泣いた。

まー泣いた。

泣ける映画とか、泣ける本とか、泣ける2ちゃんねるとか、「泣ける」というフレーズは時に陳腐なもので、多用すればするほど、嘘臭くなってしまう。
泣ける作品が果たして必ず質の高いものかと言われればそうではないだろう。
「人を泣かせたり、怒らせたりすることより、笑わせるほうが難しい」とも言う。

それでも、いわずにはいられない。

「舞台『芸人交換日記』は泣ける」と。

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「芸人交換日記」は結成10年の売れないお笑い芸人「イエローハーツ」が自分たちの置かれている状況を少しでも良くしたい、と 本音で語るために交換日記をつけあっていく、といういわば往復書簡集にも似た物語だ。

冷静沈着で感情を表に出すことのないボケの田中、彼女の家に無一文で転がり込み300万近い借金を抱えながらも、これこそが芸人とうそぶくツッコミの甲本、二人のダイアログで形成されるこの物語は、どちらかといえば、淡々とストーリーが進んでいくもので、読後の印象は面白いとかつまらないとかいうことよりも、「よく出来ている」といった気持ちの方が強かった。

「神は細部に宿る」の言葉そのままに、富士そばであるとか、ベッキーであるとか、前説であるとか、あるいは、小さなネタ番組にレギュラーで出演したことがあって、あとほんのわずか、TVの人気者に手が届かなかったりであるとか、非吉本芸人だからライブをする場所がないとか、そういった現実にあったことの積み重ねが物語に厚みを与えているように見えた。

ところどころに印象的なフレーズが出ては来るが、あくまでもそれは物語の流れの中で登場するに過ぎず、胸に響くか、といわれればそれほどでもなかったと思う。

舞台化が決定し、主演がオードリー若林、田中圭と聞いたとき、狙いすぎではないかと思わなくもなかった。

実際、この小説を読んだカンニング竹山は「田中は若林だ」と言ったそうだし、原作者であり、今回の舞台の脚本・演出を手がける鈴木おさむもまた、「若林くん以外考えられない」とさまざまなインタビューで答えている。

二人のバックグラウンドは、申し分ない。

2000年に結成されたオードリーは8年間お笑いをやって、全く芽が出ず、5年を過ぎたあたりから若林は何度も何度も解散、引退を考え続けてきた。
初めてTVのネタ番組に登場したのは2008年4月。その年の12月に行われたM-12008のの敗者復活戦から2位入賞し、それこそたったの合わせて8分の漫才でお笑い人生の全てを塗り替えた芸人。
それから3年、一時のブームは去ったものの、TVでその姿を見ない日はなく、お笑い芸人がもっとも必要とする生放送のラジオ番組のMCも担当している。

一方の田中圭は、ホリプロ主催のオーディションに最終選考で落選したものの、中学生で現在の事務所にスカウトされ芸能界入りを果たしている。
そこから順調にキャリアを重ね、NHK朝の連続テレビ小説のサブキャストを演じるまでになった。

一方で母子家庭で育ち、妹をなくしているという家庭事情を併せ持っている。「役者になりたい」という夢を持つ気持ちは人一倍大きかったはずだ。

この二人が夢を追いかけ、夢を失うまでの物語を演じるのだ。

しかし、「そうである」ことと、「そう演じられる」間には大きな差がある。
もし、人々がみな「そうである」だけで「演じられる」のであれば、世の中に役者と言う職業がなくなってしまうだろう。

「そうである」ことを「そうである」ように見せられるのだろうか。
一抹の不安を胸に、舞台に足を運んだ私は、それがまったくの杞憂だと知ることになる。

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以下 ネタバレあり

客入れの曲はあの有名すぎるほど有名な、M-1の出囃子ファットボーイ・スリム の『Because We Can 』
そして2分前から曲調ががらりと変わる。

フジファブリックの「若者のすべて」

舞台の上手側には、液晶テレビを模したセットが置かれ、その画面には5分前から開演へのカウントダウンが刻まれていく。

時間が進むにつれ、会場に沈黙の霧が静かに降りてくる。
1分前になるとモニターの文字が消え、深い森の奥のような静謐さの中に、「若者のすべて」が静かに流れていく。

そして、舞台が始まる。

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明転した舞台中央に立つ一人の少女。
黄色い表紙のノートを手にした少女が独白を始める。

17年前の、あるコンビが書いた「交換日記」

それを、届けにきた、と切り出す。

物語が過去へと遡る。

「若者のすべて」が流れ、タイトルクレジットが浮かび上がる。

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中央に小さな銀色のポストがぽつんと置かれている。

上手側が田中圭演じる甲本の部屋。
下手側が若林演じる田中の部屋。

部屋でぼーっとしている田中が立ち上がり、ふと思いついたようにポストを覗き込む。

そのポストの中には、A4サイズほどの黄色い表紙のノートが入っている。
首をかしげながら、田中がノートを広げ、最初のページに目を落とす。

その瞬間、上手側に座っていた甲本が立ち上がり、まっすぐに田中を指差しながら独白を始める。

「今!田中が読んでいるこれ!なんだ?と思ってるだろ?そう、これは交換日記。ボケとかじゃないぞ!なんでこんなものをポストに入れてお前に渡したか?いきなりだけど、今日から俺は田中と交換日記をしようと思う!」

一気に畳み掛ける甲本。

「今年絶対ブレイクするために、一緒にいるときには言いにくいことをこの日記に書いて、コンビの絆を強くしていこう!」

黙って、ノートを閉じると「TSUTAYA」の袋に入れて中央のポストに置きに行く田中。

ポストにかけよる甲本。
「TSUTAYA」の文字に一瞬怯むが気を取り直して袋から乱暴に取り出して投げ捨てる。
ポストに背を向け、もどかしそうにノートを開きながら、ページに目をやる。

そんな甲本の背中から田中が声をかける。

「いやです」

熱心に交換日記を勧める甲本。
嫌がる田中。

そんなやりとりが続いていくうち、ラヴェルのボレロのように、繰り返される言葉が次第に独特の旋律を奏でだす。

そして、交換日記がスタートする。

ポストをはさんで行きかうノート。

数限りなく日記に綴られる言葉はいかにも芸人らしく、彼らの日常を浮かび上がらせていく。

しかし、彼らはあくまでノートを通じてしか言葉を交わしていない。

甲本は、日記の文面さながら、ポストの向こうの田中に熱く語りかけるが、田中は淡々と伝えたいことを口にしながら、どこともつかない場所を見つめているだけだ。

この距離感の表現が見事だった。
10年一緒に過ごしているがゆえに生まれる相手に対する見切り、のようなもの。
単純にいえば、「何を言っても無駄だな」という諦め。

どちらかが、諦めてしまえば、コンビ二人、波風立てずに過ごすことはできる。

二度目は悲劇、三度めは喜劇と言う。

何度も同じ失敗を繰り返す相手の姿に、わずかに眉根を寄せて、小さくため息をつきながら言葉を発する若林の表情は、その諦めを知っている人でなければ、決して表現できないものではないかと思えるものだった。

あのあまりにも有名な「春日がゆっくり歩いて登場する」というオードリー得意のつかみでさえ、一番最初は、「事務所の人に怒られたくて」やっていたという。

「やめる踏ん切りがつかないから、事務所をクビになろうと思っていた」と全国ネットのテレビ番組で笑う若林。

その姿と目の前の力なく笑う田中の姿がシンクロする。