皆さん、こんばんは。ミッキー部長です。
なにから話を切り出せばいいか、うまく言葉が見つかりませんので、読みにくい文章となってしまうかもしれませんが、ご容赦ください。
KAZUさんは8月9日午前9時35分、その短い人生に幕を下ろしました。
あまりに突然に、目の前から消えていきました。
あまりにも多くの方のご声援、応援をいただいたにもかかわらず、このようなご報告となってしまい、なんとお詫びをしていいか言葉も見つかりません。
KAZUさんを生還させ、皆さんの目の前に戻すことが私の役割と誓っていましたが、残念ながら力が及びませんでした。
皆さまの気持ちと祈りは本人にもしっかりと伝わっており、それを励みに闘病生活を送っていました。
これほどまでに多くの方に思っていただいているとは、本人も想像してもいなかったようで、ありがたく、うれしくも、必ず皆さんの元へと帰ってくることを信じて、この1週間を過ごしていました。
闘病生活と呼ぶにはあまりに短かすぎるのですが、生きること、生への執着、まさに命の炎を燃やし続けた期間でもありました。
もともと自分自身の生についてはあまり固執せず、他人の生命を守ることのみを考えて生きてきたここ数年間でしたが、最期の半年間ほどは大震災のこともあり、彼女が生来持つ自己犠牲の精神、利他主義といったものに拍車がかかり、自らの命を縮めていったのかもしれません。
そんなKAZUさんでしたが、急性白血病が分かってからというもの、おどろくほどに、自分の生への執着を見せ、生きたいと強く願うようになっていきました。
まだまだやりたいことがある、まだ死ぬには早いと、自分で言い聞かせ、すぐに始まる抗がん剤投与に備えて、伸ばしていた髪を短く切るなど病気と正面から立ち向かう姿勢を見せていました。
裏を返せば死への恐れがそうさせたのかもしませんが、彼女の人生で初めて、自らの命ときちんと向き合った瞬間でもありました。
結果として、抗がん剤の投与が行われる前に感染症で命を落とすこととなってしまったわけですが、40度以上の高熱の中でも2日間以上も死に抗って、最期の瞬間まで精神力、体力ともに持ちうるすべてを使い果たして、生きる希望を手繰り寄せようと頑張りました。
もともと彼女は身体が強いほうではなく、小学生の頃などはすぐに貧血で倒れてしまうような子供だったようです。
成人後も数回長期入院をしており、大きな手術も経験しており、そんな自分の健康状態からすると、それほど長生きできないだろうな、というのは何度か耳にしたことがあります。
彼女のモットーは「人生、太く短く!」であり、とにかくその日その日に最善を尽くし、できることすべてをやっておく、ということを常に心がけていました。
そんな彼女ですから、「いつ死んでも悔いはない」「もし大病で入院したら延命治療はぜったいにやだ」と常に私に言っていましたが、今回の入院に際しては、私も驚くほどに生き抜くことを強く意識していました。
伸ばしていた髪を切ったとき、ひそかに泣いていたことはやはり女性としてはつらかったのだと思います。
それでも皆さんの前に元気な姿で戻りたいと強く願っていたのです。
結果として本当に短い闘病期間となってしまいましたが、以前のKAZUさんでしたら、ここまでも命が持ったかどうか分かりません。
まだ死ねないという思い、それは、とにかくパブリックコメント、動物愛護管理法改正について行く末を見届けたいとの思いが強かったからなのですが、国ちゃんのこと、なっちゃんのことなど、自分の人生を見つめなおす時間ができたことで、やはりまだ死ぬには早すぎると感じていたに違いありません。
死を前にして人によっては精神的に乱暴になってしまうこともあると聞きます。
ですがKAZUさんは今まで以上に落ち着いていました。ブログや私に渡すメモを介してではありますが、皆さんにお礼を言うこともできましたし、近しい人たち、お世話になった動物病院の方たちにもきちんとご挨拶することができました。
今思えば、入院する時点ではすでに生死の境をさまよっているような状態でしたので、一旦回復したことが奇跡の出来事だったように思えます。
今まで見たこともないくらい、素敵な笑顔も見せていましたし、冗談もいい、よく笑っていました。
その数日間にいろいろな思い遺すと思われることを片付けることができたのですから、あの時のKAZUさんは皆さんの祈りを神様が聞き届けてくれたように感じています。
しかも、最後には国ちゃんの体重が増えるというご褒美までくれました。
これは私がブログで報告した時のものです。
「国ちゃんが1.9なんて夢見たい!!!
