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[28802] (SO3)その後のデメトリオ
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/07/12 21:57
 これはスターオーシャン3の番外編です。
 私自身、けっこう変わった性格をしておりまして、自分でオリジナルの小説を作ることはほとんど無いのに、今回投稿する小説のように、特定のゲームに登場するエキストラ的な登場人物や、あるいはゲーム本編には登場しないオリジナルキャラなどを主人公にした小説などが好きです。
 今回はタイトルの通り、ゲーム本編で崖から落とされて死んだとされるボスキャラ(かなり弱かった。あれ以後、登場しないキャラ)である、デメトリオが主人公です。元々この小説は何年も前に『エキストラ達の物語』というタイトルで別のサイトに投稿したのですが、いざデメトリオの物語が終わって、さて今度は誰を主役に書こうかという段階に来て、どうしても思いつかなかったので、一旦放っておいたんです。
 でも2年くらい前になって再び投稿小説のサイトを見つけ、そこで『その後のデメトリオ』というタイトルで投稿しました。
 そして最近になって、このサイトを見つけたので、こちらも投稿したいと思った次第です。



[28802] 第一部  プロローグ 出会いのキッカケ
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/07/12 21:59
 
 
 
 そこから見上げた空は……限りなく狭かった。
 代わりに、視界の大半を占めるのは、二百メートル程の高さを持つ崖。二つの崖に挟まれるようにして、わずかな空が『道』のように見えているのだ。だが空が見えているうちは、まだ良いほうである。普段なら大抵、崖のあいだに濃厚な霧がかかっており、それらが太陽の光を遮る。崖の上―――すなわち地上だ。地上の人間が下にいる人間を見つけられないのも、それが原因だろうと考えられる。
「というより、それ以前に誰もここの上を通りかかる事なんてないよね。誰も通らないんだから、誰も私を見つけてくれない……当然だよね」
 彼女は寂しげに、独り言を口にした。
 この谷に落ちたのが3年前。当時は崖下の川が増水し、溢れ返っていたから死なずに済んだ。
 神に―――アペリスに感謝した。
 後日―――アペリスを死ぬほど恨んだ。呪ったと言っても良いほどに……。
 地上に帰る道など、当然ながら無い。これだけ険しい崖を、ロッククライミングする勇気なども無い。誰が見ても『不可能』という単語にしか辿り着かない。
 絶望しているが、生きている以上、自殺するつもりは無いし、まだそこまで絶望していない。
 誰にも会えない日が続き、そのためか独り言が自然と増えていった。
「私……いつまで生きられるのかな?」
 悲しげに……を通り越し、虚無感すら感じる声で、彼女は呟いた。
 いつまで生きられるか―――と言っても、彼女は病気でもなければ大怪我もしていない。健康である。何度も何度も着たり洗濯したりしすぎたせいで薄く透き通る布になってしまった服から見える身体のライン。タンクトップにも似た服から露出した、艶めかしい肩や腕。同じようにスカートから見える脚。そのどれもが健康であり、そして美しい。
 そして何より、彼女は美人だった。
 肩を越えるくらいの金髪に、晴天を思わせるような蒼い瞳。かなり整った顔立ち。
 今の彼女の目は、まだ死んではいない。しかし悲しく、そして悔しさの色を呈したまま、空の道を瞳に映していた。
「……ここから出たい。自由になりたい。あの空の向こうへ飛びたい」
 声に出してから、涙が溢れてきた。最後の『空を飛びたい』というのは、この谷から出られないことに絶望したときから、寝ても覚めても妄想し続けてきたことだ。
 
 ―――飛べなくてもいい。せめて自由が欲しい。そして誰かの温もりが欲しい。
 
 何千、あるいは何万回もした妄想。
 
 ―――分かってる。さんざん外に出る方法は試したのだ。それでもダメだから―――
「あたし……っ、もう……ここから出られない……っ」
 彼女はしばらく肩を震わせ、嗚咽を堪えて泣き続けた。
「アペリス―――か。神様は一体、何をしているのかな?」
 答えは返って来なかった。
 おそらく自分はここで果てるのだろう。
 無心論者という言葉があるが、生まれたときから神を信じて生きてきた以上、今さら神を否定はしない。代わりに怨嗟の言葉を吐くだけだ。同時に、自分の身が滅びるときを待つだけだ。
 
 
 
 
 
 満身創痍のエアードラゴンの上で、同じく満身創痍の青年は辺りを見渡した。
 何人もの部下―――いや、仲間たちが死んだが、それでも半数くらいは逃がすことができた。
 青年の上に影が落ちた。見上げれば、自分達の『疾風』部隊を全滅させた三人が、自分を見下していた。一人は敵国であるシーハーツで有名なネル・ゼルファー。あとの二人は、アーリグリフに落ちた謎の物体に乗っていた二人の男だ。
(まったく……こいつらには度肝を抜かされる……)
 エアー・ドラゴン―――このゲート大陸の生態系ピラミッドで、上から数えて指折りの位置にいる存在だ。……まだまだ『上』の存在もあるかもしれないが、今のところそういった存在は聞いたことは無かった。
 とにかく、そんなドラゴンに跨り、空を駆ける飛竜騎士団『疾風』は、老若男女を問わずに憧れる存在だ。その強さもさることながら、人類が幼少の頃から憧れる『人が空を飛べる』という唯一の方法でもあるからだ。
 自分が空を飛ぶことに憧れ、一般的な騎士になるまでは『貴族』という肩書きと親の七光りであっさりとなれたが、『疾風』になるには実力と、そしてエアー・ドラゴンと契約するという命がけの儀式が必要だった。
 修業をした。
 一言で言うなら、それだけの事だ。当然ながら、その苦労は並大抵のものではない。
 それらを走馬灯のように思い浮かべながら、彼はエアー・ドラゴンに跨り―――しかし地面に這いつくばりながら、目の前に立つ女を睨み上げた。
 その視線を、ネル・ゼルファーは気にした様子も無く、挑発的な口調で言った。
「どうしたんだい? この二人がアンタの言うこと聞かないと、アタシ達3人はここで死ぬことになるんじゃなかったのかい?」
 彼女たちと開戦する寸前、跨った竜の上から青年は、彼女達を見下すつもりでそう言った。相手がどれだけ腕に自信があろうとも、所詮(しょせん)は歩兵が3人。それに対してこちらは竜騎士が5人。負けるはずの無い戦いで、思ったよりも早くに敗れたのだ。どうやら相手は、歩兵でありながら人間離れした実力の持ち主だったようだ。3人とも。
 青年は悔しげな顔をした。もっとも、全身を包んでいる鎧のおかげで、その顔が三人に見られることはない。青年は『せめて嫌がらせだけでも……』と思い、
「だがな……国同士の戦では、我々が勝つのだ。弱者は所詮、強者の奴隷でしかない……」
 嫌味をたっぷりと込めて言ってやった。そう、相手のシーハーツ国は大国であり、しかも『施術』という魔法じみた力を有する国家だ。だが自分達が属するアーリグリフ国は、その数倍の国土・軍勢と、何よりも竜騎士『疾風』がある。この戦力差を覆せる賢者など居ない。
 苦し紛れに吐いた嫌味に、ネル・ゼルファーが怒ったのかどうかは、彼女の表情からはうかがえない。彼女はただ一言、
「アンタ……うるさいよ」
 ポンと、無造作に放たれた彼女の蹴りは、エアードラゴンと、その上にまたがる青年を奈落の底へと突き飛ばした。
「うわあああああああぁぁぁぁッ!!!」
 重力の影響で、全身が自由落下を始める。
 彼の人生は、そこで終わるはずだった。
 今までに何度も死線を潜り抜けてきた猛者ではあったが、この時だけは死を覚悟していた。
 こみ上げる恐怖を感じつつ、青年―――『疾風』副団長は意識を失った。
 代わりに、それまで意識を失っていた飛竜が身をよじらせ、グライダーのように空気抵抗を受ける体勢をとった。命の終わりを感じつつも、己の相棒(主ではなく、彼らは相棒と解釈している)を死なせないために。
 
 
 
 
 
 崖の下に閉じ込められた彼女と、そこに降ってきた彼。
 これは誰かが世界の命運をかけた戦いの道を歩んでいる時、誰も見てないところで起こった物語である。
 
 
 



[28802]  1章 ここはどこ?
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/07/13 22:55
 ―――ドスンッ!
「うわっ!?」
 夢の中で硬い地面に叩きつけられ、その時の悲鳴で青年は目を覚ました。
「今のは夢か? って、ここはどこだ!?」
 一瞬で眠気が覚める。勢い良く上体を起こすが、視界が真っ白になっていた。両目を負傷したのだろうか。それと同時に気付く。自分はバンザイのポーズをしていた。
「あ、ごめん。着替えさせている途中だったから」
 若い女の声に驚き、今の現状を把握する。身動きを止めると、誰かがシャツを下に引っ張る感触がし、続いて視界が開けた。辺りを見渡すと、木造の部屋の壁・床・天井、そしていくつかの家具が目に映った。どうやらここは、どこかの民家のようだ。
「目が覚めたようね」
「ん? うおっ!?」
 突然呼びかけられ、ふと自分の隣を見た青年は驚いて声を上げた。呼びかけてきた声の主はそこにいた。自分が寝かされているベッドに腰掛け、まるで寄り添うような至近距離で、自分の顔を覗き込んでいる。
 突如、その顔がプゥッと膨れ、
「人の顔見て、いきなりそのリアクションはないでしょ?」
「あ、その……すみません。その……ここはどこで、あなたは誰でしょう?」
 すると女性は、青年の顔を真っ直ぐに見据えたまま真剣な声で、
「ここは死後の世界」
「嘘ぉッ!!?」
「嘘よ」
「…………」
 女性はゆっくりと立ち上がり、金髪頭を掻き、
「驚いたわ。さっき外で洗濯をしていたら、上流から人が流されてきたんだもの……」
 特に驚いた様子の無い声で言う。
 青年はとっさに気付き、
「じゃあ、俺を助けてここまで運んできたのは……」
「私よ。ついでに着替えさせてげたのもね」
「ははは……」
 青年の口から乾いた笑いが漏れた。シャツだけならともかく、どう考えても今穿いている下半身の下着まで乾いたものになっている。
「ともかく、命を救ってくれて、ありがとう。えっと……」
「何?」
「君の名前は?」
「ああ、なるほどね。私はフィエナ。フィエナ・バラード」
「俺はユリウス。ユリウス・デメトリオだ」
 青年――ユリウスが名乗ると、フィエナは首をかしげた。だがすぐに思い当たったのか、
「……デメトリオ? ―――ああ。たしかあなた、アーリグリフで疾風の副団長やってた人ね」
「へぇ……俺も有名になったもんだな。そういう君は……」
 そう言って、ユリウスはフィエナの肩を指した。ノースリーブの薄手のシャツから、大きな刺青が見え隠れしている。タトゥーが趣味でない限り、この大陸で彫り物をするのは一つしかない。
「君は施術師だな。シーハーツの?」
 シーハーツの住民でなくとも、施術師は存在する。隠密の者が仕入れてくる情報により、アーリグリフ人でも何人かは施術が使えるのだ。ユリウスもまた、その一人である。またどういう経緯を通じてか、最近では盗賊でも施術を扱える者が増えている。
「ええ、そうよ。シーハーツ人がアーリグリフ人を助けたことが不思議なの?」
「まあ、そりゃあな。だってお互いに戦争してんだぜ?」
 口で言いながらも、なぜか目の前の女性には、敵対心が見られなかった。同じくユリウスも、不思議と敵対心が沸いてこなかった。
「それもそうね……。でも、理由を聞いたら納得してくれると思うわ」
「……理由?」
 首を傾げるユリウス。
「じゃあユリウス、今から質問するから答えて。いま私達がいるここはどこだと思う?」
「うーん、窓から差し込む光の明るさからして……カルサア?」
 ゲート大陸では、地方によって光の明るさが大きく異なる。王都アーリグリフでは、常に雪が降り続いているためか、ほんの少しだけ薄暗い。それに比べると、ここの明るさは常に砂埃の舞っているカルサアの町と、ほぼ同じくらいと言える。
「まあ、たしかにここはカルサアだったわね」
「……『だった』?」
 その時、ユリウスは猛烈な不安に襲われた。どこかで聞いたことがある。
 フィエナはそんなユリウスを見て、悲しげな顔をしながら言った。
「昨日、あなたはカルサア山道から落ちてきたの。だからここは、あなたが落ちた崖の下」
「………………じゃあ、この家は?」
「数十年前まで使われていた、旧カルサアの村の中の家よ。アーリグリフ人なら場所までは知らなくても、聞いたことはあるはずだわ」
 旧カルサアの村―――アーリグリフの住人全員とまではいかなくとも、カルサアに住む者、もしくはユリウスのようにカルサア出身の者ならば誰でも知っている事である。
 カルサア山道よりも遥か二百メートルもの崖下に存在する村。村には唯一の出口と呼ばれる坑道があり、そこが外界との接点となっていた。ある日のことだ、事前に坑道が崩れ落ちることに気が付いた者が村人を村から避難させた。そして坑道が崩れ落ちたのは、その翌日のことだった。
 それ以来、ここは陸の孤島と化したのだ。分かりやすく言えば、ここにいる時点で、もうここから地上へは戻れないということになる。
「この村に住んでいた人達がね、急いで避難したものだから、村の中にはいろいろな物資があったわ。しかも畑付きで。おまけに村と隣接するように流れてる川があるから、魚だって食べられるし―――」
「ちょ……ちょっと待って! じゃあ何で君は、こんな寂しい所に住んでるんだ?」
「―――落ちてきたのよ。大嵐の日にね」
 再び悲しげな顔になるフィエナ。
「あの時、私はとある任務の帰りにカルサア山道を通ることにしたの。本当なら嵐が去るまで待ったほうが良かったんだけどね、どうしても急がなければ間に合わない状況だったわ。仕方なく山道を通っていたら案の定、足を滑らせて崖下まで一直線。落ちたところが偶然にも、増水した川の中だったから助かったの。―――もう3年も前の話よ」
「…………」
 フィエナの言葉は信じられないものだった。こんな所で誰にも会うことなく、彼女は3年間もの間、孤独に暮らしていたというのか?
「あれ? じゃあ、俺はどうして助かったんだ? 俺の時は嵐どころか、快晴だったぞ?」
「あなたの場合なら……エアードラゴンにでも乗ってたんじゃないの? って言っても、当のドラゴンの姿は見当たらないんだけどね」
「エアードラゴン………ゼノンの奴か!! あいつ……俺を助けようと……?」
「でも、そのドラゴンの姿は見当たらなかったわ。残念だけど、もう死んでると思った方がいいわ。川で流されたのかもね。ずっと下流の方へ行ったら、水が地下に潜るようになってるの。あそこに流されたらもう、戻れないわ。ある意味で、この谷からの唯一の出口かもね」
 それを聞いた瞬間、ユリウスは目の前が真っ暗になったような錯覚を覚えた。目から一筋の涙が流れ落ちた。自分のパートナーとして共に戦ってきた戦友が、共に生き抜いてきた友が、自分の知らないところで呆気なく死んだのだ。
 肩を震わせ続けるユリウスに、フィエナは優しく声をかけた。
「しばらく一人になりたい?」
「―――ああ」
 ユリウスがそれだけ答えると、フィエナは黙って部屋を出て行った。
 
 
 
 
 
「さて……どうしたものかしらね」
 フィエナは当ても無く、村の中央の辺りをウロウロしていた。
 旧カルサアの村は、全体が崖に○形に囲まれた村だ。ここから少し歩いた村の端に川が流れていて、その川に沿って崖も続いている。ユリウスが落ちてきたのは川の上流の方だった。ユリウスの話から推測すると、おそらく彼が乗っていたエアードラゴンのお陰で、彼は助かったらしい。
「辛いでしょうにね、彼。二度と帰れなくなっただけでなく、大事な仲間が死んじゃったんだものね……」
 フィエナも一応、軍人なのである。それもただの軍人でなく、施術と通常の戦闘能力を併せ持つ上等兵―――別名『シーハーツ六師団』の中の幽静師団『水』の副団長なのだ。仲間の死を見ることなど、戦時中では日常茶飯である。だからこそ彼女にも、ユリウスの気持ちが痛いほどよく分かる。
 だが本当に辛いのはこれからなのだ。たしかに仲間の死は辛いが、時が経てば次第に落ち着くものである。それに比べて、二度とこの谷から抜け出せない苦しみは、はっきり言って想像を絶する。
「思い出すわね……あの日の事を―――」
 3年前の、あの日。
 フィエナにとってそれは、全てを無くした日と言っても、あながち間違いではなかった。
 一般に『全てを無くす』と言えば、大切な人が死んだり、あるいは信じていた人々に裏切られたりすることである。それも大切な人の全員に。フィエナの場合、それらの人達は生きている。3年ほど会ってはいないから、今でも生きているという保障はどこにも無いが。
 一度だけ―――たった一度だけ、崖の上で『足を滑らせる』などというドジを踏んだだけだというのに、二度と地上へは戻れない地へ来てしまった。
「アペリスは何を考えているのかしらね。私を―――ひと一人をこんな孤独な地獄へ叩き落しておいて、それでもまだ神様を気取ってるっていうの? それともユリウスを私と同じ境遇にしておいて、『仲間を増やしてやったから感謝しろ』なんてほざく気?」
 聖王都シランドでは、口が裂けても言えない言葉で吐き捨てる。だがそれでも、彼女は神の存在を疑おうとはしなかった。シーハーツの人間はそういう人ばかりである。人は辛い境遇に立たされた時、『この世には神などいるわけがない』と言ってしまうが、生まれた時から宗教色に染まっている者は、そう簡単には神の存在を否定しようとは思わない。もっとも、口から出る言葉には、神に対する敬意など、微塵も感じられないが……。
 空の道を見上げた。崖に挟まれ、霧でかすみ、ひどく狭くなった空色の道が見える。
「ねえ役立たずのアペリス。私みたいな人間に悪口言われて悔しい? でも現に役立たずでしょ? 何のために神様なんかやってるのか知らないけど、困ってる人を助けないなら辞めちゃいなさいよ。神様なら神様らしく、奇跡の一つや二つくらいは起こして、私達を助けてくれたっていいんじゃない?」
 言った直後、一人で何言ってるのだ? という、あまりの惨めさに悲しくなり、フィエナは肩を震わせて涙を流し続けた。
 
 
 
 
 
「どう? 少しは落ち着いた?」
 出来立ての料理の皿を片手に、フィエナはユリウスがいる部屋へと入った。相変わらず、ユリウスはベッドの上にいた。ユリウスはフェイト達との戦いによって負傷しているのである。軽傷で済んでいるのは、フェイト達の一行が本気を出していない証である。
「ああ、ありがとな。……その料理は?」
「これ? ああ、さっき言ったようにね、この村には畑があるから食べ物には困らないの。シーハーツには無い野菜もあるし、川へ行けば魚だって手に入るわ。調味料も納屋に行けばいくらでもあるし」
 そう言ってフィエナは、身を起こしたユリウスに料理の皿を手渡し、ベッドに腰掛け、自分も料理を食べ始めた。
「野菜炒めか?」
「ええ。ひょっとして野菜、嫌い?」
 逆に問い返されて、ユリウスは勢いよく首を左右に振った。
「そんなわけ無いだろ。シーハーツではともかく、アーリグリフで野菜と魚は貴重品なんだ。魚は重騎士団『漆黒』の修練所でしか手に入らないし、特に野菜なんて、一般人でも滅多に口に出来る物じゃないんだ。土地が痩せ、おまけに寒さもあって野菜が育たない。陛下が食べ物を階級に関係なく、平等に行き渡るようにしているっていうのに、それでも食えない。ましてや青菜なんて―――」
 皿の中では、青々とした野菜や黄色い豆、赤々とした物さえ入っていた。おそらくトマトやニンジンのような物なのだろう。アーリグリフで手に入る野菜といえば、根菜類オンリーである。貴族といえど、それ以外の野菜は口にした事などほとんど無いはずだ。
 フィエナは柔らかく微笑むと、
「良かった、気に入ってもらえて」
 一瞬、ユリウスは彼女の美しい微笑みに見とれてしまった。
「どうしたの?」
「あ、いや、なんでもない。いただきまっす」
 慌てて視線を逸らし、目の前のご馳走にかぶりつく。野菜独自の旨みや甘味、時には苦味や渋味でさえ、旨さを際立てるスパイスとなりうる。
 フィエナが口を開いた。
「そう言えば……これからどうするの? 一応、掃除すれば他の家も使えると思うけど、良かったら一緒に住まない?」
「ぶっ!?」
 食べている途中、ユリウスは思わず口の中の物を吹き出しそうになるのを、何とか我慢した。吐いてはもったいない。
 いま口の中にあるものを全て飲み込んで、少し乱れた息をムリヤリ抑えながら、ユリウスは口を開いた。
「い、いきなりすごいこと言うなぁ……。もしかして俺に一目惚れ?」
 努めて冷静な、あえて言うならばナンパされるのに慣れているような声を出そうとしたが、今まで生きてきた中で一度もそのようなことを言われたことが無かったため、声は凄まじく不自然になった。フィエナもその様子に気付き、笑いながら訂正した。
「ああ、ゴメンゴメン。なんていうか、『一目惚れ』っていうより、寂しいから……かな? 今朝にも言ったけど、二度とこの谷からは出られないの。3年間もここで一人暮らししてたら誰でも寂しくなるわ」
 言われて見ればそうだな、とユリウスは思った。相棒であるゼノンが死んだ今となっては、この谷からは抜け出すことは不可能だろう。そうなるとすれば、もう二度と人に出会うことは無いだろう。目の前のフィエナを例外として。
 ユリウスの決断は早かった。
「オーケー。今日からお世話になるよ。よろしくな、フィエナ」
 今度はあまりアガらずに声が出た。するとフィエナは手を差し伸べてきて、
「こちらこそよろしく、ユリウス。そして、ようこそ我が家へ」
 差し出された手をユリウスが握ると、フィエナはもう一度、さっきの柔らかい微笑みを浮かべた。先程の微笑みに比べると、やや頬が紅潮した微笑みだった。
 



[28802]  2章 地上から隔絶された平穏
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/07/13 22:57
 それから七日が経った。
 窓から差し込む光に、ユリウスは朝が来たのだと気付いた。ベッドから上半身を起こし、大きく伸びをする。
「―――って、朝日?」
 この谷では滅多に太陽の光が届かない。数百メートルある崖の中間地点の辺りを、常に深い霧が覆っているからだ。ただ霧が濃いだけでなく、厚いのだ。
 そして光が届かないかわりに、利点がある。この谷自体がウルザ溶岩洞に近いためか、1年を通して暖かいのだ。もし溶岩洞が近くに無ければ、光の届かないこの地は季節を問うこと無く、非常に寒いところになっていたはずだ。さらに、この谷は風が吹かない。よって、1年間の気温は1~2度ほどの差しかない。非常に住み心地の良いところなのである。
 もっとも、稀ではあるが、全ての霧が消えうせてしまう日がある。―――例えば今日みたいに。
「んー……」
 ユリウスの真横で、フィエナが寝ぼけ半分に甘い声をあげた。どうやら起きたようである。
「なあ、フィー。前に君が言っていた『霧が晴れた日』って、こういう日のこと?」
 言って、窓の外を指す。
 フィエナは眠そうに目をこすりながら、ユリウスの指の先にある光景に注目した。次の瞬間、
「えっ? 晴れてる!? やった! 行くわよ、ユリー! こういう日は滅多に無いんだから!! 今のうちに洗濯する物、用意しといてね!!」
 そう言って、彼女はそのまま部屋を飛び出していった。
 最初は互いに遠慮しあっている事もあったが、今ではさっきのように、同じベッドで寝るようになっていた。よその家を探せばいくらでもベッドは手に入るのだが、あえてそうせずに一つのベッドを二人で使用しているところを見ると、二人の仲は案外良いようである。
 ……ちなみに、フィーとはフィエナの、ユリーというのはユリウスの、それぞれ略称である。
「たしかにこういう日は洗濯するのに打ってつけだな」
 ユリウスはそう呟くと、フィエナを追うように部屋を飛び出した。
 
 
 
 
 
 この谷へ来て初めて見る日の光は、ユリウスにとって喜びを感じさせた。
 まあ、空がせまく見える分、少し悲しくも感じたが。
 洗濯物は、朝起きてすぐに済ませた。今は二人で畑の草むしりをしている。時間帯が昼頃のせいか、せっせと草をむしる二人の衣服は、大量に掻いた汗で重くなっていた。
「……さっき洗濯したばかりなのに、また洗濯物が増えたな」
 草をむしりながら手を止めず、フィエナに話しかけた。最初にこの谷に落ちたときに着ていた服は、さっき川で洗濯して干してある。いま二人が着ているのは、村の空き家にあった服である。
 フィエナもユリウスと同様、作業を続けながら振り返らずに口を開いた。
「それは仕方ないわよ。だって、こんなに天気が良いんだもの。後で今着ているのも洗濯するしかないわね」
 何となくだが、彼女の口調は初めてユリウスと会ったときに比べ、かなり感情豊かになっていた。どうやらこれが彼女の本当の性格らしく、3年間もの孤独が、彼女から明るさを少しだけ奪っていたようだ。
「でもさ、フィー。それって、スッゲー面倒くさくねえ?」
 たしかに二度も洗濯するのはかなり面倒だろう。だがフィエナはユリウスの方を向き、笑顔を浮かべて言った。
「ユリーはまだ知らないみたいだけど、今日みたいな日は、これからの時間がとっても暑くなるの。今でも崖に隠れて太陽が見えないでしょ? これからこの谷の真上に見えるようになるから、それまでにお昼ご飯を食べて、それから川に泳ぎに行かない? 今日の仕事はここまでにして。ね♪」
 そう言ってフィエナは、柔らかく微笑んだ。この笑顔で微笑まれると、ユリウスは断れなくなる。もっとも、このクソ暑いのに泳がないでいられるわけがない。
「オーケー、俺もその作戦がいいと思うな」
 ユリウスも負けじと笑顔を浮かべて笑った。
 
