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人間革命2巻には「前哨戦」・・と言う話しが記されています。 その話は、昭和22年頃、蒲田支部の青年部の男女7人が (その後、「こいつ等の殆ど」が脱会する・・と言う事態にも) 某教団が主催する「尊師の講演」に、こっそり偲びこんで、聴講し そして、質問攻めで、その尊師を追い込んで、丸め込み とうとう、会場まで荒らして「師の講演」そのものが、滅茶苦茶にもなってしまった。 (しかも、この時点で「虚栄に満ちたの慢心の出来レース」までもが、細かく描写されている。 因みに、コチラが所有しているのは、初版で、昭和41年度版) その次の日・・・ 彼等は、当時、戸田城聖氏が開いていた「法華経講座」にも参加し その会場へ寺破りをした男女7人が会場へ出向くと 何故か、噂が広がっていたのか?、会員達は幹部を含めて、彼等、彼女等を英雄視してしまい そのお陰で、本人たちも、天狗にもなってしまい 「寺破り」に参加した「一人の青年」が、戸田先生の目の前で 「邪宗撲滅の最前線」だとか「命のままに討ち死に」とか言い始め 最後に「鎧袖一触」の熟語などを用いて、演出など施し 武勇伝のお披露目をして、戸田城聖氏を除く、幹部等も含め 会場内の参加者は、彼等、彼女等を絶賛していたのだが・・・ ◆人間革命2巻「前哨戦」の章より 唯一人、戸田城聖だけは、険しい表情になっていた。 最初は「にこやか」に聞いていた彼も、暫くすると、にわかに顔を曇らせたのである。 そして最後には、眉をひそめて哀しげな表情になっていた。 ソレを誰人も気付かなかった。 戸田は厳しい声をあげた。すかさず激怒した口調で叫んだ。 「 何事か?・・・彼等は怪訝な顔つきで立ち上がった。 「某教団の教主などを、少しばかりやっつけて、いい気になっている君たちを 戸田は育てた覚えがない!!慢心も甚だしい・・・ 私は、それが悲しいのだ。 君たちの根性は、本当の私の指導ではない。(つまり、その事が目的の真意ではない) 一体、誰の弟子なのか?岩田!言ってみ給え!!」 岩田は面食らった。無言である。 居並ぶ幹部達も、何が?戸田の怒りに触れたのか?不可解な表情であった。 「誰の弟子だか?言えないのか・・・君たちは戸田の弟子ではない!!」 一喝にあった彼等は、理解が出来ずに戸惑っていたのである。 否、身震いを感じていた。 「日蓮大聖人の仏教の真髄を“ひとかけら”でも身につければ いかなる教団の教義もないのだ。勝負は初めから決まっている。 それを“如何にも自分の力でやった”ように、手柄顔している馬鹿者が何処にいる? “道場破りの根性”はいかん!!英雄気取りはよせ!! 暴言をつつしみ、敵にも味方にも、心から立派だ・・・といわれる人になれ!! 君たちのような行き方を戸田は教えた覚えはない!!」 (現在では、涙話なども含め 「してやったり」な顔をして手柄のように武勇伝を仕込むブログも同じだろうか? 要は、マニュアルか、策ばかりに奔走している内容のものばかり) 【参考】 ・アルファシンドローム http://petjuku.sakura.ne.jp/dog/inuri-da-.html ・ソレに関連する記事 1:http://plaza.rakuten.co.jp/namassaddharma/diary/201001170001/ 2:http://plaza.rakuten.co.jp/namassaddharma/diary/201001170000/ 戸田は理事長たちの方を見渡して言った。 「・・・・原山君、小西君、清原君・・・どうだろう? 戸田の気持がわかるだろう・・・」 理事たちは、少々、うなずき、後は「黙っている」しかなかったのである。 彼等も、一往、青年たちの「いい調子」に合わせていたからである。 【参考】 ・「本音が言えない」「声が大きい人勝ち」集団心理のワナ -プレジデントロイター http://president.jp.reuters.com/article/2009/07/25/DA8B0538-775A-11DE-AEDE-98073F99CD51.php ・オフィス街を歩くと思う「自分は彼女たちと、一体どこが違っちゃったんだろう」 -日経ウーマン http://wol.nikkeibp.co.jp/article/special/20091218/105312/?P=2 ・善悪に囚われると自分のことだけしか見えなくなる -伊藤淳冶ブログ http://ameblo.jp/jintuuriki/entry-10496325323.html 戸田は激昂を鎮めて、話をつづけた。 