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小島ゼミ(6月10日)
「正論」6月号に、帝京平成大学教授の米田健三氏が凛とした日本人女性について寄稿している。この女性は、1946年、元フィリピン派遣軍総司令官本間雅晴陸軍中将の妻富士子(当時、42歳)である。富士子は夫の命乞いではなく、日本の誇りを示すために、マニラに向かった。そして戦勝国アメリカによって仕切られた復讐劇裁判の最終証人として、出頭し、和服姿で、終始、理知的な表情を崩すことなく、毅然と証言を続けた。最後、しっかりと顔をあげ、次のように述べた。 「私は東京からここへ参りました。私は今も本間雅晴の妻であることを誇りに思っております。私には娘がひとりおります。いつの日か、娘が私の夫、本間雅晴のような男性とめぐり会い、結婚することを、心から願っております。本間雅晴とはそのような人でございます。」 法廷からはすすり泣きの声があがり、米軍検察官のなかにも感動のあまり涙をぬぐうものもいた。 夫人が帰国して間もなく、本間中将は銃殺刑となった。後に、マッカーサーが夫人に「何でも不自由なことがあれば遠慮なく申し出て欲しい」と言ったのに対し、富士子は申し出を辞退した。 以下、この論文を読んだゼミ生(3年女子学生、中国人留学生ふくむ)の感想である。 ●この内容を読んで、富士子婦人から「日本の女性のあるべき姿」というものを学んだ気がしました。日本の家庭婦人として面目を少しも傷つけないように、凛として法廷に臨む姿にとてもひきつけられました。富士子婦人の凛とした立ち振る舞いによってフィリピン人だけでなく世界の人々に、日本人女性に対する印象がとてもよいものになったのではないかと思います。 戦後の時代に、普通の家庭の主婦が外国に行ってこのような振る舞いをすることは、とても勇気がいることだったと思います。富士子婦人はそれをあっさり行ってしまったのだから、私も現代の女性として凛とした立ち振る舞いをしなければいけないという気持ちになりました。立ち振る舞いによって、相手によい印象を与えたり悪い印象を与えたりします。これから、プレゼンや面接など人前に出て立ち振る舞うことが多くなります。そんなときは、富士子婦人のことを思い出したいと思います。 夫が戦犯として捕らえられていても、夫を愛する気持ちや尊敬の気持ちがとても高いということを知りとても感動しました。私は夫婦になると、少しずつ愛情や尊敬の気持ちが薄れてしまうのだろうと思っていたのでけれど、本間夫婦のように強い絆で結ばれている夫婦がいたということを知り、結婚したらこのような夫婦のようになりたいなと思いました。 本間夫婦のようになるためには、富士子夫人のように良き妻、良き母であることに全力を尽くすことはもちろんのこと、夫のことを尊敬する気持ちや夫をたてることを失わない女性でなければいけないと思いました。これらのことは、現在の日本人女性にとって欠けている部分なのかもしれません。本間中将も、男として魅力があり男らしい人であると思いました。 妻として夫に対して誇りを持ち、娘にも夫と同じような男性と結婚してほしいと思えるような男性と結婚したいなと思いました。伊藤 ●本間雅晴中将夫人の話を読み、私はなんとなくイラクで銃撃を受けて死亡したフリージャーナリスト橋田信介さんの妻幸子さんを思い浮かべた。この二人の共通するする点は、人の前では泣かなかったこと、平静を装い続けたこと、夫の夢や仕事を理解したこと、夫を信じたこと、夫を愛し、愛されたこと‥まだまだいろいろあると思うが、凛とした女性というのは正しくこういう女性のことを言うのだろうと思う。そして二人とも、自分の利益ではなく日本女性名に恥じぬよう、または夫の名に恥じぬよう日本とイラクをつなぐ架け橋として、日本という大きなものを背負っているというところがまたかっこいい。昔の日本女性は夫にたて、夫より一歩下がって、良き妻、良き母であることに全力を尽くす人がたくさんいた。それでいて夫のことを支えてい た。こんなことを言えば今の社会では男女差別であると大問題になってしまうかもしれないが、日本のそういう昔の姿はとても美しい。現在の男も女も全部一緒にしようとする教育はやはり間違っていると思った。 