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米の放射能人体実験

次々崩れた機密の壁




1994年2月1日(朝日新聞)

米の放射能人体実験 次々崩れた機密の壁
地方紙記者が追跡6年


がん患者へのプルトニウム注射、治療費の払えない患者への大量の放射線照射──放射能人体実験という核兵器開発の最暗部が一連の新聞報道で明るみに出て米国を大きく揺さぶっている。実験は、ソ連と激しい核開発競争をしていた1940年代から70年代初めにかけて米政府が極秘に実施、その後も最高機密とされてきた。しかし、真相究明を求める世論が高まり、エネルギー省は、人体実験を含むかなりの核関係機密書類を今年6月に公開する方針を固めた。(ワシントン=大塚隆)


秘密を暴く口火を切ったのは、ニューメキシコ州のアルバカーキー・トリビューンという地方紙だ。女性記者のアイリーン・ウエルサムさんは、原爆開発のマンハッタン計画の一環として、原爆の原料となるプルトニウムの毒性や体への吸収率を調べるための人体実験が、45−47年に行われていたことを87年に知った。被験者は18人。記録にはコード番号しか記されていなかったが、6年がかりで5人を突き止め、昨年11月に報じた。


●遺灰まで研究材料

「CAL1」と記されたアルバート・スティーブンスさん(当時58)の場合はこうだった。サンフランシスコの病院で「胃がんで余命半年」と診断され、広島、長崎への原爆投下直前の45年5月、本人に無断で、大量のプルトニウムを注入された。4日後、胃の3分の2と肝臓を切除する大手術を受け、患部は研究材料として持ち去られた。
しかし、スティーブンスさんは66年1月まで生き、79歳で亡くなった。遺体は火葬されたが、75年、その遺灰は残存放射能を調べるためシカゴにあるアルゴンヌ国立研究所に送られた。
核戦争勃発(ぼっぱつ)を想定した実験も明らかになった。ロサンゼルス・タイムズは、50年代から72年ごろまで、被ばく兵士の継戦能力を調べる目的で、シンシナティ大の研究者が治療費を払えないがん患者80人余に大量の放射線を浴びせる実験を行ったと報じた。
当時、25レム以上の照射は骨髄に危険と考えられたが、一部の患者にはこの10倍も照射された。
米国防総省への実験報告にはこう記されているという。「実験で8人の死期が早まった可能性がある」「200レムまでの被ばく線量であれば継戦能力はかなり維持できる」


●児童の食物に混入

50年代初め、軽い知的障害があった児童に、マサチューセッツ工科大の研究者が放射性物質入りの食べ物を「ビタミン入りの栄養食」などと言って食べさせた実験も暴露された。
反響は大きかった。エネルギー省が昨年暮れ設置した人体実験ホットラインヘの電話は1カ月で1万5000件を超えた。手紙も1000通以上にのぼる。手紙の分析では、3分の1は自分や家族が知らないうちに被験者にされていたのではないか、さらに3分の1は核工場や核実験場の近くにいたために被ばくしたという訴えだった。残り3分の1は真相究明への支持や励ましが大部分だったという。
議会も動き始めた。1月25日には上院政府活動委員会が、初の公聴会を開いた。米エネルギー省のオリアリー長官は民間出身で、核機密の情報公開に取り組んでいる。その長官が証言に立った。「あえてパンドラの箱を開いたのは、実験の詳細をはっきりさせ、秘密主義という悪癖から抜けだすことでしか、実験への疑念をはらせないからだ」。会場から大きな拍手が起き、委員からも絶賛を浴びた。


●肩身狭い核科学者

最近は、核兵器工場の相次ぐ放射能漏れ事故などでエネルギー省や関係者の評判はがた落ちだった。そんなところへ人体実験が暴露され、核兵器開発の先頭に立ち、冷戦時代を支えてきた栄光の核科学者たちは、一転、窮地に立たされている。
1月半ば、サンフランシスコで開かれたエネルギー省主催の核問題についての公聴会に、「水爆の父」とよばれるエドワード・テラー博士(86)が出席した。
レーガン元米大統領が現職当時、宇宙防衛計画を進言するなど政権に強い影響力を持ち続けた同博士は、公聴会を「ヒステリックでバランスを欠く」といい、「一連の人体実験報道も誇張が多い」と批判したが、会場からは逆に「大うそつき」とやじられた。オリアリー長官が反対派からも大きな拍手で迎えられたのとは対照的だった。
同省が機密解除を検討中の文書には広島・長崎への原爆に関する報告書も含まれている。
半世紀近い歳月を経て、核大国の暗部が白日の下にさらされる。


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1994年2月11日(朝日新聞)

米の秘密人体実験 冷戦次代の暗黒部分にメス


米国は冷戦時代の1940年代から50年代にかけて放射性物質を使ってさまざまな秘密人体実験を行ってきた。人体実験と言えば、旧ソ連が50年代にウラル地方で実際に核兵器を爆発させ、放射能が兵士の人体にどのような影響を与えたか調査した例が有名だが、米国の場合は多数の一般市民もそれと知らされずに、実験の対象にしている。クリントン政権は現在、この歴史の暗黒部分に光を当てる作業を進めており、これに伴って全米各地で秘密実験の被害者たちが政府に補償を求める動きが表面化している。(アメリカ総局・関口宏)


▼6機関が調査

クリントン政権は昨年12月、冷戦時代に行われた人体実験について、エネルギー省が中心になって総合調査することを正式に決定した。調査にはエネルギー省のほか、国防総省、復員軍人省、中央情報局(CIA)など6つの政府機関が参加している。結果は6カ月以内に大統領に報告される。
政府の調査計画が発表されて以来、人体実験の対象にされた人たちが各地で名乗りを上げている。議会での公聴会も行われ、これまで秘密にされてきた人体実験の一端が明らかにされつつある。


▼知らされず…

今年1月中旬、この問題を取り上げた上院労働委員会で、マサチューセッツ州に住む2人の男性が小学生時代の1950年代に放射性物質による人体実験に供されたと証言した。2人は当時、知的障害の生徒約120人を収容した州立の特殊学校で学んでいた。「ある朝、何人かがほかの生徒とは別の部屋に呼ばれ、コーンフレークとミルクの朝食を食べさせられた。あとで腹痛が起きたが、医者も原因が分からなかった。当時はもちろん、人体実験などとは知らされていなかった」
2人のうちの1人、工場作業員のオースチン・ラロークさんは、当時のもようをこう語った。
この実験は政府の委託を受けて、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者が実施したものだった。ミルクの中に少量の放射性物質を混ぜて、カルシウムと鉄分が摂取される代謝のメカニズムを調べるため行われたという。
このほか海軍が67年にワシントン州ハンフォードの原子力施設で14人の志願者に放射性物質の溶液を飲ませ、あるいは注射した例や、40年代から50年代に潜水艦勤務者の水圧による耳鳴りを防止するため、数千人の新兵に鼻孔からラジウムを注入したケースも明るみに出された。


▼1000万ドル要求

政府を相手に補償を要求する被害者も相次いでいる。サンフランシスコに住むリチャード・リースさん(59)は「10歳の時の45年から2年間、放射性物質の濃縮液を注射された」として、エネルギー省を相手取り、1000万ドルの補償を求める訴訟を起こした。リースさんも知的障害の少年だった。
また45年から49年にかけてテネシー州ナッシュビルのバンダービルト大学付属病院で妊娠中に人体実験の対象にされ、放射性物質を投与されたという2人の女性とその2人の娘(1人は死亡)が、大学当局や当時の原子力委員会委員長など関係者を相手取って損害賠償を求める訴えを起こしている。
実験は放射性物質が胎児にどんな影響を与えるか調べるのが目的とされ、当時、約750人の妊婦が対象にされた。彼女たちが出産した子供のうち3人が5歳から11歳でがん、白血病で死亡しているという。
核実験などに伴う軍関係者の放射能被ばくも改めて論議されている。1月下旬、上院政府活動委員会で国防総省高官が明らかにしたところによると、50年代に行われた大気圏核実験で20万5472人が放射能を浴びた。また、原爆投下後に広島と長崎に駐留した米兵のうち19万5753人が放射能に身をさらしたと報告されている。もっとも、国防総省は「放射能は低レベルで人体への影響は少ない」と説明している。


▼パンドラの箱

今回の人体実験調査の先頭に立つエネルギー省のオレアリ長官は、ミネソタ州の電力会社副社長からクリントン政権入りした黒人女性。同長官は議会の公聴会で「最近までなお200件の実験が続けられていた」との事実を公表すると同時に、今回の調査について「パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない」と述べた。
彼女はもともと環境問題に関心が深く、政府に不利な事実が出てくるのを覚悟で冷戦時代の暗黒部分にメスを入れている。調査が大規模に展開されているのは、彼女の努力に負うところが大きい。(中日新聞 1994/02/11)