「いいか、もう一度言っておく・・・ 取るに足らない一教団の首脳などを、少しばかり苦しめたから・・と言って 広宣流布とは 大目的を達成してゆく途上、これから“出現する敵”は 君たちが想像も出来ないほど大きく、そして手強いのだよ。 君たちが某教団に行ったのを悪い・・と言っているわけではない。 別に奨励もしないが、君たちが、どうしても行きたい・・・と言うのならそれもよかろう 広宣流布の為、折伏を止めることが出来ないからだ。 しかし、他教団の本部だから、特別の折伏行だ!などと勘違いしては困る。 一婦人が、真心込めて隣家の人を救う方が立派な行為の場合がある。 こんな事を幾度も繰り返して、それで邪宗撲滅ができる!・・と思ったら とんでもない間違いだ! 今は、将来、真実に人々を救い、指導してゆける力を養っている訓練段階(下積みの修行) ・・・だと思わなければならない。 将来の本格的な法戦は、そんな遊び半分と思っていては大変だ。 その時に退転するなよ。 “今、いい気になって連中は、大事な時になって退転してしまうものだ” 戸田は、君たちが“王仏冥合のお役に立つ時”に退転させたくないから、今叱っておくよ 戸田は諄々とした言葉で語った。青年たちは、次第に赤らんで来ていた。 同じ折伏の行動であっても、注意すべき人物と、そうでない人物とがあろう。 指導者は、それ等を見抜かなければならない。 その人の本質を知らなければ、指導者(仏法者)とは言えないからだ。 (中略)戸田は青年達を見渡して言った。 「自己の栄誉のみを考えて、“人に良く思われよう”・・と活動する人物であれば 所詮、行詰まってしまう。詐偽師に共通してしまうよ。」 (池田大作著:人間革命第二巻「前哨戦」の章 P.204~208) ※これに関連して[No.278]:「命の奥底にある性根の天秤」と [No.201]:「2ちゃんねるの外から(9)」へと続きます。
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2010.05.29 21:31:47
北条浩は、ためらいながらも池田3代会長に言った 「摂受と言う事も、先生のおっしゃる事も、よく解りますが 何か“他の宗教”と、妥協するような感じが否めませんね~ やはり、他の価値観にたっても、まず「正邪」を明らかにし 仏法を受け入れない池田氏を受け入れない輩などは、既に謗法なのですから 相手の粗を見つけ出し、厳しく罵倒しながら糾弾して 無理矢理にでも“屈服せしめなければ、いけない” ・・のでは、ないでしょうか? また“毒気侵入”でコントロールが効かなければ 餌を ぶちまけてでも、相手を宥め透かし、教育せしめて屈服させなければ 本人は悪化の一途を辿るだけでは、ないのでしょうか? 本人の為にはなりませんし、こちらも迷惑です。 ともかく、相手を“屈服させる事”や“丸め込む事”が大切です。 今までも、そうやって、創価学会は “発展してきた”じゃないですか?」 大作は苦笑した。 それが北条浩に限らず、創価学会最高幹部や学会員の感覚 (特に婦人部や女子部 そして、いまや 或いは公明党の感覚であったかも知れない。 そこで・・・ 北条浩らに、三代会長の仏法観を説明した。 「それでは考えが そうしたやり方で、理解と信頼と友情が深まり、広宣流布が進めばよいが・・・ しかし、そんな“やり方”では必ず、“無用な誤解”と“摩擦”を招く結果となるだろう。 譬え、その時は“勝った”・・としても “一時的な勝利”にしか過ぎないだろうし 場合に依っては“宗教同士の争い”にもつながりかねない。 また、譬え、表面上では“ 所詮、仮面だけなので メッキがはがれれば“陰湿ないじめ”しか残らない 道理を尽くし、仏法者として“自分の宗教的信念”を語っていく事は、大切だが 北条さんのような考え方では“自己満足”に終わり 友情も壊れ、反目し合う事にもなる。 