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本編
第一話 アタシは用済み
アタシは惣流・アスカ・ラングレー。
エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット、だった。
さっきまでは。



辞令

フィフスチルドレン 渚カヲルを弐号機専属パイロットに任命する。

セカンドチルドレン 惣流・アスカ・ラングレーを弐号機専属パイロットから解任する。



さっき、ネルフ本部で聞いた辞令だ。これで、アタシの存在価値が無くなった。

「アスカ、今まで御苦労さま」

リツコがそう言ってアタシの頭から赤いインターフェイス・ヘッドセットを取り外す。長い間一緒に居た古くからの相棒。
アタシはリツコがそれを回収するのを見て、本当にエヴァに乗れなくなったんだと自覚した。
アタシは先の使徒戦で、ファーストがひも状の使徒に襲われた時、出撃したんだけど全くエヴァが動かせなくなってしまっていた。
使徒はシンジが出撃する前にファーストが一人で倒したみたい。
アタシの横で涼しい顔をして立っている。
悔しいという気持ちはもうすでに起こらなかった。
使徒戦の時にエントリープラグで漏らした呟きと同じく何もかもどうでもよかった。

「アスカ。今日こそは家に戻りなさい」
「……わかったわ」

アタシは今までミサトの家には帰らずにヒカリの家に入り浸っていた。シンジとミサトと一緒に居るだけでイラついて来るからだ。

「アスカ。帰るなら一緒に行こうか」
「……好きにすれば」

バカシンジのやつは嬉しそうにしている。
本当のバカね。
アタシが何のために帰るかわかってるの!?
帰り道でもシンジはしつこく話しかけて来た。
アタシは全部聞き流してやったけど、それでも話しかけて来る。
本当にうざったい。
コンフォート17の『葛城』のネームプレートがかかった一室。
少し前までのアタシの居場所。でももうここには居られない。
アタシは自分の部屋のドアにかけられた『許可なく立ち入りを禁ず。勝手に入ったら殺すわよ!』と書かれたプレートを外す。
そして部屋の中で荷物の整理をはじめたら、シンジがノックをして部屋に入って来た。
あのバカ、アタシがプレートを外した意味を勘違いしている。

「アスカ、ヘッドセットが無くて頭が寂しくなったんじゃないかな。だから、コレ」

シンジのやつは勝手に顔を赤くして、きれいにラッピングされた小箱を置いて部屋を出て行った。
アタシはその小箱に目もくれずに荷物の整理を始めた。
でも、正直アタシはどうでもよかった。
だから服も最低限の物以外全て置いて行く。
ユニゾンの時の服とかレモン色のワンピとか第壱中学校の制服とか関係なく全て置いて行く。
アタシは無意識のうちにシンジのくれた小箱だけ持って行く手荷物を入れるバッグの中に放り込んでいた。

「ええっ!?アスカがドイツに帰るってどういうことですか?」

シンジの驚いた間抜け面を見て、アタシは胸がすっとしたような気がした。
別れる前にシンジに毒突いてやろうと思ったけど、そんな気持ちも無くなったわ。

「パイロットじゃなくなったから、本部に居る理由は無いのよ。ドイツ支部から帰還命令が出てるしね」
「そんな!アスカはそれでいいの?」
「シンジ。せいぜいファーストと仲良くやりなさいよ」

アタシはそう言って夕食の席を立った。
シンジはアタシのためにハンバーグを作ったみたいだけど、それをほとんど口にしないで部屋に閉じこもった。
それからシンジのやつがどうしたかは知らない。
アタシは翌日、誰の見送りも無いまま日本を飛び立った。
フィフスチルドレンがどんなやつなんて知りもしない。
顔を合わせる間もなくアタシは日本から叩きだされたのだから。



「よく戻って来れたな、我がネルフドイツ支部に。このドイツの恥じさらしが」

ネルフドイツ支部に戻って来たアタシは出発する時とは対照的に、粗略な扱いを受けた。
迎えに来た職員も下っ端の下っ端が一人だけ。
後はアタシが逃げないように見張る人間だけだ。
アタシはガードがつくほど重要な人物でもなくなっているみたいだ。
ただ秘密をもらさないように見張られているだけ。
ドイツ支部ではアタシは失格人間、ドイツの恥さらしなどと呼ばれるようになっていた。
日本に行ったフィフス・チルドレンは高いシンクロ率を誇って使徒戦で目覚ましい活躍をしてるらしい。
アタシとは違って英雄扱いだ。
数ヵ月前までアタシがその位置に居たのに。
ネルフドイツ支部でアタシを待っていた仕事は、清掃員だった。
アタシにはわざと出世できるような仕事はさせないらしい。
組織ぐるみでアタシに嫌がらせをしてるのは明白だった。

