24年前、大韓航空機はどのように爆破されたのか(4/5)

「爆弾を持って飛行機に乗ったら“ようこそ”とあいさつされた…そのとき初めて南の人を見た」

 土曜日の午後、2人はバーレーンに降り立ち、ホテルに泊まった。イスラム圏では日曜日が公休日ではなく、旅行会社が営業していることを知らなかった。そのまま2日間、滞在した。

 「アラブ諸国についての基本情報が全くなかった。工作資金の問題で、机の上だけで作戦を立てていたからだ」

 2人に対する追跡が始まった。バーレーンの入国カードに「真一」「真由美」と書いたことが端緒だった。日本人なら、「蜂谷真一」「蜂谷真由美」とフルネームで書くか、あるいは「蜂谷」という姓だけを書くからだ。

 「おじいさんがそう書けと言った。身元が完全に判明しないようにやったことだが、それが発端になるとは思っていなかった。おじいさんのパスポートは本物の日本人のパスポートを盗用したもので、書類上は偽造ではなかった。だが、私のパスポート番号は男性に使われる番号だった。けれどそのときまで、欧州でも摘発されたことはなかった」

-その日の夜、韓国大使館の職員がホテルにあなたを訪ねて来なかったか。

 「捜査網が狭まっているのを感じた。私は知らないふりをして横になっていた。おじいさんと筆談した後、帰って行った」

-その職員が帰った後、どういう会話をしたのか。

 「おじいさんが“爆発したのは確実なようだ。証拠がないため私たちを逮捕することはできない”と言った。翌朝、空港に向かうとき“悠然と行動しろ。飛行機に乗れば済む”と言った。それでも“万一のために…”と、マールボロのたばこ(毒薬のアンプル)を手渡された」

■「大学2年のとき工作員に選抜、映画で春香役を演じると思っていた」

 金元死刑囚は、幼いころは女優、その後は外交官になるのを夢見ていた。そんな金元死刑囚は、平壌外国語大学日本語科の2年生だった1980年(当時18歳)、工作員に選抜された。

 「書類を検討し、学校に来て私のことを把握した後、中央党の幹部が3回面接した。父は外交官(当時、駐アンゴラ大使館で勤務)だったため、出身成分はよかった。私は優等生で、日本に侵入させるという目的のためには、日本語を学んだ私に白羽の矢が立ったようだ」

-そのとき、「工作員」を選抜する審査だと知っていたのか。

 「選ばれたときは分からなかった。当時“『春香伝』の映画を撮る”という話が広まっていたため、春香役を演じるのだろうと思っていた。金正日総書記がかなり関心を持っていた映画だった。選抜審査の後、中央党の幹部が乗用車で家まで送ってくれ“服をまとめてトランクに詰めろ。きょうは休み、あす連れに来る”と言った。私がどうなるのか、親さえも正確には知らなかった」

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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