ずっと1.6 保護当時はたった1キロだったのに!
やったー
バンザイ」
これが調子がいいときのKAZUさんからの最期のメールとなりました。
私はKAZUさんの喜びようを見て心躍りました。
国ちゃんが元気になったことでKAZUさんも回復を見せるだろうと確信していました。
ところがその1時間後
「なんかだんだんだるくなってきました
ゆけつのききめ終わったのかな
少しねるね」
その30分後
「初日にもどった」(体調が入院初日の悪い状態に戻ったということです)
その3時間後
「午後から熱が40℃過ぎて体中が痛い。
解熱剤飲んで採血して結果待ち。
息苦しい。」
これは息子さんからの代理のメールでした。
このメール以降、調子が上向くことなく徐々に死が身体を蝕んでいったのです。
なにか、国ちゃんの回復を見届けたことで安心してしまったのか、それともそれは神様がKAZUさんにくれた最後のプレゼントだったのか分かりませんが、とにかく、誰よりもそのニュースを喜んでいたのはKAZUさん本人でした。
KAZUさんの最期は迫りくる死との格闘でした。
息も絶え絶えになりながら、心拍数は常に110前後となり、死直前には180を越える状態でしたが、それでも何かを伝えようと私に目を合わせ、言葉にならないながらも、精一杯話しかけてきました。
丸2日間も死に抗い、必死に生にしがみつこうと頑張りました。
私にはあれほどKAZUさんに生への欲望があったのかと、なんとか手を貸してあげることはできないかと、必死に声をかけ、その熱い身体をさすり続けましたが、8月9日の朝を迎える頃にはKAZUさんの身体はもう限界を迎えていました。
本当によくがんばりました。
途中であきらめることなく、立派に最後まで戦い抜きました。
病床のパジャマから浴衣へと着替え、きれいにお化粧をしてもらい、その姿は本当に安らかで、苦しみなど一切感じさせないおだやかな表情でした。
8月10日にお通夜、11日に告別式とすべて近親者のみにて執り行い、すでに荼毘に付されました。
これはKAZUさん本人による強い希望によるものです。
皆さんに心配をかけたくない、自分の死で皆さんを悲しませたくない、というKAZUさんの気の使い方ゆえにそのような形となったのですが、それゆえ皆さんにきちんとお別れができず、私としては大変心苦しく思っております。
最後のブログの更新からすぐに容体が急変し、逝去、お通夜、告別式とあまりに急な展開となってしまったため、皆さんには逐一のご報告ができず、本当に申し訳ありませんでした。
KAZUさん本人の強い意向で、葬儀関連の行事がすべて終わるまでは、皆さまにお知らせしないで欲しいとの遺言がありました。
ご親族にはご高齢の方も多く、KAZUさんのご家庭の事情などをふまえて、それが残されたご親族にとっては負担が少ないだろうという配慮だったのです。
また、KAZUさん逝去のお知らせが本日14日となったことにつきましては、今日がKAZUさんの誕生日ですので、私の判断で14日に皆さんに報告させていただこうと決めていました。
私自身、KAZUさんの死という現実をいまだに受け入れることができておらず、この数日間で気持ちが落ち着くかと思っていましたが、皆さんが応援コメントを毎日入れてくださるのを見るにつけ、出来る限り早く気持ちに区切りをつけ、きちんとお知らせしなくてはいけないと感じていました。
ご親族の意向としては、できればもうすこし先まで延ばして欲しいということでしたが、本人がいないにもかかわらず多くの方が応援してくださっている現状を説明し、14日のKAZUさんの誕生日にお知らせするということでご理解いただきました。
と申しますのも、KAZUさんが入院中に純情仔猫物語の読者の方で病院を割り出し、なんとかして会いたいとお越しになった方がいらっしゃり、病院、ご親族の双方に迷惑がかかってしまったことがあったため、その点についてご親族の方の気持ちとして、しばらく静かにさせて欲しいとおっしゃっていますので、このお知らせが遅れましたこと、ご理解いただければと思います。
KAZUさんの死後、5日間経過しました。
