勝敗という人生観
テーマ:ブログだから卑怯なマネをしても勝ちにいくんだ
その姿勢がすでに人生の敗北者と知らずに
どんな手を使っても どれだけ嘘をついても
優位に立てば勝ちだと思っている浅はかさ…
カノンはちょっと批判されるとたちまち攻撃色を強くする
魔法の呪文が反スピ攻撃ブログ化してきた
「夜店上がり、趣味上がり、カルチャーセンター上がりの指導者の緩いレッスン」と
トレーナー 教師 指導者の皆さん
言いたい放題言ってますよ
「間違っても現状の町の育成もどきの客商売みたいな、
受講者とお茶を飲んで遊んで授業料を得る…
ようなことは、クラシックの世界では一切許されない。」というが
まただよ…
どうして書けてしまうのか こんな意味不明文章
「間違っても」はどこにかかる?
この場合なら「現状」にかかってしまうはず
しかも「現状の町」って何?
推敲もしない文なら読者軽視もいいところだし
推敲してもこの程度なら
(子供向けしかないだろうが)作文教室のカルチャースクールに
通った方がいい
…
「受講者とお茶を飲んで遊んで授業料を得る…」
なるほど
言っておくが
私は たとえば
ボーカルスクールを全肯定しているわけではない
×樹が言う「指導者の問題点」を全否定もしない
さまざまなスクールがあり いろんな指導者がいるだろう
しかし
批判する批判者 この場合×樹の
批判精神の根幹・人生観はどうだといってるのだ
私の目にそれは
「音楽は勝負」という人生観に映る
×樹にとって ひいては「人生は勝負」なのだろう
だからカノンはあれだけスピ系を全否定したのだろう
つまり
営業できている指導者
スピリチュアリストに嫉妬しているのではないか
自分が敗北者だから
音楽の側面に勝負や営業はあるが
本質はどうなのだろう
「勝負」という人生観は市場原理に近い
そもそも
マーケーットでは無時間が理想だ
売り出してすぐ売れる品物がいいもの
私は常に、「 今この場で勝負しなさい 」 という厳しい指導者の元で長年訓練して来たからこその、今がある。
(またしてもとんでもない文だ…まあ、先に進もう)
「今この場で勝負」という無時間
相場師のやりとりで
瞬間的に大金の行方が決まるというような
映画のシーンが何となく浮かぶ
けれども音楽とは
時間芸術なのだ
すでに発せられた音は余韻として残り
これから発せられる音の予感があり
全体の響きにあらかじめ感動しつつ
聴き手は音楽に対峙する
こんな時間芸術は他にはない
だから古来より音楽は重んじられてきた
確かにある
しかし
今 ここにない音楽へのコミット
それは勝敗を超えた世界だろう
「今この場で勝負」という
音楽を博打化する精神では
人を感動には誘えない
それから
主人がよく言う言葉で、「 お化けと今度は存在しない 」 という言葉があるが、
この言葉、まさしくその通りだと私は思っている。
はあ…
こんなに短い文で「言葉」を三回もくり返す
これもカノンの得意技 同語反復
誉めてない
Toy氏の知性はどうよ…(存在したらの話だが)
「お化けと今度」を
どうして並列事項にできてしまうのか…
情けない口癖だ…
「お化けは存在しない」というロジックは
(真偽は別として・ただし「お化け」の定義も別として)あり得るが
「今度」に関する場合
それは
「『今度こそは』という今度はあり得ない」という意味だろうから
並列事項はあり得ない
いっそ
「お化けとToyは存在しない」と
言い換えたらいかがか
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1 ■お化けはTOYだろ、と私も思いましたw
私の書く文章も、多々、おかしいとこあると思いますが…
>私は幼少の頃から意外な指導者に何人もついて、年齢にそぐわないスキルの向上に努めて来たが、
ってとこも、必要なのか?自己顕示以外の理由で要るのか?って思いました。自分は才能がある、特別だ。というとこに誇示する場として自分の話聞いて欲しいだけの記事じゃないですか。
それに、書けば書くほど、どれほどクラシックや指導の世界を知らないか、どんだけ視野が狭いか(というより、ただの決め付け。妄想)よーくわかります。