞台を整えることに尽力してきた。
自らの持つ全てを捧げ、それでも足りず、名も知らぬ罪なき人々を捧げ、機を狙い続けていた。
足掻いて、足掻いて、足掻いて。
それでも出来たのはほんの少し、この世界の流れを狂わせることくらいだった。

既にミリルの身体は肉体が変わるほどではないがキメラ強化され、ガルアーノの思うがままの身体になっている。
そんな身体になる光景を、俺は力が足りずただ黙って見ているだけだった。
そして万が一のためとして――――ミリルが本来の流れの中で犠牲となった要因、自爆装置を取り付けられていた光景もまた。

といってもさすがにガルアーノお気に入りの個体故か、普通に考えられるような自爆装置ではなく。
そもそもにしてミリルのキメラ強化は、俺やそこらの一般兵のような肉体が変わるようなものではない特別製なのだ。
人間として、可憐な少女の肉体を保ったまま魔物の力を注ぎこむ特殊な方法。

それを知ったのは、せめてもの幸運か。
故に俺が付け入る隙がある。

「クドー、ガルアーノ様がお呼びだ」

顔に出てしまいそうな笑みを無理やり隠し振り返れば、ガルアーノより使わされた部下の一人が面白くなさそうな顔をしてそこにいた。
同胞である魔物を喰い物にする故に、俺はどうも同じ魔物やキメラ連中からは受けが悪い。
しかしどうでもいいこと。
ガルアーノからの呼びだしとなれば、ついにエルク達がこの白い家の辿り着いたのだろう。

ただ今は牙を研ぎ、踊ってやろう。





◆◆◆◆◆





コンピューターによって統率される内部に配置されたキメラ兵。
白い家内部で回っている監視カメラの映像を映すモニター。
起動準備に入っているガルムヘッドの状況を表わす複数のデータ。
白い家そのものの頭脳でもある情報室に俺は呼びだされた。

既に幾人もの科学者たちが様々なデータが流れるウィンドウに眼を向けており、それを統括するかのようにガルアーノが指揮を取っていた。
指揮を取るとは言っても、監視カメラが写すエルク達の姿ににやけていただけだが。

「来たか、クドー」
「『白の部屋』へのガルムヘッド搬入、完了いたしました。次の指示を」
「まぁ、そう慌てるな。見てみろ。エルク達の奴らは既にこの白い家の地下内部まで辿りついているぞ?」

エルク達が地下通路を走り抜ける様子が映し出されたモニターを指差し、期待を隠しきれないような顔を見せるガルアーノ。
どうやらエルク達が無事ここまで来たことで、積りに積もった期待感が破裂寸前らしい。
ガルアーノからすればサンプルの中で最強を競う素体の一つが白い家に戻り、なお且つもう一人のサンプルを目覚めさせる要因を持っているというのだ。
ガルアーノの感情に熱が帯びるのも仕方がないのだろう。

隙だらけ。だからといってこちらがボロを出すわけにはいかない。
最後の最後で自分の感情が抑えられなくなりつつあるのは俺も同じなのだから。
それに、油断してはならない理由も、直にこの白い家へとやってくる。

「ガルアーノ様、そろそろキメラ兵の引き取りにアンデル様が来ます」
「チッ……まぁ、そこらの出来そこないでもぶつけていけば、重要な場面を取り逃すこともあるまい」

いつもと変わらず。ガルアーノの気付かぬ部分を進言してみれば、嬉々とした表情を一変させて顔を曇らせた。
内に燻る不快感を吐きだすために懐から葉巻を取り出せば、乱暴にその先を食いちぎる。
この男がそこまで不愉快に思う理由はそうたいした話ではない。

四将軍の内の一人としてその功績がどうにも地味であり、なお且つ使い走りのような役目を負っているからである。
ヤグンはミルマーナとグレイシーヌの間で起こっている戦争を裏で操り、ザルバトは本国ロマリアで将軍を務める守りの要。
そしてこれより白い家にやってくるアンデルは、世界を悪意に包むための最終計画『殉教者計画』を統括する役目を担っている。

そしてガルアーノが負うのは、その他の将軍達の戦力となるキメラ兵器の開発。
一見すれば縁の下の力持ちとして胸でも張れそうなものだが……そんな殊勝な気持ちがこの男にあるはずもない。
どこか自分が他の将軍達の下に見られているのではないかと疑心暗鬼に駆られているのだ。

だから、そんな不安を掻き消すために弱者を甚振るために余計なことを考え、それに固執する。
このエルクを取り巻くその全ても、効率を考えるならばなんと無駄なことであろうか。
それを進言したのは他でもない俺とは言え、それを嬉々として受け入れたとあってはガルアーノの高が知れる。

「で、アンデルはどこにいる」
「今はロマリア本国へ移送されるキメラ兵を選定していらっしゃるかと」
「ふん、細かい奴だ。キメラ兵などいくらでも代わりが利くだろうに」

心底馬鹿にしたように嘲るガルアーノから視線をエルク達の映るモニターへと移す。
既に彼らは地下通路を抜け、徐々にあの白い部屋の方向へと近づいている。
俺達が本を読み、絵を描き、遊具で遊んでいたあの部屋。
今も尚多くの子供たちが幽閉されている綴じられた遊び場。

そういえばエルク達は、いや、シュウは地下通路の途中にある俺の私室に気付いてくれただろうか。
所詮気休め程度ということでパスコードを伝えておいてはいたが……まぁ、別に必要なものではない。
あれに気がつかなくとも、早いか遅いかの違いで自力でどうにかするだろう。

全てが終わった後。
置き土産などとは言わないが、せめて役には立ってもらいたいものだ。

そんなことを考えていればやがて情報室の自動ドアが開き、中からはそれなりに高価そうな、言うなれば国の宰相や王族が着ていそうな衣服を纏った壮年の男が入ってきた。
片眼鏡の奥にその見た目の年齢にはそぐわない鋭すぎる視線をこちらに向け、その気配が漂わせる魔の空気は濃厚。
部屋が一瞬にして重くなったような錯覚に、俺は顔を顰めざるを得なかった。

「出迎えくらいは欲しいものだがね、ガルアーノ」
「出来のいいキメラ兵を融通するだけでも有難いと思え、アンデル」

来て早々ガルアーノと辛辣な物言いを繰り広げたこの男こそがアンデル。
スメリア国の大臣であり、もっとも効率的に世界を闇に落そうとしている者。
上下関係などないが、俺から見れば四将軍という集まりもこの男が指揮を取っているようなものだろう。

「しかしつい前までは機械との融合に執着していたお前が珍しい。こんな僻地で何をしている?」
「儂のキメラプロジェクトは未だその底を見せん。その可能性がこいつらだよ」

噛み締める様に、自分の道具を自慢するかのようなにやけ顔と共にアンデルをモニターの方へと促せば、そのアンデルはいかにもつまらなさそうに息を吐いた。
あまりにも正反対の二人の態度。
むしろアンデルはガルアーノのそれを見下しているようにも見えた。

「……遊んでいる暇などないのだがな、ガルアーノ」
「何だと?」
「いくら殉教者計画が完璧とは言え、アーク達の妨害は未だ続いている。奴らの前では貴様ご自慢のキメラ兵とてただの木偶だろう?」
「……その木偶に頼っているのはどこの愚図なのだ? アークの妨害は止まぬと言うが、随分と情けないことを言う。あの方に仕える者として不甲斐ないと思わんのか?」

眼を閉じ、部屋中に満ちる殺気と魔の気配に耐える。
科学者としてこの部屋にいる者たちは既にその手足を震わせ、必死にこちらの状況を視界にいれないように眼を伏せていた。
この世界を陥れる四将軍。
その二人がぶつけ合う殺気は、いくら先ほどまで馬鹿にしていたガルアーノでさえも桁違いのものだった。

「まぁ、よい。私はもう少しキメラ兵を厳選しに戻るとしよう。石の多い玉石混合とはいえ、こちらの配下になる価値のある者はいるだろう」
「……好きにしろ」
「人形遊びも大概にしておけ、ガルアーノ」

既にガルアーノの興味が向いているモニターにも、そしてガルアーノ自身にも興味がなくなったのか、アンデルはそのまま情報室を出ていってしまった。
無論残ったのは惨めに流されたガルアーノと、逃げる様にしてモニターを睨み続ける科学者。
面倒なことにならなければとは思うが…………。

そこで気付く。
俺はアンデルが何か介入してくるのかもしれないと胆が冷えたものだったが、それ以前に奴の眼中には俺など入っていない。
そして恐らくはこの白い家で起こることも。

モニターを見れば、そこには白い部屋を前にしたエルク達の姿が。
誰かメンバーが欠けたわけでもなく、全員五体満足のまま。
全ては順調。

あとはエルク達に任せるとしよう。
まぁ、恐らくは癇癪を起したガルアーノによって俺もその戦いに放り込まれることになるのだろうが。
どこまでも小物な奴め。

「クッ……クククッ……アンデル。儂は最強の手駒をこの手にするのだよ」

ただ狂ったように笑うガルアーノの声など、俺の耳には届いていなかった。











[22833] ニ十
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/02/17 18:53




未開拓大陸であるはずの西アルディアにはまるで似つかわしくない、真っ白に塗装された人口建築物。
帰らずの森の奥地にひっそりと佇むその『白い家』は、その名に似合わずどこか邪悪な雰囲気を感じさせる建物であった。
入口に黒服を着こんだ屈強な人間らしき人影が立ち、その視線が向けるものは随分と物々しい。
しかし人の手が入らぬ大陸、と言うのならばこの建物とて不自然ではない。
何故ならここは魔物の巣窟に他ならないのだから。

「よく考えれば、外からこの建物見るのも初めてかもしれねぇな」
「……脱出した時に見なかったのか?」
「振りかえる暇なんかあるかよ」

そんな白い家に辿り着いたエルク達は、入口で見張る番人に見つからぬよう森の影に身を顰めて小さく声を漏らしていた。
隠密として行動出来るエルクとシュウに白い家の周りを見て周らせても、白い家に入ることが出来る場所はこの入口と裏手にあった大きな搬入口くらいなもの。
裏手の方にいたっては大きなハッチのようなものも見られ、さらに入口よりも多くの警備兵がうろついていた。

「歓迎されているって言ってもな」
「真正面から入る馬鹿はいるまい」

隣で侵入方法を考え込むシュウの言葉に、エルクは最近の自分の行動を思い出しては頬を掻いた。
シャンテという人質がいたとしても、さすがにガルアーノの屋敷に真正面から殴り込んだのは論外であったらしい。
しかしシュウの言うように侵入事にはお約束の裏手の方も守りは固い。
森の手前で遭遇したクドーの手駒の言う事を信じるのならば、既にここまで自分達が近づいていることはガルアーノにもばれているのだろう。

しばし侵入方法について考え込み、やがて名案としてエルクの脳裏に浮かんだのは、ミリルと共にここを脱出した時の記憶だった。
下水道にも似た地下通路を駆け抜け、建物の横にあるマンホールから這い出たあの記憶。
今度は逆にそのマンホールから地下通路を抜け、やがて内部の中心近くまでも。

キメラ研究の最たるものとして重要な場所故に、この白い家は隅から隅まで探索するにはあまりに広い。
もしもミリルが、そしてクドーが建物の中心部にも近い研究施設に居るというならば、この侵入ルートはうってつけの道であった。
未だ五年前のエルクの記憶と白い家の内部が変わっていないというのならば、迷うという可能性も少なくなる。

「ま、ばれてたって構わないさ。やることは同じだ」
「…………」

ここまで色々とは考えてみるものの、結局最後は力押しに任せてしまうエルクの思考。
すぐ隣で息巻くそんなエルクの様子にため息を落しつつも、シュウもまた不安とは遠いものを感じていた。
迷いなく進むのであれば、眼の前に立ちふさがる全てを喰い破って見せよう、と。



地下通路からの侵入ということで大多数の戦力を真正面から受け止めることはなくなったといっても、やはりそこらを徘徊するモンスターはいる。
一体この下水道にも似た区画が何のために存在しているのか。
白い家の現状を考えれば、どことなくエルクの脳裏には時折道中に現れるゾンビ型やスライム型のモンスターに嫌な予感を重ねざるを得なかった。

日々積み重ねられる実験の果てに増え続ける『失敗作』の影。
プロディアスやインディゴスの地下下水路にも稀に腐敗したモンスターが現れることがあるが、所詮それは都市の汚物が引き寄せた力の弱いものだ。
だがしかし、地下通路を進んでいく中で現れる『廃棄物』たちは、そんなゴミ漁りにやってくるような連中とはまるで違う。

両手を大きく振り上げて襲いかかるゾンビ共。
ボロボロの衣服も纏わず、身体中は膿で爛れ、ほぼ完全に五体を保っているゾンビなど一体もいない。
それらを槍、炎、そして剣で振り払いながらエルク達は前に進む。

ただのモンスターだというのに、ただのゾンビだというのに。
キメラプロジェクトの果てに打ち捨てられた『元人間』かもしれないという予感が、じわりじわりとエルクの手先を蝕んでいく。
そして、その過程で浮かんでしまう一つの予感。確信。

「…………」

声に出して、仲間に聞いて。
そんなことが一体何の意味があるものか。
言葉を飲むようにして頭を振りながら、エルクはその苛立ちを襲いかかってくるモンスターへとぶつけていた。

全身を包帯で覆ったあの姿。
いくら攻撃を加えても瞬時に再生し、腕一本断ち切ったくらいでは意味も無い。
さらにはまるで召喚獣のようにその身に魔物を宿す異能。

――――おそらくは、そこらの魔物以上に。

それ以上の言葉を喉まで出しかかり、エルクは唇を強く噛んだ。
もはや否定できない現実に膝が折れそうになり、リーザの言葉を思い出しては再び強く一歩を踏み出す。
まだやり直せる。まだ救える。諦めてなるものか。

「炎の嵐よ! 全てを飲み込めっ!」

地下通路から研究施設に繋がる最後の区画。
上へと伸びる梯子を守るかのように群れを為す『間に合わなかった者たち』に向けて、エルクはただその不屈の炎を以って応えるのだった。





◆◆◆◆◆





駆け抜ける。ただひたすら記憶の叫びに従って廊下を駆け抜ける。
視界を流れていくその光景は、幾分エルクの記憶とはまるで視点が高すぎる。
五年前のあの時。あの白い部屋で共に遊んでいた子供の一人が見たことも無い様な化け物に変えられていたことを知ったあの時。
ミリルの手を引き、ただ息を切らせながら走った道を逆に行く。

研究区画ということでかそのまま魔物の形態でうろつくものをおらず、非戦闘員が集まるということで巡回兵らしきものも存在しない。
まるでこの広大な白い家に自分達以外の誰も存在しないような違和感。
ただ自分達の足音だけが遠く続く廊下に響いていく現状に、徐々にエルク達は罠の予感を感じ始めていた。

「今更だな」

しかしその可能性を一息吐いて切り捨てる。
シュウの言う通りもはやその懸念は切り捨てるべきものにすぎなかった。
左右に等間隔に並ぶ扉の向こうからも誰かが潜んでいる気配はなく、目的地である白い部屋に向かう過程で出くわす研究者すらいない。
誘われている。それこそがエルク達の前提であったはずだ。

「鬼が出るか、蛇が出るか」
「その程度で済めばいいんだけどね」
「つーかなげーよ、この廊下。合ってんのか、本当に」

走りっぱなしの現状に愚痴を零したジーンが胡散臭いものを見る様な眼でエルクを見れば、当人は迷いなく前方を見据えるだけだった。
ここまで来て過去の記憶があやふやでした、などといったことはあり得ないらしいが、それでもやはりうんざりせざるを得ない。
ふとジーンが後ろを振り返れば、パンディットに押されるようにしてリーザが息を切らせながら顔を歪めていた。

「エルク。ちょっと休憩」
「あ? 何で……」
「女の子には優しくするべきよね」

焦る気持ちは誰もが一緒で、その理由も分かっている。
だがしかしエルクは振りかえった先で膝に手を付くリーザを視界に収め、ばつが悪そうに頭を掻くだけで足を止めた。
一刻も早く。
しかしその一刻のために切り捨てるなど馬鹿な考えに過ぎないのだ。

「はぁ、けほっ……ご、ごめんね」
「いや、こっちこそすまん」

ぺたりと地べたに腰を下ろしてしまったリーザと眼を合わせる様にしゃがみ込んだエルクが頭を下げた。
その横では恨みがましそうな視線をエルクに向けるだけのパンディット。
さすがに自分達が焦ってしまう状況を理解しているのか、唸り声を上げる様な露骨すぎる敵意は向けていなかった。
魔狼パンディット。
ホルンの魔女としての力に呼応出来るその知能と意思は、そこらの魔物とは一線を画するものらしい。

「…………」
「シュウ?」
「B-2棟。042号室」
「?」

やがてシュウが廊下の途中に並ぶ扉をじっと見つめていることにシャンテが気付いた。
ぼそりと呟いた彼の言葉に首を傾げながらもシャンテもまたその視線を辿れば、扉の上部にはその入口を区別する部屋番号のようなプレート掛けられていた。
掛けられていた番号は『C-1-003』。
部屋番号ということはひょっとすれば研究施設というよりかは、研究員たちの住居区画などを予想させるものだった。

「……どう思う?」
「さあな。お前が彼を信じるかどうかだ、エルク」

クドーがシュウに伝えた言葉は一体何を意味するのか。
ただ一度の邂逅でついでのようにその言葉を漏らし、その後も別に念を押したようなことがなかった故に、それほど重要な言葉ではないのかもしれない。
それともただあの廃墟の街で偶然にも遭遇した瞬間こそが、その暗号めいた言葉を伝えるチャンスだったのか。

シュウがあの廃墟の街で行ったことはただ力比べにも似た戦闘を、ほんの少しだけ交わしたぐらい。
ただそれだけで血溜まりのクドーを推し量ることはいくら何でもシュウには不可能だ。
だが彼の心の深奥まで触れかけ、それを望みにここまで来たエルクならば。
考え込むようにその扉に掛かったプレートをじっと見つめ、やがてエルクは口を開いた。

「寄り道になるかもしんねーけど」
「別れて動くのは……愚策だな」
「行ってみよう」





◆◆◆◆◆





道中に見られる案内板のようなものを頼りに、クドーの指した場所を目指す。
その数字と英字の並びからすれば、おそらく先ほど見掛けた居住区の部屋番号を指すものであるというのは間違いない。
灰色のタイルと殺風景な白い壁がどこまでも続く居住区の廊下を走るが、あまりにどこまでも変わり映えしない光景に自分の現在位置があやふやになる。
魔物が造った研究施設ということでか、さすがに『飾り付ける』といった概念のものなど一つも存在しない。

そんなつまらない道中をクドーの言葉を探していけば、やがてエルク達はその言葉の指し示す場所へと辿り着いた。
C棟からB棟へ。

少しくらいは研究区画の方へ近づくかとも思えば、結局のところA~Cまでの区画はほぼ全てこの白い家に住み込む研究員やら戦闘員やらの個室だったらしい。
途中途中で覗き見たその部屋の全てに、エルクが昔見てしまったキメラ合成機械に似たタンクやコンピューターが設置されていた事実が、やけにあるべきはずの生活感を薄れさせる。
魔物でも人間の生活に近いことをするのかとも思い掛けたエルク達であったが、そのおぞましい機械を眼の前にしてしまえばその気まぐれな親近感も即座に消え失せる。

そんな部屋が続く区画を探索すれば、やがてエルクたちの探していた『B-2-042』のプレートが掛けられた部屋に辿り着いた。
等間隔で扉が並ぶこの区画にしてはやけに他の部屋よりも広い間隔を取られた、どこか特別な様子が窺える一室。
よく見てみれば他の部屋と違って入口の扉にはパスコード認証のようなモニターが表示されていた。

「此処、だよな?」
「クドーの言葉が本当だった、ってんならな」
「疑ってんのか? ジーン」
「勘弁してくれエルク。お前だって万が一の可能性はって思ってんだろ」

目的の扉を前にして、ジーンがエルクの咎めるような視線に首を振って答えた。
クドーに近づけるかもしれないという焦りからなる少しばかりの苛立ち。
エルクはすぐさまジーンに軽く謝罪の言葉を零すと、そのモニターへと顔を近づけた。

「これは……」
「クドーの言ってた『アークザラッド』ってパスワードじゃねーの?」
「アークって……前にハンターギルドで見たような」
「賞金額に0が六つあったわね」
「極悪人じゃねーか」

後ろでガヤガヤと騒ぐ連中を尻目にエルクはそのモニターに件のパスワードを入力すべく手を伸ばした。
そこでふと気が付く、モニターの中に表示された文字。
それは既にこの扉には鍵が掛けられていないUNLOCKの文字列であった。
ならばと特にパスワードを入力せずにそのモニターに触れれば、呆気なくその自動ドアは開いた。