 
 
 
 
 村の端と隣接する川。
 川幅は10メートル程、深さは30センチから1.5メートルのところまで、場所によって異なる。
 洗濯をするときは大抵、川岸の浅瀬でするのだが、今はは深いところで洗濯することにした。つまり、水浴びしながらである。
「ハァ~、極楽、極楽」
「ちょっと、ユリー……。いくらなんでも、それはオヤジっぽくない?」
 水浴びというより、どちらかといえば『一日の仕事を終わらせてから入る、オヤジの一番風呂』みたいである。
 ユリウスは軽い気持ちで言い返す。
「わかってねーなぁ。汗だくになった時の水浴びってのはな、毎日の水浴びとは格別なんだよ。それに今日みたいな晴天の日ともなれば、なおさらさ」
「何言ってんのよ。『こういう日』だからこそ、泳ぐのが気持ち良いんだから。ねぇ、ユリーも一緒に泳がない?」
 そう言って手を差し伸べるフィエナ。ユリウスはその手をつかんだ。
「それも悪くないな……」
 フィエナに手を引っ張られ、深いとところまで来た。とはいえ、溺れるような深さではない。平気な顔をしているが実を言うと、ユリウスは泳げない。というより、寒い土地であるアーリグリフに住む人間は『泳ぐ』ということを知らない。単語の意味が分からないという訳ではないが、泳ぐ機会が全くといってもいいほど無いのだ。
(今から練習しても覚えられるかな?)
 楽観的に考えてみる。川の流れは非常に緩やかなものである。川の下流にまで流されると危険だとフィエナは言ったが、この程度ならば歩いてでも戻ってくることができるだろう。
 まずは手始めに、川底から脚を離してみた。同時に両腕で水をかいてみる。自然と身体は浮いた。多少は口が水中と空気中とを行き来するが、溺れるということはまず無さそうだ。
 次に両足も動かしてみた。簡単に前進することが出来た。
(俺って才能あんのかな?)
 その様子を見ていたフィエナが口を開いた。
「ねぇ……ユリーってさ、ひょっとして泳げないの?」
 その言葉がユリウスの心臓にグサッと突き刺さった。ユリウスの落ち込んだ様子を見て、フィエナが慌ててフォローする。
「ああっ、そうじゃなくてね! ええと、アーリグリフの人って泳げないのを忘れてたのよ。泳ぐこと無いんでしょ?」
「たしかに無いさ。でもちょっと練習してみたら、意外と簡単だったぞ?」
「ひょっとするとユリーには、泳ぐ才能があったのかもね」
 フィエナはまた、あの柔らかい微笑みを浮かべた。正直に言って、何度見ても飽きない、最高の笑顔である。続けるように、フィエナは言った。
「じゃあさ、今度は潜ってみて」
「潜るって……顔を水の中に漬けるやつだよな?」
「まあ、慣れないうちは私でも少しはためらっちゃうんだけどね。慣れたら面白いわよ?」
 そう言ってフィエナは、ユリウスの側まで泳いできて、そして潜って川底にしゃがみこんだ。
 ユリウスは少しためらったが、覚悟を決めて大きく息を吸い、勢いよく水の中に頭を沈めた。目を開けてみると、最初は泡ばかりが視界に飛び込んできたが、それらが晴れると、今度は美しい水底と、水中で笑顔を送ってくるフィエナが見えてきた。
 だがマジマジとフィエナを見つめてると、
「ブハッ!!」
 ユリウスは突然、肺の中の空気を吐き出してしまった。というより、『見て』しまった。
 今の自分達が水着代わりに着ている物は、村の洋服ダンスなどの中にあった下着類(この時代には、ブラジャーやパンティといった下着は存在せず、代わりにノースリーブ・シャツやトランクスのような形状の『ドロワーズ』が主流)だ。だが元から古くなっていた布であるそれらを、3年間もフィエナが使っていたせいでか、布が完全に透けて見えていた。しかも下着である。普段なら互いに下着姿なら見慣れているが、ユリウスは彼女の裸は、まだ見たこと無い。
 水面に顔を出すユリウスに続いて、フィエナも後を追う。
「ぷはっ。どうしたのユリー? 鼻の中に水でも入ったの?」
「あ、ああ……まあ、そんなところだ」
「…………?」
 ユリウスの言葉に少し引っかかりがあるのを感じたが、あえてフィエナは気にしなかった。今度は仰向けになり、そのままの体勢でプカプカと浮き、ふと何かを思い出したかのように口を開いた。
「あれからもう、七日も経ったのねー」
「ん?」
「ユリーが来てからのこと。銅を取りに来た人達と戦って負けたんでしょ?」
「ああ、そうだったなぁ。もう、どうでもいいんだけどな」
 本当にどうでもいいかのように、その口調には興味が含まれていなかった。フィエナは気にせずに続ける。
「で、その時シーハーツ側に協力してたのはグリーテンの人間だったのよね?」
「まあ、隠密が仕入れてきた情報によると、そういう事になってるしな」
 ユリウスも、フィエナを真似して仰向けになってみた。案外、簡単に浮くことができた。
「前にそれをユリーから教えてもらった時も思ったんだけどさー、それって本当にグリーテンの人? アーリグリフに落ちてきた『謎の飛行物体』って時点でおかしいのよ。前に一度だけグリーテンの首都に行ったことあるんだけどね、馬車以外に自動で動く乗り物すら存在しなかったわよ? そんな国に空を飛ぶ技術なんて考えられないわ」
「さあね。俺だってそんなこと知らねーよ。たしかにそれなら、奴らを拷問したときにゲロっててもおかしくはないと思ったんだけど、結局、奴らは何も言わなかったしな。
 ―――ああ、でも、グリーテンに自動で動く乗り物の技術があるのは否定できないんじゃねーの? 大昔の『機工兵』なんてものもあるだろ?」
 歴史上で、かつて悪魔のような機械人形が大挙して、シーフォート王国―――今のシーハーツに押し寄せてきた事があった。
 その機械人形は、たった一騎で数十人の兵を惨たらしく殺す力があるというのに、何と数百、あるいは数千という数が居たという。
 フィエナは理解できないといったふうに、
「一番の謎はそれよ。そのことをグリーテンに行って調べてみたら、『かつて謎の飛行物体に乗って舞い降りた一人の人間が、地上を支配するために機工兵を造った』なんて書かれた歴史書しか残されてなかったのよ。おかしいと思わない?」
「『謎の飛行物体』ってところが、俺を打ち負かした奴らと同じ気がするな。でも奴らは機工兵なんか連れてなかったぞ? それどころか、シーハーツ側の秘密兵器とやらの開発に携わってるって聞いてるし……」
「謎が、謎を呼ぶわねぇ……」
 しばらくの間、二人はプカプカと空を眺め続けた。
 そこから見える空は、相変わらず狭かった。左右を崖に挟まれ、蒼い空が縦に太い『道』を引いている。普段は霧に隠れてみえないはずの空―――その珍しい一日の中で、わずか数時間しか見えない太陽は、すでにここからは見えなくなっていた。
 その時、どこか遠くの方から、ドーン、ドーンという音が聞こえてきた。かなり小さな音である。音のする方角からすると、アイレの丘の方だろうか。
「戦争………してるのかな?」
 フィエナが呟くように言った。聞こえてきた音は、間違いなく施術砲の音だと分かったからだ。
「あれから七日も経ったからな。奴ら――あのフェイトとかクリフとかいう奴らが、パルミラ平原やイリスの野を往復して、アイレの丘で戦争を始めていてもおかしくはないな。大方、ヴォックスの野郎が『銅を奪われた今、施術兵器が開発される前に奴らに総攻撃をしなければ!!』とかほざいてんだろうけどガボガボガボッ!?」
 長く喋り続けたせいか、肺の中に溜めた空気が一気に無くなり、ユリウスは沈みかけてしまった。
「ユリー、大丈夫?」
 フィエナが寄ってきた。
「ブハッ!! あ~死ぬかと思った! つーか鼻の奥が痛てぇ!」
 フィエナの手にしがみつきながら、咳き込むユリウス。
「大丈夫? 鼻の中に水が入ると痛くなるんだけど、やっぱ知らなかった?」
「一応は知ってたさ。アーリグリフに水浴びの習慣は無くても、風呂くらいなら入るんだ。それくらい知ってて当たり前だっての」
「それもそっか」
「ああ」
 それっきり、二人は何も言わなくなった。
(おかしいなぁ。いつもなら話が続くんだけど、何か変な気分になってくるような……)
 今までに感じたこともない感じがし、フィエナは胸中で呟いた。ユリウスも同じ気分になったらしく、首を捻っている。
 互いに目を合わせたまま、何も言えなくなってから数秒。だんだんと心拍数が上がるのを感じ始める。なにか嫌な予感がしてきた。
(何!? 何なの、この感じ!?)
 まさか話のネタが無くなったというわけでもない。不安は次第に大きくなってきた。
「……ユリー」
「……ん……」
 今、気付いた。
(ああ、そうだ。この感じは―――)
 この感じは―――
 ユリウスは上を見つめ――いや、睨んだ。
 ほぼ同時にフィエナも上を睨む。ユリウスの方から口を開いた。
「何かが………来るな……」
「ええ。でも何なの、これ? ……気配?」
 たしかにそれは気配だった。だが獣が忍び寄ってくる気配でも、人が忍び寄ってくる気配でもない。あえて言うならば、それは今までに感じたことも無い気配だった。
 何かが……
 何かが来る……
 やがて、『それ』が見えてきた。
 
 
 
「……なに……あれ?」
 『それ』は、赤く、大きかった。
 後方には蒼い『ヒレ』のようなものが光っており、『それ』はここから見える道のような空を渡るかのように、通過していった。向かっている方角からすると、どうやらアイレの丘を目指しているようだ。
 フィエナは呟くように、ユリウスに問いかけた。
「アーリグリフに落ちてきたっていう奴って……今のような奴?」
 ユリウスは呆然とした声で返した。
「ンなわけないだろ……今の奴の100分の1くらいだった……」
 そう言った直後、
 
ドオオォォン……ドオオォォン……
 
 先程の施術砲とは比べ物にならないくらいの音が、しっかりと聞こえてきた。
「……ああいうデカイ音のする大砲ってのは……グリーテンに無かったのか?」
「……あ、あるわけないに決まってるでしょ。いま開発中の施術兵器でも、これに比べたらムシケラみたいなものよ……」
 今、アイレの丘では、一体何が起こっているのだろうか? ここまで聞こえてくる音からすると、恐ろしい事態になっている事だけは確かだ。
 時間にして数分、爆音のような音は鳴り止むことはなかった。たった数分の事とはいえ、二人には永久のようにも感じた。肩を震わせたフィエナが、ユリウスの腕にしがみつく。
 
 そして、その『数分』が終わった時のことだった。
 
 空から『光』そのものが消滅し、辺りが暗闇に包まれた。同時にアイレの丘の方角から、膨大な蒼い光がチラッと見える。
「な……何なの!? 一体何なの、あの光は!?」
 悲鳴に近い声で、フィエナが叫んだ。それに対してユリウスは、恐怖で何も言えなかった。
 施術が使える二人には、確かに感じることができたのだ。空の彼方に見えた光が持つ、ありえないほどの莫大な施力を……。
 ここまでくれば、もはや存在しているだけで恐怖である。誰であろうと畏怖させる、絶対的な力が、そこにはあった。
「…………もう、何も起きなくなったみたいだな」
 空の彼方が光った後、何も聞こえてこなくなった。
「一体……何だったのかしら?」
 フィエナが呟いた直後のことだった。
 
 恐らく、二人がこの時見たものは、彼らの人生の中で、最も恐ろしい物であったに違いないだろう。
 
「あれは……ヴォックス………?」
 最初に見えた『それ』を見て、ユリウスは呟いた。
 この谷の上空を、しかもエアードラゴンでも飛ばないほどの高空をヴォックスと、その相棒のエアードラゴンであるテンペストが飛んでいた。ここでユリウスとフィエナの頭に、一つの疑問が生まれた。『なぜ、そのような高空を飛行しているのか?』ではない。『なぜ、そのような上空にいる者が、地の底も同然のここからハッキリと見えるのか?』という、至極単純な疑問だった。
 高空に見えるヴォックスは、衣服のシワから白髪の数まで、至近距離でも見えないはずのものが不自然なほどハッキリと見えた。そしてその顔には、『感情』と呼べるものが何一つとして、浮かんではいなかった。
「………幽……霊?」
 どこか放心したような声で、フィエナは呟いていた。証拠はない。だが漠然と、それが正解だと確信していた。それはユリウスも同じだった。
 
 そして生涯ずっと忘れられないような、最も恐ろしい光景が空に現れた。
 
「ひっ………」
 悲鳴にならない悲鳴を、フィエナは上げた。ユリウスに至っては、もはや声すら出なかった。
 崖に挟まれ、狭くなった空の『道』を、ヴォックスに続くかのように、何万もの人間達が飛行していった。
 ある者はエアードラゴンに跨り、またある者はルムに跨り、またある者はうつ伏せの姿勢のまま飛行して。アーリグリフ人もシーハーツ人も関係なく、そして中には白い外見の魚顔の『何か』でさえ混じっていた。
 それらが、空の『道』を、埋め尽くしているのだ。
 恐らく、彼らは幽霊なのだろう。きっとそうなのだ。ただ、その数が通常の戦場ではありえない程にのぼっているのだ。
『…………』
 そのおぞましい光景から目を逸らせず、気絶することすら叶わず、二人は最後まで見届けることとなってしまった。
 幽霊が全て消え去った時、空は久しぶりに見る夕焼けで、赤く染まっていた。
 ―――本来なら美しく見えるはずのそれは、戦場で流された『血』なのではないかと二人に錯覚させた。
 



[28802]  3章 希望との再開
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/07/16 16:15

 
 あれから更に、七日が過ぎた。
 あの後、二人して、しばらく寝込んでしまったのだが、今ではもう、すっかり回復していた。
 この日もまた、ものの見事に空は快晴だった。午前中を畑仕事に費やし、午後は先日と同様、川で水浴びすることにした。
 普段でも水浴びはしているのだが、それはあくまでも『入浴』の代わりであって、今はただの『水遊び』である。
「またこの前みたいに、あの化け物みたいな赤いヤツが現れるかな?」
 フィエナが冗談めかして笑いながら言ったが、正直、ユリウスには笑えなかった。無理して笑ったためか、少し顔が引きつる。
「そういえばどうなったんだろうな、あの赤いヤツ。あの後も何日かは、ちょくちょく空を飛んでただろ?」
「でも今はもう見かけなくなったわ」
「そりゃそうだけど……」
 たしかにフィエナの言う通り、あの例の赤い物体は、数日前から空に現れなくなっていた。
(結局、あれは何だったんだろうな……)
 考えても判らなかった―――判るわけがない。
「平和ねぇ~……」
 隣で、水面に仰向けに浮いたフィエナが呟いた。確かに彼女の言う通り、ここは平和だ。地上での戦争も、数日前の空に現れた赤い物体も、全くといってもいいほど、今の自分達には関係ない。
 考えるのが面倒になり、ユリウスもフィエナと同じ姿勢をやってみることにした。先日は同じ事をして溺れかけたが、今度はうまくいくと確信することができた。
 息を吸い、脚を水底から離す。ほんの少しだけ身体が沈んだ後、顔まで沈むことなく浮き上がることができた。と、その時。
「………あでっ!? ガボガボガボッ!!」
 また溺れた。
「どうしたの、ユリー!?」
 突然上がったユリウスの声に、心配そうな声を上げるフィエナ。見ると、ちょうどユリウスが水面から顔を出したところだった。
「大丈夫?」
「ああ、平気、平気。何か知らないけど、いきなり頭に何かが当たってビックリして溺れかけて……って何だこれ!?」
 手近なところに浮いていたものを拾い上げ、ユリウスは驚愕した。
 それは、身長が50センチはあろうかという魚の骨だった。人間で言うところの首の辺りから、尾までの骨である。その途中にあるはずの身は、綺麗に無くなっていた。
「これって……よくこの川で獲れる魚だよな?」
「ええ。しかもこれ、骨の色からして真新しいわ。死んだ魚が腐敗して骨になった、ってわけじゃ無さそうね」
「じゃあ何らかの生き物に食われたって? フィエナ、俺がこの谷で暮らし始めたとき、こう言わなかったか? 『ここには肉食性の動物なんて居ない』って……」
 別にフィエナを疑っているわけではない。ただの事実確認である。フィエナもそれを知ってか、謝る様子もなく言った。
「たぶん、ここより上流に『何か』が落ちてきたのよ。人かも知れないし、あるいはモンスターかもしれない。恐らく、そいつが食べた魚の骨が、ここへ流されてきたのね」
「じゃあ装備を整えて、様子でも見に行くか? 人間だったら仲間、それ以外は敵。オーケー?」
「オーケー。とにかく、モンスターだった場合も予想して油断しないでね。たしか地上にいたモンスターって……」
「分かってる。両手に斧を持ったモンスターだろ? そいつも十分危険だが、木の姿をしたモンスターの場合だったらもっと気をつけた方が良い。この辺りで遭遇するモンスターの中で一番大きくて強く、しかも一番凶暴だからな」
「知ってるわ。ユリーも、それが分かってるなら大丈夫ね。行くなら急ぎましょ。もし木の姿をしたモンスターだったら、かなりの短時間で分裂して仲間を増やすから」
 ユリウスにとって初耳だった。
「………マジで?」
「マジよ。ほら、さっさといくわよ」
 そう言って、フィエナは家に向かって歩き出した。
 
 
 
 装備を整えるといっても、ゴテゴテの重装備というわけではない。民家にあった半袖のシャツとハーフパンツという、色は違うが一応ペアルックというスタイルに、武器や畑にあったブルーベリーやブラックベリー、その他もろもろの薬草を持って来ただけだった。
 ―――疾風の副団長と、『水』の副団長には十分すぎるほどの装備だった。騎士団もそうだが、シーハーツの六師団というのも、主である女王に忠誠を誓って闘う騎士のような存在なのである。ユリウスとフィエナの戦闘力はほぼ同じとみて間違いではない。
 崖に挟まれた川をのぼりながら、ユリウスは上流がどのような地形になっているかを聞いた。
 相変わらず二百メートルほどの崖に囲まれているのは変わらないが、川に面するように、村と同じくらいの広さを持つ○型の空き地があるというのが判った。無論、その空き地も崖に囲まれている。
 そしてその空き地は、木が埋め尽くしていて森になっているのだという。小動物はおろか、虫一匹すら住んではいないらしい。
「さぞかし荒れ放題なんだろうな、その森ってのは」
「ええ」
 人が手入れをしていない森というのは、お世辞にも人が歩けるようなものではない。ましてや虫一匹すらいない森ならば、獣道すら無いだろう。もし万が一モンスターがいた場合、間違いなく戦闘は川で行なうことになるだろう。ザコならともかく、木の姿をしたモンスターだとすれば、かなり辛い戦いになる。
 そうこう考えているうちに、二人はついに森のそばまで来てしまった。予想通り、森は荒れ放題で、鬱蒼としていた。
 ユリウスは森に向かって呼びかけた。人間がいる場合もあったからだ。
「おーい! 誰かいるのかー!?」
 続くように、フィエナも声を上げる。
「アーリグリフ人でもシーハーツ人でも差別とかしないですよー! 現に私達二人はアーリグリフ人とシーハーツ人のコンビですからー!!」
 こうすることで、もし人間がいた場合、安心して出てくることが出来るのだ。
 不意に、前方の茂みから『ガサガサ』という音がした。少しづつではあるが、こちらに近づいてくる。やはり何かがいるようだ。音の大きさからして、どうやら人間ではないようだ。相当大きな生き物であると推測できる。
「……やっぱ木の姿のモンスターかな?」
「ええ、そうでしょうね……」
 地上でも少々てこずる相手に、ここの地形は絶望的なほど不利である。死にはしないと思うが、大怪我する可能性ならありえる。二人は緊張を高めた。
 そして茂みの中から、『そいつ』は飛び出してきた。
「……なっ………!?」
 ある意味、予想だにしなかったヤツだった。まさか、こんなところで会うとは……!!
「ゼノン!!」
『ユリウス! てめぇ生きてやがったのか!?』
 流暢(りゅうちょう)な人語で答えたのは、かつてユリウスの相棒だったエアードラゴンのゼノンだった。
「生きてたのかって……それはこっちのセリフじゃねーか!! 死んだんじゃなかったのか!?」
 笑顔で叫ぶユリウスをみて、目の前のエアードラゴンが敵ではないと、フィエナは判断した。だがすぐに緊張した面持ちになり、ゼノンと呼ばれたエアードラゴンの翼を指差して叫んだ。
「ちょっと、どうしたのよ、その翼!! ズタズタじゃないの!?」
 言われて気付いたユリウスも、真っ青な顔をして叫んだ。
「マジでヤバイぞ、これは! フィー! すぐに村へ帰って治療を……!!」
『無理だ。これほどまでの大怪我だ。……もう治らねーよ」
 諦めたようにゼノン。恐らく、この傷が原因で飛べなくなったのだろう。だからずっとここにいたのだ。
 ユリウスはゼノンの落ち込んだ言葉を、余裕を持って否定した。
「大丈夫だ。フィーは治癒の施術が使えるし、村には強い薬草もたくさんある。おまけに俺もフィエナも、医者としての心得もある程度はあるんだ。安心しろ、必ずもう一度飛べるようにしてやるから」
 その言葉を聞いて、フィエナは閃いた。……まあ、誰でも思いつくことなのだが、今の彼女にとってそれは、自分の――自分達の人生を180度転換するくらいの閃きに思えた。
「ねえ、ユリー! もし彼が飛べるようになったらさ、この谷から出られるんじゃない!?」
「あっ! そうか、確かに出られる!!」
 まさに奇跡との遭遇だった。
『喜んでるところを悪いんだが……怪我が治せるんなら、さっさと治してくれねえか?』
 不満げに―――というより苦しげに呻くゼノンの声を聞き、ユリウスとフィエナはハッとした。たしかに急いだ方が良い。翼に怪我をしたのは恐らく、ユリウスがこの谷に落ちた日だろう。あれからもう14日が過ぎているのだ。下手をすると、人間で言うところの『切断』を施さなければならなくなる。
「ああ、そうだな。急がないと……歩けるか?」
 苦しげな様子ながらも、ゼノンは答えた。
『何とか……な』
「わかった。フィエナ、ちょっとコイツの身体を支えるの、手伝ってくれるか?」
「ええ。じゃあ急ぎましょ」
 三人はその地を後にした。



[28802]  4章 平穏の終わり
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/07/17 00:18
「こんなもんじゃないかしら?」
 傷口を清潔な水で洗い流し、化膿(かのう)した部分をナイフで切り取り、傷口を縫い合わせてから薬草を塗り、治癒呪文であるヒーリングを施してフィエナは言った。無論、包帯を巻くのも忘れない。
 ゼノンは、猫が丸くなるような姿勢から首だけを持ち上げ、フィエナへと向けた。
『すまないな、お嬢さん。それよりも……一つだけ質問していいか?』
「ええ、なに?」
 ゼノンの顔を見つめながら言った。フィエナの表情には、これといって怯えも、驚きすらも無かった。
『フィエナは……俺が人語を解せるのを不思議には思わねーのか?』
 すると、フィエナは急に笑い出した。
「あーそれね、ユリー……ユリウスに教えてもらったの。飛竜の中には言葉を話せる奴が稀にいるって……まぁ、初めて喋ってるとこを見たときは、ちょっと驚いたけどね。他にもあなたの事について、何度も聞かせてもらったわ。初めて会った日から、二人でいろんなこと話し合ってたからね」
 その言葉を聞き、ゼノンは口元を吊り上げ、ニヤリと笑ってユリウスを見た。
『おいおい、堅物なお前でも、遅いながらも青春してんじゃねーか。しかも、こーんな美人と。……本当のところ、どこまで行ってんだ?ええっ?』
「『遅い』はねーだろ。だいたい俺は、まだ24じゃねーか」
「えっ……ユリーも?」
「ってことは、フィエナもか」
『俺の話を無視すんじゃねーよ。どこまで行ってんだって、訊いてんだよ』
「どこまでっていわれてもなぁ……」
 ユリウスとフィエナは顔を見合わせた。
「同棲ぐらいしかしてないなぁ」
『ほほぅ……?』
「夜は一緒のベッドで寝てるけど、まだ襲われてもいないし、私からも襲ってないし……」
「ま、どのみち『その程度』なの。なんてゆーか……ビミョーな関係なのよね。恋人同士っていうか……夫婦って言われても否定しないけど」
『チッ、面白くねえ。なんでこう、人間は奥手なのか解んねーな』
 するとユリウスとフィエナは、やや悲しそうな顔をして言った。
「この谷のこと説明すんの忘れてたが、この谷では、翼を持たない者は二度と地上へと戻れねーんだよ。だから、もし俺がフィーとヤッて孕ませたとしたら、その子はどうなる? 無事に出産できたとしても、俺やフィーが死んだ後、ずっと一人ぼっちになるんだ」
 フィエナの顔に少しだけ影が差す。だがユリウスが彼女の肩を抱き寄せると、彼女は安堵の表情を浮かべ、体重を預けてきた。
「でもゼノンがいるから、もう悩む必要なんてないよ」
 フィエナの肩を抱き寄せたまま、ユリウスが続けた。
「そうだな。お前がまた飛べるようになったら、後は二人で幸せに暮らすだけさ。……それよりお前はどうするんだ、ゼノン? 地上へ戻ったら、俺はフィーと暮らそうと思ってるんだが……お前も着いてくるか?」
『着いてくるって、どこへだよ? お前らの邪魔にならないように、俺は山へ帰るぜ。焔の継承とかいう儀式も、どうせ形式だけだしな。気にするこたぁ無いだろ。俺としても、嫁さんを見つけたいからな』
「そうか。そうだよな……」
 やや落ち込みかけるユリウス。長年、パートナーを務めていた者にそう言われると、さすがにショッキングだったらしい。するとゼノンは軽く笑って、
『そう気落ちすんなって。最後にお前の彼女も乗せて、空のドライブを楽しませてやるよ』
「ああ、ありがとうな」
「じゃあ、ここいらで食事にしない? そろそろ日も落ちてきたしさ」
 食事の時間は早い。町に住んでいる時は気付かなかったが、この村には『明かり』というものは存在しない。ロウソクくらいならあるが、そのようなもので足りるはずがないのだ。暗くなる前に食事を済ませて片付けるのが当たり前である。
「ゼノン、おまえは大人しく待っててくれ。魚は俺が取ってくるから」
「じゃ、行ってらっしゃい。私はご飯作ってるから」
『悪いな、ユリウス』
「気にすんなって」
 そう言ってユリウスは、川に向かって駆け出した。空は太陽こそ見えないものの、美しい夕焼けの色を呈していた。
 
