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ぼくは大いに同情しますよ。あれは戦前のことです。当時は特高警察が徘徊し、日帝にとって「不穏な動き」を警戒していた。そして逮捕されれば拷問が待っていた。「蟹工船」の小林多喜二が拷問死したのは有名な話です。特高はまた共産党内部にスパイを放っていた。一時はスパイが共産党のトップにいたほどです。そして伊豆の集会では一網打尽になった。だから共産党がスパイを警戒しなければならないのは当然のことです。「戦前」という状況の中で共産党を守るために行った行為については、「相手の側に非がある」のであって、それに対抗する行為を非難するのは間違っている。もちろん、尋問に際して拷問を行った結果として殺してしまったことについて「行き過ぎた」という批判はできるでしょう。しかし、それらの批判を考慮してもなお、共産党をそのような状況へと追い詰めたのは、特高警察、つまり日本帝国主義の側に責任があった、と僕は考えます。
ほぼ同じ論理でぼくは1921年のボリシェヴィキを防衛するんですけどね。ボリシェヴィキの場合はもっと大規模な形で国際的反革命勢力と対峙する関係にあり、一歩も退けない状況でした。だからその苦しい状況の中で行き過ぎがあったとしても、「大目的」にそって僕はそれを防衛する立場にたちます。ところがケンジさんは「日本共産党の論理は受け入れる」けど、そのご先祖様の同じ行為に対しては非難するわけですねえ。だけどケンジさん。ボリシェヴィキが存在しなかったら日本共産党も結成されていなかったんですよ。分かってるのかなあ?
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