十四日の日曜日、千葉県木更津市の親類宅で法事があった。お盆休みが終わると、ほどなく稲刈りだ。整備を終えたコンバインが出番を待っている。読経を終えた菩提(ぼだい)寺の住職が「放射能汚染がないよう願っています」と手を合わせた。
お盆といえば先祖の供養に加え、久々に顔を合わせる親類が仕事や家族のことなど、談笑のひとときを過ごすのが常だったが、この夏は放射能への恐れを口にする場に一変した。
東京電力福島第一原発から二百キロメートル以上、ほぼ同じ距離にある近くの早場米産地、鴨川市での調査が「シロ」と知り、安堵(あんど)はしたが、自分たちの水田調査はこれからだ。放射性物質の分布は近接地でも異なるので身構えざるを得ない。
福島の事故後、官房長官が連発した「当面は問題ない」をよそに、原発周辺はもとより、高放射線量のホットスポットが遠隔地でも確認された。放射性セシウムの汚染はエサの稲わらを通じて全国の牛にも及び、放射性の汚泥処理に手を焼く自治体も増えている。
震災直後に水素爆発した二基の原発が放射性物質を広範囲にまき散らした。専門家の指摘である。もはや放射能と暮らす日常から逃れられなくなったと受けとめるべきなのだろう。除染を急がなければならない。
原発偏重のエネルギー政策を白紙からどう見直すのか。まず放射能汚染の実態を議論の出発点に据えるべきだと思う。 (羽石 保)
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