歩行者にとって「怖い」存在の自転車も、車道では一転して「弱者」になる。自転車が走りやすいような道路の未整備が、車道走行の危険を招いている。
03年9月1日朝、北海道南幌町。自転車で登校していた町立南幌中3年、白倉(しらくら)美紗さん(当時14歳)は、自宅から約500メートル離れた、信号機も横断歩道もない交差点に差し掛かった。それまで走ってきた片側1車線の道路は歩道が右側にしかなく、路地と交わるその交差点から先は、逆に左側にしか歩道はない。いつものように歩道から歩道へと移るため横断しようとした時、前からトラックがスピードを出して近づいてきた。はね飛ばされ頭を強打し、間もなく息をひきとった。
母裕美子さん(41)は前夜、美紗さんと2人で語り合っていた。数日後に迫った学校祭のこと、進路や恋のこと。その死を信じたくなく、突然パニックになった。美紗さんの妹も大きなショックを受け、中学進学後は現場の交差点を自転車で渡ることができず、自転車通学をあきらめスクールバスに乗った。
事故直後、警察に「美紗さんの飛び出しが原因」と説明された。加害者の言い分だけではないのか、と疑問を感じた裕美子さんは、夫の博幸さん(40)とともに独自に調査を始めた。目撃者を捜し、スクラップ工場に運ばれたトラックを見つけ、その傷と自転車の傷の鑑定を専門家に依頼した。トラックのスピードの出し過ぎなどが原因だとして、警察や検察に繰り返し再捜査を求めた。
2年余り後の05年12月、トラックを運転していた事故当時43歳の男性は在宅起訴された。2審で執行猶予付きの禁錮刑が確定したが、判決は美紗さんにも落ち度があったと述べた。
結論には今も納得できていない。現場は通学路なのに、とても危険な道路だと思う。十分な路肩もないため、自転車が車道を走れば車と接触しかねない。歩道を走れば、あの交差点で横断を強いられる。事故後ようやく横断歩道が設置されたが、両親が求めた信号機は「予算的に困難」と行政側に拒否された。
危険な交差点は全国至る所にあるに違いない。事故後、両親は地元の交通事故遺族の会に入り、各地で講演し、全国の交通事故被害者の支援に取り組む。その活動を通じ、道路上での自転車の位置づけがあまりに中途半端との疑念を強く抱くようになった。
「車道を走ると車に邪魔者扱いされる。歩道を走ると加害者になるかもしれない。自転車と車、歩行者の通るところを分離すべきだ」=つづく
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毎日新聞 2011年8月18日 東京夕刊