「あれ? パスワードは?」
「いや、元々開いてたらしいな」
「…………クドーの奴、何考えてんだ?」

ジーンの最もな疑問に「さあな」と返せば、少しばかり警戒を強めながらエルクは仄暗い部屋の中へと足を踏み入れていった。
棚に幾重にも重ねられた書類の束、床に広がっている複数のコードを辿れば何やら高性能らしきパソコンとデスク、そして他の部屋と同じくキメラ調整機のようなタンク。
もしもこの部屋をクドーの部屋だと仮定すれば、ガルアーノの右腕ということで単純な戦闘行為以上に研究に携わることもあるのかもしれない。
ただの私室以上のものがこの部屋には散らばっていた。

「来たはいいが、何をすりゃいいんだ?」
「エルク、あれ」

クドーを信じて来てみたはいいものの、結局のところそれ以降のことをよく考えていなかったエルク。
確かに重要そうな書類やら何やらが散らばるこの部屋で見つける物も多いかもしれないが、片っぱしから探している暇は彼らにはない。
首を捻るようにしてエルクがもう一度周りを見回せば、その肩を叩きながらリーザが部屋にあるパソコンデスクの脇を指差していた。

「金庫?」
「さっきのモニターみたいなものもある。パスワードってそれじゃないかな?」

リーザの指差した通り、デスクの脇には真っ黒に彩られた金庫がパソコンから垂れ下がるコードの束に隠されるように置いてあった。
隠しているつもりなのか、それとも別にそういった意図などないのか。
どうにも曖昧なものであったが、その金庫以外にモニター入力できそうなものはない。
これでなければあとはパソコンの中身くらいしか調べるものはないのだろう。

部屋の中をいろいろと探しまわっていたシャンテやジーンもその金庫を囲むようにして集まり、それが開く様子を固唾を飲んで見守っていた。
ただシュウだけが、部屋の片隅に配置されたタンクをじっと眺めて動かない。
兎にも角にもあまりのんびりしていられるというわけでもなく、エルクは特にためらうことなく金庫のモニターにパスワードを入力した。

「おっ、正解みたいだな」
「……ファイル?」
「しかも……何書かれてのかわかんねーし」

何かしらクドーやミリルと繋がる手掛かりでもあるのかと期待してみれば、中から出てきたのは紙媒体の書類の束を綴じられたファイルだった。
しかもそこに書かれている内容はその場の誰にも解読できないような文字の羅列。
中にはグラフの様なものも散見され、どこか研究報告書のようであった。

「慎重すぎだろ……」
「まぁ、組織とかそういうモノなんざこんなもんだろ。それよりもクドーがこれをどうして俺らにってことだが」
「あら……?」

パスワードの入力を経て、中から出てきたのは暗号の羅列する理解不能なファイル。
まるで終わらない宝探しと化している現状にため息をついたジーンの横で、シャンテがとあることに気が付いた。

「エルク……ミリル、ジーン……で、こっちがクドーかしら?」
「お、こっちにはシャンテとシュウの名前も……ヴィルマー? なんで爺さんの名前が」

何一つ解読できない文字列が並んでいるはずだというのに、何故かエルク達に関わっている人物の名前だけが解読できる文字で書かれていた。
暗号化されている書類だというのに、およそ一番重要であるはずの人物名を暗号化するでもなく羅列される違和感。
まるでこれらの名前に聞き覚えのある人間に注意を向けるように仕組まれていた。

「クドーはこれを渡したかったってわけなの?」
「でも名前だけわかっても他の文字が全部意味不明なんだけど。紙切れだけ渡されてもなー」
「キメラプロジェクトに関係する書類だったらお前んとこの爺さんなら分かるんじゃねぇか?」
「どうだろ。爺さんは俺らの担当ってわけじゃないって言ってたじゃん。たまたまクドーが俺を爺さんに預けたくらいの関係だって」
「じゃあ何で同じ書類上に並んで名前があるんだ? そもそもシュウとシャンテなんかまるっきり関係ねぇし」
「知るかよ…………これ、クドーが書いたのか?」

疑問は尽きない。
エルク達にしてみればもう少し手掛かり的なものを期待していのだが、結局は余計な謎を抱え込んだだけ。
考えても考えても答えなど出るわけも無く、ただ一つの紙の束を眼の前にして唸るだけになってしまった。

「考えても仕方あるまい」
「シュウ」

ひんやりとした床に胡坐をかいて腕を組むエルクの後ろには、いつのまにかシュウが立っていた。

「ただ一つ言えるのは、この書類を奴はガルアーノにも秘密で俺達に託したということだろう」
「託した後のことを知りたいんだがな、俺は」
「知りたければ」

先に進むこと。
シュウの言葉を追うようにして、エルクが誰に言うでもなく呟いた。





◆◆◆◆◆





クドーの指し示した部屋にて書類を手に入れたエルク達。
気がかりになっていた案件を処理し、そして新たな謎を抱え込んでしまったが、ようやくにして彼らの目的は一つに固まった。
ただミリルとクドーを救うためにあの『白い部屋』から繋がる区画へと。

キメラプロジェクトによって拉致された者が集まるその区画に足を運ぶには、あのエルク達が一日の大半を過ごしていた白い部屋を通らなければならなかった。
元々実験材料として集められた子供たちが施設内を自由に行き来できるわけも無く。
まるで保育所の遊戯室のように造られたその白い部屋と、それぞれに宛がわれる保育室くらいが子供達の行き来出来る区画であった。

エルクはただ一度だけミリルとともに脱出した記憶に沿って、その道筋を辿っていく。
ぼやけていたその行程が輪郭を帯び始め、自分の記憶と寸分も間違っていないという確信がエルク達の足を逸らせる。
何かしらを運搬するベルトコンベアが立ち並ぶ搬出部屋。キメラ研究のデータを集める様な総合情報室。警備員が詰めているだろう警備室。

その全てを脇に見ながら、ただひたすらにエルク達は白い部屋を目指す。
そうして目的地に近づいていけば、やがてジーンすらもこの道行く光景に覚えがあることを認識し始めた。
どこか見覚えのある壮年の男性に抱えられ、この道を走り去っていく懐かしい感覚。
大切なものをこの地に残し、一人安全な地に向かうことに心を痛めたような、そんな記憶。

胸の鼓動が速くなる。
人の住んでいる雰囲気すら感じさせぬこの空気に、どこか懐かしさを感じてしまう。
置いてきてしまった大切なモノに、想いを馳せる。

「エルク」
「ああ」

勘だったのか、記憶にあるものだったのか。
長い長い廊下を駆け抜ければ、彼らの眼の前には大きな鉄の扉があった。
ただ子供のために用意された玩具の集まる遊戯室と、おぞましい研究を隔絶する大きな機械の扉。
白い部屋へと繋がる扉。

「ロックは……へっ、あるわけもねぇか」
「油断するなよ」

シュウの言葉に警戒を強め、エルクがその扉脇にあるスイッチへ手を伸ばし掛けた時、眼の前の扉はひとりでに開き始めた。
今まで研究施設として造られた機械作りの内装とはまるで違い、壁から床までを真っ白に塗りつぶされた純白の部屋。
多くの子供達を入れるためか、天井を見上げればインディゴスのアパート群を見上げるかのごとく高く、広さは都市部の公園を模したかように広い。
滑り台や砂場のような遊び場があり、絵本や積み木のような玩具の収められた区画があり、360度見回してみても、この部屋は子供のために造られた部屋だと理解出来る。
そしてその光景は、エルクとジーンの記憶と何一つ変わらぬ閉じられた世界だった。

――――そして。





「クドー」






まるで、この空間とは似合わない、全身に血の匂いを纏った包帯男。
その痛ましい身体を外套で隠し、その包帯に覆われた顔から覗き出る瞳は灰色に濡れ。
それでも、エルク達はこの白い部屋にいることも相まってか、その異形の奥に黒い髪を伴って共に遊んだ少年の姿を垣間見た。

求めて。
ここまで来た。

一つ、一つと部屋の中心にてエルク達を待ちうけていた彼の元へと足を進める。
やがてエルク達の後ろで入ってきた扉が音を立てて閉まり、もはや逃げ場などなくなったということを知らせる。
しかしそんなこと、エルク達にとってはもはや関係のないことだった。

「止まれ」

扉が閉まってしまったことに振り返るでもなく真正面に捉えるエルク達を制したのは、クドーの砂を噛んだようなしわがれた声だった。
エルク達と、クドー以外には誰もいない広い部屋に響き渡るその声。
無論、エルクはその声に足を止めた。

「誘われた、という立場であることは理解しているな?」
「関係ねぇ。俺は、お前らを連れて帰る」
「結構」

どこか機械的な響きを持ったクドーの問いに、エルクは迷うことなく応えた。
その震えることなき真っすぐな声に驚くことなく一歩、二歩後ろに退いたクドーがゆっくりと右手を上げた。
その手の先をエルク達が辿れば、その先にあった白い部屋上部のガラス窓の向こう側にガルアーノがいた。
こちら側全てをあざ笑うかのような笑みを浮かべ、後ろに何人かの研究員を従える諸悪の根源が。

『元気そうで何よりだよ。エルク』
「黙っていろ。クドーとミリルと助けたら、てめぇは灰も残らず燃やしてやる」

叫ぶことはない。
マイクを通して聞こえるガルアーノの尊大な言葉に、エルクは静かな怒りを見せた。
ぎちりと拳を握りしめ、避けられぬ戦闘の気配にすらりと腰に下げたソードを抜き放つ。
ジーン達もまたそれに連なるように構えて見せた。

『まあそう怒らないでくれ。今日はとっておきのゲストを呼んでいるのだからな』

ガルアーノ声に呼応して、クドーとエルク達の間に開けた床が部屋全体を揺らしながら開き始めていた。
真っ白の床の奥、鉄臭い匂いを漂わせながら真っ暗な空間から現れる鉄塊。
卵のような曲線を帯びた人間大の頭部、鉄の装甲で盛り上がった肩部とその後ろに備え付けられた巨大な砲台。
肩から伸びる大きな両手は、所々関節部に無数のコードを晒しながらも、それは人間らしいまっとうな『掌』を模している。

『拠点防衛型兵器・ガルムヘッド。まぁ、結局は不良品であり重要なものではないのだが』
「はっ。こんな鉄くずがゲストなんて笑わせるぜ」
『クククッ。だと思って、少し趣向を凝らしてみたのだよ』

勇み、鼻で笑って見せたエルクに、ガルアーノはマイク越しに指を鳴らしてみせた。
ガルムヘッドの頭部から蒸気が上がり、その灰色の装甲が徐々に開き始めれば、その奥に鎮座しているのは一つのタンク。
水色のガラスに遮られた向こう側では、一人の少女が眠る様に瞳を閉じていた。

「ガルアーノ……お前……まさか」
『感動の再会だな? エルク』

もはやガルアーノの声すらエルクには届いていない。
眼を伏せたまま肩を怒りに震わせ、部屋中に木霊するガルアーノの下卑た笑い声にしばし唇を噛む。
しかし、もう一度その顔を上げた時、其処には悲壮感など欠片さえ存在しなかった。

「王子の前に眠り姫をわざわざ寄こすなんて馬鹿な奴だなぁ」
「クドーにミリル。手っ取り早くて丁度いいわ」
「ふん。三流が」
「エルク。やろう」

誰ひとり。

「ミリル、クドー。今行く」

起動音のようなものを響かせ、ゆっくりとその鉄塊が顔を擡げた。
徐々にその機械仕掛けの上半身を躍動させ、けたたましい警報を鳴らしながら頭部に備え付けられた双眸を赤く光らせる。

「侵入者ハ排除スル」

響いた声は無機質な電子音。
しかしそのあまりにも巨大な兵器を前にして、エルクが臆する理由は何一つ存在しなかった。

「来やがれっ!!」

剣を振るい、吼える。
長い戦いが幕を開けた。






[22833] ニ十一
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/02/20 17:58





「威勢はいいが」
「……させんッ!」

ミリルの眠る棺桶と化している鉄塊に向け武器を構えたエルク達の背後、ガルムヘッドの機械的な咆哮に紛れる様にしてクドーが周りこんでいた。
影に、闇に隠れる様にして放たれた凶刃。
しかしクドーが狙い、振り上げられた二刀は即座に反応していたシュウの手甲によって甲高い金属音を鳴らして遮られた。

「ふん。甘くはないか」
「エルク! そちらは任せるぞ」
「くっ……ああ!」

クドーの言葉に応えることなく、シュウは背後で奇襲に眼を開かせていたエルク達に役を課した。
クドーを救うにしてもミリルを救うにしても、今は兎に角あの鉄くずが邪魔だった。
同時にシュウに課せられるのは一人受け持つクドーの相手。
倒してはならない救うべき者。

「チィッ……」

ギャリギャリと削るような音を立てるナイフと手甲。
どこかデジャヴにも似たこの光景に、シュウの脳裏に浮かんだのは廃墟の街で行った戦闘とも言えない両者の激突だった。
しかし今彼の眼の前で刃を突きたてるクドーの動きは、過去のものとはまるで違う。
突き合わせていた二刀の内の一刀からバランスを崩す様にして力を抜き、シュウの身体を一瞬揺るがせてみれば、驚くべき速さでクドーは残った刃で切りつけてきた。

もはや手加減というものなど一つもない。
一撃一撃に必殺の意思が込められ、過去に相対していた時の違和感が欠片も存在しない。
クドーとは親友でもまして知り合いですらなかったシュウが、唯一、クドーが自分達に味方していると考えるに値する事実が消え失せた。

「やはりっ……」
「不要な考えだ。シュウ」

速さを増し、狂気を乗せてやってくる刃に苦悶の表情を浮かべながらそれらを掻い潜るシュウ。
あの時見せたクドーの実力は本当の物ではないと正しく理解しておきながらも、これほどまでに動ける輩だとは思いもよらなかった。
キメラだという事実を差し引いてみても、シュウの眼に映るクドーの力は苛烈を過ぎてどこか狂気的なものまで見えていた。

袈裟斬りに繰り出したクドーのナイフに自らの拳を合わせ跳ね上げる。
その反撃によって隙だらけになったクドーに回し蹴りを繰り出せば、そのシュウの足が顔に近づく寸前で彼がにたりと笑う。
クドーが選んだのは防御でも回避でもなく、攻撃。
迫りくるシュウの蹴りなどお構いなしと言わんばかりに強引に手に持ったナイフをシュウに向かって投げつけた。

「ガァッ!」

痛みに声を漏らしたのはどちらか。
鈍い打撃音が響き、跳ね飛ばされるようにして宙に舞ったクドーは顔に張り付いていた包帯を靡かせながら受け身を取る。
それに対し万全の状態で攻撃したはずのシュウの肩口に深々とクドーの真っ黒なナイフが突き刺さり、シュウの黒装束に赤黒い染みを広げていた。

蹴られた衝撃で少しだけ歪み、巻かれていた包帯に視界を遮られながら犬歯を剥き出しにして笑うクドー。
それを見やるシュウの視線には、ナイフによる痛みで少々苦痛に歪みながらも、どこか先ほどまで持っていた甘さが消えかけていた。
不死という能力を活かし、『相討ち』などという馬鹿げた戦法で襲いかかる一体のキメラ。

そう、もはやキメラ。
クドーの行動にはこちらを生かそうだとか、助けようだとかそういった狙いは何一つ見られない。
廃墟の街、ガルアーノ屋敷と会った時に見せた知性の欠片も、何かを企む様な匂いすら感じさせない。
ここまでくればもはやシュウの頭に相手を助けるなどというたわけた考えは浮かばない。
しかし。

「俺は、お前を殺さない」
「何を馬鹿な。あの名高きハンターシュウといえども、所詮は人か」
「そうだ。人だ」

互いに傷を負い、少し離れた所で轟音を響かせるエルク達とガルムヘッドの戦いを耳にしながら言葉を交わす。
部屋全体を揺らすほどの音に包まれながらも、寡黙な男と狂気の男は向かい合った。
言葉という物を扱うには、あまりに似つかわしくない二人。
ただ、シュウの瞳には冷酷なものだけではない。

「人はやり直せるものだと知っている」
「何を」
「血に塗れ、硝煙の匂いを漂わせ、その身に狂気を宿していても」
「…………」

肩の傷口を抑えつけていた血で真っ赤に染まった右手に拳を作り、構えを取る。
どこか悟ったようなものを感じさせるシュウの静かな声が、クドーにただ沈黙を促した。
徒手空拳の構え。
銃器などという相手を攻撃する為の武器は一切使わず、迫りくる刃全てを受け止める覚悟がその構え。
そして息を合わせたように二人は真っ向からぶつかった。

爆音、破砕音が響く部屋の中で静かに響く手甲とナイフのぶつかる音。
戦いの傾向が似通っているのか、身軽さを活かしての高速戦闘や手数による連打の戦いは接近戦と間合いを取る行動を繰り返しながら続いていく。
そしてその過程の中で再確認していくシュウのクドーに対する認識。

果たして血溜まりという所以は一体どこから来たのだろうか。
この戦い方の様に相討ちを狙って両者共に傷を負い続けるのならば、成程、それはこの床一面に血をぶちまける要因にはなり得る。
しかしプロディアスやインディゴスの街でクドーが手を掛けた人間の死に様はそのようなものではなかった。

まるで体内に仕掛けた爆弾を起動させたように四肢が飛散したあの殺し方。
およそ今クドーが使っている小さな刃物では、例えそれを以って切断したとしてもあのような殺し方にはならない。
だがしかし、シュウにはあの殺し方に覚えがあったことを思い出していた。

「クドー」
「何だ」

戦いをしているというのに、拳と刃を突き合わせているというのに、互いの言葉は緩やかでそっけない。
それが出来るくらいには双方共に血みどろの戦いに慣れていた。
そう、二人は、その戦闘方法から雰囲気までが似ている。

「風か」
「何がだ」

言うが早いか、それこそニンジャが行う様な印をシュウが胸の前で結び始めた。
それにすぐさま気付き、自らも口元から呪を結ぶクドー。
そんな溜めの時間は一秒か、二秒か。
双方の目前には風の刃が舞い上がり、風切音を鳴らしながら互いの術とぶつかった。

「やはりな」
「…………」
「未だケツの青さが取れんガキの頃。そんな殺し方をしていた」
「何だと?」
「お互い、魔の才はないらしい」

シュウの言葉の通り、互いに放った風はそれこそ魔法として成立しつつも、同じ風系統の魔法を使うジーンからすればあまりにお粗末な出来だった。
掠り傷つけば御の字というレベルで放たれた風の刃は、ぶつかった先に広がる床にすら傷を負わせない。
それそのものを攻撃手段とするにはあまりに貧弱すぎた。

「相手の体内から風圧で四肢を吹き飛ばす。接近して魔法を仕込む時間さえあれば一撃で仕留められる。そうしなければ仕留められないという前提があるからこそだが」
「…………先達者がいたか」
「そんな非効率なものより時限爆弾の方がいくらか楽ではあるがな」

相殺され、クドーの外套とシュウの真っ赤なマフラーを靡かせるほどに弱まった魔法を受け、再び双方は接近戦に戻っていく。
ただ先ほどまでとは違うところを挙げるとするならば、クドーの刃が鈍り、シュウの拳には迷いなきはっきりとしたものが浮かんでいる。
当人達でしか知り得ぬ、しかしそれははっきりとした変化だった。

「やはり手加減をしている」
「…………」

それはシュウの確信だった。
クドーの操るナイフも、そしてその動きも傍から見えるものはどれも『全力』そのものであれ、効率を突き詰めるならあまりにお粗末だ。
しかも彼の放った風はシュウのそれとは違い、どこか邪悪なものを含んだ闇の魔法。
毒か、石化か、それとも睡魔か。何にしてもクドーの操る魔法はただ風ではない、身体に状態変化を来す魔法だった。

そして、彼はそれを使わない。
奇襲を行うというのなら、本当にこちらを仕留めたいというのならば、そんなチャチなナイフよりもそちらの絡め手の方がより有効である。
さらにこちら側が多人数であれば――――。

シュウの長年の経験に渡る知識と、徐々に明らかになるクドーの動きの違和感から答えを探し当てていく。
エルク達の望む友との想いによるものではなく、その場の状況から『クドーが未だこちら側にいる』という事実を浮かびあがらせていく。

「ガルアーノが狙うのはエルクか、それともジーンか。いや、始まりこそリーザだったか」
「…………」
「奴の下卑た欲望の中に俺もシャンテも含まれてはいない」

拳を交わしながら、絶え間なく動きながらシュウの言葉は止まるところを知らない。
本来のシュウと言う男を知る者からすれば、お喋りとも言える無用な行いに終始する姿はあまりに似つかわしくない。
ただ言葉など要らず、行動で示すのがシュウという男だった。

