大韓航空機爆破事件から24年、金元死刑囚が語る(2/5)
-当時の世論の雰囲気から、国情院の側に苦悩があったようだ。
「私が拒否すると、国情院に夫を呼んだ。“あくまでそうするのなら、テレビ出演はやめ、国情院で神父様(大韓航空機爆破事件は安企部の謀略事件なので再捜査せよという署名運動をしていた正義具現司祭団を指す)と同席する中、説明会を開くことにしよう”と提案した。夫は仕方なく受け入れた。ちょうどそのとき、MBCの『PD手帳』チームが私のもとへ押しかけた。私は赤ちゃんを背負い、夜逃げしなければならなかった」
-韓国社会でメディアの取材は自由だ。あなたはニュースメーカーだったので、積極的な取材と無関係ではいられないのではないか。
「私の最高の保安事項は居住地の情報漏えいだ。故ファン・ジャンヨプ先生(元労働党書記)に対しても、北朝鮮はテロを実行しようと暗殺団を送り、李韓永(イ・ハンヨン)氏(金総書記の元妻のおい)も居住地の情報がもれて殺害された(1997年)。そのため、かなり前から警察が私を保護していた。ところが自分たちの思い通りに動かないと、私の居住地の情報をもらしてしまった」
-メディアが独自にあなたを探し出して取材した可能性もあるのではないか。
「国情院が情報を流した事実を、私は知っている。これは、保護すべき事件の“証人”を抹殺しようとするものだ。寒い冬の日、赤ちゃんを背負って行く場所などない。安い一間の部屋で、これまで9年間暮らしている」
-大韓航空機爆破事件の遺族の一部も、あなたを「偽者」だと主張している。
「庶民と労働者の政府だと言いながら、中東に出稼ぎに行った労働者の犠牲、その遺族の悲しみを政治的目的で悪用した。司祭団が先頭に立ち、そんな世論づくりをした。私は理解できない。北朝鮮では、聖書が見つかっただけでも反逆罪に問われ、家族が抹殺される。神を否定するそんな政権を擁護し、金正日政権が起こした事件を“韓国がやった”となすり付けるのだから、司祭の服を着たあの人々は、本当に神を信じているのかどうか分からない」
-当時、国情院から外国に移住することを勧められたそうだが。
「国情院の職員がやって来て、直接そう言った。2年くらい行ってこいと。私を保護していた管轄の警察署からは“よその地区に移るように”と脅迫された。“牛乳を飲むな、(私たちは)毒を入れることができる。新聞を見るな、炭疽(たんそ)菌を塗ることができる”というように。私たちが借りていた店には、営業ができないよう裁判所の赤いラベルが張られた。(涙を流し)とても全部は話せない」
- 1987年12月15日、韓国に護送される場面。/写真=パク・チャンソン記者
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