それでも、交換日記は少しずつ少しずつ二人の関係を深めていく。
自分が今、何を考え、どう感じ、どうしたいと思っているのか。
自分が見た景色、聞いた話、そして歩んできた道はどんなものだったのか。
田中圭は驚くほどの台詞量をこなしながら、思いを積み上げていく。
二人のお笑いを取り巻く状況は全て、二人の言葉でのみ表現される。
先輩の体験談、バーであった有名人、期待をかける母親、なじみのディレクターの視線。
主観に寄って立つそれらの情景ひとつひとつを聞けば聞くほど観客はそのボリュームに圧倒される。
甲本が後輩の出演するお笑い番組の前説を担当する場面がある。
彼らの漫才を聞いていたADは冷ややかに笑いながら指摘する。
甲本のツッコミが、後輩のコンビのツッコミに似ている、と。
絶叫する甲本。
「あいつが俺のツッコミを真似してんだよ!!」
「なんで俺が後輩のツッコミの真似すんだよ!!」
「ふざけんなよ!!」
「ふざけんなよ!!」
悔しい、辛い、痛い、哀しい。
ネガティブな感情をすべて吐き出ながら舞台の上で地団太を踏む。
衣装、弁当、楽屋…怖いくらいきっぱりと線引きされた、表舞台に立つ人間と、裏方に甘んじる人間の差。
実力の世界だからとヘラヘラ笑ってやり過ごしてきた自分の中に残っていたどうすることもできない感情。
たった一人、その悔しさを分かち合える相方にだけ見せる気持ち。
小説の中で整然と並んでいた言葉も、目の前で田中圭が顔を苦痛に歪めながら吐き出せばそれは重い重い塊となって胸に刺さる。
自分の笑いを否定されることは自分の人生全てを否定されることに等しいのだといやでも伝わってくる。
「僕だってあの言葉は寂しかった。…でもそれが現実」
相方の感情をすべて汲み取り、理解しても出てくる言葉は悔しい、より寂しいなのだ。
若林の静かな声が会場に響く。
しかしその中には今までにない小さな意志の光があることが伝わってくる。
先ほどまで彼の表情に透けて見えた諦観はそこから感じることはない。
じっと相手を見つめるまっすぐな視線。
「だから、今、頑張るしかないよ」
今から、ではなく、今。
真摯な言葉のやり取りの中に、次第に、「イエローハーツとは何なのか」というコンビのアイデンティティにかかわる言葉が生まれてくる。
----------------------------------
ほどなくして、彼らにある大きな大会の情報が舞い込む。親交のあるテレビディレクターからの誘いだ。
「笑軍天下一決定戦」
漫才・コントも含めて一番ネタの面白い芸人を決定するコンテスト。
優勝すればTV番組のレギュラーも約束されている。
芸歴10年を超えM-1にはもう出場できない今の自分たちにはウッテツケの大会だと喜ぶ田中に対して、甲本の顔色は冴えない。出場を躊躇う甲本に、田中が質問を繰り返しながら一歩一歩 甲本の心に踏み込んでいく。
「出たくない、今はやめておこう」
田中圭の声のトーンがぐっと落ちる。
「何で?どうしたの?甲本らしくないよ」
何かを隠して、何かから逃げようとしている。
「怖いんでしょ」
一方で、若林の声が、視線が鋭さを増す。林の奥深く、逃げようと身を潜めた藪を、手持ちの鎌で一閃し次々となぎ払っていくように、相方の逃げ場を無くしていく。
「やっぱり怖いんだ」「本当は怖いんだよね…」
そしてついに田中の、
「最後のチャンスかもしれない」
という言葉に甲本が気持ちをぶちまける。
「お前は『最後のチャンス』って書いたよな?最後のチャンスって意味分かってるか??」
「確かにそうだよ。これに出たらそうなんだよ。最後のチャンスなんだよ」
「だけど、その最後のチャンスにチャレンジしてダメだったらどうする?どうすんの?」
「少なくとも俺は更に自信が無くなる。自信が無くなったら、芸人やめなきゃいけないんじゃないかって思う」
聞きながら、心が冷え冷えとしてくる。 消え入るような声。
「芸人、やめたくねえよ…」
正常性のバイアス、という言葉が思い浮かぶ。
常に死を思っていては、日常生活を私たちは送ることが出来なくなる。
道路を歩いていて、車道から車が突っ込んできたらどうしようとか、
ジェットコースターに乗りながら、この安全ベルトが外れたらどうしようかとか、
そういった様々な危険を、一度考えの外に置き、私たちは今生活している。