【関連記事】

米“原爆”で人体実験 子供含む18人にプルトニウム
【ワシントン22日=AP】米エネルギー研究開発局(ERDA)は21日、「広島、長崎の原爆投下を前に、米国で、その放射能の影響度を調査する目的で18人の男女に対し、極秘にプルトニウム溶液を注射、人体実験をしていた」というショッキングな事実を確認した。
米科学ニュース誌「サイエンス・トレンズ」が伝えるところによると、実験はテネシー州オークリッジのマンハッタソ技術地区病院、ニューヨーク州ローチェスターのストロング・メモリアル病院、それにシカゴとカリフォルニア大学病院の4病院で、1945年から47年にかけて米政府の超極秘計画として行われた。
実験の目的は、原爆製造に従事する作業員に放射能がどのような影響を与えるかの調査で、4歳から50歳台までの老若男女18人が人体実験の対象となり、プルトニウムの注射を受けたという。
人体実験された人は通常、人体に発ガンなど大きな影響を与えるだろうと想定される量を2回から145回にもわたって注射され、このため7人が注射を受けたその年に死亡、3人が1−3年以内に、2人が14−20年以内に、1人が28年後に、さらに2人(期間不明)が死亡した。残り3人のうち1人は現在も生存しているが、注射の目的は知らされなかったという。(産経新聞 1976/02/23)

米で放射能の人体実験 30年間に700人 下院委調査
【ワシントン24日=石田特派員】米国内の病院や刑務所で、70年代までの30年の間に700人近い人たちが放射能の影響を調べるための人体実験に利用されていた、と米下院エネルギー小委員会が24日、明らかにした。エドワード・マーキー委員長(マサチューセッツ州、民主)は「まるでナチスのようなことをしていたわけで、放射線医学研究の歴史の汚点だ」と話した。
この事実は同小委員会が米エネルギー省保管の数千ページにのぼる公式文書を調べ直してわかった。それによると、ワシントン州やオレゴン州の刑務所では1971年まで8年間にわたり計131人の囚人を対象に生殖能力への影響を調べるため過度のX線を照射したり、国立ロスアラモス研究所で1960年代に計57人の成人に放射性ウランを摂取させていた、などの事例が十数件も判明した、という。放射能で汚染された牛乳を飲ませたり、放射性物質を含んだ川の魚を食べさせる、などの方法も取られていた、としている。
同委員長によると、こうした人体実験は1940年代から70年代にかけて、日本に原爆を投下したマンハッタン計画や原子力エネルギー委員会、エネルギー研究開発機関など政府機関によりほぼ全米規模で行われており、「実験材料」にされた人は判明分だけでも695人にのぼる。大半が囚人や末期症状の入院患者たちだった、という。
これに対して、米エネルギー省のスポークスマンは「プルトニウムを被ばくした人のフォローアップはしていたが、他の人々の追跡調査はどうなっているか、わからない」と述べ、調査でわかった事実については否定していない。(朝日新聞 1986/10/25)

米、大戦中に人体実験 化学兵器対策で6万人に
【ワシントン6日=共同】第2次世界大戦中に米政府が6万人以上の米軍兵士らを対象に、化学兵器用防護服や治療法の開発を目的として実施した大規模な人体実験の全容が6日、全米科学アカデミー医学研究所が発表した調査報告書で明らかになった。
実験の事実は戦後45年以上も秘密にされてきたが、最近になり、がんや呼吸器疾患の後遺症に苦しむ実験参加者や家族が救済を訴えて明るみに出た。
報告書によると、実験は米政府の科学研究開発局による化学戦準備の一環として、メリーランド州エッジウッド弾薬しょうなど9カ所で行われ(1)汚染を防ぐ薬剤開発のための化学剤塗付実験(2)防護服とマスクを着けた兵士らに毒ガスを浴びせ防護性能を確かめるガス室実験(3)汚染地域で行動させる野外実験−に分かれていた。このうち、2500人以上が参加したガス室実験は通常1回1−4時間。兵士らは防護服などのすき間から入ってくる毒ガスで皮膚に赤い斑点ができるまで何日も実験を受けさせられた。(朝日新聞 1993/01/07)

米軍が先住民に人体実験 冷戦時にアラスカで放射性の丸薬投与
【アトランタ(米ジョージア州)】米CNNテレビは3日、米ソの冷戦が続いていた1950年代に米空軍が、北極圏で米兵が生き残れるかどうかを研究するために、アラスカの健康なイヌイット(エスキモー)やインディアン102人に放射能を含んだ薬をひそかに投与し、人体実験をしていたと報じた。
CNNが入手した文書によると、米空軍の研究者らは、アラスカの先住民らが極寒の地で生活できるのは、その甲状腺(せん)に秘密があるのではないかと考えていた。これを調査するため、50−57年にかけてイヌイットやインディアンに少量の放射性ヨード入りの丸薬を飲ませ、甲状腺への影響を調べたという。
イヌイットの1人はCNNに対し、米軍からは丸薬投与の目的について説明を受けておらず、ダイエットの医学的調査と思っていたと答えている。
これに関し、アラスカ州選出のマカウスキ上院議員(共和党)は連邦政府の事実関係の調査を求めている。
実験を行った医師の1人(ノルウェー在住)は、CNNの電話インタビューに応じ、イヌイットたちは旧ソ連の原爆実験によってもっと多くの放射能を浴びていたと思うと述べ、米空軍による実験は全く安全だったと回答した。(中日新聞 1993/05/04)

プルトニウムで人体実験 原爆開発 米医師ら
【ワシントン17日共同】原爆を開発した米マンハッタン計画の医師らが、1945年から47年にかけてプルトニウム溶液などの放射性物質を人体に注入する秘密実験をしていたことをニューメキシコ州の地元紙アルバカーキ・トリビューンが突き止め、その被験者の身元や当時の詳細な模様を15日からの連続特集で掲載した。プルトニウムによる人体実験が行われていたことが分かったのは初めて。
実験はプルトニウムなどが体内のどこに蓄積されるかを調べるのが目的。被験者は18人で全員が死亡しているが、うち5人の身元が判明した。5人は元鉄道会社員のエルマー・アレンさん(91年死亡)ら。
アレンさんは47年7月、左足に骨がんがあると診断され、サンフランシスコのカリフォルニア大学病院で治療中に医師らの訪問を受け、左足のふくらはぎにプルトニウムを注射された。3日後に左足は切断され、医師らが運び去った。
10年以上生きる見込みがない病人らを選んだがアレンさんら5人は20年以上存命した。アレンさんは形式的な同意書が残っているが被験者に十分説明した形跡はないという。(中日新聞 1993/11/18)

過去204回秘密核実験 プルトニウム人体実験も認める 米エネルギー省
【ワシントン7日江尻司】米エネルギー省は7日、米国が過去204回に及ぶ核実験を公表せず秘密にしていた事実など、機密になっていた米国の核実験の実態を明らかにした。米政府は核爆弾製造施設の縮小を進めており、同省は冷戦終了で機密にしておく必要がなくなったためと公表の理由を説明している。
同省によると、冷戦が本格化した1951年以来、米国はネバダ実験場で925回の地下核実験を実施。核軍備増強を競っていた旧ソ連に情報を入手させないため、そのうち204回は実験の事実を公表しなかった。アラスカや太平洋を含めた米国の全実験は1051回に上る。
秘密とされた実験の大半は1960−70年代に集中、最近では90年の実験が公表されなかった。
また同省は、米国が過去89トンの核兵器用プルトニウムを製造。現在33.5トンを貯蔵していることも明らかにした。

【ワシントン7日時事】米エネルギー省は7日、40年代に原爆開発のためのマンハッタン計画に従事していた18人を対象に、プルトニウムを体内に注入、その影響を調べるという人体実験が行われていたことを確認した。この人体実験については、既に米国内でも一部の新聞が報道していたが、被験者にきちんと情報を与えたうえで事前に同意を得たかどうか疑問で、同長官自身、「報告にショックを受けた」と述べた。
この18人は既に全員が死亡している。このほかにも、40年代以降、約800例の放射能人体実験が行われたという。(中日新聞 1993/12/08)

人体実験は300人余 米核兵器工場 地元紙が報道
【ワシントン23日=大塚隆】米国で23日、ワシントン州にあるハンフォード核兵器工場が10種もの人体実験を行っていたと地元紙が報じた。米エネルギー省は核の機密に関する情報の一部公開を決めたが、人体実験情報のすべてが記録に残されているわけではない。このため同省は同日、人体実験に関する情報を集めるための無料の専用電話を設置した。
ハンフォード核工場に近いオレゴン州の地元紙のオレゴニアンが報じたのは、同工場の運営を1965年にゼネラル・エレクトリック(GE)社から引き継いだバッテル社の研究所が、51年から75年までに実施していたと明らかにした一連の実験。少なくとも319人の患者や従業員などが参加させられていたという。たとえば、63年から翌年にかけて、リン32を5人の患者に注射し、体内への吸収率を調べた。これは同工場の原子炉の冷却水によって魚介類が汚染されたため、これらを食べた時の影響を調べるためだった。
赤血球への影響を知るために、130人の患者やボランティアに放射性の鉄やクロムを注射したこともあったという。また、工場の運営に当たっていたGEの従業員15人が、職場での被ばくを防ぐためにトリチウムが含まれている水蒸気をかぐ実験もしていた。
一連のこれらの実験はエネルギー省の前身である原子エネルギー委員会や厚生省などが実施していた。しかし、実験に参加した患者らが、どういった影響を受けたかは明らかではない。(朝日新聞 1993/12/24)

