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逃げる その時U(3)脱出(JR気仙沼線)

津波で住宅地まで押し流されたJR気仙沼線の列車=3月11日、気仙沼市岩月千岩田

津波が押し寄せる前に列車を降り、線路伝いに避難する高校生たち=3月11日、気仙沼市岩月千岩田(内藤周司さん撮影)

 倒壊した家々の残骸の中で、列車が斜めにねじれる。気仙沼市岩月千岩田の住宅地。3月13日付の朝刊に、津波に流されたJR気仙沼線の車両の写真が掲載された。その時点で安否が分からない乗客も少なくなく、関係者は気をもんだ。乗客約30人は津波が襲来する直前、乗務員の指示で車内を脱出していた。

◎「そっちは危険」叫ぶ声/誘導的確、乗客命拾い

 帰宅途中の高校生の笑い声が響く。お年寄りはうとうとと居眠りしている。3月11日。午後の列車内には、いつもと変わらぬ光景があった。
 2両編成の気仙沼発小牛田行き上り列車。松岩駅(気仙沼市松崎片浜)を午後2時45分の定時に出発し、その約1分後のことだった。列車を突然、跳ね上げるような衝撃が襲った。
 「脱線?」。気仙沼高3年の小野寺晴海さん(18)は、とっさに床にしゃがみ込んだ。列車が停止する。それでも揺れは収まらない。「しばらくして、ようやく地震だと分かった」
 線路は、気仙沼湾の海沿いを海岸線と並行して南北に走る。停止したのは、高さ約5メートルの高架の上だった。
 同校3年の小野寺明日香さん(17)と三浦美波さん(17)が窓の外を見た。ものすごい勢いで海水が沖に引いていく。海底が現れ、大きな魚が跳ねていた。
 車内にアナウンスが流れた。「津波の恐れがあります。列車を降りてください」。JR東日本列車指令から指示を受けた男性運転士が、乗客に列車からの脱出と高台への避難を呼び掛けた。

 列車前方のドアが開き、乗客たちは順番に高さ約1.5メートルのはしごで線路に降りた。
 「死んじゃうかもしれない」。涙ぐむ三浦さんを、晴海さんや明日香さんが懸命に励ました。
 3人のうち、最も自宅が近いのは晴海さんだった。最知駅の次の陸前階上駅に程近い場所に家がある。3人は他校の友人らと一緒に、晴海さんの自宅がある階上方面に向かおうと、線路沿いに南に向かって歩いた。
 後ろを追いかけてきた運転士が叫んだ。「そっちは危ない。踏切が見えたら、そこから(内陸部に向かう)道路に出なさい」
 津波の恐怖から、みんな必死に走った。明日香さんと三浦さんは、そこで晴海さんとはぐれた。
 2人は国道45号にたどり着き、階上方面に南下しようとした時、目の前を津波が横切っていった。ごう音とともに家が流されていく。
 2人は、今度は夢中で西側に走った。たどり着いたのは、内陸部にある面瀬中。そこで無事、晴海さんと合流することができた。

 乗客が列車を離れて間もなく、自宅前の線路から海を見ていた無職内藤周司さん(66)は、津波の襲来に驚き、慌てて避難した。その時、50メートルほど離れた線路上に、さっきまであった列車が消えていることに気付く。
 「あっという間に流されたようだ。乗客が列車を降りるのは見たが、全員が脱出できたのか分からず、肝を冷やした」
 乗客たちは通信手段が途絶えた中で、安否を家族に連絡できずにいた。3日ほど後、避難先の友人宅で明日香さんはやっと家族と再会できた。
 新聞で列車の写真を見た母(41)は「列車に乗ったまま、津波にのまれたんじゃないかと思った」と、明日香さんを抱きしめて泣いた。明日香さんはそのとき、初めて列車がどうなったかを知る。
 JR東日本盛岡支社によると、乗客は全員避難したが、その後の安否については把握していないという。
 JR気仙沼線は今も不通のままだ。明日香さんら3人は今も通学に苦労しているが、運転士への感謝は忘れない。
 「助かったのは運転士さんのおかげ。的確に避難を指示してくれなかったら、どうなっていたか分からなかった」(丹野綾子)


2011年08月20日土曜日

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