 
 
 それから三日が過ぎた、ある日の真夜中のこと。
 この日はルム小屋で、二人と一匹は昔話に興じていた。というのも谷からの脱出法が見つかったことにより、毎日の日課としていた畑仕事を収穫だけに留め、日がな一日を寝たり遊んだりして過ごしているうちに、体内時計が狂ってしまったからだ。
「とにかく! そん時からコイツは魚が嫌いだったんだよ」
『おいユリウス、常識の範囲で考えろ。俺達エアードラゴンは雑食性だが、基本的には肉しか食わねぇ。そりゃたまには薬草や果物なんかを食う時もあるが、それはいいとしようや。とにかく、ベクレル高山でもパール山脈でも、食料って言ったら『肉』しか無いんだ。間違っても『魚肉』なんてものは口にしたことがあるわけがねえ』
 時刻は午前3時頃になるが、彼らの声に眠気は無かった。
 ちなみに、今の話のテーマはゼノンの過去についてである。
「一番ひどかったのは初めて魚をやったときだったな。この図体だから、さぞかし大量に食うだろうと思って、海で獲れたデカイ魚をやったんだよ。そしたらどんな反応をしたと思う?」
 フィエナに問いかけた。
「さあ? 一口だけ食べて、吐き戻したとか?」
 するとユリウスは人差し指を立てて、『チッチッチッ』と左右に振った。
「体長1メートルくらいの魚だったかな……とにかく、そんだけデカイ魚の尾のほうを咥えて、何度も何度も俺の顔に魚の頭をぶつけてきたんだよ」
「ぶっ!!」
 フィエナが吹き出した。そのまま爆笑し始める。
「しかもその時ゼノンはこう言ったんだ。『テメェよくもこんな臭ぇモン持ってきやがったな!! 俺への嫌がらせか!? おお!?』なんて叫びやがんだ。とても誇り高いドラゴンとは思えねえだろ? あげく、魚をぶつけられまくってノックダウンした俺に、『今度こんな臭ぇモン持ってきてみろッ!! ただじゃおかねえからなッ!?』なんて言いやがるんだ。いま思えば、あれほど面白かったものは無かったな」
 フィエナは笑いすぎたせいか、軽い引き付けを起こしていた。地面を叩きながらヒイヒイ言っている。
 ユリウスはゼノンの方を向き、口を開いた。
「でもよぉ、あんなに魚嫌いなお前が、なんで魚食えるようになってんだよ?」
『それ以外に食い物なんて無かったからな。餓死するよりは、あの臭いのもマシだったぜ……』
「好き嫌いが無くなって何よりだ」
 するとゼノンは押し黙り、ふと遠くを見るような視線をする。
『ああ。マジで肉食いてぇな……』
「……もう少しの辛抱だ。この谷さえ出れば、何でも食わしてやるよ」
『金あんのかよ?』
「―――訂正する。何でも食わせに行かせてやる」
『結局は俺が狩るんじゃねぇか』
 ようやくひきつけから開放されたのか、まだ顔に笑いの表情を残しながら、フィエナはゼノンに問いかけた。
「そういえばさ、ゼノン。背中の傷……痛む?」
『いや、いまのところ痛みは無いな。っていうか、お前の治療のおかげで、明日には治ってるんじゃねーのか?』
 するとフィエナはやや呆れたような顔になって言った。
「……それはドラゴンっていう存在自体が持つ、驚異的な代謝力のおかげだと思うわ。人間でもかすり傷を負えば、治るのに数日はかかるもの。ヒーリングやブルーベリーなら傷を速攻で直せるけど、さすがにあの大怪我は時間がかかるわね。ま、それでもあと2~3日はかかるわ。良かったわね。人間なら一ヶ月はかかるとこよ?」
「2~3日かぁ……たったそれだけで、この谷とはおさらばだな」
「あら? 私は1秒でも早く出たいわ」
 フィエナがにっこりと笑って言う。
「……そうだよな。俺はまだ日が浅いから愛着もあるけど、フィエナにとっては監獄でしかないもんな」
 彼女は首を横に振って答える。
「違うわ。……確かに孤独は辛かった。神も恨んだし、ここの地形も恨んだ。……でもね、あなたが来てから、私にとっての世界が変わったの。ほんとに邪魔者の居ない、二人だけのスイートホームのように思うのよ、この谷が」
「じゃあ、フィエナはここから出たくないと?」
「言ったじゃない、『出たい』って。いつまでもここで暮らしてちゃ、私たち、ずっと結婚もできないでしょ?」
 瞬間的にユリウスの顔が赤くなったが、それでも彼は否定はしなかった。
 構わずに彼女は続ける。
「だから早くここを出て、二人で暮らす場所を見つけたいの。アーリグリフでもなく、シーハーツでもない、戦争の無いところへ」
 彼女の言葉に聞き入っていたユリウスだが、ゼノンが横から、
『……おまえの嫁さん、ほんとイイ女だな』
「まだ夫婦じゃないさ。―――まだ、な」
 それ以降、話のネタが尽きたのか、三人はしばし沈黙する。が、フィエナが沈黙を破るように、
「さ、それじゃあそろそろ寝ましょ。明日からは旅立ちのための準備をしなきゃダメなんだから。私たち、たぶん地上では死んだ事になってると思うの。つまり元手がゼロ。少しでも売れそうな物をまとめないと」
「となるとかなりの重労働だな。雑貨や野菜を何回かに分けて上へ運ぶか?」
「それに限るわね」
『――――おめーらよぉ。運ぶのが俺だってのを忘れてねぇか?』
「あはは。冗談よ、ゼノン。この村の一番大きな家に金細工の物が沢山あったの。その内の幾つかは施術が使われた特殊アイテムもあったわ。ああいうのって、物凄い額で取り引きされてるの。それを持って行こうと思うの。ほら、そこに吊るしてる皮袋」
 そう言って、近くの柱に吊るされた、パンパンに膨らんだ大きな皮袋を指差す。それも2つも。
「もうすでに用意してました~」
 ずっしりとはしているものの、持てなくはない重さ。フィエナが中身をいくつか掴み出してみると、それは金銀・宝石に施紋を描いた、いかにもなアクセサリーがぎっしりと詰まっている。
「『おおぉ……!!』」
「これだけあれば、家くらいなら買えるでしょ。他にも金目のものがあるか確かめたいから、今夜は早く寝―――……ッ!!?」
 突如、フィエナは強烈な施力を感じた。先日の、空に赤い船のような物体が現れたときよりも強大で、禍々しい力を。
 ユリウスも感じたらしい。施力の発生源―――上を向いて、顔を真っ青にしている。
『ど……どうしたんだよ、二人とも―――』
「静かにしてくれ」
「静かにしてて」
 二人にピシャリと言われ、ゼノンは口を閉じた。
「なあ、フィー。何だと思う? この感じ」
「この前の赤いヤツとは違う……この禍々しい感じは何?」
「分からない。でも……」
 二人は同時に直感した。
 
 空に、何かがいる。
 
 あるいは何かが『ある』のかもしれない。
「ゼノン、ここでじっとしていてくれ」
「ユリー。さっき装備してた武器、まだ持ってるわよね?」
 短く言葉を交わし、二人はロウソクの入ったランプを持って、村の中央広場へ向かって駆け出した。



[28802]  5章 地底からの脱出
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/07/19 22:28
 中央広場まで来たのには理由があった。
 川と比べると、遥かに視界が開けているからだ。
 残念なことに、今日はいつも通り濃厚な霧が上空を覆っており、何も見えなかった。
 しかし何も見えないからといっても、感じるものはあった。
 施力だ。膨大な施力が、この谷の上の、更に高空で風と共に渦巻いているのが感じ取れた。
「なんか………この前に感じた、莫大な施力よりも危ねぇ力を感じないか?」
「ええ。一体あれは何なのかしらね?」
 数日前とは異なり、それほど恐怖は感じなかったが、それでも恐怖はゼロではかった。
 しばらく空を見つめていると、やがて唐突に施力が消滅した。
 二人が呆気にとられたまま空を見上げていると、二人の前方に『ポフッ』という音と共に、何かが落ちてきた。用心しながら駆け寄ってみる。
「なあ、コイツは……」
「うん、たぶんアカスジガね」
 アカスジガ―――赤筋蛾とは、文字通り羽に赤い筋を持つ蛾である。体長は約10センチほどであり、主な習性として、エアードラゴンよりも高い空を飛ぶことが目撃されている。その為か、ゲート大陸のいたるところで生息が確認されている。
「なんで落ちてきたのかしらね?」
「さっきの風の音みたいなヤツのせいじゃないのか? この谷もそうだが、カルサア山道ってのは山に囲まれているせいで、風が吹かないって有名なんだ。でもアカスジガなら、風の吹きすさぶ高空を飛ぶし……それでやられたんだろうな。さっきの風みたいなヤツ、生き物を殺す力を持っているのか?」
「本当に何だったのかし……ら!?」
 フィエナが後ろに向かって勢いよく跳び、ユリウスもそれに習って後ろへと跳んだ。
 次の瞬間、アカスジガの身体がドクンッと脈打った。同時に、アカスジガの身体が、内側からブクブクという音を立て、膨張していく。
 あっという間にアカスジガは、毒々しい色合いを持つ、体長1.5メートルはあろうかという巨大かつ、かなりグロテスクな蛾へと変貌した。しかも外見が悪いだけならまだしも、どういうわけか内面に秘められた施力は、そんじょそこらのモンスターとは比べ物にならないほど内包されていると、ユリウスとフィエナには簡単に感じられた。――――逆に言えば、誰でも感じられるほど膨大な施力と、それに負けないくらいの殺気を、巨大な蛾は放っていた。
『キシャアアアアァァァァッ!!』
 巨大な蛾は二人の姿を確認すると、アゴに備えられた強靭そうな牙を剥いて、二人を威嚇した。後(のち)にジャイアントモスと呼ばれるようになった、エクスキューショナーの一種である。
「……なんかスゲェー強そうな気がするな」
 どこか冷めた目で、ジャイアントモスを見つめながらユリウスは言った。
「……ええ、そうね。相手には不足なさそうじゃない」
 フィエナも、どこか同じような目をしながら言った。再びユリウスが口を開く。
「たまにはこういう運動もしとかないとな」
 言ってから、スラリと剣を鞘から抜いた。疾風の騎士達には、基本的に槍と剣を支給されるようになっている。エアードラゴンに跨っているときは槍を。その他の時は剣を。そしてユリウスは、剣の方には金をかけるようにしていた。抜き出された剣は白く輝き、どこか神々しささえも、見る者に感じさせた。
 ミスリルのみで構成され、鍛えられたミスリルソードだ。凄まじいほどの威力を秘めた凶器である。
 一方、フィエナの武器も負けてはいない。彼女の獲物はフレイムファルシオンとよばれる、ミスリルソードに勝るとも劣らない威力を秘めたダガーだ。
「いくぞっ!!」
『シャアッ!!』
 ジャイアントモスが吠え、口から黄色い何かを銃弾のように吐き出した。3発同時発射である。ユリウスはそれをサイドステップで避けると、背後から『ジュウ……』という嫌な音が聞こえたが、あえて無視して巨大な蛾へと突進する。
「はああああッ!!」
 上段から大きく斬りかかる。ミスリル製の、徹底的に研磨の行き届いた刃が、ユリウスの全体重と高速でもってジャイアントモスの片羽を斬り飛ばす。が、そこでユリウスは驚愕した。
「な……凄ぇ硬いぞ、この羽!?」
 巨大昆虫というのは、このゲート大陸の各地に生息しており、ユリウスも何度か、それらの生物と戦った経験があった。確かに昆虫という生き物は硬い甲殻を持っており、時にはそれが防具として加工されることもあった。それだけの強度はあるものの、それだって常識的な限度というものがある。ましてや燐粉のみで構成された羽など、進化の過程で硬くなるはずがない代物だった。
 だがこの狂った生き物は、まるで黒檀(こくたん)のような硬質木材を斬る手応えがあった。
 片羽を失った巨大な蛾は、地面の上で懸命に羽ばたこうとするものの、全身が回転するだけだった。フィエナが近寄り、全体重を乗せて上から突き立てる。硬質ゴムのような手応えが返ってくるが、何とか刺せた。それきりジャイアントモスは動かなくなった。
「何なんだ、この生き物は? アカスジガから変身したかと思えば、凄ぇ硬いし」
 次の瞬間、巨大なジャイアントモスの身体が、漆黒の闇に塗りつぶされ、霧のように跡形も無く消え去った。
「……何なの……この生き物?」
 フィエナが呆然と呟く。
 自然界に、死んだとたんに肉体が消滅する生命体など居るはずがない。
「魔物………なのか………?」
 古から語られる存在、『魔物』。ユリウスもフィエナも、アペリス教を元に育った貴族である。よって古い歴史の中で、いくつか魔物の登場するものを習ったことがあった。
 ―――現に弱い下級悪魔などは、いくつかの遺跡で存在が確認されていたはずだ。
 だが同時に、それ以外の魔物などが発見された記録は無いし、その召喚方法も知られてはいない。
「地上で一体―――何が起きてるんだ?」
 ユリウスが呟いた瞬間、周囲にボトボトッと何かの落ちる音が続いた。二人は強烈な嫌な予感を感じながら見渡すと、案の定、巨大な蛾があちこちに落ち、地面の上でブクブクと音を立てながら変化しているところだった。ちょうど上空を群れで飛んでいたのだろうか? アカスジガは止むことなく降り続いた。
「ちょっと! 冗談はほどほどにしなさいよッ!!」
「逃げよう!!」
 
 
 
 
 
 慌ててルム小屋に駆け込むと、ユリウスはゼノンに向けて叫んだ。
「ゼノン! 今すぐ谷を離れないと危険だ! 飛べそうか!?」
『楽勝だ!!』
 頼もしい返事が返ってくる。いそいそと竜専用の鞍(くら)をゼノンに取り付ける。鋭くゼノンが叫んだ。
『鞍の両端に、さっきの宝石袋を二つともくくり付けろ! それと今の内に二人とも自慢の鎧を着込んどけ! それもどうせ必要無いんだから、売ったほうがマシだ!!』
「ちょ……さすがにそれは重いんじゃない!?」
 フィエナが遠慮がちに言うと、竜は鼻息荒く『フン!』と言い、
『俺を馬なんかと一緒にしないでくれ。それくらい増えたところで、虫けらの重さと変わらん』
 多少は誇張が混じっているが、それほど無理をしているセリフでもないのが分かった。
 一瞬ためらい、二人はルム小屋に置いていた自分たちの鎧を私服の上から着込んだ。ユリウスは内側に防御の施紋が描かれた黒い鎧を。フィエナは徹底的に加護の施術を織り込んだプロテクターを身にまとう。
 ようやく準備を終え、ユリウスは立てかけてあった槍を掴み、ゼノンの背中に跨って叫んだ。
「フィー! 俺の前に乗れ!!」
「後ろじゃないの!?」
「それをやったら背の高い俺のせいで、フィーが前を見れなくなる!」
 フィエナが納得し、素早くゼノンの背中に飛び乗り、手綱をしっかりと握る。それを確認し、ユリウスが手綱を少しだけ強い力で引いた。たったそれだけでゼノンに『飛べ』という意思が通じる。
 ゼノンが大きな両翼を、ぴんと広げる。それを大きく振り下ろす。小屋中の埃が一斉に舞った。今度は翼をたたんで振り上げ、また広げて振り下ろす。
 少しずつ巨体が地面から浮き上がっていく。
 初めての感覚に、緊急事態にもかかわらずフィエナは興奮を覚えた。やがてルム小屋の天井近くまで浮き上がると、ゼノンは羽ばたき方を変え、一気に前に向かって滑空し、小屋から飛び出して広場に出る。
 その広場を見て、ゼノンが驚きの声をあげた。
『な……何なんだ、こいつらは!?』
「よく分からん! なぜか空から落ちてくるアカスジガが、地面に落ちると同時にこんな化け物になったんだ!! 殺したとたんに消滅するから、たぶんもう生物ですらないと思う!!」
 地面から数メートル上を高速で滑空するゼノンに対し、巨大な蛾の群れは一斉に酸の弾丸を吐き飛ばしてきた。
 ゼノンは舌打ちし、ジグザグに飛びながら避ける。
『距離が足りねぇ! ある程度は真っ直ぐに飛ばないと上昇できないぞ!!』
「川だ! 川なら多少曲がりくねってるけど、充分に加速できる!! フィー、正面を頼む!! 俺は後ろをやる!!」
「了解!!」
 フィエナは両手の指を鉤爪のように曲げ、意識を集中させる。やがて彼女の手の平に真っ赤な炎が現れ、それを大きく前へと突き出す。
「ファイアボルト!!」
 両手の指から1発ずつ、両手の手の平からも1発ずつ。合わせて12発の火球が高速で発射される。施術の裏技『ひねり』だ。通常の施術に多少の意思を上乗せし、『ファイアボルト』であれば今のように火球の数を増やしたり、他にもスピードや熱量を調整、稀にだが炎の色を変える等の裏技が可能になる。
 フィエナが正面にたむろするジャイアントモスの群れに、1発も逃さず命中させる。決して一撃必殺の威力は無い。だが軽い牽制にはなる。
 同時にユリウスは槍を右手で握り、後ろに向かって大きく二度三度と振るう。大して力の入らない振り方だが、極端に質量の少ない蛾の巨体は、それだけで軽く後方へと飛んでいく。
 そこへ追い討ちをかけるように、左手に集中させていた施術を一気に開放する。
「ライトニング・ブラストッ!!」
 これは少し強力な施術だ。一見、直径30センチほどの電撃ビームにしか見えない施術だが、『ひねり』を加えることでスポットライトのように広範囲へと電撃を放つ事ができるのだ。その分、威力も一気に下がるが。
 しかし威力は、この際どうでも良かった。電気は筋肉を収縮させる。昆虫でも同じ。特に飛んでいる生き物であれば、筋肉が収縮することで数秒だけ麻痺を余儀なくされる。そしてこの場合、麻痺したジャイアントモスが、後続のジャイアントモスの邪魔となり、その隙にゼノンは一気に距離を離すことができる。
 蛾たちの包囲網をかいくぐり、二人を乗せたゼノンは川へと出た。ここまでくると、周囲にジャイアントモスの姿は無い。
「よくよく考えれば、あいつら地面に落ちてから化け始めるんだよな。……ここじゃ落ちたとたんに流されるのか?」
 あれこれと考えながらも、非常に緩やかなS字型の谷間を、ゼノンは飛びながら徐々に高度を上げていった。
 やがてある程度まで高度が上がると、
「フィエナ! 両足に力を入れて、手綱を握り締めろ! 垂直に昇るぞっ!!」
「え? ちょ――――きゃっ!?」
 だんだんと竜の身体の向きが変わってくる。フィエナは何となく、幼い頃に椅子に座ったまま後ろに倒れたことを思い出した。あれをスローで再現すると、少しは似たような感覚になってくる。
 角度が90度になると同時に、滑らかに加速する。ただでさえかなりの速度だったのに、さらに速くなる。全身に強烈なGがかかる。フィエナ自身、体験したことのない感覚だった。
 僅かに恐怖を感じるものの、それ以上に空を飛んでいるという感動と、自分の後ろのユリウスに全体重を預けたとしても絶対に落ちないという自信が、彼女の気分を高揚させる。
 と、その時だった。
「ユリー! 前! 前!」
「デケェ!? 何だ、ありゃぁっ!?」
 真上―――正面から、ひときわ巨大なジャイアントモスが突進してきた。
 通常のジャイアントモスが、右から左まで羽を伸ばした時の幅が1メートルなのに対し、いま正面から突進してくるのは左右の幅が4~5メートルはある。全長に至っては、その1.5倍ほどだ。まるで体格に恵まれた優良体型のエアー・ドラゴン並の大きさである。
「距離があるうちから動きを止めて逃げ切るわよっ! ライトニング―――」
『よせっ! そんでもってしっかり掴まれ!!』
 ゼノンは咄嗟にドリルのように回転しながら横へ逸れ、今しがた飛んでいた軌道を、真上からの酸の弾丸の嵐が通過する。際どいところでゼノンと巨大ジャイアントモスが擦れ違うと、巨大ジャイアントモスは一瞬で方向転換し、今度は上へと酸の弾丸を吐き出そうとした。
『させるかよぉっ!!』
 同じく急な方向転換をしたゼノンが垂直落下と共に、足を使って強烈なキックをかます。蛾の巨体が数メートル吹っ飛ばされるが、それでも羽を広げて踏みとどまり、また突進してくる。
『やっぱりな。こいつ、俺と同じくらいスピードも機動性もある! ここで決着をつけるしか無い!!』
 
 
 
 
 