精神障害児に放射性の食品 米大学で実験の報道
【米マサチューセッツ州27日=ロイター】ボストン・サンデー・グローブ紙は26日、1946−56年にかけて、ハーバード大とマサチューセッツ工科大(MIT)の研究者らが、放射性物質を含む食品を、少なくとも49人の精神障害児に食べさせる実験をしていたと報じた。
同紙によると、消化能力などを調べる目的で放射性物質を含むカルシウムや鉄入りの食品を食べさせ、血液などへの影響も調べた。当時、少年たちの親に多少の説明はしたが、放射性物質のことは告げていなかったという。
マサチューセッツ州政府によると、医師団がその後の影響を調べる予定だという。(朝日新聞 1993/12/28)

放射能人体実験「CIAも関与」 53−67年 報告書に記録
【ワシントン4日=大塚隆】米政府が放射能の被ばくの人体実験を行っていた問題で4日、米中央情報局(CIA)が実験に関与していたことが明らかになった。米国ではこの問題をめぐって熱心な報道が続き、冷戦時代の最暗部を掘り起こす動きとして注目を集めている。
CIAの関与は、1975年、当時のロックフェラー副大統領が責任者としてフォード大統領に提出した連邦政府の報告書に、ソ連(当時)の「洗脳」に対するCIAの対策の1つとして「薬物や放射性物質を使った実験、電気ショックを与える実験、心理学実験などを行っていた」と記録されていたことから分かった。
報告書を見つけた米科学者連盟によると、実験は53年から67年にかけて実施された。報告書には「現在、入手可能な記録はほんのわずかしかない。73年にすべての記録は破棄するよう命じられた」とも記されている。
CIAのスポークスマンは4日、「(実験へのCIAの関与について)調査中で、まだ何の証拠も見つかっていない。退職者にも事実を照会している」とコメントしている。(朝日新聞 1994/01/05)

患者を使い被ばく実験「72年まで」 米紙が報道
【ワシントン6日=大塚隆】米シンシナティ大の研究者が、核戦争が起きた場合、被ばく兵士にどれだけ戦闘能力があるかを調べる目的で、大学病院の患者に大量の放射線を浴びせる実験を行っていた、と6日付の米紙ロサンゼルス・タイムズがワシントン発で伝えた。米政府は3日、同じような被ばく人体実験究明のため、閣僚会議設置を決めたが、米国では、1940−50年代を中心に行われた実験に関する報道が続いている。
同紙によると、実験を行っていたのは放射線医学研究者で同大名誉教授のユージン・サンガー博士。同大の若手教員組織の72年時点での調査によると、この年までの十数年にわたり、82人以上の治療費の払えない低所得者が対象になった。国防総省は実験に65万ドルを支出したという。(朝日新聞 1994/01/07)

米で黒人がん患者に人体実験 基準の10倍 放射線を照射
【ロサンゼルス6日共同】6日付の米紙ロサンゼルス・タイムズは、1960年から72年にかけて米オハイオ州のシンシナティ大学医療センターで、黒人のがん患者らに大量の放射線を照射する「人体実験」が行われ、実験後2カ月以内に25人が死亡していたと報じた。
それによると、実験は国防総省の資金援助で実施され、放射線によって兵士の活動がどれだけ影響を受けるかを調べる目的で行われた。実験対象となった人たちは、回復の見込みがないとされたがん患者82人で、うち61人が低所得の黒人だった。ほとんどの人は毎日働くなど外見上は「元気」だったという。
照射した放射線は安全基準の10倍もの量(250ラド)に上った。最初の5年間、患者は軍事目的の実験であることを全く知らされず、放射線照射は「治療の一環」と信じ込まされていた。
米政府は昨年、放射性物質による人体実験が「40−50年代にかけ、600人を対象に行われた」ことを認め、真相究明に乗り出しているが、放射線照射という形で70年代まで実験が続いていたことが明るみに出たのは初めて。(中日新聞 1994/01/07)

市民4000人が“被害”名乗り 米の被ばく人体実験
【ワシントン11日=大内佐紀】米エネルギー省は11日、1940−50年代にかけ米政府が実施した放射能の被ばく人体実験問題で、被害者数が当初発表された600−800人よりも多くなる見込みと明らかにした。
同省報道官によると、同省に設置された市民相談ホットラインには、これまでに約1万2000人以上から電話が寄せられた。このうち、約4000人が人体実験にさらされた可能性があると訴えているという。
米政府はエネルギー、国防などの各省からなる作業委員会をこのほど設置、被ばく人体実験の全容解明をめざしている。また、被害者に対する補償を検討することを約束している。(読売新聞 1994/01/12)

軍人も被害に 米「放射能人体実験」 ビキニ環礁などで実施
【ワシントン15日河野俊史】冷戦時代、米政府主導で行われた「放射能人体実験」問題で、15日までに公表された資料や議会報告書から、市民のほかに多数の軍関係者や復員兵が“実験台”になっていた構図が浮かび上がった。国防総省や復員軍人省は当時の内部資料の調査を進めている。
その1つが、水爆のキノコ雲が人体に与える影響を調べる実験。下院エネルギー保全小委員会が1986年10月に作成していた報告書によると、人体実験は西太平洋のビキニ、エニウェトク両環礁で56年5月から7月にかけて行われた一連の水爆実験(レッドウイング作戦)の際に実施された。
米空軍の5機のB57が、水爆爆発後20分から78分の間に27回にわたってキノコ雲の中を横断飛行、乗員の被ばくの状態が測定された。この実験で乗員7人が許容被ばく線量(年間5レントゲン)を超えたとして復員軍人局(復員軍人省の前身)の病院で特別検査を受けたとされる。(毎日新聞 1994/01/16)

米軍部などが放射能放出実験 1948年から13回
1948年から52年にかけて、米原子力委員会(当時)と米軍部が放射能を意図的に環境中に放出する実験を延べ13回行っていたとする米会計検査院の報告書を市民団体の原子力資料情報室(高木仁三郎代表)が入手、18日、発表した。
テネシー州オークリッジでは、ガンマ線源1000個を野外に配置して周辺の放射線量を調べた。ユタ州ダグウェイでは、飛行機から放射能を含んだ球を投下して弾道や分布を測定する実験を行った。また、ワシントン州反フォードやニューメキシコ州ロスアラモスでは、大気中に放射能を放出した。(毎日新聞 1994/01/19)

何も知らされず、不自由な体に 遺族の娘、涙の証言
米政府主導のプルトニウム人体実験 下院公聴会

【ワシントン19日河野俊史】「父はヒーロー(英雄)なんかじゃありません。国家のギニー・ピッグ(実験台)でした」――。冷戦時代、米政府の主導で行われた放射能人体実験の犠牲になった元鉄道ポーターの娘が18日、米下院エネルギー・電力小委員会の公聴会で初めて証言した。「医学に貢献したヒーロー」と言われたことに反発、悲惨な日々を送った家族の苦悩をとつとつと訴えると、傍聴席は静まり返り、すすり泣きがもれた。
証言したのは、エルメリン・ホイットフィールドさん。鉄道ポーターをしていた父のエルマー・アレンさん(当時44歳)は1947年7月18日、サンフランシスコにあったカリフォルニア大病院で左足にプルトニウムの注射を受けた。
車両から落ちてけがをした足の治療が目的だったが、3日後にその足は切断され、放射線医学の研究施設に送られた。アレンさんはプルトニウムについて、いっさい知らされず、体の不自由なまま3年前に死亡。その後、エネルギー省の情報公開で「CAL−3」という識別番号をつけられた放射能人体実験の対象者になっていたことがわかった。
娘のホイットフィールドさんは約20分にわたり父の生涯と家族の生活を詳細に再現。最近、科学者から「お父さんは医学に尽くしたヒーローだった」と言われたことに触れ、「ヒーローですって?」と強い調子で疑問をぶつけた。
父が廃人同然になった後、女手一つで家族を支えた母や幼かった弟を思い出しながら「食べ物を買うお金がなくて支払いをつけにしてもらったり。ガレージで何時間もボーッと座っているだけの父。それでも父はヒーローですって?」。
ホイットフィールドさんは、こう結んで証言を終えた。
「父はただのギニー・ピッグでした。そして私たちの父は(プルトニウム注射を打たれた)47年7月18日に死んだのです」(毎日新聞 1994/01/20)

米放射能人体実験 被害で集団訴訟 「錠剤で子供がん死」など
【ロサンゼルス1日=岩田伊津樹】米国では核開発過程での放射能人体実験が明るみに出て問題になっているが、テネシー州ナッシュビル市のバンダービルト大学病院で1940年代に、人体実験目的で妊娠中に放射性物質の錠剤を飲ませられ子供ががんで亡くなったなどとする女性らが1日、同大学や当時の原子力委員会(AEC)議長などを相手取ってナッシュビル連邦地裁に損害賠償請求の集団訴訟を起こした。
昨年11月のニューメキシコ州の地方紙の報道をきっかけに明るみに出た同人体実験事件では、AECを引き継いだ米エネルギー省が実験を承認していたことを認めている。原告代理の弁護士によると、被害者は827人おり、訴訟への参加を呼びかけている。
訴状によると、原告のエマ・クラフトさんらは45年から49年にかけて妊娠して同大学病院に入院中、放射性物質の錠剤を知らずに飲まされたとしている。
その後の同大学の部内調査では、少なくとも3人の子供が、放射能が原因でがんや白血病になり死亡しているという。原告らは被害者や家族への損害賠償とともに、被害者の特定や障害の認定のための記録の公開を求めている。(読売新聞 1994/02/02)