「ガルアーノの屋敷。廃墟の街。そのどちらでもお前はシャンテか俺を間引くことができたはずだ」
「ガルアーノ様が貴様らの絶望を見たいと仰っただけだ」
「にしてはガルアーノが俺やシャンテを見ることはない」
「…………」

シュウの言葉に反論する声をクドーは持ち合わせていなかった。
暴論を並べ立てる者へ呆れから来る沈黙ではなく、真実へと順調に近づく輩に出来るものはそれしかないのだから。
ただクドーは眉を顰め、刃を以って応えるだけだった。

「俺がお前を信じることはない」
「…………」
「エルクの想いに従うだけだ」

その言葉に違いはあったのか。
シュウの行動に迷いなど無く、その動きはただ時間を稼ぐためだけのものと化している。
ただクドーの攻撃を受け続け、こちらからはまるで攻撃を仕掛けようとはしないシュウが、その無表情だった鉄仮面の上でほんの一瞬だけ笑みを浮かべた。

もはやそこに敵に対する時の非情な男の姿などどこにもなく。
シュウがクドーの望み全てを見透かしていることなどあり得ない。
だがしかし、既にシュウはクドーを敵としては認識していない。
そしてそれ以上に問いかけ、クドーを揺さぶってみてもただ沈黙が返ってくるだけだろうと理解していた。

故にシュウは、エルクの想いに。
クドーを信じるという想いに順じるのだ。





◆◆◆◆◆





「風よ! 全てを遮る盾となれっ!」

ガルムヘッドがエルク達に向けて差し出した掌から銃口が覗き、数えきれぬほどの銃弾が放たれた時、ジーンの魔法によって造られた風の壁がその銃弾の勢いを削ぎ落していく。
ガルムヘッドという兵器がたかだか数人を相手にするには、その全ての攻撃は一発一発が致命傷である。
人を相手にするよりも同等の規模の兵器を相手にすることを前提に設計されているガルムヘッドに、エルクは脅威的なものを感じざるを得なかった。

しかしそれに故に動きは鈍重。速さを以って相対すればどこかに隙は見つかるはず。
ガルムヘッドの背部に見える大口径の大砲や、どこか広域兵器のようなものを感じさせるその見てくれに、エルク達が取ったのは即座に散開することだった。
鈍重であればこそ四方からかき乱すことが一番有効であるのは当然。
痛烈なガトリング銃の対応も、リーザ、シャンテ、そしてエルク自身ともにそれぞれが有した魔法の盾によって可能であった。

「しっかしエルクさんよぉ! 手を出すにはミリルをまず助けださねーと」
「分かってる! まずは手とか砲台とかぶった切っていきゃなんとかなるだろ」
「…………誰がやるのよ」

動きこそ緩慢であるものの、一度振り下ろされれば部屋が揺らぎ煙を巻き上げる鉄の拳を避けながらシャンテは呆れたように呟いた。
誰も彼も余裕を見せつつも、一度当たれば五体満足で居られそうもない破壊力を見せつけられ冷や汗を浮かべる。
特攻染みた攻撃の果てに人間よりも大きな拳にクロスカウンターをくらうのは誰であれ御免であった。

「パンディットッ!」

地面に埋もれるほどに拳をめり込ませたガルムヘッドの腕に、リーザの指示によってパンディットの口から吐かれた冷気が降りかかる。
青白い靄は即座にガルムヘッドの拳を覆うが、表面上は凍らせた様子を見せつつもガルムヘッドがその拳を開閉させればすぐにその氷は剥がれ落ちてしまう。
グルルとその結果に唸り声を鳴らしたパンディットにガルムヘッドは銃弾を見舞わせるため、その手の銃口を向けた。

「させない!」

リーザは叫ぶとともに両手を人工物であるはずの床へと叩きつけた。
奔る魔力。
パンディットに襲いかかる多数の弾丸を遮ったのは、地面から盛り上がる様に突起した黄土色の大地であった。
グランドシールド。大地の加護によって対象を守るリーザの魔法は室内でも健在らしい。

『もっと踊ってくれたまえ。ミリルもお前と会えて嬉しいのかもしれんな』
「何? ……どういうことだ」
『ガルムヘッドを動かしているのは他でもないミリルなのだよ。彼女の力によってその兵器は動かされているにすぎん』

轟音鳴り響く戦闘の中、唐突に天井のスピーカーから降ってきたガルアーノの声に、エルクは視線をガラス窓の向こう側にさえ向けず、耳だけで聞いた。

『確かにガルムヘッドは未だ完成形に満たぬ兵器であるが、ミリルの力を用いることによってそれだけの反応を見せている』
「てめぇッ……」
『ともすれば……ミリルの意思がその動きに反映されているのかもしれんなぁ、エルク』

キメラ改造などという見た目さえ変えてしまう実験に使われなかったとはいえ、ミリルをまるで機械の部品のように扱うガルアーノの所業にエルクは歯を食いしばることで耐えた。
いますぐあの男を屠ってやりたい。
全ての悲しみの連鎖を生みだしたあの男を打ち倒してやりたい。

しかしその燃え上がるような瞳をガルアーノに向けるには、眼の前で拳を振り上げる鉄の棺桶は、ミリルを救うという目的にとってもあまりに邪魔なものであった。
その兵器故の脅威よりも、ミリルをコアにし叩きようによっては彼女にまで被害が及ぶという事実がエルク達の手を鈍らせる。
動きを止めようにも生半可な手段ではまるで意味がないのだ。

――――ミリルが俺たちに敵意を向ける。

そんなはずはないと叫ぼうと口を開き、エルクは舌打ち一つ打つだけで顔を歪めた。
もしもミリルが自分達に敵意を、恨みを抱いているのならば、それは否定できないものなのかもしれないという考えがエルクの脳裏を過る。
ふとシュウの方をちらりと見ればクドーは手加減などと言う陰りなど欠片も見せず、シュウに猛攻の限りを尽くしていた。

――――俺は、二人を、見捨てた。

数ある理由を述べてそれを否定するには、あまりにエルクは優し過ぎた。
ならばミリルが自分達を襲う理由も分からなくはない。
だとするのならば、自分達はどうするのか。
このままミリルの、クドーの殺意に従い首を差し出すのか。

「そんなことないっ!!」

幼さが残り透き通ったような声が叫ばれた。
度重なるガルムヘッドの攻撃によって土埃が舞い、その合間より姿を覗かせるリーザがガルムヘッドを前にして立っていた。
前に出るべきではない少女が、震える足を抑え叫んでいた。

「ミリルさんっ! 聞こえますか!」

リーザの声にガルムヘッドは胸部に見える緑色の部分を点滅させて応える
話すことなどないと機械という存在にとって何一つ間違いのない対応。
徐々にその胸部前の空間が歪み始め、空間さえねじ曲がって見えるような熱量が収束し始める。
殲滅兵器『ツォルンブリッツ』。
未だ絞り出す様にして叫ぶリーザに向けて、あまりにも無慈悲な一撃が放たれた。

「リーザッ!?」

シャンテの声はガルムヘッドが放った大口径のレーザー砲によって掻き消された。
耳の奥が掻き回されるような轟音を上げ、その発射された後に残ったのは部屋の地下まで貫通した真っ黒な傷跡。
ツォルンブリッツが発射された跡にはそれだけが残されていた。

「あっぶねっ……無茶すんなよ。リーザ」
「ご、ごめん」

白煙の中、ガルムヘッドの裏に周る様にしてリーザを腰に抱えたジーンが冷や汗を額に浮かべていた。
無事に助け出すことには成功していたらしいが、よく見ればジーンの銀色の長髪の一部が焼け焦げている。
どうやら間一髪だったらしい。

そんな二人の光景に一つ安堵の息を吐き、再びエルクはその視線をガルムヘッドの頭部――その先で眠るミリルへと向ける。
ミリルが自分を憎んでいるかもしれない。自分は逃げ出した卑怯者なのかもしれない。逃げ出した時に誓った想いを忘れた罪があるのかもしれない。
しかしそんなことはどうだって構わないのだ。
今、生きて、ここに集う事が出来た。

「ミリルッ! 聞こえるか! 俺だ、エルクだ!」

声を大にして叫ぶ。
返ってきたのはエルクの背丈以上もの大きさを誇る鉄拳。
当たる義理など無く、当たってやれる弱さなど無く。
ひらりとそれを避ければ、エルクは再び口を開く。

「俺たちが望んだのはこんなことじゃないっ! お前が願ったのはこんな結末じゃない!」

人目など憚らず、部屋の上部で邪悪な笑みを浮かべるガルアーノの視線など気に留めず、叫ぶ。
人の声などすぐに小さくなってしまう戦闘の中でも、エルクの言葉は、声は、確かに届いていた。
それでも止まらぬガルムヘッドの攻撃。
しかし無防備を晒すエルクへの銃弾は風の盾によって阻まれた。

「へへへ。エルク。言ってやれよ。俺達のお姫様に言ってやれっ!!」

戦闘の場には相応しくない、ジーンの清々しい笑顔がエルクの心を押していく。
もう少し、あと少し。
ギチギチと鉄の擦れるような音を出しながら動くガルムヘッドが、しばし揺らいだ。

「記憶をなくし、誓いを忘れ、迷い、それでも俺はここに来た」

誰もエルクの言葉を咎めはしない。
シャンテも、リーザも、ジーンも、その誰もがエルクの言葉に胸を張っていた。

「まだ間に合うと言ってくれるなら、まだ手を繋げると言ってくれるなら、ミリルッ! 眼を覚ましてくれ!」

剣もいらない。
炎もいらない。
ただこの心だけが通じてくれれば――――。

「ミリルッ! 俺は、お前を、助けに来たんだっ!!」

響き渡るエルクの声。
鉄塊と炎の子が相対するその間。
誰かの声が聞こえた気がした。

それは希望を望む都合のいい幻聴か。
それとも度重なる金切り声に紛れた少女の声か。
ただ一つ分かっているのは、ガルムヘッドの動きがピクリとも動かなくなったという事。
それを眼の前にして、ジーンとエルクは示し合わせたかのように剣を振り上げ、ガルムヘッドの頭部へと跳び付いた。

「援護するわよぉ……凍てつけっ!」

援護する為に詠唱へと入ったシャンテの周りに、人の丈もある氷の槍が次々に具現する。
シャンテの踊る様に振るわれる腕に従うように空間を走り、勢いよくガルムヘッドへと降り注ぐ氷結魔法『ダイヤモンドダスト』。
その氷の群れはシャンテの狙い通りに、装甲が薄く、赤白のコードを晒す関節の隙間へと吸い込まれていった。

「お願い! パンディット!」

氷の槍を杭のようにして地面に打ち付け、動けなくなったガルムヘッドをさらにパンディットの吐いた冷気が襲う。
今度こそはとひと際大きな咆哮を以って吐かれたコールドブレスは、ガルムヘッドの胸部までを瞬く間に青白い氷の塊へと変えていく。
もはや指一本まで動かせなくなったガルムヘッドの頭部では、エルクとジーンがほぼ同時に鉄の頭部へと剣を振り下ろしていた。

「「うおおおおおおっ!!」

気合一閃。
共に砕け散らんばかりの力を以って叩きつけられた剣によって、やがてミリルの眠るカプセルを守っていた装甲に罅が入り始めた。
まるで獣のように低く唸った様な音がガルムヘッドの口部から漏れ始め、それと同時にボロボロと鉄の仮面が零れ落ちていく。
エルクとジーンはすぐさまその先のカプセルを強引に開き、そこで眠る入院服のような衣服に身を包んだ少女を眼に映した。

リーザと同じく金糸のような髪を腰辺りまで伸ばし、その眼をつぶった顔はどこまでも戦闘の気配とは似つかわしくない穏やかな表情を見せる。
しかし長くガルムヘッドのコアとされていたのか、どことなくぐったりとした様子を感じさせる有様はエルクを焦らせた。
すぐさまミリルを抱き寄せ、ジーンと共にガルムヘッドから飛び下りれば、もはや収めるものを失くしたはずの鉄の棺桶がギシギシと上半身を震えさせていた。

「こいつ……」

宿主を失くしたガルムヘッドが、あるべきコアを取り戻す様にして氷漬けの手をエルクに、ミリルに伸ばす。
もはや兵器としてはほぼ完全に破壊されている状態でありながらも、未だガルムヘッドにその機能を停止させる気配は感じられない。
やがてエルクが右手に抱いたミリルをジーンに預けると、徐にその両手をガルムヘッドに向けた。

「もう、ミリルを縛るものはいらない」

エルクが呟くと共に膨大な魔力がエルクの周りに渦を巻き、意思を持ったようにしてとぐろを巻いていく。
そのあまりの力に唖然としながら見つめてくるジーンを尻目に、エルクはその魔力の渦を両手に集め、一気に解放した。

「怒りの炎よ……敵を薙ぎ払えっ!」

崩壊しかけた白い部屋が、瞬く間に紅に染まる。
まるで太陽かと見紛うばかりの光がガルムヘッドを中心に広がり、やがて全てを吹き飛ばすほどの力が爆炎を以ってガルムヘッドを包み込んだ。
その力は一瞬。
眩いばかりの光と巻き起る風が止んだ時、ガルムヘッドがあった場所には何一つ、灰すら残ってはいなかった。





◆◆◆◆◆





遠く、見つめる。
シュウと拳を合わせ、すでに見切られた時間稼ぎを行う事数分。
エルクの叫びに頬が緩んでしまう感情に耐え続け、その有様を見守る。

見守る。

あれだけの言葉を吐けば、ミリルは俺の声に応えてくれたのだろうか。
ミリルが瞳を閉じるより前。
閉じたはずの心に光を灯すほどの約束を結べば、ミリルはその眼を覚ましてくれたのだろうか。

――――何が、違う。

こちらまで及ぶほどの爆風に外套をはためかせ、シュウとの戦闘を中断せざるを得ないほどの光景を眼にし、しばし立ち尽くす。
シュウは、勿論無防備なはずの俺に攻撃は仕掛けてこない。
そもそもここまで来れば何をしようがガルアーノには興味を持たれないだろう。

ガルムヘッドを塵一つ残さず消し去り、助け出されたミリルを囲むようにして集まるエルク達を見下ろすガルアーノを――――見やる。
マイクを切ってあるのか、肩を揺らし、狂ったように笑う男がそこにいた。
望みに望んだ玩具に、狂笑するガルアーノ。
全てはシナリオ通りであった。

――――ガルアーノのシナリオでもあり、そして俺の望んだシナリオの。

やがてシュウが本当に何もしてこない俺の様子に奇妙なものを感じたらしい。
構えていた腕を下ろし、油断なき瞳を細くして俺を見やる。
俺はただ、シュウに対して短く言葉を投げ掛けた。

「行け」
「何?」
「…………彼らの元へ行け」

俺が彼らを攻撃しないということを見切っているシュウからすれば、俺の言葉に対する迷いはほん一瞬で十分だった。
見切れるかどうかという程の影を残し、すぐさまエルクの元へと駆け寄るシュウ。
それを追うようにしてエルク達の方を見れば、どうやらミリルが意識を取り戻したらしく、ジーンとエルクが何やら声を上げていた。

――――そうか。意識が戻ったのか。

血溜まりのクドーとして生き、幾度も願っては実現し得なかった状況に、心が歪む。
しかしそれも今更な話だ。
ガルアーノが言っていた嫉妬染みた感情など折り合いは付けているし、何してもミリルが眼を覚ましてくれたのは嬉しい。

むしろこれからが全て。
そしてこれが最後。
俺は外套に隠していたトランシーバーにも似た機械に話しかけた。

「ガルアーノ様」
『ハハハハハハッ!! 見ろ、全てが、全てが儂の手の上だ!』

マイクの向こう側で狂乱するガルアーノ。
まぁ、確かにガルムヘッドを一撃で葬ったエルクの力を見れば、ミリルの力も推して計れるというもの。
そうでなくてもジーンや、ともすればシュウやシャンテといった戦力さえもガルアーノの手札に加えられるのだ。

「ご命令を」
『クッ……クククッ。ああ、クドー。貴様の望んだ結末だ』
「では」
『ミリルの中に渦巻くキメラエネルギーを解放させ、こちらの制御化におく。戦闘が始まればすぐさま貴様はミリルと協力し、エルク達を無力化しろ』

始まる。

『といってもミリルの強化もまだ実験段階だ。手綱は貴様が取れ』
「御意」
『締めくくりに失敗など犯すなよ? クドー』

マイクのスイッチを切り、一歩、一歩、エルク達の元へと近づいていく。
やがて俺に気付いたエルク達が一人一人と俺に視線を向けてくる。

敵ではない。
彼が、彼女が、英雄たちが向ける瞳に敵意はない。
俺達の間に、既に憎しみ合うものなど何一つ存在しない。

このまま俺が頭の一つでも下げて、エルクの服にしっかりとしがみついたミリルと共に笑い合えば、最高の終わりが待っている。
しかしそれは叶わない。叶えるためには、もう一度だけ俺は、彼らに刃を向ける。
それでもミリルが偽りとはいえエルクの腕の中にいるという事実に顔が綻んでしまう。
よく見れば意識を覚醒し始めているらしいミリルが身を捩りながらも小さく小さく声を漏らしていた。

零れてしまう笑みを隠す様にして手で顔を覆う。
そして瞳を閉じてみれば、今までの経験全てがまるで走馬灯のように脳裏を駆け廻っていく。
そのどれもが血生臭いものであったのが残念だが――――。

『諸君ッ。貴様らは本当によくやってくれた!』

もはや三下風情の声など遠く、俺の耳には届かない。
さっさと始めてしまおう。





あるべき世界を。

物語の結末を。

全ての運命を。





――――――捩じ伏せてやる。








[22833] ニ十ニ
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/02/23 18:09




「え」

ガルアーノの意味不明な言葉を聞き、その狂い嗤う様子に呆けていたエルクの口から乾いた声が漏れた。
部屋の上部、ガラス窓の向こう側に向け見上げていた視線をゆっくりと下ろす。
自らの胸元に眠るミリルをしっかりと確認し、長く伸びた金の髪に隠れて見えない彼女の顔に不安を覚えつつも、ようやくにしてエルクの意識は彼女ではなく自分の身体へと届いた。

唐突に腹部に走る激痛に気付き、ミリルを抱いていたはずの右手からどんどん力が抜けていく。
震える左手で唐草色の外套の下を弄れば、あるはずのない水気がその左手を濡らす。
どろりと纏わり付くような、赤いモノ。
やがてその赤に隠れた透明な何かに視線を落とし辿れば、それはミリルがそっとエルクの下腹部に当てた手から出た氷の刃だった。

「ミ、リル…………?」
「……ふふふ」

茫然と彼女の名を呼んだエルクの耳に、あまりにその人と似つかわしくない邪悪な声が遠く聞こえる。
もはや意識すらおぼろげで、救ったはずのミリルの表情さえぼやけて見える。
ただそんな中、自分と同じくシュウやジーンまでもが息を飲んでいる様子を感じ取れたのが、これは夢ではないのだと認識させた。

やがて薄れていく意識。
エルクが身体を支える力さえなくその身を地面に横たえた時、手から自分の流した血を滴らせて見下ろすミリルの顔が一瞬はっきりとした輪郭を帯びた。
人形のような可憐さをそのままに、少しだけ大人びた陰りを見せる顔。
三日月を描き、本当に心の底から嬉々とした感情を見せている様な口元。
そして……嫌悪感を抱かせるほどに濁ったサファイアの瞳。

「フフ……あははははははは!!」

それはエルクの望んだ音色ではなかった。
共に笑えることを目指し、今この手にミリルを抱いていたはずだったのに、その彼女の口から漏れる嗤い声は、エルクの望んだものではなかった。
部屋中に響き渡るミリルの狂笑と、その中に混じって響くガルアーノの者が同じ物だと理解した時、エルクは絶望のままにその瞳をゆっくりと閉じていった。

「エ、エルク…………エルクッ!」

即座にこの混乱した状況に声を上げたのはリーザだった。
うつ伏せに伏したままピクリとも動かなくなったエルクに駆け寄りその身を抱き起こせば、既にエルクの倒れた床には血の跡がべったりとこびりついていた。
リーザの表情から血の気が失せ、それでも、パニックに陥りながらも治癒魔法を唱えようとエルクの腹に手を翳す。

「おおおおおッ!」

すればそんな様を見下ろして嗤うミリルにシュウが咆哮と共に回し蹴りを放つ。
今の今まで繰り返したような蹴りとはまるで違う、とても人間の身体とは思えない唸りを上げて空を切るその蹴りは、残像すら残さない。
しかしその大樹さえへし折ってしまいそうな蹴りは、ミリルの前面で見えない壁に阻まれたかのように止まった。
眼を凝らしてみれば見える、氷の壁。
シュウの蹴りもまた人外染みた威力を以って放たれたものであるが、それは氷の壁の中ほどまで足をめり込ませただけで止まっていた。