それは、一見、勇ましいようにも聞こえ、仏の軍勢のようにも聞こえるが 結局は己の自己満足で終始しただけの話であって 仏法の眼で見れば、それは、現実逃避をして虚飾を飾る自分にしか過ぎない。 宗教や国法や司法、そしてイデオロギーなど “偏った情報”や“偏った表面上の一面”だけで、人格の物事を捉え 善悪などを決め付けて固定し“相手を裁断するだけ”の妄想や発想などは いい加減 改めて欲しい。 地獄界から仏界に至るまで、十界互具を有した 複雑な現実社会の中で 真の人類融合を目指していくには 粘り強い対話と お互い、平行線のまま、余計、悪化するだけだ フランスの作家、Francois-Marie Arouetは・・・ “私は、あなたの書いた意見は嫌いだが 私の命を与えても、あなたが書き続けられるようにしたい”・・・と言う まことに有名な言葉を残している。 ( 何故なら「自分」と「相手」の立場を摩り替えて論じ 売り言葉に買い言葉となって“責任逃れ”の詭弁にもなってしまうから ) 仏法は本来、一天四海本因妙・・・ つまり“三千大千世界の生命”を包む 大海のような大慈大悲の法です。 人間や生命の尊厳と自由と平等を説く普遍の哲理です。 故に、仏法者は譬え、宗教、思想、信条が違っても 相手を“人間”として尊重しなければ“解而不信”にも陥るし また、それが“人間の道”だと思うのですが・・・」 大作は北条浩に語りながらも、今の創価学会と自分との間に 仏法への大きな認識の違いが生じている事に気付いた。 戦時中、一国を狂わせ、初代牧口常三郎氏を死に至らしめ 民衆に途端の苦しみを なめさせた根本原因は宗教にあった ( 教条的な思想の結果で、これが巧みに利用され、食い尽くされていた。) だから創価学会は戦後 そうした宗教の誤りを“正す”事を「第一義」・・・としてきた。 それは大事な精神ではあるものの、未来を展望する時 “ソレ”のみが、「仏法のあり方の全て 宗教者としての社会的使命に 「自分達の眼を閉ざした」創価学会の思考に、大作は一抹の不安を感じた そして、その「一抹の不安」が後に的中して、自ら粉が振りかかってしまい 「焼け石に水」を差してしまった事も実感している。 本当に 人間は悲しいもので、いざ「自分の利害」が関係してくると まるで狂者のように、全てを混同してしまい 男女問わず、信心も、仏法も、組織も、宗教も、全て自己本位に振舞う人が居る。 いずれの時代でも、いずれの社会でも・・・・・ ( 新人間革命5巻「歓喜」の章より P.153~154) ※eco◆Smw69BiSBOより 今回、掲載しました「新・人間革命」につきましては 若干ながらも当時と現在とでは状況が違っていた側面も否めない為 一部文章を補訂した上、加筆させていただきました。 ご了承ください。 尚、小説内での名前につきましては 実際に「そういう指導があったもの」と見受けられた為、実名とさせて戴きました。 にほんブログ村
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2009.03.11 22:24:54
戸田が会長就任を避けたのは、 もう一つの具体的な理由があったからである。 牧口会長時代から、創価学会の経済的負担は ことごとく彼一人で賄ってきた。 そこで戦後の再建を身に挺した時、彼は まず経済的基礎の確立を急ぎ、組織体としての躍進を第二として考えていた。 彼は事業家としての経験から、資本主義においては経済力の充実が無い限り 広宣流布と言う大業も途中で破綻する事を恐れたのである。 今、彼は人為的な経済の問題を「宗教革命」という 一切の根本問題より先行して考えていた錯誤を感じはじめていた。 つまり・・・・・ 経済を左右するのも また 彼の自覚した信心の使命感による事を悟ったのである。 彼の己心の戦いは、この時、壮烈を極めた。 そして彼は決意したのである。 如何なる苦難が、いよいよ重なろうと、これを乗り切らねばならぬ。 もはや、我が身一つのためではない。ひとえに我が使命達成の為である。 日蓮大聖人の金言のこと如くを虚妄にしてはならないのだ 大御本尊様、死罪に値する この戸田城聖に 「もしもその資格がある。」・・・と思し召すならば、何卒お許しくださいまし。 彼は御宝蔵の扉に向かって、渾身の祈りを込めて唱題を続けていた。 ふと、彼の耳には小鳥の囀りが聞こえ始めた。 森厳な山気の中で東の空はようやく白みかけていた。 (おわり) 「人間革命第4巻」P.285~286より
