大韓航空機爆破事件から24年、金元死刑囚が語る(4/5)

 金元死刑囚は、大法院(最高裁に相当)で死刑判決を受け、15日後に特別赦免(1990年4月12日)された。金元死刑囚の助命は、大韓航空機爆破事件が金総書記の指示によるテロだということを証明するためだった。金元死刑囚が、歴史的事件の「唯一の証人」だったからだ。金元死刑囚の証言で、米国は北朝鮮を「テロ国家」に指定し、ベールに包まれていた日本人行方不明事件が北朝鮮による拉致だったことも判明し、日本列島を揺るがした。

あなたはこの場でインタビューを受けている。生きているのは、あなたにとって祝福なのか、地獄なのか。

 「当時、バーレーンの空港で自分の正体がばれたとき、準備していた毒薬のアンプルをかんだ。あのとき死ぬべきだった。死に切れず生き残ったとき、本当につらかった。前政権のときも死にたかった。私は大きな罪を犯したが、私を生かしたのは“証人”だからだ。真実を守らなければならない…」

「安企部の捜査官にわたしからプロポーズ…結婚の許可が出るまで2年」

 金元死刑囚は特別赦免を受けた後、『いま、女として』(1991年)という手記を発表しベストセラーになった。

 「亡命者には国家補助金が出るが、私のように摘発された人間にはそれがない。安企部では、生きていくために本を書けと勧められた。それがよく売れるとは思わなかった」

『いま、女として』というタイトルはどういう心境からつけたのか。

 「出版社と相談してこのタイトルにしたが、私の気持ちも少し入っていた。若いころ工作員として選抜され、革命家として生きてきたが、これからは平凡な人間として生きたかった」

この国で平凡に生きていけると思ったのか。

 「そう願っていた」

著書の印税8億5000万ウォン(現在のレートで約6287万円)を大韓航空機爆破事件の遺族会に渡したと聞いた。

 「当時遺族と会い、握手をして、たくさん泣いた。遺族は“とても胸が痛い。しっかり生きていきなさい”と激励してくれた。あの方々に対する罪の意識は、私が一生抱えていかなければならない重荷だ」

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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