「エルクがっ、エルクが!」
「落ち着きなさい! 急所には入っていないわっ」

ただエルクの名を叫び、矢鱈目ったら治癒魔法をかけようとするリーザを叱咤するかのようにシャンテが声を上げる。
しかしシャンテもまた最悪の状況に陥った状況から表情に余裕など残らず、エルクの腰にぶら下げたポシェットから医薬品を引っ張り出していた。
そして、そんなそれぞれの様子を茫然と見つめたまま立ち尽くすジーン。

「…………」

彼の視界に広がる光景は、まるで予想だにしなかったものであった。
ミリルを助けて、そして次にクドーを。
次だけが彼には見えていたはずだった。
忌々しいガルアーノの声を聞きながらミリルを縛る鉄塊を叩き伏せ、そして次は、クドーの、親友の。

茫然と口を半開きにし、瞳に灰色を混ぜながらそのクドーを見やる。
ジーンの視界に映る彼は、ただ腕を組んだままこちらの状況を無表情で眺め、やがてその隣には計画通りと言わんばかりにシュウの攻撃を受け止めたミリルが立つ。
そこでようやくミリルの表情を見れば、その美貌には不自然なほどちぐはぐな印象を受ける邪悪な笑みが浮かんでいた。

ジーンの頭で、心の中で急加速する混乱。
何が起こった。何故こうなった。どこで、間違えた。
やがて音すら無くなってしまった中で唐突にジーンの耳に届いたのは、マイクから流されるガルアーノの声だった。

『ハハハハッ! 傑作だ……これを喜劇と呼ばずに何と言う!?』

瞬間、ジーンの視界が真っ白に染まり、気付けば練ったことも無い様な強大な魔力をその手に具現させていた。
美女と見紛うばかりのジーンの表情がどす黒い怒りで塗りつぶされ、一挙手一投足が限界を振り切ったように狂い奔る。
薙ぎ払うかのようにしてその魔力の籠った右腕をガルアーノへ振るえば、軋んだ音を響かせながら一閃のかまいたちが一直線に飛んでいく。

「うおおおおおおあああああッッ!!!」

叫びにならぬ叫びだった。
ただジーンが理解出来たのは、ガルアーノに向ける純粋な怒り、憎しみ。
それに従うようにして爆発した彼の力は、それこそ先ほど見せたエルクの力に抗するほどに巨大なものであった。
しかし彼の刃は届かない。
轟音を上げ、白煙に塗れたガルアーノを守る強化ガラスは、それでも傷一つ付かないものであった。

『ほぅ……孤島でぬるま湯のまま生きてきた素材と言えど、やはり風使いのジーンか。安心しろ、貴様もエルクともどもキメラとして使ってやろう』
「テメェはっ…………テメェだけはああああ!!」

もう一度腕を振るう。
しかしその都度巻き起るかまいたちもガルアーノに届くものではなかった。
次第に息が切れ、それでも憤怒の表情を緩めないジーン。
銀髪を振り乱しながら悪鬼のごとく怒り狂う彼ではあったが、それは救いを閉じられたことに絶望したジーンの最後の手段であった。
エルクが沈み、ミリルが嗤うその中で、ただ唯一ジーンが縋れる感情であった。

「ジーン」

ふと、どこまでも通るような凛とした少女の声が響いた。
残酷なことに、声だけはジーンの記憶にあるそれと似通っていた。
成長してもなお、声の奥にある優しげな響き。そして尚も意思の強さを感じさせる透き通った声。
ゆっくり、ゆっくりとジーンが声のした方を振り向けばそこにはミリルがいた。

「ジーン」
「……ち、違う」
「ジーン? 私だよ? ほら」
「あ、ああ……」

優しい。
それなのに、ミリルは氷の刃を右手に携えながら嗤っている。
望んだ姿が。
それなのに、瞳に映す黒はミリルではない他のナニカ。

「ジーン! しっかりしろ!」
「違う、違う、違う。お、お前は、ミリルじゃ……」
「酷いよ。ジーン」

本当に悲しそうな貌と声でミリルは儚げに俯く。
そのあまりにもミリルに似通いながらかけ離れた様子に、ジーンはわけのわからない存在に怯える様にして剣を突きだした。
戦う構えではない。
腰が引け、足は一歩一歩と後退し、シュウの掛ける声など聞こえていないかのように一人否定の言葉を繰り返す。
蒼白な顔を浮かべたまま、ガチガチと歯を震わせて剣を振りまわしていた。

舌打ちを一つ。
今までにない危険な状態に顔を歪めて零したシュウの舌打ちなど、何の意味も齎さなかった。
倒れ伏したエルクの治癒に慌てふためくリーザとシャンテ。友が倒れ、友が牙剥き、友が見つめるその中で恐慌状態に陥るジーン。
未だ自分達は虎穴の中。

目まぐるしく回転する頭の中に一つたりとも現状を打破する作戦が思いつかない。
ふと一つの可能性に行きつき、シュウははっとしてピクリとも動かないクドーに視線を向ける。
辿り着いた可能性は、あまりに残酷な事実だった。

「このために俺達を、エルクを」
「そうだ。不良品のまま動かないミリルを覚醒させるため、貴様らをここへ招いた。どうも俺の狙いを貴様らは勘違いしていたようだが」
「エルクは貴様を信じていたッ!」
「信じたかっただけだろう。本当に甘いのだな。シュウ」

あまりに無慈悲で残酷なクドーの言葉。
まるで機械のように並べたてられるクドーの真実に、シュウは砕け散るほどの力で拳を握りしめた。
果たして攻められるのは愚かにもクドーを信じたエルクか。それともそれを裏切ったクドーか。全ての元凶であるガルアーノか。
――――甘きに身を委ね、この現状を創り出したシュウか。

「もう、躊躇はせんぞッ!」
「もう一度だ、シュウ。今更だ、と」

吼えるシュウを嘲笑うかのようにクドーは徐に自ら包帯塗れの胸元に勢いよく右手をねじ込ませた。
自ら心臓の部分に抜き手を入れる行動に眼を大きく開いたシュウを尻目に、血を巻き散らせながらどんどん奥までめり込んでいくクドーの手。
やがてその胸の中から何かを引っ張り出す様に腕を振るえば、クドーの手には背丈ほどもある巨大な赤黒い大鎌が握られていた。
武器として存在する一般の大鎌とは違い、先端や柄が奇妙に捻じれ曲がったそれは、クドーの血を滴らせながらもどこか生きているかのように脈を打っている。

「同じ殺し方? 魔の才はない? キメラである俺と人間を比べるなどあまりに愚か」
「クドーッ……」
「そう縋るような眼で見るなよ、ジーン。直に共にいられる。キメラとなって」
「私はそれが望みなの。大丈夫。ちゃんとエルクも一緒になれるから」

一人、クドーとミリルの前に立ちはだかるようにして構えを取るシュウ。
その背後で剣をただ持っているだけと化したジーン。
望まれない戦いが、始まってしまった。





◆◆◆◆◆





「あはははは! 誰かは知らないけど、私達の邪魔をしないでよっ!」

死闘。しかしそれは対等なものではない。
ただ一人ミリルとクドーの攻撃を避けながら耐え続けるシュウを甚振る、ただの殺戮ショーであった。
異能の才がないとはいえ、それでもエルクの戦いの師であり、未だ現役を誇るシュウの力はこのメンバーの中でも最も高いものである。

それでも、その差はあまりにも強過ぎるミリルの異能とクドーの不死能力の前にあまりに無意味。
まるで天候を操るかのように部屋には猛吹雪が吹き始め、ミリルが操る氷の力はガルムヘッドを足止めしたシャンテとは天と地ほどの差がある。
ただ手を翳せば、壊死してしまうほどのブリザードがシュウを襲い、腕を振るえば人間大の氷塊が数えきれないほどの群れをなして飛んでいく。

そんなミリルの雑な援護を背中から受けつつ、それでもまるで止まらないクドーの大鎌は幾度もシュウの身体に赤の跡を付けていった。
時折ミリルの放つ氷の槍がクドーの背を貫いても、彼はまるで気にした風もなくシュウに襲いかかる。
痛みに耐える表情など浮かぶわけも無く、ただただ笑みもなくシュウを圧倒するのみだった。

「ガッ! ……ゲホ」
「もはや万策尽きたか。さっさと沈め」
「ねぇ、早くエルクとジーンと一緒になりたいの。だから早く死んで?」

ぎしりと歯を食いしばれば、シュウの口元からは血が流れ落ちた。
せき込むごとに大量の血が吐き出され、それでもまるでクドーとミリルは手を休めることも無く、銃を抜く暇すら与えない。
ただ一人戦力として数えられるシュウの立場からは後退という選択など無く、彼の後ろでは未だジーンが方を震わせているだけだった。

いや、違う。確かにジーンは震えていた。
それでも彼はその震える右手を握りしめ、その手に持ったソードを徐々に持ち上げ始めた。
おぼつかない足取りで立ち上がり、瞳を絞ったまままっすぐクドーとミリルの方を睨みつける。
もはや友ではなくなってしまった者を、まっすぐ見つめる。

「オオオオオオオオッ!!!」

ただ吼えただけだったのかもしれない。
未だ剣を振り上げる気力も無く、天に叫んでみればそれだけでジーンが幾度も肩を上下させてその銀髪が垂れ落ちる前髪に表情を隠した。
だが、確かにその咆哮はミリルとクドーの動きを止めた。
そしてその瞬間を見逃さなかったシュウが拳をクドーの胸にめり込ませながら吹き飛ばし、それに反応したミリルの氷塊は後ろから飛び出したジーンの剣に叩き斬られた。

「ジーン? 私達を傷つけるの?」
「…………」
「私たちは、友達じゃないの?」
「友達だったら、こんな真似するわけねーだろーがっ!」

その手に握った剣をジーンは今にも放してしまいそうになる。
その逆、その手の剣を今にも眼の前のナニカに振り下ろしてしまいそうにもなる。
これがミリルだというのなら、剣を握る意味はない。
これがミリルでないのなら、振り下ろさない理由はない。
しかしそのどちらを選ぶことも出来ず、ただ喚く様にしてジーンはミリルの言葉を否定した。

「頼む。やめてくれ……なぁ、ミリル。俺たちはっ」
「フフフ……おかしなジーン。どっちも友達って言ってるのにちぐはぐなんだもの」
「くそっ、ちくしょうッ……」

勇んで前に出た。シュウを助けるために剣を抜いた。
しかしジーンがミリルを斬れるわけなどなかった。
どんなにその心を闇に染めても、邪悪に顔を歪めても、嘲笑っても、ジーンの眼の前にいる少女の姿はどこまでもミリルだったから。

「足掻くな、ジーン。そう苦しむこともないだろうに」
「こんなのおかしいだろっ! 何で俺達が……お前らと……」
「嘆くばかりだな……そんなザマだからエルクはああなったのではないのか?」
「ふざけんなよ! あいつがどれほどお前らのことを考えてたのかわかんねーのかよっ!!」

声を張り上げ、クドーの言葉に噛みつく。
しかしクドーはただ一つ呆れたようにため息を吐いただけで、シュウの攻撃など歯牙にも掛けぬまま震えるジーンの首元にその大鎌を貼り付けた。
有無を言わさずジーンの開きかけた口が閉じ、それを防ごうとするシュウもまたミリルの攻撃によって動けない。
カラカラになったジーンの喉から出るのは、ただ何故と問う言葉だけだった。

「クドーッ……」
「おかしな奴だ。キメラとなった人間を、自分を騙した化け物を、刃を突きつける敵を友と呼ぶなどと」

懇願するようにクドーの名を呼ぶジーンに、もはや興味は失せたと言わんばかりにその鎌を振り下ろすクドー。
ただコマ送りのように捻じれ曲がった大鎌がジーンの首元に吸い込まれていく中、ただリーザもシャンテも、そしてシュウも茫然と見ているしかなかった。
声を上げ、それを制止する余裕すらなかった。

静寂が。
もう数瞬後には起こってしまう凄惨な結末に誰もが口を紡ぐしかなかった。
故に何一つ音の残さない静寂が彼らを包む。
そんな中で誰かの耳に届いた、誰かのか細い声は確かにクドーの手を止めた。

「―――――――――」

ゆらりと、立ちあがる者がいた。
動きを止め、一つの絵画のようにして動向を見守るだけとなった者達の中、足を引きずってクドーとミリルに近づく者がいた。
血を流し、治癒しかけた腹の傷跡を抑えながらも、その足を止めぬ者がいた。

「ガキだった頃」

ふらりとおぼつかない足取りでジーンの隣に立ち、彼の首元に赤筋の薄い線を作った大鎌を血だらけの右手で握りしめる。
その蚊ほどの力も無い腕で握られた大鎌を、クドーは不自然なくらい簡単に地面に下ろす。
素直に、従順に、クドーはその手から力を抜いた。

「俺たちは何度も約束を交わしていた」

ポタリ、ポタリ。
足を進める度に血が流れる。

「ずっと一緒に。誰かを守る。生き延びる……助けに、行く」

徐々に広がっていく声。
死闘を繰り広げていたはずの中で、どこまでも遠く響き渡るような震える声。
そこに絶望は欠片ほども存在していなかった。

「それは嘘でもなく、本当に心の底から交わした約束だった」

違和感。
ミリルがそれを感じたのは、その者の声をしっかりと聞いてしまってからだった。
痛いほどに胸が締め付けられ、身体を覆う何かが苦しむようにして心の底を這いまわる。
ただ暴力に酔いしれた身体には、どこか懐かしい感覚。
ミリルは、無意識に胸を強く握りしめていた。

「でもそれは、大切じゃ、ない」

まるで自分の身体も心も全てが裏返ってしまう感覚。
茫然と立ち尽くし、ただその声に聞き入るミリルの心に、ナニカが溢れ返る。
ようやくにしてミリルは、自分が自分ではないことに気付いた。

「約束とかじゃなくて」

炎は、炎を湛えた瞳は、笑っていた。
ごく自然に優しくクドーの肩に手を置き、瀕死の顔で笑っていた。

「友達だったら、助けるだろ?」

その言葉が響いた時、ミリルの頭に激痛が走った。

「あああああああああっ!!」

まるで金切り声のように響くミリルの悲鳴に、誰もがはっとして彼女の方に眼を向けた。そこには弄る様にして身体を両手で抱きしめ、頭を振るうようにして苦しむミリルがいた。
顔は苦痛にゆがみ、まるで自分自身を縛り付ける様にして自分の肌に爪を食い込ませるほど抱きしめる。
あまりに唐突な異変だった。

「ミリル!?」
「あ、ああああ……うああああああッ!」

ジーンの声に反応するかのように、ミリルの身体からは今まで以上もの吹雪が渦を巻く様にして漏れ出ている。
有象無象区別なく氷の彫刻に変えていく極寒のブリザード。
しかしそれはまるでエルク達を避ける様にして部屋中を蹂躙するばかり。
やがてその様子に誰よりも早く声を上げたのは、強化ガラスの先から眼下の様子を見続けていたガルアーノだった。

『なッ、何だと!?』

今の今まで一度も聞くことがなかった、珍しくもガルアーノの焦ったような声。
そちらの方を見上げたエルク達の視界に映ったのは、ガルアーノのいる部屋奥から炎のような赤い揺らめきだった。
そしてそれに続く様にして聞こえる部屋を揺らしながら響く爆発音。

「に、げてっ……」

そして聞こえたのは、苦しむままに絞り出す様に聞こえたミリルの声だった。
吹雪に包まれながらも、必死に途切れ途切れの言葉を送ろうと絞り出されるその声に、エルク達は大きく眼を見開いた。
涙を流し、身の内に潜む何かに苦しむようにして地面に這いつくばる彼女の姿に、クドーがいち早く声を漏らした。

「洗脳が解けかけている」
「ど、どういうことだよ!」
「俺達の知るミリルがこんな馬鹿げたことをするわけがないだろう? お前の言う通りだよ、ジーン」

ジーンの質問に応えるクドーの声は、どこか満足げなものだった。





◆◆◆◆◆





誇りだ。

未だ望まれた結末には足りない段階でありながらも、俺の身にはこれ以上ないほどの充足感が満ち溢れる。
干からびた肌が粟立つほどに震え、眼に映る視界はどこまでも透き通って見える。
耳に通るジーンの声は、何よりも欲した響きだったような気もする。

少々やり過ぎたか、などと考えながらシュウやエルクの傷跡を眺めれば、少しだけあるかどうかも分からない心が痛んだ気がした。
誰かを傷つけることに関してはそんなことなど随分久しい感覚だというのに。
眼の前で苦しむミリルの姿を見れば、果てしなくガルアーノが憎くなり、そして彼女の苦しみをなんとしてでも取り除きたいと心が逸る気がした。

色を取り戻していく心。
ただ一つ求め続けた『証』を元に、都合のいいまでに変わっていく灰色の心。
目まぐるしく変化していく記憶全てに感情を塗りつけたくなり、そして感傷に浸りたいとも思い始めた。

「……クドー?」
「もう少しだ、エルク。ミリルにもう一度声を掛けてあげてくれ」

先ほど見せてくれた、どこまでも俺を信じてくれたエルクの笑みには到底敵わないようなぎこちなさで俺も笑う。
ただ包帯に塗れた男の顔が見せる笑顔は醜いものかもしれないが、エルク達は何かおかしいものを見た時のように唖然と俺を見つめるだけだった。
そして、シュウの向けるあまりに厳しい敵意に心が痛んだ。

そう、今更に俺は心を、被害者気取りのように痛めた。
ならばやはり、俺は――――。

徐々にミリルの支配すら効かなくなっていた猛吹雪の中に混じる氷塊がエルクを目がけて飛んでくる。
無論それを通す理由などなく、持っていた大鎌で弾き返す。
今まで敵対していた者をかばった形になった事実は、やがてジーンやリーザ達にも事態を飲み込もうとする冷静さが生まれ始めてきた。
ミリルの抵抗によってパニックに陥っているガルアーノの眼が届かない今こそが好機。

「ジーン。俺たちは露払い役だ。気張るぞ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! な、何が……」

見た感じでは一番冷静になれそうな男だと思っていたというのに、案外誰よりも状況を理解していないのはジーンだった。
その様子にちょっとだけため息を付きつつも、共に言葉が交わせることにこれ以上の無いほどの至福を感じる。
そんな感情にほんの少しだけ呆ければ、エルクの凛とした瞳が俺を射抜いていることに気付いた。

「…………」
「やれるさ。みんないるんだ」
「……ああ!」

――――。
誰ひとり、俺に勝てる者など存在しないなどという傲慢にも似た自信が膨れ上がる。
俺はこの世で最も幸せな『人間』ではないのかと心が高鳴る。
俺は間違っていなかったと全てが肯定された気分に酔いしれる。

気付けばエルクだけでなく、リーザも、シャンテも、シュウも、パンディットも、エルクを後押しするかのように俺の隣に並んでくれた。
ようやくにしてなんとなく流れを理解したジーンに吹きだすものを堪えながら、真っ先に吹雪の中心で苦しむミリルへの道を切り開く。

身体中を蝕む吹雪が、徐々にエルクの放つ熱風によって色を失っていく。
それでも止まない氷塊の雨はシュウの銃弾に、ジーンの放つ風に、リーザの唱えた魔法で、相殺されるシャンテの魔法で、パンディットの拳で砕いてゆく。
専ら俺は、ただ愚直にミリルへと走り抜けるエルクの盾となるべく、彼の隣を疾走する。

『クドーッ!? 貴様何をしている!!』

何やら聞こえた気もするが、すぐにその声は頭に入るでもなく右から左へ聞き流す。
一歩、一歩、すでにミリルはエルクの手の届く場所で蹲っている。
一人、内に潜む魔と戦いながら、それでも助けを待っている。
やがてエルクの方に真っすぐ飛んできた氷塊をその身で受け、咄嗟にこちらに駆け寄ろうとしたエルクを咎める様にして先を促す。
俺など構わず先に行け。心躍るような情景に氷塊によって吹き飛ばされたまま笑みを浮かべてしまった。
これは気持ち悪い。

「――――――」

残念ながら、ミリルの下に辿り着いたエルクが何と声を掛けたのかは部屋中で巻き起る吹雪のせいで聞こえなかった。
それでも、ぐったりとして動かないミリルを抱きしめ、やがて白に埋め尽くされる景色の中でエルクがその顔をミリルの顔に重ねた絵が見えた気がした。
このマセガキめ。本当にこれじゃあお姫様と王子様じゃないか。
でも祝福する。





――――ああ。
こんなにも晴れ晴れとしたのはいつぶりなのだろうか。
エルクによって、いや、皆の力によってミリルの暴走が収まった部屋で俺は大の字のまま天を見上げた。
あれほど忌まわしく、何もかも全てを破壊したくなった白の部屋から見えるライトの並んだ天井が、今は青空よりも貴く思える。