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2009.01.29 18:20:40
戸田は創価学会5年間の活動が まことに不充分であった事を認めなければならなかった。 そして 会長不在のまま6年の歳月が流れてしまった事を 彼一人の責任として考えないわけにはいかなかった。 恩師、牧口先生の七回忌が目前に来ている。 しかも自分は苦悩の底に沈んでしまった。 先生亡き後、会長就任を心の何処かで避けようとしてきた自分 それでいて大使命だけは自覚してきた自分 なんと言う矛盾に満ちた姿だろう 一寸先に延ばしに延ばしてきたのは 「会長就任」・・・と言う、容易ならぬ重責を予見しての事であったが その怯懦の故に、かくも多くの民衆を この 戸田城聖は唱題をとぎらせながら 底知れぬ深い思索のなかで、我と我が身を (つづく) 【参考資料】 ―中略― 私の体験を 一応 話しておきましょう。 私は「雲雀【ひばり】のような運勢」と言われているのです。 それは貧乏すると、何処へもぐったのか解らないほど貧乏をしてしまう。 それから ひとたび景気がよくなると、どこまで上がっていくのか解らないのです。 ・・・ですから、友人は私の事を「雲雀」・・・と言うのです。 44歳の時、牢へ入るまえですが、昭和18年(1943年)です。 その時は 「どうやって出来たか それが牢から帰ってきたら、 私が天台流の講義をやったのです。 それは「 だが・・・・・ 会長になるのが 「会長にならない 身は 講義は天台流の講義をしたのでは、心は天台です。 それは・・・ それで それから、天台流の講義は絶対に致しません。 おかげで、どうやら金では今日は困りません。 だから戸田は「創価学会をやっているから 私達の寄付で呑気にやっているから それは、あなたの方から一銭も貰ってはいません。 「僕に金をくれた それは、あそこ(大石寺の事)へ普請している大講堂の御供養のお金は貰っています。 だが・・・私がもらっているのではありません (「戸田城聖全集 第二巻(質問会編)」:P.267~268より)
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2009.01.27 08:38:41
この 私は何をしてきたのだろうか ※eco◆Smw69BiSBO の独り言 今でも「同じ事」が言えるから仏法は恐ろしい ガクガク(((((((((((;・Д・))))))))))))ブルブル 1960年会長就任以来 何を残してしまったんだろうか 敗戦直後、占領軍と共に キリスト教が怒濤のように日本列島に上陸したが それもやがて・・・ 既成宗教は農地改革によって気息奄々・・・としている。 ただ・・・ さまざまな新興宗教が 雨後の筍【たけのこ】のように族生して 国内でほしいまま跋扈している。 ※eco◆Smw69BiSBO の独り言 皮肉な事に新興宗教が雨後の筍のように伸びた為 同時にキリストの深い根が下せなかったわけOo。.(ーoー) ボソッ 数年前、会員200万を公称し 我が物顔であった 分裂と脱税によって弱体化したが、それでも150万を自称している。 5年間で最も発展したのは立正佼成会であったろう・・・・ 昭和20年(1945年)に僅か 1307世帯・・・と記録されてきた この教団は 25年(1950年)現在、6万世帯 30万人を呼号するに至った。 その他、S教団にしろ 世界Q教にしろ 新興宗教は戦後の民衆の不幸と宗教に関する無知に乗じて それぞれ教勢を拡大してしまった。 ※eco◆Smw69BiSBO の独り言 しかし、最終的に教勢を拡大し権力を握ってしまったのは その創価学会なんですけれどね (ーoー) ボソッ 許しがたい事は、宗教の根本義を誤った これ等の教団の横暴が ここ数年の間に、更に無数の民衆を「ただ不幸の淵に追い込んでいる」現実である。 