田渕久美子
脚本家。59年、島根県生まれ。
出版社勤務、塾講師、プログラマーなどを経てシナリオスクールへ通い、85年デビュー。主なテレビ作品に『勝利の女神』『ニュースの女』『殴る女』『彼女たちの結婚』『定年ゴジラ』『女神の恋』など。NHK連続テレビ小説『さくら』では橋田壽賀子賞受賞。映画、舞台、ミュージカル、落語、狂言の脚本も手がけ、08年に手NHK大河ドラマ『篤姫』は空前の大ヒットを記録する。2011年放送の、NHK大河ドラマ第50作目にあたる『江〜姫たちの戦国〜』の執筆も手がける。現在、自ら執筆した原作『江〜姫たちの戦国〜』(上・下)が好評発売中。
私は物忘れが激しい。
自慢じゃないが、かなりヒドい。
先日、「脳を鍛える方法」について取材された。編集の方いわく、「年と共に物忘れがひどくなることを、読者は皆恐れているんですよ」
たずねる相手を間違えている、と私はイバった。そして、忘れるからこそ、新しいものが入ってくるとうそぶいた。脳を鍛えるより幸せになりたい、と夢を語った。しかし、それでも食い下がる相手に(当たり前だが)、「脳を鍛える方法は、なにより苦痛を体験することです!」と答え、「脳科学者も同じ事を言っています!」と喜ばれたので、そのあたりのことを語って事なきを得た。
それはともかく、とにかく、私の場合、「物忘れが……」などと悠長なことを言っている場合ではないくらいヒドイのだ。
まず、人の顔を憶えない。そういう人は大勢いらっしゃるとは思うが、私は、さっき仕事で会った人と、たとえば、トイレで会っても、よほど印象の強い人以外は、きれいさっぱり忘れている。仕事柄、あまりに大勢の人とお会いしているから、と言い訳もできるが、ついさっき会った人なのだ。あまりにも失礼だ。
もちろん、名前も忘れる。一年間、毎月のように会っていた人の名前を憶えられず、やっと頭に入ったと思ったら、その仕事は終わった。そして、今、その人のお顔は残っているが、名前は私の中にない。
今書いている大河ドラマの登場人物の名前も忘れる。いま思い出そうとしても、主人公の二度目の父親の名前が出てこない……。俳優さんの名前も、特に若い人の名前はほとんど頭に入らず、やっと入った頃に、ドラマは終わる。そして、忘れる。若い人だけではない。講演会で、俳優さんの裏話をなどと言われて、「××の役をやった、なんとかさんのお母さん役のなんとかさん」などと言ってしまい、会場から助け船が出されることもしばしばだ。
今、一番怖ろしいのは、『篤姫』を書いたのだから、幕末を知っていると思われることで、そういう座談会に呼ばれると迷わず断る。『龍馬伝』を観ながら、「へえ……幕末って大変な時代ねえ……」などと感心している私なのだ。
だから、今書いている戦国時代も間もなく私の中から消えてゆく。「『小牧長久手の戦い』って何の戦いだったっけ?」と書いている今でさえ、プロデューサーに尋ねてしまう私なのだ。小説まで書いた私が、だ。
ただ、憶えていればよいものが書けるわけではなく、歴史はあくまでも下敷きで、人間ドラマを作っているわけだから、それでいいのだ、と言えばいいのだが……。でも、やっぱり恥ずかしい……。
思い起こせば、学生の頃からこういう症状はあった。大学に出かけて、コートを脱いだら、スカートをはいていなかったこともある。出がけにストッキングが伝線しているのに気がつき、履き替えようとしたらタイトスカートでキツかったため、脱いで着替えて、そのまま忘れて出かけてしまったのだ。暖房の効いた教室で、コートを脱がずに過ごした一日はつらかった。
学生の頃といえば、アルバイトを始めてからも、バイト先の場所を憶えられず、何度も遅刻した。
勤め始めてからも、ランチに行く店にしょっちゅう財布を忘れ、財布はあっても中身を補充するのを忘れ、私は特別に「ツケ」にしてもらっていた。
打ち合わせに車を運転して出かけていき、そのまま車を忘れてタクシーで帰ってしまい、家の駐車場に車がないと大騒ぎ。盗まれたと思ったのだ。そして……私は同じ事を三度も繰り返した。
同じ本を二冊買うのは日常茶飯。スケジュールも即座に忘れ、先日は、一日に七つもスケジュールを入れていた。
「私、朝ご飯食べた?」とお手伝いの子に訊いている。「腹に訊けよ」と言いたかっただろうな……。
娘の学校のクラスも憶えられず、担任の先生の名前もわからず、息子の留学先の地名がいまだに憶えられない。たずねられると、「ロンドンから北へ車で五〇分くらいのところ」と答えている。
ああ、みんなこんなものなのだろうか、と思う。
「大丈夫ですよ」と、マネージャーのT嬢がなぐさめてくれる。彼女も被害者のひとり。憶えられず、すぐに忘れる私に何度ひどい目にあわされていることか……。
そういえば、NHKの「スタジオパークからこんにちは」という番組に出演した時も、自分史のようなものを作らなければならなかったのだが、自分のことなのに、よく憶えておらず、「こんな人は初めてです」と呆れ果てられたなあ。
どうすれば憶えていられるのか……。私は本気で悩む。いつかとんでもないことをやらかすのでは、と思い、恐怖にかられる。
しかし、その一方で、どうでもいいことはやたらと憶えている。しかもかなりリアルに。あの時、あの人はこう言った。そのときの表情はこうだった。着ていたものはあんな服。男性なら手の形。女性の化粧の具合までしっかり憶えていたりする。
今、『篤姫』を観直しているのだが、俳優がしゃべる前にセリフが出てきて、自分でも驚く。いやあ、憶えているものですねえ……。
でも、私はこんな自分を愛おしいと思う。次になにをやらかすか、最近では楽しみにもなってきた。何よりありがたいことに、それを受け入れてくれる環境が整ってもいる。「天才だから」と勘違いしてくれる人もいる(本当の天才が怒るよ)。
しかし、いかにうまく忘れるか、というのも、新しいものを生み出すための手法のひとつだとは思う。古いものにこだわりすぎていては、新しいものも入ってこない。
そして、一見忘れたように見えて、必要な時にはすぐに取り出せるようになっているものだとも信じている。
本当に大切なことは深い深いところに眠っているものだ。
そんな時、亡き夫の三回忌の日時を尋ねられた。命日を忘れることはない。しかし……、私は法要が始まる時間を完全に忘れてしまっていた。仕方なくお寺に電話する。「すみません。法要は何時から……?」 もちろん、先方は絶句した。
そのうち、夫の命日も忘れ、夫がいたことさえ忘れるのでは……。「その時点で自分のこともわからなくなっているから、心配しなくていいんじゃない?」と娘。
なるほどその通り、と膝を打った私は、法要の時間を伝えることを、すでに忘れていることすら忘れ果てていたのであった――。