ちらりとジーン達の方を見れば、シュウなどは重傷を負いつつもどうやら皆無事でいるらしい。
諸手を上げながら抱きしめあうミリルとエルクに駆け寄るジーンが見えた。
そして照らされるライトの光を遮る様にして俺を見下ろすシュウ。
光に遮られて黒く影を残す彼を見ても、俺が付けてしまった赤い傷跡は生々しい。

「……これが、お前の望んだことか?」
「ああ」
「なら、いい」

それきりシュウはこちらを見下ろしていた視線をエルクの方に向け、それをただじっと見つめていた。
いつものような鉄仮面の、俺にも出来ないような無表情。
だがしかし、その奥に隠された嬉々とした感情を俺は知っている。
この人は、そう言う人だ。

やがてエルク達が俺の方にも寄ってくる。
何だかミリルと比べると優先度が低い様な気がして悲しくもなったが、まあ、俺たちにとってミリルとはそういう人間だ。
彼女こそが俺達の支えであり、彼女の言葉に幾度も救われてきた。
幼き日に受けた恩はこの救出劇を以ってしても返せないだろう。

「クドー!」

ミリルの、聞かなくなって随分と久しい俺の名を呼ぶ声。
少女であった時のたどたどしい喋り方は消え、天真爛漫なものを残しつつも凛とした声は変わらない。
――――満足だ。

「だ、大丈夫か?」
「……問題ないさ」
「でも……」
「それよりも」

こちらを心配そうに見つめる面々を尻目に、ゆっくりとこの身を起こして部屋の上部、強化ガラスの向こうを見やる。
見なくても分かるほどの怒りがひしひしと感じられるが、顔の形が歪む歩に怒りを滲ませられても今となっては間抜けな面ににしか見えん。
ガルアーノという小物が、肩を震わせながらこちらを見下ろしていた。

『クドー、貴様が何をしたか分かっているんだろうな?』
「いちいち問うな、面倒くさい。お前が阿呆だった。それだけのことだろう?」
『貴様ァ!!』

ちらりとエルクの隣で縮こまるミリルを見る。
未だ彼女がその身に抱えるものは除かれず、それこそが悲劇の象徴たる忌まわしき物。
ガルアーノが密かに埋め込んだ自爆装置。
だがしかし『不死身』という力をどこまでも突き詰めたクドーという存在こそが、その可能性を捻じ曲げた。

「もはやここにいる意味などない。ミリルの救出はつつがなく完了。それで貴様ともおさらばだ」
『……儂がこのままみすみす逃すと思っているのか?』
「殺さずに撤退するだけでもありがたいと思え。俗物が」

簡単な爆発物によるものではなく、身体に残った魔の力を暴走させることによって発動する自壊。
それこそがミリルの中に埋め込まれたもの。
単なる爆発では死なない俺という存在がいたからこそ、変更されたもの。
どちらにせよ、命を奪うという点では変わらないが。

『ク……ククッ……ゲギャギャギャギャギャギャギャ!!!』

唐突に、壊れたように響き渡るガルアーノの声なのかもわからぬ音に、誰もがその目を疑った。
腹を抱え、眼の前のガラス窓を絶え間なく叩きながら唾を吐き散らすガルアーノ。
しかし俺はその一挙手一投足を注意深く見つめ、その時を見逃さぬように構える。
準備完了。せいぜい吼え面掻くがいい。

『貴様には何も渡さんよ、クドー』
「つまらん」
『くふっ……うふうふううううふふふ………………やれ』

短いガルアーノの合図と共に、俺の近く、エルクの隣にいたミリルから尋常でないほどの魔の気配が膨れ上がった。
同時に跳ね上がる様にしてその身を逸らせ、口をパクパクとさせるミリルに眼を見開くエルク。
だがさせない。
これだけが、俺の仕事だ。

「ミリル!?」
「どいてろ」

慌ててミリルの身体を抱きしめるエルクをどかし、右手をミリルの心臓の部分へと押し当てた。
一気にその手からどす黒い液体のような影を滲みだし、ミリルの身体を侵食するように一点に染み込んでいく。
そして、俺の身体には煮えたぎったマグマが流し込まれたような激痛が走った。

「ぐ、う、おおおおお……」

痛みを感じるはずの無いこの身体が悲鳴を上げる。
ミリルという優秀な素体故に用意された自壊装置は、俺のようなものにといっては許容範囲以上の膨大な魔の……キメラの力だった。
しかし、歯を食いしばり、震える右手を抑えながらも耐える。
気がつけば唇からは血が流れ、突きつけた右腕からはまるで噴水のような血が噴き出していた。

「あ……あ、あ、あ……」

苦しいのはミリルも同じ。
まるで気が触れてしまったように口を大きく開けたまま痙攣するミリルに、嫌な光景を重ねてしまう。
遠い日、遠い記憶。
誰ひとり助からずエルクだけが残ってしまうその結末を。

「おおおおおおおおっ!!」

大きく吼えると共に、ミリルを侵食していた影をこの身に戻す。
相変わらず身を焦がすような激痛は収まらないが、それでもすっかり死相など消え去り、少しだけ苦しそうに眼を瞑ったままなミリルを視界にいれれば自然とその痛みを耐えられた。
どうやら――――全てがうまくいったらしい。
ミリルの身体に渦巻くどす黒い力のほとんどを、この身に移し替えた。

『なっ……』

耳鳴りがするほどの激痛の中、ガルアーノの驚くような間抜けな声が聞こえた。
今まで幾度も傲慢に悲劇を重ねては、友を苦しめ、悦に至り、運命を弄んできた男の情けない声。
眩暈がする。息が苦しい。身体が痛い。
だが、叫ばずにはいられなかった。

「……貴様に! 何一つ渡してやるものかっ!!」

響き渡る一つの足掻き。
俺の言葉の意味を理解したガルアーノが拳を振り上げた時、この白い家そのものを揺るがすような振動が俺達を襲った。
鉄が悲鳴を上げる様な音を上げ、警報が鳴り響き、エルクもガルアーノもふと天を見上げた。

そう、全ては俺の計画通りに動き、そして結末に至る全てが俺の勝利で幕を閉じる。
ミリルの身体から取り除いた魔も大きくはあるものの、俺そのものを暴走させるにはまだ足りない。
未だミリルの身体には少しばかり魔の残滓があるものの、それに関する対策も用意してある。

『…………』

地面に手を付きながらも、慌てふためくガルアーノを睨みつけ、嗤う。
すれば奴もまたこちらに気付き、轟音の上がる真っ最中だというのに、奴は無表情のままこちらを見やり、何やら後ろの研究員に向けて何かを告げた。








ただ一つ。

ただ一つどうにもならなかったものと言えば。





奴が俺に仕掛けた自壊装置を、どうにもできないのだということだ。
















<あとがき>

次回更新でその他版に移しますので更新確認の際はご注意を。




[22833] 最終話
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/02/24 19:48





金属を引き裂くような音が響き渡り、白い部屋の天井に巨大な爆発が起こった時、誰もが突然のことに眼を疑った。
天井そのものを吹き飛ばすほどの爆発のあとに見えたのは、黒煙を上げながらその合間に見える青い空。
どうやら白い部屋の上階に当たるエリアは存在せず、ぽっかり開いたその穴からはちらほらと部屋とは違う白の装甲が見え隠れしていた。

「シルバーノアだと!?」

その装甲の正体に気付いたのはエルク。
叫ぶと同時に張れつつあった黒煙の中を睨みつければ、ガルアーノの式典会場にやってきたアーク一味の乗るものと全く同じ飛行船が見えた。
予期せぬ襲撃者に息を飲み、混乱の中でさらなる戦闘の気配に眉を顰める。
満足に戦う事の出来る者は何人残っているのか。ミリルなどは先ほどクドーによって行われた侵食によって気絶したままだ。

「……あれは」

巨大な船が響かせるエンジン音と崩壊し続ける白い家の爆音に唖然としながらも見上げていれば、徐にシルバーノアのハッチが開き、何者かがロープを伝って降りてきた。
真っ黒な点のような影。
それが徐々に高度を下げれば、それはアーク一味に連なるものではなく、クドーの手下だったシャドウだった。

「てめぇはっ」
「おーっと待った待った。今はそんな暇ねェだろ? さっさと上がった上がった」
「はぁ!? 何言ってんだお前」

のっぺらぼうにも似た顔におどけた表情を貼り付け、ジーンとエルクの問い詰めに両手を上げるシャドウ。
面倒な状況に説明を求めるためにシャドウがこの結末の先にいるはずのクドーを探し、ミリルの影でピクリとも動かないクドーを視界に入れた。
そして、シャドウはおどけていたはずの表情を黒の顔から消し、ただ力なくその両手を下げた。

「もう……終わりかァ」

唐突にしみじみと零したシャドウのその言葉にエルク達はただ首を捻り、そして目を見開いた。
しゃがみ込み自らの胸を握りしめたまま動かないクドーの右手が、砂のように崩れ落ちていた。

「クドー……何で」

茫然としてその名を呼んだエルクの言葉に、答える者は誰もいない。
ただ崩壊が続く周りの状況に関わらず、まるで血の気が失せたかのようにクドーを囲む者の中から音が消えていった。
誰も彼もが助かったはずの結末に、綻びが生まれてしまった。

言葉を失い、立ちつくす者達。
しばらくすれば、やがてシャドウの辿ってきたロープからもう一人赤い鉢巻を額に巻いた青年が降りてきた。
真っ赤な外套と鉢巻、整った顔つきとその若さに似合わぬ隙のない立ち振る舞い、超然とした雰囲気を感じさせる真っすぐな琥珀色の瞳。
ハンターであるシュウとエルクにはその青年の顔に覚えがあった。

「アーク……」

100万Gを越える賞金首、アークその人であった。

「君がクドーだな?」
「ああ」

颯爽と崩壊する白い部屋の中心、エルク達の傍に降り立ったアークは、足早にしゃがみ込むクドーへと近づくと、彼の名を確かめた。
元々知り合いだったのか、双方共にぎこちなさを感じさせるような様子はなく、受け答えも全て決まっているかのようにすらすらと互いの口から出てくる。
ただクドーの声は、今にも消え入りそうなほどに小さいものだった。

「……君の勇気に、敬意を表する」

そしてアークはクドーの眼の前に跪き、頭を深く下げた。
一体何が起こっているのかエルク達にはさっぱり理解できない。
ただエルクが理解出来たのは、眼の前の友の身体がどんどん砂のように崩れて消えていくことだけだった。

「何やってんだよ! クドー、お前っ、身体が……リーザ!」
「う、うん!」

慌てたようにエルクがリーザを呼べば、彼女もやるべきことを理解したのかすぐさま治癒魔法を掛けようと手を指し伸ばした。
だが、クドーは頭を擡げるだけでそれを留めた。
いや、クドーの浮かべた表情にリーザは絶句し、ただその手を引っ込めるしかなかった。
あまりにも穏やかな――――もう、『それ』をクドーは受け入れてしまっていた。

「ふ……ふざけんなよッ!!」

それは、震える様なエルクの声だった。
周りで起こる崩壊にも、突然現れたアークにも興味を向けず、ただ必死にその事実を受け入れまいとクドーに近寄る。
放すまいと腕を掴めば、その腕が砂となって零れ落ちた。
いかないでくれと叫んでも、クドーの崩壊は止まらない。
ただ誰もが悲痛な顔を浮かべ、エルクの慟哭を眺めるばかりだった。

「エルク、俺は」
「うるせぇ!! 許さねぇぞ! いなくなるなんて、そんなこと……」
「……俺はな、エルク」

クドーの言葉すら効かず叫ぶだけのエルク。
涙を浮かべた彼の様子にふっと笑いかけたクドーは、ぼろぼろに崩れ落ちた手でエルクの顔を撫でた。
血を吸い過ぎた彼の手には、少しだけ不器用な触れ方だった。

「俺は、幸せだった」





◆◆◆◆◆





命を掛けてくれた。
どこまでも信じてくれた。
そして、泣いてくれた。

ああ、幸せなのだと、感じずにはいられなかった。
そしてそれは、許されないことだった。

「俺は幸せだったよ。エルク」

自らの目的を果たすために心を狂わせ、犠牲を他者に強いり、ただ振り向かずに生きてきた。
ただ自分のためだけに。
人間であることを証明する為に、今俺が感じている想いを知るために罪を犯し続けた。

では、化け物ではなく人間だと知ることが出来た俺は――――人間である俺は。
罪を償わなければならない。
人間であることを証明することと、罪を償うことは取って切り離してはならない。
人であるならば。

――――卑怯だ。

化け物だという立場を思いこみ、贖罪を考えることなく罪を犯して。
いざ人間だと理解すれば、今まで溜めに溜めこんだ罪から逃れるべく死を選ぶ。
エルク達を、裏切る。
心の弱い俺には、これがせいいっぱいだった。

「だから、すまなイ」

何に俺は謝っているのだろうか。
ただ、エルクが涙を瞳に浮かべていた。
ただジーンが、顔を伏せていた。
ただ、ただ、ただ――――。

もう、時間はない。

語るべきことが頭に浮かばず、纏まらず、そんな状況で彼らの歩みを止めても意味はない。
既に役目は終え、後悔はないのだと自ら理解している。
俺はどこまでも自分本位の、英雄にはなれない男なのだと。

「アーク。行テく、れ」
「いいんだな?」
「あァ」

こちらを安心させるような、優しい声。
いくら勇者とはいえ、見知らぬ者でありながら余計なものを背負わせた。
ただそれが、申し訳なく思う。

「お前もこいっ! こんな……」

再び声を上げるエルクに、最後の力を振り絞って近づき、崩れかけた拳を腹に叩きこむ。
弾ける様にして崩れる拳と共に、崩れ落ちるエルクの身体。
うっすらと閉じていく彼の瞳と、かすかに俺の名を呼ぶ声を忘れぬように心に留めた。
多分、いや、怒るだろうな。エルクは。

「ジーン。こ、ィつを、頼む」
「……お前が、やれよ」
「タノむ、シンゆ」
「…………最低だぜ。親友」

ぼやけた視界の中だというのに皆の輪郭だけがはっきりと見える。
俺を取り巻く全てが消え失せたような感覚に、怖くなる。
それでも、繋ぐことの出来た絆が、俺をまだ現世に留めさせる。

本当に、本当に、すまない。





◆◆◆◆◆





崩れかけた身体を起こしフラフラとクドーが立ち上がれば、崩壊によって歪んだ白い部屋の扉から、数体ものキメラ兵が這い出てきた。
この状況でエルク達を逃がさんとガルアーノが放った使い捨ての兵隊たち。
欠陥品なのか、どれも人型モンスター『ソードマン』の姿を保ちながら、言葉さえ放すことなく手にぶら下げた剣を振り上げるのみだった。

「いケッ!!」

もはやクドーの声は、人間らしき言葉を留めてはいなかった。
身体は崩れかけ、腕は消え、もはや視界すらはっきりとしていない。
だが、クドーの耳には確かに自分の名を呼んでくれる者たちの声が届いていた。
悲劇の幕に涙を流してくれる親友の声が。仲間の声が。

それでも彼らはこんなところで瓦礫に埋もれる選択は取れるはずもない。
やがて砕けんばかりに歯を食いしばったアークがシュウ達を先導し、そろそろ白い家の崩壊に巻き込まれつつあったシルバーノアへと逃げ込んでいく。

「……クドーさん」
「シャ、どぉ、ァぬび、ス、をこき、ツかえ。やツらは、す、ベて、シテル」

震える声でリーザが名を呼べば、クドーの途切れ途切れの声が静かに零れ落ちた。
もはや会話することさえ叶わない。
リーザはただ涙を流し、アークの後に続いて白い家を飛び出した。
シャンテも、シュウも、ジーンも。
誰も彼もがただ悲劇を飲み込んで先に進むしかできなかった。

「…………」

シュウ達がアークによって助け出され、もはや化け物しかいなくなった崩壊し続ける白い家。
絶え間なく響く崩壊の音の中、ただガルアーノは脱出を急かす部下を背後で慌てさせながら、眼下でこちらを睨みつけるクドーを見下ろしていた。
怒りさえ消え失せ、無表情のままに。

「ヴ、ァオオオオオオオッ!!」

そしてそれはもはや自制すら失ったクドーも同じであった。
最後の力を振り絞った故か、それともその身の内で狂う魔の力が暴走し始めたのか。
周りの瓦礫と、襲いかかってくるキメラを取り込みながら徐々にその肉を膨張させていく。
灰色の肉が膨れ上がり、まるでヘドロのように流動しながら白い部屋を侵食していく。

やがて灰色の肉とその身体の至るところか血を噴き出しながら暴れ回る化け物は、ガルムヘッドに似た上半身だけの身体を捩り、未だ脱出せぬガルアーノを正面に捉えた。
真っ赤な瞳が怪しく光、泥のように流動しながら巨大化し続けるその拳が強化ガラスの向こう側にいるガルアーノへと叩きつけられた。
未だ続く爆発音に紛れて響く轟音。
ベチャリと嫌な音を立ててガラスに灰色の花を咲かせたようにクドーだったものの肉は飛び散った。

「ふん。見事なまでに手を噛まれたな。ガルアーノ」

呆れたようにため息を吐きながら、クドーだったものの拳を不可視の壁で受け止めるアンデルが、ガルアーノの隣に立っていた。
手に持った杖のようなものの先端を拳に向け、やがて具現化し始めた魔法陣はクドーだったものの力を止めて尚有り余るほどの魔力が込められた防御壁。
やがてその拳からも煙が出始め、クドーだったものは痛がるようにしてその拳を引っこめた。

「……許さん」
「何を今更」
「アークも、エルクも、ミリルも、ジーンも……その他の全ての有象無象も!! 儂がくびり殺してやる」

ようやくにして捻りだしたガルアーノの言葉は、結局のところただの恨み事。
この現状でありながら未だくだらないことを吐き散らすガルアーノの様に、アンデルは心底うんざりとしたように失意の目を向けた。
もはや自慢の右腕を失い、執着していたもの全てを逃し、キメラ施設を失ったガルアーノはただの愚図に過ぎない。
アンデルの脳裏にはどのようにしてこの男を使い捨ててやろうか、などというものしか浮かばなかった。

「ヴォオオオオオオオオオオオ!!!」

クドーだったものは、ただひたすらにガルアーノに手を伸ばそうとする。
とうとう自壊装置が完全に作動し、そのヘドロ状の身体さえもぐずぐずと崩れ落ち、ウジ虫のようにその破片が飛び散りながら消えていく。
最後の足掻きのようにして両手でガルアーノとアンデルのいる部屋にしがみ付き、その部屋の大きさほどもある顔をねじり込ませれば、腐臭を漂わせながら咆哮した。

「それにしても、コレはキメラ研究に使えるのではないのか?」
「ふん。裏切り者など糧にすることすら許さん。ここで無様に朽ちていくのがお似合いだ」

揃って蔑むようにしてクドーだったものに視線を流すが、ガルアーノはアンデルの見せる侮蔑の視線に自分が入っていることに気付かない。
やがてアンデルが残った左手をクドーだったものに翳せば、灰色の頭はまるで風船が割れたようにあっけなく霧散した。
消し飛ばされた頭と同じように、次々に砂となって崩れていく巨体。
崩壊した白い部屋に残ったのは灰色の塵だけだった。





◆◆◆◆◆





まどろみの中。エルクはクドーの名を呼んでいた。
隣には笑顔を振りまくミリルがいて、それに釣られてニヒルに笑うジーンがいて、クドーはそんな有様に苦笑を浮かべていた。
みんな、笑っていた。

しかし右手にミリルの手を握り、左手にジーンの手を握れば、眼の前にはちょっとだけ寂しそうに笑うクドーがいた。
そして彼は、一つ頷くと遠い何処かへと走り去っていってしまった。
自分達三人を残して。

エルクは叫んだ。
ただ彼の名を。

エルクは手を伸ばした。
すればジーンとミリルも手を差し出してくれた。

エルクは走った。
ジーンとミリルも、その後に続く様にして走りだした。

誰一人、何も届かなかった。

やがてエルクの視界が現実を帯び始める。
見たことも無い部屋、天井。
自分の身を横たえていたベッドから這いずりだし、クドーの姿を探し始めた。

ヒエンのそれよりも力強く唸るエンジンの音を聞きながら、人の気配をする方へと。
どうやら飛行船のような内装をしているが、そんなことはエルクにとってどうでもいいこと。
ただクドーを、彼を探さなければならない。

「エルク!?」

一つのドアを開ける。
そこはまるで会議室の様に多くの椅子やテーブルが並んでいて、その部屋の奥に飾られた世界地図の前に、自分達の仲間が集まっていた。
自分の名を呼んでくれたミリルを筆頭に、ジーンも、リーザも、シュウも、シャンテも。
そしてその中には見知らぬ青年や、黒い身体を持った魔物の姿もあった。

「…………」

しかしその青年をアークだと思い出しても、エルクは声を荒げることも無く辺りを見回した。
もう一人いるはずの親友の姿を懸命に探した。
包帯に巻かれ、ボロボロの外套を身に纏いつつも、自分のかけがえのない親友であるはずの彼の姿を。