しかも、 ※eco◆Smw69BiSBO の独り言 許しがたい事は仏罰と師弟=血脈や虚飾などをウリに 高度なマインドコントロールを施して服従をせしめ 結局、根本義を失ってしまった 創価の横暴が 無数の民衆を「ただ不幸に追い込んでいる」のが現実で しかも 「時を得顔に跋扈している」処か 教団以外の人間も巻き込んで 世界中をボロボロにしているのが しかも それ等の罪は他人に擦りつけたり 情報操作や虚飾ばかりが横行して、責任逃れの準備すらしている。 (ーoー) ボソッ これは果たして 戸田城聖は「我が心」を問うた時 御宝蔵の前で慙愧の思いに身を震わせた。 敗戦後、不幸のどん底にいる民衆を 邪宗教団の手に、かくも多く委ねてしまったのは・・・・・ 誰の罪でもない。 (つづく) ※eco◆Smw69BiSBO の独り言 全くその通りですね (ーoー) ボソッ (「人間革命」第4巻:P.283~284)より
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2009.01.17 01:25:56
1・初代会長 牧口常三郎は 大聖人の仏法を現代の人々に理解させるために「価値論」から誘引した。 2・価値論の哲学的限界は無量無辺の大聖人の仏法を最大価値として遇したものの 結果として「一つの枠に嵌める事になった」処にあった。 3・大聖人の仏法は、価値論の有無に関係なく 断固として「宇宙の無始無終」に遍満する処に実在であるから・・である。 4・第二代会長たる戸田城聖は、一先ず「価値論」を捨てて 大聖人の仏法“それ自体”を理解させよう ・・と願ったが 既成仏法の臭味を なかなか脱する事ができず また、現代科学知識を「学問の基礎」・・とする事に慣らされてきた学会員たちは 大聖人の仏法を「超論理的なもの」として、なかなか理解しなかった。 5・戸田はそのために、法華経の優れた解説書であった 「摩可止観」の精密な論理を借りて補足しようとした。 6・ところが!人々は、この補足を理解するのが精一杯のところであった。 ひとえに機根の未熟のためである。 7・戸田が一身にその罰を受けて、今、翻然と悟ったところのものは 「御義口伝」への果てしない郷愁であった。 初代、二代・・・ そして今・・・・・ 広宣流布の本門の時来たり、いよいよ大法興隆の力いでん ・・・とする時 初めて御義口伝から直道が開かれたのである。 機根は充分に熟した。 「700年来の さまざまな試行錯誤は 全て今日の為にあった。」・・・と言ってよい 戸田は唱題しながら、なお、厳しく断罪をした。 (つづく) (「人間革命」 第4巻 P.281~282)より
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2009.01.16 01:42:37
戸田城聖は十月末、総本山大石寺へ詣でた。 ― 中略 ― 定刻、「客殿」で丑寅勤行が終了すると、彼は一同から離れて御宝蔵の前へ行った(中略) 戸田はつかつかと石畳を踏んで進んだ。そして石畳の上に端座したのである。 (中略)大御本尊のまします御宝蔵の前で、戸田は静かに唱題を始めた。 唱題の声は高くも低くもなく、極めて平静でありながら 一つ一つの題目には鋼のような気迫が込められて、静寂に沈んだ空気を刻むように響いた。 (中略)今、彼は大御本尊にひたすら大荘厳懺悔を申し上げている最中であった。 彼の脳裏には、終戦後の一切の事件が次々と映っては消えていった。 更に、彼の現在の如実の姿も鮮明に浮かびあがった。 彼は我が身の謗法を自ら断罪したのである。 戦後5年の月日が流れてしまった。 創価学会は、まだ 磐石の基礎から、ほど遠い処にある。 何故だろう・・・・・ 私は昭和21年(1946年)の正月・・・・・ 総本山の坊で4人の幹部相手に法華経の講義から始めた。 それと言うのも戦時中の あの弾圧で教学の未熟さから 同志の退転 ・・・と言う 煮え湯を 飲まされたからだ。 この私の方針が間違っていた ・・・とは、どうしても思えない。 方針は正しかったが 大聖人の仏法を理解させるにおいて、私は誤りを犯したようである。 1・御義口伝を基にして講義をしたつもりであったが 受講者は なかなか理解してくれなかった。 2・そこで 天台の「摩可止観」の精密な論理を借りて話すと、よく解る。 