米人体実験 妊婦にも放射性物質 被害者ら集団訴訟
【ロサンゼルス1日=共同】1945年から49年にかけ、米テネシー州の大学病院で多くの妊婦に対して放射性物質による人体実験が行われ、子供ががんで死亡するなど数多くの被害を受けたとして、「実験台」となった女性らが1日、当時の原子力委員長らを相手にナッシュビル連邦地裁で損害賠償請求訴訟を起こした。
原告側弁護士によると、当初の原告は、当時被ばくした女性2人とその娘2人(うち1人は既に死亡)だが、一連の人体実験関連では初めて集団訴訟の形をとっており、実験台となった800人以上の女性に訴訟参加を求めている。
損害(請求)額は明記していないが、当初の原告だけで数百万ドルに上るとみられている。
訴えによると、バンダービルト大付属病院では当時、栄養剤の名目で妊婦に液体状の放射性物質「鉄59」が投与されていた。妊婦は放射性物質の摂取を全く知らず、実験期間を通じて、妊娠中の被ばくが原因で子供3人が死亡していたとする同病院の研究結果も知らされていなかった。
実験は大学と原子力委員会(エネルギー省の前身)が協力して実施した。放射性物質の胎児に与える影響などを調べる目的だったとみられる。(中日新聞 1994/02/02)

暴れる暗部 冷戦下の米人体実験(上)
半世紀で被ばく2万人 遺族了解なく臓器を摘出

米国で1日、妊娠中に放射性物質入り錠剤を飲まされ、子供をがんで失った女性たちが、集団提訴に踏み切った。昨秋以来クローズアップされてきた「放射能人体実験」の暗黒の歴史は、法廷でも裁かれようとしている。米国家権力の非情さは、冷戦の負の遺産と片付けるにはあまりに重い。その真相に迫った。

氷点下20度に保存されて眠る人体に加え、人骨、骨髄そしてあらゆる臓器の標本群──ワシントン州シアトルから東へ約350キロの小郡市スポケーン。ワシントン州立大学の管理するモテル風の建物の内部は物言わぬ被ばく者の「霊廟(れいびょう)」だった。
米エネルギー省(旧原子力委員会)の委託で、過去半世紀の核兵器工場での破ばく者、人体実験の被験者などから摘出、保管されている2万人分の「遺品」を識別するのはケース番号だけ。20年近く核汚染を追う地元紙記者、カレン・スティールさんは言う。
「遺族の了解もなく臓器を摘出されたケースが大半。しかも遺族が賠償訴訟を起こすたびに最大の証拠=臓器=が消えてきた」
亡霊のようによみがえる放射能人体実験。それは昨年11月、一地方紙記者が、6年がかりの取材で、被験者の身元を突き止め、報道してからだ。例えば、コード番号「CAL1」のアルバート・スティーブンス氏は「余命半年の胃がん」との診断後、「大量のプルトニウム」を無断で注入され、4日後、胃の大半と肝臓を摘出、持ち去られた。そして胃がんは単なる腫瘍(しゅよう)と判明する。
もっとも、86年に米下院エネルギー・商務小委員会は、このプルトニウム注入を含む放射能人体実験31例の概要を公表している。この資料公開は全容の一端を示したに過ぎないが、その内容は実験の異常さを十分に伝えている。
▽オレゴン、ワシントン州の囚人131人の精巣にエックス線が照射され実験後に精管切除(63年−71年、ワシントン大学)▽死の灰の水溶液を102人に投与(61年−63年、シカゴ大学)▽アイダホ州の原子力委員会直轄の原子炉から、故意にヨウ素を7回放出した。
実験はなぜ執ように繰り返されたのか。その源流をたどると広島・長崎への投下につながる原爆製造の「マンハッタン計画」にいきつく。
スミソニアン博物館の科学史学者、グレッグ・ハーケン氏は、核物理学者ジョーゼフ・ハミルトン氏が実験の“先駆者”だったと断言する。ハミルトン氏は、マンハッタン計画関係者の被ばく問題を最初から担当、問題のプルトニウム人体注射の責任者でもあり、研究に没頭する余り自らも被ばくして49歳で死亡した孤独な学者だ。
解禁された政府秘密資料によると、ハミルトン氏は46年11月、「死の灰を煙霧状態にして大都市人口密集地帯に散布した場合の効果は大きく、人々の驚がく、恐怖、不安は容易に想像できる。これに対抗するのは絶望的だ」と、米陸軍に人体実験を要請する秘密報告をしている。49年10月にはユタ州でハミルトン氏を議長に陸軍が散布実験を計6回行った。
ハーケン博士の分析によると、一連の実験には、放射線治療、マンハッタン計画従事者の被ばく対策、そして放射能を将来の戦争に利用しようという3つの目的が最初からあったという。ただ、「3つの目的の境界はいつもあいまいだった。そして、ソ連の原爆開発が意外に早かったことが、軍事目的の要素を急激かつひそかに膨らませた」と、博士は指摘する。
その一例が、61年から72年までシンシナティ大学で行われた被ばく実験だった。対象者は、治療費の払えないがん患者88人。関係資料によると全身もしくは上半身への被ばく実験は、国防総省との契約(65万ドル)で行われ、目的は「核戦争の際の兵士の継戦能力測定」だった。この事件を追い続ける医師のデービッド・イーグルマン氏(41)は叫ぶように語った。
「この実験で20人以上が数か月以内に死んだ。実験? 冷戦? これはホット・ウォー(熱戦)だよ」(ニューヨーク、桝井成夫)(読売新聞 1994/02/03)

暴れる暗部 冷戦下の米人体実験(中)
NY地下鉄で細菌散布 通勤客対象 他都市でも

1966年6月6日、月曜日。朝のラッシュアワーが続くニューヨーク・マンハッタンの地下鉄ホームに、普通の通勤客を装った米陸軍関係者が待機していた。都心の各駅に散っていた男たちは、同一時刻を期して、電車が滑り込んだ線路や地上の通風口に、次々と電球を投げつけた。電球ははじけ、黒い薄煙が上がりすぐに消えた。この薄煙の正体が、炭疽(たんそ)病の病原菌に似た細菌で、男たちの奇妙な行動がその人体散布実験だったことに気づいた乗客は1人もいなかった。
この戦慄(せんりつ)すべき「実験」の存在は、80年の情報公開法により初めて明らかになった。陸軍が68年にまとめた報告書によると、細菌戦時の大都市の弱点を調査するのが目的であり、そのため「地下鉄がもっとも集中、錯綜(さくそう)して交通量が多い」ニューヨーク・マンハッタンが選ばれた。細菌は駅から駅と運ばれ、40分以内に「最大規模」に広がった。5日連続で行われた実験では、100万人以上が細菌を吸い、中心街では1人当たり1分間に100万個もの細菌を吸引したという。
この常軌を逸した都心散布はともかく、細菌実験がより広範囲に行われていた事実は、77年に陸軍が米上院健康・科学研究小委員会へ提出した報告書によって、ある程度知られていた。報告書によると、49年から69年まで、サンフランシスコ、ミネアポリス、セントルイス、アラスカ、ハワイなど239か所で実施されたという。
一連の細菌実験による被害規模は不明だが、サンフランシスコの弁護士、エドワード・ネビン氏(52)が連邦政府を相手どり起こした損害賠償訴訟は、被害の一端を明らかにした。同氏の祖父は50年9月、陸軍がサンフランシスコ湾上の船から1週間にわたり細菌を大量散布した実験の直後に急死した。訴訟は、その責任を問うものだった。
81年3月から始まった口頭弁論でリチャード・ウィート医師は「病院が扱ったこともない細菌感染患者が一時期急激にふえてすぐに消えた。その時期が後になって実験の時期と合致し、細菌も一致した」と指摘した。その患者の1人がネビン氏の祖父で、心臓弁へのバクテリア感染が死因だった。
ウィート医師は「(ネビン氏の祖父の死因との)因果関係が困難だ」と証言したが、判決は実験を「国家安全保障」に照らし国の裁量行為内として因果関係を認めず、連邦最高裁も上訴を却下。ネビン氏の孤独な戦いは敗北に終わった。
レオナード・コール・ルトガー大教授(政治科学)によると、米国の市民を実験台に供する人体実験は、60年代半ばまでは「核物質」と「洗脳」実験が主流だったが、それ以降は遺伝学を駆使する細菌戦争への対応へと、大きく変容したという。実際、86年にレーガン政権は細菌、化学戦争への予算を1億6000万ドル(80年)から10億ドルに引き上げている。
人休実験によって祖父を奪われたネビン氏は、「敗れても、事実を広く知らせたことで、市民の義務を果たせた」と当時の戦いを振り返るが、怒りはいまもいやされることはない。
「自由の国、個人主義を掲げるこの国で、とても信じられない、愚かなことだ。軍部の戦争パラノイアだ」と……。(ニューヨーク、桝井成夫)(読売新聞 1994/02/04)

暴れる暗部 冷戦下の米人体実験(下)
こじ開けた“パンドラの箱” 調査のホコ先「水爆の父」へ?