 巨大ジャイアントモスが突進してくると同時に、ゼノンも突進する。そのまま空中で交錯すると同時、ゼノンの両足の爪が、巨大ジャイアントモスの腹部を強烈な力で引っ掻いた。人間相手なら鎧を突き破って致命傷を与える一撃であるが、ユリウスの目(視力は2.5)には、蛾の腹に白い掠り傷が付いただけに見えた。まるで硬質ゴムのような強度を持っている。
 しかも擦れ違った瞬間に、巨大なジャイアントモスは両羽を振り下ろしたままの姿勢で、ゼノンの腹へと叩きつけていた。『ドウンッ!!』という衝撃と共に、竜の巨体が揺らぐ。
『ンの野郎ッ……!!』
 再び方向転換して突進する。
 今度は巨大ジャイアントモスの方から仕掛けてきた。突進しながらも、口から酸のマシンガンを嵐のように吐きつけてくる。
 フィエナが叫んだ。
「リフレクション!」
 瞬間、ゼノンの眼前に円形の電撃のシールドが現れ、全ての酸を防ぎきる。その間にゼノンは距離を詰め、ワン・ツー・パンチの要領で巨大ジャイアントモスの腹部に強烈な蹴りを叩きつける。
 これはさすがに効いたのか、蛾の巨体が大きく後退する。それを見てゼノンが再び突進すると、まるで待ち構えていたかのように巨大ジャイアントモスが羽ばたき、自分の周囲の宙域に燐粉を撒き散らした。本能的に、それが危険なものだと誰もが理解するが、
『と、止まれねぇ……!!』
 突進を止められないゼノンがうめくが、
「ファイアボルト!!」
 フィエナが1発だけ火球を飛ばす。咄嗟に『ひねり』ができなかったのもあるが、それだけで充分だった。火球はゼノンよりも先に巨大ジャイアントモスに到達し、周囲の燐粉を一瞬で粉塵爆発(ふんじんばくはつ)させた。燐粉が燃え尽きたタイミングで、
『せいっ!』
「オラァッ!!」
 爆煙を突き破り、ゼノンがワン・ツーパンチのような蹴りを、ユリウスが素早く鋭い乱れ突きを命中させる。巨体が再び吹き飛ばされるのを見計らい、ユリウスは気を練り上げ、槍の切っ先に集中させた。
「疾風斬りッ……!!」
 放たれた気の刃が巨大ジャイアントモスに当たり、同時にフィエナが両手を前に突き出して、
「ライトニング………!」
 ぐぐっと『ひねり』を加えながら、力を―――威力を“ひねり”で限界まで上乗せしていく。
「―――ブラストォ!!!」
 極光が辺りを明るく照らし出す。全身で強烈な雷撃を受け、蛾の巨体が大きく痙攣(けいれん)する。
 ユリウスは叫んだ。
「空中戦の基本だ! 大量発生したハーピーの討伐を思い出せ!!」
『誰に言ってんだ、コラ! 空も飛べない奴が空中戦を語るな!!』
 負けじと言い返してくる相棒に、久しぶりの高揚を思い出しながら叫ぶ。
「竜騎士とは強い竜だけに非(あら)ず! 強い人だけに非ず! その両方を持って、初めて竜騎士と呼ぶもの! 竜・人一体のマスター・コンビネーションの強さって奴を見せてやれッ!!」
「私もいるわよ!!」
 フィエナが精神を研ぎ澄ませ、施術の詠唱に入る。その間にユリウスが両手で槍を大きく振るい、
「疾風斬りッ!!」
 気の刃が、高速で巨大ジャイアントモスを捉える。一瞬怯んだ隙をついて、今度はゼノンが急接近し、強烈な蹴りで崖に叩きつけ、同時にエアー・ドラゴン自慢のファイアブレスを叩きつける。この時にはもう、ユリウスがフィエナを追いかけるようにして施術の詠唱を行っていた。
 施術と剣術の合わせ技。遠い惑星では『紋章剣』と呼ばれる剣術の中での最上位剣技―――武器融合紋章術。
 各属性で最弱の呪文のどれかを、自分の武器に融合させることで、瞬発的に膨大な威力の呪文へと昇華する最強技。
 フィエナは小さくウインドブレードを唱え、武器へと宿す。そして―――
「ハリケーン・スラッシュ!!」
 フレイムファルシオンの刃から放たれた大竜巻が、ゼノンの吐いたブレスを巻き込みながら、壁に縫い付けられた巨大ジャイアントモスを切りつける。やがて竜巻が消える頃にはユリウスの呪文も完成しており、小さくファイアボルトを唱えて武器に宿し、
「ソード・ボンバー!!」
 ミスリルソードの切っ先から7発の巨大・超高熱の火球が放たれ、巨大ジャイアントモスへと叩きつけられる。
『ジャアアアッ!!』
 悲鳴でなく、それが雄叫びだと気付いた瞬間、ゼノンは咄嗟に身をよじった。同時に煤だらけになった蛾が、土煙の中から飛び出してくる。それを今度はユリウスが槍ですくい上げるように、下から切りつける。
 巨大ジャイアントモスの身体が浮き上がる。
「ファイアボルト!!」
 フィエナの放った12発の火球が、更に巨大ジャイアントモスの身体を浮き上がらせる。
『もういっちょっだ!!』
 ゼノンが長い首を使った、勢いの良いヘディングをかまし、巨大ジャイアントモスの巨体が空高く舞い上がる。
『今だ! ヴォックスのジジィが得意だった必殺技を!!』
「おう!!」
 両手でしっかりと槍を掴み、ありったけの気を刃へと注ぎ込む。同時にゼノンが空へと加速し、落ちてくる巨大ジャイアントモスとの距離を見計らって、自ら仰向けになって回転し、そのタイミングでユリウスが槍を真上へと突き出す。
「―――鋼破斬!!」
 突き出した瞬間に、莫大な気が槍の切っ先から溢れ出し、そのタイミングで巨大ジャイアントモスの腹部を貫き、内側から腹部を高圧力の気が破裂させる。
『ジャアアアアアアァァァァッ!!!!』
 断末魔の悲鳴が響き渡り―――しかし抵抗するように、巨大ジャイアントモスは落下しながら酸の弾丸をマシンガンのように、ランダムに吐き出した。
「うわ危ね……!?」
「きゃ……!!」
『ぐあっ……!!』
 ゼノンだけが苦鳴を上げる。
「大丈夫か!?」
『ああ、ちょっと効いたが平気だ……!!』
「そ……そうか。良かった」
「それより見て、あれ」
 フィエナが指す方向には、巨大ジャイアントモスが黒い霧を全身から噴出させながら谷底へと落ちていくのが見えた。
 しばらくその場に滞空しながら見届け、やがて蛾の巨体が消滅するのを待ってから、ユリウスは小さく呟いた。
「本当に……上では何が起きてるんだ?」
 答えるものは、誰も居なかった。
 
 
 
 
 
『……もうすぐ地上に着くぜ……』
 ゼノンが言いながら、垂直に崖を上っていく。
『今くらいの時間なら、“あれ”が見れるだろうな……』
「ああ。フィエナにも是非見てもらいたいものだな……」
「“あれ”って何なの?」
「行ってみてのお楽しみ」
 ユリウスは悪戯っぽく笑ってみせる。
 飛竜はどんどんと崖を昇っていく。そして濃厚な霧の層へと入り込み、すぐに突き抜ける。
 地上までは30メートルしかなかった。
 フィエナは興奮を覚えた。あんなに遠かった地上が、もう目の前にある。
 地上まで20メートルになった。
 地上まで10メートルになった。
 地上まで5メートル。
 地上まで1メートル。
 地上へと出た。
 フィエナの頬を、一筋の涙が流れた。
「フィエナ……?」
 ユリウスが呼びかけると、彼女は後ろ向きに座りなおし、彼の胸に額を当てて泣き出した。
 そっと彼女の肩を抱きしめる。
 今のフィエナの中では、様々な感情が渦巻いていた。長らく自分を捕らえていた谷から脱出できた喜び、他者の力を借りなければ乗り越えらなかった悔しさと、先を越されたという嫉妬。しかし逆恨みしようにも、それが大切な仲間であること。
 彼女が泣いている間にも、竜はどんどん上へ上へと昇りつづける。
 しばらくして、ユリウスが優しく声をかけた。
「見てごらん。俺が見せたかった景色さ」
 フィエナは顔を上げ、周囲を見渡した。下のほうに小山のようなものが見えると思ったら、それはパール山脈やベクレル鉱山だった。後者はともかく、前者はとてつもなく高い山だったはずだが。
 そして前方を見て、ふと気付いた。
 遠く地平線の彼方が、薄っすらとだが明るくなり始めていたことに。
 それはだんだんと明るさを増していき、紺色(こんいろ)だった空を、黄色く、それに続いて水色へと染めながら、光り輝く太陽が顔を出した。
 食い入るように見入ってしまっているフィエナの肩を、ユリウスは後ろからそっと抱いた。いつの間にか兜を脱いで、鞍につるしてあった。
「鳥と虫と竜以外でこれが見れるのは竜騎士だけだと思ってたけど―――フィエナにも見せることができて良かった」
 太陽は少しずつ全体像を現し、やがて紺色だった空を全て照らし出した。同時に大地が光を受け、立体感のある山が、剥き出しの地面が、緑豊かな森が、そして広大な海が光を反射し、えもいえぬ美しさを見せつける。
「俺、思うんだ―――フィエナに逢えて良かったって。そしてこの景色を見てもらえて良かったって」
 フィエナはユリウスを見つめる。彼は続けた。
「―――結婚しよう。フィエナ・バラード」
 フィエナは彼に抱きつき、キスをして答えてみせた。
 しばらく唇を交じらせ、そして離す。
 ユリウスはやや紅くなりながら、照れたような声でゼノンに礼を言った。
「ははっ、悪いなゼノン。お前も疲れてるだろうに、こんな高いとこまで飛んでもらって」
 エアー・ドラゴンは苦しげに笑って、答えた。
『良いってことよ。それにもう………これが最後になりそうだしな………』
「そうだな……もうすぐお別れだ。今までありがとうな、ゼノン」
『ああ……。そうだ……な………』
 急に弱々しくなった声に異変を感じ、ユリウスは首をかしげた。
「………ゼノン? ―――ッ!!?」
 フッという無重力感が全身を駆け巡り、ゼノンの巨体が自由落下を開始する。見ると、ゼノンが両目を閉じていた。
「どうしたゼノン!? 返事しろ!!」
『―――ぐ……く』
 薄く目を開け、苦しげな声を出しながら翼を広げる。空気抵抗を大きくし、落下速度を少しでも和らげようとする。
 やがて地面が近づいてくるにしたがい、最後の力を振り絞って羽ばたき、何とか着陸する。しかし地面に着くと同時に、体勢を大きく崩してゼノンは倒れた。
「おい、どうしたんだよ相棒!!」
「……っ!? ユリー、あれ!!」
「なっ……!!」
 ゼノンの腹の何箇所かに、黒い水玉模様のようなものがあった。そしてそこから流れ出る赤い色を見て、それがかなり深い穴だということに気付き、ユリウスの頭は真っ白になった。
「ゼノン!!」
 医師の心得のあるフィエナが、応急処置をしようと近き、傷口を確認する。だがゼノンが先に否定した。
『無駄だ……相当深いとこまで……やられてる……。内臓も……大動脈もだ……。もう助からん……』
 ぶわっとユリウスの目に涙が溢れる。
「畜生! いつやられたってんだよ!!」
『あのとき……でかい蛾が苦しまぎれに放った……やつだ……凄ぇ威力だ……。あのまま……避けてたら……ぐ、そっちのお嬢さんに……当たってたからなぁ』
 あの瞬間、ゼノンは捨て身の覚悟でフィエナを庇ったのだ。強固な外皮を持つ自分ならば、軽いダメージで済むと思っていたのが間違いだった。
 ゼノンは少し笑って言った。
『相棒……俺は先に逝くが……』
「あ……ああああ………」
 ユリウスの脳裏をよぎるものがあった。
 焔の継承と呼ばれる儀式で、初めて出合った頃のことを。
『一つだけ……約束してくれ……』
 次に思い出したのが、副団長へと昇進した時だった。自分にも、そしてゼノンにも専用の個室が与えられ、どんな家具を置こうかと語り合った。
『ありきたりかも……知れ…ねぇけど……』
「あああ……」
 ハーピー討伐に行った際、ゼノンが片翼を痛めて飛べなくなり、森の中で遭難して一夜を明かしたこともあった。焚き火をしながら、互いに好みの女性やメスの竜について、下品だが語り合った。
『俺の分まで……生きてくれ……』
 力無く呟く。。そしてゼノンは視線だけをフィエナに向けた。彼女は静かに涙を流しながら、じっとゼノンを見つめ返している。
『相棒を……ユリウスを頼む……』
 彼女は静かに頷き、
「……ええ。今までありがとうね、ゼノン」
『ははっ……女に名前を呼んでもらうってのも……悪く…ないな』
 再び視線をユリウスに向けると、号泣しながら地面に突っ伏す相棒の姿が目に入った。
『泣くなよ、相棒。誰でも…いつかは死ぬんだよ』
「そんなこと……言うなよ……」
『仕方ねぇ…だろ……死ぬんだから』
「でもっ……でもようっ!!」
 ユリウスが顔を上げると、ゼノンは虫の息になっていた。それでも言葉を放とうとし、震えながら口を開く。
『達者で……な……』
「「――――ッ!!」」
 それだけを言うと、ゼノンは目を閉じた。
「あ……あああ…ああ………」
 ユリウスの顔が歪んでいくのが耐えられず、フィエナはそっと目を伏せた。胸の前で印を切り、3年以上もやっていなかった“神への祈り”を、静かに捧げる。
「ああああああああああああぁぁぁぁっ!!!!」
 朝日の輝く澄みきった空に、ユリウスの慟哭が響き渡った。



[28802]  エピローグ 新たな旅立ち 
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/07/19 22:35
 どれくらい泣いていただろうか。
 それからの二人は、ゼノンの遺体に肩を貸しながら、引きずって移動した。
 事切れた竜の身体は重たかったが、予想よりは軽いものだった。死因が大量出血だったからかもしれない。
 幸い、落ちたのはカルサア山道と呼ばれるところだったので、炭鉱の入り口を目指したのだ。この炭鉱の入り口は、現カルサアの街へと続いており、この入り口は日中ずっと、見張りの人間が立っているのだ。
「やっぱ早朝だから、まだ立ってないんだな。グレゴリーのおっさん」
「知り合いなの?」
「ああ。昔っからここの見張りを任されてるおっさん―――そろそろ爺さんだ。ここにゼノンを置いて、書置きとか残しておけば、あとは手厚く供養してくれる」
 そう言ってから、炭鉱の中に入っていく。入ってすぐのところに、簡易的な机やら椅子やら筆記用具やら、様々な物品が並んでいた。
「何て書くの? まさか正直に名前とか書くんじゃないでしょうね?」
 ここで本名を使うなと言っているのだ。このあと二人で住む場所を求めて旅するという―――つまりは駆け落ちをするというのに、自分達が生きているという証拠を残すわけにはいかない。
 ユリウスは言った。
「どうせゼノンを見ただけで、俺の仕業だって見破られるさ。あのおっさんとは仲が良かったからな」
「でも、それじゃあ―――」
「だからおっさんの胸にしまっておいてもらうのさ。そしたら世間には黙っておいてもらえる。その筋書きは―――」
 ユリウスは羽ペンを手に取り、それを手近なとこにあった紙へと走らせる。
『この竜―――ゼノンと名乗る彼に、シーハーツ人である私は命を救われました。遺体を直接持っていく勇気がなくて申し訳ございません。どうか彼を手厚く供養してください。またゼノンさんからの遺言なのですが、彼の相方の『疾風』副団長殿は谷へ落ち、そのまま谷底の川に流されて亡くなられたそうです。彼の分の葬儀をしてくれとのことでした』
 と書いた。
「まずはこれが表向き。………で、こっちがおっさん当ての本音」
 今度は別の紙に筆を走らせる。
『俺だ、ユリ坊だ。信じられねぇとは思うけど、おれは地底の旧カルサア村に落っこちてたんだ。そこには先客が居て、3年前に落ちてきたっていうシーハーツ人の女だった。
 ゼノンの怪我が治るのを見計らって、二人で駆け落ちしようと思ってたんだけど、今日の夜明け前に強烈な施力が空から放たれて、同時に変な怪物が現れたんだ。善戦したが、ゼノンは命を落とした。
 本当なら俺の手で供養したかったんだが、たぶん俺は表向きには戦死したことになってると思うんだ。だから駆け落ちするにあたって、絶対に俺の生存を国に知られるわけにはいかないんだ。
 すまねぇ、おっさん。もうひとつの手紙―――ダミーなんだが、そっちを世間に公表して、手厚く供養してやってほしい。こっちの手紙は、おっさんの胸にしまっといてくれ。まぁ、のルカになら話しても良いが、できるだけ少人数にしてくれ。
 じゃあな、おっさん。また会えたら酒でも飲もうぜ。『疾風』副団長:ユリウス・デメトリオより』
 そこで筆を置いた。
「よっし。これで……いいんだ」
「……バカ正直に書いてるね」
「ああ。俺が信頼してる人だしな。嘘はつきたくねぇんだ」
 手紙を机の上に置き、ユリウスは立ち上がった。努めて明るい声を出す。
「さってと、行きますか」
「どこに行きたい? 私もシーハーツには生きてることを知られたくないんだけど……」
「うーん……ゲート大陸でアーリグリフ、シーハーツ、そして亜人の国サンマイトを除けば、他に国は無いな。いっそのことグリーデン大陸へ行ってみるか? 陸続きだから、ペターニの街の東門から行けるだろう?」
「良いわね、それ。じゃ、目標はグリーデンということで、とりあえずは一番近いアリアス村を目指しましょ」
「あそこにこの鎧姿で行くのか?」
 ユリウスが不服そうな声を出す。シーハーツ領の小さな村に、アーリグリフで有名な『疾風』の鎧を着て入るなど、恐ろしい事である。
「村の前で脱いだら良いじゃない。どうせ鎧の下なんでボロ服でしょ? 村に着いたら『これはペターニのオークションに出す商品です』って言ってしまえば良いのよ」 
 ペターニとは、アリアスからグリーデンに向かって出発したとき、最初に通りかかる大きな商業都市だ。戦時中でも中立を保っていた都市であり、そのためか街全体が活気付いている。―――当然ながら、裕福な人間など腐るほどいることだろう。
「なるほど……って、それまでこの重たい鎧は売り払えないのな……」
「仕方ないじゃない。アリアスは貧村なんだから」
「ってことは、持ってきた金銀財宝も、アリアスでは売れないんだな……」
「うっ……」
 二人が各自で抱えている大袋を眺める。全部売れば大金持ちになれるかもしれないが、買い手がいなければ話にならない。
 フィエナはヤケになって言った。
「じゃあアリアスに着いたら、ペターニ行きの商業馬車を見つけましょ。護衛という名目で乗せてもらえれば、重たい思いをしなくてもいいんだから」
「なるほど」
 そう言って、二人は歩き始める。自分達の未来に向かって。
 ふとユリウスは振り返り、ゼノンの遺体を眺めた。まるで猫が眠るかのような姿勢で事切れている。
「―――ありがとな、相棒」
 腰にぶら下げた、未だに血の滴る骨―――竜の喉笛。
 死体損壊とは言わないでほしい。竜騎士が竜と死別する際に、形見として遺体から抜き取る骨である。その骨を加工することにより、笛が作られるのだ。
 人里に辿り着いたら、これで笛を作ろう。そして―――
(―――お前の命日に、毎年吹いてやるさ。ゼノン……)
 未練を振り切れた顔で、ユリウスは歩みを再開した。



[28802] 第2部 プロローグ アリアス村の現状
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/08/06 16:29
 夕暮れ時。
 アリアス村の北西門を、左右から挟むように立って、見張りをしている兵士に声を掛ける者がいた。
「おつかれーっす。交代だぜ?」
 頭以外を鎧で覆った青年が二人だ。それまで見張りをしていた二人は軽く笑って、
「おお、やっとかぁ。あー疲れた疲れた」
 するともう一人も似たような表情を浮かべて、
「助かったよ。俺、昨日はの不足でさ。戦時が終わってすぐ、この魔物騒ぎだからな。正直、勘弁してほしいぜ」
 交代の兵士が軽く笑って答える。
「ははっ。確かにあの魔物はヤベェけどよ、あんま頭良くねぇし、人里までやってこねぇだろ? だから俺ら、あのクソ重てぇ兜も被らず、だべったりトランプやったり、本読んだりしながら警備ができるんじゃねぇか。しかもクレア団長公認だぜ?」
「まぁ、確かにな。その点だけは魔物に感謝してるさ。―――あれ、奴らが居るせいで見張りやらされてんのに『感謝』は変か?」
 ハーハッハッハ―――軽い笑いと共に、それまで見張りをしていた兵士達が村へと入っていく。
 さっそく新しい見張りの兵士が村の外―――カルサア山道へと目を向けると、遠くに人影が見えた。
「うおっ!? こんな時間に人が来たぞ!?」
「……いや、待て。遠くに居るから人影にしか見えんが、ひょっとしたら魔物かもしれない。人型―――となれば『代弁者』か『断罪者』か……」
「………ッ!!」
 片方の兵士が、顔を真っ青にする。
 『星蝕の日』と呼ばれた日から、各地に魔物が現れた。
 『星蝕の日』とは、『卑汚の風』と呼ばれる、良く分からない風が、上空で吹いた日である。その風を身に受けた生物は見たことも無い怪物へと変身する。またその怪物は常に一種の波動のようなものを放っているらしく、長時間その波動を身に受けた生物もまた怪物化する―――例え人であっても。
 最初に怪物化したのは、アカスジガ(赤筋蛾)と呼ばれる、かなりの高空を飛ぶ昆虫だった。
 そしてそれに近づいた獣・人間が、次々と魔物へと変貌してしまったのだ。
 その『星蝕の日』から三日。幸い、彼らの習性として『群れを作らない』、『特に広範囲で活動しない』、『人里にまで近づかない』という特徴があり、ここの見張りの兵士にとって更に幸いなことに、カルサア山道では魔物が全く目撃されてない。
 だが遠くに見えるのは、その魔物かもしれなかった。
 魔物の中で一番弱いのはジャイアントモス(先ほどのアカスジガが怪物化したもの)だが、これがとんでもなく危険だ。強酸性の燐粉をばら撒くのと、同じく強酸性の弾丸を吐き出してくる。燐粉は吸引すると即死するし、触れるだけでも大怪我、最悪の場合は一生傷や手足の切断という結末が待っている。そして酸の弾丸は人体をあっさりと貫通する。
 それより強い魔物となると、メデューサ等を筆頭としたのがあるが、中でも生身の人間が勝利できないのが数種類いる。
 『代弁者』、『執行者』、そして『断罪者』。以上の3種類は、特に危険な存在として、近寄ることができない。
 見張りの兵士の片方は、ぶるぶる震えながら、相方に問い掛ける。
「お……おい! やっぱクレア団長に報告したほうが――――」
「………」
「って、聞いてんのかよ!?」
「いや、報告はナシだ。あれは人間だよ」
「あ? 何だ、驚かしやがって……」
 自分よりも遥かに目の良い同僚の言葉に、彼は心から安心した。
 
 
 
「おーい。俺たち、ペターニの街まで向かう旅の途中なんだ。この村、宿屋って無いのか?」
 美しい夕焼け空の下、そろそろ松明が村のあちこちで焚かれ始めていた。この村は数週間前まで戦争の最前線となっていたため、今でも多くの兵士の姿が見える。
 二人組みの旅人夫婦―――に変装したユリウス・デメトリオとフィエナ・バラードは、アリアス村に到着し、見張りの兵士と2~3言だけ話して村の中へと入った。戦時中ではないので、特に怪しまれることはなかった。
 ユリウスは素顔と私服姿で、フィエナは手荷物の中から地味な上着とスカート(ミニでもロングでもなく、極一般的な)の上から、顔を隠すようなフード付きのマントを身につけていた。
「よかったな、フィー。宿屋、あるってさ。三日ぶりにベッドで寝れるぞ」
 ちなみにアリアス村に着くまでの三日間、ずっと野宿だったりする。
 だが軍にいた頃から野宿に慣れているのか、フィエナは嫌な顔ひとつせずに、
「うん。正直、宿屋が空いてなかったら、兵士の宿舎しか泊めてもらえそうなところが無いしね。シーハーツは女性兵士も多いから、部屋には困らないけど、あたしの場合、けっこう顔が広いから危なかったよ」
「それもそうだな。―――あ、でも教会とかに泊めてもらうってのもありじゃないのか?」
「それだと石の床に毛布―――なんて上等なものは無いか。たぶん床に藁(わら)でも敷いて寝ることになるでしょ?」
「あ、なるほど」
「ま、強いて言うなら―――この村は酒場が無いのが欠点なのよね」
「はは……そりゃ仕方ないさ。でも谷底に居たときは、酒なんて無かっただろ?」
 フィエナは気まずそうに視線を逸らし、申し訳無さそうに言った。
「……ごめん。本当はあったんだよ? お酒」
「あったの!?」
「うん……村の中に、一軒だけお酒を造ってる家があってね、そこに酒樽がたくさんあったの。長い年月の間に熟成されてて、とっても美味しかった……」
「もしかしてその酒って―――」
「うん。ユリーが来る数日前に、全部無くなった」
 がくっと、ユリウスが肩を落とす。
 フィエナは慌てて、励ますように声を掛けた。
「だ……大丈夫だよ! ペターニまで行ったら、お酒なんてよりどりみどりだって!!」
 と、二人並んで話しながら歩いてると、先ほどの見張り兵士(夜勤)が声を掛けてきた。
「なぁんだ。あんたら、酒が飲みてぇのか?」
 と、言いながら、大きな荷物袋から一本の瓶を取り出した。
「じゃじゃーん♪」
 ユリウスと、そしてフィエナの目が驚愕に見開かれる。
「おお、それは……ッ!!」
「かなり強い酒でありながら、特に女性に好まれることで有名な、アクア・クレスティアよねっ!?」
 アクアベリーと呼ばれる果物がある。その果物から作られた酒が、アクア・クレスティアだ。他にもブルーベリーやブラックベリーから作られたブルー・クレスティアやブラック・クレスティアなどもあるが、中でも特に人気の高いのが、かの聖女クレスティア・ダインが愛飲していたからとも言われている、このアクア・クレスティアだ。
 名前に『クレスティア』が付いているのも、その辺に由来する。
 もう一人の見張り兵士が、こちらも荷物袋から、数種類のジャーキーやチーズを取り出した。
「この村に酒場が無いのは変わらないが、酒やツマミなら、定期的に行商人が持ってくるようになったんだゼイ?」
 ―――どうも、彼らの見張りとして仕事は、かなりいい加減なようだった。
 結局、宿屋は取ったものの、ユリウスとフィエナは夜遅くまで彼らと宴会することとなった―――アリアス村の門前で。



