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おや、もうすぐ夏休みも終わりなのですか?
管理人=向日葵さんへ。
>Karaさん
>小さい子の場合はそうかも知れません。
"大きい子" の場合でも同じことです。おかげで、いい歳こいたオッサンが「オレの話を聞け
!」と、今日もあなたの近所のアパートやマンションで5歳や10歳のガキを泣かせてヤツ
当たりしています。
>サイコさん
>何が虐待なのか?は、その時代の文化が決めることがあります。
そーですね。いわば「ぎゃくたい(虐待)」という言葉の意味の "定義づけ" の言語的な問題
です。
>性教育は、現在および将来のためでもあります。
いえ、昔は性教育=婦女子の貞操教育(=処女、バージン)だったので。百歩ゆずっても昔は
何かの必要性があったのかも知れませんが。現在から将来にかけては、ただの社会的な弊害
にしかならないと思います。
>カエルの解剖は、これまでの文化の伝承という意味もあります。
日本人が、カエルを食べていたのは。明治時代までか、せいぜい昭和時代までのイナカです
私が、言っているのはその授業での「教師のセリフ」のことです。
( ↑ところで、フランスではカエルのムニエルなどは「高級料理」になっている )
>制服の問題は、(略)
つまり、その「必要性」の問題です。
ところで、>何が虐待なのかは、その時代の文化が決めることがあります。
→は、重要なポイントなのでちょっと質問しますが。
例えば、江戸時代は貧困による「子捨て」「子殺し=間引き」は日常的に行われていた。
これは、現在でいう虐待=犯罪だったのか? そうではないのか?
当時は、11歳の男子と9歳の女子が「結婚」したり。12歳の女子が子供を産む、なんて
ことはザラにあった。これは、現在の女子児童への強姦罪に当たるのか? 当たらないのか?
例えば、現在でも東アフリカ諸国などでは女子に対する「割礼(かつれい)」の習慣(=幼女の
性器のクリトリスを切り取ること)が、広く行われている。
虐待とは関係は無いが。アフリカやブラジルの少数民族などでは「人食い」や「子殺し」が
現在でも行われている。( ←ヤノマミ族など )
例えば、ほんの20年前の日本でも。「子供のヌード」や「車などに幼児を置いておく」ことは=え、ギャクタイって何??? がごく普通の世間であり日常生活だった。
( だいたい、今。ネットでこのようなページがあるのも、それ以後の現在のことだ )
↑さて、あなたはこれらを。こ・れ・ま・で・の・文・化・の・伝・承・なので、復活させ
たりこれからも続けて行こうと。思いますか? 思いませんか?
「私が、このページの誰だか。もう分かりますね?」
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