米エネルギー省のヘーゼル・オリアリー長官(56)が、ニューメキシコ州の地方紙が50年代のプルトニウム人体実験の追跡調査記事を掲載したことを側近から聞かされたのは、昨年11月末のことだった。
すぐに、安全対策担当者による会議が招集された。「皆口々に情報公開が必要なことを力説しました。決断に30秒かかりました。その30秒に、『もしパンドラの箱を開けてしまったら、私は反科学の人間と思われるだろうか』とか『私にできるだろうか』とか様々な考えがよぎりました。しかし私に決断を迫ったのは、エネルギー省を絶対に変革しなければという強い思いでした」(1月25日上院政府問題委員会での長官証言)。
「30秒の決断」を受けた12月7日の記者会見。放射性物質を使った人体実験の調査開始と、冷戦時代にたまった省内資料3200万ページの公開を、突然発表した。情報公開の目的は、失われた国民のエネルギー省への信頼を回復し、核政策を推進するためと説明された。
保守系「安全保障センター」のフランク・ギャフニー所長は、真珠湾攻撃記念日と重なったこの会見について「オリアリーは、米国の安全保障にとって真珠湾以来最悪の攻撃を行った」「大衆の反核感情をあおったことで、軍事、民間の核政策の今後に計り知れない影響が出てくる。大衆は、(核政策では)秘密の政府が動いているように感じるだろう」と評した。
しかし「パンドラの箱」は開けられた。各地の新聞が「200件から260件」(オリアリー長官)に及ぶ様々な人体実験について報道合戦を開始した。一方、同省の部内紙には「オリアリーはエネルギー省をつぶそうとしている」との実名投書が掲載された。
オリアリー長官は南部生まれの黒人女性。フォード政権時代から、長く同省付きの弁護士を務めた。エネルギー省のスタッフのうち、タラ・オトゥール次官補(安全担当)やダン・レイチャー補佐官らは、長年環境団体や議会調査局でエネルギー省批判の法廷闘争を繰り広げてきた経歴を持ち、彼女が長官就任当初から、同省の大改革を目指していたことがうかがわれる。
今、問題は国防総省、中央情報局(CIA)、航空宇宙局(NASA)が行った人体実験にまで広がり、焦点はクリントン政権がエネルギー省をこえて調査の幅をどこまで広げられるかに移っている。
先月半は、オリアリー長官は核開発研究所など核関連施設の集まる米西部を歩いた。その際サンフランシスコで開かれた会合で、「水爆の父」と呼ばれ、冷戦時代の米国の核開発の中心となった核物理学者、エドワード・テラー博士と顔を合わせた。
この席で博士は「核問題は情報を公開するだけでなく、国民に理解させることが重要だ」と発言、さらに会合後に「人体実験問題は極めて誇張されて伝えられている。情報公開は大衆ヒステリーを引き起こすだけだ」と記者団に本音をもらした。
テラー博士は50年代初め、高まるマッカッシー旋風の赤狩りの中で、「マンハッタン計画」で世界初の原爆を製作しながら、その後、核時代に警鐘を鳴らしたオッペンハイマー博士を「水爆開発を邪魔する利敵行為を働いた」と告発し、その後の米国の核開発の主導権を握った。さらにレーガン大統領時代には「スターウォーズ構想」の提唱者として、冷戦時代の米国の反共政策の中心にいた。
人体実験の告発によって開いたパンドラの箱は、冷戦史の問い直しの波となって、ひたひたとテラー博士の足元にも及ぼうとしている。(ワシントン・山口勉)(読売新聞 1994/02/07)

米・プルトニウム人体実験 4歳児にも注入 米政府が情報公開
【ワシントン8日=大塚隆】米政府が原爆を開発するマンハッタン計画の一環として、1945年から47年にかけて18人の患者にプルトニウムの注入の人体実験を行った問題で、エネルギー省は8日までに情報の自由法に基づく情報公開を行った。この間題で同省が情報公開に踏み切ったのは初めて。
プルトニウム人体実験はニューメキシコ州の新聞アルバカーキ・トリビューンが6年がかりで追跡、昨年11月、その事実を暴露し、米国での放射能人体実験報道のさきがけになった。同紙は18人中5人の名前を報じたが、公開情報では個人のプライバシー保護を理由に名前や住所などはすべて伏せられている。
開示された情報によると、患者のうち最年少は4歳10カ月のオーストラリア人男児。骨がん治療のため渡米し、46年4月26日、サンフランシスコのカリフォルニア大病院で何も知らされないまま0.169マイクロキュリーのプルトニウム注入を受けた。男児は帰国後の47年6月1日死亡した。
実験から40年以上たった87年、患者を追跡していた国立アルゴンヌ研究所が男児の家族に手紙を出して、研究者から家族への説明や実験に対する同意の有無などをただしていたことも、今回の開示で分かった。手紙は「戦争直後に起きた出来事が重要です。特別な治療の内容やどんな物質が注入されたかご存じでしょうか。口頭か文書の同意があったのでしょうか」と書かれている。
同省は今年6月、機密とされている大量の文書を公開する予定だが、一足先に公開したのは実験の大部分が報道で明るみに出されたためとみられる。今回は「人体に静脈注射されたプルトニウムの排出と体内分布」など、人体実験をもとにまとめられた機密扱いの科学論文も併せて開示された。(朝日新聞 1994/03/09)

“原爆の父”が人体実験要求 米エネ省研究所がメモを公開
【ワシントン16日=山口勉】米エネルギー省ロスアラモス研究所(ニューメキシコ州)は15日、「原爆の父」と呼ばれる故ロバート・オッペンハイマー博士(1904−67年)が原爆開発の早期から放射性物質による人体実験の必要を示唆していたことを示すメモを公開した。
同省の核開発をめぐる情報公開の一部として、同研究所の資料公開チームのゲイリー・サンドラ博士が発表したもので、44年8月16日付のオッペンハイマー同研究所長がヘンペルマン同研究所医学部長にあて、プルトニウムの動物実験、出来れば人体実験が必要なこと、実験は同研究所以外の場所で行われるべきことがメモに記されている。
その上で、45年3月ヘンペルマン博士が動物実験では必要なデータが得られないことを報告、「シカゴかロチェスター(ニューヨーク州)の病院で1から10マイクロ・グラムのプルトニウムを患者に注入、患者の死後その器官見本をロスアラモスに集めて研究する」計画が立案され、昨年来、問題化している18人の市民にプルトニウムが注入された。(読売新聞 1994/03/17)

放射能 1200人に人体実験 米政府が情報公開
【ワシントン28日=大塚隆】米コロラド州のロッキーフラッツ核兵器工場で1957年と69年の2回、大火災が発生し相当量のプルトニウムが行方不明になったり、米政府が40年代から89年にかけて48件、約1200人を対象に放射能の人体実験を行っていた事実が27日、米エネルギー省の核機密情報公開で明らかになった。
それによると、ロッキーフラッツ工場の火災で、57年には6キロのプルトニウムが行方不明になった。69年には、火災後に回収したとされるプルトニウムが火災前の記録より約100キロ多くなる食い違いが起きた。プルトニウムの一部は環境中に放出、住民が被ばくしたこともあったという。
人体実験のうち、テネシー州バンダービルト大では42年から49年にかけ放射性同位元素の鉄59を健康な妊婦819人に投与、胎児への吸収状態を調べた。追跡した子供634人のうち3人ががんになっていた。(朝日新聞 1994/06/29)

人体実験で“犠牲”の被験者 新たに妊婦ら1200人
【ワシントン27日=山口勉】冷戦時代の米国で核開発とともに進められた放射性物質の人体実験問題で、米エネルギー省は27日、新たに48件、1200人が実験の対象になっていたとの中間調査結果を明らかにした。
これは86年の議会「マーキー報告」の被験者約800人を上回り、この中には妊婦や精神病者も含まれている。
昨年末から同省の情報公開を進めているオリアリー長官が記者会見を開き明らかにしたもので、このうち同省の前身・原子力委員会が行った「サンシャイン計画」ではひん死のがん患者にストロンチウム85が注射され、その死後に遺体の各部分の検査が行われたほか、妊婦、胎児なども実験の対象になった。
長官は「こうした人体実験の多くが本人の同意なしに行われた」とし、人体実験関連資料1万1000ページを公開したことを明らかにした。また同省人体実験問題室のエリン・ワイス室長は「最終的に被験者数は全体で数千人にのぼる」との見通しを明らかにした。同省は今秋までにこの問題で報告書をまとめホワイトハウスに提出、補償問題などが検討される。
また同長官は併せて、過去の核実験回数などについての資料を公開した。これによると、さる68年12月12日に複数の核爆弾を同時爆発させる方法で計95発の爆発を秘密にしてきたことを明らかにした。この結果、米国の核実験総計は1149発となった。
また長官は会見で、さる62年には英国が供給した商業用原子炉から抽出したプルトニウムで核爆弾を製造、爆発実験を成功させていたことも初めて明らかにした。
さらに同省は、オハイオ州ポーツマスとテネシー州オークリッジの核施設でこれまでの推計量の1.5倍の計994トンの濃縮ウランを生産、現在259トンを備蓄していることも公表した。
オリアリー長官は「政府の情報公開義務と国家安全保障の間には巨大な緊張関係がある」と情報公開の難しさを語りながら、今後も公開を続けていく方針を強調した。(読売新聞 1994/06/29)

