民衆のソフト・パワーを最大限に発揮するためには、組織に懇談・対話という”温かな赤い血”を存分に注ぎ込んでいく必要がある
創価学会にとって生命線ともいえる会合の在り方について考えてみたい。
創価学会の会合で最も多い形態は伝達を目的とするものであろう。
話し手から聞き手への一方的な情報の伝達。
本来、懇談の場であるべき座談会にあっても、双方向で対話が交わされることはほとんどない。
伝達は組織にとって、欠かせないものであることは言うまでもない。
組織の打ち出しを第一線まで隅々に浸透させるためには、この伝達という会合の方式を取らざるをえないのは無理もない。
ただ、伝達はあくまで上からの下への一方通行の通達であって、本来あるべき、下から上へと意見を上げていく機能は持ち合わせていない。
この伝達を主とした会合ばかりが続けばどうか。
懇談、対話の機会が失われるにしたがって、常に瑞々しくあるべき人間関係にも亀裂が生じやすくなり、結果的に組織の力が弱まっていく。
「協議をきちんとしているではないか」との反論は予想されるが、協議は方針というものが前提となるやりとりであり、自由闊達な懇談、対話とは性質が違う。
小人数による忌憚のない、本音の対話。
これほど、組織に”人間味”を自然ともたらすものはない。
小人数の対話には、形式もいらない、自分をよく見せようと飾る必要もない、役職の上下もない(そうあるべきという意味において)、あるのは、十分語り尽くした後に残るさわやかな充実感のみ。
この充実感こそが、一人ひとりの内的(ソフト)パワーを掘り起こし、次なる宗教的エネルギーの基となっていくことは言うまでもない。
しかしながら、宗教団体の活力源とも言うべき、懇談・対話(本音の)は絶対的に少ないのが実情だ。
民衆のソフト・パワー(内発の力)を最大限に発揮するためには、情報の伝達以上に、懇談・対話という”温かな赤い血”を存分に注ぎ込んでいく必要がある。
そうしなければ、創価学会という一枚岩の組織も、いつしかもろくも崩れ去る時が来る。
創価学会を恒久化していくために、衰退させないために、今、私たち自身が気がつき、意識改革をしていかなければならないことの一つがここにあるのではないか。