「元パイロットのおチビちゃんよ。会議室の角にほこりが溜っていたぞ、きちんと掃除してるのかい」
「トイレ掃除早く頼むわよ」

アタシは今までした事のない掃除を一生懸命やったけど、散々文句や嫌味を言われた。
ドイツ支部でエースパイロットとしてもてはやされた時は、アタシの方が命令をする立場だったのに。
アタシの味方は誰も側に居なかった。
遠くの日本の方を見つめてアタシは来るはずの無い助けを求めることしかできなかった。

「誰か、アタシを守ってよ……ママ、加持さん、ミサト、……シンジ」

アタシがこんなどん底の生活を送るようになってから少しして、ゼーレが企んでいた人類補完計画の全貌が日本のネルフ本部によって明らかにされた。
シンジはサードインパクトを未然に防いだチルドレンとして、ファーストとフィフスチルドレンと一緒にネルフの主要人物になるみたい。
シンジは次期司令になるんじゃないかって噂されてる。
ネルフドイツ支部はゼーレと繋がっていたことがバレて大混乱を起こしていた。
だからアタシに対する監視の目も緩んでいた。
アタシは監視の目を振り切って、列車に乗って遠くに逃げようとした。
手荷物のバッグだけ持って連れ戻されないように出来るだけ遠くへ。
アタシはあまりお金を持っていなかったから、列車で逃げるのも限界があった。
アタシは行ける範囲でギリギリの駅で列車を降りた。
駅の名前は『ヴィルヘルムスハーフェン』。
偶然にも弐号機と一緒にアタシが日本に向けて出発した港のある場所だった。
アタシは徒歩で港の波止場へたどり着いた。
遠くで船の汽笛の音が聞こえる。

「海に落ちて溺れれば確実に死ねるかしら」

アタシはそう独り言をつぶやいて海に向かって歩いて行く。
でも疲労と空腹で足がなかなか進まない。
それでも前に進もうとすると後ろから誰かに腕をつかまれた。

「お嬢ちゃん!お前さん何をやってるんだい!」
「アタシには何も価値が無いの、死なせてよ!」
「何をバカな事いってんだい!」

アタシは腕をつかんだドイツ人のおばさんに平手打ちをされた。

「若い子が死ぬなんて、バチが当たるよ!」
「アタシは生きていたって、もう何も良い事は無いのよ!」

そう叫んだ時、アタシのお腹の虫が盛大な音を立てた。

「何だ、お前さんお腹がすいているのかい。うちに来て御飯を食べれば暗い考えなんてぶっ飛ぶよ」

アタシはそのままおばさんに手を引かれて歩き出した。付いた場所は小さなレストランだった。
海が見える景色が良い場所に立てられたそのレストランには『海猫亭』とドイツ語で書かれた看板が付けられている。

「北条さん、今日は子連れかい?」

屈強な日本人の漁師に見える男の人がおばさんに声を掛けて来た。
アタシはこのおばさんをドイツ人と思い込んでいたので、日本語で話しかけられているのを見て驚いた。

「ああ、ちょっとお腹をすかせているみたいだからね」
「ところどころにアザみたいなのがあるじゃないか……いったいどうしたんだい?」
「その……今まで働いていた場所で色々あって……」

日本語で話しかけられた懐かしさからかアタシはつい日本語で答えてしまっていた。

「これは驚いた。お嬢ちゃん、日本語が達者だね」
「あらまあ、日本に住んでいたのかい?」
「アタシ、日本人の血が混じったクォーターだから。アスカっていいます」
「私の旦那は日本人だったから日本語がわかるのだ。私は北条マリアっていうのさ」
「俺はさすらいのツナ捕り名人、北島サブって言うんだ。よろしくな」

何か漁師さんの名前は嘘っぽく感じるけど、そんなことは今のアタシにとってはどうでもいい。
その巨体と豪快な態度はいかにも本物の漁師だと思った。
私はサブさんと別れて、食堂に併設された住居の中に案内された。

「ほら、ここが私の家だよ」
「し、失礼します」
「私一人しか住んでないんだ、遠慮することは無いよ」

アタシの服はよれよれだったから、マリアおばさんに着替えるように言われた。
おばさんの娘さんの服に着替えていると、アタシの体に出来た傷を見ておばさんが怒ったような声を出した。

「こんなに白くてきれいな肌なのにアザを作らされちゃって……まったくひどいやつがいるもんだね」

おばさんはアタシが着替えると、市場で買ってきた食材を持ってそそくさと調理場に向かっていった。
そういえば、おばさんは食堂を経営しているんだっけ。
調理場の方からおばさんが料理をする音が聞こえる。
リズムの良い包丁の音が聞こえる所を見ると、何かまな板で切っているのだろう。