[28802]  1章 久しぶりの人里
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/08/06 16:44
 翌日、三日間の野宿と、昨晩の夜更かしが祟ったのか、二人は見事に寝坊した。すでに昼時である。
 ある程度、旅の疲れが出ているだろうと見越して、あらかじめ二日分の宿代を払っていて良かったと、二人は思った。
 ユリウスが宿屋の人に尋ねる。
「なぁ、行商人ってペターニから来るんだよな? 次に来るのがいつか、分かるか?」
 宿屋のオヤジは、指折りしながら数え、
「そうだなぁ……明日の昼には来るはずだな」
「お、ラッキー。聞いたかよ、フィー? 明日にはペターニに向けて出発できるぞ?」
 するとオヤジは釘を刺すように、
「ただし、タダで行けるほど甘くはないぞ? あと昼に来るんだから、次にペターニに向かうのは明後日だ」
 フィエナが口をはさむ。
「どういう事なの? 甘くないって」
 宿屋のオヤジは気まずそうに頬を掻きながら、
「最近の魔物騒ぎは知ってるよな?」
「「いえ、全く」」
 見事にハモった即答に、オヤジはぎょっとするが、すぐさまユリウス達の脳裏に浮かぶものがあった。
「ああ……ひょっとして、あのでけぇ蛾の化け物とかか?」
「み……見たのかよ?」
「ああ。ってか戦った。すげぇ数に囲まれてヤバかったな」
 宿屋のオヤジはポカンとした顔になり、次の瞬間には大笑いした。
「すげぇな、お前! いや、お前さんらか?」
「ええ。彼と私、とっても強いわよ?」
 フィエナが腕を組んで、自慢げに言う。
「そーか、そーか! ……で、話を戻すとな、ペターニまでの街道にも魔物―――こっちは人型の危険なヤツが山ほど出るんだよ」
「……嘘だろ? ってか、そんな危険地帯を通る行商人なんているのかよ?」
「お前さんら、素人だな。三日前から急に現れた魔物どもなんだが、基本的には群れで動かないし、行動範囲も小さい。何かを捕食するでもないし、向こうから人里には近づかない―――まぁ、こっちから近づいたら襲われるんだけどな」
「へぇ、そうなんだ……」
 フィエナが感心したように呟く。
 ユリウスは更に問い掛けた。
「なぁ、だったら街道に魔物が突っ立ってたらどうするんだよ? 徒歩ならともかく、馬車はレンガで舗装(ほそう)された道以外は慣れてないだろ?」
 オヤジはチッチッチと指を振ってみせた。
「だーかーらー、タダじゃ行けないって言っただろ? 一応、国からの要請で、護衛の兵士が数人ずつ付いてるのさ。そいつらが街道に突っ立ってる魔物の気を引き、逃げる。その隙に馬車が街道を通る。もちろんスピードが必要になるから、馬が引くだけでなく、後ろからも乗組員が馬車を押すんだ。―――死ぬ気でな。
 ああ、それから……あの魔物どもの中で、人間が勝ったことの無いヤツが3種類いる。天使の姿をした代弁者、竜の化け物みたいな姿の執行者、あと悪魔っぽい姿の断罪者だ」
 フィエナは半眼になって訊ねた。
「………誰なんです? そんな意味ありげな名前を付けたのは」
 するとオヤジは、頭を掻きながら困ったような口調で、
「あー、俺も遠くからしか見てないから、人づてに聞いただけなんだが………その3種類だけな、言葉が話せるらしいんだわ。そいつらの名前も、そいつら自身が自称したらしいんだ」
「「………ッ!?」」
 当然ながら驚愕する。魔物―――という表現に値する生き物を見たのは、こないだのジャイアントモスが初めてだ。通常の生物とは明らかに異なる存在と出遭った経験など無い二人である。『魔物』と名の付く存在が、無意識のうちにジャイアントモスのような知性の欠片も無いものだと考えるのは仕方が無かった。
 だからこそ、その『言葉の通じる魔物』というのには、強い興味が湧いてきた。
「おっさん、その魔物について、もっと詳しく―――」
「いや、だから詳しくは知らねぇって言ってんだろ? 俺は遠めに見ただけなんだ。そんなに知りたけりゃ、明日乗るって言ってた行商人か、その護衛の兵士にでも訊けよ」
 結局、この宿屋では大した情報は聞けなかった。
 
 
 
 
 
 その夜。
 宿屋の窓から、アリアス村の北西門を覗くと、昨日とは違う兵士が見張りをしていた。まるで石像のように動かないところを見ると、昨日の二人より桁外れにマジメなのだと気付かされる。
 ―――というか、昨日の二人のほうが不謹慎すぎるのだろう。公務中に酒を飲むなど―――とそこまで考え、自分たちも一緒になって酒を飲んでいたということを、ユリウスは思い出した。
 窓の外を向いたまま、フィエナに問い掛ける。
「なぁ。魔物のこと、どう思う?」
 フィエナは風呂―――は村の有力者の家にしか無いので、村の共同水浴び場で洗ってきた髪をタオルで拭きながら答える。
「んー、『不思議な現象』とか『超常現象』って類のものだとは思うけど、考えたところで解決しないと思うね。こういうのは大勢の人が研究して、各地を調査して、それでようやく『これが原因かもしれない』っていうのが見つかるんだと思う」
「そりゃあ、そうだろうけど……」
「あれこれ考えてても、答えは見つからないよ。今は自分の身をどうやって守れば良いかだけ考えるべきだと思うわ。それに―――私たちの目的は、魔物を消すことでも、世界を救うことでもないの。無事にグリーデンまで行って、そして幸せに暮らす事でしょ? まぁ、グリーデンが理想郷かどうかまでは分からないけどね」
 彼女の言う通りだ。世間的には、二人ともそれなりの有名人であり、同時に行方不明者(おそらくは死亡者という扱い)である。世間の目をすり抜け、二人で平凡に暮らす―――と誓った時点で、アーリグリフやシーハーツに居場所は無かった。
 確かに今は、魔物の正体など、どうでも良い。今は自分の身をどうやって守るかと、これからの身の振り方を考えるだけだ。
 ユリウスは複数ある荷物袋の中から、白い棒状の物体を取り出した。
 フィエナは何も言わない。アリアス村に着くまでの三日間、野宿する際に、ユリウスが何度も“それ”を加工している姿を見ているからだ。そして完成したのは、村に着いた日の昼頃―――村に着く数時間前だ。
「出来たばかりで、まだ吹いてなかったよね。―――その竜笛」
「ああ。一応、穴の開けるときに位置には気をつけたから、普通の笛みたいな音階が出せると思う。あとは竜笛そのものが持つ音色が気になるだけだな」
「何か吹ける曲ある? あたし、聖歌以外にも民謡とか、旅芸人から教えてもらった曲とか吹けるけど」
「俺だっていくつか吹ける曲があるさ。ってか、フィーも旅芸人から教わってたの?」
「うん。陽気なお兄さん―――って、今じゃ中年かな? とにかく気に入った人には、自作の曲を教えて回ってるんだって」
「―――もしかして、それってこんな曲だったか?」
 ユリウスは竜笛を横にし、端に口をつけ、ゆっくりを吹き始めた。
 ゆっくりと明るく、陽気な曲が、柔らかな音色でもって奏でられる。
 フィエナは驚いて目を見開くが、次第に目を閉じて聞き入り、安らかな笑顔になっていった。
「……いい音ね。これが竜笛かぁ。それに―――ああ……この曲だ。あたしが子供の頃に聞いた曲だよ。あのお兄さんが言ってた。『これはペターニとかサーフェリオのイメージに合う曲だ』って。街のBGMにしたいくらいだって言ってたわ……」
「俺もその意見には賛成だな。たしかにあの街のイメージに合う曲だと思う」
 しばらくの間、何曲か吹いてみる。途中、フィエナと交代して、互いに知っている曲を披露しあった。
 そして感想は。
「んー、確かに良い音なんだけどなぁ……」
「なんか、あれだよね。木材とか動物の毛とかで作られた一般的な楽器より、少し上くらいの音質ね。名器とまでいかなくとも、ちょっと値の張る楽器ほどではないわ」
「でも幅広い音が出せるんだぜ? 『怒り』とか『喜び』とかの感情を表現しやすいって言われてるし」
「あははっ。なんかゼノンが言い分けしてるっぽいね」
「ぷっ……確かに……」
「そんなこと言ったら、ゼノン怒っちゃうよ?」
「そしたら吠えるんだろうな。こんな感じに?」
 ユリウスはふざけて竜が喉を鳴らすイメージに合わせて、プーという気の抜けた音を出そうとした。全ての穴を指で塞ぎ、軽い気持ちで息を送り込み、
『グルルル……ヴヴヴゥゥゥゥ……フシュー』
 フィエナと、吹いていたユリウスがポカンとした顔になった。通常の獣とは明らかに異なる唸り。その中に混じる、獣の殺意と知性を持つものの殺意とを合わせたような感情。挙句の果てに『フシュー』というエアー・ドラゴン独特の呼吸音。
 ついで隣の部屋から、幼い女の子の声で、
『お父さん、お父さん! いまお化けの唸り声が聞こえたよっ!!』
『Zzz……うーん、どうせ気のせいだろう?』
『違うもん! 本当だもん!』
 フィエナとユリウスはゆっくりと視線を合わせる。そして、
「ぷっ……」
「は…はは……」
 声を押し殺し、静かに笑い続けた。
 
 
 
 翌々日の朝9時。
 日がだんだんと高い位置へと昇り始める頃。
 昨日の昼下がりに到着した行商人は到着した。その馬車の数は3台。しかも大型の馬車ときた。1台を3頭が引き、また各馬車にも商人たちが2~3人ずつと護衛の兵士、僅かに旅人が乗っていた。
 積荷はアリアス村の倉庫へと運ばれ、それらは特産物を持たないアリアス村(戦争が起こる前までは、いくつかの野菜と、狩人が獲ってくるカルサア山道にしか生息しない動物の干し肉、そして近くの浜辺で生産される塩が財源だった)の貴重な物資となる。
 しかし行商人たちの仕事は、物資をこの村に運ぶだけではない。
 隣国アーリグリフの、ここから一番近い街であるカルサアから輸入された物資をアリアス村で保管し、それを行商人の手でペターニやシーハーツの王都であるシランドまで輸送するのも、彼らの仕事である。
「さってと……それじゃあ出発だな」
「おうよ。俺達の旅の道中に、アペリスの加護がありますよーに」
 やけに気の抜けた会話をする二人の兵士が、出発寸前の馬車の中に乗り込んできた。彼らが、この馬車の護衛の兵士なのだろう。ほかの馬車にも、同じように兵士が乗り込んでいるはずだ。
 と、そこで二人の兵士の視線が、馬車に乗せてもらっている旅人―――ユリウスとフィエナの視線とぶつかった。
「ああ……!」
「あんたら!」
「あのとき酒を奢ってくれた……!!」
「あなた達は!」
 四人の声が、見事にハモった。
 ユリウスが尋ねる。
「あんたら……昨日、この馬車が来たときに、護衛の兵士の中には居なかったはずじゃ……」
 すると兵士の片方―――短く刈った黒髪の男が笑いながら、
「いやいや。行商人を護衛する『ついで』でな、こうやってアリアスとペターニとの人員を交代するようにしてるんだ。ペターニとシランドの間でもやってるぜ?」
 もう一人の赤い髪の兵士も頷き、
「何事も無駄を省いてコスト削減―――不景気や今みたいな緊急時に培われるものだが、そういう時が終わった後でも役立つからな、こういうのは」
 その言葉を聞き、フィエナは意味ありげな笑みを、口元に浮かべた。馬車の中には彼女にとっての知り合いがいなかったので、村を歩く時につけてた顔を覆っているフード付きマントは無い。
 彼女は悪戯っぽく問い掛けた。
「あら、ずいぶんと格好良い格言ね」
 すると黒髪の兵士は笑いながら、
「だろ? いやー、これを言った俺ってばチョー天才―――」
「言ったのは六師団『水』の副団長だよ。今の副団長じゃなくて、3年前に戦死した方の」
 赤髪の兵士が、黒髪の方よりも大きな声で言い切った。
 恨みがましそうな黒髪の彼の視線を爽やかに受け流しつつ、赤髪の彼は語りつづけた。
「前の『水』の副団長……それなりに有名な人でさ。俺は見たこと無いけど、なんでもアイデアを出す事に秀でた人だったみたいなんだ」
 言葉にして言うなら、簡単な事かも知れない。
 しかし実際にやってみると、それが途方も無く難しいことなのだ。
 それは遠い先進惑星で言うところの、『企業理念』に関わる特技でもある。
 もちろん、ただアイデアを出すだけではない。彼女の場合、コスト削減にしろ、現状問題への対策にしろ、参謀などとは異なった『ひらめき』を持っていたのだ。
 ユリウスが、そっとフィエナに目を向けると、ちょうど目が合い、彼女は照れくさそうに笑った。
 ついでとばかりに、フィエナは質問する。
「あ、そういえば今の『水』の副団長って、誰がやってるの?」
 答えはあっさりと返ってきた。
「ああ、あの人だよ。レベッカ・ファーレンスって人」
 一瞬、フィエナの目が驚きに見開かれたのを、ユリウスは見逃さなかった。だがすぐに彼女が笑顔になっていくのを見て、すぐに安心する。おそらくは彼女の友達か後輩だろう。



[28802]  2章 パルミラ平原
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/08/13 15:22
 広い平原を馬車がゆっくり―――人間の徒歩よりは遥かに早い―――と進み、平原の中に小さな湖が現れた。
 馬を止め、行商人たちが馬を労わりながら水を飲ませている。
 ユリウスは、馬車の中で会った黒髪の兵士に問い掛けた。
「なぁ、水棲生物は魔物化してないのか?」
 その質問は最もである。兵士は不思議そうな顔をしながら答えた。
「ああ。なぜか分からないんだが、水ん中の生き物は魔物化しないんだ。水そのものに、あいつらの波動みたいなのをカットする効果があるかもしれない―――ってのが、研究者の意見だな」
 と、そこで少し離れたところから、赤髪の兵士が走ってきた。
「なぁ、いま聞いたんだけどよ。今夜はここで野宿するらしいぞ」
 言った直後に、今度は別の兵士と行商人のリーダーが、手で作った簡易メガホンを口に当て、今夜の野宿を告げていた。時間はすでに午後4時。まだ空は明るいが、早いうちに寝床を確保する必要があったので、この湖を選んだらしい。
 ちなみにだが、ここパルミラ平原は年に2回、この広大な平原を挟むようにして流れる川が氾濫し、大量の土が自然に入れ替わるようになっている。その時期を見計らって畑を耕すものも多い。
 そして何より、その増水によって毎回と言って良いほど、平原内の湖の位置が大きく変わる。
 『こないだまでは、ここに湖があったのに……』と思っても、後の祭りである。湖の数も、その位置も、毎回大きく変わり、次に変わるのは半年後の増水まで―――という事になっている。変わらないものがあるとすれば、ぽつぽつと点在する『高木』と、レンガを並べて作られた『街道』だけである。
「さーてと……晩メシまで薪(まき)拾いでもすっかぁ」
「じゃ、俺は魚釣ってくるわ」
「あ、俺も」
「あんまり遠くに行くなよー。あと魔物には近づくなー」
 などなど、行商人や兵士たちが言って、全員がバラバラに歩き去っていった。
 続いて何人かいる旅人の中で、子連れの家族が2組いた。その中の父親同士が仲が良いのか、
「じゃ、俺たちも薪拾ってくるか」
「そうだな」
 それに続けて母親たちが、
「じゃあ、あたし達は料理の準備をしましょ」
「あたいらの腕の見せ所だね」
 当然ながら、子供たちでも仕事が回ってくるわけではあるが、
「えー、僕たちずっと馬車の中に居たから遊びたいよー」
「あたしもピートと一緒に遊びたーい」
 やっぱりダダをこねた。
 すると黒髪の兵士が鎧を脱いだ姿―――ランニングシャツとハーフパンツ姿で近づいていき、
「よっし。じゃあ兄ちゃん達と食べれる木の実を探そう! 木登りできっか?」
「うん!」
「あたしもー!」
 そんな光景を眺めて微笑みながら、親たちは兵士に礼を言う。
「ほんとにすいませんねー」
「いやいや。お安い御用ですって」
 黒髪の兵士が屈託無く笑って答えると、赤髪の兵士が爽やかに笑いながら、
「気にしないで下さい。こいつ、頭の出来が子供レベルなだけなんで」
「なんだとコノヤロー!」
 少し離れたところから眺めていたユリウスとフィエナは顔を見合わせ、
「じゃ、俺たちも木の実でも取りに行くか?」
「……そうね。木登りできない大人って、結構多いもの。―――ユリーもできるよね?」
「当たり前だろ? 木よりも高い空を飛べるのに、木登りができないわけ無いだろ?」
「じゃあ大丈夫ね」
 そう言って、散策を始めた。
 
 
 
 パルミラ平原は、基本的に高木が少ない。
 あったとしても時おり民家でも見かける、『子供が木登りするには最適な高さの木』といったサイズがほとんどだ。
 そんな高木が少ないといっても、見渡す限り見当たらないというほどでもない。
 数十メートルおきに一本といった感覚で、あちこちに点在している。
 ユリウスとフィエナは、あの黒髪と赤髪の兵士、そして二人の子供と一緒になって木の実探しに興じていた。
 フィエナが言う。
「あっ! この木、ブルーベリーの木だよ!?」
 子供の頃にさんざん木登りでもしてたのか、物凄く興奮しながらフィエナが叫ぶ。
 ブルーベリーとは、遠く離れた地球の果物とは全く異なり、一粒の大きさが地球で言うところのリンゴ並みのサイズがある。果物としての食べ応えは、充分すぎるほどだ。
 ユリウスは、その木を眺めながら顔をしかめ、
「こりゃあ……子供たちに上らせるのは危険だろ?」
「でも私たちには楽勝でしょ?」
 子供たちはフィエナが指す木を眺め、ちょっと複雑そうな顔をしていた。ここらへんでは珍しいくらい、背の高い木である。
 しかも高いだけではない。その木は何メートルもの高さに達して、ようやく枝分かれが発生しているのだ。―――つまり、その高さまで足がかりが無いのである。
 すると黒髪の兵士がヘラヘラと笑いながら、
「俺だって負けてないぜ? ガキの頃、近所の貴族の屋敷に成っているブルーベリーの実を盗む天才だったんだからな……ッ!!」
「―――つまり、お前は泥棒の達人でもあったんだな……」
 赤髪の兵士が呆れながら呟く。
 そして彼は溜息を吐き、目の前で黒髪の兵士とフィエナが木を登る競争する光景を眺めながら苦笑し、隣に立つユリウスに話し掛けた。
「あんたの奥さん、楽しそうに笑うんだな」
「そういうあんたの相棒だって、無邪気で、それでいてずいぶん楽しそうだな。それに―――あんただって楽しそうに見えるがな」
「―――ははっ。確かにな」
 ユリウスは気になっていたことを訊ねた。
「あんた―――何か吹っ切れたような顔してる」
「へぇ……分かるのかい?」
「俺も似たような顔してたからな。つい最近だ。相棒が死んだときだがな」
 すると赤髪の兵士は驚いた顔をして、とんでもないことを口にした。
「って、ことは……あんたの相棒のエアー・ドラゴンが死んだってことか?」
「―――ッ!!」
 今度はユリウスが驚愕する番だった。強烈な警戒を示すユリウスに、赤髪の兵士は軽く両手を上げて敵意が無いことを示した。
「待った待った。これでも俺は隊長なんだ。それもエリートのな。あんたの名前と顔くらい知ってたって、そんな驚く事じゃないさ」
「だったら……どうして―――俺がシーハーツで、どれだけ汚い仕事をしてきたか知ってるんだろ?」
「俺の名前は『闇』のアストール。あっちで木に石を投げてるのが居るのは『光』のヴァン。どっちもアーリグリフじゃ、シーハーツ人から見たあんたと同じくらい有名人だろ?」
 今度こそユリウスは言葉を失った。六師団の中でも、副団長という役職には届かないものの、凄まじく有能な兵士が居るのは、大分前から知っていたのだ。
 そんな彼らがなぜ、一般兵の格好をしているのだろう。
 ユリウスの疑問を察してか、アストールはケラケラ笑いながら、
「俺たちがこんな格好してるのは、あれだぞ? 今回の護衛の兵士どもの仕事振りを、抜き打ち審査するために派遣されたんだ。あいつら新人だからな」
「俺の妻のことは―――」
「ああ、気付いてたさ。フィエナ・バラードだろ? あの人は俺のこと忘れてるみたいだけど、俺は覚えてる。まだ俺が民間人だった頃、命を助けられたからな。……ま、ヴァンのヤツは、最初からフィエナ副団長のこと、知らないみたいだけどな」
「―――俺たちをどうするつもりだ? まさか王都で正体をバラすんじゃ―――」
 ユリウスの言葉を遮り、アストールは迷いの無い目で、きっぱりと言い切った。
「言ったろ? 俺はあの人に命を助けられた。今度は俺が、恩返しをする番だ」
「………………」
 しばらく沈黙が続いた。
 そしてユリウスが、その沈黙を破った。
「くっくっ……」
「何が可笑しいんだよ?」
「いや、悪い。お前の噂を聞いてる限りじゃ、なんかこう―――キザなセリフと、紳士的な口調ってイメージがあったからな」
 アストールはにっこりと笑って言った。
「ああ。それが普段の俺だ」
「じゃあ何でそんなキャラなんだよ? イメチェンか?」
「付き合ってた彼女にフラれて、生き方を変えた―――それだけさ」
「―――ぷっ。だから吹っ切れたようなツラしてたのか」
「ははっ。ま、いい女なんて、この世には山ほどいるさ」
 少し離れたところで、ヴァンが盛大な音を立てて地面に落ちた。さすがにヤバいかと思っていると、むくりと起き上がって、両腕にたくさん抱えたブルーベリーを自慢げに見せていた。
 
 
 
 
 
 夕方になり、全員が湖で水浴び―――当然ながら遮蔽物(しゃへいぶつ)の無い湖なので『全裸』とまではいかず、下着姿になって男女別に汗を流す事になった。
 そしてそのまま日没と共に夕食になり、保存の効くジャーキーや干し芋、硬いパンやチーズ、現地調達の魚や果物など、多彩な食材が食卓に並ぶこととなった。
 各地の魔物化が懸念されてるとは思えないほど明るく、まるでパーティーでも開いているような錯覚を覚え、ユリウスは頭を振って現実を見つめ直した。
 当然ながら、ここには酒は存在しない。魔物化が懸念される前からでもそうだが、旅の途中、酒を飲む事はあまり利口てはない。いつ凶暴な猛獣に襲われるかも分からないし、ここパルミラ平原にはいないが、盗賊の危険性もある。
 今は緊急事態ということで、国から兵士が護衛に付けられてるが、普段の行商隊―――いや、全ての旅人に共通の脅威など、掃いて捨てるほどある。『街』という完全とまではいかない安全地帯の外で、酒を飲む事がどれだけ危険な行為かなど、誰でも知っていることだ。
 ユリウスは串に刺さった魚―――この串もまた手製―――をかじりながら、ぼんやりと上空を眺めていた。
 すると背後からフィエナが歩み寄ってきた。
「星空を眺めるのって、意外と飽きないものね」
 そう言って彼女はユリウスの隣まで来て、地面に腰を下ろした。ユリウスもその場に座る。
「俺が谷底に居たのは数日だけだったけどな―――でも分かる気がする」
「ふふ……でしょ? 地上に住んでた時はあんなに見慣れたものでも、長い間見れなくなっただけで、改めて見たときの感動って大きくなるものだと思うの。それに―――星空が好きになったきっかけは、やっぱり一度空を飛んだから……かな」
「そりゃそうさ。竜騎士ってのは名誉職でもあるが、本当の魅力はこの世で唯一、人間に赦された飛行手段だからな。あの感動が無かったら、名誉と危険だけの味気ない仕事だよ」
「そうね。―――ねぇ、またあの竜笛、聞かせてくれない?」
「構わないさ。ちょうど今みたいな雰囲気に合う、シックな曲に心当たりがあるんだ」
 そう言って荷物袋から竜笛を取り出したとたん、
「よっ。お二人さん」
 黒髪の兵士―――ヴァンが背後から声を掛けてきた。
 ユリウスが笑って手を振る。
「あ、ヴァンさん」
「ヴァンでいいさ。―――おっと、別にナンパしてるんじゃないぜ? するにしても、さすがに旦那の前でナンパはできないからな」
 ユリウスは問い掛けた。
「なぁ」
「ん?」
「昼間にアストールに聞いたんだ。あんたとアストールが、俺達の正体に気付いてるって事を」
「な―――!?」
 驚きの声を上げたのはフィエナだった。ヴァンは軽く目を見開いたが、すぐに納得したような顔になった。
「あー、そうかそうか。アストールのヤツ、よっぽどあんたに借りを返したいらしいな」
 そう言ってフィエナの顔を覗き込むヴァン。当然ながら、彼女が話しについていけるはずもなく、
「ちょっとユリー、どういうこと?」
「実はあの赤い髪のヤツ―――アストールって言うんだが、あいつから俺に話し掛けてきたんだ。……何でも、過去にフィーに助けられたことがあるんだって。心当たりはあるか?」
 それを聞いてフィエナはしばし熟考し、やがて彼女の脳裏に蘇った記憶があった。
「ああ、確かシーハーツのどっかの村で、アーリグリフの一般兵が民間人に剣を振り下ろすタイミングで助けたあの子かな?」
「―――凄いタイミングの良さだな」
「俺もそう思う」
 より正確には、その時に助けた少年―――自分より少し年下っぽい―――は、少年と同い年っぽい少女を庇うように仁王立ちをしていたような気がする。
「……で、あの赤い髪の兵隊さんが、あたしに恩返しでも?」
 するとヴァンが、
「そうなんだよ。戦争が終わってるとはいえ、かつての『疾風』の副団長と仲良くアツアツな関係に水を差すマネをしないように、本国への連絡をすっぽかそうぜって話なんだ」
 じっとその話を聞き入っていたフィエナは、安心したように溜息を吐いた。
「そっかぁ……それは助かるわ」
「そうだな。俺もさっき聞いて安心したさ」
「そうよねぇ。いくら戦争が終わったからって、互いの軍の代表格がお付き合いなんて」
「世間体ってものがあるもんなぁ……」
 しばらく沈黙し、ヴァンの言葉に聞き捨てられない情報があるのに気付いた。
「は?」
「戦争が終わった?」
 結局、人里からずっと離れていた二人は、今の社会情勢を何一つ知らないのだった。
 