「芸人は始めるときも辞めるときも自分次第だろ」
お笑い芸人にとって、「才能が無い」とは死にも等しいことだと思う。
それを「考えないようにする」ために彼らなりに折り合いをつけて生きている。
先輩が事務所をやめる時残した台詞。
『夢を諦めるのも才能だ』
その言葉を気持ちの中にずっと隠して過ごしてきた日々を吐き出す甲本。
「才能がないって気付くのが怖い。気付いているのに気付かないフリしてる」
その考えないようにしている本当の自分の姿を自分の言葉で表現する甲本の姿に、胸が痛くなる。
そこまでつきつめなければいけないのか。
そこまで語りつくさなければいけないのか。
スポーツ選手のそれとは違う言葉。
面白いということ。
幼稚園児が三輪車から転げ落ちるホームビデオでも人は笑う。
しかし、若手お笑い芸人が派手に熱湯風呂に落ちたところで笑い声ひとつ起きない時もある。
「コンテストに出て負けたらさ、気付かざるを得ないんだよ、この年でさ」
誇りとか意地とか、持っているだけで辛くなるそういった気持ちを言葉にしてぶつける。
目の前には髪を振り乱し、汗だくになって、声を絞り出す甲本がいる。
田中に向けられる言葉であると同時に、今、ここにいる観客に向けられる言葉の奔流。
夢をとっくに持たなくなった私には、彼らのいる場所がなんて恐ろしく辛い場所なんだろうと思うしかできない。
けれど、田中は、ありのままの自分を認めた甲本に力強く声をかける。
「だから、動くしかないんだと思います。変わるしかないんだと思います。この不安を自信に変えるしかないんだと思います。動かなきゃ景色は変わらないから」
そして若林の表情も変わる。
冒頭のかたくなな雰囲気は消え、強い意志と決意をもって口を引き結んでいる。
凄み、とでも呼ぶべきオーラを身にまとって舞台の上に立っている。
「甲本が、噛むのが怖いなら、もっともっとネタあわせしよう」
「何時間でもやるから」
若林の一語一語を区切るような丁寧な口調に、会場の空気が綺麗に均されていく。
観客すべてがイエローハーツに魅了されている。
甲本と田中の二人が作り上げてきた、世界で一つしかない漫才コンビ。
変えられるのは自分たちしかいない。
自分が今、何を考え、どう感じ、どうしたいと思っているのか。
自分が見た景色、聞いた話、そして歩んできた道はどんなものだったのか。
田中圭は驚くほどの台詞量をこなしながら、思いを積み上げていく。
二人のお笑いを取り巻く状況は全て、二人の言葉でのみ表現される。
先輩の体験談、バーであった有名人、期待をかける母親、なじみのディレクターの視線。
主観に寄って立つそれらの情景ひとつひとつを聞けば聞くほど観客はそのボリュームに圧倒される。
甲本が後輩の出演するお笑い番組の前説を担当する場面がある。
彼らの漫才を聞いていたADは冷ややかに笑いながら指摘する。
甲本のツッコミが、後輩のコンビのツッコミに似ている、と。
絶叫する甲本。
「あいつが俺のツッコミを真似してんだよ!!」
「なんで俺が後輩のツッコミの真似すんだよ!!」
「ふざけんなよ!!」
「ふざけんなよ!!」
悔しい、辛い、痛い、哀しい。
ネガティブな感情をすべて吐き出ながら舞台の上で地団太を踏む。
衣装、弁当、楽屋…怖いくらいきっぱりと線引きされた、表舞台に立つ人間と、裏方に甘んじる人間の差。
実力の世界だからとヘラヘラ笑ってやり過ごしてきた自分の中に残っていたどうすることもできない感情。
たった一人、その悔しさを分かち合える相方にだけ見せる気持ち。
小説の中で整然と並んでいた言葉も、目の前で田中圭が顔を苦痛に歪めながら吐き出せばそれは重い重い塊となって胸に刺さる。
自分の笑いを否定されることは自分の人生全てを否定されることに等しいのだといやでも伝わってくる。
「僕だってあの言葉は寂しかった。…でもそれが現実」
相方の感情をすべて汲み取り、理解しても出てくる言葉は悔しい、より寂しいなのだ。
若林の静かな声が会場に響く。
しかしその中には今までにない小さな意志の光があることが伝わってくる。
先ほどまで彼の表情に透けて見えた諦観はそこから感じることはない。
じっと相手を見つめるまっすぐな視線。
「だから、今、頑張るしかないよ」
今から、ではなく、今。
真摯な言葉のやり取りの中に、次第に、「イエローハーツとは何なのか」というコンビのアイデンティティにかかわる言葉が生まれてくる。