「…………クドーは」

しかしいくら探してもこの部屋には彼の姿などない。
縋る様にしてその名を聞けば、誰もが瞳を伏せ、口を噤んだ。
気付けば、ミリルが涙を流しているのがエルクには見えた。
そう言えば、とエルクはこの部屋に入ってきた頃からミリルは既に大粒の涙を流していたことを思い出した。
エンジンの音に隠れて嗚咽のようなものも聞こえた気がする。

「クドーは」
「分かってんだろォ?」

金槌で殴られたような衝撃が走り、気付けばエルクはシャドウに殴りかかっていた。
腹に負った傷の痛みなど気にも留めず一直線にシャドウへ詰め寄ったエルクは、そのまま右腕を振り抜く。
鈍い音を立ててシャドウが吹き飛べば、エルクもまた腹の痛みに耐えかねたのかその場に膝を付いて顔を歪めた。

「お前らッ……お前らがぁ!!!」

床に拳を叩きつけて叫ぶ。
その真っ赤な瞳にただ浮かぶのは涙だけだった。

エルクは、クドーがあの地に残り死んだのだと、既に思い出していた。
悲しそうな、嬉しそうな、複雑な表情を浮かべながら今しがた抑えている腹に見舞われたクドーの拳は、ミリルによって負わせられた傷以上にエルクに痛みを残していた。
その痛みが覚えている。
クドーの最後の姿を覚えている。

「ごめん……ごめんね。わたっ、私が……」

腕で目元を擦り、その場に崩れ落ちてしまったミリル。
右手で顔を隠しながら天を仰ぐジーン。
誰もが、クドーの最後に掛けるべき言葉を失くしていた。
そんな中、ふとシャドウが人間でいう頬のようなところを摩りながらむくりと立ち上がる。

「旦那は、最低だからな」
「てめぇがあいつを語るなっ!」

即座にエルクに睨みつけられたシャドウは、やれやれと肩を上げてため息を付いた。
そしてその態度もまたエルクの瞳が燃え上がる様にして熱を帯びた。
ガルアーノが、白い家が、キメラが、魔物が。
――――こいつらさえいなければ何一つ悲劇は起きなかったというのに。
そんな憎しみにも似たエルクの感情に晒されながら、シャドウはただ無表情のままに言葉を連ねた。

「あれが最善だった。アレ以上は望めなかった」

呟くようにして静かに落ちたシャドウの声に、誰もが応えるべき声を失くした。
拳を握りしめ、悲痛に顔を歪ませ、口を真一文字に閉じる。
シャドウの言う通り、数ある可能性の中でも最も最善に近い結末でありながらも、彼らの表情に嬉々とした物は欠片も存在しない。

「下手すりゃジーンもミリルもそしてアンタも、キメラになって野たれ死んでた」
「だからクドーが犠牲になったって言ってんのか……?」
「犠牲? はっ。旦那はただ一人の勝利者だよ」

吐き捨てたように答えたシャドウの言葉。
クドーは、この戦いの果てに残った最後の勝利者だった。
自ら救いたい者を全て救い、あるべき未来を掴み取り、何一つ未練を残すことなく逃げた。
死に、逃げた。

「別にお前らが死のうが、俺が殺されようがもう旦那には一ミリたりとも関係ねェ話だ」
「…………」
「お前が望むんだったら俺は黙って殺されてやる。旦那にはアンタらの命令に従えって言われてるからな」

止まぬ涙に、エルクはただ押し黙るだけだった。





◆◆◆◆◆





重苦しい会議室より退出し、しばらくシルバーノア内の操縦室に繋がる通路から見える雲の流れる空を見ていたシャドウに、近づく影があった。
シャドウと同じく今は時間を置くべきだと判断して退出してきたアーク。
彼は徐にシャドウの隣に立つと、アークではなくシャドウの方から徐に話しかけた。

「トウヴィルに向かう前に、ヤゴス島へ寄って行きな」
「何故?」
「あいつらが旦那の部屋から回収したファイルには、ミリルが身体改造された際の内容が全て明記されている」
「まだ、彼女は蝕まれているのか?」
「旦那が無理やり飲み込んだだけで、完全に人間に戻ったわけじゃねぇ。だが、聖女の力と元研究者のヴィルマーが組めばどうにかなるだろ」

興味なさ気にそう零すシャドウに、何とも言えない感情を抱きながらも掛ける言葉にアークは迷った。
一体どれほどまでこの状況を作り出すまでに動いていたのか。
白い家に突入する前、着陸地点を定めた砂漠の端でアーク達を待つシャドウを眼にした時をアークは思い出した。

敵側であるはずのロマリアから流されたキメラプロジェクトの情報。
それを知った時は罠としか考えなかったアークたちであるが、そこに示された情報の多くはあまりにも常軌を逸したものばかりだった。
王家や精霊などにしか知り得ない世界の仕組み。ロマリアが企む計画の全容。そして世界の結末。
異常染みた数々の真実に、アーク達はそれを無視する選択は取れなかった。

そして魔物とも言えない、眼の前の生物。
もう一体のアヌビスと呼ばれるウルフアンデッドは、シルバーノアの操縦室に佇み、つまらなそうにこちらを見つめるばかりだった。
まるでその興味は、自らの主であったクドーのみにしか存在しなかったかのように。
――――彼もそうなのか、とアークがシャドウを見つめれば、黒の身体に着いた赤の瞳がこちらをじっと見据えていた。

「アンタは、旦那に勇気があるって言ったらしいな」
「……ああ」
「勘違いも甚だしいゼ。旦那は俺が知る人間の中で最もそんな言葉に無縁の男だ」

選ばれた勇者として、光を受け継ぐ者として魔物の対極に当たる存在を前にして、シャドウはその身に圧しかかる重圧を物ともせずにアークに向かって吐き捨てた。
敵意を向けるという程のものではないが、シャドウが向けたのは確かな怒り。
触れれば消えてしまいそうなほどの格の違いを前にして、シャドウは怯むことなくアークを睨みつけた。

「旦那はな。徹頭徹尾自分のためにしか生きちゃいねェ。あの小僧どもを助けたことだって結局は自分のためだ」
「しかし結果的に、彼らは救われたはずだ」
「あァ? 結果を言うならあの様だろ。ボロボロ泣いてるあいつら見てもそう言うのか? 勘違いするなよ。旦那は勇者なんかじゃねェ」

人としての邪悪さに惚れ込み、屈服し、その生を最初から最後まで見続けていたシャドウにとって、クドーの行いが他者に認められるのは決して許されないことだった。
クドーという男は最後まで誰ひとり救わぬ愚者で在り続けなければならない。
勇を知ることのない弱者でなければならない。
クドーが心の底から願った想いが歪なものであれ、それを捻じ曲げることは許容できないものだった。

「アンタらみたいに世界と人を同時に救えるほど、俺たちは強くねェんだよ」
「……未来を知っていてもか」
「時の精霊に祝福された親父を持ちながらそれを言うのか?」

アークの父、ヨシュア。
世界を救うべく時の精霊に認められ、全ての次元を移動する力を授かってもなお、ただ一人ができることなどたかが知れている。
そう考えてしまえば自らを犠牲にしながら、全てを救ったクドーの行いは到底自分たちに真似出来ることではない。
しかし、アークは胸の内に淀む想いを吐き出さずにはいられなかった。

「本当にこれでよかったのか」
「小僧どもにとっちゃ最悪だろ。旦那にとっては最高だが」
「…………」

それきりアークは口を開くことはなかった。
だがシャドウの想いを、クドーの想いを認めても尚、それに納得することはアークにとって出来ない。
例え理由がどうであれ、生き伸びることが出来た命がある。
ならばそれを無駄に散らせることは許されない。

ふと、自分が出ていった会議室の方を眺める。
膝を降り、絶望に濡れてしまった子供達。
彼らの保護を誰でもないクドーによって頼まれた手前、いや、そんな理由がなくとも彼らをこれ以上戦いに巻き込むのは許容できるものではなかった。

「もし、もしも……」
「あ?」

シャドウによって齎された未来の知識を浮かべながら、アークは最後にシャドウに問いかけた。

「彼らが、立ちあがらなかったらどうする」
「知らねェよ。それはそれでアンタらにとっちゃ戦力は減るかもしれんが……それでも俺の知識は有用だろ? それに……」
「それに?」

どこか聞いてはいけないものを問うかのように、恐る恐るアークはシャドウの言葉を繰り返し聞き返す。
すればシャドウはそののっぺらぼうの顔を凶悪なまでに歪ませ、けたたましく笑いながらこう答えるのだった。





「あいつらなら立ちあがってくれる。旦那なら、そう言うね」





                                                                             end



[22833] あとがき
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/02/24 19:50
注意。
べらべらと作者が今作品について語ります。

















これでアーザラッド2二次創作『血溜まりのクドー』は終わりでございます。
今まで呼んでくれた読者のみなさん。本当に本当に本当にありがとうございます。
本当の意味で『原作キャラを踏み台にして幸福を得る転生オリキャラ』という結末で終わったことに戦々恐々しているわけです。はい。

アークザラッド2の珍しい二次創作として期待してくれた方、万人受けのしない鬱エンド、並びに微妙な最後ですみません。
どうしても主人公が復活して後のストーリーにも関わるという展開を、作者が許容できませんでした。
様々な終わり方も考えたのですが……それを文にする力量が足らず。
結局これが作者の納得出来る終わり方でした。

しかしよくよく考えれば非常に二次創作には優れた世界観だと思うんですよね。
別に本筋に関わらせなくてもハンター的な意味で世界の片隅で活躍するのもいいですし、世界各地に散らばっている原作キャラと仲良くなるのもいい。
さらに多種多様の精霊がいることで特殊能力には事欠かない、さらに剣も魔法もモンスター育成も重火器によるガンアクションも出来る。
まぁ、そういった世界観のみの話であれば『アークザラッド3』はもっとも優れていると作者は個人的に思っておりますが。
荒廃した後の世界で頑張る人とか胸熱っ。



で。



何はともあれこれでこのssはこれにて終幕。
拙い文章と陳腐なストーリーでありながら多くの方に見てもらったのはこれ以上ないほどの喜びでした。感謝感激。
感想を書き込んでくれた方にはさらに感謝を。幾度も励まされました。
そしてこの掲示板に自らの妄想を晒す機会を与えて下さり、管理人の舞様には頭があがりません。本当にありがとうございました。
あ、ちなみ何か質問があれば感想の方で応えたいと思います

もしも原作に触れる機会、もしくはもう一度やり直そうと思っていただいた方がいれば、それもまた同じくアークザラッドのファンとして嬉しく思います。
グルガ育てようぜ!

兎にも角にも、今までありがとうございました。
では。



[22833] 後日談設定集
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/03/02 10:50


最終話以降の設定集。
といってもその後の原作の流れとは明確に違う形になったキャラのみですが。
設定集というよりは簡単な後日談とも言う。
ネタばれが酷いので本編未読の方はご勘弁を。

そして何よりも、最終話以降のモヤモヤとした余韻と想像を楽しみたい方にはお勧めできません。
自己判断でよろしくお願いします。

おそらくこれは蛇足ですから。











































≪エルク≫

届きそうになった手が、空を掴んだ。
許せなかったはずの結末は炎を弱め、そして誰かと共にいることすらも恐れはじめた。
それは過剰なほどに仲間が傷つくことさえも許容できなくなり、やがてガルアーノを倒すという目的の中でミリルやジーン、そしてリーザすらも戦いの中から突き離そうとし始めた。

仲間たちもそれぞれの目的のため戦おうとするため、最後には決裂。
誰かを失くすことに耐えられないエルクは、一人仲間達から離れて個人行動を取り始めた。
大事な親友の犠牲の下に手に入れた平穏に、手を伸ばそうとする元凶を打ち滅ぼすために。

ククルの導きもあってかエルクが最初に訪れたのはパレンシア城跡。
そこで出会った一人の気弱な勇者が、エルクに仲間を信じることの大切さを思い出させていくのだった。

希望の炎はまだ消えない。





≪ジーン≫

白い家脱出後、ジーンは誰よりも自分の力の無さを悔いた。
エルクのように最後までクドーやミリルを信じ続けた心の強さも無く、クドーのように全てを捨てて戦う覚悟も無い。
仲間と親友に対して何一つできなかったジーンがその身を委ねたのは、ガルアーノに対する復讐心だった。

彼にとってガルアーノのみでなくその裏にいるロマリアという大国とも戦うアーク一味という存在は、何よりも自分の復讐を完遂させるために利用できる者たちだった。
結果同行を拒否するアークに無理やり付いていくようにして、大国グレイシーヌへ。
そこで知る、ラマダの拳・勇者の剣。それは誰かを傷つけるためではなく、誰かを守るための強さ。

真の強さを知るために、ジーンは風の精霊の住まう小国・ニーデルへと一人旅立つ。
闘技大会が盛んな国として有名なニーデルの地に辿り着いた風の子ジーン。
しかし確かに闘技大会が盛んなように街中を屈強な男たちが闊歩するものの、何かおかしい。
偶然出会った盲目の少女に聞いてみれば、この地は一年に一度の闘技大会で盛り上がるクレニア島。

残念、ここはニーデルじゃない。





≪ミリル≫

クドーの死という結末が彼女に与えたのはあまりに重い罪の意識だった。
自分が目を閉じなければ、もっと早く自分が心を開いていれば。ただ眠るだけだった間に親友たちはどこまでも辛い思いをし、結果自分はただ助けられるだけの足手まといだった。

そんな誰かの負担になることを恐れたミリルは戦いに参加することを禁止したエルクの言葉にも従い、一人トウヴィルの下に残る。
せめて皆の力になれればと暗い雰囲気の中で作りだす彼女の痛々しい笑顔など何の意味も無く、それぞれが喧嘩別れのように離れていく仲間達の姿に、彼女もまた自分の罪の重さを感じていく。

誰の負担にもならないように、誰かの邪魔もしないように。
やがて笑顔すらも消えていくミリルに声を掛けたのは、同じく待つ身でありながらもアークと戦いを共にしているというククルだった。

自分が出来ること。慈愛の意味を。本当の笑顔の意味を。
彼女が向かうはアリバーシャ・水の神殿。凍てつく氷を癒しの水に変えて。
陽気な陽気な機神と共に。





≪リーザ≫

目の前で起こってしまった悲劇。
信じて、信じて、信じて。それでも自分を助けてくれた人たちは涙を流した。
傷を残しながらも進もうとするエルクとジーン、そしてミリル。リーザに出来ることは何もなかった。
そんな中、自分の言う事を聞いてくれるというシャドウとアヌビスの言葉が彼女の心に突き刺さる。

お前の言葉は優しさか。それとも甘さか。ヒトを信じる意味はあるか。

やがてシャドウの誘われるような言葉につられてやってきた故郷、フォートレス。
そこにホルンの魔女の居場所はなく、魔物も、そして人すらも魔女を傷つけ裏切っていく。やがて助けたはずの人間の裏切りで囚われたリーザは、一人獄中で誰かを信じる意味を失っていく。
そんな彼女に聞こえる一つの言葉。

勇気ある行動は人の心を開く。

捕まった彼女を助けた自称・大魔道士の言葉に、言葉の内に燈る本当の優しさの意味を、誰かを信じる意味を取り戻していくリーザ。
助けられるだけではない。彼女もまた一人の英雄であり勇者なのだ。





≪シャンテ≫

行き場を失った憎しみが悲鳴を上げた。
自分の愛する弟を殺した者を目の前で失い、そしてその者もまた誰かに大切なものを奪われていたと知った彼女は、密かに自分とクドーを重ねていた。
目的を果たすために誰かを犠牲にし、罪を重ね、そして訪れる残酷な最後。

そうでなければ誰かは救えないのか。

この身の内に眠る憎しみの心をどうすればいいのか。
この悲しみを一体どうすればいいのか。
ガルアーノ打倒に向けて動き出した仲間たちとは離れて、彼女は一人崩壊した白い家に足を伸ばす。

先日入った時とはまるで様子の違う、帰らずの森に囲まれた惨劇の地。
青葉一枚もなく灰色の森へと変わった帰らずの森。その中心で砂に埋もれた白い家。
子供の遊び場を思わせる砂場の中心、悲劇はいた。

壊れ、壊れ、壊れ果て。
悲劇を前に、シャンテは願う。
もう誰も、失いたくはないと。

命も罪も想いも背負い、その魂を解き放て。




















こんな感じで本来ならば後日談的なプロットも存在しておりました。
存在しただけでそれを文にするのはないと思いますが。
生意気を言うようであれですが、やはり多少妄想の余地が入る位が丁度いいなんて言ってみたりもして。

あと、感想で突っ込まれていたファラオのこと。
裏設定ではありますが、クドーが一番最初に行ったキメラ合成の相手がキングマミィのファラオでした。
ですからクドーの容姿がミイラ染みた包帯姿と描写していたわけです。
で、何故にファラオが最後まで出なかったかと言うと、まあ、最初の合成相手という事で最終決戦において全開の不死能力を維持する為にはとか、なんかそんな理由でクドーと心中しました。
台詞すらあまりに出ずにいたキャラを最後の最後に深く描写するのは、ただテンポが悪くなるだけだと思いはしょったわけです。
これは完全に作者のミス。
思わせぶりな台詞を吐き、妙なキャラ設定にはしたものの、完全に絡ませるタイミングを計り損ねました。反省。

ちなみにブラックレイスのシャドウは元々ニンジャ系列の魔物で、ウルフアンデッドのアヌビスも元々の素体はケルベロスでした。
クドーに取り込まれ、特別に自我をそのまま保った代わりにシャドウは影としての特性を帯び、アヌビスは人型の特性をそれぞれクドーという媒体から受け継いだ、という無駄な設定でした。

さらに言えばクドーの親元となった魔物はデーモン系列。
序盤からリーザが仲間に出来る強力なモンスターですね。
どれもこれも描写する必要も無い設定なので、結局は本編に活かされることはなかったですが。






兎にも角にもホントに終わり。
最後までお付き合いいただき、有難うございます。




[22833] 暇つぶし蛇足IFその1~追加~
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/08/13 14:47
死後の世界、などというものに想いを馳せたことは――――多かった。
ミリルとジーンという人間二人を救うために思考の大半をそれに傾けたとはいえ、自らの終点を明確に『死』と定義してからはどうにも頭の片隅から離れない概念であったから。
…………死を終点になどと特別視した覚悟を持たぬとも、それは誰にでも訪れる平等な話。
しかし俺にとってそれは重要なことだったのだ。

死を、救いと、罰と、完全な逃避と考えていた俺にとっては。

故にエルク達をアークに任せ、ミリルとジーンの無事を確認してからの俺はこれ以上なく清々しい気分でいられ『た』。
微かな意識の中でまるで歯が経たないアンデルとガルアーノの余裕面を感じつつも、崩れかけた心に感じるのは紛れもなく達成感『だった』。

そんな感情を過去形で認識できるこの状況に、俺はしばし呆然とした。

まるで陽光に眼を向けて瞼を閉じた様な、眩しく燃える白い視界。
身体中を今まで感じたこともないような暖かさが覆い、化け物として生き続けた感覚からは久しい脱力したものを感じている。
もはや記憶にも薄れた肉親の腕に抱かれる様な奇妙な雰囲気。

目的を達成し、完成した最後を迎えられた俺にとってはこれ以上ない祝福であったが、それを感じれば次々に疑問は浮かんでくる。
まるで天国とも言えるこの柔らかな感覚は、あまりに血溜まりのクドーにとって不釣り合いだった。
俺は、地獄に行くはずだろう。



――――誰かが俺の名を呼ぶ。



耳鳴りにも近いその声に気付いたのはいつだったのだろうか。
視界は未だ白のまま、身体はピクリとも動かず、不自然なほどに柔らかなその感覚は未だ健在。ここまで来るとどこか不気味なものさえ感じてしまう。
そんな不可思議な状況の中で、俺の名を呼ぶ声だけはあまりに鮮明としていた。
上辺でなどではなく魂の奥底に響く様な、跪きたくなるような人ではない何かを感じさせる荘厳なそれ。
女? 男? いや、中性的にも聞こえる。そんな声がしきりに俺の名を呼んでいる。

ここはどこなんだ。俺は、一体どうなっているんだ。
名を呼ぶ声に応える前に、それだけが知りたかった。
もはや人として定義することが出来た俺にとって、この暖かな感覚はあまりに、あまりに――――俺の心を責める。

「ここで終わってもいいのかい?」
「それが望みだ」

名を呼ぶだけだったその声が、俺に問う。
この状況に狼狽していながらも、その問いには驚くほどすらすらと答えることが出来た。
なぜならその問いは幾度も俺自身が自問自答してきたことなのだから。