北原 ●プリントを読んで凛とした女性というのは、見た目だけでなく自分の意思をしっかり持った、いかなるときも堂々と立ち振る舞える女性らしい女性のことかと感じた。私は女子高で、高校の文化祭のとき、高校のイメージを一文字で表そうとして、決定したのがこの凛という字でした。そのときは、意味もわからず深く考えませんでしたが、女子高として大和撫子を目指す私の高校にはぴったりであったように思います。現在は態度、言葉もくずれ、凛とした女性は本当に少ないとおもいます。凛とした女性はその態度、言動ともに人目を引きますし、憧れであると思います。自分がよければいいのではなく、視野を広く持ち、今までの言動を振り返り、自分なりに意識してこれから時間をかけてでも、いかなる時も堂々と、心の強い女性になりたいと思います。北村 ●第二次世界大戦はすでに半世紀を経っていました。戦争を経験していない世代は私を含め、知らない若者が意外に沢山あります。凛とした日本人女性を知るために何回も読みました。私が一番感動したのは以下のことです。 フィリピンでの裁判では本間雅晴中将夫人が法廷でこう証言しました。 「私は今も本間雅晴の妻であることを誇りに思っております。私には娘がひとりおります。いつの日か、娘が私の夫、本間雅晴のような男性と巡り会い、結婚することを、心から願っております」本間雅晴は素晴らしい人であることこそ、娘を嫁がせる場合には、本間のような男性を選ばせるということでしょう。本間雅晴は無罪ということを直接に出張せず、間接に本間雅晴の人脈を明らかにしたところは彼女の賢いところだと思います。本間雅晴の妻の名前さえ分からないが、彼女の立場から考えると、本間雅晴の妻として、子供の母親として責任を尽くしたでしょう。 チエ ●「凛としている」とは、「態度や姿などが凛々しくひきしまっている」ことを言うのだと思うのですが、本間夫人のお話を読んで、それは今まで生きてきて経験したことや、その人が背負っているものからにじみ出てくるものなのではないかと感じました。歳相応の人間であることはもちろんですが、もっと理知的で凛とした人間になりたいです。子供の良いところ、大人の良いところの両方を併せ持った人間でありたいと思いました。本間夫人は軍人の妻という立場で戦争を経験し、裁判では日本女性の面目を背負っていて、今の日本人からは想像もできないような人生だったと思いますが、本間中将と出会い、結婚生活を送ることができて幸せだったのではないでしょうか。海野 ●富士子夫人のお話を読んで、本当に凛とした女性というのは、精神的に強くて、 真直ぐで、信念を持っている人のことなのだと感じました。裁判の証言でも、日本女性の代表として証言していて、この人は日本女性であることに誇りを持っているのだろうと強く感じました。圧倒的に日本が不利で、形式ばかりの裁判であるのに、アメリカの検察官を泣かせた富士子夫人の言葉には、夫を心から信じている気持ちが溢れているように思いました。また、後にマッカーサーの申し出を断ったというところで、きっと本間中将と富士子夫人は、中将が亡くなっても強い絆で結ばれていて、夫人は亡くなるまで凛とした女性でいたのだと思いました。豊かな経験と知識を持って、信念のままに生きることの美しさを学びました。村岡 ●凛とした」その言葉を聴いて、まず思い浮かんだことは、「りりしい」「芯のある大和撫子」と思いました。写真を見て、和服を着、まっすぐ前を見ている夫人を見たとき、やはりそんなものなのかなと、感じました。本間さん自身が文化人で、いろいろな知識を持っている人で、だからそれに付き合える夫人も世の中のことを知っていて、進んだ人だから「凛とした」という言葉も似合うのだと思います。自身の結婚した人を、家庭のこと・世の中のこと、さまざまなことを話し合っているなというのを感じました。だから、お互いのことを理解し、信頼しあっているのだと思います。今の家庭では、そんなことは少なくなっているのかもしれません。この夫婦は、きっと夫婦・人としての理想なのだと思います。伊藤 by darmouse2 | 2005-06-10 06:22
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