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ほどなくして、彼らにある大きな大会の情報が舞い込む。親交のあるテレビディレクターからの誘いだ。
「笑軍天下一決定戦」
漫才・コントも含めて一番ネタの面白い芸人を決定するコンテスト。
優勝すればTV番組のレギュラーも約束されている。
芸歴10年を超えM-1にはもう出場できない今の自分たちにはウッテツケの大会だと喜ぶ田中に対して、甲本の顔色は冴えない。出場を躊躇う甲本に、田中が質問を繰り返しながら一歩一歩 甲本の心に踏み込んでいく。
「出たくない、今はやめておこう」
田中圭の声のトーンがぐっと落ちる。
「何で?どうしたの?甲本らしくないよ」
何かを隠して、何かから逃げようとしている。
「怖いんでしょ」
一方で、若林の声が、視線が鋭さを増す。林の奥深く、逃げようと身を潜めた藪を、手持ちの鎌で一閃し次々となぎ払っていくように、相方の逃げ場を無くしていく。
「やっぱり怖いんだ」「本当は怖いんだよね…」
そしてついに田中の、
「最後のチャンスかもしれない」
という言葉に甲本が気持ちをぶちまける。
「お前は『最後のチャンス』って書いたよな?最後のチャンスって意味分かってるか??」
「確かにそうだよ。これに出たらそうなんだよ。最後のチャンスなんだよ」
「だけど、その最後のチャンスにチャレンジしてダメだったらどうする?どうすんの?」
「少なくとも俺は更に自信が無くなる。自信が無くなったら、芸人やめなきゃいけないんじゃないかって思う」
聞きながら、心が冷え冷えとしてくる。 消え入るような声。
「芸人、やめたくねえよ…」
正常性のバイアス、という言葉が思い浮かぶ。
常に死を思っていては、日常生活を私たちは送ることが出来なくなる。
道路を歩いていて、車道から車が突っ込んできたらどうしようとか、
ジェットコースターに乗りながら、この安全ベルトが外れたらどうしようかとか、
そういった様々な危険を、一度考えの外に置き、私たちは今生活している。
「芸人は始めるときも辞めるときも自分次第だろ」
お笑い芸人にとって、「才能が無い」とは死にも等しいことだと思う。
それを「考えないようにする」ために彼らなりに折り合いをつけて生きている。
先輩が事務所をやめる時残した台詞。
『夢を諦めるのも才能だ』
その言葉を気持ちの中にずっと隠して過ごしてきた日々を吐き出す甲本。
「才能がないって気付くのが怖い。気付いているのに気付かないフリしてる」
その考えないようにしている本当の自分の姿を自分の言葉で表現する甲本の姿に、胸が痛くなる。
そこまでつきつめなければいけないのか。
そこまで語りつくさなければいけないのか。
スポーツ選手のそれとは違う言葉。
面白いということ。
幼稚園児が三輪車から転げ落ちるホームビデオでも人は笑う。
しかし、若手お笑い芸人が派手に熱湯風呂に落ちたところで笑い声ひとつ起きない時もある。
「コンテストに出て負けたらさ、気付かざるを得ないんだよ、この年でさ」
誇りとか意地とか、持っているだけで辛くなるそういった気持ちを言葉にしてぶつける。
目の前には髪を振り乱し、汗だくになって、声を絞り出す甲本がいる。
田中に向けられる言葉であると同時に、今、ここにいる観客に向けられる言葉の奔流。
夢をとっくに持たなくなった私には、彼らのいる場所がなんて恐ろしく辛い場所なんだろうと思うしかできない。
けれど、田中は、ありのままの自分を認めた甲本に力強く声をかける。
「だから、動くしかないんだと思います。変わるしかないんだと思います。この不安を自信に変えるしかないんだと思います。動かなきゃ景色は変わらないから」
そして若林の表情も変わる。
冒頭のかたくなな雰囲気は消え、強い意志と決意をもって口を引き結んでいる。
凄み、とでも呼ぶべきオーラを身にまとって舞台の上に立っている。
「甲本が、噛むのが怖いなら、もっともっとネタあわせしよう」
「何時間でもやるから」
若林の一語一語を区切るような丁寧な口調に、会場の空気が綺麗に均されていく。
観客すべてがイエローハーツに魅了されている。
甲本と田中の二人が作り上げてきた、世界で一つしかない漫才コンビ。
変えられるのは自分たちしかいない。