死を看取り、荼毘に付されるまでそばに寄り添っていたため、目の前で起きていることは明らかに事実なのですが、もうこれからは電話にも出ない、メールも返ってこない、声をかける身体はもうどこにもない、その突きつけられた現実にただただ打ちひしがれています。
KAZUさんの生還を信じて待っていてくださる方、毎日応援コメントを下さる方、ご自身の経験を踏まえKAZUさんにアドバイスくださる方。
本当に多くの方のKAZUさんへの愛情をいただき、本人に代わりましてお礼申し上げます。
ほんとうにありがとうございました。
KAZUさんから数通メモを預かっていたのですが、それらを少しずつ披露していこうと思っていた矢先の急逝となってしまいました。
その中からひとつ紹介させていただきます。
「病気になって、私はこんなにもやさしい人たちに囲まれていたんだときづきました。
食欲はまったくありませんが抗がん剤治療の体力をつけないといけないのでがんばって流し込んでいます。
熱が下がらず、息が苦しくなります。
気が遠くなると、竹ちゃんの顔が浮かびます。
淋しいのかな。
でもできたら愛護法をみとどけたい。
ひとにぎりの保護しか出来ないくやしさ。
きっと後半は飼養者責任が議題になるでしょう。」
KAZUさんの猫保護活動は多くの人に支えられていたからこそ出来たことでした。
一個人のボランティア活動でありながら、ここまで大きな影響力を持つに至ったのは、ひとえにKAZUさんの人柄、魅力、人間性に多くの方々が共感し、応援してくださったからであることは間違いありません。
純情仔猫物語のブログを始めて早5年が過ぎ、それ以前から活動を始めていましたから、それ以上の期間で多くの小さな命を救ってきました。
まさに泣き笑いのブログには、彼女の心からのやさしい思い、生類に対する慈しみがあふれていました。
私自身、そんなKAZUさんに魅了されていた人間の一人です。
KAZUさんを失った悲しみは皆さんが抱くものと変わりありません。
今この世界にKAZUさんがいないと思うと、心臓の鼓動が早くなり、動悸が抑えられません。
私も皆さんと同じように、KAZUさんが元気になって戻ってくると信じていましたので、もっともっと言いたいこと、伝えたいことがありました。
彼女への感謝の気持ち、お礼の気持ちもどれほど伝えられていたか、悔やまれることしか思い浮かびません。
もっと早く大きな病院で検査入院させていればよかった、仕事を休んででももっと話を聞いてあげればよかった、もっとわがままを聞いてあげればよかった。
でも、ひとつだけ言えることは、病床のKAZUさんは本当におだやかで、やさしい顔をしていました。
今まで気にもしなかった自分自身への愛情、そして自分が思っていた以上の皆さまのKAZUさんへの気遣いややさしさ、そういったものに初めて気づいて感謝していました。
「ひとしきり、泣いて、悲しんで、でもその後は笑って、元気に、他人への感謝を忘れずに。そして自分を大切に。
皆さん、今まで本当にありがとう。」
KAZUさんがそう言っていることは確信できます。
KAZUさんなら、今頃、虹の橋を見つけているでしょうか。
竹ちゃんとめぐり合っているでしょうか。
多くの恵まれなかった小さな命たちと一緒にいるでしょうか。
KAZUさんの死をどのようにとらえるのか、人によってさまざまだと思います。
私はまだその現実にきちんと向き合うことすら出来ていません。
多くの方に悲しみを与えてしまうことを思えば、胸が苦しくなります。
KAZUさんを生還させられず、本当に申し訳ありませんでした。
純情仔猫物語をすぐに閉鎖させてしまうことなどはありません。
少しずつでも更新していきたいと思っています。
たぶん、KAZUさんもそうして欲しいと思っているでしょう。
申し訳ありません。上手な話の終わり方が見つかりません。
また、落ち着きましたら、更新したいと思っております。
お親しい方々を差し置いての投稿をどうかお許し
下さい。
信じられないし、信じたくない。
正直な今の気持ちです。
でも、一番お辛かったのは、勿論戦い抜かれた
KAZUさんもご家族の皆様もですが、ミッキー部長様
だと思います。
KAZUさんのご入院後、ご自身の生活もある中、
本当にありがとうございました。
・・ごめんなさい。今はこれだけしか書けません。