「さあ、お腹がすいているだろう。たっぷりとお食べ」

おばさんが持って来たのは和風の定食だった。
純粋に日本の物じゃなくてアレンジが加えてあるけど、アタシに日本での食事を思い出させるのは十分だった。
アタシが口を付けると、懐かしい味が広がった。
そして、胸が暖かくなるような気持ちに包まれた。
アタシはシンジと楽しい家族ごっこをしていた日々を思い出した。
シンジは今ごろどうしているんだろう……。
きっとネルフの次期司令として期待されているんだろうけど……。
ファーストのやつがいるから大丈夫よね……。
アタシにはネルフに居場所は無いんだ……。
エヴァンゲリオン弐号機のパイロットを更迭させられたんだから……。
アタシはシンジの事を思い出すと涙を流していた。
ファーストのやつと楽しそうに話しているシンジを思い浮かべると胸がズキズキした。

「おやおや、涙を流すほどおいしかったのかい?」
「いえ、ちょっと昔の事を思い出しちゃって」
「冗談さ。……それより、もう死んでしまうなんて考えは捨てられたのかい?」
「……まだわかりません」
「んじゃ、とりあえずウチの食堂で住み込みで働くかい?」
「アタシ、料理も掃除もできない、役立たずな価値の無い人間なんです」

アタシは突然の提案に慌てて自分を卑下して答えた。

「私ゃずっと一人でこの食堂をやっているんだけど、お前さんみたいなかわいい子に看板娘になって欲しいんだ。仕事なんて少しずつ覚えればいい。手伝ってくれないかい?」
「え、でも……」

アタシが目を伏せて黙り込んでしまうと、おばさんは意地悪そうな声で言いだした。

「働かざるもの、食うべからずってことわざが日本にはあるわよね」
「うぐ、わ、わかったわよ」
「そうそう、これからは家族同然なんだから遠慮も敬語も無しでいくよ」
「じゃあ失礼ついでにアタシからも一つ、いい?」
「なんだい?」
「マリアおばさまのこと、ママって呼んでいい?」
「かまわないさ。私も10年ぶりに娘を抱けて嬉しいよ」

おばさんはアタシをしっかりと抱きしめてくれた。アタシは部屋の隅に家族の写真が飾られていたのを見つけた。
旦那さんと娘さんみたいだ。旦那さんは真面目な日本人って感じ。娘さんは瞳の色や髪の明るさは違うけど、アタシと同じ紅茶色の髪の毛だった。
二人とも10年前の海難事故で死んでしまったみたい。おばさんだけ事故で生き残ってしまったそうだ。

「アタシ、娘さんの代わりになれる?」
「アスカちゃんはアスカちゃんじゃないか!何言ってんだい」

おばさんは豪快に笑い飛ばした。

「でも、本当の娘にしたいっていうのは嘘じゃないさ。この店もアスカちゃんに後を継いでもらう気でいるし」

アタシは考えた。
ネルフに戻ってもまたいじめられるだけ。
それなら全てを捨ててここで暮らそうと。
そうすればアタシが淡い思いを抱いたシンジの事も忘れられる……。

「うん、よろしくお願い、ママ」
「アスカちゃん、ちょっと頭が寂しいね……何かアクセサリーでも付けたら似合うと思うんだけど……」

アタシはそう言われて、手荷物の中にある包装紙に包まれたままの小箱の事を思い出した。
急いでバッグの中から取り出す。

『アスカ、ヘッドセットが無くて頭が寂しくなったんじゃないかな。だから、コレ』

確かシンジはそんなことを言っていた。
すでに箱はボロボロになっていたけど、震える手で包装紙をむしり取り箱を開ける。
中には真っ赤なリボンが入っていた。
シンジがアタシのために勇気を出して買ってきて、あの日やっと渡してくれたんだろう。

「シンジ……」

アタシは赤いリボンを握りしめて涙を流していた。
もっと早くシンジに対して優しくしてあげればよかった。
シンジのまごころがアタシに届いたのは遅すぎたのだ。

「おやおや、そんなに強く握ったらリボンがしわになってしまうんじゃないか」

アンおばさんはアタシからリボンを受け取ると、頭に付けてくれた。

「ほら、アスカちゃんがますますかわいくなった」

アタシは鏡に映った自分の姿を見ながら、頭に付けた赤いリボンを優しくそっと撫でていた。
アタシはその日惣流・アスカ・ラングレーの名前を捨てて、北条アスカとなった。
うん、アタシはこれから元気にやっていける。
完全に忘れ切るまでは時間がかかるけど、さようなら、シンジ。
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