 
 
 その後、興奮を通り越して錯乱する寸前の心を無理やり落ち着け、ヴァンに詰め寄った。
 分かった事は、これだけだった。
 
『アイレの丘で戦をしていると、謎の飛行物体が現れ、アーリグリフ・シーハーツの両軍を焼き払った』
 
『その数日前から王都アーリグリフに落ちてきた謎の物体の乗組員の一人―――フェイトという青年が、これまた正体不明の強大な施術を発し、殺戮を続ける飛行物体を消し飛ばした』
 
『その後に再び飛行物体が現れるが、フェイトという青年の同郷の者と思しき組織が現れ、敵と同じく謎の飛行物体に乗って敵を撃沈。その際に味方側の飛行物体も撃沈する』
 
『彼らが語るところによると、彼らは異世界から来たと主張。そこの技術力は、おそらくはあのグリーデン大陸の数百倍とも数千倍とも思われる』
 
『敵はフェイトを拉致すべく現れた存在で、フェイト達がこの世界から脱出するまでの数分間を敵の攻撃から持ちこたえるため、技術力の少ないこの世界の物資を集める目的で、アーリグリフ・シーハーツの間に停戦協定が結ばれる』
 
「とまぁ、こんな感じだな。―――しっかし、あんたらがまさか旧カルサアなんてとこに居たとは。そりゃ長い間、世間から見つけられないはずだな」
 ヴァンは感心しながら言ったが、ユリウスもフィエナも気が気でない。
「結局、そのフェイトっていう人はどうなったの?」
 ヴァンはニヤリと笑って答えた。
「フェイト達だって飛行物体を持っている。それもある程度の大型で、しかも入り口を通らなくても、青い光を放ちながらワープするみたいにして出入りできる」
「凄いな、おい」
 ユリウスが感嘆する。
「でも出入りが楽だからって、簡単にはいかないんだ。味方の飛行物体―――星の船っていう名前があるんだが、そいつは常に上空に居るんだ。……で、出入りしようにも、ある程度は地上に近づかなければならない。地上に近づいてからも、内部でアレコレと操作をしないと、ワープみたいなのが使えない。しかし星の船が一定以下の高度まで下がると、今度は敵の星の船が3匹同時に襲い掛かってくる。当然ながら、そいつらを追い払おうとする。するとどうなる?」
 身振り手振りで説明されたので、理解には苦労しなかった。
「えっと……襲いくる敵を相手にしていたら、その……ワープ? する装置が使えない?」
 フィエナの答えに、ヴァンは『おしい!』と言った。
「今のはおしいな。正確には装置を操作するヒマが無いんだよ。だからほんの数分の時間を稼ぐのに、シーハーツの新兵器で、奴らに俺達の技術力を誤認させようって計画が出たんだ」
『誤認っ!?』
 ユリウスとフィエナの声が、見事にハモった。
「あ、あれって物凄い威力があるのよ!?」
「『援護』でも『加勢』でもなく、技術の誤認だけって―――どんだけ敵は強い船に乗ってるんだよ?」
「さあな。こっちの攻撃が当たる瞬間、光でできた壁みたいなのが現れるんだ。そいつのせいで、結局かすり傷すら付けられなかったのは覚えてる。まぁ、とにかく。その新兵器をクロセルに乗せて、空中で―――」
「はいはいはいスト―――ップ!!! クロセルって……なぜそこで『竜の王』とまで呼ばれたVIPが登場するんだ!?」
「新兵器の砲弾が、上空には届かないからだよ。―――とにかくフェイトやアルベルやネル様がクロセルと戦って、『戦いに協力する』っていう約束を取り付けたんだとよ」
 しばし呆然とする二人。
 そしてユリウスは肝心の質問をした。
「……で、その作戦は成功したのか?」
「―――たぶん、途中でイレギュラーが起きなければ、味方の星の船が撃ち落とされただろうな」
「まだ何かあるの?」
「ああ。詳しい事はさっぱり分かんねーけど、いきなり敵の星の船が、どこからとも無く現れた光線によって打ち落とされたんだ」
「―――それって、例の異世界の人間の攻撃じゃないの?」
「多分そうだとは思うけど―――とにかく、その攻撃が異常なんだよ。フェイト達が言うには異世界同士でも国交みたいなのがあるらしいんだが、そいつらの技術力すら上回る何かがあるらしい。威力が『くらす3』とか言ってたっけ? あいつらの技術の最大威力でも『くらす2』らしいんだ」
「1だけしか増えてないだろ? 頑張って開発したんじゃないのか?」
「『くらす』っていうのは、学術的な単位らしいんだ。『くらす1』で太陽と同じ熱量―――石でも鉄でも一瞬で蒸発させる温度らしい。そして『くらす』が更に1増えるごとに、威力が1000倍になるってさ。従来の最大威力を1000倍にするって、それこそ常識外のものらしいぞ?」
 今度こそ二人は顔面蒼白になった。
「そんな凄ぇヤツを敵に回してはいけないな……」
「そうね……」
「だろぉ? 俺もあんな場面に出くわすのは、もうごめんだぜ。でもおかげで肝っ玉が強くなっちまったかな? 大抵のことにはビビらなくなったけどよ。はははっ!」
「あら、凄いじゃない」
 適当にフィエナが返事しながら、その隙にユリウスはヴァンの背後に回った。そして腰に吊るした竜笛を口に当て、
『グルルルル……』
「ひああああぁぁうあぁあぁわああああッ!!!?」
「あ、ごめん。そこまで驚くとは思わなかった」
 ぽつりとフィエナが呟いたと同時に、アストールを始めとする護衛の兵士たちが駆けつけてきた。
「どうしたっ!?」
 リーダー格―――っぽく見える兵士が叫んだ。本当はアストールやヴァンが彼らの先輩なのだが、ここでの彼らは一番の新入りという設定で通っている。
 すぐさまフィエナが目を潤ませて言い訳する。
「ご……ごめんなさい。まさか首の後ろからトカゲを服の中に入れただけで、あんな悲鳴を上げるなんて思ってなかったから……」
 咄嗟についた嘘に、兵士たちはポカンとした表情になり、次第に爆笑してしまった。
 そんな仲間たちを見つめ、ヴァンは感情の無い声で、小さくユリウスに呼びかけた。
「おい、今のもう一回やってくれ。それでチャラにしてやる」
「アイアイサー」
 ユリウスは遠慮なく息を吸い込み、竜笛に口をつける。
 この夜、近くを通りかかった猛獣が、何者かの遠吠え(絶叫?)に驚き、慌てて逃げていったという。



[28802]  3章 平穏な道中
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/08/13 15:26
 翌日。
「おーい! 遠くにリザードマンが出たぞぉー!」
 先頭の馬車からの呼びかけに、ユリウスは竜笛を取り出して吹いた。―――竜のいななきを。
『ギャオオオォォォッ!!!』
 案の定、パルミラ平原の危険生物の代表格とも呼ばれる二足歩行のトカゲは、狂ったように全方向の空を見上げながらも、早足で駆け去っていった。―――昨夜の兵士たちのように。
「あー、やっぱ猛獣にとっても、天敵ってのは居るもんだなー」
 馬車の御者が、のんびりとした口調で呟いた。
 昨夜の騒ぎの後、動物相手に竜笛を吹いても効果があることが判ったので、それ以降、猛獣に出くわすたびにユリウスの竜笛が活躍していた。最初のうちは竜笛を訊いた猛獣たちの反応を楽しんでいた兵士たちも飽きてしまったのか、今では馬車から顔すら出さない。
 ユリウスは感心したように呟いた。
「魔物化する騒ぎが起こってるって言うから警戒してたんだが―――全ての動物が魔物化してるわけじゃないんだな」
 その言葉を肯定するように、アストールが横から口をはさんできた。
「猛獣だって、魔物が危険なものだって分かってるはずさ。当然ながら、魔物に近づこうとする生き物なんて居やしない。その結果、魔物の放つ波動に当たらないから、魔物化しない」
「なるほど―――ま、確かにな。それに全ての動物が魔物化したんなら、家畜まで魔物になって食えなくなっちまうか」
「今日からでも菜食主義者になってみないか?」
「俺は別に構わないさ。アーリグリフでは野菜のほうが貴重でな。肉嫌いと野菜嫌いの数を比べたら、圧倒的に肉嫌いのヤツが多かった」
「へぇ……」
 その時、再び先頭の馬車の御者が叫んだ。
「おい、今度はでかいサソリが街道でふんぞり返ってるぞ!」
 聞いたとたん、ユリウスは顔をしかめた。
「あー、ああいうのには竜笛は効かないと思うっすよ?」
 御者は素っ頓狂な声を出した。
「へ? 何で?」
「昆虫とかサソリとか―――無セキツイ動物って言うのかな? とにかく赤い血が流れてない生物ってのは、頭の作りが違うからな。特定の音に反応する事はあるかもしれないけど、猛獣の声を聞いただけで反応するほど、あいつらは賢くないんだ」
「そーかい、そーかい。じゃ、俺が行ってくるわ」
「へ? ちょ、ちょっと!」
 ユリウスは焦った。いかにも戦闘の素人なこの御者は、この行商隊のリーダーだ。彼が今までどのような人生を送ったのかは分からないし、ひょっとしたら何度も猛獣を狩った経験があるのかもしれない。だが戦うことに関してのプロであるユリウスの勘は、この男が弱いと伝えてくる。
 アストールも気持ちは同じだったのか、
「グラハムさん、危険です! そいつの退治は我々でしときますので、どうか馬車に戻ってください!」
 グラハムと呼ばれた男は振り返って微笑み、
「安心せい。近づいたりせんでも、こんな奴らなんぞ、簡単に追い払えるっての」
 そう言って荷台から適当な薪(昨日拾った。50センチほどの太いヤツ)を引っ張り出し、先端の10センチにボロ布をグルグルと巻きつける。そしてその巻いた布に、調味料や何かの液体を染み込ませ始める。
「これに火をつけて、匂いのする煙を撒き散らす。普段はワシらがやっていることだが、今回はあんたら兵士に任せてもええかい?」
「あ、ああ」
 アストールが薪を受け取り、馬車の外に出る。それをユリウスは追いかけた。
 先頭の馬車の前まで行くと、2メートル級のサソリが、道を塞いだまま佇んでいた。
 一応、ユリウスは至近距離で竜笛を吹いてみた。
『グルルルル……』
 半ば予想はしていたが、サソリに動く気配は無かった。
 アストールに目で合図すると、彼は頷いて施術を唱え、薪に火をつけた。すぐさま液体を染み込ませた布から白い煙が立ち上がる。その薪をサソリの至近距離まで近づけ、大きく息を吹いて、サソリの顔に煙を吹き付ける。
 するとサソリは、2メートルもの巨体をゆっくりと動かし、180度の方向転換をし、走るようにして逃げ出した。
「うおっ!?」
「ほんとに逃げた!!」
 今まで聞いたことも無かった撃退法の効果に、アストールとユリウスは度肝を抜かされた。
 そんな二人の様子に、馬車の御者グラハムは豪快に笑って言った。
「わっはっは! 驚いたか、若いの! 戦う力も無く、護衛を雇う金も無い老いぼれってのはなぁ、こうした知恵をつけるんだ」
 そして目線をユリウスの竜笛に向け、
「時に若造、その笛、俺に譲ってくれねぇか? それがあれば旅が大分楽になる。それなりの額は出すが……」
「あ、すいません。これ親友の形見なんで、売れません」
「お? やっぱそうか。その親友ってのは竜か? ってこたぁ、お前さんは『疾風』の―――」
「―――なんか教えてもないのに、個人情報が漏れてるような気がするな」
「はっはっは! 色々と『特徴』ってのが染み出てるからさ。まず仕草がアーリグリフ人だってバレバレだ……メシの時の祈り方とかな。そして俺ぁゲート大陸を端から端まで旅してるから、各地の特産物だけでなく、伝統や歴史にも詳しい。だから竜笛の形と音、そしてどういう状況のときに作られるかも知っている。―――シランドに行く事があれば、気をつけるんだな」
「………………ああ」
 確かにこの先、元敵対国に近づくことがあれば、気をつけるに越したことはない。戦争前が友好国だったからといって、誰もが友好的な態度を示してくれるとは限らないからだ。
 今後、竜笛の使用は控えたほうが良いかもしれない。
 
 
 
 
 
「お兄ちゃん、笛吹いて!」
 笛を吹くのを控えよう―――と心に決めたコンマ5秒後、旅人親子の子供の方からねだられた。まだ小さな女の子だった。
(ま、この道中のみんな、俺の持ってる笛の音を聞いてるしな……)
 今さら彼らに隠す意味は無いと思い直し、適当な音を思い浮かべる。
 すると女の子が、
「音楽じゃなくて、あのガオーって音をやって」
「ん? ああ、竜の鳴き声か」
「うん! あの音がね、なんか落ち着くの」
 変わった女の子だな―――と、そこまで考えて、思い出すものがあった。かつての『疾風』の部隊の中に、『娘のエッタが俺の竜に懐いてて、しょっちゅう会いに来る』と言っていた男を思い出したのだ。
 しかし考えて見れば、この子の両親もこの馬車に乗っており、父親と思しき人物に見覚えは無かった。
 それでも念のためと思って聞いてみる。
「なあ、エッタって名前の子、知ってるか? オヤジさんが竜騎士なんだけど」
「うん、知ってる。王都に住んでたときの幼馴染みだよ。よくエッタのお父さんの竜に会わせてくれたの。カルサアに疎開してからは―――あ」
 少女は急に怯えた表情になり、ユリウスとの距離を開けた。
「ど、どうした?」
「あ、うそうそ。カルサアじゃなくて、えーと―――」
 慌てて言い訳する様子に、ユリウスは気付いた。この少女の家族はおそらく、これからアーリグリフ人であることを隠して旅するように、少女に言い聞かせているのだろう。ユリウスは努めて優しい口調で言った。
「安心しなよ。俺もアーリグリフ人さ。『疾風』の副団長だぜ?」
「――――え? なんで?」
「俺は……そうだな。シーハーツの『水』―――じゃ分からないか。『水』ってのは、シーハーツの中の『疾風』みたいな騎士団さ。その『水』の副団長と駆け落ちする旅の途中」
 少女はポカンとした顔のまま硬直し、やがて吹き出した。
「あははっ! お兄ちゃん、おもしろーい」
「ははっ。面白いだろ? ま、ペターニくらいなら、俺たちがアーリグリフ人だってのを隠さなくても生きていけるさ。あそこはアーリグリフでもシーハーツでもない、特別自治州だからな」
 そう言って、彼は思い出したように竜笛を取り出し、吹いた。
 威嚇とも雄叫びとも異なる、竜と長く接する者にしか分からない『まどろみ』、そして『寝息』である。
 最初は微笑んでいた少女も、次第にうつらうつらと舟を漕ぎだし、そして眠ってしまった。
 ユリウスの傍に、今度は少年が歩いて来た。静かに寝息を立てる少女に目を向けながら、問いかけてくる。
「なぁ、兄ちゃん。女の子に『お前は俺が守ってやる』って言ったらさ、普通はどういう時に、どういう守り方すれば良いんだと思う?」
 突然の質問に、ユリウスの思考はしばらく凍りついた。
 かろうじて問い返す。
「……何かの演劇でも見て言ったセリフか?」
「ううん。近所のお姉さんが読んでくれた本にあったセリフ」
「―――それ、誰かに言ったのか?」
「うん。シャルに言った」
 目の前で眠りつづける少女に目を向けながら言った。たぶん、この子がシャルという子なのだろう。
「前に騎士団ごっこしてたときに、シャルに言ったんだよ。そしたらシャル、すげぇ喜んでて……どれだけの事をすれば『守る』になるのかなって」
 ユリウスが答えにくそうにしていると、いつの間にか背後からやってきたフィエナが口をはさんできた。
「それはね、ずっとその女の子のそばに居て、守り続けることなんだよ。その女の子が迷ってるときや、苦しんでるとき、いつもそばで支えてあげることだと思うの」
「……いつもそばで支える………」
 その表現は、子供には少し難しかったかもしれない。だがフィエナの言う意味が少しは伝わったのか、彼は自分の耳に残る言葉を何度も反すうした。
 その時、それまで眠っていた少女が目を覚ました。
「ん……ピート?」
 少年は名前を呼ばれ、とりあえず今しがた聞いたことを、試しに訊いてみた。
「なあ、シャル。何か困ってることってない?」
 少女は眠そうな顔で考え、
「お腹すいた……」
 とだけ答えた。
 
 
 
 
 
 そんなわけで、ちょうど昼食時。
 行商隊のリーダー・グラハムは、水の入ったコップを片手に大声を張り上げていた。
「いいか、みんなぁ! この調子で行けば、明日の昼前にはペターニに着ける。下手に動物と交戦しないように、遠くに目を配ること。見つけたらすぐに、こっちの笛吹き兄ちゃんに頼むこと。前方に現れたのが魔物なら、早急に馬車を止め、仲間内に知らせること。分かったかぁ!」
 まばらに『うーす』だの『あいよー』だのという返事が帰ってくる。『動物と交戦』という表現が出たが、これはこの惑星の猛獣が危険ながらも、遠く離れた地球の猛獣と異なり、実力次第では素手で戦える程度の存在だからこそ流通した言葉である。
 適当に川魚でバーベキューという、行商隊にとってはありふれたメニューだが、魚も保存食も種類が豊富で、それなりに飽きないようになっている。
 昨夜と異なるところは、今は湖ではなく、パルミラ平原を挟みこむようにして流れる川の、西側に面した位置で馬車を止めているくらいだろうか。
 ユリウスは、腑に落ちないような口調で言った。
「……魔物の騒ぎが起きてるわりに、中々出くわさないな」
 すぐさまアストールが口を開いた。
「まだ魔物騒ぎが起きて六日だからな。魔物の数とか、まだ全然判ってないんだ。魔物の尋常じゃない強さと、それが動物だけでなく人まで魔物化させるって点に、女王様や交易関係の大臣―――なんて役職だっけ? とにかく、その人らが懸念してたからな。事件が起こり始めた翌々日には、こうして行商隊に護衛を付けるって決まりができただけでも、中々なもんだと思うぞ」
「……それもそうだな」
 確かに魔物化が問題視されてるとはいえ、詳しいことが判ってないのも事実だ。
 ユリウスは過去に谷底で、アカスジガが雨のように降ってきては片っ端から魔物化する光景を目にしている。それらは相当恐ろしいものだったが、聞けば世間を騒がせている魔物は、それよりも遥かに危険な魔物らしい。言葉を話す魔物というのには興味がある反面、絶対に出会いたくないという思いもある。
 そこへヴァンが、遠くからやってきた。その腕には山ほどの果物が抱えられており、持ちきれない分は彼の両サイドを歩くシャルとピートが抱えている。
「おーい! 今回も俺が大活躍だぜ。ブルーベリーだけでなく、アクアベリーまで取ってきたぜ!」
 そう言って、ブルーベリーを水色に染め上げたような、拳大の果物を掲げてみせる。
 この大陸で、野生の果物といえばブルーベリーとアクアベリー、ブラックベリーの3種類が代表的である。
 その他の果物もあるにはあるのだが、基本的に人の管理してない果物というのは虫に、時には鳥に食べられてしまう。どのような理由か、ブルーベリー等の3種類は、虫や鳥に嫌われている傾向があるのだ。
 ユリウスはアクアベリーを一つ取り、おもむろにかぶりついた。
 ひんやりと冷えた果実からは、強い甘味と僅かな酸味が口いっぱいに広がってきた。
 その味を堪能しながら、ぼんやりと呟く。
「ま……平和ならいっか」
 
 
 
 
 
 昼食も終わり、再び馬車は動き出した。
 数十分に一度は休憩する。馬だって疲れるからだ。
 フィエナは馬車の後部から足を投げ出し、流れていく風景を見つめ、風に髪をなびかせていた。
「お姉ちゃん、なんか絵になってるぅ」
 シャルが見たままの乾燥を述べる。
「ふふ。ありがと」
「えへへ……」
 再び流れ行く風景に目を向ける。無意識のうちに、口が動いていた。
「久しぶりなの。風を感じるのも、たくさんの人と過ごすのも……」
 幼い少女は首をかしげた。
「どうして?」
「ずっと閉じ込められてたから」
「牢屋に? それともお屋敷の部屋に?」
 外見の幼さとは裏腹に、それなりに世間の常識というものを知っているらしい。彼女の口から『屋敷』という単語が出た時点で、自分が貴族だったことすらバレてるかもしれない。
 フィエナは続けて言った。
「深い谷底よ。嵐の時に滑り落ちて、そのまま出られなくなっちゃった―――だいたい3年ほど」
 少女の瞳に驚きの色が浮かんだ。
「……どうやって出られたの?」
「後から落ちてきた二人のお友達がいるの。その内の一人が、あたしともう一人の友達を上まで運んでくれたわ」
「あそこで昼寝してるお兄ちゃん?」
 ユリウスを指す。フィエナは頷いた。
「そ。あのお兄ちゃんよ」
「もう一人は―――谷の上まで運んでくれたのは―――あの笛の竜なの? あのお兄ちゃんの相棒だった……」
 フィエナは驚きに目を見開いた。
「………知ってたの?」
「うん。今朝話してて教えてもらったの。私と同じ、カルサア出身なんだ」
「そう……」
「ねぇ、何で竜は死んだの?」
 曇りの無い目で見つめられ、フィエナは何となく話してみたくなった。
「谷底を出る数日前にね、あたしと彼とで、偶然見つけたの。怪我をして動けなくなってる、彼の相棒をね。必死になって治療して治りかけたころ、『卑汚の風』が吹いた。運悪く、空をアカスジガの群れが飛んでた。雨のようにアカスジガが降ってきて、片っ端から魔物化した。―――結局、戦いながら飛んだんだけど、地上に出たところで力尽きたの。あの笛は、そのときに作ったの」
 言いながら、今でも後悔が込み上げてくるのを感じた。
 ユリウスとフィエナを乗せた竜―――ゼノンは、最後の最後で巨大ジャイアントモスの酸の弾丸を、その身に受けてしまったのだ。強烈な酸の弾丸は、強靭な竜の甲殻と鱗、そして筋肉をも食い破り、内蔵をいくつか貫くまでに至ったのだ。
 あの時、あのジャイアントモスが最後の抵抗などしなければ、最後に少しでも油断しなければ。―――そんな思いが、今でも頭を過ぎるのだ。
 シャルは目を伏せ、消えそうな声で言った。
「分かるよ。友達が死んじゃった気持ち………」
「え?」
「戦争が起きる前、何度か家の用事でアリアス村に行く事があったの。そこに住んでた同い年の友達―――アップルっていうんだけどね。戦争が終わって、引っ越そうってお父さんとお母さんが、ピートのお家のお父さんやお母さんと話し合って、それでこないだ、ようやくアリアス村に着いて―――」
 続きが何なのか、フィエナには手に取るように分かった。
「―――そのアップルちゃんは、どうして死んだの?」
 少女は搾り出すような声で言った。
「…………栄養失調のところに、流行り病が重なったって」
「――――そう」
「酷い話だよね……アーリグリフもシーハーツも友達同士なのに、戦争するなんて。誰かが影で泣いてるのにね……」
 その言葉に、チクりと胸が痛むのを、フィエナは感じた。たとえ自分が直接関わって無くても、戦争は国を辟易(へきえき)させる。戦争が長引くほどに、餓死者は増大する。
 フィエナはそっと、シャルを横から抱きかかえた。
「毎日、そのアップルちゃんのためにお祈りしてあげよ? それがあたし達にできる、精一杯のことだから……」
「うん……あ」
「どうしたの? ―――ッ!!?」
 背筋にゾワッという寒気が走り、フィエナは叫んだ。
「ユリーっ!!」
「ああ、俺も気付いた」
 直後、グラハムの絶叫が、3台の馬車の動きを止めた。
「魔物が出たぞぉ!!」