米のプルトニウム人体実験 遺族、医師らを提訴
【ワシントン1日=共同】米政府が1940年代に実施した放射能人体実験で、プルトニウムを注入された男性(故人)の家族が、説明なしに実験台にされたと、医師や病院を相手取り損害賠償請求訴訟を起こしていたことが1日、明らかになった。
訴訟を起こしたのは、元鉄道会社職員エルマー・アレンさん(91年に80歳で死去)の遺族。テキサス州ダラスの連邦地裁への訴えによると、アレンさんは47年に左ひざのけがで、カリフォルニア大学病院に入院中、マンハッタン計画所属の医師らにプルトニウムを注入された。
3日後にアレンさんは左足を切断され、退院後、実験台にされたと周囲に話したが、だれも信用しなかったという。
訴えは請求額を明示していないが、遺族はエネルギー省に対し、行政手続きによる6700万ドルの賠償を要求している。(朝日新聞 1994/07/02)

父の痛みはヒロシマの痛み プルトニウム人体実験 被害者の娘、語る
「被爆者の方は、私の父の痛みがよくわかると言ってくれた。父のことともにヒロシマのことを訴えていきたい」。第2次大戦直後、米国政府によるプルトニウムの人体注射実験を受けた犠牲者の娘、エルマリン・ウィットフィールドさん(48)は3日、広島市で開かれている原水爆禁止世界大会の国際会議(社会党系の原水禁主催)に出席、前日の被爆者の女性との「生涯忘れられない出会い」を語り、「核物質が根絶されるまで問い続けたい」と述べた。
エルマリンさんの父、エルマーさんは、1940年代の原爆開発計画として、極秘で行われた放射線実験で、原爆の材料であるプルトニウムを注入された19人の1人。左足を傷めて、カリフォルニアの病院に入院中の47年7月、「治療」という名目で注射され、3日後に左足を切断され、調査に出されたという。
エルマリンさんは、2日午後、平和公園で、「ヒロシマを語る会」の語り部、沼田鈴子さん(71)と会い、沼田さんも被爆した左足を切断していることを知った。
「父は少なくとも麻酔をして切断された。でも、彼女は、原爆投下直後の混乱の中で麻酔もされなかったという。それなのに、米国に対する恨みも言わず淡々と話してくれた」。最後は抱き合って泣いてしまった。
国際会議のパネリストの1人で、「広島、長崎への原爆投下には、人体実験の側面もあった」とみる、米国のエネルギー環境研究所所長、アージュン・マキジャニ博士は実験の目的について(1)放射性物質を使った武器の開発(2)核戦争の戦場での兵士たちへの影響調査(3)放射性物質の代謝や人体内での動きの追跡──などと分析。核保有国は政治体制が違っても、核に関しては国民に対し、秘密政策をとる、と指摘した。(朝日新聞 1994/08/04)

ロケット用原子炉暴走実験 放射能、大量に放出 65年に米国
【ワシントン24日=大塚隆】米エネルギー省の前身、原子力委員会が1965年1月、ネバダ州の砂漠にある実験場で原子力ロケットに使う原子炉の暴走実験を行い、ウラン燃料の一部を高温で気化させ、大量の放射性物質を故意に放出させていたことが分かった。下院の反核派エドワード・マーキー議員(民主党)が24日、明らかにした。
実験は当時、米国が開発中だった原子力ロケット用の炉の特性などを調べるために行われた。同議員が入手した資料によると、キウイと呼ばれる実験炉を計画的に暴走させ、3000度以上の高温を発生させた結果、原子炉内に「花火の打ち上げ時のような白熱した火花のシャワー」が出現、ウランとカーバイドなどを混ぜた特製燃料の5−20%が気化し、かなりの放射性物質が環境中に放出された。
原子力ロケットの構造は明らかではないが、原子炉で水素ガスを2000度程度の高温にし、ロケットのノズルから噴射する。この原子炉は通常の運転状態でも一部で燃料溶融が始まることから、原子炉の特性や運転による環境への影響を調べるため、暴走実験を計画したらしい。
放射線量は実験場所から数十キロ離れた実験場の境界でも年間被ばく限度量の約5分の1に当たる0.057ミリグレイに達した。放射性物質を含んだ雲はロサンゼルス市上空にまで到達、航空機の調査では数日間影響が観測されたという。
マーキー議員は「意図的な放射能放出は人体実験だ」とし、24日、エネルギー省のオリアリー長官あて書簡を出して、詳しい調査を求めた。原子力ロケットの開発実験は55年に開始されたが、数回にわたる実験でもロケットから放出される放射能による環境汚染を解決できないため、72年に開発を断念した。
マーキー議員は、空軍や航空宇宙局は研究再開を検討していると指摘、こうした実験を繰り返してはならない、と訴えている。(朝日新聞 1994/08/25)

人体実験 原子力ロケット開発でも 「市民多数が被ばく」
65年の実験、米議員調査

【ワシントン26日=伊熊幹雄】冷戦時代のプルトニウム人体実験が大きな問題になった米国で、原子力ロケット開発の過程でも意図的な環境破壊や人体実験が行われていたことが、26日までにエドワード・マーキー下院議員の調査でわかった。同議員はヘーゼル・オリアリー・エネルギー長官に書簡を送り、「原子力ロケット開発実験も人体実験として調査するよう」求めた。
同議員の調査及び同日までに公開された機密文書によると、問題の原子力ロケット実験は、1965年1月12日にネバダ州ジャッカース平地にある原子力ロケット開発場で行われた。この時の実験は、実際に原子力ロケットを飛ばすのが目的ではなく、エンジンの原子炉を意図的に爆発させて原子炉の反応及び「爆発で生じた放射能の環境への影響」(ロスアラモス研究所の報告文書)を探るのが目的だった。
この爆発は「まれに見る大量の白熱光線」(同)を生じるとともに、大量の放射能をふりまき、死の灰をもたらす雲が300キロ以上離れたカリフォルニア州の太平洋岸、ロサンゼルスやサンディエゴにまで到達した。これらの地域での放射能は、現在の安全基準値を下回ってはいるものの、マーキー議員は「核爆発が意図的なもの」であるうえ「多数の市民が放射能を浴びた」と批判している。
このほかにも60年には、やはり原子力ロケットのエンジンの原子炉爆発現場に、米軍の航空機を飛ばした上、乗組員がどの程度放射能を浴びるかを探る実験も行われた。マーキー議員は「これは人体実験」とし、65年の爆発実験と併せエネルギー省に徹底調査を求めている。
米国の原子力ロケット開発は、60年代以降たびたび実験が行われながら、現在は中断状態だ。今回の機密文書発掘は、「夢のロケット」とされる原子力ロケット開発の暗部を示したもので、今後の開発復活の動きにも影響を与えよう。
米国では、昨年オリアリー・エネルギー長官の就任以来、同長官のイニシアチブで核兵器開発の暗部を暴く作業が始まり、プルトニウム人体実験の事実が発掘される一方で、実態調査する大統領の諮問委員会も発足している。今回の実験を暴いたマーキー議員は、民主党所属で共和党政権時代から核実験の被害問題に取り組んでいた。(読売新聞 1994/08/28)

がん患者に放射線照射実験 40年代から30年間 全米で1000人、軍が資金
【ワシントン14日=大塚隆】米で1940年代半ばから74年にかけて約1000人のがん患者に、放射線の全身照射実験が行われていたことが明らかになった。核戦争での兵士の戦闘能力などを調べる目的もあったと見られている。冷戦時代の秘密人体実験を調べている大統領諮問委員会が14日、明らかにした。
諮問委員会のゲイリー・スターン調査員によると、実験が行われていたのはテキサス、ニューヨーク、カリフォルニアなど全米の10病院。テキサス州ヒューストンの病院では51年から56年にかけて263人のがん患者に放射線の全身照射を行った。当時、開発が計画されていた原子力推進飛行機の放射能が乗員にどう影響するか調べるのが目的だった。
この場合は空軍が資金を提供、放射線照射前と照射後の患者の運動能力などを比較したという。患者に実験の危険が説明されていたかどうかははっきりしない。照射の効果がないと考えられた種類のがん患者も含まれていたという。
国防総省は40年代後半には人体に危険と考えられた全身照射は実施しないことにしていたが、実験はこれに反した可能性が高い。
諮問委員会は放射線医学や医療倫理の専門家で構成され、今春からこの調査を続けている。組織的に行われたのか、照射線量はどのくらいかなどの調査が進められている。
米国では昨年暮れ、プルトニウム注入人体実験が明るみに出たのをきっかけに冷戦時の人体実験の調査が続いている。今回、明るみに出た実験のうち、過去に知られていたのは60年から71年にかけてシンシナティ大で行われた人体実験だけだった。(朝日新聞 1994/11/15)