3・勢い 受講者が理解したものは、大聖人の法華経ではなくて 何時の間にか天台流の臭味のある法華経になってしまったのだ。 では・・・理解力の浅い弟子達の罪なのだろうか? いや、教えた者・・・・・ 私の罪にほかならない!! 私が大聖人のお叱りを受けるのは当然すぎるほどの道理だ。 なんと言う事をしてしまったのだろう・・・・・ 戸田は唱題をしながら、ひれ伏してお詫びしなければならなかった。 (つづく) (「人間革命」 第4巻 P.279~281)より 【参考資料】 Q:先生(戸田城聖氏)が「法華経を天台流に習った為、罰を受けた。」 ・・・と言う話しを聞きましたが、どういう訳でしょうか? 戸田:今、日本には法華経の講義録が沢山あります。 一番、売れているのは小林一郎 ・・・と言う 中大(中央大学の事)先生が書いたものです。 私は中大で、小林先生に倫理学や哲学を習ったものですから 「先生の講義録を非難する」・・・と言う事は 弟子が師匠を非難することなので、いけないのです。 だが・・・ 私は(小林先生の)講義録は随分読みましたが、これはどうしても 先生が悪い 仏と言うものが成り立っていない この他は、本多日生にしても天台を出ていない 「法華文句」「法華玄義」「摩可止観」・・・と言うものを書かれた人で 法華経を読む上には、これほど立派な哲学はないのです。 ・・・で、私もこういう事を言っては失礼にあたりますが 少しばかり学問の世界にいる人間なんです。 数学とか物理とか そういうもの 天台の法華玄義にしても法華文句にしても摩可止観にしても 読んだら どうも正しい・・・ ところが これは「教相」と「歓心」の二つの哲学があるのです。 日蓮正宗によりますと天台の学説は教相になります。 歓心とは、文低秘沈のことであります。 ここで日蓮正宗の哲学の奥底である、「御義口伝」の如来寿量品16の中に 「南無妙法蓮華経如来寿量品」 ・・・とあるのです。 これは、最も大事な言葉です。 「如来とは何か 天台は「三世十方の如来は仏だ あの「御義口伝」は「南無妙法蓮華経如来寿量品」・・・と、あるのです。 そうすると・・・「如来」と言う言葉は「御義口伝」からいくと 「寿量品は全部・・・ 南無妙法蓮華経 ・・・と、とれ ・・・と言う 「如来秘密神通之力」とは・・・何ぞ そう読んで来ると・・・ 「歓心本尊抄」が生きてきます。 「南無妙法蓮華経の御本尊様」を拝めば・・・ 「権釈本の教主釈尊の因行果徳」(観心本尊抄文段)を 「譲り与え給う」・・・と言う言葉が すごく大事になります。 我々には何の修行も無いのです。 何の修行も無いが 「南無妙法蓮華経如来寿量品」・・・と言う 「南無妙法蓮華経」・・・と読んだものは 「 ・・・と、こう言うのだから 私が経文を読んでも貧乏な仏など出てきません。 仏が借金に困った ・・・と言う経文は絶対にありません。 だから、そのように読むと、有り難くてたまらなくなるのです。・゚・(ノ∀`)・゚・。 それを天台の経文を読むと 「貧乏な仏は権釈本の修行を何億万年もしなければ ・・・になっているのです。 だから・・・ 天台は (戸田城聖全集第二巻[質問会編] P.201~202) 【参考文献】 ― 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 ― 私に会通を加えば本文を黷が如し 爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す 我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う (堀日亨編纂 新偏御書:P.246) http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=246&ref=null
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2009.01.15 01:36:09
