舞台上手側の甲本の部屋…正確には甲本の彼女の久美の部屋…のセットには、大型の液晶テレビが置かれている。
日々の生活にも困る貧乏な芸人には少し不釣合いでも、薬剤師とキャバクラ勤めで二人の生活を支える彼女の部屋にはふさわしいのだろうか。
今、久美は妊娠している。
生まれてくる子供のためにも、二人は成功しなければならない。
液晶テレビのモニターには、日記の日付がカウントされている。
二人の会話が切り替わるたびに、画面の日付が変化する。
イエローハーツが新しいネタのアイデアを閃いたとき、そこにはくっきりと「12月20日」の文字が浮かび上がっていた。
デジタル時計が正確な時を刻むように、モニターの文字が一瞬にして「12月27日」に変わる。
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一週間、クリスマスイブも、クリスマスも返上し、ひたすら漫才を磨き上げることに時間をかけてきた二人。
世田谷公園が家みたいになった、と笑う田中。
世田谷公園といえば、かつてネプチューンの原田泰造とホリケンが噴水の前でネタ合わせしていたことで有名な場所でもある。
ゴッドタンのマジ歌PVでケンコバがイマジネーションベイビーに向けて歌った舞台もこの世田谷公園だったと記憶している。
三軒茶屋から徒歩15分の都会のオアシス。
こういった場所のセレクトも現実味あふれいかにも鈴木おさむらしいと思わされる。
田中が一つ一つの言葉に頷きながら甲本に向かって語りかける。
「何回ネタ合わせしたかな?」
「何百回、もしかしたら、千回以上やったかもね」
「本当に良いネタが出来たと思う」
みなぎる自信が伝わってくる。
若林の声が力強く響く。
今、舞台を見つめる全ての人を惹き付ける笑顔。
モニターが翌日の日付に切り替わる。
若林の作った会場の空気をさらに高揚させる田中圭の喜びに満ちた声。
「よっしゃ!!」
「できたな!!」
「最高のネタ!!」
真夏の太陽の日差しのように眩しい笑顔。
「このネタがあれば、絶対イケる!!」
自分達の駆け出した道の先に、ゴールがあるという確信。
暗い森のなかをあてどなくさまよい続けていたイエローハーツはもうここにはいない。
人を笑わせられるという確かな手ごたえを感じていることが分かる。
先ほどのダイアログが説得力をもって私の心に響く。
あの、くだらないやりとりは確かに「面白かった」のだ。
彼ら二人の会話がネタとして目の前で演じられるとすれば、きっとかならず面白くて、楽しくて、大笑いしただろうと、簡単に想像できる。
そして、12月28日は田中の誕生日だと甲本から送られるペアの黄色いリストバンド。
恋人久美の手によって「イエロー♡ハーツ」と刺繍された、二人の想いが詰まった幸運のアイテム。
羽ばたき方を知った2羽の黄色い幸せの鳥。
飛べない鳥ではなく、飛ばない鳥だったイエローハーツ。
田中が提案する。
笑軍天下一決定戦まであと12日。
日記の中で、毎日、お互いを褒めてテンションをあげて行こう、と。
田中圭が口を切る。
大きな身振りで親指をぴっと立てて、「グッド」のサインを作る。
「お前のボケる顔、つい笑っちゃうわ。いいよ!」
若林が笑顔で深く頷きながら、柔らかい声で答える。
「甲本のツッコミ、冴えてきてると思います」
他愛ない、けれど真剣なやりとり。
ホンが面白い、歯がきれい、目が二重。
一日、一日が過ぎていく。
そして年が変わる。
甲本に奢ってもらったつぶコーンスープが旨かった、という田中。
つぶつぶが取れないのが良い、と続ける。
若林が歌うように言いながらわずかに首をかしげる。
「ってさ、なんか、これって褒めてる?」
なんて楽しそうなんだ、と見ながら思う。
相手へのダメ出しと日々の不安と不満でいっぱいだった交換日記に、今は、希望と喜びが絶え間なく書き込まれていく。
二人が台詞として紡ぎ出す言葉の全てが輝いて見える。
「あと2日。お前、面白い!」
「甲本、一番面白いです。一緒にコンビ組んでよかった!」
翌日。
「イエローハーツ、この名前を世に知らしめるためのスタートとなる明日に乾杯!」
決戦の日がやってくる。
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会場にフジファブリックの「若者のすべて」が流れだす。
ピアノがリズムを刻む。アコースティックギターのやさしい弦の音と、ドラムの力強い音が調和する。
そして遠くから聞こえるこだまのように、空気を深く震わせる。
志村の声は聞こえない。
けれど、今のイエローハーツにふさわしい曲だと思う。
舞台には、ポストをはさんで上手と下手、鏡に向かうイエローハーツの二人がいる。
どちらも背を向けて、鏡を覗き込んでいる。
彼らは、チャコールグレーのスーツのパンツに真っ白いシャツを着ている。
ネクタイを締める。
くるりと体の前で一回転させ、結び目を作る。
結び目を軽く手で押さえながら、長さを調節する。
スーツに袖を通す。
ジャケットのボタンをとめ、襟の部分を両手で持って、シルエットを整える。
一瞬の動作だ。
けれど、見ている私にはそれがスローモーションに見える。
強い照明が当たった二人の姿は白く浮かび上がり、神々しくすらある。
二人が体の向きを変え、見つめあう。
スーツは、あつらえたように彼らの体にぴったりと合っている。
ピカピカのエナメルの靴を履く。
舞台奥、一段高くなっているステージに向かってゆっくりと歩き出す。
二人がステージの上に並ぶ。
漫才師の顔になる。
気負うことなく、自然に、観客に語りかけてくる。
「はい、どーもー♪イエロー・ハーツです~」
舞台が暗転する。