24年前、大韓航空機はどのように爆破されたのか(5/5)
「爆弾を持って飛行機に乗ったら“ようこそ”とあいさつされた…そのとき初めて南の人を見た」
-選抜されたとき、選ばれた人間だと感じたか。
「中央党は力がある上、神のような存在の金日成国家主席に最も近くでお仕えするところだ。そこに選抜されたのだから、光栄に思い、浮かれていた。親元を離れるさみしさはなかった。まだ若かったから」
-自分が何をすることになるのか、いつ知ったのか。
「初めて妙香山地区にある“金星政治軍事大学”に入ったときだ。そこで“密封教育”を受けた。統一のために働くという革命家のプライドを学び、統一革命で失敗したケースの分析、情報収集、抱き込み、行軍、格闘、射撃訓練、秘密のアジトに隠れる方法などを学んだ。その後も韓国人化教育、日本人化教育、中国人化教育、海外実習に至るまで、7年8カ月にわたり工作員になる教育を受けた」
-なぜ工作組を2人で編成するのか。
「1人では送らない。互いを補い合う面もあるが、監視する役割も果たす」
-金勝一と日本人親子を装ったが。
「おじいさんは6・25戦争(朝鮮戦争)のころからその部署で働いていたと話していた。病弱な老人と若い娘が一緒に旅行していれば、疑われることはなかった。実際に薬を調達してあげたこともあった。手に負えず“休んでいこう”とよく言っていた。1984年にも、一緒に海外を旅行した。そのとき、おじいさんは事業のため一時韓国を訪れた。おじいさんと一組になったのは、その経験を私に引き継ぐためという目的もあった」
-金勝一とはよく会話をしたのか。
「工作員は自分の正体を明かさない。お互いのことを尋ねてもいけない。自分の本名も漏らさない。おじいさんは私を“真由美”と呼んだ。二人は日本語で会話した。もちろん、長い間一緒にいると、相手について少しは知ることができる。取り調べを受けたときに出した資料は、そうして得たものだ」
-金勝一はどういう人物だったのか。
「温厚で、本を読むのが好きな研究家だった」
-そんな人物が工作員になったということか。
「性格とは関係ないのではないか」
金勝一はバーレーン空港で正体がばれたとき、毒薬のアンプルを飲み込み自殺した。遺体は韓国に移送され、解剖された。当時の体重は45キロにも満たなかったとされる。
崔普植(チェ・ボシク)記者
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