なるほどねぇ・・・ 改めてコレを読むと、恐ろしい事に、今でも同じ事が当て嵌まるよなぁ~ ・・・・と思うのは私だけなのでしょうか まるで、華果成就御書や この話・・・・ 因みに、今回は【参考資料】として戸田城聖氏が行った質問会も 合わせて掲載しましたが その中でも戸田先生が申し上げていた 小林一郎先生の話しにも注目してください。 あれ 何処かの庶民の王者さんの話に従えば 結局の処、知らず知らずの中に・・・ 小林法華へと、変貌しているのでは ないでしょうか 今は、これが一番の問題なわけ。 でも、未だ聖教などを読むと、本人は全然、気付いていない様子だし 弟子も弟子で儒教の害毒で、その事に気付かないんだよなぁ・・・ ところで・・・ 儒教を布教した末、中国では、どんな現象が生じたのでしょうか 念仏が誕生してしまった訳ですよねw 因みに如来寿量品を教える側から 受け手(つまり第三者側)の立場に立って読んでみましょう 先の資料にも示したように、天台の教えでは 「貧乏な仏は権釈本の修行を何億万年もしなければ ・・・と演繹法による要素も含めて説かれているわけですよね~ さて・・・ 破綻して道理が合わなくなった末 限界に達している環境の中に、あなたが居た ・・・としましょう。 しかし、教主、釈尊に相談をすると釈尊曰く・・・ 「私は久遠以来 元から 理由や効能や証明なども説かず教条的に答えきました それ等の話を聞いて受け手側に立って考えて掘り下げると あなたの心理はどのように働くのでしょうか 「こいつ等は 元から仏で永久だから偉い・・・と説いているのだから 永久に、こいつ等が主人で俺たちは奴隷」・・・と 当たりくじ、ハズレくじの発想で Stanford prison experimentの監獄人のような心理状態に陥り、更に・・・ 「どうせ永久に救われないし仏にもなれないのだから 捨てよ閉じよ挿し打て擲て」 ・・・と、知覚のコントラスト(対比)効果の末 恐ろしい事に、最終的には、法然のような解釈が出来上がってしまうんですよ だから2ちゃんでは 「如来寿量品を逆さに読むと念仏になってしまう」・・・と書いたわけです。 更に教える側に立てば、相手を調教せしめ、奴隷化することも可能で 結局、悪因が悪因を招いて m9(^Д^)プギャー それを考えると、実は、法然一人の責任ではなく 孔子の責任も同時に問われるわけです。 結局、二乗が齎した慳貪の結果、害毒を振りまいてしまった訳ですからね だから個人的には「儒教の心を また、儒教を布教した、その後の経過などを鑑みたら 女の責任なども出て来るし 「男尊女卑を巧みにすり替えた末 支配した 慳貪の罪」・・なども問われるわけ だから、あくまでも男女平等であって 「男尊女卑」の復活や「女性中心社会」には 公明党の女性局を含めてそうですが 今や人権や平等を叫んでいた輩が、時代とは裏腹に逆の方向へ向かって しっかり退行してしまい 見事な本末転倒を露呈していますよね~ アグネスチャンさん 「隠せば性犯罪が消える」・・・なんて発想は妄想で、単純すぎませんか しかも、本家、国連も、事、性欲については疑義があり 結局、解明し切れていないので謎 ・・・と言う結論がでていますけれどね~ そうそう高山尚子女史の心理学を鑑みたら 隠せば、余計・・・ 陰湿な犯罪が芽生えて来るんじゃないでしょうか 確か・・・ 「鉄は鍛えれば剣となる」の御文を利用して 「隠せば、妄想が膨らみ、優れた部品が生まれる」 ・・・などと 「愛と性」と言う第三文明社刊の本で、そんな事を書いていましたよね~ それを考えていけば良いんですよ 結局、彼女のやっている事は、犯罪を増やすだけで 子供の人権にも糞にもなっていないわけです そうなってくると、この一件で女自身による計算能力の欠落が 見事に露呈して「バカさ加減」が見事に証明されてしまうわけ そうなってくると女性の信頼性がますます低下して 人間辞めますか?の如く、価値が下がり 女自身の自爆が始まってしまうわけです。 まるで幽王の話しと同じですよね~ もっとも、周の国を滅ぼした責任は幽王ではなく ◆ カンカンカンカンカンカン☆\(・∀・) 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
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2009.01.15 01:33:30
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