米プルトニウム実験 末期患者以外も対象
米政府によるプルトニウム人体実験を調査している大統領諮問委員会は18日、実験が余命の短い末期患者だけでなく比較的元気な患者まで対象にしていたことを明らかにした。入手した実験の実施手順を示す資料から分かった。
それによると、11人の実験を担当したロチェスター大では、プルトニウムの体内での吸収や排せつを調べるため、がん患者でも肝臓や腎臓の機能が正常な人や、逆に10−20倍のプルトニウムを注入する必要から、わざわざ末期患者を選んでいた。
一連の実験を明らかにした新聞報道では、患者の3分の1が実験後10年以上、一部は30年以上も生存したことから、委員会は末期患者だけでなく、元気な人も対象にしていたのではないかとみて調査していた。(ワシントン=大塚隆)(朝日新聞 1995/01/30)

米のプルトニウム人体実験 マンハッタン計画だった 米政府が報告書
【ワシントン9日=大塚隆】米エネルギー省の放射能人体実験調査室は9日、米国で1945年−46年、18人に対して実施されたプルトニウム人体実験が、原爆開発のマンハッタン計画の医学部門の研究として周到に実行されていたことを突き止めた、と詳細な報告書で明らかにした。
同省ロスアラモス研究所や、実験に参加したロチェスター大学などで埋もれていた資料を追跡して分かった。実験は同計画医学部門の研究に参加した内科医ルイス・ヘンぺルマン氏と化学者ライト・ランハム氏が計画、ロチェスター大やシカゴ大などの協力を得た。
原爆製造過程で強い毒性のあるプルトニウムを大量に扱うため、労働者の健康への影響を知るのが最大の目的だったようだ。
人体実験をしたのは「体内に入ったプルトニウムが排せつされる早さを知るのが目的」だった。ロチェスター大では11人に注入したが、うち1人は6日後に死亡、解剖で詳しい結果が得られた。
この直後、ランハム氏はメモで「患者が末期段階なら、プルトニウム注入量を増やすよう」に指示、シカゴでの実験は、2人に94.91マイクログラムという多量のプルトニウムが注入され、患者はすぐ死亡している。
しかし、患者のうち4人は20年以上生存、うち3人はアルゴンヌ研究所が追跡調査を実施した。
他の実験も含めた約300ページの調査報告書を公表したエリン・ワイス室長は「4月半ばまでには論文や資料が見られるよう準備を急ぐ」と約束した。(朝日新聞 1995/02/10)

広島「調査」の学者 人体実験にも関与 米ジャーナリスト明かす
【ワシントン17日=氏家弘二】原爆投下直後に広島を訪れて被爆の実態を調べた米国の学者らが米政府のプルトニウム人体実験にもかかわっていたことを、人体実験の報道でピュリツァー賞を昨年受賞したジャーナリストのアイリーン・ウェルサムさん(44)が明らかにした。
ウェルサムさんによると、取材の中で2つの調査にかかわっていたことがわかったのは、物理学者ら3人。原爆投下後間もなく、広島に入り、被爆の影響などについてデータを集めた。その中には、子どもの体への放射線の影響や発病状況の項目もあったという。
日本などに広島・長崎への原爆投下は人体実験だったという意見があることについては、「投下の目的が実験だったといえるデータは持っていないが、投下後に実験と同じように調査したのは事実だ」と話した。(朝日新聞 1995/03/18)

子供の死体で米政府が実験 米TV報道
【ワシントン20日=共同】米ABCテレビは20日、第2次世界大戦後に米政府が実施した放射能の人体実験に、家族に無断で病院などからひそかに運び出された約1500もの子供の死体が利用されたと報じた。
それによると、計約200回の大気圏内核実験が実施された1945年から63年に、核実験で生じる核分裂生成物ストロンチウム90が子供の骨に与える影響を調べるために、全米の病院から病死した子供の死体が運び出された。その数は約1500体に上り、ほとんどは家族の同意を得ていないという。人体実験の方法については報じていない。(朝日新聞 1995/06/21)

米が核の人体実験検討 51年に29項目 ビキニ関係者が文書入手
広島市で28日開幕した世界平和連帯都市市長会議・アジア・太平洋地域会議に出席したマーシャル諸島の関係者が、米国が太平洋で原水爆実験を繰り返していた1951−52年、核戦争の調査には人体実験が不可欠と米国政府内で考え、具体的に実験項目を検討したことを示す資料の存在を明らかにした。「米国公文書館から入手した」といい、最近、相次いで明るみに出ている米国の核人体実験の証拠の1つとしている。
明らかにしたのは、ビキニ・アトール市の代表に随行している米国人法律顧問、ジョナサン・ウェイスガル氏。米軍医療政策委員会が52年、国防省長官にあてたメモは「核及び生物化学戦争の調査は、人体実験なしにはデータを得られない時点まで到達している。委員会は、この種の調査に人体を利用することを満場一致で承認した」と記しているという。
ウェイスガル氏は、その前年に米国防省医療団が、29の放射能実験を提案した文書も入手。生存者体内の放射能汚染、核爆発のせん光の目への影響、核実験人員の体液の放射性同位体の測定などの項目があり、「将来の核兵器テストに、生物学者や医師の参加が必要と考えるべきだ」と結論付けているという。(毎日新聞 1995/06/29)

米の放射能人体実験は40年間以上に1万6000人
【ワシントン17日共同】米エネルギー省は17日、米政府関係研究機関が戦前から行ってきた放射線の人体実験は1930年代から70年代の40年間以上にわたり計435件、対象者約1万6000人に上ったとの最終報告書を発表した。
戦争中のマンハッタン計画で原爆開発が行われたワシントン州ハンフォード、テネシー州オークリッジの両施設などのほか、国立研究所、カリフォルニア大などで行われた人体実験を網羅した決定版。今年2月に発表された報告書では約150件(約9000人が対象)の実験が確認されたとしていた。
最も古い実験の1つは、精神障害者に対するラジウム226注射で、31−33年にイリノイ州エルジン病院で行われた。この研究はアーゴン国立研究所が引き継いだ。マンハッタン計画推進中にはオークリッジなどでプルトニウム注射、エックス線全身照射などが行われた。
70年代まで続けられた実験は、ワシントン大(シアトル)が63−73年に同州刑務所の健康な囚人232人を対象に行った睾丸への放射線照射実験などがある。
記者会見したオレアリ・エネルギー長官は、多くの実験は医学の進歩を目指したものと指摘。一方、オトゥール同省次官補は、確認された実験のうち約10%には「倫理的に問題があった」と認めた。(毎日新聞 1995/08/19)

米政府、責任認める 冷戦時の放射能人体実験 大統領諮問委 最終報告書
【ワシントン3日=北島重司】国防総省など米政府機関が冷戦時代に実施した放射能人体実験を調査していた大統領諮問委員会は3日、実験は1944年から74年まで約4000件にのぼり、ほとんどは医学実験として適正なものだったが一部は倫理的問題があったとして、政府の責任を認め、被験者への補償と謝罪を求める最終報告をまとめた。クリントン大統領は同日、補償の具体策を検討するよう関係機関に指示し、再発防止のために実験被験者の保護を目指す全米生命倫理諮問委員会を新たに発足させた。
報告書は、数十万点にのぼる原子力委員会(エネルギー省の前身)の文書をはじめ、国防総省、米航空宇宙局(NASA)など政府機関の資料から放射能人体実験は約4000件と推計した。しかし、ほとんどのケースは医学研究などに重要で、健康被害を起こすものではなかったと結論した。
しかし、40年代に計18人に対して行われたプルトニウム注入人体実験や第2次大戦直後から70年代まで大学病院などで行われた放射線全身照射など3種の約30人に対する実験は、「実験と身体的被害の因果関係が明確」とし、倫理的な問題があったことを認めた。
クリントン大統領は「政府には、過ちを認める道徳的責任がある」と謝罪する一方、最善の救済策を検討していきたいと述べた。
この最終報告に、人体実験の被害者団体は「補償対象が限定されすぎている」と反発している。(朝日新聞 1995/10/04)

人体実験で解決金 米政府、12人に480万ドル
【ワシントン19日朽木直文】米政府は19日、第2次大戦終戦直前から戦後の冷戦下にかけ、同政府が核兵器開発のためひそかに行った人体実験で放射能汚染を受けた12人の被験者に対し、総額480万ドル(約5億4000万円)の解決金を支払うことで和解したと発表した。1人40万ドルで、すでに死亡している11人の被験者には、遺族に支払われる。オレアリ・エネルギー省長官がニューヨークで開かれた米公共保険協会の年次総会の席上明らかにした。
人体実験は、主に米ソが競って原爆などの核兵器を開発した40年代、放射能の人体への影響を調べるため、ニューヨーク州ロチェスターの病院などの患者を対象にプルトニウム、ウランが注射の形で施された。患者には実験の内容は知らされなかった。
今回、和解が成立したのはロチェスターの病院での被験者を中心に12人の訴訟グループ。11人にプルトニウム、1人にウランが注射された。当時、実験に参加した科学者は「死期の迫っている患者など生存10年以内とみられる患者が選ばれた」という。しかし、中には43回の放射能注射を受けながら、85歳まで生存した人もおり「実験と死亡との直接の関係はないと思う」とみる米国人医師もいる。
しかし、訴訟に加わった原告の弁護士は「死亡した患者の骨はチーズのようにぼろぼろだった」と実験の影響を訴えた。
被験者の遺族も極秘の人体実験に「内容を知っていたら、実験を受けはしなかった」と政府の措置を強く非難した。
同様の人体実験は全米で数千人に上るとの指摘もあり、クリントン大統領は昨年、調査委員会を設置して、極秘の人体実験の対象者の調査に乗り出していた。
すでにプルトニウム実験を受けていた1人の和解が昨年成立。このほかに数件、政府との間で和解交渉が進められている。(中日新聞 1996/11/20)