[28802]  4章 エクスキューショナー:メデューサ
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/08/13 15:28
 馬車よりも遥か数十メートル先に、3体の異形がたむろしていた。
 太い割には短いヘビの下半身。そして上半身は―――人に近い姿だった。全長は2~3メートルはあるだろう。
「……あれが代弁者とか断罪者ってヤツか?」
 ユリウスが問うと、アストールは首を横に振った。
「違う。あれはメデューサだ。魔物の中じゃ、中の下だ」
 強烈な施力を感じた。こないだのジャイアントモスと同種の禍々しい質であり―――ジャイアントモスの数倍もの高密度な施力の塊。
 今度はヴァンが口を開いた。
「ヤツらは無理に倒さなくてもいい。注意を引き付け、馬車が無事に街道を通過できればいいんだ。なぁ、ユリウスさんよ。すっっっげぇ悪いとは思うんだが、手伝ってくれないか?」
「―――やっぱ新入りの護衛兵士にやらせるわけにはいかないんだな?」
「ああ、そうさ。あいつらの事だ。ここいらで俺とアストールの正体をバラした上で、今回は『見習い』をしてもらう。ぶっつけ本番でやらせて、パニックなんて起こされたら堪らないからな」
 そう呟いて、すでに集まってる兵士たちに声を張り上げる。
「あー、諸君! 実は俺たちは身分を隠していたが、本名はアストールとヴァン。お前らより遥かに先輩の上等兵だ」
 おお―――というどよめきが起こるのを無視し、ヴァンは続けた。
「魔物は危険だ! 今回はお前らに『見習い』をしてもらう! とりあえず手本は俺とアストールと、この―――今は退職した人だが、元上等兵のユリウスさんで行う! よぉーく見とけ!! よく見ながらも、少しでも早く馬車が通過できるように、きっちりと馬車を押すように! 以上!!」
 兵士たちが3台ある馬車へと散っていく。シャルとピートは馬車の中へ入り、御者は初老のグラハムと、まだ慣れてはないがシャルとピートのそれぞれの母親が手綱を握った。他の大人は全員、馬車を押すのである。
 アストールがユリウスに謝る。
「すまねぇな。危険なことに巻き込んで――――正直、今まで出くわすときは1匹ずつだったんだ。絶対個数が少ないからだとは思ってたんだが、まさか3匹同時とはな……」
「構うかよ。それよか戦わなくて済むなら、それだけで大分気が楽だぜ」
「………一応は言っておく。奴らは一定以上距離が開くと、元のテリトリーに戻るんだ。距離はだいたい10メートル以上離さないでほしい。それでいて結構早いぞ、あいつら」
「それだけの情報があれば充分さ!!」
 三人揃って走り出した。
 
 
 
 
 
「ファイアボルト!」
 ユリウスは『ひねり』―――施術の裏技―――を使い、威力を低く、それでいて大きさと光量を強烈に高く設定し、3匹のメデューサの合間を縫うように放った。
 案の定、魔物たちはインパクトの強すぎる火球に気を取られて振り向き、その隙にアストールとヴァンが本命の技を放つ。
「黒鷹旋(こくようせん)!!」
「白鷹旋(はくようせん)!!」
 六師団必殺技の、施術のエネルギー体でできた巨大ブーメランが、ひとつは闇属性を、もうひとつは光属性を秘めながら、その高速回転に3匹の異形を絡め取った。大抵の物体であれば瞬間的に切断する能力を持っているが、もし斬れない物があったとしても、その回転が止まることはない。エネルギー体なので、気体のような性質を持っているのだ。
 三人は更に距離を詰めながら、次なる攻撃を放つ。
「凍牙(こうが)!!」
「雷煌破(らいこうは)!!」
 三本の氷のクナイが的確にメデューサの首に叩き込まれ(刺さってないのが口惜しい)、雷弾がそれぞれの頭部を捕らえる。
 この頃にはユリウスの施術剣の準備が終わっていた。小さく『ファイアボルト』を口にし、それを手の中の剣へと吸い込ませる。すぐに刀身が赤く輝いた。
「ソードボンバー!!」
 今ひとつネーミングセンスの無い発声と共に、7発の巨大な火の玉が、ランダムに魔物達を捕らえた。
「ユリウスさんよぉっ!! とりあえずコイツらを遠くに引き離してくれ! そんでもって、ある程度離したら俺たちのところに突っ込ませてくれ! ちょいとデカい施術で、大規模に氷漬けにしてやる!!」
「りょーかい!!」
 ヴァンと短く言葉を交わし、ヴァンとアストールは左右へと走り、ユリウスだけがメデューサたちのド真中を走り抜けながら、擦れ違いざまに斬りつける。
 魔物たちはいきなり喰らった攻撃に混乱していたが、目の前をユリウスが走り去るのをポカンと見送り、すぐさま奇声を上げ、追いかけ始めた。
 全力で走りながら、ユリウスはちらっと後ろを振り向く。下半身をヘビのようにうねらせ、走るのに自信のあったユリウスに匹敵するくらいの速さで追いかけてくるのが分かった。
「って、まじで速えぇっ!?」
 一瞬、戦ったほうが楽かと考え、すぐさま却下する。正直、この魔物は1対1で戦ったらギリギリ勝てなくもない。ただしギリギリだ。ついでに言うなら、ゼノンの時と同じで、ちょっとの油断が死を招くだろうとも予想できる。
 走りながら酸素が不足してくるのを感じつつ、無理やりにでも精神を集中させた。
「あ……アース…ぐぐ、グレイブっ!!」
 背後の3匹を貫く―――は前を向いたままでは不可能なので、自分のすぐ背後に展開させる。
 案の定、突然現れた石柱に、メデューサ達は正面衝突し、短時間だが動きを止めた。―――不気味なことだが、様子を見ている限り、彼らは『痛み』を感じているようには見えなかった。
 衝撃から立ち直り、すぐにまた追いかけてきたが、その頃にはユリウスとの距離が再び開いていた。
「おーい! こっちだ―――ッ!!」
 遠くでヴァンとアストールが手を振っていた。ユリウスはそちらに針路変更し、
「連れてきたぞおおぉ―――ッ!!!」
 ユリウスは二人の間を走り抜けた。同時に戦線交代。3匹が突っ込んでくると瞬間に、ヴァンとアストールは、『ひねり』で規模と威力を大幅に上昇させた、ある呪文を同時に唱えた。
「「ディープフリーズ!!」」
 瞬間、アストールの呪文が先に展開した。地面から上の1.5メートルまでがメデューサごと凍りつき、直後にヴァンの呪文で3メートルの高さまでが凍結した。メデューサは完全に氷漬け状態である。
「やったか……?」
 ディープフリーズを初めて見るユリウスが問いかける。するとヴァンが答えた。
「いや、まだだ。ヤツら魔物は、死ぬ瞬間に全身が消滅する。ディープフリーズは氷が消滅するまでの間、高威力のダメージが持続する術だが、それが消滅するまでに、馬車がヤツらのテリトリーを脱出するのは無さそうだ。……なるべく長く持続するようにはしたんだがな」
 その時、氷の中でメデューサの1匹が、全身から黒い霧を噴出して消滅した。続いてもう1匹も。
 ユリウスとアストール、ヴァンの声が、見事なまでにハモった。
「「「倒せたよ、おい!!?」」」
 自分たちでも予想外だった。魔物たちに反撃のチャンスを与えなかったとはいえ、あっけなく倒せた。
 アストールが呆然としながら呟く。
「う……嘘だろ? こいつらの防御力はその程度なのか?」
 とは言うものの、相手が人間であれば、初撃だけでも10回は殺せるくらいのダメージを与えている。
 と、その時。
 
 ―――パシィ。
 
 硬いものにヒビがあ入る音がして、三人は一瞬で大きく引き下がった。氷の中には、まだ1匹だけ残っているのだ。飛びのくと同時に、次なる施術の詠唱に入る。
 が、メデューサは、次の瞬間には予想外の行動に出た。
 三人に背中を向け、猛スピードで駆け出したのだ。―――馬車へ向かって。
「しまっ……!?」
「くそっ!!」
「フィ――――――ッ!!!」
 ユリウスの呼びかけに、最後列の馬車を押す大人たちの中で、フィエナだけが振り返った。慌てて施術の詠唱に入るものの、間に合いそうにない。
「黒鷹旋(こくようせん)!!」
「白鷹旋(はくようせん)!!」
 先ほどの大技がメデューサを絡め取り、僅かにその前進が遅れるものの、まだ間に合わない。
 ユリウスは咄嗟に空破斬を出そうと、体内で気を練り上げる。気功術は詠唱が無いぶん、発動が恐ろしく早く、威力も高い。だが空破斬ごときで魔物の足を止められるものか―――と、そこまで考えて、体内をめぐる気の流れに違和感を覚えた。
 メデューサの前進が急に遅くなる。よく見ると遅くなったのではなく、自分の知覚時間が速まったのだと知った。
 そして体内の違和感―――練り上げる気の量が、ハンパなく多くなっている。同時に気のめぐり方がおかしい。気を血流に例えるなら、まるで血管の位置を全て組み替えたかのような錯覚。
 不意に思い出した。竜笛の音色―――楽器としてではなく、竜の咆哮(ほうこう)を。その呼吸法を―――。
「う…お……」
 その唸り声が、自然と口から漏れ出し、やがて絶叫となった。
「うおおおおおおおおおぉぉぉあああああッ!!!!」
 彼は剣を投げ出し、両腕を前へと突き出した。その掌から膨大な気塊が発射され、徐々に翼を広げた竜の形へと変貌する。
 アストールとヴァンが、唖然とした顔で、その光景を眺める中、その気竜は上昇し、弾丸のような速さで真上からメデューサに向かって激突した。地面が陥没し、魔物の身体が数秒間の痙攣(けいれん)を余儀なくされる。
 そして魔物が上体を起き上がらせると、そこには右腕と左腕に雷をまとった女が、両腕を真っ直ぐにメデューサへと向けていた。そして気合の声と共に叫ぶ。
「ライトニング・ブラストっ!!」
 『ひねり』で限界まで強力化した術を右手と左手からそれぞれ1発ずつ、合わせて2発同時発射する、フィエナ個人の必殺技である。
 空が暗くなる錯覚を覚えるほどの極光を全身に受け、魔物は声もなく、全身から黒い霧を噴出して絶命した。
 
 
 
 
 
 歓声が上がった。戦闘に参加してない者全員からだ。
 戦闘に参加していた本人たちは、もはや疲労で口も訊けない状態だった。比較的、アストールとヴァンがマシな状態である。ユリウスは『大の字』になって荒い呼吸を繰り返し、フィエナも急に強烈な施術を唱えたため、片膝をついて息を荒げていた。
 戦闘に参加してない一般兵が、フィエナの背中に問い掛けた。
「あ、あんた凄いな! やっぱユリウスさんの奥さんだけあって、あんたも上等兵の出身か!?」
 その兵士に、隣にいた別の兵士が睨みをきかせる。
「おい、言葉に気をつけろ。もしそうだった場合、失礼だろう」
「あ、ああ。そうだったな……えっと、あなたも上等兵なんですか? 施術師ですよね? あんなに凄い施術使ってましたし……」
 フィエナは呼吸を整え、何とか返した。
「……ええ、一応ね。私も彼も、戦争が終わってすぐに軍を辞めたの。もうこれでもかってくらい人を殺すのが戦争でしょ? ちょっと疲れちゃって……。今は夫と一緒に各地の教会を巡礼したりして、たくさん命を奪ってきた罪を償おうって思ってるわ」
 適当に嘘を言って、視線をユリウスの方に向けると、彼は未だに倒れたま息を荒げていた。
 兵士たちは興奮が収まる様子も無く続けた。
「いやぁ、でも強い女って憧れるっすよねー!」
「……お前、こないだ『かよわい女って、なんか惚れ惚れするー』って言ってなかったか?」
「言ってないさ」
「こいつ即答しやがった!!」
「ねぇねぇ。フィエナさんって、どこの部隊に居たんっすか?」
「やめとけ。俺たち一般兵が、六師団(これを上等兵とも言う)のこと訊いても、昇格するまで内容が理解できないだろ? ってか、一生昇格できそうにないし」
「先輩、いくら上級兵への昇格が難しくても、可能性くらいならあるっしょ?」
「俺はフィエナさんみたいな強ぇ女、振り向かせるくらいの男になるぞーっ!!」
「それこそ絶対に無ぇ……」
「とにかく! フィエナさんって、どこの部隊だったの?」
「今度、六師団に入った先輩にでも訊きに行ってみよっかな?」
 ―――最後の奴の言葉だけは、聞き逃せなかった。
「あー、その……あれよ。あたしくらいの人材ってね、やめたくても、やめさせてもらえないの。ちょうど戦争が終わったから良かったけど、今は魔物騒ぎの真っ最中でしょ? 下手したらまた軍のラブコールがかかるの。だからお願い。ここで私に会ったことは、誰にも言わないで……。あと、夫のユリウスに会ったことも言わないで……」
 そう言うと、兵士たちは互いに顔を見合わせ、そして頷いた。
 胸中でホッと胸を撫で下ろしてると、フィエナの足元に小さな影が飛びついてきた。
 シャルだった。
「あ、シャルちゃん……」
 フィエナの足にくっつき、顔を押し当てていた。その肩が微妙に震えてるのを見て、何となく悟った。
「大丈夫よ、シャルちゃん。お姉ちゃんね、ちょっと疲れただけだから」
「……ひっぐ…ひっ……だって……だって……! 馬車から外見たら……お姉ちゃん、苦しそうにしてたんだもんっ……!!」
 何となく自分の胸が温かいもので満たされていくのを感じながら、フィエナは少女の背中をそっと抱きしめた。
 
 
 
 
 
 そこから少し離れた地面の上で、ようやく息が整ったのか、ユリウスは上体を起こした。
「あんた―――さっきの気功術は何なんだ?」
 アストールが興味津々といった様子で訊いてきた。
 気功術は習得者こそ施術師より少ないものの、国家に関係なく、修行次第で誰でも扱える強力な戦闘技術だ。大抵は体内にめぐらすことで、瞬間的に凄まじい身体能力を得るものだ。それより上になると、気の塊を小さく固体状になるまで圧縮して投げる『気功掌』や、逆に大きな圧縮気体の集まりの状態で投げつける『招霊破』、剣の刃に集中させて放つ『空破斬』などになる。
 ユリウスは、自分がそれらの更に上なる気功術の使い手に、今この瞬間になったことを確信し、言った。
「……俺が吹いてた竜笛、あれはつい最近に死んだ相棒の喉骨で作ったんだ。それまで一緒に居たときから、俺はあいつの呼吸を知り尽くしてると思ってたんだ。………でも全てを知ってたわけじゃなかった。あの笛で竜の鳴き声を真似たとき、確信したんだよ。『ああ、これがあいつの呼吸の仕方なんだ』ってな。それを突然、フィーの危機を感じた瞬間に思い出したんだ」
 何となく納得しかけているアストールに対し、ヴァンの方はさっぱりだった。
「つまり何なんだ? 相棒の竜の呼吸を思い出して、それが何で竜の形の気が放てるんだよ?」
「それは分からない―――でも、あの瞬間。俺の頭の中で、あの形が浮かんだんだ」
 それきり沈黙してしまったところに、アストールは口を挟んだ。
「古い奥義書や、シランド城の図書室の一般兵以下は閲覧禁止の歴史書に、今みたいな気功術の大技が載っていた。……『竜の呼吸法』とか、ユリウスさんの言葉と一致する点からみて、たぶんそれは『吼竜破(こうりゅうは)』っていう機構術だよ。―――伝説級の気功術だな」
 ヴァンが口笛を吹いて言った。
「へぇ。カッコイイじゃん」
 ユリウスは呆然と青空を見上げ、しみじみと呟いた。
「人間………やりゃあ出来るもんだな」
 アストールが軽い調子で問いかける。
「何なら更に極めてみるか? 皇竜奥義なんてものもあるんだが……」
「気が向いたらな……」
 青空を見上げながら、適当に答えながらも、何となく思う。
 どこまでも強くなれるかも―――と。
 
 
 
 
 
 それから数時間後。
「ねぇ、お姉ちゃん。起きてってばぁ」
 少女の声が聞こえると同時、身体が揺さぶられるのを感じ、フィエナは目を開いた。
 そして気付く。
 外のから差し込む光が、鮮やかなオレンジ色をしていることに。
「―――っ! あたし、いつのまに……!!」
 本当にいつの間にか、爆睡していたようだった。隣を見ると、自分と同じように毛布を掛けられたユリウスが寝ている。
 軽く揺さぶると、彼は呻き声を上げながら上体を起こした。
「あ、おはようさん」
「おそよう……だけど?」
「……んん? …………うおっ! 夕方っ!?」
 そしていま気付いた。馬車の走行中の振動が無い事に。止まっていたのだ。
 シャルが言う。
「お姉ちゃん達ね、みんなが『あの二人は活躍してたから、しばらくは楽をさしてあげよ』って言ってたの。だから夕ご飯はお手伝いしなくてもいいって。休んでて良いよって」
 そう言ってシャルは、二人の目の前にアクアベリーを2個置いて、馬車から出て行った。
 何気なくそのアクアベリーを手に取ると、かなり冷たかった。おそらく川に漬けたのだろう。一口かじると、冷たくも甘い果汁が染み出してきた。寝起きには丁度良く、目が冴えてくるのを感じた。
 ユリウスに問い掛ける。
「怪我……してないよね?」
「ああ、平気さ。……それよりもフィーこそ平気か? 何か辛そうに息してたけど……」
 自分の事を棚の一番上に上げて、ユリウスが質問してくる。
 フィエナは苦笑し、
「ふふ、大丈夫よ。施術も運動と同じで、準備運動も無く放ったら目まいがするし、場合によっては立ちくらみだってするものなの」
「そうなのか?」
 ユリウスもそこそこの施術が使えるが、それでもフィエナに比べれば遥かに劣っている方だろう。だからこそ、施術に関してはまだまだ分からないことが多い―――と、ユリウスは思うことにした。
「―――分かってはいたけど、色んな人がいるのね」
「あん? どうしたんだよ急に」
 話題を突然変えられて戸惑うユリウスを意に介さず、フィエナは続けた。
「さっきのことなんだけど。あたしがライトニング・ブラストを放ったあとにね、護衛の一般兵の人たちが集まってきて、いろいろと訊かれたの。それで思いつきで答えた中で、『戦争で人を殺しすぎて疲れた』って言ったの。でもそれって……」
「―――嘘ではないな。フィーも。俺も」
 フィエナはユリウスにしなだれかかって、口を開いた。
「あたし達でも、幸せになれるのかな……?」
「……それは分からないな。でも、こんな俺たちを思ってくれる人もいる―――それくらいは分かるだろ?」
 フィエナはゆっくりと頷いた。
 自分を恨む人間より遥かに少ないが、自分が人殺しだと知っても、心を開いてくれる人はいる。
 穏やかだった父親と、厳格でありながらも優しさを持った母親。遠い親戚でありながらも幼馴染みだったネルと、その友達のクレア。自分のことを尊敬してくれる部下たち。行きつけだった武器屋の職人。会って間もないがアストールやヴァン。あのシャルという少女もそうだろう。彼女はアーリグリフ人であるにも関わらず、フィエナの為に涙を流してくれた。
 そして自分と同じ罪を抱え、それでも傍にいたいと言ってくれたユリウス。
 数えてみれば、自分のことを思ってくれる人が沢山いることに気づき、フィエナは無意識のうちに笑みを浮かべていた。
 アーリグリフとの戦争が始まった頃は、シーハーツの間で『かの友好国の民を殺さなければならないのか』と何度も囁かれた。恐らくアーリグリフでも同じ事が言われていただろう。
 今はまだ、アーリグリフとシーハーツの間にある溝は深い。
 でもいつかは、その溝は自然消滅するだろう。
 かつての上司で、『使えるものは何でも使う』が口癖だったラッセルなら、『この魔物騒ぎを利用し、両国間で力を合わせることにより、両国に強い絆(きずな)を芽生えさせる』とか言い出すかもしれない。
 フィエナの前に、手が差し出された。ユリウスの手だった。
「行こうぜ? メシの時間だ」
 まるで食事前の兵士のような喋り方だった。下積み時代、よくそういう会話をしたものだ。
 力強く彼の手を取り、フィエナは立ち上がった。
 外から声が聞こえてくる。
「へへー、いっただき!」
「あー! シャルが俺の肉とったぁ!!」
 馬車から顔を出すと、今日は焼肉をしていた。『積荷の中に生肉なんてあったかしら?』と思うが、そんな腐りやすい物があるわけがない。少し遠くを見渡すと、解体されて血まみれになった動物の骨が見えた。近くに大きな穴が掘られているから、あとでそこに捨てるのだろう。下手に血の匂いで肉食獣を呼ばないに越したことはない。
 フィエナは苦笑し、馬車から降りた。
 ユリウスにエスコートしてもらいながら。



[28802]  5章 平穏な道中(2)
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/08/17 14:50
 祭りのような夕食が終わり、近くの湖―――基本的に水のある場所を選んで野宿している―――で水浴びを終え、ユリウスとフィエナは馬車の見張りを進んで引き受けた。
 見張りといっても一晩中ずっと火の番をしているのではなく、数時間ごとに交代するのが通例である。一応は二人ずつ見張りに立つのだが、今回は行商隊だけでなく、護衛の兵士や、シャルやピートの家族のように、“タダ乗り”させてもらっているだけの旅人もいる。人数が多ければ多いほど、見張りをする時間も短くなるのだ。
 ユリウス達が一番に名乗りをあげたのは、単純に『夕方まで爆睡してたので目が冴えてる』という理由だったりする。
 見張りの仕事とは、昼間のうちに馬車を走らせながら拾い集めた薪を、夜になったら焚き火の近くに山積みにしておき、そして火が小さくなってくると薪を足すという単調な作業だ。何を見張るのかといえば、野生動物の接近よりも『焚き火』の方かもしれない。
 それでも稀に野生動物がやってくるので、火は絶やしてはいけない。炎を見て逃げる動物もあるが、二足歩行する爬虫類―――リザードマンなどの猛獣の場合、己の口から吹く火を見慣れているのか、遠慮なく近づいてくる。
 つまりこの時間帯に気をつけなければならないのはリザードマンに限定されるわけである。―――魔物騒ぎが起きてなければ。
 魔物騒ぎが起きてからすぐに、魔物をある程度離れた所から観測がなされ、彼らは一切眠らないという情報が判明していた。魔物たちの行動範囲が非常に狭いことから、馬車を止める時に近くに魔物が居なければ問題無いように思われているが、まだ詳しい事が判っていない以上、監視の目を光らせるに越したことはない。
「夜の見張り番か……。昨日の夜もやったけど、本っっっ当に久しぶりだな」
「こういうのって下積み時代でしかやらなかったよね」
 ユリウスもフィエナも、貴族の中では、そこそこ高い家柄だった。
 しかしよほど腐った貴族でない限り、家のしつけや家訓というのは、家柄が上がるほど厳しくなるものである。当然ながら『庶民の生活を学ぶため』などといった修行など、貴族の間では日常茶飯といっても間違いではない。
 親の七光りはあるものの、最初は身分を隠して一般兵を体験するところから始めるのが、彼ら貴族の流儀なのだ。
「最初はみんな、兵士としてはペーペーなんだよな」
「でも家で専門のコーチを雇って戦い方とか習わされるから、貴族出身って、それなりに強かったけど……」
「それはアーリグリフだって同じさ。……でも、ただ強いだけじゃ戦場や猛獣討伐の任務で生き残れないだろ?」
「それもそうね。何て言うのかな……生き残るための知恵とか、危険を感じ取る嗅覚とか、そういうのがあったから、今のあたし達がいるんだと思うわ」
 寝ている者を起こさない程度の声で、だべり続ける。
「ね、ひとつ気になってたんだけど」
「なんだ?」
「ヴァンさんが言ってたことでね、戦争が終わった理由に出てきた星の船―――あれが元居たっていう『異世界』ってあるじゃない?」
「……正直、俺はまだ信じられないんだけど」
「本当に異世界じゃないかもしれないけどさ、興味が湧かない?」
 声に僅かな高揚感が混ざってるのに、ユリウスは気付く。
「興味は―――あるよ。でも凄まじく進んだ技術を持ってるってことは、ヴァンの話からでも分かるだろ? そんな技術が一朝一夕で手に入るわけないし、その異世界の人間ていうのは相当昔から存在したことになる」
「うん。そうなるわね」
 フィエナは頷いた。
「……で、その異世界の人間が、今までアーリグリフやシーハーツに貿易だとか、国交とか、果ては侵略宣言すら持ちかけてきたことが無いんだ。―――そりゃ秘密裏に取り引きされていたっていうなら話は別なんだけど、とにかく交流が無かったということは、何かしらの理由があると思うんだ」
「理由ねぇ……」
「ヴァンは『異世界同士でも国交がある』と言っていた。でも俺たちの世界には、異世界同士の国交が無い。―――あいつらと俺たちの違いは何だ?」
 この質問に、フィエナは咄嗟に気付いてしまった。
「技術―――そっかぁ。技術力の低い原始人には用無しってことね……」
 やや悲しげな目をするフィエナに、ユリウスは慌てて言った。
「そうじゃないと思う。かつてはゲート大陸やグリーデン大陸に原始時代があった。そして数千年の時間をかけて、様々な歴史と文化、伝統を生み出した。―――じゃあ、もし……原始時代の俺たちに、超高レベルな技術を遠慮なく与えられたとしたら?」
 フィエナは首を傾げた。
「うーん……早くから生活が豊かになって―――早くから異世界と並んで国交ができてた?」
「それもあるかもしれない。……でも文化は? 伝統は? シーハーツの有名な宮廷料理も、見る者がみんな嬉しくなるような、シーハーツの女性六師団員に配給されるエロくて素敵な露出過多な軍服も、この世界の人間達が作り上げるはずだったものは存在しなくなるって、思わないか?」
「あ。なるほど……」
 ユリウスの耳を引っ張りながら、フィエナは再び頷いた。
 情けない悲鳴を上げる彼の耳から手を離すと、ユリウスは地面にあぐらをかいたまま、ごろんと後ろ向きに倒れ、空一面に広がる星々を眺めた。
「たぶん、あいつらの間には、『文明度の低いところには近づいてはいけません』って法律でもあるんだろうな……。あいつらだって人間だ。消極的な奴も居れば、友好的な奴だっているさ。そんな友好的な奴らすら来たことないんだから、きっとそういう法律があるんだろうな」
 と、そこまで言ってから、彼は上体を起こして焚き火の中から串に刺さった何かを取り出した。
「な…何、それ……」
 手製の串には、人間の拳よりも少し小さいくらいの、真っ黒な球体が刺さっていた。
 ユリウスは笑って言った。
「一度やってみたかったんだ。アクアベリーを焼いたヤツ。果物に火を通すと甘くなるっていうだろ? ブルーベリーとかブラックベリーなら元がかなり甘いけど、アクアベリーはそれほど甘くないしな」
 そしてガブッと食いつき、咀嚼する。
「どんな味かしら?」
「………あー、あれだ。ケーキとかにアクアベリーとかの濃縮シロップかけたりするだろ? あれの味だ……うわ甘っ」
「どれどれ? うん甘くてなかなか……うっ」
 ハチミツを一気飲みしたらどうなるか―――その感覚と同じだった。
 喉が焼け付くほど甘味に、二人は水を求めて湖へと走っていった。
 
