2011年6月21日 20時58分 更新:6月21日 21時43分
東京電力福島第1原発事故で計画的避難区域となった福島県飯舘村は、21日が現在の役場で業務を行う最後の日となった。合併せず自立した村づくりを進めてきた阿武隈高地の静かな村は、原発事故に翻弄(ほんろう)され続けてきた。約6200人の住民が村に戻れる日はいつになるのか、見通しの立たない中、役場の機能は22日から20キロほど離れた福島市内に移る。
村役場では、午前中に庁舎内にある議場で移転前最後の村議会を開いた。午後には幹部らが出席した災害対策本部会議の後、村長室や総務課などの引っ越し作業が行われた。
慌ただしい雰囲気の中で執務を続けた菅野典雄村長は「怒りをどこにぶつけたらいいのか。この腹立たしさを一日も早く村に帰れるよう別のエネルギーに変えて頑張りたい」と無念さを隠さなかった。ある女性職員も「長年いた庁舎が空っぽになるのは寂しい」と話した。
一方、21日現在で206人の避難先が未定だ。中には「村から出ない」と拒否する住民もいる。飯樋(いいとい)地区に住む佐藤強さん(84)は「87歳の妻は、引っ越せば避難先で体調を崩してしまう」と村に残る理由を語る。臼石地区の男性(60)は「ペットの世話もあり避難しない。ただ、役場機能が村外に移転すると、ごみ回収など住民サービスが減るのではと心配している」と語った。
こうした住民や留守宅の防犯のため1日3交代で村民約370人がパトロールし、役場に職員5人が残り一部の行政サービスを行う。
また、部品工場など9事業者が屋内の操業継続を認められ約550人が働き続ける。
継続を認められた「山田電子工業」の山田義忠社長(62)は「閉鎖しようと思ったが、引き続き働きたいという従業員の声を受け願い出た」と話す。工場は自動車と家電製品の部品の検査や加工を行う。作業場の放射線量は毎時0.3~0.7マイクロシーベルト。線量計を持たせて従業員の積算線量を管理し、屋内の放射線量も合わせ月1回、国に報告する。山田社長は「弁当持参で、極力屋外に出ないよう伝えている」という。
福島市に避難し車で通勤する従業員の菅野次美さん(37)は、15分だった通勤時間が1時間10分になった。仕事を続けられるのを喜びながらも、「通勤途中に住めなくなった自分の家の前を通るたび、なんでこんな目に遭うのかと悔しくなる」と語った。【桐野耕一】