大韓航空機爆破事件から24年、金元死刑囚が語る(5/5)
-心の底から、あの事件について罪悪感を抱いているのか。
「当時、私は統一を目指す革命家だった。爆破は罪ではなかった。革命家として任務を遂行したわけだ。しかし取り調べを受ける中で、法廷で遺族と会う中で、私自信の人間性を取り戻していった。私がしたことは、統一のためのものではなく、大きな犯罪だということを悟った」
-1997年末、あなたを担当していた元安企部捜査官と結婚した。
「私にとって、安企部のセーフハウスが第二の故郷だった。親しくなった人は捜査官だけだった。しかしこの人々は、勤務地が変わると離れていった。いつまでこうして保護され、生きなければならないのか。独り立ちしなければならないのではないか。社会に適応するため、親類の家で少し暮らしてみたこともあった。安企部では、私に修道女になるよう勧めたこともあった。結婚はできないだろうと思った。外の誰かと自由に会える状況でもなかった。そして今の夫に結婚したいとせがんだ」
金元死刑囚の夫は「あのとき、私はとても悩んだ。金元死刑囚と結婚したら、安企部という職場を離れなければならないからだ。安企部でも、保安上の問題でかなり悩んでいた。安企部から結婚の許可が下りるまで2年くらいかかった」と語った。
-結婚生活で夢見たことは。
「私を理解してくれる人と、田舎で静かに暮らすことを望んだ。外に出ず、前政権の前まではそうして暮らしていた」
-小学5年生の息子と3年生の娘がいると聞いた。子どもたちは母親の過去について知っているのか。
「まだよく知らない。ただし、マスコミに出たので少しおかしいと思っているようだ」
-近所で子どもの保護者同士、交流する機会はあるか。
「そうした集まりに出ることはない。もしかすると、近所で私のことに気付く人がいるかもしれず、わざわざ会うケースはない」
-子どもたちは家に友達を連れてきたりするのか。
「遊びに来にくい。警護員がいるし」
-あなたの子どもがどのように成長することを望んでいるか。
「平凡に自由に」。私生活に関して、金元死刑囚の答えは短かった。金元死刑囚夫妻は、家に固定電話も、携帯電話も置いていない。公衆電話を利用するか、警護員を通じて連絡を取るだけだ。今回のインタビューには4人の警護員がついて来た。
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