バスケ青春の詩

バスケ青春の詩
自分の想いの言葉を綴っています。

追伸…運命ということ

2011-08-20 13:09:31 | 記事一覧
平成23年8月20日 土曜日
 
「追伸…運命ということ」


先日、
「運命ということ」
という日記を書きましたが…


私の拙文で想いがうまくお伝えできなかったところがあったようです。

要は娘のことは、
娘の運命だったと言いたかったのです。

私は以前に、
人の寿命というロウソクの長さは持って生まれたもので、

しっかりと燃え尽くすことが大切だと言いました。

その後、娘のことがあって、それは娘の寿命だったのだろうか?

実は、もっと長いロウソクの長さを持っていて、

人生の途中で出会った者にロウソクを折られたものと思い、

さらに、それは今回の
現実は、やはり娘の運命だったのだと考えるようになったのです。


それは、今回の娘のことは、そこに至った事実の流れを知ることで、

娘とその他の人達が、
それぞれに因果として行動していったものが影響しあって、

娘の運命が造られ、
それが娘の寿命という
ロウソクを造っていったと思うようになったのです。


ですから、
その運命は持って生まれた定められたものではなく…

生まれた後の本人の
1日、1時間、1秒単位
の行動の連鎖が、
因果として運命を造っていると考えたのです。

例えば、今回の震災で
はそこに住まう多くの方々が亡くなられました。

その中でも、
一瞬のタイミングの違い…
その日誰かに会うために現地に居なかった人や、

誰かに会うはずが、
相手の都合で会うタイミングがずれて震災に遭遇し、亡くなられてしまった方など…

それは、当事者間だけではなく…

それも連鎖して、
それぞれの人達の運命に影響し、

それぞれの運命を造っていると思えたのです。


震災で亡くなられた
方々が、他の人の影響を受けて必然的に亡くなられたとは思ってもいません。

震災に出会ったこと自体は、その方々の運命だったと思います。

しかし、
誰かが、その運命を
意図的に造ったとは思いませんし、

人の運命は偶然や必然
の事実の連鎖で造られていくと思ったのです。


そこのところが、
私の拙文で真意を伝えることが出来なかったのは、私の不徳のいたすところです。


今回の震災で亡くなられた方々の運命について軽々しく語るつもりではなかったとお伝えしたいと思います。


この記事は、
娘のことをとおして、
私の運命に関する死生観の想いを綴りました。


娘の運命であったことに間違いはありません。

ですから、他人によって娘の運命が造られたのではなく、

娘の運命は、自分の因果による行動で造られ、

その行動が、他の人と影響し合って現れたと思うのです。

その結果が、今回の娘の運命だったのです。

何度も言いますが、
娘の運命が変えることが出来たと言っているのではありません。

それは、やはり娘の運命だったのです。

その運命は、偶然や必然のことが重なったことで生まれたものだと思ったのです。
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