――――無論、エルク達と共に最後まで一緒にはいたかったさ。

だがそんなことをすれば必ず俺の心は壊れる。
今の今まで多くの命を吸い、消えかけた命を見捨て、悪行の限りを尽くしてきたこの俺が、彼らと歩を合わせるなどと耐えられるわけがない。
だから逃げたのだ。こうして今、死の向こう側で笑っているのだ。

「卑怯な悪党で終わっていい。無残な死で終わってもいい――――最低の『人間』で、終わっていい」
「…………」

呼吸。
その動作が出来ることに心で苦笑したが、あるかどうかも分からない肺に通る空気は新鮮だった。
もういい、意識を閉じよう。死という逃避を以って、罰を以って――――。
そんな想いに駆られたその時、『ソイツ』は、吐いた。





「君は、本当に罰を受けたのかな?」
「――――」





全てが強張った。
隠し続けてきた矛盾の深奥が貌を覗かせた。
意識が――――逆流する。





◆◆◆◆◆





「――――――――」





果たしてその荘厳な声が真実化け物と堕ち、ぐずぐずに崩れ掛けた身体のクドーの意識に届いたのかは定かではない。
耳すらあるかどうかも分からぬヘドロの身体に、ただ終わりに向かう狂気の意思だけを携えて吼える彼の眼前には静かに怒るガルアーノと素っ気ない態度を見せるアンデルしかなかったのだから。

白い部屋全てを覆い尽くすまでに膨れ上がった灰色の身体を、シルバーノアが侵入してきた際にぶち破った天井から降り注ぐ陽光が鈍く照らす。
あまりに多くの魔を取り込み、不死たる存在に近しいためかその醜悪な身体は焼けるような音を立てながら崩壊する建物の煙と混じり合っていく。

終焉。
疑う余地もない、血溜まりと呼ばれた化け物の最後だった。

アンデルによって放たれた膨大すぎる魔力が『クドーだったもの』を打ちぬき、やがて力なくヘドロの塊は灰となり、崩れた白い部屋の中に落ちていく。
脱出したアーク達の足止めと残されたキメラ兵たちを巻き添えにして、消えていく。
あるかどうかも定かではない意識が、魂が、心が消えていく。

これ以上の願いはなかった。
例え彼を少なからず取りまく人間達の涙があろうとも、彼はこの結末だけは妥協しようとしないだろう。そしてこの結末こそが、彼にとっての最良だった。



そう、最良。



数多の勇者、数多の戦い、数多の犠牲者。
それを以ってして尚、救われない世界において一人の異世界人がもぎ取った唯一の最良。その結末。
アークザラッドと呼ばれる世界において図々しくも選び取った最良。
あまつさえ未来の知識を勇者たちに残し、死後の世界の行く末にまで彼は希望を残した。

ただ一人この残酷な世界で毟り取ったこれ以上ない最良。
それを、世界が、許すのか。










「すまないな」










巻き戻される歯車。
凍りつく灰色の世界。
人の手に抱かれる崩れかけた身体。

奇妙な歪みが白い家を覆い尽くした時、アンデルとガルアーノという強者にさえ気取られずクドーという存在を構成する核は救い上げられた。
ただ何事もなかったかのように、『正史』であったのかのように抜け殻の身体が灰へと崩れ、何事もなかったかのように白い家は崩壊したのだ。

救いは、齎されない。
今一度、血溜まりのクドーは地獄に還る。





◆◆◆◆◆





重苦しい空気が漂っていた。

赤黒い岩肌を晒す高台には熱気を伴った風が吹き、時折遠くでは空を飛ぶ魔獣の鳴き声が薄暗い空に響き渡る。
水気なく乾き切った空気が絶え間なく吹きすさぶその高台は、凡そ人が住めるような場所ではなく、その有様は切り立った崖とも入り組んだ洞穴とも呼べる自然の要塞だった。

アゼンダ高地。

砂漠の大陸『アララトス』奥地に広がる、人々が歴史を始めたと呼ばれる場所。
今でこそ怪鳥であるロック種や土の魔人と呼ばれる魔物が蔓延っているとはいえ、時折埋もれた岩の隙間からは骨董品が出土するとその筋の人間に知られる秘境である。
専らトレジャーハンターたちは同大陸に存在する『遺跡』に眼を奪われているのだが。

どちらにしても人気など欠片もない場所に違いないのだが、そんな足場の悪い岩場の隙間を縫うようにして奥へ奥へと突き進む人影があった。

身体から頭まですっぽりと隠れる様な唐草色のローブを見に纏い、腰にはどことなく由緒あるものを感じさせるような装飾付きの剣を一振り。
深々と覆われたフードの中からは時折、少しだけしわがれた肌が見え隠れしており、どうにもこの険しい場所を踏破するには心許ない人相の男だった。
しかししっかりと踏みしめられたブーツは持ち主と長くを共にしたのか随分と草臥れており、翻したローブの中から見えた衣服も色を失せた灰色を基としていた。

旅人とも、自殺志願者とも言えるような。
そんな、現実からどこかしら乖離した気配を漂わせる男。
そんな人影が頭上を飛び交うロックから隠れるようにして前に前に進んでいた。

「……………………」

そしてやがて辿り着くアゼンダ高地の奥地。
山の頂上を思わせる様にして眼下に砂漠と遠目に見える砂の街を収めたその開けた場所で男はひとまず息を吐いた。
フードをゆっくりと脱げば、そこから見えたのは白髪と灰色が混じった壮齢の男の顔。どこか弱弱しくも凛々しさの伴った矛盾したものだった。

「光の精霊よ……」

その場に跪き、祈る様にして言葉を連ねる。
しばしの静寂。乾いた風で男が首から下げていたアミュレットが少しだけ揺れた。

そしてやがて高まる不可思議な力場。
仄暗かったはずの周囲に眩い光が広がっていき、その光は男の前で集約し始める。
魔獣ともヒトとも違う気配を漂わせながら、その光源は少なからず人型と判断出来る形へと変えていく。
まるで後光のようにして光の輪を背負い、右手に持った杖は鈍く光り、見に纏う衣装も凡そ現代では見られないどこかの部族を思わせるものだった。

「ヨシュア」
「はい」

その光源が、不可思議が、『光の精霊』が男の名を呼ぶ。
どこまでも見透かす様な眼は真っすぐヨシュアと呼ばれた男を射抜き、その蒼の瞳は彼の向こう側を見る様にして不動。
ただ今だけは魔獣の遠吠えさえも遠く、此処一帯全てが聖域とでも思える様な荘厳な雰囲気に支配されていた。

「君は、彼をどう見た?」
「…………」

その問いかけにヨシュアは浅く歯を食いしばった。
数多の戦い、数多の命、数多の時を越え、積み重ね、そして見つけた一つの命。
世界がロマリアという暗雲に包まれてから――――いや、包まれる前より戦い続けてきた彼にとってその問いは重かった。

ヨシュア・エダ・リコルヌ。
精霊から認められた勇者として世界中を飛び回るアークの父にして、時を跨ぐ者。
この世界が暗黒の王によって支配されることを予見した『恵みの精霊』によって、時を越える力を齎された『始まりの男』。
勇者と呼ばれるアークの戦いの裏側で動き続けてきた男。
ただ彼は眉を絞り、悲しげな表情を浮かべたままに口を開いた。

「光の精霊よ。私は――――今日ほど己の無力を恨んだことはない」

その言葉は、紛れもないヨシュアの本心だった。

時を越える。
果たして人を越え、神をも超える力で何を為し得ることができるのだろうか。
悲劇、喜劇、茶番。その全てを横から崩壊させる力を以ってなお、ヨシュアは無力だった。

人にはあまりに不釣り合いな力故に、日々蝕まれていく身体。
時を越えたとて干渉することすら満足に出来ず、間接的に物事へ接触するしか出来なくなった現状。
あまりに強力な力故に、無力。あまりに矛盾した力。

「私は、無力だ」
「…………」

懺悔するようにして頭を垂れ、地についた右手を固く握りしめる。
ただ光の精霊はそれを黙って聞くだけだった。





◆◆◆◆◆





目を、覚ます。
それが出来たことに俺は驚いた。

泥へと変化し、あの決戦の地で消滅したはずの自分の身体になど気が付かない。
肌を乾いた風が叩き、音無き風の音が耳に届くことにも気付かない。
土のむせかえる様な匂いが鼻を刺すことすら気付かない。
ただ視界に映る満点の星空と、その視界の端に映る赤黒い台地だけが意識の大半を占めていた。

「此処、は……」

誰に聞くでもなく、すらすらと口から出る声の音にまで気付かない。
あの時は声すら満足に出なかったはずだと言うのに、意識が覚醒し始めた第一声すら明瞭だ。
おかしい。身の回りの状況全てが、いや、俺の現状そのものがその疑問に行き着くのは道理だった。

「死んだ、のか?」

上半身を起こし、やがて視界に映る光景に辺りを見回す。
文明の影など欠片もない岩と土の群れ。
認識できる色が赤と黒と頭上の浮かぶ星の光だったことに少しばかり呆ければ、どこか馬鹿馬鹿しくなって声が漏れ出た。

「……地獄か」
「違う」

座り込んだままに吐き捨てた俺の声に応える声が背後から聞こえた。
ゆっくりとそちらの方を向き、暗がりの中に輪郭を持つその人型を見やる。
ローブを見に纏った中年の男と眼があった。

「……死神か何かか?」
「それも違う、クドー君」
「俺の名を?」
「ああ」

得体の知れない存在が目の前にいるというのに、俺の心はどこまでも平坦だった。
死んだ、のだから当然かもしれないが――――いや、それ以上に目の前の男になど興味はなかった。
死後がどうであれ俺の物語は既に終わり、これからどうなるかすらもはや興味がない。
俺は、成し遂げたのだから。

だというのに、この男は随分と悲しそうな顔で俺を見る。
悲しそうな瞳で、俺を見やる。
だから俺は聞いたのだ。聞かなければよかったのに。

「ここはどこだ?」
「アゼンダ高地だ」

時が凍った気がした。
急速に廻り出した思考は様々な言葉を記憶の奥深くから浮かびあがらせていき、やがて真っ白になった頭の中で俺は言葉を失った。

アゼンダ高地?
アララトス?
――――アークザラッド?

何故。
何故だ。
何故。

死んだ。
死んだだろう。
死ななきゃ。

死後?
アゼンダ?
――――何が起こっている?

何が何だか分からない。
こいつは誰だ?
此処は――――。



こいつは。



聞く。
震える唇で。
心で。

「名を、教えろ…………」

止めろ。
答えるな。
間違えろ。

なあ、終わったはずだろ?
もう先はないだろ?
何も考える必要はないだろ?

死こそが。
死こそが。
死こそがっ――――。



「ヨシュアだ」



瞳の奥が、赤に染まった気がした。





◆◆◆◆◆





「貴様ッ……時を……俺をッ!!」
「そうだ」

軋む身体でクドーが跳ね起きれば、喚き散らす様に叫びながらヨシュアに飛びかかった。
胸倉を掴み上げ、阿修羅の如き形相を浮かべては歯を食いしばる様にして黙りこくるヨシュアを睨みつける。
腹の底から、心の底からわき上がる憎悪と落胆の言葉はクドーに御しきれなかった。

「何故だ!? 何故助けた!!? 何時、誰が救いを他者に求めた!?」
「…………」
「戻せ! 今すぐにだッ!!」

息を切らし、しわがれた目を真っ赤に染めて――――包帯が剥がれミイラのような身体を晒したクドーが叫ぶ。
剥き出しの犬歯などもはや人のそれとは明らかに離れた刺々しさを持ち、その光景は今にもヨシュアを喰おうと襲いかかる魔物だった。
だが、その仄暗い空に吸い込まれる声は泣いていた。

「それは……出来ない」
「願いでもなければ頼みごとでもない……命令だ……さっさと俺の時を」

そこまで言いかけてクドーは唐突にその場に胸を抑えながら座り込んだ。
痛みなど当に忘れたはずのキメラの身体が軋み、彼の顔は苦痛に歪む。
果たしてそれは死の間際に起動したあの自壊装置の影響か。それともヨシュアのように時の干渉を受けてここに存在する対価か。

そのどちらでもなく。
クドーは震え、痛みを感じる身体を引き摺る様にして背に感じる気配へと視線を向けた。
人ならば誰もが幸福と安らぎを感じるであるだろう、その暖かな光の気配へと。

「き、さま……」
「やはりキメラに侵された身体では僕の影響は大きいか……」

闇に生きる者であれば拒否せざるを得ない波動。
誰よりも闇にその身を落したクドーには耐えかねるそれは、悲しげな瞳で彼を見下ろす光の精霊のものであった。
そしてそれと同時に、クドーは察した。

「お、前か……」
「そうだ。血溜まりのクドー。僕が、ヨシュアをあの『時』に向かわせた」
「ぐ、くっ……何故……」

くぐもった声を漏らしながらクドーは這いつくばる様にして光の精霊を睨みつけた。
全てを否定しつつも――――何かに縋る様な瞳だった。

「何故貴様らが今更しゃしゃり出る……貴様らが見るのは、ぐ、が……大局だろう」
「自分のやったことは小事に過ぎないと?」
「はぁ……はぁ……貴様らが俺の行いを重く見るのであれば、真っ先に勇者を……エルク達を救うべきではないのかッ!!」
「…………」
「救うべき時に手を出さず、求めぬ者に手を出す……何が光の精霊だッ……」

怨嗟の声。だがしかし吐きだせたのはそこまでだった。
無理やりに時を越えた影響と、元々死に損ないだった身体、そして光の精霊の気配によって薄れていくクドーの意識。気を失いかけたその時まで彼は今はあるはずもない胸元のナイフを手で探っていた。
一体何のためか。自害か、それとも自分の救いを阻んだ者を殺すためか。
どちらにせよ、気を失って倒れたクドーを、光の精霊とヨシュアは黙って見つめていた。

「……大局、か。僕らは全能な神ではないというのに」

光の精霊が呟くその言葉に、感情は籠らない。
だがその人型の顔が浮かべるのは微かな虚無感であり、そして悲哀だった。

彼の言う通りに、この世にいる精霊は全能などでは決してない。
むしろ日に日に強まる闇の気配にその力は衰え、こうして自らが馴染んだ土地に隠れねばすぐさま消えてしまうだろう。
事実これまでも多くの精霊たちが無情な世に消えて行った。

例え人の営みを人間自身に任せることが精霊の常としても、今この世界を覆うのは闇の精霊による魔手。
ならばその触手が伸ばされる場所へ時を越えるヨシュアを遣わすか、それとも自らの卷属を送るかして闇の流れをせき止めることも出来たはずだった。
だが出来ない。そのような力などもはや残っていない。
ただ最後の願いとなったアークを見守り、その戦いを見守ることしか出来なくなっていた。

そして、アークを通して見るその戦いの中でようやく、光の精霊は『世界の全てから隔絶された何者か』を感じ取ることが出来たのだ。
無論光の精霊もヨシュアも、クドーの正体が何であるかは全く分からない。
だがしかし、この世界中でただ一人クドーは異端者だった。

「どんな人間も、魔物も、草花も空も……そこには繋がりがある」
「…………」
「それを絆と呼ぶのか、それとも世界の祝福と取るのかは別としても……この世に存在するものであれば必ず纏う気配」

それをなんと呼ぶのかは光の精霊でさえも分からない。
だがしかし、確かにクドーの纏うその『魂』は全てから切り離されたような異常性を持っていた。
故に、時を越得ても尚、ヨシュアは簡単にクドーに干渉することが出来、そして救い出すことが出来たのだ。

――――転生者。それは本人しか知り得ぬ事

だがそれ以上に皮肉だった。
間接的にしか誰かの助けになれぬ身にまで落したヨシュアが初めてその手で救った者が、誰よりも救いを求めぬ輩だったなどと。

「光の精霊よ。例え望まぬ結末であれ、ただの独善であれ、消えゆく命を救いたいと私は思う。思っている。故に助けた」
「知っているとも」
「しかし貴方の意思が私には分からない。人を平等に見守る精霊であれば、貴方は私に彼の事を知らせなかったでしょう」

ゆっくりと、確かめるようにしてヨシュアは言葉を連ねる。
死にたいと願うクドーの意思。救いたいと願うヨシュアの意思。
どちらが正しいかなど決められるわけではないが――――。
光の精霊は、空を仰ぎ見た。

「彼に――――勇者の欠片を見出したのかもしれない」
「…………世界の平定のために……」
「今さらだよ。ヨシュア」

誰に言うでもなく、愚かな精霊は呟いた。





「救世の本質とは、犠牲だ」
















<あとがき>

何だかsage投稿してもばれるみたいだし、毎度検索してこの蛇足を見てくれている方もいらっしゃるようなので、いっそのことチラ裏へ舞い戻り。

超不定期更新。
基本蛇足なので非推奨。
此処からは原作と変わらないイベントはどんどん飛ばす感じで。

まさにチラ裏。



[22833] 暇つぶし蛇足IFその2
Name: ぢくべく◆3115d816 ID:e902f9db
Date: 2011/08/18 19:34





すぐに心の内から這い出て来たのは、理不尽な救いに対する怒りではなく恐怖だった。
今の今まで抑えつけ、見て見ぬふりをし続けて来た常識が顔を覗かせる。
もはやこの世界に、殺し殺されの世界に慣れ親しんだはずの心が予期せぬ事態に崩れ始める。

「何故だ」

自分の歪な身体だけが輪郭を保った黒の世界。
幾度も魔物と人を喰い続けて来た自分だけの世界で膝を抱える。
声だけが憎たらしいほどに響いた。

「何故だ」

誰に、何が――――意味は。
ただ無意識のままに呟いた言葉は、相も変わらずずっと暗闇の向こうまで響く。
俺の目の前にいる、今の俺の輪郭とそっくりなこいつは何も答えてはくれなかった。

「…………」

ファラオ。
救いが成立した時より、最も俺の肉体と密接に絡みついていたために道連れとして死んだはずの意識がそこにはあった。
だが、いつも通りに、俺の問いには何も答えてはくれなかった。

「――――俺を喰え」

そうすれば楽に、あの偽善者共に救われたこの命を捨てられると思い、命じた。
視線も合わさず、声も荒げず、淡々と命じた。
だがやはりこの物言わぬ『最初の魔物』はピクリとも動かず俺をじっと見つめるだけだった。
それが、腹立たしかった。

「言う事を聞けッ!!」

そのまま不格好に蹴り上げる。
まるで駄々を捏ねる子供のように勢いさえ乗らない下手くそな蹴りに、自分自身が苛立った。
そして、少しだけ体勢を崩しただけでやはり俺を見つめることを止めない、俺に似たナニカ。
無言が、見えない視線が、どこまでも俺を不機嫌にさせる。





白昼夢にも近い光景を脳裏に浮かべ、にっちもさっちもいかない状況に苛立てば、俺の視界には変わらぬ砂の大地が広がっていた。
やがて残っているのかどうか怪しい五感が戻り始め、アゼンダ高地一体に吹く空っ風が肌を叩き、砂の匂いが鼻の奥に通る。
バタバタと小うるさい音を立てて靡く外套――――の切れ端が腰巻に巻かれており、相変わらず俺の醜悪な身体は晒したままだった。

「…………」

包帯でこの身を隠すようになって久方ぶりに、何にも縛られない身体に風を受ける。
本来であれば清々しさの一つでも感じられそうなこの一時であっても、やはり俺の心に渦巻くのは眩しく降り注ぐ陽光とも遥か遠くまで続く青空とも違ったどす黒いものだった。

じゃり、と。

砂場を踏みしめる様な足音と共にヨシュアが俺の背後に立つ。
別に振りかえったわけではない。ただこんな辺鄙なところに足を踏み入れる奴がこいつ以外にいないだけだ。

「気分は?」
「殺されたいのか」

アークを20前後の青年と断定するのであれば、背後から聞こえたヨシュアの声が年老いた老人のそれのように弱弱しいのは一つの疑問であった。
時を越える。果たしてその力の代償がどれほどのものか。時折せき込んで見せるこの男の身体を思えば――――やはり納得がいかなかった。
残り少ない寿命を削ってまで、何故俺を。

「…………お前は」
「打算がなかったわけではないさ」

打てば響く。
一体俺の何を知っているというのか、と喉から子供のような雑言が出かかったが、やがて歳の甲ということで無理やりに納得して飲み込んだ。
しばしの沈黙。アゼンダ高地に吹く風は、乾いている。

「死が救いとは、思っていない」
「それはお前の考えだ。俺の考えではない」
「君は知らないだけだ。選べなかっただけだ」
「俺は選んだ。選択肢は少なくとも、少なくとも、俺が選んだ道だ」

――――。

「ならば今、君の前にはたくさんの選択肢が転がっている。それでも死を選ぶのか」
「押し付けられた選択肢に興味はない」
「その押し付けられた選択肢を選んできたのが君の生だっただろう」
「ならば望んだ最後を掴み取り、それを横から奪い去った貴様は何だ。死すべき悪か?」

