御所籠は、私にとってはただのお点前ではなかった。
日本の戦後の復興に、大きな役目をしたと聞いた。
私の父が外地から無事帰れたのもこの籠のお蔭、父は否定したが、それ故に私の命があるのである。
軽い籠だが、私には若いときから重い重荷を背負った籠であった。
先生から伝授を受けたのは、茶名のあと一回限りである。
自分一人で何度も何度もお稽古した。
最近は上級生の生徒さんと特訓もした。
茶箱が大好きな生徒さんは、さすがに呑み込みも早く、毎年終戦記念日が近づくと二人で祈りを込めて茶を立てた。
私には、終戦記念の茶箱なのである。
父が無事帰れたのも、長男で一人っ子、高度な政治的配慮で、戦後の復興には英才教育を受けた長男を死なせてはいけないとの運動が起こったという。
今と違い、その当時の長男は一家の柱。
日本の復興には欠かせなかったのだう。
茶箱を抱えて、お家元は走り回った。
日本の戦は敗れても、国を再建する闘志に燃えた。
当時は皇室の御所籠は、水戸黄門の印籠!
事実はどうあれ、多くの特攻隊員の長男は生き残る。
苦しい思いを胸に秘めて、父もそうだが、生き残りの汚名を顧みず、日本の再建全力で取り組んだ。
お家元も世界中を行脚した。
今年は米寿、88歳でおられるのにいまだに世界に向かって茶道を広めておられる。
もう、本当に隠退なされて、体をいたわり、長生きをしてほしいと私は思う。
でも、お家元の気持ちも分かる私である。
御所籠を年老いた家元が、のんびり楽しむ姿が夢に浮かぶ。
御所籠は、拝見あるのが正式と思う。
由緒あるお点前である。
今日は昔の御所籠の写真が出てきたので、感傷的になってしまう。
今の新しい教室の一回当たりにあった昔の教室でのお稽古である。
御所籠は、なかなか写真に撮る余裕がない。
我が家の家猫ミミの写真が出てきた。
懐かしい写真である。
もう、三回忌だろうか。
可愛い猫であった。
今は私は外、狸。
妻は内緒でベランダで足の悪いハトを飼っている。
どちらも悪いことだが、これだけは誰が何と言おうと助けないわけにはいかない。
何か、大きな環境の変化が起きている。
人間が人間でいることさえ、難しい世の中なのだと思う。
私はそんな大きな変化の中でも頑固に茶道一筋、この道を行く覚悟である。