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多くの魅力的な作品を生み出す作家、あさのあつこさんに、『バッテリー』に込めた思いや、作家になった経緯などについてお話を聞きました。
―主人公「巧」のような少年を書ききってみたかった―『バッテリー』に込めた思いを聞かせてください。『バッテリー』を書くことによって何を表現されたかったのですか? あさの:よくその質問をされるのですが、実は、「巧」という主人公の少年を書きたかったんですね。「大人によって変えられる子どもではなく、大人を変えていく少年」を書きたかったというのがこの作品を書いたときの思いです。 「巧」のモデルはいるのですか? あさの:そういうのもまったくなくて、自分のなかでつくりあげてきた少年なんです。 その少年像はいつ頃からもたれていたのですか? あさの:物書きになりたいという気持ちをずっともち続けてきたなかで、ああいう少年を書ききってみたいという思いがいつの間にか生まれていたんです。昔ランボーの詩集を読んだことがあって、彼は16歳で突然詩壇に現れ、19歳で筆を折ってアフリカに渡り、病死してしまうという数奇な運命をたどる詩人なのですが、一貫して既成の枠を打破すべきものだとし、唯々諾々と流されていく詩や文学を痛烈な言葉で批判するんです。革命的な感性、世を覆すことのできる感性というのはすごいと思いました。そんな風に読んだ本や出会った人など、いろんなものとの出合いから生まれてきたとしか言いようがないんです。 ―「ふさがっていた傷をひっかかれて疼(うず)いた」大人たち―巧は、自分の親であっても殴りたくなるような激しい感情をもったりするのですが、それは、あさのさんご自身も実際にもたれていた感情なのですか? あさの:はい、それをどう表現するかということもある気がしますが、無意識ながらもそういう感情は確かにもっていたと思います。実は『バッテリー』が出た後、児童小説として出たので中高生からの反応はもちろんあったのですが、「私はずっとそういう思いを悪だと思って押し殺してきたけれども、あんなふうに怒ってみたかった、叫んでみたかった」という20〜30代の方からのお手紙をたくさんいただいたんですね。それで、みんな一緒だったんだとわかったんです。 実は、私自身も忘れていた中学生時代の気持ちがよみがえってくる気がしました。 あさの:そうなんですね。大人の方から「ふさがっていた傷を引っかかれて疼いた・かさぶたがはがれたような気がする・楽しくは読めなかった」というお手紙をいただいたこともあります。むしろ中高生の方が単純に「巧のような彼氏がほしい」といった、楽しく読んだことがわかる手紙が多かったですね。 ―少年はいつも嵐にもまれている存在―あさのさんの作品のなかでも、少年を主人公としたものが多いのですが、少女ではなく、少年が多いのはなぜなのですか? あさの:少女もすごく好きですが、生理的に同じ女としての気持ちがどこかやっぱりわかるんですね。どんどん丸みを帯びていく自分の体が愛おしいような、とても嫌なような、そういう誰もが味わっていくだろう感覚がわかるんです。でもそれが少年だとまったく未知の世界なので、すごく面白いなと思いまして。私にとっては、リアルな物語を書きながらも、どこかファンタジーなんですよ。「知らないから書ける」んです。男性から「そんな少年いないだろう、そんなこと思わないだろう」などと言われたりするのですが、私にとってそれは関係のないことで。知らない存在を書く面白さがあり、それを書くことは自由だと思うんですね。この間対談した三浦しをんさんも同じようにおっしゃっていましたね。 あるインタビューの中で「10代の少年の独特の魅力」とおっしゃっていたのですが、その魅力というのは、どのようなものなのでしょうか? あさの:10代って、自分自身のことも他人のこともわからないし、本当に明日のこともわからないんですよね。とても小さなきっかけ―たとえば誰に会うとか、どういう風景を見るとか、どんな音楽を聴くとか―によって自分がころりと変わってしまったりするんです。だからそういうところが面白いし、ドラマの宝庫だと思いまして。大人になると、だんだんと自分を知ってきて自分と折り合いがつけるようになるんですよ。それが大人なんですけど(笑)。その折り合いをつけられない、自分をうまくいなせない、そういう、いつも嵐にもまれている存在であるというところが10代の少年の魅力ですね。 |
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