 
 
 
 
 そして夜が明けた。
 朝から曇り空だった。少しだけ薄暗い。
 皆が朝食中、行商隊のリーダー・グラハムは思い出したように口を開いた。
「あー……今年は大雨が速いのかなぁ」
 大雨―――何気ない響きに聞こえるが、一同は緊張した。
 この広大なパルミラ平原は年に2回、大雨が降ることにより、パルミラ平原を左右から挟みこんでいる大川が増水し、平原そのものが10メートル近くも水没する。それによって大量の土が入れかわり、肥沃(ひよく)な大地となる。また平原に点在する湖の位置も、大幅に変わるのだ。
 そんな大雨が降る時期に、パルミラ平原を渡るなど自殺行為に近い。
 ただそれでも、大雨が何月何日に降るなどという天気予報など、この惑星には存在しない。
 それに行商人などにとっては、一日でも早く隣町へと移動したい時もある。だから今でも、大雨のときの死者や行方不明者は後を絶たない。……例え旅の熟練者であっても。
 グラハムは笑いながら、良く通る声で言った。
「みんな安心してくれ。俺たちは今日の昼頃にはペターニに着けるはずだ。今のところは猛獣の被害も無ければ、魔物の被害もない。この調子で一気にペターニまで突っ込むぞ!」
 当然ながら安心させる目的で言ったのである。事実、ここまで順調に事が進んできている。
「もぐもぐ……俺たちって、ペターニまでけっこう速く着けそうだな。もぐもぐ……」
「…………ヴァン、はしたないぞ」
 サンドイッチを頬張ったまま喋る同僚に、アストールが注意をする。
 今日の朝食はフィッシュ・サンドだった。
 昨夜、行商人で料理の得意な誰か(グラハムではない)が見張り番をしたときに、川で取ってきた魚を捌き、弱火で時間を掛け、鍋の中で香草といっしょに蒸し焼きにした白身魚をパンに挟んだフィッシュ・サンドは絶品だった。
 食事の手を止め、フィエナは隣でフィッシュ・サンドにかぶりついているユリウスに話し掛けた。
「ねぇ……大丈夫かしら、雨」
 リスの頬袋のようにほっぺを膨らましながら、ユリウスは返事する。
「ん? もうすぐ降り始めるぞ」
「なんで判るの? あと食べながら口を開かないで」
「んぐ……ゴクン。あー、そうだよな。俺たち竜騎士ってのは空を飛ぶのが仕事だろう? 天候を読むことに関しては生半可じゃないくらいの自信があるんだ。……で、間もなく降る。―――あ、降ってきた」
 初めはポツポツと。
 そして数秒で豪雨となった。
「おい、降ってきたぞ!」
「急いで馬車の中へ……!」
 全員が慌てて馬車の中へと避難する。
「少し速いけど出発するか……」
 誰かがそう言って、3台の馬車はゆっくりと出発した。
 現在時刻は午前6時。昼までなら多少は地面が水没するものの、歩けないほどではない。
 
 
 
 
 
 馬車に揺られながら、荷台の中でユリウスは疑問に感じていたことを口にした。
「そういえば昨日の晩メシに食った焼肉―――あれは何の肉だったんだ?」
 昨日、ユリウスとフィエナは魔物との戦闘後、倒れるようにして爆睡してしまい、夕食のときに起こされたのだ。その時の夕食が、その辺で捕らえた動物での焼肉だった。
 ヴァンが答えた。
「あれはホーンド・タートルさ。一般兵の奴らが捕まえてくれたんだよ」
 巨大な角を持つ、全身が赤い巨大な陸生の亀である。爬虫類の肉なんて―――とは誰も思わない。ゲート大陸では爬虫類の肉を食べるという行為に、疑問を感じる人間はいないからだ。
 ユリウスは目を見開いた。
「え? あれって珍味として有名なんじゃ」
「そうなんだよ! でもあれ猛獣だろ? 数は居ても捕まえてくる奴が居なけりゃ、市場には出回らないもんなぁ! 実はな、1頭でも充分に足りたんだけどな、3頭も捕まえたんだよ! さっきグラハムさんに聞いたら、行きつけの宿屋にそいつらの肉を持っていったら料理してくれるらしいんだ。あんたらも来いよ! 旨い肉に、旨い酒! 久しぶりに酒が飲めるぜ!!」
 ハイ・テンションでまくしたてる彼の目には、もはや『酒』と『ごちそう』の文字しか浮かんでなかった。これが六師団の中でも指折りの実力者を持つヴァンの正体であった。どこまでも能天気である。
 いきなりの誘いではあったが、悪い話ではなかった。
 ユリウスはフィエナと顔を合わせ、互いに頷き合って答えた。
「じゃ、お言葉に甘えて、俺たちも参加させてもらおうか」
「おう、いいってことよ!」
 と、その時。馬車の外の様子が微妙に変わったのに気付いた。
 正確には馬車の走行音が変わった。
「あれ?」
「うん?」
 最初に声を上げたのは、シャルとピートだった。すぐに行商人の誰かが言った。
「お、そろそろかな?」
 ユリウスが疑問をぶつけた。
「どういうことです?」
「馬車の走る音が変わったろ? さっきまでは『パシャパシャ』っていう水を叩くような音がしてたんだが……」
「ええ。だいたい10センチくらい地面が水没してましたからね」
「それが急に水が少なくなってきたような音になったろ?」
「なんで急に少なくなるんです?」
「なんでって……ペターニとパルミラ平原、この二つの海抜―――まぁ、地面の高さって言うのかな? 高さが同じなら、パルミラ平原が10メートルくらい水没したら、ペターニも10メートルくらい水没することになるだろ? でも現実には、そうならない。なぜだか分かるかい?」
 ここでフィエナが口をはさんだ。
「つまりペターニはパルミラ平原の大地より、10メートル以上高い位置に作られてるってことよ」
 行商人はニッと笑って、
「奥さん、あんたよく分かったね?」
「一応、ペターニとアリアスを何度も往復してるものでして……」
 そこで行商人はユリウスに向き直った。
「ま、つまりだ。洪水で被害を受けないために、街をパルミラの大地より高い位置に作る。で、街の入り口が階段になってたら、馬車が街に入れない。それを入れるようにするために、石畳で長~く、ゆるやかな坂道を作って、馬車が通れるようにしたんだ。今通っているところが、その坂道だよ。もうすぐペターニに着くだろうな」
 何となく馬車の中で前のほうに移動し、御者台から前方を見渡してみる。地面はすでに水没していて分かりにくいが、何も舗装されてない地面と比べて、僅かだが石畳の道が高くなった気がする。そして遠くには、これまた雨のせいで見えにくいが、うっすらと大都市の輪郭が見え始めていた。
「ああ……やっと着けるな」
 誰かが呟いた。
 誰もが内心で頷いていた。
 シャルが口を開いた。
「ここでみんなともお別れだね……」
 フィエナは少しだけ寂しくなり、ユリウスの手を握りしめた。
「いろいろあったよね……」
 今度はフィエナが呟いていた。
 谷底から抜け出して、久しぶりに触れあった大勢の人々は、実に個性あふれていた。―――そして全員が良い人だった。
 馬車の中の雰囲気に全員が感じている寂寥感が混じり始めたのを察して、ヴァンは大声を張り上げた。
「おらおらシケたつらすんなって! 今夜はアレだ! 今回の旅に居合わせた全員で飲んで騒ぐんだろ!!」
 ―――いつの間に全員に声を掛けたんだ、こいつは。
 馬車の中にいた全ての人間が、同じ疑問を感じた。
 ヴァンは構わずに続ける。
「誰かが言った……人生は出会いと別れの繰り返しだと!! いまここで巡り合えたみんなとは離れ離れになるかもしれないけど、またいつかは会えるかもしれないんだ! だから別れの挨拶(あいさつ)に『さよなら』なんて言うな! 『またな』って言え!!」
 臭いセリフにも思えるが、誰一人として笑う者などいなかった。
 皆、心は一つだった。
「だから今日の晩は、また会える日を願って―――」
 ――――刹那。
 今までに無い悪寒が、全ての人間の背中を走りぬけた。まるで空気そのものがビリビリと振動しているかのような錯覚さえ感じる。
 ―――キキィッ!!
 馬車が急ブレーキした。
 車間距離を開けた後続の馬車も、それに習って停車する。
 グラハムが震える声で呟いた。
「魔物―――代弁者だ」
 前方に、天使の姿をした魔物が、街道を塞いでいた。
 ―――最悪の魔物が。
「お姉ちゃん!!」
 シャルがフィエナの腕につかまる。施術を使えないどころか、施力を感じる事さえ難しいであろう、この少女にも、代弁者から伝わる異常な圧力を感じているのだろう。
 フィエナは横にいる少女を抱き寄せながらも、前方に見える天使の姿に目を奪われていた。
 アペリス教にも『天使』という概念は存在する。
 それは広い宇宙で、もっともありふれたイメージだろう。宇宙にある、ありとあらゆる宗教に共通しており、一部の科学者でさえ『惑星間で文明の交流もないのに同じイメージがあるのは、本当に天使が実在している証だ』とさえ言い出すほどだ。
 代弁者は、まるで尼さんのような修道女の格好をしていた―――とても若く、美しい女性の姿だった。
 驚く事に、その顔は人間そのものであった。それもかなり若い。そして目が閉じられていた。
 地面―――もとい水面から数センチほど上に滞空しているにも関わらず、背中にある8枚の翼を動かす気配は見えない。
 グラハムが言った。
「全員、馬車から降りて車体を押せ。そんでもって脚に自信のある奴―――敵を遠くに引き離せ」
 即座に全員が、その指示に従った。例によって代弁者の注意を引き付けるのは、ユリウスとフィエナ、アストールとヴァンしか居なかった。



[28802]  6章 最上級エクスキューショナー:代弁者
Name: シウス◆60293ed9 ID:11df283b
Date: 2011/08/17 14:55
 豪雨が降りつづけ、足元には数センチの水が溜まっていた。ここが街道の、ペターニまで登る坂道だからこの程度の水位で済んでいるが、このまま注意を引き付けて遠くまで代弁者を誘導する場合、水位が10センチ以上ある大地に降り立たなければならない。
 そんな地面を、敵を引き付けながら走れるのであろうか?
「無理に決まっている……」
 無意識のうちに、アストールは呟いていた。明らかに分が悪すぎる。
 背後からユリウスが声をかけた。
「行くっきゃねぇだろ」
 今度はフィエナが口を開いた。
「みんな、雷系の施術は使わないでね。あれは水を伝って、術者にもダメージを与える術だから」
 つまり彼女の必殺技であるライトニング・ブラストは封じられたことになる。
 ヴァンが今までにないくらいマジメな声で、静かに呟いた。
「……どう攻める? 遠距離から施術だけで、代弁者がくたばるまで攻撃し続けるか?」
 一見、とても素晴らしい案にも聞こえる。確かに魔物は、ここと決めたテリトリーからは出てこない。つまりテリトリーよりも外から攻撃した場合、ただ一方的な的となるのだ。
 だがここでフィエナが異議を唱えた。
「たぶん無理よ。代弁者を含むいくつかの魔物って、未だに人間が勝てたことが無いんでしょう?」
「その情報だって、俺たちがアリアス村を出るまでの話だ。あの時でさえ『星蝕の日』から三日しか経ってなかった―――王都の方でなら、もうとっくに倒されてるかもしれないだろ?」
 即座にヴァンが否定するが、その内容は希望的なものに満ちていた。
 フィエナは厳しい目つきで言った。
「楽観はしないで。あなた仮にも六師団の上の方にいるんでしょ? だったら自分達が勝てない相手が、他の人が倒してくれるなんて思わないでよ。それに―――そんな相手だからこそ、施術だけで攻めてたら先に私たちの精神力が尽きるか、日が暮れてしまうわ」
 一同に重い沈黙がのしかかった。
 もはや直接引き付けるしか思いつかなかった。
 しかも足場が最悪だというのに。
 誰もが死を覚悟して戦うことを決意したとき、グラハムが口を開いた。
「仕方ない。積荷を使うぞ……」
「積荷?」
 ヴァンが訊き返すと、グラハムは重々しい声で言った。
「星の船との戦いに用いられた新兵器―――それを竜王クロセルに乗せて、戦いに挑んだのは知ってるだろ?」
「ああ。一応はシランド城から見てたからな……。あの時はクロセルだけでなく、疾風の精鋭たちも小型の新兵器を乗せて参加してたな」
「その小型の新兵器―――それがここにあるって言ったら……どうする?」
「「「「……………ッ!!!!」」」」
 全員が息を飲んだ。
 真っ先にアストールが反応する。
「馬鹿な! あんた民間人だろ!? なんでそんな機密情報の塊みたいなものを―――」
「極秘裏に輸送せよ―――シーハーツの女王と、アーリグリフの王から言い渡された、民間人を使った秘密輸送さ。かの戦いの後、アーリグリフは一時的に自国で小型の新兵器を預かって研究したいと言ったんだ。シーハーツは再び戦争を起こさない証として、それを了承した。そして研究が終わり、その新兵器を俺たちがペターニへと輸送。そのままシランドへは行かずに、ちょっと戻ってアリアスへ行き、今度こそシランドへ向かう途中―――それが今だ」
 再び沈黙が支配し、雨音だけが静けさを際立たせる。
 今度はユリウスが口を開いた。
「グラハムさん。その新兵器に名前ってあるんすか?」
「聞いてどうする?」
 ユリウスは悪戯っぽく笑って言った。
「これから俺たちが世話になる、相棒(武器)の名前を聞いておこうと思いましてね……」
 グラハムが言うよりも前に、フィエナが言った。
「………サンダー・アロー。雷の矢よ」
「雷系はダメなんじゃなかったのか?」
「威力を雷に例えてるだけ。確かに営力―――雷に似た力を部分的に使うけど、それは使用者が感電しないように作られてるわ」
 
 
 
 
 
 施術兵器サンダー・アロー。
 かつてアーリグリフ軍を殲滅するために作られた巨大大砲。
 一応はシーハーツには前から施術大砲は存在するのだが、構造そのものが全く異なるサンダー・アローは、例え従来の大砲と同じサイズであったとしても、威力が桁違いに高いものだった。
 威力だけではない。
 効率良く敵を殲滅することが目的だったため、そこそこの連射性能と、一発当たりが着弾・爆発した際の攻撃範囲がとにかく広い。途中から星の船を攻める目的で改造され、爆発力は激減したが、その分だけ貫通力が激増している。
 これの研究に携わった異世界人―――という名目の地球人フェイト・ラインゴットは、この施術兵器の威力などを想定し、このように称した。
 ―――これはオーバー・テクノロジーだ。連射性のあるロケット・ランチャーと変わらないじゃないか、と。
 ここにある小型サンダー・アローは全部で8本。
 戦闘員は、ユリウスとフィエナ。アストールにヴァン。そして一般兵が四人。全員合わせて八人。
 無意識の内に、アストールは呟いていた。
「上等じゃねぇか……」
 一人につき1本ずつ担ぎ上げる。完全に鉄製かと思われたが、なんとサンダー・アローの全身はダマスカスで出来ていた。チタンより軽く、並みの金属よりも硬いことで有名な金属である。
 扱い方は簡単だった。スコープを覗き込み、トリガーを引く。
 砲身を支える脚立もあり、狙っているときに手がブレる心配も無い。
「全員、敵の東側に回りこめ!!」
 アストールが一括すると、一般兵たちは指示に従いはじめた。
 ユリウスが疑問を口にする。
「なんで東側なんだ? 挟み撃ちにしたら良いと思うんだが……」
「弾が外れたらどうするんだ? 同士討ちになるぞ。あと撃つ位置によって馬車に当たったり、街の方へ飛んでいく可能性もあるから気をつけろ」
 そうこう言いながらも、全員が所定の位置につく。
 誰もが皆、その顔に緊迫の表情を浮かべていた。噂に聞いた新兵器に初めて触れることに、そして代弁者という危険極まりない敵を相手に挑むことに。
 今回は馬車を押す人間は必要なさそうだった。状況が状況なだけに、もはや敵を引き付けてるうちに馬車を通らせるという戦法は通じないからだ。もう倒すしかないと考えている。
 それでも念を押すように、アストールは言った。
「グラハムさんには了承を得ている。どうしても無理だったら、積荷を置き、人と馬だけで迂回(うかい)しながら街に入るのも仕方が無いそうだ」
 無論、それは彼ら行商人にとっては死活問題だが、絶対的な死に比べれば妥協せざるをえない。
 全員が配置に着いたところで、今度は準備作業に取り掛かる。
 サンダー・アローは、この惑星では似つかわしくも無い表現になるが電化製品だ。バッテリーは存在しないが、代わりに施力を蓄えた物体を容れ、スイッチを入れて起動するのを待ち、機能が立ち上がったところで初めて大砲が放てる。
 砲弾は入れなくても良い。何から何まで施術で作り出される。内部を流れる電気はもちろん、飛び出す砲弾は錬金術で作り出され、更にその砲弾に膨大な熱や回転、質量やスピードなどの付与エネルギーが加えられる。……ただし安っぽい錬金術が使われているため、着弾後は砲弾が消滅する。
 準備が整ったのを確認し、アストールは言った。
「俺とヴァンは頭を狙う。ユリウスとフィエナさんは胸を。そこのお前らは腹を。残りの二人は脚を―――はスカートに隠れて見えないか。言いにくい話だが、奴の股間を狙え!!」
 僅かな冗談を交えるも、誰も笑えなかった。緊張だけが高まる中、皆それぞれが狙いを定める。
 そして―――
「―――撃てぇッ!!」
 その瞬間―――代弁者がこちらを向いた。同時に右手を宙に躍らせる。
 一斉に紫色の閃光が代弁者に殺到する。人間には絶対に防御のしようがない攻撃は、しかし突然代弁者の周りに現れた4本の光の柱が、代弁者を中心に回転したことにより、全ての砲弾が絡め取られてしまった。
「う……嘘だろ?」
 呆然と呟くアストールの目に、代弁者がこちらに向かって滑るように飛んでくるのが映った。どうやら魔物のテリトリーは、魔物によってかなりの差があるようだ。ここは最初から代弁者のテリトリー内だったらしい。慌てて叫ぶ。
「もう1発だけ撃て! それで一旦後退だ!!」
 誰もが顔を青ざめさせながらも、震える手で狙いを定め、再び引き金を引く。
 何発かは外れた。
 何発かは吸い込まれるようにして代弁者の胸に向かい、代弁者の正面に×字型の風の刃が現れ、自分に当たりそうな砲弾を全て叩き落した。
 ―――ただし、1発を残して。
 たったの1発が代弁者の腹に命中し、『ドオォン!!』という轟音と共に代弁者の身体は大きく後ろへと吹っ飛び、ごろごろと地面を転がった。しかしその身体に、傷らしきものは見られなかった。
「……竜でも一撃で爆砕できるのにな」
 一般兵の誰かが呟くが、それに構わずに次の射撃体勢に入る。代弁者が転んでいる今がチャンスだと判断したからだ。
 代弁者が起き上がった。人間のように手をついて起き上がるのではなく、まるで操り人形の糸を引き上げたかのような起き上がり方であった。
 誰かが1発だけ放ち、代弁者が再び自分の周囲を光の柱で囲んだ。だが今の1発は囮だった。光の柱が消えるタイミングを見計らい、今一度、強烈な紫色の閃光が代弁者に殺到する。
 少しだけ煙が立ち込め、そしてすぐに晴れる。
 代弁者は倒れていた。しかし目立った外傷は無い。
 今度はフィエナが口を開いた。
「もしかして―――魔物って、ダメージを蓄積しても、見た目や動きに変化が表われない……の…かな?」
 言われてみて、一同は昨日のメデューサを、特にユリウスとフィエナは、数日前のジャイアントモスを思い出す。変化は―――無かったような気がする。
 フィエナは言った。
「見た目に変化が無かったとして、もう限界に近い場合って、どうやって見極めたらいいと思う?」
 ユリウスが答えた。
「分かるわけねぇな。……でも今の俺たちには飛び道具がある。だったら奴が消えるまで、弾ぁぶちこんでやるしかねぇってことだ!」
 再び代弁者に砲身を向け、トリガーを引いた。しかし、
 ―――カチン、カチン。
「あ……あれ? ええっ!?」
「施力切れだな……」
 アストールが呟き、自分のサンダー・アローのトリガーを引く。周りの兵士たちもそれに習うが、砲弾が出てくることは無かった。
「ひっ……やべぇよ、おい!」
 兵士の誰かが呟く。アストールは静かに命じた。
「一旦撤退だ。ここから先は俺たちで戦う。お前らは施術で援護を頼む」
 俺たち―――自分を含め、ヴァン、ユリウス、フィエナのメンバーである。
 兵士たちに命じた。
「まずはファイアボルトだ! 一人が先に撃ち、時間を開けて残りも放て!」
 一瞬の乱れもなく、ホーミング性質を備えた火球が、ゆっくりと近づく代弁者へと吸い込まれる。当然ながら光の柱を使って防がれるが、直後に3発のファイアボルトと、いつの間にか三方向から代弁者を囲ったアストール、ヴァン、フィエナから、
「黒鷹旋!!」
「白鷹旋!!」
「氷鷹旋!!」
 闇・光・氷の巨大ブーメランが高速回転しながら代弁者を絡め取り、一瞬だけ動きが鈍くなった瞬間を目掛け、
「吼竜破!!」
 代弁者の真上から竜の形をした気塊が叩きつけられ、そのタイミングで最初に囮のファイアボルトを唱えた兵士が、
「アースグレイブ!!」
 代弁者の足元から先の尖った石柱を飛び出させる。
「今だ!!」
 ユリウスが叫び、剣を構えて突進する。
 しかし次の瞬間。代弁者が腕を振り上げる。また光の柱を出すつもりか。
 寸前のところで、ユリウスはバックステップを踏み、大きく後ろに跳んだ。次の瞬間。
「愚か者が……」
「………ッ!?」
 代弁者が喋った。それもかなりの棒読みでだ。その直後、またあの光の柱が通過する。幸い、先に避けていたので、当たる心配は無かったが。
 ユリウスはゆっくりと剣先を下げ、声を張り上げた。
「お前……言葉が話せるのか!?」
 最後に泊まった宿屋のオヤジの言葉が蘇る。確かに言っていた。言葉が話せる魔物がいると。
 一同も呆然としている。ユリウスは構わずに続けた。
「お前らの正体は何だ!」
 代弁者は答えた。ひどく棒読みで文字通り感情の無い―――いや、感情どころか自我すら感じさせない声で。
「我らは神が遣わせたエクスキューショナーの一人、代弁者」
 まさか会話が成立するとは思ってもいなかったため、予想外なまでに答えたので驚いた。
 続けてユリウスは問う。
「エクスキューショナー? 何なんだ、それは?」
 すぐに答えが返ってきた。
「この世界は―――銀河系に浮かぶ星々の文明は進みすぎた。もはや見過ごすことはできない」
「星々の文明だぁ? 星なんて高いところにあるのに、文明なんて存在するっていうのか?」
「星とは宇宙空間に浮いた球体状の物体。この大地もまた、ひとつの星の表面である」
『――――ッ!?』
 誰もが皆、予想外の世界の姿に、言葉を失ってしまう。
 そんな様子を無視し、代弁者は続けた。
「星には極稀に生物の住むものがあり、長い年月を経て人間という種族へと進化する。そして人間の中でも進化した文明域に達したものは、やがて自らの星を出る技術を身に付け、他の星にまで文明の交流を求める」
 フィエナは呆然とする頭の中で、先日に起きたという異世界の人間のことを思い出す。
 必然的に、彼らの言う『異世界』という単語が、『夜空に浮かぶ星』という意味だと知った。
 ユリウスは言った。
「その星々の文明が進みすぎたってのはよぉーく分かった。じゃ、なんで俺たちの住む星に、お前らが現れるんだ? とてもじゃないが、ここが進んだ文明だなんて口が裂けても言えねぇぞ?」
 代弁者は更に、感情の無い声で続けた。
「人間たちの進んだ技術により、この世界は歪み、汚染が生じた。汚染は広がり続け、そこで創造主は決断した。宇宙の―――銀河系そのものを消滅させると」
 瞬間、声にならない悲鳴が起こった。
 代弁者は言う。どこまでも―――どこまでも感情の無い声で。
「そのために遣わされたのが我らエクスキューショーナーで…あ……」
「………?」
 突然、代弁者の声がおかしくなった。
「ピー……ガガッ…ザザザザザ……―――あー、あー、お! やっと繋がるようになったぜ!」
 代弁者の声は、この場の誰のものでもない、軽薄な男性のものに切り替わった。


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