放射線人体実験は2389件 米国防総省が全容発表
【ワシントン27日共同】米国防総省は27日、人体への放射線を使用した実験に関する調査報告を公表した。実験の総数は2389件。このうち1944年から74年に約500件、75年から94年にかけて約1900件が実施された。
報告は、米国でかつて行われた放射線に関する実験が幅広く盛り込まれ、大気圏核実験に伴う研究についても2章を割いて説明している。
その中には、核実験で発生するせん光による視覚障害に関する陸軍の研究や、放射線の危険度や機体の放射能汚染に関する空軍の調査などが含まれている。空軍の調査は、きのこ雲の中の浮遊物質採取を目的とした飛行に関連して行われた。
大気圏核実験に関連する実験には2000−3000人の軍関係者が被爆者となっているが、これ以外にも多くの軍人らが参加しており、被験者との線引きは困難だという。
国防総省は大気圏核実験に伴う実験は、62年にはすべて中止されたと説明している。
今回の報告は、過去の実験の全容を明らかにすることによって「人体実験批判」に対応しようとのクリントン大統領の指示に基づく措置。
コーエン国防長官は「ほとんどのプロジェクトは通常の医療行為だが、公開の精神に基づき、あらゆる実験を含めた」と強調、次回の報告では今回間に合わなかった資料も提供すると約束している。(中日新聞 1997/08/28)

微量のプルトニウム吸引 英科学者が人体実験
【ロンドン9日共同】英原子力公社(AEA)はこのほど、猛毒の放射性物質プルトニウムの人体への影響を調べるため、2人の科学者が志願してプルトニウムを吸引する人体実験を行っていたことを明らかにした。9日付の英紙ガーディアンが報じた。
同紙によると、実験に志願したのは核科学者のエリック・ボイス博士(73)と60歳代の同僚。2人は1年半前にオックスフォード州ハーウェルにあるAEA研究所で、極微量のプルトニウムを吸引した。
これまでのところまったく副作用は現れていないとされ、ボイス博士は、プルトニウムが人間に危害を及ぼすという恐怖には根拠がないと主張している。AEAは、2人の吸引実験の結果は来年、発表するとしている。
同紙によると、同国では1992年から98年にかけても、26歳から67歳の12人の志願者にプルトニウムを注射する実験が行われており、ボイス博士はこの実験にも参加していたという。
今回の吸引実験は、国立放射線防護委員会の許可を得て行われ、欧州連合(EU)が資金を出した。
AEAなどによると、実験は人体に入ったプルトニウムがどのように分泌されるかなどを明らかにする目的で実施され、2人の分泌物はすべて集められ、計量された。
これまでのところ、人体に入ったプルトニウムは骨や睾丸(こうがん)にとどまるという従来の学説とは異なる結果が出ているという。
ボイス博士が吸引したのはプルトニウム244と呼ばれる同位体で、博士は「半減期8000万年ぐらいで放射線はゆっくりと放出される。健康への影響は心配していない」と話している。
しかし、がん研究の専門家は「いかに微量でも(がんの)危険はある」と反論している。(共同通信 1999/08/10)

米放射能人体実験に死産児利用 日英豪からも骨提供か
(CNN)放射能の人体実験で米政府が1950年代から1960年代にかけて、死産児の遺骨を集めて利用していた米原子力委員会(AEC)の「サンシャイン計画」で、実験に利用されたのは米国内の死産児だけでなく、日本や英国、オーストラリアの病院で集められた遺体も使われていた。計画の概要は1995年ごろまでに米国で公開されたが、英日曜紙「オブザーバー」が3日、英国政府がこの計画に協力していたことが初めて分かったと伝えた。
オーストラリア政府は7日、残留放射能の測定のために、死産児や成人の遺骨が、遺族の許可なしに海外に運び出されたと認めた。
トルーマン政権下で発足したAECが、ロスアラモス国立研究所で行った「サンシャイン計画」は、放射性落下物による被曝(ひばく)効果の調査を目的にしたもので、乳幼児にストロンチウムやヨウ素などを摂取させ、骨内のカルシウム濃度との関連を調べるなどの実験を行った。ノーベル賞受賞者のウィラード・リビー博士らが指導した。
米政府が行った一連の放射能人体実験については、1994年に当時のオリアリー・エネルギー長官が情報開示を指示し、1995年に公開された。これによって明らかにされた「サンシャイン計画」担当者らの書簡によると、1950年代のロスアラモス研究所には米国やインド、日本の病院から死産児の骨が集められ、ストロンチウム90の人体残留量を調べる実験に使われたことが、すでに明らかになっていた。
AECの科学者のひとりロバート・ダドリー博士が1953年に同僚にあてた手紙には、「人骨の自然な放射量とその地域差を調べることを名目に、各国から骨を集める」とあり、「日本からは、原爆傷害調査委員会(ABCC)に頼むのがいいだろう。6―8体分の骨が手に入るといい」と書かれている。ABCCは1946年、広島・長崎の原爆放射線被曝者における放射線の医学的・生物学的影響の長期的調査を目的に、米政府が設立した。
英オブザーバー紙によると、同紙が入手した米エネルギー省の文書から、この「サンシャイン計画」に英国政府も参加していたことが新たに分かったという。同紙によると英国の政府原子力機関の指示で1955年―1970年の間に死産児6000人分の骨が英ミドルセックス病院などに集められ、一部は米国へ送られ、残りは英国の放射能科学者らが独自の実験に利用。英米は実験結果を互いに報告しあっていたという。
さらにオーストラリア放射能保全原子力安全庁のジョン・ロイ長官は7日、1950年代に、死産児だけでなく、生後数週間の乳児、5歳―19歳の子供、39歳以下の成人の遺骨が、遺族の許可なく米国に送られたと認めた。オブザーバー紙などの報道を機に、ウールドリッジ健康担当相が5日、事実関係の解明を約束したためで、このほど当時の政府文書が発見されたという。
ロイ長官は、「1950―60年代に世界各地で繰り返されていた大気中核実験による放射能汚染が、オーストラリア国民にどう影響しているか知るのが、当時の政府の目的だった」と説明した。(CNN 2001/06/07)

子どもの骨で核の影響調査 英、親に無断で4000体
【ロンドン30日共同】英原子力公社(AEA)が核兵器や核実験などの影響を調べるため、約4000人分の子どもの骨を両親の承諾無しに、放射性物質の分析に使用していたことが明らかになった。10月1日付の英紙インディペンデントが報じた。
同公社は、世界中で行われた核実験に伴う放射性降下物が人体に与える影響の調査を計画。病気などで死亡した子どもの大腿(たい)部の骨を焼却し、放射性物質ストロンチウム90の分析に用いた。
ロンドンとグラスゴーで行われた調査の結果、ストロンチウムが高い比率で含まれていることが判明、英政府が大気中の核実験を中止するきっかけになったという。
同公社によると、この調査のために1954年から70年にかけて、英全土の病院から子どもの骨を回収した。インディペンデントはその際「両親の承諾を得なかったことは明らかだった」としている。
英国では、医師が病死した乳幼児約800人から両親に無断で臓器を違法摘出していた問題をきっかけに、研究や実験に用いる臓器や骨の調達方法が大きな社会問題となっており、英保健当局は各病院に調査を指示している。(共同通信 2001/10/01)

従業員の器官で被ばく調査 英核施設、遺族の同意なし
【ロンドン18日共同】18日付の英紙タイムズによると、英中西部セラフィールドの使用済み核燃料再処理施設を管理する英核グループ(BNG)が、1962年から92年までの30年間にわたり、死亡した同施設の従業員少なくとも65人の心臓や肺などの器官を、遺族の同意なしに被ばく調査に使っていたことが分かった。
BNGは大半のケースについて、検視官に器官摘出の許可を得ていたと主張。しかし、同紙は遺族への説明や同意がなかったと指摘、政府が近く調査に乗り出し、結果を公表するとしている。
長期間にわたり放射能にさらされた場合の人体への影響などを調べる調査だったとみられる。最近、この調査のデータの一部を再分析したいとの申し入れがあり、BNGの医療委員会による検討中に問題が発覚した。
BNGは、英政府が全株を保有する英国核燃料公社(BNFL)傘下の企業で売却方針が決まっている。(共同通信 2007/04/18)



【関連サイト】

人体実験の倫理学(土屋貴志オフィシャルサイト)

A History of Secret Human Experiments(Health News Network=Internet Library)



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