――――。

「…………何故、死を選ぶんだ」

つまるところ、ヨシュアの言いたいことはそれなのだろう。
光の精霊を背に、無情な救いを与えられた瞬間こそ怒りに心が染め上げられたが、目を覚まし茫然とこの景色を眺めていればそんな激情も鳴りを潜めた。
そんな凪いだ心でヨシュアの言葉を聞けば…………道理だった。

勇者として、世界を救う者として動く輩が死を肯定出来ないのは道理なのだ。
それが意味ある死ではなく、無意味な死であるなればなおさら。

誰かを救うために死ぬ。
罪を償うために死ぬ。
世界を守るために死ぬ。

死ぬことを肯定する時、そこにはそれを以って有り余る『理由』が必要なのだろう。
だからこそ、ヨシュアは俺の死を認められない。
数多くの死を、惨たらしい死を見て来ただろうにも関わらず、勇者は意味無き死に慣れない。そこに理由を求めようとする。
人はそれを優しさと言うのかもしれない。人はそれを甘さと言うのかもしれない。

その上で――――彼らは、死を乗り越えて行く。

笑えた。乾いた唇が弧を描く。
やはり俺は、勇者とは一生相容れないのだと思った。

エルクと、ジーンと、ミリルを救い、彼らとの間に感じられた縁を、俺を呼ぶ声と涙と想いによって知ることが出来た。
故に、俺は人間になれた。
俺の望みを事ごとく完遂し、ただ一つの願いを掴み取ることが出来た。

ありとあらゆる願いと、命を犠牲にして。

「今でも、聞こえる」
「何?」

目を閉じる。脳裏に浮かぶのは掌に握ったナイフで首が飛ばされ、悲壮な顔をしながら死んでい命の光景。
手を開く。そこに広がる感触は肉を裂き、血が吹き出、赤に染まった生温かい命の色。
耳を澄ます。聞こえてくるのは俺を化け物と呼ぶ声と、命乞いで喉を枯らせる必死な音。

「人間であることを願ったのならば、叶ったのならば」
「?」

喉が痛い。
手先が震える。
足に力が入らない。

――――心が、それを受け入れることなど俺には。

「無理だ」

罪悪感。
それに耐えきることなど、無理だ。





◆◆◆◆◆





どう足掻いても俺の中に薄らと残る『常識』『良識』そういった記憶は消えなかった。
いくら化け物の振りをしていても、狂った振りをしていても俺の根本はやはりそれなのだ。
真実化け物であればエルク達と縁を結ぶなどという選択肢は選ばなかっただろうし、そもそもプロトとして生きるのであればここまで執着することもなかっただろう。

どんなに壊れていても、俺の記憶の奥底にはそれがある。

心の弱い平凡な人間。事なかれ主義の模範的人間。怠惰な平和を貪っていたはずの、人間。
だからこそ気付かぬふりをする必要があった。気付かぬふりをしたまま死ぬ必要があった。
だがしかし、俺は、生き残ってしまった。
もはや目的を達成し、無意味に生き残り、自由を飽食する立場になったとはいえ、俺の心に安寧など降って沸いてはこなかった。

後ろに何者かの怨みがましい視線を感じ、振り向く。
誰もいない。
何かが俺の足を掴んでいるような気がして、足元を見る。
誰もいない。
耳の奥に俺の名を呼ぶ声がして、はっとする。
誰もいない。

太陽が沈み、月が煌々と照らしだされる深夜。
アゼンダ高地の一角、ひと際大きな岩を背にして、俺は眠ることが出来なかった。
目を閉じることすら――――怖かった。

何故、死なせてくれないのか。
自らの命を絶とうと岩の一角に頭を潰す覚悟でぶつければ、相変わらず俺の不死の身体は再生を始めた。
ならば未だ俺の胸の中で止まっているだろう自壊装置を暴走でもさせようと胸をこじ開ければ、そこには何もなかった。
今更になって俺は、不死の身体を呪った。

また、俺の名を呼ぶ声が聞こえる様な気がする。
怖くなってすぐさま後ろを振り向けば、そこには薄らと光を灯した光の精霊が佇んでいた。
相手が何を言うより先に、俺は何故だと問い質した。
何故死ねないのだと。

「そういうふうに、弄くったからね」

答えを言うつもりはないらしい。
不死の身体はもはや一つの機能として身体に備わっているために納得しないわけでもないが、自壊装置の方はどういうことなのだろうか。
無論俺に秘密でガルアーノが取り付けたために、その詳細を知っているわけではない。
どのように作動してどのように機能しているのか。不死をただの機械で御しているわけではないだろう。

どうあっても死にたい。逃げたい。この声から逃げ出したい。この心から逃れたい。
およそ懇願にも近い想いだった。
闇と相反する光の精霊。それを考えれば、自壊装置という希望を失った俺を消滅できるのはこの光の精霊か、アークか――――ひょっとすれば、グルガか。 
勇者たる光によって末梢されるか、それとも大いなる闇に取り込まれるか。闇の取りこまれ、この心を誰かに染められるのは論外だった。
そんな、死ぬことばかりを考えていれば、光の精霊は口を開いた。

「そんなに死にたい?」
「黙れ」

俺を、俺を生かした奴が何を偉そうに言うのだ。
こいつが、こいつさえ余計なことをしなければ俺は今頃。
ギチリと歯を食いしばり、恐怖の真っただ中にあった心を怒りで染め上げる。

「アークの力になって、最後に世界を救ってくれるんだったら、叶えても」
「世界を救う頃にはアークも貴様らもこの世にはいないだろうが」
「…………そこまで、知っているんだね」

苛立つ。
この世界が救われる方法はただ一つ。ロマリアの裏で暗躍する闇の精霊『暗黒の支配者』などとふざけた名の者を倒すか、封ずるかのどちらか。
そしてそれが出来るのは精霊に祝福されたアークであり…………いや、止めよう。
俺には関係のないことであるし、俺は死にたいのだ。

「君に、可能性を見た」
「五月蠅い」

どいつもこいつも。何故俺に関わる者は世界を救う勇者しかいないのだ。
もしも平凡な人間なら、剣を取ることに躊躇いを持つ人間なら、分かってくれるだろうに。
いや、ガルアーノの下に居た時はたくさん蠢いていたじゃないか。俺と同じ…………。
…………止めよう、こんなこと。

「…………何故君は」

終わらぬ思考に陥れば、光の精霊が心底不思議だと言わんばかりの声調と共に首を傾げた。
世界を司るこの存在がそんな顔をするのが俺には意外で、少しだけ剣呑が下がった。
だが紡がれた言葉は、逆に俺の口を噤んだ。

「助けを求めないんだ?」

――――。

「人は、助け合うものだろう?」

資格がないと言えば楽だった。
だが資格を決めるのは俺ではなく、おそらくは今まで命を奪ってきた者たちが。
うまく頭が働かない。

「それに、罰は与えられるものだ。君が決めるべきものではない」

何だよ。逃げさせてくれないのかよ。
もう、そんな大層な御託じゃないのは知っているだろう?
違うんだよ、もう嫌なんだよ。逃げたいんだよ。
責任とか、罰とか、どうでもいいんだよ。

もう、悩むことすら億劫だ。

だから、誰かに任せる。
俺を殺してくれる誰かに。
そうだ、助けてもらうんだ。





「おい」
「何だい?」

「今の時間軸はいつだ」
「変わってないさ。白い家が崩壊してから一カ月っていったとこか」

「エルク達はどうなってる」
「…………いろいろ、さ」





「シャンテはどこだ」
「ん?」





彼女なら、俺を殺してくれる。
弟の仇である、俺のことを。









<あとがき>
大抵完結した後に蛇足だ何だと理由を付けて続けた作品は、駄目になるという。
結構自分でもグッドエンドとバッドエンドの境目を突いた本編の結末が気に入っているのに、ここまで理解出来ているのに、何故かこうしてキーボードを叩いている。

二次にしろ原作にしろ、物書きで続きものを書くってのは本当に難しいものだと思いました、まる



[22833] 暇つぶし蛇足IFその3
Name: ぢくべく◆3115d816 ID:a064bf51
Date: 2011/08/20 09:22
ハルシオン大陸西部のアララトスとなれば、見渡すばかりの広大な砂漠や木々一つ生えない禿げた高地などは珍しくない。
日中は死が這い寄ってくるほどに苛烈な陽光が降り注ぎ、夜になれば身体を凍えさせる冷たい風が吹きすさぶ。
人が住むにはどうしても厳しい環境ではあったが、だからといって人が集まる街が少ないわけではない。

むしろ古代の文明が埋もれた大陸として冒険者やトレジャーハンターといった命知らずが足を踏み入れる国として、ある程度の施設は整っているというものだ。
無論それに即した交易の国としてもこの砂漠の街はある意味で潤っているとも言えよう。
管制塔やら何やらで整備された空港と、レンガ造りの家々が立ち並ぶガザリアの街を見比べれば何ともちぐはぐな印象を持つのかもしれない。

ガザリアの街。はっきり言えば胡散臭さと荒っぽさしか感じられない砂の街である。
一度商店街に足を踏み入れればどこの遺跡から発掘したのか怪しげな商品を売り付ける露店が並び、酒場ではそういった掘り出し物の情報を求める男達が溢れている。
それに砂の街ということでか、どうしても砂の風を防ぐために全身をローブで隠す人間が多く、顔さえ見せない輩がうろつく様はどうにもよそ者を歓迎しているようなものには見えない。

つまりは――――クドーにとっては有難い街ということだ。

左右にテントを並べたその露店街の通り道を、周りと同じようにすっぽりとローブを頭から被っていたクドーが人ゴミの間を歩いていく。
前まで自分が主な活動場所としていたアルディア大陸ならばすぐさま不審者として通報されそうなそれも、ここでは背景に溶け込むほどに珍しくはない。
むしろ彼が培った陰形と組み合わせればクドーに気付く者など一人もいなかった。

「…………」

何の目的があって彼はここにいるのか。
無論それはこの国から出るためにどうにかして飛行艇を使う必要があったからだ。
前世の――――所謂現代世界のようにパスポートがどうの身元がどうのなどという細かい話はこの世界にはない。
お尋ね者であるはずのアーク一味がそれほど気遣わなくとも私有船であるシルバーノアを空港近場に留めていられるのもそのおかげだろう。

だとしても、この国を出るにはあまりに彼の容姿は特殊すぎた。
全身を包帯で巻けば火傷のせいだなどと誤魔化すことも出来るし、そうすればギリギリ人型として人間と間違われることも出来なくはない。
だが腐ってもキメラ、つまりは魔物である。余計な諍いは避けて通るべきことだった。

(…………わざわざこのような厄介な所に連れてくるとはな)

内心で彼はこの地へ連れて来たヨシュアと光の精霊に向けて唾を吐き捨てる。
時の干渉によって死に体の自分を救いだした事そのものはヨシュアの力を以ってすれば可能であるとでも考えられるが、何故このアララトスなのかはしばし推測が混じる。
おそらくは光の精霊が幾らか手助けしたに違いない。むしろ奴が主導でヨシュアは。

そこまで考えてクドーはそれ以上彼らのことについて思考を巡らせるのを止めた。
どう考えても冷静な心ではいられず、滾ってくるのはどうしようもない怒りに過ぎなかったから。
ヨシュアはまだ許容出来る。彼がアークやエルク、それに準ずる意思を持つ人として足掻くものならばこの行いにも幾らか同情することは出来た――――誰でも無い自分の話であるが。

だが、光の精霊は別だ。

ヒトではない、足掻く者ではなく、見守るものでしかない存在が自らの決心に口を挟むのは唾棄すべき行為だった。
クドーの中ではこの世に存在する精霊とは言わば神と同義であり、ある程度どころか多くの自由が利く輩と捉えていた。
ならば自らが救われたこの事実は、精霊の気まぐれ以外の何物でもない。
救うならもっと早く。救うなら勇者を。救うなら――――馬鹿な考えだと思いクドーは頭を振った。

兎にも角にも今必要なのはこの大陸から出て、自分を殺せる者に助けを乞うことだった。
つまりは、今はトウヴィルに集まっているであろう勇者たちの一人、シャンテの下へ。

(タイミングは…………別行動……別行動するのか? いや、シャドウならば)

これでも自らが世界の流れを回し、制し、操ってきた経験がある。
しかし既に狂いきったこの世界ではクドーの持ち得る知識など棒にも箸にもならない無用の長物であったが、『今の彼』が盲信するには十分な知識だった。
エルクはパレンシア城でポコと出会うだろうし、リーザは故郷であるフォーレス国に行くだろうし、シュウはロマリアでトッシュと邂逅するのだろう。
ならばシャンテは? …………クドーは、彼女がクレニア島へ行くだろうと信じてやまなかった。


――――彼の背後を付き纏う影のことなどに気付かず。





◆◆◆◆◆





取り合えずは何か飛行艇に忍びこむ方法がないかと模索したクドーだったが、誰ひとり伝手などない現状では無理に等しい。
この地で彼を知る者と言えば光の精霊であり、そしてヨシュアだけだった。
シャンテの居場所を聞くなりさっさとアゼンダ高地を降りた彼からすれば今更泣きつくのは愚かすぎる行いであったし、何よりあの二人が自らの考えを肯定するなどありえなかった。

であれば魔物という点を活かし、世界中に拡散しているロマリア関係の魔物兵にでも成り変わろうとでも思ったが、光の精霊の守護が行き渡るこの大陸にロマリア兵の姿などどこにもなかった。
力が衰えたなどと嘯く光の精霊であったが、このアララトス一体に眼を光らせるくらいは出来ていたらしい。

――――彼が目を光らせる理由はそれだけではないのだが。

どちらにしても進退きわまったクドーは、どうにもならない状況にため息を吐かざるを得なかった。
そしてようやくにして気付く。自分をつけ回し、剣呑な視線を影から投げ掛ける存在に。

未だ人ゴミの中、刺さる様なその視線にクドーの肌は泡立ち、心臓が跳ね上がった。
無論ガルアーノの右手として生きて来た彼がそのような殺意の視線に晒されることなど日常茶飯事なはずだったのだ。
なのに、彼の瞳は面白いほどに泳ぐ。

(……どこだ……誰が……追手? …………復讐ッ?)

呆れるほどに臆病になった彼が視線を彷徨わせても、自分の周りにうろつくのはローブとフード深々と被った人間の群れ。
やがてその全てが敵に見えてしまうのは道理だった。
だから彼は、そこから脱兎のごとく一目散に逃げ出した。

(…………ばれた!? 何故!? まだ、ばれてないはずッ! ヨシュアか!?)

死を望む者が、その視線に恐怖する。
あまりに矛盾したその様ではあるが、彼が何よりも忌避したのはその行為ではなくそこに込められる意思。自らを糾弾する意思そのものに彼は怯える。

露店街の通りを駆け抜け、こちらを不思議そうに見やる街の人間の視線に晒されながらクドーは必死に走った。
だがそれでも自分に向けられるあの殺意の視線は途切れることなく後ろから迫ってきている。
もはやそこにアルディア中で恐れられた『血溜まり』の姿などどこにもなかった。



そして、走りに走り、ようやくにして街外れの岩場まで辿りつけば。

「こんな所で賞金首を見つけられるたぁ、儲けもんだなぁ、おい」

彼を追っていたのはハンターの集団であった。
クドーを追い詰めたと言わんばかりに自らが羽織っているローブを脱ぎ捨て、肩で息をする彼を値踏みするようにして剣を向ける。
4人。それぞれが完璧に武装し、手に持った手配書とクドーを何度も見返す様は確かにハンターだった。

「…………何故、俺を」
「はぁ? てめぇ、東アルディアの……あー……インディゴスだったかで暴れたんだろう?」
「お前、ハンター舐めてんのか?」

心底不思議そうにクドーの言葉を小馬鹿にし、やがてげらげらと笑い始めたハンターの姿にクドーは言葉を失った。
今更、今更の話である。例え物語を加速する為に必要だったとはいえ、エルク達と無用な接触を望むためとはいえ暴れたあの一件が無くなるわけではない。

――――来た。来てしまった。ツケを払う時が。

震える手で胸元を探り、ナイフを握ろうと思えば未だ武器すら手にしていなかったことにようやく気付く。
あまりにも迂闊。視野狭窄に陥っていた『ただの人間』が、まともな思考で相対することなどもはや不可能であった。
愕然とし、舌舐めずりをするようにして近寄ってくるハンター達から逃げるようにして後ずさる。

そして――――。



『哀れ』



心の中に唯一残ったもう一つの心が呟いた。

照りつける陽光がクドーの背後に影を作り、その影からやがて真っ黒なもう一人のミイラが現れる。
ぎょっとしてその歩を止めたのはハンターたちだった。

「な、何だ……!?」
「まもッ……チッ、やっぱりただの賞金首じゃねぇようだな、血溜まりぃ!!」

もはや腰が抜け、眼の前で仁王立ちするファラオの背をぼうっと見つめるだけになったクドーは、どこか遠くでハンターたちの叫び声を聞いていた。
何故こいつが、どんな理を以って、俺を――――。

そこからはただ、クドーは見ていただけだった。

クドーのそれすら越える魔法を行使し、強靭な肉体を以ってハンターを屠っていくファラオ。
呪詛のようなものを呟けばハンター達の足元から岩や砂が嵐となって吹き荒れ、そのままボロ雑巾のようにしてハンターたちは飛ばされる。
一瞬でハンターの目の前に移動すれば、彼らが身に纏った軽装の鎧を貫くようにして拳をぶつける。
そこらの遺跡の奥に蔓延るキングマミィと比べればあまりに強化されたファラオだったが…………クドーが呆けたのはそんなもののせいではなかった。

「やめ、ぐ、うわあああああああ!!!」
「ひっ、助け、助けッ…………」
「おいっ! くそ…………聞いてねえッ」

一人、一人、砂漠の砂に血を湿らせていくハンター。
まるで主の危険は排除すると言った風に戦うファラオ。
そして、ただ見ているだけの自分。

「おいッ……ファラオ!! もう、もうッ」

止めろと叫びたかった。
だが自分に殺意を向けてくる人間を生かす道理などあるわけもない。
ファラオを自らに戻そうと力を込め、しかしやがて止める。





――――俺は、何を――――





死にたいと願っているのに、逃げる。
これ以上罪を重ねたくないのに、重ねる。
人間になれたのに自分はこうして――――。





――――俺は何がしたいんだ――――










◆◆◆◆◆





もはや悲鳴すら上がらなくなった岩場の中心。
遠くで空を舞うロックが一つ鳴き声を上げたきり、俺の耳に届くのは風の音だけだった。

「ファラオ」

目の前でただ立つ包帯塗れのマミィに声を掛ければ、やはり何も返ってはこなかった。
それが俺の何かを咎めているようで、視線すら合わせることも億劫だった。
億劫――――いや、怖かった。

何故。俺はこいつのことをただの餌としか考えてなかったのに。
目的さえ達成出来ればこんな奴に関わることなどなかったのに。
俺は、こんなところにいるべき人間ではないのに。

「ファ、ファラオ……」

俺は一体このミイラ男に何を期待しているのだろうか。
目を合わさず、近寄ろうともせず、けれども口からこいつの名を呼ぶ声が漏れるのは止められない。
もう何をやっていいのかさえ分からない。

『哀れ』

吐き捨てるように呟かれた言葉に、何故か俺は座り込んだまま大地の砂を握りしめた。
感情が、心が、どう動いているのかさえ分からない。
哀れだと言うならば、さっさと消してくれればいい。
縋る様にしてファラオを見上げても、こいつは、見えない瞳で俺を射抜くだけだった。

そして唐突に喉元に奔った衝撃に眼を見開いた。

「あぐッ……がっ……」

意図せず苦悶の声が漏れ、瞳を絞る。
気付けばファラオが俺の首元を掴み上げ、その怪力のままに吊り上げていた。
咄嗟に俺を掴むその手に爪を立てるも、まるで俺の力などこいつには通じなかった。

「ゲッ……かっ…………」

息が、出来ない。
だがこの程度ではとてもではないが……死ねない。

遠くなる意識。
いや、首を絞められた程度で俺の身体が意識を閉じるはずもなく――――。
ならばこれは――――。





『魔物ならば、従え』





ファラオの、声が。





『人ならば、抗え』





――――――――――――。





『人か、魔物か』





『告げよ』





――――――――――――。





『友と繋いだ心に』












<あとがき>
そろそろ次回辺りでこのウジ虫も覚醒させなきゃあかん。
短期間更新はこれまでだけど。あとはゆっくり。

息抜きで小説書くと言えば手持ちの主人公を別世界にトリップさせたりとか。

ゼロ魔? なのは? ネギま? 東方? 恋姫? 

試しに書いてみたらいつのまにかうちの主人公が龍が如く世界にトリップしてた。
桐生ちゃ~ん。



感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
1.23237800598